このところ消費増税法案の国会審議と民主党内の権力抗争に注目が集まり、自民党の谷垣総裁は「正義と道理の野党党首」然として野田政権の「決意」を追及しているだけで済まされる立場に置かれている。ひところの「谷垣降ろし」は影をひそめ、このままでは9月の総裁選で再選される可能性すら出てきたように見える。しかし我々国民の側からすると谷垣氏の再選だけはどうかやめてほしいと願わざるを得ない。なぜなら、この人は「何もしない人」だからである。仮初にも自民党は野党第一党であり、次回選挙では、おそらくは民主党を押さえて第一党になるはずであり、それゆえ自民党総裁は首相に選出される可能性が高い。しかし今の日本に求められている首相は、必要なことをどんどん実行する人であり「何もしない人」ではないのである。そこで今回は谷垣氏と自民党の問題について述べたい。なお、ここでは谷垣氏に対する批判を行うことになるが、これはあくまでも自民党総裁、あるいは首相という公性に対する氏の適格性についての論評であって、個人の人格の批判ではないのでご了解願いたい。
<民主党と自民党の争いは自民優勢、というよりも民主がダメ過ぎる>
政権交代後の一時期、日本も二大政党制が定着し、お互いに良識を持って切磋琢磨してよりよい日本政治が実現されることに期待が高まったが、それは一時の幻想にしか過ぎなかった。これは二つの意味において不成立である。その一つは、民主党はどうしようもないほどに問題と矛盾を抱えており、やる気も政策遂行能力もないことが判然としたのである(もっとも、民主党のすべての人がそうだと言うわけではないが…)。これに対して、まだ自民党には一抹の可能性があるということである(そう思わない人も少なくないだろうが…)。
「政府は今国会に81本の新規法案を提出しているが、成立したのは20本だけで成立率24.6%。通常国会として戦後最低だった平成22年(鳩山・菅政権)の54.7%を大きく下回る公算が大きい。自民党政権では80~100%の成立率が常識だったことを考えると「グズぶり」は際立っている。だが、民主党に危機感は薄い。城島光力国対委員長は「国会の停滞は政治家全体の責任だ」、樽床伸二幹事長代行は「野党は当事者能力を欠いている」と責任感のかけらもない。」(20日 産経)
「求めよ、さらば与えられん」…と言われるが、もはや「求める」ことすらしない民主党は救いようのない党なのである。
もう民主党と自民党の勝負はついており、民主党は自民党以上にひどい政党だということは国民の共有知となった。また、マニフェストの破綻も明らかであり、「マニフェスト詐欺」によって騙し取った政権に正当性がないことも明らかである。そしてこの「詐欺」行為のケジメは総選挙で厳しく着けられることだろう。
これまでほとんど横並びであった支持率も、最近は自民党が上回っているようである。そうなら次回の総選挙では、自民党が第一党になるだろう。しかし、これは自民党が支持されたからではなく、民主党があまりにも出鱈目であることが露呈した結果にしか過ぎない。勝利するとは言っても、内容はピンからキリまであるので、現状ではキリにとどまるだろう。
ところが、谷垣自民党執行部にはこういう微妙な現状がよくわかっていないらしい。とにかく、民主党を攻撃すれば自民党の支持率が上がると思っているようだ。消費増税に賛成する代わりに衆院の解散・総選挙をせよと言う「話し合い解散」を民主党に迫っているが、これは筋としても、戦略としてもかなり的を外している。こんなことを要求してみても、現状では大敗必至の民主党がこれに応じるはずもない。しかも、「話し合い解散」の要求は全く筋をはずしている。これは、自民党も当然賛成すべきものである消費増税法案を「人質」にとって、何もしなくてもあと一年でやってくる「衆院解散・総選挙」を要求するものであるから、わけがわからない話である。たとえてみれば、タコが敵に向かって「言うことを聞かないなら、この足を食べてしまうぞ」と言っているような(出来の悪い例ですが…)ものだから、とにかくわけがわからない話である。谷垣総裁は自分の都合から、「話し合い解散」を要求しているのではあるが、こんなことでは国民に理解されるはずもない。
