もとなりくんの「今週の政治 ‘とんでも’」

日本の経済、安保危機を打開する力は、国民の結束と強い政治しかない

自民党衆院選挙制度改革案 「昼行燈」派にはやる気まるでなし!? 自民党は気合を入れ直せ!

2013-03-28 19:56:07 | 政治
自民党の衆院比例区選挙制度改革案が強い批判に晒されているが、その発想の姑息さ、そしてそれが新たな憲法違反の内容を含んでいること、つまりやる気のない怠慢であることからすれば、当然のことである。最近、一部選挙区結果の無効判決まで出たので、選挙制度改革は待ったなしの状況にある。 これは、現在の比例選挙の定数を180から30削減して150にする。そして、90議席は現在の方法で配分し、残りの60議席については得票数2位以下の政党に分配するというものである。この案が持つ問題点については、すでに多くの論評で指摘されているが、28日付け産経「正論」では、拓殖大学の遠藤浩一氏が極めて的確な指摘とまとめをしている。

内容は、憲法の精神からの問題、公明党に配慮することの問題、そして「多数派形成」の責務の放棄の問題点という三つのことが述べられているが、ここではこの三番目の問題点について氏の見解を敷衍して、掘り下げてみたい。
「第一党が身を削って中小政党に議席を分配しようという姿勢は一見謙譲の美徳を示しているかに見えるが、政党、とりわけ政権政党にとって最も重視されるべき美徳は責任ある政策遂行であり、そのためには安定した多数議席を確保することが死活的条件となる。他党への安易な議席譲渡は公党として責任放棄でしかない。しかも、自民党は憲法改正を党是に掲げる政党である。安倍晋三首相は当面、改憲要件を緩和するための96条改正をめざすとしているが、これとて衆参両院で3分の2以上の賛同を得なければ実現できない。党是を実現するために、自民党は石を食(は)んでも、泥水を啜(すす)っても、多数派を形成しなければならないのである。」(同記事)。

論点は、自民党に限らず一般に政権党は可能な限り`圧倒的多数派をめざし、国政上の諸課題を解決し、現在の日本が直面している危機の突破を計っていくことが責務であるということである。それが国民が政権党(得票第一党)に期待して与えた票の意味である。だから、これを勝手に、公明党などの中小政党にお裾分けして、政権党(得票第一党)の力を弱め、政策遂行の責務を放棄することは結果的に国民の意思を捻じ曲げることであり、それは許されない。
私は谷垣総裁時代の自民党の谷垣的発想や行動を「昼行燈」的なもの、つまり意味不明、とらえどころのない無責任、やる気のなさ、無為無策、ぬるま湯政治として批判してきたのであるが、この選挙制度改革案に見られる精神はまさに谷垣的「昼行燈」のそれであるように思う。
それは、第一に、多数の国会議員を獲得することは、政策実現のための手段にしか過ぎないのであって、目的ではないにも関わらず、それを目的としているということである。谷垣氏は昨年12月の自民圧勝を受けて「勝ち過ぎるのが本当に良いことなのか」と述べたが、全く寝とぼけた話である。日本がやらねばならぬことは山積しており、そのためには自民党が多数派を形成し、必要な手立てを打って行かねばならないのだから、本番の仕事に取り掛かることへの決意を表明すべき局面であった。それをあたかも、そこそこの数が確保できるのが一番良い、勝ち過ぎてはかえって困る、戸惑う、他党に申し訳ないなどのニュアンスを漂わすとは一体どういうことだったのか。結局は、彼の考えでは自分達、自民党議員がそこそこの暮らしができればそれで良いということであり、そのための議席だということだろう。
今回の自民党案は、「勝ち過ぎはよくない、勝ち過ぎた分は、中小政党にお裾分けしましょう」という考えであるから、ここに見られるのは谷垣流の「昼行燈」的発想なのである。
第二に、この案には、自民党の怠惰性、おごり、上から目線、いかにも弱者に配慮しているかのような欺瞞性が含まれている。国民が寄せた票を中小政党の議員救済のために使おうというのであるから、これは、野党議員の生活を守るために「議員互助」をしようという動きとも見ることができる。何から議員を守るのかと言えば、もちろん国民の厳しい批判からである。ここには、国民の期待に応えて政策を実行していくことこそ自分たちの責務だということの自覚は見られない。
ここにはまた、自分たちの政策が失敗したときのための保険をかけておこうということ、すなわち、中小政党にも十分配慮して、「オールジャッパン」でやったことだから、政策の失敗は必ずしも自民党だけの責任ではありませんよ、という気分も含まれているように思える。これを裏返せば、‘圧倒的多数派形成’に伴う責務の増大に対する恐怖心も垣間見える。
谷垣氏は昨年3月、橋下維新のように大衆を見方につけて政治を行おうとすることはナチスのような「独裁」政治につながるとの趣旨の発言をしているが、ここに表れているのは、政治は国民に働きかけてはいけない、強い政権はいけない、強い指導力を持つ指導者は危険だ、‘圧倒的多数’はよくないということである。与野党が集まって、わいわいがやがややるのが政治ということらしい。総裁とか、首相は、学級委員のようなものとしか見られていないのである。
こんな遊び半分のような考えでは、生き馬の目を抜くがごとき国際政治、特に、中国、韓国、北、ロシアに対抗できないことは明らかである。現に、過去、これらの国からやりたい放題のことをされてきたし、今もされており、ご丁寧なことに、それでもまだそのことに気づかず「まだ誠意を十分に示せていない」と考えている始末である。というよりも、これら「昼行燈」派の連中は、政治を議員の生活の糧としておきたいのであり、本当は政治は国民の生命と財産を守るための闘争であるという事実に恐れおののき、それから目を背け、逃亡しようとしているのであろう。
第三に、野党を取り込むことで多数派を形成するということも政策実現の有力な手段であり、政権党としての重要責務であるにも関わらず、もうすでにその責務を投げ出すという怠慢を犯そうとしている。すなわち自ら「与党 VS 野党」の図式を作って、低劣な与党に堕落しようとしている。
自民党、特に高村副総裁は「これ以上の案は浮かばない」と居直ったり、民主党の批判をして、「野党の統一案を持ってこい」などと発言して、野党への対抗心をむき出しにしているが、一体どういう神経をしているのか。野党の考えもバラバラであり、野党ではまとまるはずもないことは明らかであるので、これは、自分達の案をもうこれ以上どうこうするつもりがないこと、選挙制度改革とはこの程度で良いのだという極めて尊大な考えの表れである。こういう難しい問題を多数党としてまとめて行くことを期待されて、総選挙で自民党に大量の得票を与えられたのだという事実をどうとらえているのか。このように野党を十把一絡げにして扱うことは適当ではなく、個別に調整していくべきことであり、それこそが政権与党の仕事であるだろう。維新や、みんな、そして民主党の一部にも、自民党と政策的に近い人たちもいるわけだから、そういう人たちとの調整努力こそ必要だろうし、またそうしないと、この問題だけではなく、ほかの問題においても、従来のような「与党 VS 野党」となってしまい、不毛な抗争に明け暮れる国会が継続することになる。

