もとなりくんの「今週の政治 ‘とんでも’」

日本の経済、安保危機を打開する力は、国民の結束と強い政治しかない

「言うだけ番長」は「甘ったれ番長」?! 前原氏は大臣の資質無し、まして首相などとんでもない!!

2012-02-25 20:38:05 | 政治
_ブログ筆者よりのお願い
このブログは、各週の乾坤一擲の政治テーマ、視点を掲載したいと思っているのですが、現在、次から次へと‘とんでも’が飛び出し、まるでモグラたたきをしているような状態におかれています。いま、週に2本、3本という状態にありますので、最新記事のみならず、一週間分をごらんになってください。ブログ内の「記事一覧」機能も活用ください。

昨日、前原民主党成長会長が、マスコミが彼につけた「言うだけ番長」のネーミングに反発し、産経記者を、取材から外すことを宣言してそれを実行したということが報道された。この経緯については、各社が報道し批判しているが、ここでは当事者である産経の記事を、下記「関係記事」に示すので参照願いたい。この件に関する政治家の名誉と報道のあり方の問題については、産経側に特段の問題があるとは思えず、それゆえ前原氏の対応は、公党の責任ある立場の人間のそれとしては不適切であると言わざるを得ないだろう。しかし、ここで述べたいのはこのことではなく、前原氏、もっと言えば日本の指導者の資質とはいかにあるべきかということである。前原氏が、一議員の立場にとどまる人であれば、ここでことさら取り上げることはないが、現在前原氏は、首相に最も近い人の一人であると目されているから、この問題は看過できないのである。ここでのテーマについてもっと言えば、もともと「公(おおやけ)性」のものである政治の中でも、その「公性」が凝縮されるはずの大臣、さらには総理大臣(首相)とはどういう人であるべきかという、基本的な問いかけをしたいということである。このことについて、以下三つのことを述べさせてもらいたい。

[1]_ <「民主党は言うだけ」の体質を改めよ>
<「野田的なるもの」を増やし、「小鳩的なるもの」から脱却せよ>
まったくもって、前原氏の甘チャンぶりにはあきれてしまう。この人が6年前に、43歳の若さで民主党代表として颯爽と登場し、執行部の若返りを進めたり、それまでの何でも反対の立場から提案型の野党に変わることを目指したり、労組依存からの脱却を志向したりしている姿を見るとこの人であれば、政治の改革のみならず、停滞する日本の経済、社会の改革をもやってくれるのではないかとそれなりの期待を抱いたものである。しかし、その後の「偽メール事件」によって、その政治的脇の甘さが露呈し、その後も次々と脇の甘い姿勢が見られるようになった。そして、政権交代後は、威勢はよいが思いつきにしか過ぎない発言が目立つようになり、しかもその発言のフォローを何もせずに、またすぐに次の新たな威勢のよい発言をする、こういうことが繰り返されるようになった。その結果、昨年から「言うだけ番長」との不名誉なあだ名がつくことになった。これは、前原氏が国交相時代に建設凍結を表明した八ツ場(やんば)ダムの迷走、党政調会長就任早々に米国で、突如として武器輸出三原則見直しを打ち出したり、東日本大震災の復興財源をめぐり、確たる根拠なく税外収入を政府案より2兆円積み増すと表明したり…、などの事実に沿ったものである。

もっとも、何の根拠もなく、その場の思いつきで自分の人気取りのためだけに、「言うだけ」という政治家にあってはならない悪しき性向は、一体に民主党の特徴、DNAであるとも言える。鳩山元首相の普天間の最低でも県外移設、東アジア共同体、新しい公共…、そして菅前首相の雇用の創出、最小不幸社会、熟議の国会…。この二人は「言うだけ」の連発によって日本をガタガタにしてしまった。小沢元代表にいたっては、「天下・国家のため」とか「清潔な政治を」「政治改革」などと二十年間も「言うだけ」で、実際にやってきたのは、私利私欲のためだけの金と数の力による政局ゴッコ、そして不毛な政党の創立と破壊の繰り返しだけであった。

しかしながら、民主党のこの悪しき性向も、野田首相になって、ようやくまともな方向で沈静化の動きが出てきている。やろうとしていることが必ずしも十分な内容を備えていない、国民に十分アピールできていない、迅速で断固とした対応が出来ていないなどさまざまな問題はあるものの、少なくとも野田首相は「言うだけ」の人ではないように見える。言ったことが本当に実現するかどうかは、現在の政局・情勢からすれば予断は許されないが、少なくとも今のところ、やる気は言葉だけのものではない迫力が感じられる。これは政治家が持つべき最も基本的な要素であると言えるだろう。民主党は、「野田的なるもの」の拡大をめざさなければならないだろう。
なお、「小沢的なるもの」は、民主党にのみならず自民党にも、そして社民党にも残存しており、日本の政治を腐らせる元凶になっている。この人の排除なくして日本の政治の明日はないと言える。小沢氏については、これからどんどん批判をしていくことになるので、ここではその予告だけに留めおきたい。

[2]_ <批判に打ち勝たなければ真の指導者たりえない!>
ここで問題にしたいのは、前原氏がなんと驚くことに、「記事を読むだけで暗い気分になる。これは子供のいじめやペンの暴力の次元だ」と言ったということである。この言葉によって彼は「言うだけ番長」のみならず、実は「甘ったれ番長」でもあることが明らかになってしまった。これが前原氏の言葉であるなら、彼は政治がどういうものであるのかが全くわかっていないし、また彼の精神構造も政治とまでは言わないが、少なくとも真の指導者には向いていないと言わざるを得ないことになる。こういう人に大臣、まして首相になってもらうと我々国民は困るのである。途中で引きこもりになってもらっても、すべてを自分以外のものに責任転嫁されても、周りにどなり散らされても、やけくそになってもらても、居直ってもらっても、政権にしがみつかれても、そして政権を放り出されても困るのである。こういうものがいかに悲惨な結果を日本にもたらすかは、菅首相の例で嫌というほど味わわされている。とにかく今回の前原氏のような、弱く甘えた精神構造では、首相はおろか、大臣の職責すら全うできないだろうと考えざるを得ないのである。

現在、アメリカの共和党、民主党の大統領候補指名獲得選挙が行われているが、日本は、このシステムに学ぶ必要があるだろう。この厳しい選挙戦はちょっと目には全く意味のない、時間と金、エネルギーの浪費、それどころか、党内の対立抗争を煽り、党を分裂させる以外の何物でもないように思えるが、実は非常に巧妙にできた「強く優れた指導者を作るシステム」であるだろう。この一年から長い場合は二年にもわたる選挙戦は、大統領候補者の(政治的清潔さの)身体検査はもちろんのこと、ディベート能力(制作力、論理的討論力)はどうか、ネガティブキャンペーンに耐えれるかどうか(強い精神力、闘争力があるかどうか)、人間性はどうかなど、ありとあらゆることが国民の前に提示され評価と同時に批判もされ、これに耐え抜き勝ち抜いた人だけが大統領になれるのである。この中で、大統領候補者と国民との相互理解が進み、信頼関係が醸成され、国のために一身を捧げる強い大統領が誕生することになる。こういう厳しい選挙を勝ち抜いたからこそ、また、すべての要素が確認された人であるからこそ、国民は大統領を信頼し、尊敬もし、自分たちの大統領だとも思うのである。そして、そういう国民の強い信頼が、大統領が国民(世界)のためにいかなる苦難にもくじけることなく、強い意志を持って、毅然かつ断固とした行動に出れる基盤になっているはずである。
橋下大阪市長が、昨年のダブル選で受けたプライベートなことについての猛烈なネガティブキャンペーンに耐え、屈しなかったどころか、それを逆にバネにして結果としての圧倒的勝利を得たということを思い起こしてみよう。こういう資質こそ、大臣や、そしてそれよりも更に厳しい職である首相に要求されるものである。
現在の日本に必要とされているのは、このような批判を克服する力であり、それは政治家のみならず、国民一人一人にも要請されている要素ではなかろうか。

[3]_ <国民は「大臣」の機能、権威を、政治に、国民の手に取りもどす必要がある> 
    <大臣の機能を、利権漁りの具にまで堕しめる政治屋たちを許すな!>
今まさに日本は、巨額の財政赤字、少子高齢化、長期にわたる経済不振、技術競争力の相対的低下、周辺国からの日本の主権侵害・領土侵犯などといった内憂外患の文字通りの国難に直面している。この困難を克服することは容易ではなく、国民が一丸となって、困難の克服に乗り出す必要がある。そして、政治家、特に大臣、首相はその先頭に立たねばならないのだから、「批判されたから暗い気持ちになった、やる気が出ない」というようなことでは、話にもなんにもならないのである。

ところで、ここで政党の幹部の問題から、なぜ急に大臣の話が出てくるのかということであるが、これは大臣は「公性」の最大の職責だからである。現在の政党は、政党助成金という国民の税金を使っているのだから大きな「公性」を持っているのであり、民主党の政調会長である前原氏は、公的立場の人間であり、今回の言動はこの点からしても許されるものではない。しかし、政党の幹部までに範囲を広げると、あまりにも問題人が多過ぎて焦点が定まらなくなるので、せめて大臣レベルでの「公性」だけでも確保したいということである。また、国民の立場からすれば、政党の幹部に対しては監視の目、そして批判が届きにくいが、「公性」の最高峰である大臣には、そうではないだろうからである。そしてなによりも、政策は各担当大臣が取り仕切って実効するものだからである。

ところが、最近では猫の目のように大臣が代わり、また資質、能力に問題がある人が多く、大臣が果たすべき機能と、その権威は地に堕ちている。なにしろ、「個別のことは回答を差し控える」と「法と正義に基づいて進める」という二つの言葉を知っていれば大臣は出来ると、大臣自身が言っているのだから、何をか況やである。昨年の海江田経産相のように、国会で菅首相に功を奪われたと言って悔し涙を流し、こんな首相の内閣にはおれないので、辞表をたたきつけると言いながら、いつまでも未練たらしくずるずると経産省の地位にとどまり、優柔不断性をさらした人もいた。ところが、そういう人が民主党代表戦(実質的な首相決定選挙)に立候補し、一時は最有力とまでされたのだから、びっくり仰天である。このような有様は異常を通り越して、異様な事態であると言わざるを得ない。このこと一つ取っても、現在の日本の政治、そして社会の価値規範の劣化が著しく進んでいることがわかる。

そもそも政治は政府が行うもの、すなわち大臣の集まりである内閣が行うものであるにも関わらず、日本では大臣は、年功褒賞として与えられるものという考えがあり、やる気や能力などは二の次とされてきた側面がある。だから、消費者庁長官などは、民主党の2年半足らずでなんと8人目であり、拉致問題担当相は6人目だ。その他のポストも似たりよったりの状況である。党利党略を優先するあまり、大臣の機能は著しく損なわれ、結果、日本の政治は全く機能不全に陥っているのである。

