自民党の衆院比例区選挙制度改革案が強い批判に晒されているが、その発想の姑息さ、そしてそれが新たな憲法違反の内容を含んでいること、つまりやる気のない怠慢であることからすれば、当然のことである。最近、一部選挙区結果の無効判決まで出たので、選挙制度改革は待ったなしの状況にある。 これは、現在の比例選挙の定数を180から30削減して150にする。そして、90議席は現在の方法で配分し、残りの60議席については得票数2位以下の政党に分配するというものである。この案が持つ問題点については、すでに多くの論評で指摘されているが、28日付け産経「正論」では、拓殖大学の遠藤浩一氏が極めて的確な指摘とまとめをしている。
内容は、憲法の精神からの問題、公明党に配慮することの問題、そして「多数派形成」の責務の放棄の問題点という三つのことが述べられているが、ここではこの三番目の問題点について氏の見解を敷衍して、掘り下げてみたい。
「第一党が身を削って中小政党に議席を分配しようという姿勢は一見謙譲の美徳を示しているかに見えるが、政党、とりわけ政権政党にとって最も重視されるべき美徳は責任ある政策遂行であり、そのためには安定した多数議席を確保することが死活的条件となる。他党への安易な議席譲渡は公党として責任放棄でしかない。しかも、自民党は憲法改正を党是に掲げる政党である。安倍晋三首相は当面、改憲要件を緩和するための96条改正をめざすとしているが、これとて衆参両院で3分の2以上の賛同を得なければ実現できない。党是を実現するために、自民党は石を食(は)んでも、泥水を啜(すす)っても、多数派を形成しなければならないのである。」(同記事)。
論点は、自民党に限らず一般に政権党は可能な限り`圧倒的多数派をめざし、国政上の諸課題を解決し、現在の日本が直面している危機の突破を計っていくことが責務であるということである。それが国民が政権党(得票第一党)に期待して与えた票の意味である。だから、これを勝手に、公明党などの中小政党にお裾分けして、政権党(得票第一党)の力を弱め、政策遂行の責務を放棄することは結果的に国民の意思を捻じ曲げることであり、それは許されない。
私は谷垣総裁時代の自民党の谷垣的発想や行動を「昼行燈」的なもの、つまり意味不明、とらえどころのない無責任、やる気のなさ、無為無策、ぬるま湯政治として批判してきたのであるが、この選挙制度改革案に見られる精神はまさに谷垣的「昼行燈」のそれであるように思う。
それは、第一に、多数の国会議員を獲得することは、政策実現のための手段にしか過ぎないのであって、目的ではないにも関わらず、それを目的としているということである。谷垣氏は昨年12月の自民圧勝を受けて「勝ち過ぎるのが本当に良いことなのか」と述べたが、全く寝とぼけた話である。日本がやらねばならぬことは山積しており、そのためには自民党が多数派を形成し、必要な手立てを打って行かねばならないのだから、本番の仕事に取り掛かることへの決意を表明すべき局面であった。それをあたかも、そこそこの数が確保できるのが一番良い、勝ち過ぎてはかえって困る、戸惑う、他党に申し訳ないなどのニュアンスを漂わすとは一体どういうことだったのか。結局は、彼の考えでは自分達、自民党議員がそこそこの暮らしができればそれで良いということであり、そのための議席だということだろう。
今回の自民党案は、「勝ち過ぎはよくない、勝ち過ぎた分は、中小政党にお裾分けしましょう」という考えであるから、ここに見られるのは谷垣流の「昼行燈」的発想なのである。
第二に、この案には、自民党の怠惰性、おごり、上から目線、いかにも弱者に配慮しているかのような欺瞞性が含まれている。国民が寄せた票を中小政党の議員救済のために使おうというのであるから、これは、野党議員の生活を守るために「議員互助」をしようという動きとも見ることができる。何から議員を守るのかと言えば、もちろん国民の厳しい批判からである。ここには、国民の期待に応えて政策を実行していくことこそ自分たちの責務だということの自覚は見られない。