こういうわけで、こんな調子でやっていると、アベノミクスの第三の矢である構造改革、規制緩和も、焦眉の課題である尖閣防衛体制の確立も、そして喫緊の課題である憲法改正も遠のいてしまう。安倍首相、石破幹事長は、このような「昼行燈」的な勢力の怠慢、やる気のなさを許さず、気合を入れ直して、体制を立て直してもらいたい。蛇足ながら、自民党には三つのグループがあり、その一つは、真性自民としての改革派のそれであり、安倍―石破体制を支えているもの、日本の再生に取り組んでいるものである。第二のものが上述の「昼行燈」派であり、これは気合を入れて、正しい方向に向かわせなければならないものである。そして最後のものはリベラルなどと称しているが、とにかく中国、韓国のちょうちん持ちをし、慰安婦問題での韓国への謝罪をすべきだとか、原発は全廃だとか、政策的信条的には民主党、旧社会党、社民党、共産党、生活などに近いものである。だから、これは自民党を出て(もしくは追い出して)、民主党に合流すべき存在である。そしてこの穴埋めは、民主のやる気のある人たちによってなされるべきだろう(いわば、自民と民主のトレードによる政界再編!)。

普天間問題 辺野古埋立申請_ 県民は沖縄と日本の防衛、普天間の危険除去のために立ち上がってほしい!

2013-03-23 23:08:10 | 政治
 防衛省は22日、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先となっている名護市辺野古沿岸の埋め立て承認申請書を、沖縄県に提出した。日米合意に基づき、辺野古への早期の県内移設を目指す政府が、実現へ向け具体的な手続きを進めたものであり、これが移転実現につながることを期待したい。米国防総省は22日、「「沖縄の負担軽減に向けた日米合意を実現するための重要な一歩だ」と歓迎する声明を発表した。 沖縄県の嘉手納基地以南の土地返還についても、早急に日本政府と計画の策定を進めるとしている。」(23日読売)  ただ、仲井真知事は「辺野古への移設は事実上不可能だ」として県外移設を求めており、地元名護市の稲嶺進市長も移設に反対しており、申請が承認される見通しは立っていない。しかしながら、この問題は、今後の沖縄そして日本の未来に重大な影響を与えるものであるので、沖縄県と県民にはできるだけ速やかな承認をお願いしたい。

《県民の生命、安全、そして沖縄の繁栄のために、沖縄マジョリティの声をもっと大きく!》
22日付け産経は、「沖縄の風 主権回復の日に見る世論 反発一辺倒への嫌悪、芽生え」なる那覇支局長宮本氏の記事を配信している(以下、(同)と記す)。
「沖縄には、とにもかくにも反対せずにはおられないグループが跋扈(ばっこ)しているようだ。米軍普天間飛行場の移設先とされる名護市辺野古海域の埋め立て申請に反対していたかと思うと、政府主催の「主権回復の日」式典が4月28日に開かれることが決まるやいなや今度は式典反対ののろしを上げている。だが、一方で、常に反発の拳を上げる反対派に反発する声も顕在化するなど、沖縄世論の底流に変化の兆しを感じる。」
戦後の沖縄は常に基地問題に揺れてきた。沖縄はとにかく政府のやることには県を挙げて反対するというイメージが強い。しかし、時折聞かれるのは、それは事態を正しくとらえておらず、実際は騒いでいるのは一部の人達であり、しかもそういう人たちの多くは、沖縄地元の人ではなく、反基地運動のため本土から沖縄にわたってきた人たちであるということである。沖縄の大部分の人々は、いわばサイレント マジョリティであって、声を出さないがゆえに、一部の人達の反基地運動が沖縄全体の意思、意見と受け止められているだけなのであると。しかも、そのような沖縄の反基地運動も、最近の国内外の情勢変化、そして沖縄の良識派の努力によって、変わりつつあるということである。
東西冷戦時の沖縄は米国の世界戦略の中に位置づけられ、基地反対運動は、本土の社会党や共産党の運動と連動した感情的で観念的な運動の要素を伴っていた。しかし、東西冷戦の終結と、北の暴走、中国の台頭、そして旧社会党の衰退に伴い、情勢は大きく変化した。沖縄は依然として日本、アジアの平和を守る基地であると同時に、沖縄自身が中国から侵略される可能性を持った地域、防衛されるべき地域ともなった。沖縄の重要性は日本国民にとって非常に身近なものとなったのである。もう沖縄県民が「基地は迷惑だ」ということだけでは済まされない情勢となっており、それゆえかつてのような反対ではなく、もっと建設的な取り組みが必要となっている。
国内政局では、旧社会党の流れを汲む民主党が、時代錯誤の情勢認識に基づき、「最低でも県外移設」との無責任な公約を掲げ、政権交代後は「やっぱりだめだった」と言い、沖縄の期待を裏切った。結果的には、基地負担を提言したいという県民の心をもてあそび、自分たちの政権奪取のために利用したとも受け取られるものであり、沖縄県民が憤るのも無理はない。このような、無責任な人達と似た人達が今も沖縄で活動している状況は、沖縄にとっても決して好ましいことではないのではないか。
ともあれ、民主党の主張は全く現実的根拠を欠いた夢想だったことが判明した今、県民と国民は冷静に、そしてもっと真剣に、普天間の移設問題に取り組まなければならないだろう。そしてこのような潮流が沖縄にも生じているということである。もともと、名護の住民は移設受け入れ賛成派が反対派を上回っていた。ここは、本来の姿に戻るべきだろう。名護漁協はすでに埋め立て同意を決議した。この基地移設により、地元経済が活性化することを期待している人たちは少なくない。
普天間基地周辺住民も、自分たちの生命と健康を守る権利をもっと主張することができるのではないだろうか。「2月21日、名護市で「危険な普天間飛行場の辺野古地先移設促進名護市民大会」が開かれ、改めて辺野古崎への早期移設実現を政府に求める大会決議を採択した。 地元メディアも最近は、批判しながらも容認派が開催する大会のニュース自体は伝えるようになった。「オール沖縄で反対しているのではないということを国民も気づき始めた。だから、容認派の声も無視できなくなってきたのだと思う」と名護市の財界関係者。…略… 同飛行場の移設問題に直接関わる佐喜真淳・宜野湾市長も最近、言動に微妙な変化が見られるようになった。記者団のインタビューに「宜野湾市民にとって最も大事なことは、一刻も早い移設と閉鎖」と断言する。明言こそしないが、固定化を避けるためには移設先にこだわらないという思いが伝わってくる。」(同)。
他方、石垣市議会は、「尖閣の日」を決め、尖閣警備強化のための決議を行い、安全に漁業ができる環境を整えるよう政府に求めている。中国に漁場、土地(尖閣)、そして生命、安全を脅かされているわけだから、危機感も相当なものだろう。ところが、普天間基地の移転すらままならないようでは、尖閣の領土と海の防衛も、十分に機能しないことは明らかである。沖縄の世論が分裂しているならば、それこそ中国がつけ込んでくるところとなる。
こうした声、運動は、もっと大きなものとなる必要があるだろう。そのためには、実際に生命や安全の危険にさらされている人たち、利害が関係する人たちが、連携して、もっと声が大きなものになるよう奮闘してもらいたいものだ。県も、これらの声と運動をしっかりと沖縄の要求としてまとめ上げて政府と交渉していく必要があるのではないか。沖縄、そして本土のマスコミは、移設容認派の運動などをもっと報道し、全体の姿を正しく伝えるべきだ。自民党沖縄県連は、自民党本部との政策のねじれが生じているが、最近の中国の挑発エスカレートの情勢変化を踏まえて、現実的な政策に転換して、県民の理解を得ていくようにすべきだろう。