そこで、自民党の伊吹元幹事長は特別委員会で「解散の約束をしなきゃ 協力しないぞなんて、子どもじみたことが通るわけがないと、わたしは思ってますよ。」(21日 FNN)と言っている。また、古賀元幹事長も「国民に理解される話ではない。解散を言うよりも、この案件に賛成して国会で成立させることが大事だ」と執行部を批判した。(25日 毎日)。先週のエントリーでも取り上げたように額賀元財務相も同様のことを述べている。これらは、「話し合い解散」などと言っている谷垣氏とは異なる見識である。自民党は、さすがに層が厚く、良識もあって、まだ捨てたものではないということが感じられる。もっとも、党内の主導権を取ろうという領袖達の、またぞろの動きかもしれないが…。ともあれ、自民党のふがいなさは、そういう潜在的な自民党の能力を引き出し、それをまとめて実行力につなげるリーダーの不在によるところが大きいと言えるだろう。私が、野党であるにも関わらず自民党の問題点を批判してきたのは、このためであり、優れたリーダーが出ればまだ自民党には可能性があると思うからである。
<自民党が民主党にケジメを要求するのは結構なことだが、自らもケジメを着けよ!>
さて、自民党が、「マニフェスト詐欺」によって得た民主党政権にはもはや正当性がないと主張するのは当然のことであるし、これ自体は結構なことだろう。しかし、ここで自民党にも問いたい。2009年の総選挙でそれまでの政権運営ぶりを国民から批判され惨敗したことについてのケジメはどうなったのかと。国民はあの選挙で、民主党に期待し、自民党を批判したことは確かであるが、他方では少なからぬ国民が、自民党に新たな党に生まれ変ってほしいと思ってあえて批判票を投じたこともまた確かであるだろう。つまり自民党に対する期待はまだ残っていた。ところが驚くべきことにあれからもう三年近くになるのに、自民党は何も反省せず、何も学ばず、何も変えていない。民主党が見事に国民の期待を裏切ったのと同様に、その後の自民党も国民の期待を裏切った。そして谷垣自民党にはその自覚がない。過去の自民党には、上記の法案成立率からも読み取れるように、政権党としてのそれなりの責任感も、自負心もやる気もあったが、今やそういうものまでも失ってしまったように見える。ひたすらダメ民主党に付き合い、彼らと同じレベルにまで堕ち込もうとしている。だから国民も、もう本当に自民党に失望しつつある。それが、民主、自民両党合わせて30%程度の支持率しか得られないことであり、半数が支持政党なし、ないしは第三勢力に期待することとなって表れている。これでは次回選挙で第一党になったとしても、とても「自民党政治」に期待することは出来ない。福田、麻生両内閣で行われた政治以上に無為、無策の政治がだらだらと続けられることだろう。
<とにかく「危機感」が足りない! 重要政策、何も決まっていない!!>
谷垣氏が総裁を続けられているのは、相次ぐ民主党の失策・失点、党内の人材不足、党内の無気力と各派閥の力の拮抗に支えられてのことであるだろう。谷垣氏は党を率いる強い政策理念を打ち出せていないから、組織維持のために政治をしているようなもので、激しさや質は違うものの民主党が政治をほったらかして党分裂回避のために政治を利用している状況と大差ないとも言える。正統は政治を行う組織であるから、そのために組織を常に強化していくものであるにもかかわらず、現在は逆に、両党共に組織を維持するために政治をやっているように見える。
上述の二大政党制が日本では実現しそうにもない第二の理由がここにある。つまり、民主党はもちろん、現在の自民党にも、よりよい政治のために両党で切磋琢磨して、自己を高めようとする意識が極めて希薄で、在るのは、相手の悪いところに合わせて、両者が抗争し合うということであり、切磋琢磨どころか、両者共にもつれ合って堕落していく図式なのである。確かに、現状では民主党よりも自民党の方が増しではあるが、その自民党が日々「民主党化」しているのだから、事態は深刻である。