ここにはまた、自分たちの政策が失敗したときのための保険をかけておこうということ、すなわち、中小政党にも十分配慮して、「オールジャッパン」でやったことだから、政策の失敗は必ずしも自民党だけの責任ではありませんよ、という気分も含まれているように思える。これを裏返せば、‘圧倒的多数派形成’に伴う責務の増大に対する恐怖心も垣間見える。
谷垣氏は昨年3月、橋下維新のように大衆を見方につけて政治を行おうとすることはナチスのような「独裁」政治につながるとの趣旨の発言をしているが、ここに表れているのは、政治は国民に働きかけてはいけない、強い政権はいけない、強い指導力を持つ指導者は危険だ、‘圧倒的多数’はよくないということである。与野党が集まって、わいわいがやがややるのが政治ということらしい。総裁とか、首相は、学級委員のようなものとしか見られていないのである。
こんな遊び半分のような考えでは、生き馬の目を抜くがごとき国際政治、特に、中国、韓国、北、ロシアに対抗できないことは明らかである。現に、過去、これらの国からやりたい放題のことをされてきたし、今もされており、ご丁寧なことに、それでもまだそのことに気づかず「まだ誠意を十分に示せていない」と考えている始末である。というよりも、これら「昼行燈」派の連中は、政治を議員の生活の糧としておきたいのであり、本当は政治は国民の生命と財産を守るための闘争であるという事実に恐れおののき、それから目を背け、逃亡しようとしているのであろう。
第三に、野党を取り込むことで多数派を形成するということも政策実現の有力な手段であり、政権党としての重要責務であるにも関わらず、もうすでにその責務を投げ出すという怠慢を犯そうとしている。すなわち自ら「与党 VS 野党」の図式を作って、低劣な与党に堕落しようとしている。
自民党、特に高村副総裁は「これ以上の案は浮かばない」と居直ったり、民主党の批判をして、「野党の統一案を持ってこい」などと発言して、野党への対抗心をむき出しにしているが、一体どういう神経をしているのか。野党の考えもバラバラであり、野党ではまとまるはずもないことは明らかであるので、これは、自分達の案をもうこれ以上どうこうするつもりがないこと、選挙制度改革とはこの程度で良いのだという極めて尊大な考えの表れである。こういう難しい問題を多数党としてまとめて行くことを期待されて、総選挙で自民党に大量の得票を与えられたのだという事実をどうとらえているのか。このように野党を十把一絡げにして扱うことは適当ではなく、個別に調整していくべきことであり、それこそが政権与党の仕事であるだろう。維新や、みんな、そして民主党の一部にも、自民党と政策的に近い人たちもいるわけだから、そういう人たちとの調整努力こそ必要だろうし、またそうしないと、この問題だけではなく、ほかの問題においても、従来のような「与党 VS 野党」となってしまい、不毛な抗争に明け暮れる国会が継続することになる。
こういうわけで、こんな調子でやっていると、アベノミクスの第三の矢である構造改革、規制緩和も、焦眉の課題である尖閣防衛体制の確立も、そして喫緊の課題である憲法改正も遠のいてしまう。安倍首相、石破幹事長は、このような「昼行燈」的な勢力の怠慢、やる気のなさを許さず、気合を入れ直して、体制を立て直してもらいたい。蛇足ながら、自民党には三つのグループがあり、その一つは、真性自民としての改革派のそれであり、安倍―石破体制を支えているもの、日本の再生に取り組んでいるものである。第二のものが上述の「昼行燈」派であり、これは気合を入れて、正しい方向に向かわせなければならないものである。そして最後のものはリベラルなどと称しているが、とにかく中国、韓国のちょうちん持ちをし、慰安婦問題での韓国への謝罪をすべきだとか、原発は全廃だとか、政策的信条的には民主党、旧社会党、社民党、共産党、生活などに近いものである。だから、これは自民党を出て(もしくは追い出して)、民主党に合流すべき存在である。そしてこの穴埋めは、民主のやる気のある人たちによってなされるべきだろう(いわば、自民と民主のトレードによる政界再編!)。
