2016年1月30日
以下、1月27日 韓国経済新聞/中央日報日本語版 社説「中国が韓国をはずして日本と経済協力に出るという」より。
「中国が構造改革のために日本との経済協議の枠組みをつくることにしたという。昨日、日本経済新聞によれば両国は経済・金融の協議を今年から稼動させる予定だ。協議には、日本側から外務・財務・経済産業省と内閣府・日本銀行が、中国側からは外務・財政省、国家発展改革委員会・人民銀行があまねく参加すると発表された。日本経済新聞は「両国の政府と中央銀行が定期的に話し合う枠組みをつくるのは今回が初めて」と意味づけした。 過去の問題に領土紛争(尖閣諸島の領有権争い)まで重なり、ここ数年間いがみ合っていた両国だ。中国の国家的な野心作であるアジアインフラ投資銀行(AIIB)のスタートに日本はついに参加することもなかった。そのような両国が、今後5年を見通しながら相互協力案について議論を始めたのだ。」(韓国経済新聞 1月27日)。
<もとなりコメント>_ ここまでは事実の記述としてまあ許されるにしても、次からの記述は韓国の身勝手な妄想の連発で、まったく社会の公器の体裁を成していない。韓国の中では比較的まともであるはずの韓国経済新聞の社説にしてこの‘軽さ’だから、もう韓国の未来は推して知るべきだろう。
「国際協力を強化する現象自体を、韓国があえて斜めに見る理由はない。だが中国が経済改革の協力パートナーとして韓国の代わりに日本を選んだという事実は軽く見過ごすことでない。「中国傾倒論」という批判まで受けて中国との関係改善にあらゆる努力をしてきたが、韓国に対する中国の見方は変わっていなかったのだ。 日本の動きも、もう少し細かく見る必要がある。半月前に「柳一鎬(ユ・イルホ)聴聞会」で韓日通貨スワップ再開の問題が出た時、日本政府とメディアは非常にシニカルな反応を見せた。もちろん韓日間の通貨スワップは差し迫った事情ではないが、高圧的とまで感じた日本の反応から韓国を眺める内心がしっかりと読み取れた。慰安婦交渉も結末はきれいではなかった。日本側から見えたのは明らかな距離感だったし警戒心だった。」(同)。
<もとなりコメント>_ 「中国が経済改革の協力パートナーとして韓国の代わりに日本を選んだという事実は軽く見過ごすことでない。」という書きぶりは何だと言わざるを得ない。もう既にここで相当に夢想、誇大妄想が膨れ上がっている。なぜ、日本か韓国かの二者択一でなければならないのか? なぜ日本と一緒にやる発想ができないのか?! 中国も、日米を牽制するために韓国の取り込みを図っただけの話なのだが、うぬぼれしかない韓国には、自分たちが日本を越えているものとしか見えないらしい。政治、経済、技術、文化のいずれにおいても韓国に日本の代役など務まるわけはないのに、韓国にはそのことが全く理解できないものと見える。「中国傾倒論という批判まで受けて中国との関係改善にあらゆる努力をしてきた」と言うが、これまで中国からむしり取ることばかりやっておいて、よく言うよと言いたい。中国は韓国を反日の側に引き留めようとして、韓国の無理難題を聞いて譲歩をしてきたのだが、韓国にはこういう事情が全くわかっていないようだ。こんな韓国にどんな支援をしてみても、どぶに金を捨てる以上のものでないことを中国もようやくわかったということだ。
「韓日通貨スワップ再開の問題が出た時、日本政府とメディアは非常にシニカルな反応を見せた。…略… もちろん韓日間の通貨スワップは差し迫った事情ではないが、高圧的とまで感じた日本の反応から韓国を眺める内心がしっかりと読み取れた。慰安婦交渉も結末はきれいではなかった。日本側から見えたのは明らかな距離感だったし警戒心だった。」(同)。
<もとなりコメント>_ 通貨スワップとは言うが、これは 十中八九は日本が韓国を支援するものでしかない。そもそも、日韓が対等な立場で、共に利益を得ていくような関係などあり得ないのだ。日韓の間にはそれくらいの違いがある。戦前は、同じ国の国民として、同じ価値観、同じ権利で共に歩んだはずなのに、日本の敗戦が決まるや否や、韓国(朝鮮)は自分たちが望んで日本として連合国と戦ったという事実をかなぐり捨てて、一転、被害者の立場に豹変した。それでも日本は、韓国を敵とはみなさず、一貫して、支援、援助を行なって来た。慰安婦問題なども、本来は朝鮮社会の伝統と密接不可分なもの、朝鮮女性の生き方の問題であったにも関わらず、それなりに円満な着地点を見出すべく最大限の努力をし、譲歩を重ねてきた。ところが彼らは、こうした日本の誠意を理解するどころか、日本が罪を認めたとか、千年経っても日本を許さないとか、自分たちは日本を越えたなどとして、日本へのゆすりたかりを続けて来た。ちなみに、日本軍が使った「慰安婦」は当時、完全な合法的制度であり、日本が特段に非難を受けるようなものでなかったことは言うまでもない。