なぜこういうことになるのか。それは、自民党が高くしかも具体的な政治目標を掲げていないからであるだろう。目標がないと組織はまとまりを維持できないから、勢い民主党との抗争を設定し、それに勝つことを目標にせざるを得なくなる。しかし、この抗争は、やればやるほど、民主党と同じ土俵に立たざるを得なくなり、それゆえ、自民党が「民主党化」していくことになる。それでは、なぜ高く具体的な政策目標を掲げることが出来ないのかと言えば、それは、日本の現状の正しい認識が出来ていない、日本がいかに危機的状況にあるかが全くわかっていないからではないだろうか。この点でも、自民党は民主党の鈍感さに近づきつつある。このため、両党は限りなく堕ちていくと同時に、日本も限りなく沈んでいく状況にある。せめて自民党にだけでも、こうした状況を抜け出してもらいたいものだ。
それにしても、谷垣総裁の無為、無策ぶりはひどい。日本が抱える問題は、それゆえ自民党が取り組まなければならない問題は多いのに、氏は何もしなかった。谷垣氏は、2009年に総裁に選出されたとき、「具体的に自民党が何をやるかは、国民の意見をじっくり聞いて決めていく」と「十年一日」がごとき驚くべき悠長な発言をした。そして、その後、一定期間全国を回ったらしいが、その結果がどういう政策になったのかはついぞ聞かなかった。
》原子力・エネルギー政策; なんと驚くことに、今から十年掛けて、エネルギー政策を決めると言う。2月に素案をまとめたが実質的に分裂であったので、それから党内調整を続けたのであるが、結局党内の原発推進派と脱原発派との調整が出来ず、玉虫色にしてとにかく問題の先送りを計っている。これでは単なる作文であり政策とは言えない。エネルギー問題は、国民生活、経済、安保、外交、科学・技術の根幹をなすテーマであるので、現在すでに当然のこととして持っていなければならない政策であるのに、この有様は一体どうなっているのか?! 電力不足は、国民生活と日本の経済に深刻な影響を与えている。大井原発再稼働についても、ほとんど何も言っていない。原発を推進してきた党としての自負はどうなっているのか?!福島事故以後も、世界中の大多数の国が政策を変えることなく原発建設を推進しているのに、こういうことでは、日本経済だけがますます衰退していくことだろう。
》郵政民営化後退; 郵政事業は、日本経済の活性化の数少ないカードであったにもかかわらず、郵政票という目先の小さな利益ほしさに、簡単に後退(完全民営化を放棄)させてしまい、日本経済の先行きに大きな禍根を残した。これは極めて大きな制度変更の問題なので、2005年に民営化を決めた国会(郵政国会)では、特別委員会が作られ、衆参で200時間の審議が行われたし、また総選挙で民意も聞いた。ところがこの経緯を無視して今回は数時間の審議で採決された。これは、自民が民主・国民新党に協力する形で、行われたものであるが、これを行った谷垣執行部の罪は非常に重い。わずかの票集めのために、自民党の「良心」、「意地」、「矜持」までも捨ててしまった。近いうちに、日本郵政という巨大な「親方日の丸企業」の経営は立ち行かなくなり、そうでさえ足りない国民の血税が、この企業の経営のために湯水のごとく投入されることになる可能性が高く、それは日本経済をますます悪化させることだろう。また今回の措置は、TPP交渉の障害にもなるだろう。
》尖閣などの外交・安保問題; これだけ尖閣が中国からの侵略の危機に瀕しているのに、谷垣自民党は声を上げないし、何も手を打とうとしない。民主党が、「反日」、「売国的政党」と言われてもしかたがないことをやっていることは事実であるが、自民党までこうする必要はない。韓国との竹島、慰安婦問題にもほとんど反応していない。それどころか、民主党に責任をなすりつけて、問題から逃げ回ってさえいるように見える。谷垣総裁は、尖閣を死守する決意、竹島を奪還する決意があるのか。まさか、これまでのような「土下座外交」、「すりより外交」でごまかそうとしているのではないだろう?!
》TPP; いまだに党内意見集約が出来ていない。これは経済の問題というにとどまらず、日本の外交・安保の重大問題なのだが。この内容は、「自民党が政権に返り咲いてからゆっくり考える」ということなのか?! こんなことで間に合うはずがない。これでは、首相になって海兵隊の重要性を学習するため、半年も瞑想し、普天間異説問題をさんざんにこじらせ、日米同盟を危機的状況に至らしめた鳩山氏、首相になって自衛隊の最高司令官が首相であることを知った、あるいは、半年の政治を「仮免中」として自分の教材に使った菅氏とどこが違うのか?!