《沖縄基地の重要性を国民で共有を!》
「反対派にも関係する60歳代の男性は「式典や普天間移設問題を通して日本人自身が国家主権を考えるべきだ。普天間については、政府側が抑止力とは何なのか、なぜ、沖縄に海兵隊が常駐しなければいけないのか、を全国民に説明すべきだ。大義が明確になれば、沖縄側は上げた拳を振り下ろすことができるし、それがひいては国家主権を考えることにもつながる」。」(同)。
これは正論であり、最も重要なことではなかろうか。「よくわからないが、とにかく沖縄には基地がある」というようなことでは、基地によって、さまざまな負担を余儀なくされている県民が、「それなら、お前のところに持って行け」と言いたくなるのも無理はないだろう。国民は、沖縄のおかげでこれまで平和な生活を送れて来たし、今もそうであることを知る必要がある。基地機能が働かなくなれば、国民が平和に暮らせなくなる危険性が格段に高まるのである。
しかしながら中国が、尖閣、さらには沖縄にまで侵略の触手を伸ばして来ていることは、もはや単なる夢想ではなく、いまや現実のものになりつつある。前述のように、沖縄基地は、沖縄県民の生命、財産、権利を守るものとしても働いているということは、県民にしっかり理解されるべきことだろう。

《沖縄の特徴、役割を生かす道を!各県、地域、分野には役割分担があり、その中で全体としての公平性を計るべきだ!》
話は少し横道にそれるが、日本は、南北に細長く、地域差が小さくない。過去、日本は、すべてのものが均等になる方向が目指され、どの県にも、空港、港、新幹線、文化施設、大学…などの設置が目指されてきた。しかし、こうした地域の個性と特徴を無視し、機械的、画一的な公平さを追及する政策は、地域の積極性と潜在能力の発揮を殺し、大量の使われない設備を生み、それらは日本の活力を奪うお荷物となっている。こういう公平さを機械的に追及する路線は完全に破綻している。現在では、地域の個性、特徴、要望を生かした在り方が求められており、それが維新が主張する道州制にも結びついている。
このようなことは、基地問題や、原発問題、そしてTPP問題についても言えることだろう。基地や、原発を各県で均等配分するなどということがいかに馬鹿げたことであるかは、明らかだ。県、地域内には好むと好まざるとに関わらず、特徴と固有の役割があるのである。
こうした各県の役割分担を理解することなく、各県、地域が自分のことだけを主張するようになれば、日本は三流国になり下がってしまうことだろう。琵琶湖を守るのは滋賀県の責務かもしれないが、だからと言って、それを守るために福井の原発を廃棄せよという嘉田知事の発想は、あまりにお粗末だ。原発の危険性が問題になると、自分たちが福井の原発の電気によって、快適な暮らしができていることに頬かむりして、廃棄せよと言うのはあまりにも身勝手で全体のバランスを欠いた対応であると言わざるを得ない。そんなに原発がいやなら、滋賀県に火力なり、太陽光なり、それなりのことをして、県で自給自足する体制を作ってからのことにしてほしいものだ。この点で、維新の橋下共同代表の対応は、かなり異なっている。彼は基地を抱える県、原発を抱える県に対する配慮は示している。この辺りの認識の差が、先の総選挙における未来の惨敗、維新の台頭という結果になったのではないか。小沢氏に騙されたという嘉田氏の言い訳は、通用しないのである。
例えば、今回のTPP交渉にしても、これによって、利益を得る分野と、不利益を得る分野がある。これを各分野の主張そのままの形で決着させようとしても絶対に決着に至ることはない。分野ごとの特徴が何であるのかをはっきりさせ、伸ばすべきところは伸ばし、伸びないところは、交渉相手国に譲ることが必要である。国内的な利益のアンバランス、すなわち不公平が生じる問題は、国内の政治主導の調整で解決していけば良いことである。
基地問題についても同様なことが言える。沖縄基地は、その地政学的位置からして「他県をもって代えがたい」基地なのだから、この点は、まず基本的なこととして押さえられるべきことだろう。
もちろん、これには、沖縄基地の重要性についての国民全体の認識の高まりが必要であるし、沖縄以外でも可能な機能であれば、それは本土への移設が考えられる必要がある。また基地負担に対する別の面での支援が不可欠である。現に、政府は、2013年度沖縄振興予算として3000億円を認めている。これは基地問題とは別物だとの主張をしている人たちもいるが、そうではないだろう。これは政府が言うように「基地とワンセット」なものであると理解されるべきものである。そうでないと、他の県との間に不公平が生じる。これを「飴と鞭」と称して反発する向きがあるが、これはためにする議論だろう。これは、成果にはそれの対価が付く、という極めて常識的かつ普遍的な原則であり、すべての分野、全ての事柄に共通なことである。財政援助もさることながら、沖縄は、法制などのソフト面でも、沖縄独自の活性化策を講じて、政府と交渉していけるのではないだろうか。