さらに言えば、いわゆる「表紙の張替え」という詐欺まがいの手法も大きな問題である。これは、中身が劣化、腐敗してどうにもならなくなっているにも関わらず、中身はそのままにして、表面だけを新たな表紙で飾って、すなわち大臣を変えて、新しいものとして売り出すやり方である。このことの目的は、これによって国民の眼をくらまし、批判をかわし、古い利権構造を温存させ、自分たちの利益を確保しようということである。また、この表紙の張替えは、責任をうやむやにするという点でも、非常に有効な手段となっている。鳩山首相の嘘で固めた「マニフェスト」も、普天間基地の問題も、民主党の三人目の表紙の野田首相になると、だれがどの責任を負うのかがあいまいになっている側面がある。前原国交相の八ツ場ダムの迷走問題もそうである。この迷走で、地元の人はまた更に数年間の苦痛を強いられることになったが、大臣が何人も代わって、だれにどこまでの責任があるのかがぼやけてしまった。これは本来、大臣とは数年間の任期のもとで、しっかりした仕事をしなければならない職務であるにもかかわらず、その能力がない、それが怖いので、任期をこまぎれにして何人もで短期間を担当すれば、責任はうやむやになると同時に、大臣というポストの名誉は、みんなに回ってくるというメリットがあるのだろう。結局、現在の日本の政治は、政治家の問題が起きるたびに大臣を交代させること、それも能力ある人に代えるのではなく、単に「表紙」すなわち顔を代えること、それはすなわち国の政治の機能を著しく損なうこととの引き換えに、事態をうやむやにし、政治家全体で一人一人の利益を守るための助け合いをしているのである。
こういう異常な状況は一日も早く変革されなければならない。我々国民は、国の政治の機能を我々のために取りもどさなければならない。それには、大臣には意志と能力のある人を就け、いい加減な人が大臣になることを阻止していく必要もある。そして大臣の権威と政治の機能を大臣の中に、国民の側に取り戻す必要がある。

次に、本来大臣とは非常に重い責任を持つものである。というのは、大臣は国の政策の責任者であり、国にとって必要な政策を決定し実現しなければならない立場の人だからである。ところが、政策というのは必ず賛否両論、つまりそれによって益を得る人とそうでない人がいるのであり、それをうまく調整して決定していかなければならない立場である。そもそも、反対のない政策であれば、誰でも賛成していることだから、わざわざ政策という必要はないし、また誰がやっても同じようなやり方になるはずだから、大臣などは要らないのである。だから、政策に反対や批判は付き物なのである。場合によっては、一方の側に、ある程度の不利益、あるいは痛みを需要してもらわざるを得ないことも少なくない。言い換えれば、批判されること憎まれること、場合によっては、生命すらも危険にさらされるようなことすらある。しかしながらそれでも大臣たるものは、全体の利益のために、そういう厳しく辛い状況を乗り越えて、決断し、実行していかなければならない。とは言え、大臣といえども生身の人間であるので、国民の支持、応援なくしてこういうことが出来るわけはないので、国民もしっかりバックアップしていくことが重要である。そのためには、大臣にはやる気と能力が備わっていなければならない。これが本来の大臣のあるべき姿であるだろう。

このようなわけで、気に入らない記事、自分を揶揄する言葉を聞くと、簡単に意気消沈するような人は、とても大臣の職は勤まらないので、もう大臣になるのはやめて欲しいのである。そもそも「言うだけ番長」などという不名誉な呼称は、前原氏自身の言動がそうだからそうなっただけの話であり、身から出たさびにしか過ぎない。そういう自らの言動を省みることなく、「ペンの暴力だ」と言ってマスコミのせいにするようなことでは、とても本来あるべき姿の大臣の厳しい職責を全うすることなど出来るはずもない。まして、総理大臣など‘とんでも’ないことである。我々は、鳩山、菅の二内閣の二年間の悪夢、あのように限りなく惨めな日本の姿をもう二度と見たくないのである。


【関係者、識者コメント】 _いずれも24日、産経()電子版からの抜粋
 _「大阪府の松井一郎知事は24日、記者団に「一瞬で前言を翻すからそう言われてもしようがない。腹が立つこともあるだろうが、取材を全面拒否するのはやり過ぎでおかしい」と述べた。また、松井氏は前原氏の言動について、「言うなら、やればいい、やらないことは言わないのが一番だ」と批判する一方、橋下徹大阪市長が日ごろからツイッター(短文投稿サイト)を利用して意見を述べていることに触れ、「言いたいことがあるなら橋下さんのようにツイッターで反撃して、言い返せばいい」と話した。」

_ 「みんなの党の渡辺喜美代表は24日の記者会見で、民主党の前原誠司政調会長が産経新聞の報道内容を理由に本紙記者の記者会見出席を拒否した問題に関し「野田佳彦首相もぶら下がり取材に応じていない。政調会長もそういう姑息なことをやる。民主党の体質でしょうね。語るに落ちた話だ」と批判した。」_ 「政治評論家、三宅久之氏の話「公の会見で特定の報道機関の記者の出席を拒むことは、政党助成金を受け取っている公党の要職にある者として、あり得ない行為だ。民主主義下で与党が批判されるのは健全な政治のために当然であり、それを謙虚に受け止めることなく、気に入らない者を排除することで自分の正当性を守ろうとする前原氏の対応は、政治家として幼稚としか言いようがない」

【関連記事】 _24日づけ産経(電子版)_
【前原氏本紙を排除】「これはペンの暴力」 他社も抗議
 民主党の前原誠司政調会長が23日、定例の記者会見で本紙記者を排除した。前原氏の言動を「言うだけ番長」と表現した本紙報道は「ペンの暴力」だと主張している。しかし、次期首相候補にも数えられる政治家のこの日の行動は、常軌を逸していると言わざるを得ない。
 23日昼、本紙記者は人事異動のあいさつをしようと、前原氏と国会内で接触した。すると前原氏は「君に話があるんだ」と話し、記者を衆院議員会館の自室に連れて行った。
 「ことあるごとに『言うだけ番長』と書くのはなぜか。(本社の)会長の名前で正式に文書で回答してほしい。それがなければ今後、産経には政策調査会の取材を認めない」
 前原氏は記者にこう通告した。その上で「記事を読むだけで暗い気分になる。これは子供のいじめやペンの暴力の次元だ。回答が来るまでは記者会見も取材も認めない」と語った。
 記者は事情を政治部上司に報告。前原氏に再度接触し、どういう内容の回答を求めるのか、文書で提示するよう求めた。この時、前原氏は「考える」と述べるにとどめていた。
 こうした状況で、前原氏は本紙記者を記者会見から排除した。この段階で、幹事社の朝日新聞記者が政調職員に抗議。その後開かれた記者会見でも、他社の記者が前原氏の対応への異論や抗議の意を伝えたという。
 前原氏の定例記者会見は週2回開催。フリーの記者も参加でき、通常は名刺の提出も求められない。
 前原氏は1月31日の記者会見でも、北海道新聞記者に対し「あなたは出入り禁止だ。事実と違うことを書いた。今、すぐ出ていってください」と述べ、記者会見場から退出するよう求めたこともある。・・・(以下略)」

韓国 李明博 大統領殿 2月22日「竹島の日」に関連する日本国民の韓国政府への抗議および要請

2012-02-23 15:50:22 | 政治
大韓民国 李明博 大統領 殿

韓国による竹島不法占拠 ならびに 友好的日韓関係の障害たる反日的政策に対する韓国政府への抗議 および諸要請

我々日本国民は「竹島の日」であるこの2月22日、国民の総意として以下のことを貴国に対し強く抗議すると同時に、今後の日韓関係の正常で健全な発展に向けて、適切な措置をとられるよう強く要請します。
1_現在、貴国によって不法に武力占拠されている、日本固有の領土である竹島の速やかな日本への返還を要求するものです。ここ数年、さまざまな実効支配策が新たに導入されていますが、そのような黒を白と言いくるめようとする試みは、貴国の主張の正当性をなんら根拠づけないどころか、逆に現在の占拠が不法であること、そして貴国がいかに不条理な国であるかを、我々および世界に喧伝するだけの結果に終わっています。この不法占拠は、歴史的経緯、事実からも、国際法上からもいかなる正当化も許されざるものです。今後の日韓関係の友好的な発展のためにも、速やかな返還を強く要求するものです。
なお、貴国による不法占拠から今に至る期間に我々日本国民が受けた著しい物的、金銭的損害、さらには精神的苦痛については、すべて貴国がその責を負うべきものです。我々は貴国に対して、謝罪と損害賠償を求めるものです。
2_歴史的経緯からも、そして国際的にも妥当性、正当性が認められている「日本海」の呼称を、正当な理由もなく貴国の一方的都合から「東海」へと、なし崩し的に変更しようとする行為は、両国の友好関係を著しく損なうばかりか、いたずらに東アジアの安定、世界各国の友好・協調関係に亀裂をもたらすものになっています。各国に対する水面下でのロビー活動は、かつての中央情報部KCIAの姿を彷彿とさせます。このようなロビー活動は、現在の健全な理性を持った民主主義国家ではあまり見受けられないものと考えます。貴国の国家を挙げてのこのような行為は、日本国民の貴国に対する不信感を強め、各国の貴国に対するイメージを著しく傷つけるだけのものと考えます。我々は、貴国の身勝手な行動に強く抗議するとともに、この無益な行動を直ちにやめるよう要求します。
3_日韓文化交流に関し、貴国における日本文化の、特に大衆文化の放送、広報、宣伝に対して行われている不当、不公平な規制を直ちに全面的に撤廃するよう要求します。我々は、貴国文化の全面的な受け入れとその理解に努めてきましたが、貴国では逆に日本の文化が政策的に排除されており、これが貴国民のわが国の理解を妨げ、いわれなきわが国に対する誤解や偏見の除去を妨げております。こうした状況の放置は、貴政府による意図的、政策的な「反日世論形成」行為ということにもなりかねません。言うまでもなく両国の友好のためには、両国民の相互理解が不可欠でありますので、一日も早く、この不公平、不健全、そして不当な状態の解消を要請するものです。
4_戦前の日韓併合に関する両国間の懸案は、日韓基本条約により既にすべて清算済みであることは、ご承知の通りです。にも関わらず、その後貴国の一部の人たちにより「慰安婦問題」なる問題が持ち出され、それがあたかもわが国の問題であるかのごとく誤って喧伝され、我々日本国民は著しく名誉を毀損されました。そもそもこの問題が一体全体いかなるものであるのか、それがなぜゆえわが国の問題であるのかの納得いく説明もなく、またこのことに関する客観的証拠、根拠も示されていない中で、「為にする」議論、抗議行動が行われています。これは、両国の友好関係を壊すことによって個人的な利益を得ようとする貴国内の一部の人々の、私利私欲のための反社会的行為ではないでしょうか。我々は、迷惑を受けるだけでなく、実質的な損害さえ被ろうとしています。貴政府としてしっかりとした対応をとっていただくよう強く要請します。まして、このような貴国の国内問題を、なし崩し的に両国間の問題に摩り替えるようなことのなきよう、強く要請しておくものです。
また、これに関連して、わが国の再三の中止要請にも関わらず、わが国在韓大使館前に、「平和記念像」なる、わが国の尊厳を著しく傷つけるものが設置されましたが、これは「自国内にある外国公館の威厳侵害を防ぐ措置を取るよう定めている」ウィーン条約に違反する行為ですので、貴政府の責任において直ちに撤去されるよう要請します。
5_わが国の戦後から一貫して続けられている、貴国の「反日的教育」は、いまや両国の友好にとっての大きな障害となっています。それは、貴国民にゆがんだ、あるいは誤った事実認識を与え、貴国民のわが国への理解を妨げ、さらにわが国への反感を喚起する要因になっています。たとえば、日韓併合は貴国の正当な政府の同意のもとに、当時の国際法の定める手続きに沿って、行われたものであること、また、その結果、プラス、マイナス両面の評価はあるにせよ朝鮮の近代化が進んだことは、否定しようのない歴史的事実です。にもかかわらず、貴国ではこの事実を否定し、日本からの武力による一方的な植民地支配が行われたということにされています。これは、歴史的事実を教育によって改竄しようとする試みですが、事実を教育によって書き換えることは出来ません。その結果、こうした教育は、いたずらに理不尽な反日意識を助長するだけのものとなっています。
貴国内の教育実態がこのようなものであるにも関わらず、そのことを省みることなく、他方ではわが国の歴史教科書の細かい内容にまで踏み込んだ批判、介入を行い、貴国の解釈を押し付けようとしています。これは、完全な日本の主権侵害行為と言えるでしょう。
言うまでもなく、二国間関係の良好な発展は、相互に主権を尊重し、相互理解に努めることから始まります。現在の貴国における「反日的教育」、そしてわが国の教科書に一方的な批判、介入を加える行為は、こうした精神を著しく損なうものです。
一日も早く、こうした非生産的、非建設的政策を改め、事実を事実として認める教育に転換されるよう強く要請します。