朝鮮が日本から独立したのちの南北朝鮮では、彼らの意志で慰安婦制度が存続して来たし、韓国軍や米軍もその恩恵にあずかったことは周知の事実である。そして現在でも少なからぬ韓国女性が世界中で売春活動を行なっている。しかし、韓国人は、こういう韓国の実態には目を瞑り、70年以上も前の慰安婦問題を執拗に蒸し返し、日本批判だけを続けている。彼らは、慰安婦問題を日本をゆすり、たかるネタとしか考えていないことが、今や明らかになっているのである。どうも彼らはこういう見方、やり方しかできない民族らしい。日本は、韓国そして北と良い関係を作っていきたいとの願いから、何十年にも渡って、理解し合える道を探し続けて来たが、もうさすがに限界のようだ。
「韓国の経済外交は果たしてどこへ向かっているのか。私たちは昨日もこの社説欄で戦略も計画も前途も見えない経済外交の問題点を指摘していた。イランや中東だけではない。中国とも、日本ともよそよそしい形式的な友好関係だけにとどまるのではないのかと心配になる。経済外交の底辺から再び構築しなければならない。暗雲は四方から押し寄せている。」(同)。
いかにも、広く深い視点から、政治や経済の問題を眺めて、誠心誠意の意見を述べているようだが…。この新聞は韓国のそれとしては良心的な方と言えるから、韓国側の問題点を指摘しているのだろう。しかし、あっちにもこっちにも気兼ねしつつ書かれているから、結局は民族のいい加減さに引きずられるしかない。これは浅い自分勝手な見方で埋め尽くされている。なぜ、経済のことしか言わないのか。なぜ、もっと両国が関係を深める思想、方法などについて論じないのか。こういうその場しのぎの、わずか数か月たてば、180度 内容が真反対になるような軽さで、物事を見ているから、百年経っても、千年経っても韓国、朝鮮は変わらないのである。
こんな調子ではもう日本には残された道はなく、韓国には、自分の信じる道を進んでほしいというしかない。我々日本人も、こんな韓国・朝鮮人と付き合うのは疲れたと言ってもよいだろう。顔と姿はよく似ていても、全く違った人種なのである(それにしても、これほど非理性的、非人間的な民族も珍しいが…)。我々は、彼らの非理性性、危険性に十分な注意を払いつつ、出来るだけ関係を減らしていくのが最善だろう。韓国・朝鮮人とは必要最低限のことだけをやるべきであり、共に何かをやるべき民族ではないと知るべきである。
以下、1月27日 韓国経済新聞/中央日報日本語版 社説「中国が韓国をはずして日本と経済協力に出るという」より。
「中国が構造改革のために日本との経済協議の枠組みをつくることにしたという。昨日、日本経済新聞によれば両国は経済・金融の協議を今年から稼動させる予定だ。協議には、日本側から外務・財務・経済産業省と内閣府・日本銀行が、中国側からは外務・財政省、国家発展改革委員会・人民銀行があまねく参加すると発表された。日本経済新聞は「両国の政府と中央銀行が定期的に話し合う枠組みをつくるのは今回が初めて」と意味づけした。 過去の問題に領土紛争(尖閣諸島の領有権争い)まで重なり、ここ数年間いがみ合っていた両国だ。中国の国家的な野心作であるアジアインフラ投資銀行(AIIB)のスタートに日本はついに参加することもなかった。そのような両国が、今後5年を見通しながら相互協力案について議論を始めたのだ。」(韓国経済新聞 1月27日)。
<もとなりコメント>_ ここまでは事実の記述としてまあ許されるにしても、次からの記述は韓国の身勝手な妄想の連発で、まったく社会の公器の体裁を成していない。韓国の中では比較的まともであるはずの韓国経済新聞の社説にしてこの‘軽さ’だから、もう韓国の未来は推して知るべきだろう。
「国際協力を強化する現象自体を、韓国があえて斜めに見る理由はない。だが中国が経済改革の協力パートナーとして韓国の代わりに日本を選んだという事実は軽く見過ごすことでない。「中国傾倒論」という批判まで受けて中国との関係改善にあらゆる努力をしてきたが、韓国に対する中国の見方は変わっていなかったのだ。 日本の動きも、もう少し細かく見る必要がある。半月前に「柳一鎬(ユ・イルホ)聴聞会」で韓日通貨スワップ再開の問題が出た時、日本政府とメディアは非常にシニカルな反応を見せた。もちろん韓日間の通貨スワップは差し迫った事情ではないが、高圧的とまで感じた日本の反応から韓国を眺める内心がしっかりと読み取れた。慰安婦交渉も結末はきれいではなかった。日本側から見えたのは明らかな距離感だったし警戒心だった。」(同)。