《岩国市議会の良識を全国に》
最後に、オスプレイ訓練をめぐる今回の岩国市議会の採決が、各地の自治体、国民全体の参考になるのではなかろうか。
「米軍岩国基地(山口県岩国市)を拠点に6日から始まった新型輸送機MV22オスプレイの本土訓練を巡り、岩国市議会は21日の定例会で、同基地を拠点にした低空飛行訓練に反対する意見書を反対多数で否決した。 意見書は、共産党市議団の議員と「リベラル岩国」の1議員が共同で提出。岩国基地内に昨年12月、岩国錦帯橋空港が開港したことを踏まえ、「『怖い危険な飛行場』という印象づけがされかねない事態は市として絶対に避けなければならない」などと指摘した。 採決では、提案した議員らが「岩国基地が強化され、本土での訓練が拡充されることを全国の人が危惧している」などと賛成討論を行ったのに対し、4議員が「沖縄の負担軽減のため必要」「オスプレイ配備は抑止力の強化につながる」などと反対討論を行った。賛成11、反対20で否決された。」(22日読売)。
注目すべきは、同市議会は昨年6月、オスプレイの岩国基地への陸揚げと一時駐機に反対する意見書を可決していたことである。今回は、その後の尖閣を巡る情勢悪化と、基地の重要性を確認した上でのものだろう。いずれにせよ、岩国のこの「沖縄の負担軽減のため必要」、「オスプレイ配備は抑止力の強化につながる」との認識は、まさに現在沖縄と日本が直面している問題を解決していくための基本的で、最も重要な認識ではなかろうか。

中国 習主席の「中華民族の偉大な復興」は「世界の東方に高くそびえ立つ」時代錯誤で危険な砂上の楼閣だ!

2013-03-20 17:36:13 | 政治
今回の全人代で習近平国家主席、李克強首相という集政権がスタートした。
「17日の演説で習氏は、個人の夢を実現させるためにも「民族の団結」が必要だと強調。「中国の夢」とは「中国特有の社会主義路線を歩むことだ」とも述べ、西側諸国の発展モデルとは一線を画す方針を示した。習氏は中華民族5000年余の文明に立ち返って国造りにあたるとも述べた。列強の侵略を受けた近代を教訓に強国化を進めるという習氏らの考え方が、東シナ海や南シナ海での主権主張のための活動活発化に反映している可能性がある。」(3月18日 読売)。
「習氏は閉幕式で演説し、人民解放軍などに対し、「中国共産党の指揮に従い、戦争に打ち勝つ強い軍を作るという目標に向けて、断固として国家主権や安全、発展の利益を守らなければならない」と求めた。…略… 習氏は「わが国は今日、世界の東方に高くそびえ立っている」として、経済規模や軍事力で米国に次いで世界第2の大国となった実績を強調。さらに「中華民族の偉大な復興」という「中国の夢」を実現するために、「国家の富強」を達成する必要があると指摘し、「愛国主義は中華民族を強固に団結させる精神的な力だ」とも述べ、国民の愛国心を鼓舞して国威発揚につなげる考えを示した。」(17日 読売)。
要は習氏は、共産党一党独裁体制を守るために、独善的な「中華思想」でもって、時代錯誤で危険極まりない富国強兵、対外侵略、すなわち「新帝国主義」路線を推し進めようとしているのである。

《「中華民族の偉大な復興」は、近代以前への退行であり、「偉大さ」への逆行であり、低劣化への道だ。このような時代錯誤で非合理な発想こそが、中国の屈辱の二百年を生み出したのではなかったか!》
かつての中国そして中華民族が偉大であったことを否定する人は少ないだろう。ところが、この二百年間は習氏の言うように、中国そして中華民族は偉大とは言えない状態にあった。だから、偉大さを復活させたいという気持ちはわからないでもない。しかしながらそもそもこの二百年間、なぜ中国が惨めな状態に置かれてきたのかと言えば、それは、中国が独善的な「中華思想」に安住して、19世紀、20世紀の世界の進歩についていけず、さりとて世界をリードするだけの独自の理念、文化、技術、国家体制を持つこともできなかったことにあるだろう。清朝は近代化に遅れたがために西欧列強と日本の植民地的侵略を許すことになった(もちろん、だからと言って日本に戦争責任がないわけではない)。だから、「偉大さ」を目標にするのであれば、中国はまず国の近代化(拝金、軍事化ではない!)を行い、更にそれを乗り越えて世界をリードする理念、文化、技術などを想像しそれを世界に発信していかねばならない。それでこそ中国の「偉大さの復興」が成し遂げられたことになるだろう。
ところが習体制が突き進んでいるのは、「偉大さ」とは真反対の、前近代的な拝金主義的軍国主義の方向である。日本でもかつて明治維新において富国強兵路線がとられたが、これは西欧の近代的な自由や民主主義、国家の理念、思想の受け入れを伴ったものであったから、習氏が目指している表面的で形だけの富国強兵とは根本的に異なるものであった。ここでは正しい歴史認識が求められているが、現在の中国は歴史を直視せず、歴史を歪曲することによって、自己変革を拒否し、清朝のそれと同様に「中華思想」に安住しようとしている。

《独善の「中華思想」によって世界支配を目指す中国》
現在の中国がやっていることをみれば、「中華民族の偉大な復興」とは、中華民族(実は、漢民族)が、低劣な精神でやりたい放題を尽くせる世界にしたいということだと理解するしかないだろう。20世紀後半から政治、経済、科学技術、文化などにおける世界のグローバル化が進み、国や民族の垣根はどんどん低くなってきている。にも関わらず中国はこうした世界の流れに背を向けて、中国という国や民族を世界から差別化し、世界を欧米と「中華圏(中国)」という二つの勢力で分割支配しようとしている。「中国特有の社会主義路線を歩む」とか「西側諸国の発展モデルとは一線を画す」ということがこれを示している。中国が「世界の東方に高くそびえ立っている」という考えも、世界を西と東からなる対立的二極構造とみなしているのであり、しかも東を支配するものは中国であるとの考えが示されている。中国が2007年に米国に太平洋を分割支配しようと持ちかけたのも、この流れの一環である。
中国は大まじめで、経済と軍事の両面での覇権でもって、アジアの盟主たらんとし、あわよくば欧米を凌駕する立場にまでなろうとしているのである。中国は、東シナ海、南シナ海はもとより、インド洋、太平洋全域の支配を狙い、世界中の資源を集めることに狂奔している。南極や北極、さらには宇宙空間や月の権益までも確保しようとしている。他方では、サイバー攻撃や諜報活動を強めることによって、世界の先進技術を盗用し、外交・軍事的な機密情報を集め、戦争時の相手国の社会インフラと軍事機能を破壊する準備をしている。