以上、貴国によるさまざまな我が国に対する主権侵害、日韓の友好関係を損なわせる反日的諸政策に対して、我々はこれまで特段の強い対抗措置を取ることなく、ひたすら冷静かつ理性的に、友好的 かつ平和的な解決を目指してきました。しかしながら近年の貴国の行動、政策は、我々の誠意と努力を理解するどころか、かえって貴国内の一部の反日勢力を勢いづかせ、ますます理不尽な行為を増やしています。このような状況のもとでは、我々はこれまでの姿勢を見直し、貴国の行動を踏まえた、より現実的な方向に進まざるをえません。

そこで、ここで改めて確認しておきますが、上述のように、わが国の過去の行為の反省は、65年の基本条約締結の中にすでにすべて織り込まれております。我々はその中でうたわれたわが国の責務を、誠意を尽くして果たしてきました。したがって、我々はそれ以上のいかなる責務も持たないし、負うものでもありません。これまでの貴国の理不尽な振る舞いに対するわが国の忍耐を伴った柔軟な対応は、貴国ならびに貴国民に対する我々の特別な配慮によるものであったことを改めて強調しておきます。

もし、上記要求が受け入れられないとすれば、我々は新たな水準での、有効かつ適切な行動をとらざるを得なくなります。それは、上述の5つの点のそれぞれにおいて、貴国が行っている水準での、主権の防衛措置、対抗措置を取ることです。我々は、少なくとも貴国が実施されているようなやり方、行動、宣伝、教育などと同等、あるいはそれに類する水準にまで我々の対抗行動の強度を引き上げる正当な、かつ当然の権利を有するのです。

とは言え、我々の目標はあくまでも両国の友好的な共存共栄の関係構築にあります。貴国には、以上の内容をご高配の上、上記の5点について、真摯な、そして可及的速やかな対処をとって頂くよう強く要請するものです。

2012年2月22日  
日本国民


日本政府御中
以上の主旨を、政府としても公式に韓国へ送付し、抗議し、韓国政府の適切な対処を要請願います。国家主権、そして国民の安全と権利を守る立場から、毅然たる、そして断固たる行動をお願いします。

マニフェストと憲法 冴える維新 発想の貧困さ晒す自民! 日本の再生に向けて活発な国民的議論を!!

2012-02-21 23:31:30 | 政治


維新のマニフェスト(船中八策)の骨子が発表されさまざまな反応が出ている。18日 産経(電子版)は次のように報じている。
「大阪市の橋下徹市長率いる「大阪維新の会」の次期衆院選マニフェスト(政権公約)となる「維新版・船中八策」。その骨子には、「首相公選制の導入」「参院の廃止」など刺激的な政策が並ぶ。民主、自民などの既成政党からすれば「地域政党の戯(ざ)れ言」と切り捨てたいところだが、そうも言っていられない哀しい現実がある。
・・・・・中略・・・・・
( 自民党の谷垣禎一総裁は16日の記者会見で、船中八策について問われると、「軽々に批判だけしてもいけない。論評は差し控えたい…」。谷垣氏の優柔不断は今に始まったことではないが、こと維新の話となると、自民党全体も煮え切らない。党の「大都市問題に関する検討プロジェクトチーム(PT)」座長を務める菅義偉元総務相は「国民が抱える政治へのさまざまな不満を解決しようという意欲の表れだ」と維新の政策を高く評価。一方、石原伸晃幹事長は「言うのは簡単だ」と批判し、脇雅史参院国対委員長も「論評に値しない」と切り捨てる。まさに賛否両論だ。
民主党の反応も複雑だ。輿(こし)石(いし)東(あずま)幹事長が参院廃止の主張に「二院制は必要だ」と反論すれば、前原誠司政調会長は「われわれの考え方と共通する面もある」と歓迎するなど、維新への評価は定まっていない。
・・・・・中略・・・・・
昨年11月の「大阪ダブル選」以前から維新の会との連携に意欲をみせてきたみんなの党はそもそも、消費税増税に反対だ。一方、船中八策は消費税増税を掲げている。にもかかわらず、渡辺喜美代表は「政策がうりふたつだ」と強弁する。・・・・・略」。」

また、17日の朝日電子版では、
「石原慎太郎・東京都知事は17日の会見で、大阪維新の会(代表・橋下徹大阪市長)がまとめた衆院選向けの公約集「船中八策」の骨格について、「大賛成のところがある」と評価した。首相公選制の導入については「いいことだ。中曽根(康弘)さんが若いころ言って、僕も演説をやったことがある」。参院廃止についても「参議院はもういらない。二院制はナンセンス」と同意した。たちあがれ日本の平沼赳夫代表が船中八策を「国家観がない」と批判したことには、「そんなことない。随分国家観あると思うけどね」と持ち上げた。」

[1]_<いい加減さ丸出しの自民!>  <自民党 良識派、改革派は、「自民党はもっと素晴らしいものを用意している」と胸を張れるように頑張ってほしい!!>
 このように、さまざまな反応が出ているのであるが、その中でも14日の産経(電子版)の次の記事は看過できない内容が記されている。
「維新の会公約に参院自民の脇氏ら酷評 「論評に値しない」「民主党の公約よりひどい」
 自民党の脇雅史参院国対委員長は14日の記者会見で、橋下徹大阪市長が率いる「大阪維新の会」が次期衆院選の公約として策定中の「維新版・船中八策(選挙公約、マニフェスト)」について「論評に値しない。憲法を変えなければできない話もあり、とても公約になんかなるわけもない」と批判した。
 脇氏は「2年半前に民主党がとんでもないマニフェストを出して、今日まで来たが、全部できなかった。また2年半前と同じことになる」と述べ、実現は難しいとの見方を示した。
 溝手顕正参院幹事長は「全部がダメとは言わない」としながらも「できそうなことと、できそうにもないことが全部ごちゃまぜで混在している。(民主党マニフェストと)同じより、もっとひどい」とこき下ろした。」

さて私は、維新のマニフェスト案は、現在の日本が必要としていることをしっかり踏まえているように思うが、実際にどうかは、詳細を見てみなければわからないので、ここで内容に踏み込んだ話をするつもりはない。ここで問題にしたいのは、自民党の発想がいかに貧困であるか、そしてもっと言えばいかに誤っているか、ということである。民主党から政権を奪還しようとしている政党にしては、あまりにも能天気、無責任な話だ。これは二人の自民党参院幹部の発言であるので、党内にはこれとは違った考えの人もいることとは思うが(実際、上述の、菅元総務相はそうである)、しかしおそらくは、大部分の人の考え、党内の雰囲気を代弁しているものと思われる。上述のように、谷垣総裁は「軽々に批判だけしてもいけない。」と、相も変わらず「消極的、批判的な方向で煮え切らない」のだから、とても建設的なことを考えているはずもない。石原幹事長は、明らかに批判的である。麻生元首相は、「大阪のことをまずはしっかりやることが(国政よりも)先だ」と言う主旨の、国政と地方政治では格がまったく違うという上から目線の発言をしている(実際は、この程度の認識しかない人が多いから、維新が国政に出なければならないのであるが)。
そこで、もしかすれば政権に復帰することになるかもしれない自民党が、このようないい加減な考え方で政権に復帰されると、現在の民主党よりもさらにひどい政治になりかねないので、このような発言は看過できないのである。
というのはここに示されている論理はあるべきものとは全く逆のものだからである。論理にならないほど貧困な論理だからであり、政治家のそれではなく単なる「政治屋」のそれだからである。上の主張からは、三つぐらいの論点が読み取れる。それは、マニフェストは、実現できるものであるべきこと、現状では憲法を変えることは難しいこと、維新のマニフェストは民主党のそれ以上にいい加減である、というようなことである。これがなぜ問題なのかの理由は次のようなことである(話の都合上、順序は入れ替える)。

[2]_維新のマニフェストは民主党のそれと同じ性格のものではない!
民主党のマニフェストが問題であったのは、「埋蔵金を使えばいくらでも財源が出てくる」、「無駄遣いを省けば、毎年十数兆円の予算が確保できる」などといった、まったくの事実誤認にもとづいて、「バラマキ4K」という間違った政策を掲げていたからである。念のためなぜ「バラマキ4K」が政策として間違っているのかについて述べておけば、それは、がんばって働いてもそうでなくてもいずれでも国から金がもらえるのであれば、みんな働くことをやめてしまうだろうからである。また、このような政策は、国は国民を無条件で養う義務があると誤解もさせるだろう(国民一人ひとりが国を支えるのが本来の姿なので、これは完全に逆)。要は、「事実でないこと」、そして「政策として間違っている」という二点が問題であったのだが、さらにもう一つの問題もあった。それは、事実誤認の原因ガ、ほとんどなんの調査・検討もせぬままの、口からのでまかせによるものであったことである。だから、民主党のマニフェストは、「選挙詐欺だ」と言われているのである。これらが、民主党のマニフェストの本質だったわけである。
他方、維新の首相公選、参院廃止、憲法改正などは「憲法を変えれば出来ることだから、事実誤認」ではない。また、憲法改正は国民の理解があれば出来ることだから、これも夢物語とは違う。次に「誤った政策」であるのかどうかであるが、これは、中身をよく精査し、国民全体で議論してみなければわからないことである。だから、現時点ではなんとも言えない。しかしながら、今なにが問題であり、どうすればよいのかの方向性は示されているので、この点では建設的な意味を持っている。結局、維新のマニフェストと民主党のそれは、同じではないばかりか、大きく異なったものである。何も考えなかったのか、あるいは何がしかの政治的意図があるのか、いずれにしてもこの二つを同一視することは、責任野党の幹部がやることとしてはお粗末きわまりない話である。