内容は、憲法の精神からの問題、公明党に配慮することの問題、そして「多数派形成」の責務の放棄の問題点という三つのことが述べられているが、ここではこの三番目の問題点について氏の見解を敷衍して、掘り下げてみたい。
「第一党が身を削って中小政党に議席を分配しようという姿勢は一見謙譲の美徳を示しているかに見えるが、政党、とりわけ政権政党にとって最も重視されるべき美徳は責任ある政策遂行であり、そのためには安定した多数議席を確保することが死活的条件となる。他党への安易な議席譲渡は公党として責任放棄でしかない。しかも、自民党は憲法改正を党是に掲げる政党である。安倍晋三首相は当面、改憲要件を緩和するための96条改正をめざすとしているが、これとて衆参両院で3分の2以上の賛同を得なければ実現できない。党是を実現するために、自民党は石を食(は)んでも、泥水を啜(すす)っても、多数派を形成しなければならないのである。」(同記事)。
論点は、自民党に限らず一般に政権党は可能な限り`圧倒的多数派をめざし、国政上の諸課題を解決し、現在の日本が直面している危機の突破を計っていくことが責務であるということである。それが国民が政権党(得票第一党)に期待して与えた票の意味である。だから、これを勝手に、公明党などの中小政党にお裾分けして、政権党(得票第一党)の力を弱め、政策遂行の責務を放棄することは結果的に国民の意思を捻じ曲げることであり、それは許されない。
私は谷垣総裁時代の自民党の谷垣的発想や行動を「昼行燈」的なもの、つまり意味不明、とらえどころのない無責任、やる気のなさ、無為無策、ぬるま湯政治として批判してきたのであるが、この選挙制度改革案に見られる精神はまさに谷垣的「昼行燈」のそれであるように思う。
それは、第一に、多数の国会議員を獲得することは、政策実現のための手段にしか過ぎないのであって、目的ではないにも関わらず、それを目的としているということである。谷垣氏は昨年12月の自民圧勝を受けて「勝ち過ぎるのが本当に良いことなのか」と述べたが、全く寝とぼけた話である。日本がやらねばならぬことは山積しており、そのためには自民党が多数派を形成し、必要な手立てを打って行かねばならないのだから、本番の仕事に取り掛かることへの決意を表明すべき局面であった。それをあたかも、そこそこの数が確保できるのが一番良い、勝ち過ぎてはかえって困る、戸惑う、他党に申し訳ないなどのニュアンスを漂わすとは一体どういうことだったのか。結局は、彼の考えでは自分達、自民党議員がそこそこの暮らしができればそれで良いということであり、そのための議席だということだろう。
今回の自民党案は、「勝ち過ぎはよくない、勝ち過ぎた分は、中小政党にお裾分けしましょう」という考えであるから、ここに見られるのは谷垣流の「昼行燈」的発想なのである。
第二に、この案には、自民党の怠惰性、おごり、上から目線、いかにも弱者に配慮しているかのような欺瞞性が含まれている。国民が寄せた票を中小政党の議員救済のために使おうというのであるから、これは、野党議員の生活を守るために「議員互助」をしようという動きとも見ることができる。何から議員を守るのかと言えば、もちろん国民の厳しい批判からである。ここには、国民の期待に応えて政策を実行していくことこそ自分たちの責務だということの自覚は見られない。
ここにはまた、自分たちの政策が失敗したときのための保険をかけておこうということ、すなわち、中小政党にも十分配慮して、「オールジャッパン」でやったことだから、政策の失敗は必ずしも自民党だけの責任ではありませんよ、という気分も含まれているように思える。これを裏返せば、‘圧倒的多数派形成’に伴う責務の増大に対する恐怖心も垣間見える。