この「中華民族の偉大な復興」は中国の版図が最大になった清朝をイメージしてのことらしいが、この点でもご都合主義の矛盾だらけのものとなっている。共産主義は、資本主義を否定すると同時に、清朝のような前近代的な封建国家をも否定する思想であるはずだから、共産中国を清と結びつけることは自己矛盾であるはずだ。また、「中華民族」を強調することは、民族よりも市民や国家を優先する近代の政治思想、体制にも逆行している。これは、民族差別を助長すると同時に、各国の政治秩序に混乱をもたらす以外の何物でもない。そもそも「中華民族」なるものは歴史的には存在していないのだから、このような言葉を使うこと自体、中国の最大版図と、中華民族の実態である漢民族を都合よく使い分けようとする詭弁であり、現在の中国の侵略性を覆い隠すための欺瞞的なレトリックと言うことになる。清朝は満州民族による征服王朝であったから、「中華民族」としなければまずいのである。ウイグルやチベットへの侵略の正当化のためにも、最大版図であった清朝の領土を「中華民族」と結びつける必要があるのだろう。しかし、これらの国の人々は一度たりとも自分たちを「中華民族」と思ったことはないだろう。
他方では、台湾をはじめとする中国本土以外の世界各国に居住している約6千万人の漢民族、華僑を彼らの出身国である中国のために活動させようとしているのである。ここにあるのは、国であれ民族であれ、過去の覇権国家であれ、とにかく現在の中国の覇権に役立つものはなんでも利用しようという、前近代的で、非理性的、自分勝手な「中華思想」なのである。だから、詰まるところ、習氏の言う「偉大さ」とは、現在の低劣な国のままで中国が世界を支配することであり、それによって、中華民族(漢民族)が物質的快楽をむさぼり、金銭欲、虚栄心、ルサンチマンを満たすことでしかないのである。

《「世界の東方に高くそびえ立っている」砂上の楼閣、深まる国内矛盾》
中国にはいまだに前近代性が残存しているにも関わらず、この問題は手つかずのままで放置されている。いまだ確立されない自由と民主主義、それを保障する政治制度、まだ低い生活水準、貧富の格差の拡大、汚職の蔓延、環境破壊、各国に対する非協調的対応、技術における物まねと盗用…など「偉大さ」とはかけ離れた状態にある。
「共産党・政府幹部と一族が腐敗により手にした富は、1990年代末に「国内総生産(GDP)の13~17%」(胡鞍鋼・清華大学教授推計)に上り、経済急成長に伴い天文学的規模に達している。
所得格差指標、ジニ係数は0.61(中国人民銀行・西南財経大学調べ)とアフリカ最貧国並みだ。肺がんなどを引き起こす微粒子状物質PM2.5による大気汚染は国内はおろか日本にまで及ぶ。
民衆の集団的抗議事件は、2007年の8万件超えを最後に政府公表が停止され、すでに18万件以上との見方が一般的である。
社会・政治状況が深刻化しているにもかかわらず、習氏がこうした民族復興の夢をふりまき、「富国強軍」を呼びかけるのは、アヘン戦争後の清朝没落で半植民地化した屈辱を晴らし、アジアの盟主に返り咲きたいためだろう。
周りの国々にとって迷惑この上なく、かつ危険極まりない。」(15日 産経社説)。

こうした深刻な問題に真剣に取り組むことなく、富国強兵でアジア、あわよくば世界に君臨しようというのである。まったくの非現実的な夢想というしかないが、それというのも、日本を抜いて米国に次ぐ世界第二位の経済大国になった現在の状況にのぼせ上っているからだろう。現在の中国の経済成長は、中国の「偉大さ」によると言うよりも、時代の偶然、幸運による要素が大きかったように思う。英誌エコノミストやOECD、そしてその他のレポートで、遠からぬ時期に(なんと、早ければ2016年にもというものまである?!)中国が米国を抜いて世界第一位の経済大国となり、中国の時代が到来すると予測されている。しかし、実際はそうはならないと見る識者は少なくない。もしこれが本当なら、中国の一党独裁体制も捨てたものではないと言うことであり、習氏も含めて中国の指導者に脱帽するしかないだろう。私は、これは在り得ないとまでは言えないにしても、その道程は非常に厳しいのではないかと思うので、以下はこの観点からの議論である。
現在の中国はもうほとんど成長のピークにさしかかっているのではないだろうか。これまでの中国の成長を作り出してきたものは、安価な労働力、日本などからの技術支援、巧みな経済外交戦略による資金呼び込みなどによるものであった。しかし、賃金上昇によってもう労働力は安価ではなくなっており、また農民工が底をついたこと、一人っ子政策の影響で、労働者の数も不足してきている。無断コピーに加えて、外国技術を盗用の形で使うことから、外国からの技術支援も得られにくい状況となった。反日デモ時のテロまがいの企業破壊活動に見られるようなカントリーリスクから、中国からの企業撤退が始まり、中国への投資も現象しつつある。要は、稼ぐことに貢献してきた要因の多くが、これ以上の稼ぎに対しては働かなくなりつつある。経済を成長させるエンジンがなくなりつつあるのだ。

そこで、習氏ら中共指導部は、矛盾だらけの国内状況と展望の開けない未来を、他国を侵略することによって乗り越えようとしている。
― 国民の生活水準が上がるにつれて、必要となる食料資源、エネルギー資源、鉱物資源を確保するために、他国の権益を略奪することを狙っている。
― 貧富の格差拡大、社会保障制度の不備、環境汚染、民主化要求などで高まる不満をかわすために、戦争危機状態を作り、反日・愛国を煽り、国民の不満を日本などに向けようとしている。
― いまや存在意義の無くなった共産党、そして人民解放軍が自分たちの存在意義を作り出すために、戦争の危機を作り、煽っている。
習氏の政治基盤は、自身その一員である太子党(高級幹部子弟)と習氏を推した江沢民元主席ら上海閥、父の代からつながりが深い人民解放軍の3勢力から成るとされる。習氏は党による管理・監督、つまり共産党独裁を主張し、退任した温家宝前首相が政府活動報告で訴えた「人民による権力の監督」に従うつもりはないとされる。つまり、人民を政治ではなく力によって統治するしか方法を持たない中共政府は、解放軍を保持し、それを活用することによって自己保存をはかろうとしているのである。他方、総数220万人と言われる巨大軍隊である人民解放軍は、もともと日本と言うよりもむしろ国民党との内戦を行うための軍隊であったが、世界が平和共存、共存共栄のグローバル化に向かおうとしている現代にあって、存在意義を失っている。そこで習氏は、戦争という人民解放軍の仕事をも作っていかねばならない立場なのである。そうでないと、仕事を失った人民解放軍が不満を爆発させる恐れがある。尖閣における衝突の危険性も、こうした政策の一環であるだろう。

