もとなりくんの「今週の政治 ‘とんでも’」

日本の経済、安保危機を打開する力は、国民の結束と強い政治しかない

露大統領訪日問題_ まずは、北方領土不法占拠、シベリア不法抑留に関する「スターリンの罪」の断崖だ!

2015-10-17 19:39:17 | 政治
2015年10月17日
「北方領土問題をめぐり、ロシア政府が日露政府間の領土交渉を公式な場で明言することは困難であると非公式に日本側に伝えてきていたことが14日、分かった。ロシア側は領土交渉に応じる姿勢を示すが、国内世論を警戒して交渉を公にはしない。日本政府は交渉進展のためのトップ会談に向けたプーチン大統領の年内来日を模索してきたが、ロシアの姿勢はいまだ交渉進展が非常に困難であることを示している。…略… ロシア側はメドベージェフ首相らロシア要人が相次ぎ北方四島を訪問しており、領土問題を棚上げしたまま平和条約交渉を進めたいとの思惑もにじむ。…略…」(15日 産経)。
安倍首相はプーチン大統領の訪日にご執心のようだが、一体何をしようとしているのかさっぱりわからない。まあ、首相の個人的事情からすれば、日露関係の進展を演出することで支持率のアップや、プーチン氏との個人的信頼関係を強調することによる人間的魅力のアピール、「タカ派」イメージの払拭、そして中韓、米への牽制カードとしてのロシアを手の内に入れておきたいというところだろう。これらの意義は認めるにしても、あくまでも表層の問題、個人的問題でしかなく、いま、露大統領を日本に呼ぶことが国益にかなうとは言えない。否、むしろ現在のこの局面でそれをすること、あるいはしようとすることは日本にとって百害あって一利なしとなるはずだ。そもそも、現在のロシアの理不尽で高飛車な主張と行動に対して、日本が言っていること、主張?していることには説得力も迫力もない。単なる「懇願」にとどまっている日本の要求に、海千山千のロシアの連中が真面目に応じるはずもない。安倍首相の外交にかける情熱とその理念の正しさは認めるにしても、あまりにも実直でお人好し過ぎるのではないか。少し頭を冷やして、情勢を客観的に眺めてもらいたいものだ。日本は体制を立て直して、もっと真剣に強固な交渉の舞台を作っていかねばならない。以下、この問題について、5つのことを述べたい。

<1_ ウクライナ、シリアでやりたい放題のロシアと領土交渉、平和条約交渉をしようとは??>
日本はG7としてウクライナ問題で対ロ制裁を行っており、この状況で露大統領の訪日と関係改善の動きをすれば、日本がロシアのウクライナ侵略を受容したことにもなりかねない。現に米国は、日本に懸念表明を伝えてきている。
また、ロシアは、西側のロシア制裁に強く反発すると同時に、この制裁に伴う国内経済の悪化をナショナリズムで乗り切ろうとしているのだから、いまや「正義の戦争の勝利」のシンボルとされている北方領土の返還などの話などできるはずもない。とにかく、日本の考えは、ピンぼけであること限りない。

<2_ 日本の対露交渉の武器はほとんど役に立たない 飴でも鞭でもないものなのに、それが「飴と鞭」になるものと考えることのお粗末>
2000年に入って、ロシアは、北方領土はロシアのもの、日本に返還する理由がないとしてきたし、その主張は最近益々過激化し、挑発的になっている。彼らは北方領土のインフラを整備し、島への移住促進のため遊休地を希望者に分与することを決定、軍事基地の整備などを進めて実行支配を着々と強めている。もっと言えばこれは既に実行支配の段階を過ぎて、もう絶対に日本には返ることはないとの前提での行動だろう。彼らは北方領土は「大戦の正当な結果」としてロシアのものになったと言っており、日本に返す必要はないどころか、返せという日本の主張は大戦後の国際秩序に対する挑戦だとも言っている。今回、交渉はできないと言い始めたのは、こうしたロシアの政策に沿った内容である。
ところが、日本側はこのようなロシア側の不当な出方に全く対応できていない。日本の対ロ交渉に使ってきた二つの武器がいずれも、もう全く役に立たなくなっているのに、そのことに気付かず、相も変わらぬ千年一日がごとき、対応をしている。これらはいわゆる「対話と圧力」、「飴と鞭」を構成すべきものであるのだが、いまや飴にも鞭にもなっていないのである。まず、鞭としての武器であるが、それは、56年の日ソ共同宣言を始めとする、戦後のいくつかの二か国合意である。しかし、共同宣言でも「歯舞諸島と色丹島の二島を「平和条約締結後」に返還する」となっているのだから、こうしたものだけを根拠に、四島返還を求めるのは無理がある。しかも、現在のロシアはこれらを完全に無視して、どんどん実効支配を強めているわけだから、日本としてはロシアの行動を迫力をもって批判しなければならないのに、やっていることは過去の合意に基づき交渉を行うように懇願することだけである。