谷垣氏は昨年3月、橋下維新のように大衆を見方につけて政治を行おうとすることはナチスのような「独裁」政治につながるとの趣旨の発言をしているが、ここに表れているのは、政治は国民に働きかけてはいけない、強い政権はいけない、強い指導力を持つ指導者は危険だ、‘圧倒的多数’はよくないということである。与野党が集まって、わいわいがやがややるのが政治ということらしい。総裁とか、首相は、学級委員のようなものとしか見られていないのである。
こんな遊び半分のような考えでは、生き馬の目を抜くがごとき国際政治、特に、中国、韓国、北、ロシアに対抗できないことは明らかである。現に、過去、これらの国からやりたい放題のことをされてきたし、今もされており、ご丁寧なことに、それでもまだそのことに気づかず「まだ誠意を十分に示せていない」と考えている始末である。というよりも、これら「昼行燈」派の連中は、政治を議員の生活の糧としておきたいのであり、本当は政治は国民の生命と財産を守るための闘争であるという事実に恐れおののき、それから目を背け、逃亡しようとしているのであろう。
第三に、野党を取り込むことで多数派を形成するということも政策実現の有力な手段であり、政権党としての重要責務であるにも関わらず、もうすでにその責務を投げ出すという怠慢を犯そうとしている。すなわち自ら「与党 VS 野党」の図式を作って、低劣な与党に堕落しようとしている。
自民党、特に高村副総裁は「これ以上の案は浮かばない」と居直ったり、民主党の批判をして、「野党の統一案を持ってこい」などと発言して、野党への対抗心をむき出しにしているが、一体どういう神経をしているのか。野党の考えもバラバラであり、野党ではまとまるはずもないことは明らかであるので、これは、自分達の案をもうこれ以上どうこうするつもりがないこと、選挙制度改革とはこの程度で良いのだという極めて尊大な考えの表れである。こういう難しい問題を多数党としてまとめて行くことを期待されて、総選挙で自民党に大量の得票を与えられたのだという事実をどうとらえているのか。このように野党を十把一絡げにして扱うことは適当ではなく、個別に調整していくべきことであり、それこそが政権与党の仕事であるだろう。維新や、みんな、そして民主党の一部にも、自民党と政策的に近い人たちもいるわけだから、そういう人たちとの調整努力こそ必要だろうし、またそうしないと、この問題だけではなく、ほかの問題においても、従来のような「与党 VS 野党」となってしまい、不毛な抗争に明け暮れる国会が継続することになる。
こういうわけで、こんな調子でやっていると、アベノミクスの第三の矢である構造改革、規制緩和も、焦眉の課題である尖閣防衛体制の確立も、そして喫緊の課題である憲法改正も遠のいてしまう。安倍首相、石破幹事長は、このような「昼行燈」的な勢力の怠慢、やる気のなさを許さず、気合を入れ直して、体制を立て直してもらいたい。蛇足ながら、自民党には三つのグループがあり、その一つは、真性自民としての改革派のそれであり、安倍―石破体制を支えているもの、日本の再生に取り組んでいるものである。第二のものが上述の「昼行燈」派であり、これは気合を入れて、正しい方向に向かわせなければならないものである。そして最後のものはリベラルなどと称しているが、とにかく中国、韓国のちょうちん持ちをし、慰安婦問題での韓国への謝罪をすべきだとか、原発は全廃だとか、政策的信条的には民主党、旧社会党、社民党、共産党、生活などに近いものである。だから、これは自民党を出て(もしくは追い出して)、民主党に合流すべき存在である。そしてこの穴埋めは、民主のやる気のある人たちによってなされるべきだろう(いわば、自民と民主のトレードによる政界再編!)。