《狂気の習氏の侵略・戦争路線に、万全の備えが必要だ!》
このようなわけで、中国は「中華民族の偉大な復興」どころか、ひたすら低劣化の道に邁進しており、その狂気の夢想は、日本との戦争を求めて止まない。中国が勝手な夢想を抱いて自滅するのであれば、それは彼らの勝手ではあるが、こんな馬鹿げたことに日本が巻き込まれてはたまったものではない。
日本はもう、「日本が過去の戦争を反省しないから中国が怒っているのだ」とか、「対話をすれば道は開ける」などといった、中国のちょうちん持ちの虚言に騙され続けるわけにはいかない。「問題は、中国がなりふり構わず軍拡、覇権主義に走るのに対し、日本は憲法などで防衛の手足を縛られていることだ。日本は、集団的自衛権の行使容認などで過度の自己規制という戦後の殻を破り、結束し、屈することなく「習氏の中国」に対応していくべきだ。」(15日 産経社説)。 日本は、直ちに憲法を改正し、防衛軍を作り、強力な尖閣防衛体制を作る必要がある。
日米同盟は、日本の安保の礎石ではあるが、米国頼みだけではいけない。伝統的に米国外交は、日本重視と中国重視との間を揺れ動いてきた。日米同盟重視、対中強硬路線のクリントン国務長官が退任した現在、オバマ政権は対中融和に傾きつつあるようにも見える。日米同盟が揺らぐことはないにせよ、日本を守るのはまずは日本自身でなければならない。

安倍首相のTPP交渉参加表明を歓迎 攻めの戦略的経済、外交こそが日本の再生への道だ!

2013-03-16 17:34:57 | 政治
安倍首相は15日、懸案であったTPP交渉への参加を表明した。これは、すでに大きなうねりとなっているアベノミクスを更に勢い付かせ、国内の構造改革の機運を高め、外交・安保での軋轢が増加している中国、韓国を強く牽制するものとなるだろう。日本の再生に向けての大きな一歩として歓迎したい。また、維新、みんなが、彼らの独自の政策的判断から主体的、積極的に支持していることも高く評価したい。
これは、3.2兆円の経済効果があるとか、いやそうではなく日本の農業を壊滅させるものだといった個別、部分的な利害の問題であることもさることながら、建設的に、戦略的に、そして活発に行動する日本の姿を国内外に示すものでもある。これは、国民の精神を活性化させ、国民に夢と希望を与えるものとなるだろうし、またそうなるようにしていくべきものでもある。以下、三つのことに触れておきたい。

《これは活性化した日本の姿を中国、韓国に見せつけるものであり、彼らの不純な野心を強く牽制、抑止するものである》
これは経済、外交についての日本の国際的なバランス感覚を示すものであり、安保、外交問題で軋轢が生じている中国、韓国を強く牽制し、関係改善を迫る作用として働くだろう。
「(安倍首相は)、記者会見で一枚のパネルを用意した。米国、ペルー、豪州、シンガポール、ベトナム…。太平洋を取り囲むように11カ国のTPP交渉参加国が地図に記されていた。まさに、環太平洋経済圏の形成を想像させる。しかし、その地図には、いまや世界第2位のGDP(国内総生産)を誇るあの国の名前はなかった。 「同盟国の米国とともに、GDP世界第3位のわが国が、そのルールを主導的に決めていく」 …略… そこには、単なる経済戦略にとどまらない、長期的な国家戦略の存在をうかがわせる。念頭にあるのは、記者会見で示した地図に記されていなかった中国の経済的拡張だ。TPP交渉に参加する一つの狙いが、中国に主導権を握られる前に、環太平洋の新たな秩序づくりで先手を打つという点にあるのは明白だ。」(15日 産経)。
中国がこれを見て焦燥を募らせるだろうことは想像に難くない。広大な太平洋の両岸が一つの大きな経済「環」となっている状況を見れば、尖閣を武力で奪取するとか、太平洋を掌中に納めるために、莫大な予算を投じて空母や原潜を建造し、周回させて関係国を威嚇、威圧することの無意味さ、時代錯誤性が自ずと、しかもはっきりと認識されるのではなかろうか。

《攻めの強い農業を作ることこそ最大の農業保護だ!》
私の実家は山間の農家である。ご多分に漏れず、若い人は皆無と言ってよく、まれに務めとの兼業者、勤め先を定年退職した60代の男性がいる程度であり、多くは70代以上の高齢者、そして少なからぬ人たちが夫に先立たれた80代以上の未亡人である。自給用、あるいは趣味としての作物を作るだけで、大部分の農地は耕作放棄地となっている。そして、かつては山奥に押し込められていた猿、猪、鹿などが、彼らの生活環境が破壊されたこと、あるいは居住者が減少したことによって、我が物顔に出没し、わずかに作られている農作物を荒らし、奪っていくのである。いまや少なくとも山間の農地では、従来の農業は壊滅に近い状態にあると言ってよいだろう。しかしながらこうした農業は、単に耕作を止めるということだけでは済まない問題を抱えている。作物を野生動物から守るためのフェンス張りなどが必要であり、この費用はばかにならない。もっと問題なのは農地法によって、農地の売買に大きな制約があることである。そのため、休耕地でも、それなりの保全作業が必要である。これを放置しておけば、雑草が繁茂し、まだ耕作を続けている家に迷惑がかかるので、草刈り、雑草用の農薬散布、あるいは農地の表面にシートを張って種子が発芽しないようにするなどの対策が必要である。シートは風邪でめくれるので、定期的なやり直しも必要になる。石垣が崩れたりすれば、たとえ休耕地でも補修しなければ隣接の土地に迷惑がかかる。要は、実際の農作物を生産する作業と関係のないところで、大きな労働と費用が発生している。結果として、高齢化した農業従事者に精神的な苦悩を与え、またせっかくの土地を遊ばせ、エネルギーと金の浪費という状況を招いているのである。
「基幹的農業従事者の平均年齢は現在66歳です。20年間で10歳ほど上がりました。今の農業の姿は若い人たちの心を残念ながらひきつけているとはいえません。耕作放棄地はこの20年間で約二倍に増えました。今や埼玉県全体とほぼ同じ規模です。このまま放置すれば農村を守り、美しいふるさとを守ることはできません。これらはTPPに参加していない今でもすでに目の前で起きている現実です。 若者たちが将来に夢を持てるような強くて豊かな農業農村を取り戻さなければなりません。」(安倍首相会見 15日 産経)。
自民党議員を中心に、「TPPから農業を守れ」と主張している議員は少なくないが、彼らは農業の現状が全くわかっていない、否、わかろうともしていない。彼らが言う守るべき農業の大部分はすでに崩壊しているのであって、彼らが守ろうとしているのは農業ではなく農業票にしか過ぎない!
日本維新の会の橋下共同代表は「JAなど農業団体がTPP交渉参加に反対していることに関して、「TPPに反対して日本の農業を守れるなんて幻想だ。抜本的な(農業)政策転換をしなければいけない。TPP不参加でも、農業は衰退する」と指摘した。」(13日読売)。
農業再生のために必要なことはTPPに反対することではなく、農地法を抜本的に改正し、農地の売買とその集約を可能にすること、企業による農業経営を容易にすること、高品質作物、戦略的作物の開発、普及、若い農業従事者の育成、そしてこれらの結果として不利益を被る人たちへの助成ということになるだろう。