<3_ 切り札の「経済協力」は、ロシアが熱望しているものではなく、日本が熱望しているものに変質している??!>
もう一つの武器は飴に相当するものであり、それは日本の経済協力を出しにした交渉である。ロシアはシベリア開発などで、日本の支援がほしいはずであるから、これは交渉を前進させるための一定の武器になり得ることは事実だろう。しかし、これは「四島を金で買う」という発想が含まれているから、これが前に出過ぎると、北方領土がロシアのものであることを日本は認めていることになってしまう。なぜなら、自分のものを金を出して買うような人間、国はないだろうからである。また、自分たちの領土はよほどの理由が無い限り、金で他国に売りつけるようなものではないから、経済協力と四島返還のトレードがあまり表面に出過ぎるとロシアとしてもプライドの問題からこれに乗ることが難しくなってくるだろう。さらに問題なのは、日の出の勢いだった40年前の日本ならともかくも、金も経済力もなくなってしまった現在の日本が、このような経済力をひけらかす話をしても、誰も信用するはずがない。日本は、「落ちぶれた日本が、まだ過去の栄光に酔って、たわごとを言っている」とぐらいにしか見られていない現実を直視しなければならない。現に、シベリアや北方領土開発の潜在的能力や可能性を持っているのは、日本だけではなく、中国や韓国もそうである。ロシアは中韓を使って盛んに日本を揺さぶっている。メドベージェフ首相は「(北方領土開発に意欲を見せている)中韓は友人だが、(何もしようとしない)日本はただの隣人」とまで言っている。ロシアは、「北方領土返還なんてとんでもない。北方領土開発に参加するだけでも日本には大きなメリットがあるはずだから、それだけでも有難く思え」と言っているのである。

<4_ 「大戦の結果」の不当性、不法性を主張すること、そしてこれは「スターリンの罪」であることを暴くことこそ、まず日本がやるべきこと>
北方領土返還は、ロシアの義務であり、日本の権利であるはずなのに、日本はなぜそれを堂々と主張しないのか。日本の領土返還要求は完全に「お願いベース」となっており、交渉は「ロシア皇帝の慈悲を願う」儀式以外の何物でもなくなっている。日本は、ロシアのいう「大戦の結果」は、不当、不法なそれであり、「スターリンの犯罪」であることをしっかりロシアと世界に主張すべきである。論点はいくつかあるはずだ。まずソ連による日ソ中立条約の一方的破棄。これには、日本は満州において演習という名目で軍事行動を行い、これによってソ連軍の敵であったドイツ軍を間接的に援護した、よって条約を先に破ったのは日本だとの反論があるようだ。しかし、間接的に云々ということと、直接的な行動との間には雲泥の差がある。次に、日本のポツダム宣言受け入れと日本の全面降伏後の北方領土侵略の不当性。これは、ヤルタ会談の合意内容の不当性の追求の意味がある。また、ソ連の行動は領土不拡大という戦後処理の基本理念から逸脱していること、など。ヤルタ会談の秘密合意の不当性の追求は、米国にとっても不愉快なことになるから、政府、外務省は米国への配慮もあって、この点には突っ込みたくないだろうが、ロシアのいう「大戦の結果」の不当性をいうには、これに踏み込まざるを得ない。今年は戦後70年であるが、これは日本の戦争責任が糾弾されるだけのものではないはずだ。あの戦争全体が現在的視点で総合的かつ建設的に振り返られなければ、未来に向けての真のスタートは切れない。中ロは、この70年を、戦勝国としての自分たちの立場の正当性を強化するための政治利用することに懸命である。これに手をこまねいているだけでは、日本は益々、中ロから、そして韓国、北からも、甘い国とみなされて、いいようにやられ続けることだろう。