[3]_<「できるかできないか」でマニフェストを作るのではなく、「日本にいま必要なことは何かから作るべきだ。>
マニフェストは、「確実に実現できるもの」でなければならないとの主旨が主張されているように聞こえるが、これは一体何を意味しているのか?全体としてどうも、「任期四年間での実現が確実に請け負えることがマニフェストだ」と言っているらしいが、もしそうであれば、お粗末、もっと言えば間違っていると言わざるをえないだろう。というのはこのような規準で発想すると、確実に出来ることを考えれば簡単に出来ることしか浮かばないだろうし、4年間を考えれば目先のことしか思いつかず、「請け負う」ことを考えれば国民に協力を呼びかけることなど思いもつかないだろうからである。そしてその結果、理念も目標もない、統一を欠いた「あれもやります、これもやります」といった細かな請負仕事の羅列、メリハリのない無味乾燥な文の羅列からなるつまらないマニフェストが出来上がってしまうのだ。これは、行政、官僚・事務やあるいは政治屋の発想、仕事であって、政治家のそれではないのである。
マニフェストは、こんな「出来るか、出来ないか」かというような狭い発想、規準で作られるべきものではなく、「いま政治がやるべきこと、日本(国民)のために必要なことは何か」ということを基準に策定されるべきことであるだろう。ここでもし、「できそうにない(簡単ではない)」と思われるものが出てくれば、それを取り下げるのではなく、「どうすればできるのか」ということを明らかにし、自らその解決のために行動することを宣言すると同時に、必要な支援を国民に呼びかけていけばよいだろう。「必要なこと」は、それが簡単か難しそうかに関わりなく、どこまでもその実現が追求されなければならないものである。
今の日本の問題点は、政治が全く機能していないことにある。これは、一人一人の政治家の政治姿勢、能力の問題ではあるが、同時にシステムの問題でもある。こういう問題が生じない政治システムを作ることが求められている。
_ 密室で何人かの実力者だけで、あるいは国会議員だけで、国の最高指導者=首相が決められ、国民の意思が全く反映されないという問題。
_ もともと、政治の問題点を正す「黄門さま」であるべき参院が、衆院の二番煎じ、政争の具にまで堕落して、かえって政治を混乱させているという問題。
_ そしていまや日本のすべての問題の解決の障害になっているのが憲法である。政治・行政、経済、教育、日本の国家主権の防衛…、これらの改革のためには、憲法改正が必要である。日本は65年間も憲法の手直し、改善を怠ってきた結果、いまや憲法は日本の発展を阻害するもの、日本の足を引っ張るものになってしまっている。
これらは「やらねばならないこと」であり、「簡単だからするが、難しければやらない」といった種類の問題ではないのである。
この現状を変える新たなシステムの一つの案が、維新マニフェストである。維新案が今後どうなるかは別として、とにかく現状改革のための案が出されたことの意味は大きい。いままで、ここまで踏み込んで日本の改革に向けての強い意志を表明した政党はなかったのである。自民党は、「出来もしないことを言っている」と批判して済ませるのではなく、自らの改革案を出して、どちらが妥当であるかの判断を国民に仰ぐべきだ。
次に、はっきりさせておくべきことは、マニフェストは「国民との公の約束(契約)」ではあるが、単に「政権が国民に与えるもの」、単なる「請け負い仕事」ではないということである。ある県民が新幹線を望めば「ヨッシャヨッシャ」と言い、空港を望めば「ヨッシャヨッシャ」と請け負う。こんなことをやっていると、政治は「与える側」、国民は「与えられる側」といういびつな関係となってしまい、これが政治の堕落、金権政治の温床になってきたのである。
政治はこのように一方的なものではなく、政治と国民との間の双方向の交通、相互協力がなければならないだろう。国民のほうも、それなりの役割を果たすことを臨んでいるはずであり、マニフェストはそこまで含めて、国民に何が出来るか、国民に何をしてほしいのかをわかりやすく知らせるものであるべきなのだ。これは、国民が積極的に政治に協力するという責務を果たすスタイルであり、これが本来のあるべきそれである。そして、維新はこのあるべきスタイルで、政治を行おうとしているのであり、他方残念ながら自民党は、古いスタイル、つまり「請負仕事」の発想から抜け出せないでいるらしい。
このようなわけで、マニフェストには少なくとも次のような内容がふくまれていなければならないだろう。
一つは、国家理念、目標、国民がどの方向に進むべきかが明確に示されていること、これは中長期のものであるので、「実現の可能性」を持ち、「実現のプロセス」が見えるものである必要がある。これによって、国民は国の将来像を知り、何をすべきかを知り、実現に向けて団結することも出来るだろう。
二つ目は、任期期間中に、達成する事項の提示。これは約束であるので、出来なければ嘘をついたことになる。だから本当に出来ることを誤解のないように述べるべきである。しかし、これは任期中に完結できることだけに限る必要はない。任期中には完結できない目標であっても、任期中にどこまでやるかがわかればよいのである。そこでたとえば、もし維新が「首相公選制を一年以内に実現します」と言っているのであれば、これは物理的時間不足であるので「できないことを言っている」と言えるだろうが、そんなことを言っているわけではないだろう。
三つ目は、国民に何をしてほしいかを明確にすること。これは、必ずしも書き物でなくても、暗黙の要請、了解でよいだろう。維新が国民に要請しているのは、「日本(大阪)がいかに危機的状況にあるのかをよく見てください。既成政党が何をしてきたか、そして今何をしているか、これから何をしようとしているかをよく見てください。維新が何をしているか、何をしようとしているかをよく見てください。」ということであるだろう。これに対して、自民党は一体何を国民に要請しているのか? せいぜいのところ「民主党がいかにでたらめであるかをよく見てください」ということぐらいなものである。日本の現状に全く危機感がないのだから、「日本がいかに危機的状況にあるのかをよく見てください。」と言えるはずはないし、民主党の批判以外は何もやっていないし、また何をやればよいのかも全くわかっていないのだから「自民党が何をしているか、何をしようとしているかをよく見てください。」とも言えないだろう。ここには、国民へのアプローチの広さ、深さ、迫力の点において、雲泥の差が見られるのである。
自民党のお二方は、維新のマニフェストは、「出来ることと出来ないこととがごちゃ混ぜになっている」と言って批判をしているのであるが、実は自分たちの頭が整理されておらず、ごちゃ混ぜになっているだけではないのか?!。実際、石原都知事のように、「国家観もあって、全体として良い」と評価する人、渡辺氏のように「みんなの党と方向は一緒だ」と言っている人もいるのである(私も「維新」と「みんな」は考え方が近いと思う)。問題は、国民がどう受け止めるかであるが、ここで、本当の「政治センス」が維新にあるか、それとも自民党か、それとも…であるかが問われることになるのである。

[4]_<国民が承認すれば憲法改正はできる!憲法は改正しなければならない!!>
「憲法改正は難しいので、遠い未来の話しでしかない」 こんな考えにとらわれているから自民党には実行力がないと言われ、国民から見限られるのである。憲法を変えることは、国民がそれを指示すればすぐにでも出来ることである。だから、いま必要なことは、維新のように、「早急な改正の必要性」を国民に呼びかけることであり、改正に向けての行動を起こすことである。憲法改正では、自民党が本家であるはずだから、また、これまでいろいろ取り組んできたノウハウもあるわけだから、自民党は直ちに憲法改正論議を加速させ、改正の行動に立ち上がるべきだ。憲法を変えないと何も出来ないことは、もはや疑いの余地がない。日本の改革は憲法改正に集約されるのではあるが、それ以前に、憲法改正から改革が始まるわけでもある。
そもそも、いまでは憲法そのものが国民の主権を侵害している。というのは、国民は憲法を改正する権利を有することになっているのに、現状では憲法改正のための法整備が出来ておらず、それゆえその権利が与えられていないからである。国民の権利を保証するための憲法が、逆に国民の権利を阻害しているという民主主義国にあるまじき事態が起きているのであって、それゆえこの異常事態は直ちに解消されなければならない。
これは国会の怠慢であるのだが、もっと言えば、旧社会党そして共産党に連なる人たちの妨害によって生じている権利侵害である。彼らは、アメリカを最大の敵として攻撃してきたし、今もそうであるのだが、そのアメリカが実体であったGHQが主導して作った現在の憲法を「犯すべからざる神聖な憲法」として崇め奉っているのであるから、笑い話にもならぬほどの論理矛盾、自己矛盾である。こんな人たちによって国民の権利が侵害されてはたまったものではない。
理由はともあれ、これまでの政治、国会は憲法改定に向けての環境を整えることを怠ってきた。これを既成政党、国会がしないのなら、維新がしようというのであるからこれは極めてまっとうな考えであり、国民にとっては歓迎すべきことである。いずれにせよ、国民と各党、国会は、直ちにこの異常事態の解消に乗り出す必要がある。改正の内容は、別途議論すればよいことであり、国民は、まずはそのためのたたき台を見る権利を有するのである。
この件に関連する記事を以下に引用しておくので参照願いたい。
_ 14日付け、産経「正論」よりの抜粋 _
 ≪国民の意思表示は主権の行使≫
 憲法改正の是非を最終的に判断するのが、ほかならぬ主権を有する国民であることは、言を待たない。国民が憲法改正論議に参加して、自らの意思を表示することは国民主権の原理を直接的に行使する最大の機会だといっていい。
 しかしながら、日本国憲法が施行されてから間もなく65年目を迎えようというのに、その間、憲法に関する国民の意思は一度も問われることがなかった。国会で審議されたことさえない。まさに不磨の大典と化している日本のありさまは、各国の状況に照らせば、一層、異様である。各国憲法をみるに、60年以上にわたって無改正という憲法は、ほぼ皆無である。
連合国総司令部の原案を基にして作成されたという日本国憲法のいびつな成立事情、憲法が施行されてから今日に至るまでに生じてきた憲法規定と現実との間の乖離が甚だしくなっている現状、「国のかたち」としての憲法像の再構築など、憲法をめぐって論じられるべき課題は、山積している。
これらの諸課題を整理して、具体的な形で憲法改正の判断の機会を国民に提供できるのは、国会だけであり、このことは、国民の負託に応えなければならない国会議員の責務というべきであろう。一刻も早く、憲法改正原案が憲法審査会に提起されることを望む。」(駒沢大学名誉教授・西修 にし おさむ)

自民党 原子力政策「今後十年で結論」のとんでも! 遅くとも今年9月の総裁選には結論を!!