《TPP交渉を契機として、日本の全面的な構造改革の推進を!》
国民皆保険は、社会保障であり、経済活動以前の問題であるので、「聖域」云々以前の話となるのは当然のことだろう。しかしながら、保険の問題を含めて、その他の問題については、「聖域」云々などと言った硬直的な議論を排して、柔軟で、総合的な交渉を行うべきであり、その中で出てくるさまざまな問題に積極的に取り組み、これを契機として日本の規制緩和と構造改革を推進すべきものだろう。アベノミクスも金融緩和と財政出動だけでは効果は一時的なものにとどまるから、なんといっても重要なのは、規制緩和と構造改革である。日本郵政の完全民営化も取り組み課題とされるべきである。
これからの交渉であるが、得になるものは喜んで受け取るが、少しでも損になるものは一歩も譲らないという態度では、交渉は成り立たない。もし全体の価値の総計が一定であるとすれば、一方の得は他方の損であり、一方の損は他方の得であり、これでは食うか食われるかの対立だけの交渉になるから、相手をだましでもしない限りは得をすることはできない。そうではなく、得意、不得意分野の取引、交渉の中での議論を通じて新たなアイデアを得て、全体としての価値の総計が増大していくような交渉こそ、あるべき交渉であり、「Win-Win」の結果と呼べるものになるだろう。目指すべきものは、以前のものを少しも変えることなくそのまま守り抜くことではなく、変更したこちらの部分はあちらの部分で補うとかこちらの損はあちらで補うとかして、全体としての利益を追求することである。こうした作業の中で新たなアイデアが出て、新たなシステム作りの進展も期待できるだろう。こうした交渉の結果、どうしても損害が出る分野については、国がそれなりの助成、保障、支援を行い、全体としての不公平が生じないようにすれば良いはずである。なお蛇足ながら、このような考えは、基地問題、原発問題などにも当てはまるはずである。
日本維新の会幹事長の松井一郎大阪府知事は自民党が「農業分野を守りすぎている」と批判した。 「自民は13日のTPP対策委員会総会で、コメ、麦、牛肉、乳製品、砂糖を念頭に、重要5品目と国民皆保険制度について「聖域(死活的利益)の確保を最優先し、確保できないと判断した場合は脱退も辞さないものとする」と注文を付ける決議を了承した。これに対し、松井氏は「日本の農業は成長産業としてこれから世界に打って出る分野。交渉参加は当然で、参加前にあまり国内でこの部分(を関税撤廃の例外)と決めて出ていくと、交渉のテーブルで有利な条件を引き出すのが難しくなってしまう」と疑問を投げかけた。」(15日 産経)。これは正しい指摘である。
安倍首相は次のように国民に呼びかけている。
「私たちが本当に恐れるべきは過度の恐れを持って何もしないことではないでしょうか。前進することをためらう気持ち、それ自身です。私たちの次の世代、そのまた次の世代に、将来に希望を持てる強い日本を残していくために、共に前に進もうではありませんか。」(安倍首相会見 15日 産経)。

民主党は発展的に分裂すべき! 橋下氏の「分裂のススメ」、民維みの「憲法96条研究会」の今後に注目!

2013-03-10 20:52:01 | 政治
安倍政権が日本の再生に向けて意欲的な取り組みを進め、国民の期待を集めている。こういう状況の中では、民主、維新、みんなという主要野党は出番を失い、存在意味を示すことができないようにも思えるがそうではないだろう。少なくとも維新は、大阪の府市の改革、統合、道州制実現に向けて着々と実績を積み上げている。国政の課題についても、自民党の尻を叩いて自分たちの政策の実現に向けて、やるべきことをやっている。国政は長い停滞の時期を乗り越えて、批判のための批判によってひたすら「政権の足を引っ張る」という段階から、日本の再生に向けて「やるべきことをやる」という段階に移行、発展しているのである。こういう状況の中で、否そうだからこそ、民主党は野党第一党であるにも関わらず、何もできず停滞しており、その姿は自己喪失とでも呼ぶべきものである。昨年末の総選挙の惨敗を考えれば無理もない面もあるが、それだけではない。元々民主党には国の政治を司る能力、意志が欠落しており、それゆえこういう使命は与えられていなかったということであるだろう。民主党に与えられていた使命は、その夢想性と無能力によって、戦後体制の中に残存していた日本の非現実的な夢想を打ち砕くことにあったと考えられ、民主党はその使命を果たして一挙に衰退したのである。民主党の歴史的使命はすでに終わっており、それゆえ、党内の意欲、能力ある議員諸氏は、いま新たな道に踏み出すことが求められているはずである。