<5_ シベリア抑留の不当性、不法性を明らかにし、ロシアに真相究明と、謝罪を要求すべき>
ソ連は1945年8月9日、翌春まで有効だった日ソ中立条約を破棄して参戦、旧日本兵ら57万人をシベリア、中央アジアなどに強制抑留し、極寒の地の飢えと重労働で5万5千人(いずれも厚生労働省推計)が命を失った。これは、「日本の軍人は武装解除後、本国へ送還させられなければならない」としたポツダム宣言に反し、その非人道性は国際的にも明らかである。これこそがスターリンのもう一つの大きな「罪」であるから、これを放っておいて、北方領土だけの交渉はあり得ないし、ましてや平和条約の締結などあり得ない。日本政府と外務省は、これまで「我関せず」で、この極悪非道なスターリンの『人道に反する罪』についてロシア政府に抗議したことはない。NHKや朝日などを含む大手メディアも、外務省と同様、日露平和条約締結に関する報道において、シベリア抑留=日本人捕虜の奴隷労働被害については徹底無視姿勢を貫いてきた。その根本には、戦争への贖罪意識と、自虐史観、戦後の左翼イデオロギーの傍若無人な振る舞い、そして強面ソ連・ロに対する恐れなどがあったはずである。彼らはこの問題を「パンドラの箱」に封じ込めたまま歴史の闇に葬り去ろうとしたものと思われるが、こんなことでは犠牲者の霊は浮かばれないし、日本の国としての主体性も保てない。
これは、自らの主張を控えることで、相手の譲歩を引き出せるとする伝統的な日本外交の悪弊であり、この悪害は、「慰安婦」や「南京大虐殺」などで、嫌というほど味わったものだ。外交は自らの主張が相手国や国際社会に認知されて初めて大きな力を発揮する。たとえば、2万人を超すポーランド将校がソ連軍に殺害された「カチンの森」事件では、ポーランド側の告発にも関わらず、ソ連側は一貫して「ナチス・ドイツの仕業」としていた。しかし、国を挙げて真相解明を求め続けたポーランドの熱意が最後には勝ったのである。プーチン大統領は首相時代の2010年4月、ポーランド首相とともにロシア西部スモレンスク郊外にあるカチンの森事件の慰霊碑を訪れ、ひざまずき献花したのである。
シベリア抑留は、これに比べ最終的な抑留者数など未解明な点が残るもののソ連参戦や強制抑留の不当性に関し争いの余地はない。ゴルバチョフ大統領(当時)は、歴代指導者では初めて犠牲者に「哀悼」の意を表明したし、エリツィン初代ロシア大統領も93年10月に訪日した折、「非人間的な行為に対して謝罪の意を表する」と表明している。ところが、ロシア国民はこのことを知らされないでいる。日本がロシア国民のこの歴史認識・国民感情を変える努力を行わず、北方領土を取り戻すことは不可能である。現状では、プーチン大統領に限らず、誰が大統領であっても動ける範囲も限られる。ロシア国民に問題の重大性を認識させることが、まずやるべきことの第一歩であり、そのためには「スターリンの罪」としてのシベリア抑留を議論しなければならないのである。
このように、シベリア抑留問題は、日本側の軟弱外交によって、一旦は「パンドラの箱」に閉じ込められかけたが、幸か不幸か、今回のユネスコ記憶遺産登録が決まったことで、注目が集まることとなった。ロシアが日本の資料登録を政治利用だとして、日本批判と、登録撤回運動に乗り出したからである。彼らは、日本は「パンドラの箱を開けた」として日本を非難している。中国の南京大虐殺登録を日本が批判している問題とも絡んで、三者が入り乱れた状況になって、事態はややこしくなってきた。ただ、中国の南京大虐殺には多くの虚偽が含まれており、シベリア抑留問題は一部に未解明なところがあるにせよそのほとんどは事実なのだから、また登録申請に当たっての経緯も相当に異なっているから両者を同列に扱うことはできない。南京大虐殺についてのユネスコ批判、そして分担金の一時凍結、そして登録撤回運動は絶対に行わねばならないことだ。政府外務省は、毅然たる姿勢で対処してもらいたい。
ともあれ、シベリア抑留問題で、ロシアに真相究明と謝罪を要求することは、避けては通れない問題なのである。