2012-02-18 08:13:01 | 政治
16日の読売の電子版は次のように報じている(他社も概ね同じ)。
【自民、原子力政策先送り「向こう10年で結論」】
 自民党総合エネルギー政策特命委員会は15日、新たなエネルギー政策の中間報告を決定した。
 原子力政策のあり方について「向こう10年で結論を出す」とし、意見集約を先送りした。特命委は福島第一原子力発電所の事故を受け、昨年7月から「脱原発」の是非を議論してきたが、原発推進派と脱原発派の対立を解消できなかった。
 委員長の山本一太参院議員は記者会見で「再生可能エネルギーや、原発開発技術の動向などを見極める必要がある。先送りではない」と語ったが、エネルギー政策への姿勢が定まらない党の現状を露呈した格好だ。
特命委は、政府が新たなエネルギー基本計画をまとめる今夏をめどに最終報告をまとめる。
自民党内では、政府が1月に提出した原子力規制関連法案を巡っても足並みの乱れが生じている。新設する原子力規制庁を国家行政組織法上の「3条委員会」にするなど、政府案以上の独立性を求める声と、原発への過度の規制を懸念する声が混在しており、意見集約は難航が予想される。」

なぜ、こんな腰の引けた、わけのわからない話になるのだろうか。これでは、「ここ十年は様子見を決め込み、何もしません」と言っているに等しい。多くの人は、これがこれまで原発を推進してきた政党の言葉であることが、にわかには信じられないのではなかろうか。この報告の中には国民への謝罪も盛り込まれているらしいが、今回の重大事故を受けての方針表明ガこれでは、国民と世界を愚弄するものと言わざるを得ないだろう。これまで、原発を推進してきたのだから、そのノウハウの蓄積もあるはずなのに、なんらの突っ込みも感じられない。長く原子力を推進してきた党としての自負、意地はどうなっているのか!言葉だけの謝罪をしてもらっても、これからどうするのかを、明確にしてもらわないとなんにもならない。
この内容に関しては、少なくとも次のような疑問がわくが、自民党はこれらにどう答えるのか。
_ 原発の休転で逼迫する電力需要をどう乗り切るのか
_ 原子力がふらついては、日本のエネルギー政策が定まらない。そうすると、石炭、石油、ガスの確保、再生エネルギー開発、推進など、すべての政策、戦略が宙ぶらりんになってしまうが、それをどうするのか。
_ こんなふらついたことでは原子力の技術開発、輸出で、競合国に完全に遅れをとることになるがそれは数少なくなった日本の競争力のある分野の一つをまた失い、日本を更に衰退させることに他ならない。
原子力抜きで、地球温暖化防止のためのCO2削減にどう取り組むのか。日本は引き続き、先進国として世界を主導する責務を負っていることを忘れているのではないか。

おそらく、どの一つについてもまともな答えがないのではないか。しかし、これらはいずれも焦眉の課題であり、すべてについて十分な答えが用意されていなければならない。十年一日がごとき緩慢さで、答えを出していこうなどという怠惰な姿勢が許されるはずがない。こんな調子であれば、十年後には日本は沈没しているかもしれないのである。「十年後」ではなく、「直ちに」どうするかが明確にされる必要がある。
「国民的議論を喚起して結論を出す」(毎日16日)ということらしいが、国民が議論するのは当然としても、そのためにはしっかりした自民党の考えを国民に示す必要がある。議論の材料を容易することも、その方向も、判断も、すべて国民に丸投げするような姿勢で、責任政党と言えるのか。
「再生可能エネルギーや、原発開発技術の動向などを見極める必要がある」は全く意味不明である。再生可能エネルギーは、なにも今急に始まったことではなく、何十年も前から世界中で、そして日本でやっていることである。原発の新技術開発はメーカーで着実に行われており、現在では安全能力を飛躍的に向上させた第三世代の新型炉が普及中である。「動向を見極める」と言っても、現状をよく知れば済むことであり、いまさら見極める特別なものがあるわけではない。結局「動向を見極める」とは、政策を決めることが出来ないから、各国の後ろを付いて行きたいということでしかないのではないか。「原子力先進国」、「技術大国」と世界中に胸を張っていた姿はどうなった?!こんな、腰の引けた姿勢では、激変している世界に完全に取り残され、日本は本当に沈没してしまう。自民党は、もっと明確にそして直ちに、堂々と「原発の存続と安全対策の強化、そして長期目標としての脱原発依存」を国民、そして世界に示すべきである。これは「再生エネルギー開発、促進」と相容れないものではないので、こちらの方も重要な柱となるだろう。なぜなら、地球温暖化防止、そしてエネルギー安保の観点からすれば、当面のめざすべき目標はむしろ「脱石化燃料」ということになるだろうからである。

上記の疑問、課題に応えるためには、好むと好まざるとに関わらず、当面は原子力に依存せざるを得ないことは明らかであるだろう。ここでは、詳しいことに踏み込めないが、原発に否定的な人たちの主張に含まれている「幻想」、ないしは「虚飾」をいくつか指摘しておきたい。
その1_ 風力、地熱、太陽光などは一般にクリーンエネルギーとみなされているが、環境への負荷は小さくない。原子力が賄っている電力量をこれらで賄うためには、陸地にしても海にしても桁違いに広い用地を要するので、日本の自然環境、景観を一変させるような工事になるだろう。生態系への影響は避けることが出来ないはずである。地熱はしばらくすると熱水の水脈が切れるので、土地の陥没や地下水系の変化をもたらすことになるだろう。あちこちに井戸が掘られ、熱水を輸送する配管が、山中を長く広く引き回されることになる。
その2_ よく知られているように、現在の技術では、再生可能エネルギーで原子力分を補うとすれば、相当な費用が必要になる。巨額の補助金を注ぎ込んで再生エネルギー先進国となったドイツですら、その比率を50%までにするには、まだ20-40年は必要なのである。本当に再生可能エネルギーで必要分を賄うとすれば、膨大な金を注ぎ込まなければならない。財政が逼迫して、いつギリシャのようになるかもしれない日本にそこまでの金はないだろう。
その3_ 日本の技術力を駆使して「再生・クリーンエネルギーの開発・推進」を行えば、経済の活性化になると同時に、輸出で国を潤すことが出来るとのバラ色の話しがあるが、国内経済の活性化はともかく、輸出については言われているほどのものではないだろう。というのは、これらの技術はもともと高付加価値のものでないから、やろうとすればどの国でも比較的容易に取り組むことが出来るからである。確かに、「高品質」、「高効率」は謳い文句ではあるが、再生エネルギー分野では、これらは結局、コストの問題にしか結び付かないから、人件費、原材料、土地などを安価に供給できる発展途上国との競争に勝ち抜くことは容易ではないのである。
その4_ 福島の事故後、国内外の原子力をめぐる情勢は大きく変わったようにみえるが、よくみてみると、その基本的動向はほとんど変わっていないことがわかる。変わったのは、ドイツ、イタリアなどの一部の国のみである。アメリカはつい先ごろ、34年ぶりに2基の原発の建設の許可を出した。アメリカではまだ多くの原発計画がある。フランスでは大統領選がらみで議論はされているものの、それゆえ選挙結果によって多少の変動はあるかもしれないが、原発依存を変えることなど出来るはずもない。ロシア、中国、韓国、インド…など多くの国において、原発を推進する方向には何の変化もない。ふらふらしているのは日本だけである。
その5_ <今回の福島原発事故は人災である。「原子力が制御不可能」なのではなく、政治が「科学・技術行政を制御できていない」ということではないか。>
菅前首相は福島の原発事故を受けて、「原子力技術は人間が律することが出来ない」という主旨の‘とんでも’発言をした。何を根拠にこんなことが言えるのだろうか。人間は巨大ジャンボ機、宇宙船、原子力艦船、超高速鉄道などなど、いかに難しそうに見えるものでも、安全な技術にまで高めてきているではないか。これは、菅前首相の科学・技術に対する無理解、個人的な不信、恐怖心の表明でしかないだろう。科学・技術でやっていこうという国の首相の発言としては、あまりにも情けない、お粗末な発言である。菅前首相は、「俺は原子力に詳しい」と豪語してみたり、何年もかけてようやくこぎつけたベトナムへの原子力輸出契約がまとまると、あたかも自分の成果であるかのごとく胸を張ったりしていたのだから、落差は大きい。原発の安全は、「安全優先」への真摯な科学・技術的アプローチによって、初めて実現されるものであるのに、彼はこの科学・技術の基本を理解することなく、原子力技術を内閣支持率の浮揚の具にまで貶めたのである。要は、このようないい加減な政治こそが安全を壊すし、このような政治のもとでは、科学・技術立国というようなことは、夢のまた夢でしかないということである。
厳しい言い方にはなるが、今回の原発事故は天災ではなく、また原子力技術そのものの難しさによるものでもなく、いわば人災であったと言わざるを得ないものだろう。というのは、原子炉とは直接的な関係がない二次冷却水系統(海水冷却系)の電源喪失という、百年も前から存在する従来型の機器、システムの計画に不備があったということが直接的な原因であったからである。それは、海水系機器の防潮対策、外部電源の供給システムの多重化、非常用電源の多重化といった古典的技術での対策で対応できたものである。地震予測、津波予測でも予測できていたことが、対策に反映されていなかったという問題もある。これらは技術の問題というより、当該政府機関、東電、研究機関の安全に対する取り組み意識の問題、安全基準の問題であり、いわば行政の問題である。「原子力は律することの出来ない技術」なのではなく、「律する組織、人」を「律していなかった」ということであるだろう。もし、「千年に一度の地震?(マグニチュード9程度の地震はここ百年でも5回程度は起きている)」、「予想をはるかに超えた事態」などというわけのわからないものを今回の事故の原因としてしまえば、確かに「原子力は律することが出来ない」と言うことになってしまうが、これは事故の原因をうやむやにし、批判をかわすための問題摩り替えでしかない。こんなすべてを曖昧と混沌の中に葬ろうとする姿勢こそが、安全を損ない、事故を招くのではないか。
いま日本に必要なことは、このような人災を二度と発生させぬように、原発先進国、国際機関と連携しつつ、徹底的な原因解明と、安全基準の見直し、行政システムを安全が確保されるように改革し、安全な原発の確立に向けて、世界を主導することであるだろう。こういう点では、フランスのサルコジ大統領はさすがと言わざるを得ない。彼は事故が発生するやいなや日本に飛んできて、支援を約束すると同時に、今後のより安全な原子力活用に向けての連帯を訴えたのであり、これこそが科学・技術立国を標榜する国の指導者、世界に貢献する国の指導者のあり方であるだろう。
その6_ なお、今回の事故原因とは直接の関係はないが、福島の事故炉は、古い第一世代の炉であって、それがために事故の拡大を食い止められなかった側面があった。しかし、現在の第三世代の炉では安全性が飛躍的に向上しているのであって、このことはしっかり確認されるべきことだろう。
その7_ これから発展途上国にどんどんエネルギーが必要となり、それを賄うには原子力が主たるものにならざるを得ない。そこでは、高度な技術協力の必要性と、大きなビジネスチャンスが生れるのであるが、日本のようにふらふらして技術に確信を持てない国、やるのかやらぬのかわからぬ政策をとっている国に、技術協力を依頼したり、原発を発注する国はないだろう。危なっかしくて、そのような気になれないのは当然のことである。結局、国際協力の面でも経済の面でも、日本は今のままではどんどん新興国にその地位を奪われることになるのである。

さて、今回の自民党の対応に戻って考えてみるに、自民党はもっと、技術的観点、戦略的観点を入れて党内議論を尽くし、責任政党として、しっかりした根拠に基づいた政策を打ち出すべきである。国会では野田内閣を批判、追及して、「内閣不信任、総選挙、政権奪還」を盛んに唱えているが、原子力政策のように自民党としては比較的決めやすい問題においても党内議論が分裂し、なんの結論も出せないのでは、とても政権に復帰など出来ないし、またもしできたとしても、何も出来ず、何にもならないだろう。政権に復帰しようとするのであれば、少なくとも総裁選が行われる今年9月に向けて、侃々諤々の党内議論を行い、新総裁が決まった時点では、確固とした政策が決まっているようにすべきである。自民党内の良識派、改革派の奮起に期待したい。

北方領土の交渉戦略の再構築と、それを後押しする国民の団結を!言うべきことを言える国に!!