《戦後の政治体制を終焉させるという歴史的使命果たした民主党》
昨年の12月のエントリーでも書いたように、民主党の歴史的使命は、戦後の政治体制の中の否定的なものを崩壊させること、東西冷戦、共産主義と資本主義のイデオロギー対立の残滓を一掃することにあった。具体的には次のようなことになる。
1_長期政権にあぐらをかいて腐敗・堕落した自民党に代わって政治の革新を行ってくれる政党はないものかとの国民の疑問、要請に対して、政権党となった民主党は、失政を重ねて国民の期待に背くことを通じて、そういう旨い話はないことを身を持って示した。得られた結論は当たり前のことではあるが、日本の国政を司る政党は、積極的で建設的な切磋琢磨の中で育ってくるというものであった。3年3か月の民主党政治は、自民党に活(喝)を入れ、同時に維新、みんなという現実的で建設的な政策を掲げる政党に期待を集めさせた。他方、小沢氏、鳩山氏、菅氏、社民党などの非現実的な夢想、虚偽、情念などをよりどころとして、反対のための反対、抵抗のための抵抗を生業とする政治勢力は一挙に没落することとなった。
2_日本を占領し戦後の日本を同盟の名のもとに‘追随国(?!)’とした米国は資本主義なる悪玉であるのに対して、中国、韓国、北朝鮮、そしてかつて共産主義国であったロシアこそが、日本が本当に心を通じ合える国(?!)、善玉であるはずだとの一部の国民の漠然とした思いが、実は非現実的な夢想にしか過ぎなかったことが白日の下に曝け出された。民主党はひたすら心情的な「すり寄り」を行ったのであるが、これらの国々は民主党を友邦政権とみなすどころか、民主党の夢想的、非現実的、情感的政権運営を見透かし、却って民主党政権を侮り、日本の主権を侵し領土を奪おうとする暴挙に出たのである。つまりこれらの国々は民主党、そして自民党の一部が自分勝手に考えていたような信義を重んじる理性的な国、友好的な国ではなく、「隙あればつけ込む」という非理性的で野蛮な国家であることが明らかになった。
3_これらの結果として、日本自身がしっかりしなければ、直ちにつけ込まれて、国の権益と領土が侵害されることが明らかになった。そして、日本には安定した強い政権が必要であることが自覚されてきたのである。日米同盟の重要性も改めて確認されることとなり、また憲法を改正して国の体制を再構築する必要性があることも自覚されることとなった。

民主党政権は、日本が抱いていた夢想を破壊し、国民の眼を現実的なものへと導く役割を果たした。逆説的ではあるがこの意味では民主党の政権はそれなりの意味を持っていたと言える。しかしながら、その代償は大きかったし、せっかくの成果をしっかり活かしていかなければ、本当に無駄なことであったことになる。

《現状を切り開く力を出せなければ、民主党のこれ以上の存続は意味がない》
民主党がこれから何かをしようとするのであれば、まず建設的な政党として生まれ変わる必要があるが、現状を見る限り先は暗いように思える。何をやろうとしているのか、何をする政党なのかが全く見えず、見えるのはただ自民党政権にケチをつけて、少しでも票稼ぎをしようとする姿勢だけである。
ようやく制定した党綱領において、憲法について「国民とともに未来志向の憲法を構想していく」と言及する一方、平和主義など現行憲法の「基本精神を具現化する」としている。このような改憲と護憲の併記では、どちらなのかわからず、従来通りの党内抗争が繰り返されるだけだろう。日本が現在直面している安保上の危機を考えれば、憲法を改正して、国防体制を強化しなければならないことは明らかであるにも関わらず、こういう基本的なことが全く理解できていない。

輿石参院議員会長は、5日、参院本会議、代表質問のトップバッターを務めた。
「輿石氏は「タカ派」などとレッテル貼りに腐心して首相を攻撃したが、その姿には、民主党が旧社会党に先祖返りしたかのような印象が漂った。…略… 輿石氏は首相を「タカ派」と決めつけ、国家安全保障会議(日本版NSC)の検討作業などにも「軍事力偏重との意見もある」と攻め立てた。 …略… 輿石氏は、日銀正副総裁候補の参院での所信聴取の日程を衆院より遅らせるよう指示。「抵抗野党」の象徴的存在となっている。」(6日 産経)。
あれだけの大惨敗を喫したのに、どうやら輿石氏にはそんなことはどうでもよく、頭の中は日教組をいかに守るか、偏向教育をいかに推進するかということでいっぱいのようである。中国は非公表分も含めると、日本の防衛予算の数倍になるとも見られている膨大な予算を投入して、ひたすら攻撃的軍事力を強化している。その中国の脅威から国を守ろうとしている日本が「軍事力偏重」であるなどというのは寝ぼけているとしか言いようがない。要は、こういう人が主導する民主党は、国政のなんたるかが全く理解できていないということにしかならない。こんなことでは、何年、何十年やっても、国政は任せられないし、また万が一政権に就いたとしても、先の民主党政権以上に国政を混乱させ、損害を国に与えて終わるだろう。

《民主党内の改革派、良識派は、日本の再生のために活躍すべきであり、そのためには党を割って新たな道に踏み出すべきだ。維新、みんな、そして場合によっては自民党との連携の可能性もあるはずだ》
民主党そのものに未来はないにしても、一人一人で見れば適切な政策と心情、やる気を持った人も少なくないはずだ。こういう人たちは、矛盾だらけの民主党という場では、活躍しようにもしようがないはずである。「民主党内では輿石氏の抵抗路線に辟易(へきえき)する議員が相次いでおり、(輿石氏の)求心力にも陰りが見え始めている。」(6日 産経)。党内の良識派、改革派は、民主党を割って、新たな政治勢力として出直すべきである。

「日本維新の会の橋下共同代表は7日、大阪市役所で記者団に対し、憲法96条の改正について、「改正を良しとするか否かは決定的な価値観の違いだ。これで分かれている人が一つの政党にまとまるなんてあり得ない。民主党は96条を改正するかどうかで、ピシャッと分かれた方がいい」と述べた。
 橋下氏は「96条改正で合うということは、基本的な価値観が一緒なんじゃないか」と語り、96条改正を目指す議連に参加する民主党内の保守系議員らとは連携できるとの見方も示した。橋下氏は、今夏の参院選前に、みんなの党と民主党の一部が合流し、新党を結成する構想を打ち出している。」(3月7日 読売)。
これに呼応して次のような動きがあるのは、日本の政治にとって好ましい状況であると言えるだろう。
「憲法改正の国会発議要件緩和を目指す民主党、日本維新の会、みんなの党3党の有志による議員連盟の設立準備会合が7日、国会内で開かれ、名称を「憲法96条研究会」とすることを決めた。 14日に有識者を招き、初会合を開く。会合には、民主党の渡辺周衆院議員、維新の会の松野頼久国会議員団幹事長、みんなの党の浅尾慶一郎政調会長の呼びかけ人に加え、民主党の金子洋一参院議員も出席。同党の前原誠司前国家戦略相らも参加する意向で、30人以上の規模となる見込みだ。」(7日 読売)。これらの展開がどうなるかは予断を許さないが、民主党の流動化、再編の動きは歓迎すべきことと言えるだろう。