<もとなりコメント>_ 「中国が経済改革の協力パートナーとして韓国の代わりに日本を選んだという事実は軽く見過ごすことでない。」という書きぶりは何だと言わざるを得ない。もう既にここで相当に夢想、誇大妄想が膨れ上がっている。なぜ、日本か韓国かの二者択一でなければならないのか? なぜ日本と一緒にやる発想ができないのか?! 中国も、日米を牽制するために韓国の取り込みを図っただけの話なのだが、うぬぼれしかない韓国には、自分たちが日本を越えているものとしか見えないらしい。政治、経済、技術、文化のいずれにおいても韓国に日本の代役など務まるわけはないのに、韓国にはそのことが全く理解できないものと見える。「中国傾倒論という批判まで受けて中国との関係改善にあらゆる努力をしてきた」と言うが、これまで中国からむしり取ることばかりやっておいて、よく言うよと言いたい。中国は韓国を反日の側に引き留めようとして、韓国の無理難題を聞いて譲歩をしてきたのだが、韓国にはこういう事情が全くわかっていないようだ。こんな韓国にどんな支援をしてみても、どぶに金を捨てる以上のものでないことを中国もようやくわかったということだ。
「韓日通貨スワップ再開の問題が出た時、日本政府とメディアは非常にシニカルな反応を見せた。…略… もちろん韓日間の通貨スワップは差し迫った事情ではないが、高圧的とまで感じた日本の反応から韓国を眺める内心がしっかりと読み取れた。慰安婦交渉も結末はきれいではなかった。日本側から見えたのは明らかな距離感だったし警戒心だった。」(同)。
<もとなりコメント>_ 通貨スワップとは言うが、これは 十中八九は日本が韓国を支援するものでしかない。そもそも、日韓が対等な立場で、共に利益を得ていくような関係などあり得ないのだ。日韓の間にはそれくらいの違いがある。戦前は、同じ国の国民として、同じ価値観、同じ権利で共に歩んだはずなのに、日本の敗戦が決まるや否や、韓国(朝鮮)は自分たちが望んで日本として連合国と戦ったという事実をかなぐり捨てて、一転、被害者の立場に豹変した。それでも日本は、韓国を敵とはみなさず、一貫して、支援、援助を行なって来た。慰安婦問題なども、本来は朝鮮社会の伝統と密接不可分なもの、朝鮮女性の生き方の問題であったにも関わらず、それなりに円満な着地点を見出すべく最大限の努力をし、譲歩を重ねてきた。ところが彼らは、こうした日本の誠意を理解するどころか、日本が罪を認めたとか、千年経っても日本を許さないとか、自分たちは日本を越えたなどとして、日本へのゆすりたかりを続けて来た。ちなみに、日本軍が使った「慰安婦」は当時、完全な合法的制度であり、日本が特段に非難を受けるようなものでなかったことは言うまでもない。朝鮮が日本から独立したのちの南北朝鮮では、彼らの意志で慰安婦制度が存続して来たし、韓国軍や米軍もその恩恵にあずかったことは周知の事実である。そして現在でも少なからぬ韓国女性が世界中で売春活動を行なっている。しかし、韓国人は、こういう韓国の実態には目を瞑り、70年以上も前の慰安婦問題を執拗に蒸し返し、日本批判だけを続けている。彼らは、慰安婦問題を日本をゆすり、たかるネタとしか考えていないことが、今や明らかになっているのである。どうも彼らはこういう見方、やり方しかできない民族らしい。日本は、韓国そして北と良い関係を作っていきたいとの願いから、何十年にも渡って、理解し合える道を探し続けて来たが、もうさすがに限界のようだ。
「韓国の経済外交は果たしてどこへ向かっているのか。私たちは昨日もこの社説欄で戦略も計画も前途も見えない経済外交の問題点を指摘していた。イランや中東だけではない。中国とも、日本ともよそよそしい形式的な友好関係だけにとどまるのではないのかと心配になる。経済外交の底辺から再び構築しなければならない。暗雲は四方から押し寄せている。」(同)。
いかにも、広く深い視点から、政治や経済の問題を眺めて、誠心誠意の意見を述べているようだが…。この新聞は韓国のそれとしては良心的な方と言えるから、韓国側の問題点を指摘しているのだろう。しかし、あっちにもこっちにも気兼ねしつつ書かれているから、結局は民族のいい加減さに引きずられるしかない。これは浅い自分勝手な見方で埋め尽くされている。なぜ、経済のことしか言わないのか。なぜ、もっと両国が関係を深める思想、方法などについて論じないのか。こういうその場しのぎの、わずか数か月たてば、180度 内容が真反対になるような軽さで、物事を見ているから、百年経っても、千年経っても韓国、朝鮮は変わらないのである。
こんな調子ではもう日本には残された道はなく、韓国には、自分の信じる道を進んでほしいというしかない。我々日本人も、こんな韓国・朝鮮人と付き合うのは疲れたと言ってもよいだろう。顔と姿はよく似ていても、全く違った人種なのである(それにしても、これほど非理性的、非人間的な民族も珍しいが…)。我々は、彼らの非理性性、危険性に十分な注意を払いつつ、出来るだけ関係を減らしていくのが最善だろう。韓国・朝鮮人とは必要最低限のことだけをやるべきであり、共に何かをやるべき民族ではないと知るべきである。