2012-02-12 18:00:40 | 政治
またまた外交・安保の問題を取り上げるが、この分野では、民主党のこの二年半の滅茶苦茶な外交によって目も当てられないほどの惨状を呈しており、そのため次から次へと緊急事態が続いているので、どうにも止むを得ないことである。当分は、外交・安保中心の議論にならざるを得ないだろう。しかしながら、この議論は意外な側面も持っている。いま、国内問題としては、消費税、TPP、財政再建、国会議員定数是正、年金、景気浮揚策、そしてもちろん震災対応、原子力政策などが焦眉の課題になっているが、外交・安保の戦略を考えていくと、国内問題がどういう方向で解決されるべきかは自ずと決まってくるのである。つまり、国内問題といえども、国際情勢、外交・安保問題を切り離しては論じられないということなのである。
 さて、今年の2月7日の北方領土の日はなんとか形がついた日だった。というのも、鳩山、菅と続いた、思いつきだけの反日的なデタラメ外交で、メドベージェフ大統領の北方領土視察を許し、ロシアによる実効支配を強めさせ、領土返還の実現を著しく遠のかせたのではあるが、野田政権になって、ようやく体勢を立て直す気配が見えたような気がするからである。報道によれば、「北方領土の日」の7日、「北方領土返還要求全国大会」が都内で開かれ、野田佳彦首相は挨拶で「北方四島の帰属の問題を最終的に解決して平和条約を締結するとの基本方針に従い、強い意志でロシアとの交渉を粘り強く進めていく」との決意を表明した。首相はまた、来賓の大島理森自民党副総裁に、「全ての政党と連立を組むつもりで、超党派で問題解決に全力を尽くす」と協力を求めた。 野田首相は大会開始から終了までの90分間参加し、領土問題に取り組む意欲を示した。同席した新党大地・真民主代表の鈴木宗男元衆院議員は挨拶で「歴代首相は挨拶をしたらすぐ帰った。野田首相は(挨拶した後も)座っている」と首相の姿勢を評価した。確かに、ここ数代の首相は、形ばかりの出席であったので、これは喜ばしいことではある。そこで、このブログで何が言いたいかと言えば、まずは、この二年半の間で失ったものはあまりにも大きく、我々は二度とこのような愚行を繰り返さぬことを決意する必要があるということ。そしてこの二年半の間で明らかになったことは、これまでの日本の北方領土返還交渉戦略は、内外の情勢の激変に伴い、その少なからぬ部分が破綻してしまったということである。このままでは、北方領土の返還は望むべくもなく、それゆえ、この機会を契機として、取り組みの抜本的見直し、取り組み体制の再構築が必要になるということである。

[1]_<またしても敗北の「日露外相会談! 政治の取り繕いのためだけのの無意味かつ不利益な会談はもうするな!>

先月28日の日ロ外相会談は、政治関係者そしてマスコミにも概ね好意的に受け止められているように見える。「最大の懸案である北方領土問題に関しては、棚上げせず、両国間のこれまでの文書や「法と正義」の原則に基づいて議論を進めていくことで一致したという。」(1月29日読売)。もし、この会談で、一連のロシアからの日本の主権侵害に対する日本の断固たる抗議が行われていたなら、そして「静かな議論」を今のような形で受け入れていなければ、それなりに意味がある会談になっていただろう。しかし現実はそうではなかった。
 今回の会談は、外交としては、完全敗北と言わざるを得ないだろう。そもそもなぜこのような中身のない、しかも敗北のための会談をこの時期にやる必要があったのかも疑問と言わざるを得ない。なぜなら、一連のロシアの暴挙に対して、日本はこれまでも、そしてこの会談でもなんらの公的抗議もしなかったからである。抗議を避けて、当たり障りのない言葉で友好ムードを演出したのだから、日本はロシアの一連の暴挙を許した、その正当性を認めた(認めさせられた)ことに等しいからである。
 ここ数年の日本政治の混乱と、日米同盟の弱体化の隙をついて、実質的な対日戦勝記念日の制定、メドベージェフ大統領の北方領土視察・訪問、軍事基地の建設、中国、韓国資本の呼び込みなど、数々の日本の主権侵害、実行支配の強化がなされたにも関わらず、これまで日本からロシアに向けての断固とした公式の抗議、世界に向けての公式のメッセージは発されていない。菅首相のように、暴挙がなされたときには沈黙し、直接抗議できる場(APEC)でも抗議せず、あとになって国内の集会(昨年の2月7日)で突如として「暴挙だ」と「負け犬の遠吠え」をしたり、前原政調会長のように威勢よく「不法占拠だ」と叫んでみたものの、ロシアから激しい個人攻撃、つまり分断攻撃に晒され、政府の団結した援護もない状態で急にトーンダウンしてしまった例もある。要は、日本としての毅然たる抗議は一度もなされていないのである(下記参考記事_1参照)。本来であれば、日本の激しい反発、対ロシアへの対抗措置、国際世論からの批判などによって、ロシアはそれなりの高い代償を支払わざるを得ない立場であったし、また、それを覚悟していたはずでもあったろう。一連の不法行為を成功裏になしととげたロシアにとって最後の仕上げは、この問題でくすぶる火を消し、何もなかったことにすることであった。そこでロシアは、静かな環境がないと、領土交渉は継続できないという牽制、脅しをかけ、「静かな環境」をキーワードにして、日本の怒りの沈静化を試みたのである。そして、「交渉の継続」というなんの中身もない言葉を持ち出すことによって、さも譲歩した装いを作ったのである。すでに取る者は十分に得ているから、あとはこの「食い逃げ」の火消しに務めたわけである。
 ところが、彼らの懸念に反して、日本は今回もなんらの怒りの表明をすることなく、「静かな環境」の仕掛けに飛びつき、ロシアは何の苦労もなく、また代償も支払うことなく日本の怒りを鎮めることに成功したのである。それどころか、日本側から将来にわたる「静かな環境」という日本の抗議の封印とも読める言葉まで得たのであり、しかも日本に喜んでもらったというおまけまでついたのである。パブロフ外相は大成果を上げて凱旋したわけである。
 片や日本側は、一昨年あれほどのデタラメをされたにも関わらず、「静かな環境」がないと、領土交渉は継続できないという脅しに簡単に屈して、「交渉の継続」の言葉を得て、安堵の胸をなで下ろしたらしい。しかし交渉は当然のことだから、成果でもなんでもない。北方領土問題の本質は「不法占拠」にあるわけだから、わが国が卑屈になって、ロシアの寛大さ、慈悲を乞うような性格のものではないにも関わらず、またしても政府、民主党は、慈悲を乞う外交を行ったのである。一体何のための会談であったのか。
 たとえば、1月29日読売社説では次のように問題点を指摘している。「ただ、ラブロフ氏は最近、北方領土問題について、「第2次大戦の結果、法的根拠に基づきロシア領となった」と述べている。歴史的事実を一方的に否定するかのような態度は問題である。ロシア側は今後、大統領選を控えて、対外的には強硬な姿勢を崩すまい。日本政府はロシアの政権交代後の外交方針を十分見極めて、対露戦略を練り直す必要がある。領土問題の打開に、腰を据えて取り組まねばならない。
ラブロフ氏は、記者会見で北方領土での「共同経済活動」に言及し、漁業、水産加工、農業など日本との合同プロジェクトを歓迎する意向を表明した。だが、ロシアの国内法に基づく経済活動を前提としている。これでは、北方領土は日本固有の領土だという、日本の立場が損なわれることになる。」
8日産経社説でも次のように指摘している。「玄葉光一郎外相は先月28日の日露外相会談で、ラブロフ露外相と「静かな議論を続ける約束」をしたと述べ、「世論が割れないことが何より重要だ」と強調した。しかし、双方が対立する問題で「静かな議論」とは「決着の先送り」にほかなるまい。北方領土の共同経済開発では、日本は主権を侵害されない条件下で認めようとしているが、ロシア側は日本に配慮すると言いつつ自国の法制を適用する構えだ。これでは、不法占拠の正当化になりかねない。」
 結局のところ、パブロフ外相は、最後の最後まで「北方領土はロシアのものである」ことをしっかり主張して帰ったのである。してみると、「交渉の継続」とは、ロシアは北方領土の主権がロシアにあることを日本に説明するために、日本と協議をすることはやぶさかではないということだから、これは成果でもなんでもなく、むしろ後退である。こんなことを確認するために、わざわざ会談を開いて、あまつさえ、これまでの暴挙を免罪してしまったのだから、完全な敗北と言うしかないだろう。これに対してある人たちは言うかもしれない。「そんなことを言っていたら、ロシアは怒って交渉のテーブルにつかず、それゆえ領土問題を解決する可能性すらなくしてしまうだろう」と。しかし、これは、正論のようにみえて実は大きな誤り、ないしは表面を取り繕う欺瞞だ。以下に述べるように、ただ交渉のテーブルにつくだけでは、そしてロシアの機嫌取りだけを進めるという交渉では、領土は永遠に、絶対に帰ってこないのである。ロシアの不当性、不法性を主張して、問題の本質がどこにあるかを明確にしていくことこそが、返還への道を開くのである。それでもし会談や、交渉が一時的に行き詰ることがあるにしても、正道に沿って断固とした態度を取っていけば、必ず道は開けるだろう。

[2]_<伝統的な慈悲を乞う外交は破綻した!! すべては占拠の「不当性」を主張することから始まる>

日本のこれまでの領土返還交渉は、武力選挙の不当性の追及を極度に抑制すると同時に、対ロ融和政策を進め、それに経済協力というテコでもって、事態の打開を計るというものであった。しかしこの路線の妥当性はすでに破綻している。というのは、この路線が友好であるのは、ロシアがかつてのソ連時代のように貧しい国であること、新生ロシアが民主的な国であること、日本に十分な財力があること、日本以外に極東地域においてロシアに協力できる技術、能力を持つ国がないことなどをその前提としているが、現在これらはいずれも成り立たなくなっている。中でも特に重要な変化は、日本の財政事情が極度に悪化し、ロシアを助けるどころか、経済活性化のためのテコをロシアに依存しようというところまで追い詰められようとしていることである。「金の切れ目は縁の切れ目」なので、もはやロシアは日本の要求に耳を貸さないばかりか、さまざまなプロジエクトをちらつかせて、日本を操ろうとしてさえいる。もう一つの変化はロシアは、ペレストロイカの時代のそれではなく、古いロシア、ソ連に回帰しようとしていることである。下記参考記事_2でも指摘されているように、「一般的にいって、「プーチノクラシー」は、ゴルバチョフ主義やエリツィン主義へのアンチテーゼである。プーチン氏の対日戦略もその意味で例外ではない。」ということである。大国主義、覇権国家に回帰しようとしているロシアが、いま狙っているのは、占領を恒久化し、正当化することだから、「静かな環境」下での「友好的話し合い」くらいのことで北方四島を返還するはずはないのである。このことについては、下記参考記事_2に、詳しくそして有益な分析がなされているのでぜひとも参照願いたい
 8日づけの産経社説は次のように指摘している。
「一部の専門家や政治家は、プーチン露首相が来月4日の大統領選で返り咲けば、問題が前進するとみる。だが、プーチン氏は北方領土が「第二次大戦の結果、ソ連・ロシア領となった」と断言し、その意を受けたメドベージェフ大統領らは北方領土の恒久支配化を進めてきた。大統領復帰後に対日譲歩が得られる根拠は何もない。甘い幻想の下に問題を先送りする融和的外交では、同じ過ちを繰り返すだけだ。」

[3]_<戦略の転換が必要! 我々は「スターリン主義」の犠牲者なのだ! ロシアそして世界に「不法」と言えてこそ、可能性も開ける>

それでは、今後どうしていけばよいのか。この問いに十分な答はないが、必要条件はある。少なくとも次のことだけは言える。これまでのやり方に決定的に欠けていたものは、正論、筋論を中心に据えた外交を展開するということであった。これなしに、いくら融和政策を続けても、なんの効果もない。今までのやり方は、十分でないのみならず、必要条件すら満たしておらず、ただ日本の経済力があったという状況頼みのものでしかなかった。ましてその頼みの綱の日本の経済力が弱体化した今では、占拠の「不法性」を主張していくことは、絶対に必要な条件となるのである。
 次のことを考えてみよう。ロシアの占拠が「不法」と言われないのであれば、ロシアには、北方四島を日本に返す理由がないことになってしまう。いくら、日本がロシアに友好的な国になる努力をして、たとえそれに成功したとしても、理由もなく自国の領土を日本に返すはずがないだろう。またたとえ誰であれ、そんなことをする大統領をロシア国民は許さないだろう。現在の占拠が「不法」であることをロシア国民、世界が、そして何よりも日本国民が理解していてこそ、返還の可能性が開けるのである。
 これまでの日本政府の言い分は、「占拠が「不法」であることは言わずとも、お互いによく理解していることである。そんなことを言って、友好ムードを壊せば、領土交渉は台無しになって、帰るものも帰らなくなる」と言うものであったろう。しかし、これは全く事実に合っていないことがすでに証明されている。ロシア政府の要人は、北方領土の占領は「合法」であり「当然のことだ、不法などとはとんでもない」と言っている。もし占拠が不法だと思っているとすれば、メドベージェフ大統領が、北方領土視察など出来るはずがないのである。彼らは「不法」であることを覆い隠し、それを「合法」なものに摩り替え、その「事実化」をねらっている。この不当な行為は公に堂々とやられているわけだから、もしこれに日本が反論しないとすれば、第三者的、客観的には、日本は抗議する根拠、領土奪還の意志を持たないということになってしまう。下手をするとこの占拠は「合法」であり、不当な主張をしているのは日本だということにすらなりかねないのである。ロシア国民、世界がそう思うだけでなく、そのうちに、日本国民ですらそう思う人間が出てくるだろう

 この「不法」を「合法」に書き換えるプロセスがどんどん進行している。言うべきことを言わなかったツケが今ごろ噴出してきているのである。しかし、今からでも遅くはない。日本国民が団結して、ロシアによる北方四島占拠は「不法・不当」であることを、そして日本は「スターリン主義の犠牲者」であって、我々は「スターリン主義の残滓」の一掃を求めていることを、ロシア政府、ロシア国民、世界に知らしめなければならない。この最も基本的で重要な行動を抜きにして、領土返還交渉など成り立つはずもないのである。
 以下、産経社説の引用_「日本にいま必要なのは、法と正義の下に四島返還の主張を国民と政府が団結して貫いていくことである。そのためには首相自ら「北方領土問題の解決こそ地域の安定と発展につながる」と世界に根気強く発信していくことだ。今年はアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議が初めてロシアのウラジオストクで開かれる。5月には主要国首脳会議(G8)もある。 北方領土問題を世界に訴える好機だ。国を挙げて生かしたい。」
 言うまでもないことではあるが、だからと言って、ロシアと良好な関係を築くことが重要でないということではない。これは引き続き重要である。こういう関係は、領土返還を促進するだろう。これは結構なことではあるが、ただ次のことはしっかり押さえられなければならない。
 それは、北方四島の占拠が不法であることは、最優先で主張されるべきことであり、これは絶対的な前提なのである。つまりこの前提は、経済協力などよりもはるかに重要な要素であるということである。もし、良好な関係が、あるいは経済協力がなければ奪われた領土は帰ってこないというのであれば、貧しい国、権利の主張を行って対立を厭わない国は永久に奪われた領土を回復できないことになるが、これは歴史的事実に反する。その例は身近にもあふれている。それゆえ、正論、筋論をおろそかにして、友好だけを先行させてロシアに擦り寄るというような行動は取るべきでないということである。日本からすれば、「これだけ経済面で協力したのだから、そろそろ、こちらの願いである北方領土を返して欲しい」ということだろうが、これはとんでもない的外れな認識に立った考えである。と言うのは、これをロシア側から見れば、「日本は、北方領土などに関心を向けることも出来ないほど、困窮してプロジエクトを求めた。ロシアは、それに答えてプロジェクトを与えたのだから、それでギブ・アンド・テイクは完結している。日本は、このロシアの配慮に感謝すべきである」ということにしかならない。原則をおろそかにしたままでの経済協力は、「北方領土を返さなくてもよいから、その代わりにプロジェクトをくれ」と要求している」と映ることになる。現に下記参考記事_3にはそのような見方が紹介されている。つまり、筋論を欠いたままで経済協力を言えば言うほど、領土返還は遠のくというのが、現在の日本が置かれている状況なのである。約20年前から、世界は激変しているのであり、この変化に対応した戦略は、何はさておき、基本に返ることなのである。
 もう一つ重要なことは、それはなんといっても、日米同盟の再構築、強化をはかることである。このロシアの暴挙を許したのも、鳩山政権が日米同盟をガタガタにしたからであり、菅政権が、日本の国家機構を統治できていないこと、それゆえ日米同盟の修復が出来ないことを見透かされてのことだったわけだからである。日米関係の問題は、重要すぎるゆえに、別途、これから取り上げていくつもりである。

[4]_<日本は再生しなければならない、古いものの一掃を!!>

現在の状況を踏まえた団結が求められているにも関わらず、国内では、相も変わらず40年ぐらい前の意識で政治をやっている人たちがいる。こういう人たちには、一日も早く退場願わなければならない。その一つが次のような‘とんでも’問題である。8日付けの産経によれば「民主党は7日、計11人いる党最高顧問・副代表に特定分野の政策を担当させる方針を固めた。最高顧問の鳩山由紀夫元首相は外交、菅直人前首相は新エネルギー政策を担当し、幹事長室に提言する。輿石東幹事長が発案し、両氏も了承した。ただ、首相時代に鳩山氏は普天間飛行場移設問題で、菅氏は東京電力福島第1原子力発電所事故に絡むエネルギー問題で迷走した経緯があるだけに「ミスキャスト」との声も出そうだ。」とある。鳩山氏は、日本の外交・安保の基軸である日米安保を、普天間問題でガタガタに壊し、のみならずロシアや中国、韓国に擦り寄って、これらの国からの対日主権侵害を加速させた人物である。また、菅氏は、これらの国にからむ日本の主権侵害になんらの友好な手立てを打てなかったばかりか、国内法を曲げて、中国の不当行為を許容し、韓国には、一方的に彼らの要求する資料を返還し、理由もなく韓国に謝罪したりして、日本の国益を著しく損ねた人物である。あまつさえ、原発事故に適切に対処できず、日本の原子力技術の国際的地位の低下に邁進した人物である。この二人が、「史上最低の首相」、「史上最悪の首相」と呼ばれるのも当然のことである。こういう国益を損なう政策しかできない人たちを、政策顧問にするとは!!、開いた口がふさがらない。一体全体、輿石氏、民主党、野田首相は何を考えているのか。そもそも、輿石人事は、一川、山岡、田中人事で、その政治音痴ぶりが証明されているのに、これをまた繰り返すのか。輿石人事は、単に「親分・子分、兄弟関係」しか考慮しない人事であって、政治、政策、外交・安保などには全く無縁のものである。この「御三方」には、そしてもちろん「天下・国家のため」と唱えながら、個人的趣味で政局ゲーム、マネーゲームに熱中している小沢氏にも、一日も早く政治から退去してもらいたい。この四人は、毛沢東時代に、中国を私物化した「四人組」にも匹敵する日本をダメにする民主党の「四人組」なのである。
次に、日本人は、古い意識、古い呪縛から解放される必要があることである。それは、戦争への贖罪意識である。戦後からここに至る約60年もの間、我々は我々なりに努力した。さまざまな毀誉褒貶を伴いつつ、中国、韓国は言うに及ばず、アジアの国々、そして世界に、資金と技術、人材の支援をしてきた。国連にも、少なくとも資金面ではアメリカに次ぐ貢献をしてきた。ところがこうしたことが一つの要因にもなって、日本の力は国が成り立たなくなる手前まで衰退してしまった。もう贖罪は済んだのであり、我々はこの意識から解放されてしかるべきだろう。
 日本は、これからも国際貢献はするにしても、これまで封印していた自分たちの身を守るということを、どの国もがやっている当然のことをしてもよい時期だろう。それは、国民が、日本の利益を守るために団結することである。そして、戦後一貫して続いた、自虐的な反日の学校教育をやめることである。国民は、正しい歴史、国家観を取り戻す権利がある。ゆがんだ、自己被虐的な日教組の教育を捨て去り、真に主体的で、民主主義国の一員として国際社会に貢献できる理念を育てる新たな教育を作ろう。国民全体が、新たな日本の再生に向けて一致団結する必要がある。領土問題は、北方領土だけではなく、竹島、尖閣、ガス田、日本海呼称などの問題もある。これらを十把一からげに論じることは出来ないが、いずれにしても、国を挙げて取り組むべき課題であることは確かである。こうした国民の団結が、北方領土問題の解決にも力を与えるだろう。以下の日を、名実ともに国を挙げて、領土主権を守るための決起日としようではないか。

竹島の日 2月22日
尖閣諸島(開拓)の日 1月14日
そして、北方領土の日 2月7日

参考記事_1
<民主党は、思いつき外交、及び腰外交をやめ、国の利益に沿った戦略的外交を展開せよ>

_1月27日 産経 電子版_
【民主党政権「不法占拠」封印の及び腰】
ロシアのラブロフ外相が28日に来日し、玄葉光一郎外相と会談する。北方領土問題も話し合われるが進展は望めそうもない。民主党政権の歴代外相は北方領土について「不法占拠」という表現を避けるなど配慮を重ねてきた。だが、融和政策は何の効果も生まず、かえってロシア側からくみしやすしと足元を見られる始末だ。
 外務省のホームページは「ロシアによる不法占拠が続いている」と明記しており、不法占拠は日本政府の公式見解だ。ところが、民主党政権はなぜかこの言葉を使いたがらない。
 「(ロシアによる)北方四島の占拠は国際法上、根拠のないものだ」
 玄葉氏は25日の記者会見でこう語ったが、「不法占拠」とはやはり言わなかった。しかも、理由を尋ねられると「言葉の違いで法的な立場が変わるわけではない。どのような表現を使うかはその時々の政策判断だ」と言葉を濁した。
 「(ロシアと)見解が異なるのはやむを得ない」
 平成21年10月には当時外相の岡田克也副総理が北方領土問題についてこう述べた。
 前原誠司政調会長の場合は、沖縄・北方担当相当時の21年10月に「終戦のどさくさに紛れて(旧ソ連が)不法占拠した」と断言したものの、22年9月に外相に就任すると「不法占拠」という表現を封印した。メドベージェフ大統領が露首脳として初めて北方領土の国後島を訪問したのはその2カ月後だ。

<もっとも、これは民主党だけの問題ではないだろう。自民党時代の首相や、外相にも腰が引けた人たちがいたことも事実である。自民党は、政権復帰を言うなら、しっかりとした外交戦略を立て、そしてディベート能力を高めて欲しい。現在の党首討論のような有様では、プーチンなどとの外交交渉など望むべくもないだろう>

参考記事_2 <甘い幻想捨てるべき>
_産経 2月7日「正論」_
【北海道大学名誉教授・木村汎 プーチン氏の水も辛い北方領土】
 3月4日のロシア大統領選でプーチン現首相の当選はほぼ確実だという予測には、私も与(くみ)する。同意できないのは、プーチン氏の大統領復帰に伴って、懸案の北方領土問題を解決するチャンスが到来するという安易な臆測である。2島ぽっきり返還でこの論争にケリをつけることのみを狙うクレムリン戦略に、結局、乗じられてしまう危険性大だからである。
 ≪多元方程式の5変数の1つ≫
 日露間の領土交渉は多元方程式の解を求める作業であり、少なくとも5つの変数が絡んでいる。ロシア指導部、ロシア世論、日露間の力関係、日本側の交渉法、国際状況である。プーチン氏の大統領への返り咲きは、そのうちの1つが変わるにすぎない。それは、確かに最重要変数であるかもしれないが、そうだとしても、以下の2点に注意する必要がある。
 第一は、大統領がメドベージェフ氏からプーチン氏へと代わることの意味を、過大評価してはならないということである。メドベージェフ大統領-プーチン首相の双頭体制下の4年間に、ロシアの対日外交を決めていたのは、本当はプーチン氏だったからだ。
 例えば、メドベージェフ大統領が一昨年11月に強行した国後島への上陸ですら、実のところ、プーチン首相の黙認なしにはあり得なかっただろう。ロシアの国家元首の誰一人としてあえてやらなかった北方領土訪問を、プーチン氏の事実上の「部下」たるメドベージェフ氏が独断で成し得たはずがない。訪問はプーチン氏の承認、いやひょっとすると、奨励すら受けて、行われたに違いない。
 ≪国後訪問も親分の差し金?≫
 そのことは、メドベージェフ大統領の国後訪問に続き相次いで北方領土入りしたロシアの要人たちが一体、誰だったかを知れば、自ずと明らかだろう。一人の例外もなく、大統領府ではなくて首相府の人間、すなわちプーチン氏直属の部下だったのである。
 第二に注意すべきは、メドベージェフ氏に比べてプーチン氏が対日政策に関してより融和的であるということを示す根拠が、どこにもないことである。
 一般的にいって、「プーチノクラシー」は、ゴルバチョフ主義やエリツィン主義へのアンチテーゼである。プーチン氏の対日戦略もその意味で例外ではない。
 旧ソ連のゴルバチョフ、新生ロシアのエリツィンの両大統領は、北方四島を日露間の領土交渉の対象地域と決め、ビザ(査証)なし交流を提唱したり、交渉の指導原則として「法と正義」に準拠することに合意したりした。それはプーチン氏の目にロシア側から日本への過大な譲歩と映る。これら2人の先輩権力者が日露関係に残した「負(?)の遺産」をなし崩し的に修正し克服していかねばならない。プーチン氏がそう決意していることは想像に難くない。
 プーチン氏はまず、ビザなし交流プログラムに数々の嫌がらせを加え、あわよくばプログラムを廃止に追い込もうともくろむ。このプログラムは、プーチン氏の考えに立てば、ロシア側には実に具合の悪い、次のような理論的前提に基づいているからである。
 北方四島は今後の交渉次第で日露いずれの領土になるか未確定の地域である。主権帰属に関し黒白が決せられていない灰色地帯であり、それゆえ、そこに出入りする日本人にパスポートの所持またはビザ取得が免除される-。
 ≪ロシアに一石三鳥の共同開発≫
 プーチン氏はビザなし交流プログラムを締め付ける一方で、日本側に対し、四島の「(日露)共同経済開発」を執拗(しつよう)に提案する。万一、日本側が提案に乗ってくれれば、ロシア側に“一石三鳥”の効果をもたらすからである。
 まず経済的利益である。日本のカネ、モノ、ヒト、科学技術が四島や周辺海域に導入され、現地経済が一気に活性化する。つまり、ロシア中央、サハリン州政府が十分やれないことを、日本が肩代わりしてくれることになる。
 次に法的利益である。共同開発の実施に伴って発生する事故、犯罪、トラブルはすべて、四島を実効支配するロシアの法律によりロシアの裁判官の手で裁かれる。そのことを通じて、ロシアによる事実上(de facto)の四島支配は、法的(de jure)な支配にまで高められる。
 そして心理的、外交的利益である。経済的利益が得られる限り文書の上でどの国に主権が属するかはさして問題ではないといった心理を、元日本人島民の間に醸成でき、さらには、日本人一般が「経済的利益に目がくらんで、ついに領土返還を諦めた」というイメージを全世界に広げられる。そこまでいければ、万々歳である。
 プーチン氏の大統領返り咲きは99%動かないかもしれない。それはしかし、次期政権が無事安泰であることを意味しない。6年の任期中には、北方領土をめぐる多元方程式の他の変数にも必ず何らかの変化が表れよう。日本側が諦めない限り領土の返還はいずれ実現する。「北方領土の日」の今日、改めてそう胸に刻みたい。(きむら ひろし)


【参考記事_3】<完全にロシアになめられている日本>
_産経1月6日 電子版_

【日々是世界 国際情勢分析】玄葉外相はメディアの攻撃に耐えている】
 先月末に東京で行われた日露外相会談では、北方領土問題をめぐる激しい応酬は見られず、「双方の努力のもと、建設的で友好的な雰囲気で行われた」(外交筋)という。会談で領土問題に割かれた時間は全体の4時間半のうち40分。ラブロフ外相は露側の強硬姿勢を示す要人の一人として知られるが、「今までの表現を強めるような発言はなく」(同)、会談後の会見でも、4島での共同経済活動について「日本の法律的な立場に損害を与えないようにさらなる努力をしたい」とまで述べた。
 こうした態度の表れは民主党政権が、露側が最も懸念を示す「不法占拠」発言を封印するなど「融和政策」とも受け止められる姿勢を取っていることが背景の一つにある。会談前に北方領土を視察した玄葉光一郎外相が現場で「あらゆる分野でロシアと協力を進める。私はロシアを重視している」と発言したことも露側は高く評価。露外交筋は「日本側のポジティブなシグナル」と受け止め、会談準備につなげた経緯があった。
 1月29日付の露紙イズベスチヤが「日本側は未解決の領土問題にもかかわらず、経済協力の方に関心を持っている」と報じたように、露側メディアは会談について、概して同様の見方を伝えている。
 露国営ラジオ局「ロシアの声」は同28日付の電子版で、日露関係専門家の分析を紹介。露外相の来日自体が領土問題の進展がないことの証明とみるこの専門家は、「両国には今日、この問題をしつこく繰り返す必要はないという明確な認識が生まれた。しばらくの間、この問題を脇に置く必要がある」と露側の姿勢を代弁している。
 一方、イタル・タス通信のゴロブニン東京支局長は自らのブログに、日本側の「不法占拠」封印姿勢に3つの理由があると分析している。
 まず第1に、2年前のメドベージェフ露大統領の国後島訪問後に両国間で起こった騒動の教訓から、「日本側はいたずらに衝突をしたくない」と考えている。第2に、昨年の東日本大震災後に寄せられたロシアからの支援に「日本側は心を打たれた」から。そして第3が最も重要として、来月行われる大統領選挙に言及する。日本側は、大統領選挙のテーマに北方領土問題が取り上げられ、露側からの反響が激化することを懸念しているのだという。支局長は故に「玄葉外相が、日本側メディアの(批判的な)追及にストイックに耐えている」と指摘する。

 <玄葉外相は、日本国民の批判に抗して、正義、大道のために闘う求道者の地位に祭りあげられている。玄葉さん、「領土問題よりも、経済協力を重視している」と見られていますよ。 ともあれ、日本の政治家を個別に、持ち上げたり貶めたりして、世論の分断を計るのは、ロシア、中国の常套手段である。しかしながら日本が、ロシアとの対立を恐れて、今回の手打ちを行ったという見方は、あながち誤りでもないのである。本来、ロシアの方が、彼らの暴挙に対する日本からの反撃を恐れなければならないはずなのに、逆に日本の方が勝手に恐れてくれたので、彼らは一連の暴挙が正しいやりかたであったことにさぞや自信を深めたことであろう。それは、「北方領土の日」の集会で野田首相が「強い意志でロシアとの(返還要求)交渉を進める」と表明した翌日の8日、5機の露軍機が日本海の日本領空近辺に接近したことに、早速現れている。これは、野田首相の演説に対する対抗措置、抗議行動とみられている。つまり、彼らは「日本は脅すに限る」と考えているのである。>