》憲法改正; 自主憲法の草案を作ったとは言え、基本的には過去のものの一部焼き直しで、とても何かをしたというようなものではない。しかも、参院改革など、焦眉の課題には何も触れずに逃げ回っている。具体性のない精神論を記した文章だけに力を入れて、草案を作るだけで、それを現実に制定しようというやる気は見えないし、そのための行動は何も起こさない。ただ文章を作って、それで何かをしたつもりになっている。これでは、何十年かかっても自主憲法制定は現実のものにはならないだろう。
これ以外にも、財政再建、少子化、農業、選挙制度改革、党改革などやるべきことは山積なのに、何もしていない(民主党の様子を見て、後追いでいろいろ小出しにしているのは確かだが…)。要は、谷垣自民党は、「昼行灯」のようにぼんやりしたもので、何をしようとしているのか、何をしているのか、やる気があるのかないのか、全くわからない。こんな人が、総裁に再選されたら、自民党のみならず、日本まで沈没させること必定だから、これだけはやめてもらいたい。
<谷垣氏は「捨石になる」と宣言したのだから、首相を目指せばウソをついたことになる>
谷垣氏は、2009年の総裁選において、日本のために「捨石」になるということを何回も繰り返した。「捨石」の意味は何かのために犠牲になるとか、主役を引き立てるための端役、損な役回りというような意味であるから、悲壮感あるいは寂寥感が漂っている。国と党の存亡を掛けた仕事に取り組もうという人の言葉としては、あまりにも後ろ向きな、積極性や戦闘性に欠ける言葉であり、違和感があった。「日本のために犠牲になる」という発想にも、押し付けがましさを感じた。
この総裁選は、自民党の大敗の直後の選挙だったから、過去の政権運営に関わった実力者は尻込みしてしまい誰も「火中の栗」を拾おうとしなかったし、また拾おうとしても周りがそれを許さない、あるいはまた推薦人が集まらないという状況もあった。そこで、それまで比較的政権運営から離れたところにいた人たちが立候補し、谷垣氏もその一人だった。だから、谷垣氏の言いたかったことは、「火中の栗を拾うことが必要なのに、誰もそれをしようとしないから、自分がやるしかない」ということ、すなわち「義を見てせざるは勇無きなり」ということだろうとも思われた。
しかし、その後の経緯を見ると、どうもこの理解は誤っていたようである。この人は、最初から、国のため、党のためにがんばるというよりも、単に総裁、首相になりたいと思っていただけのようである。そもそも「捨石」というのは、何が必要であるのかをよく知っていて、しかも自己を効果的に犠牲にすることによって、初めて実現できるものである。しかし、この人は「火中の栗」を拾おうとはしなかったし、身を犠牲にしようともしなかったし、勇気を持って課題に立ち向かおうともしなかった。さらには、何が国のために「義」であるのか、何が今必要なことであるのかがよくわかっていないようでもある。にもかかわらず、総裁再選への意欲満々のところを見ると、「捨石」どころか自分が主役になることこそが目的だったということだろう。
してみると、最初の「捨石」宣言は、うまくいかなかった時の「言い訳」、退くにあたっての「形作り」のための周到な準備だったと考えるしかないだろう。谷垣氏は、自分の責務や情熱といったものよりも、こういう表面の取り繕いに勢力を使う人のようである。
個人としての谷垣氏についてどうこう言うつもりはないが、大きな「公性」を持つ自民党総裁や、日本の首相のことであれば話は別となる。氏の考え方も適性も、総裁や首相には合っていないと言わざるを得ないだろう。現在、自民党は「適性が無い」として問責二閣僚の更迭を求めている。また、谷垣総裁は野田首相に消費増税の「決意」のほどを具体的に示すよう求めている。しかし、これはそのまま谷垣総裁への問いかけでもある。端的に言って、氏の再選は国益を損すると言わざるを得ないだろう。
<総裁交代が自民党再生の第一歩だ! 新たな総裁のもとで出直しを>
こういうわけで、9月の総裁選では、新たな人が選出されることを強く期待したい。そもそも、この3年間自民党が、何もしなかったのは、谷垣氏だけの責任ではなく、自民党が谷垣執行部という「ぬるま湯」を好んだからに他ならない。しかし、自民党を取り巻く環境は3年前よりもさらに厳しくなっている。国民の大部分は自民党に見切りをつけている。橋下維新などの第三極の台頭と、彼らからの既成政党への猛追もある。23日付け米紙ワシントンポストの記事は「橋下氏を「うんざりした(日本)社会の産物」「民衆扇動家」と形容。その上で、日本の「眠ったような現状を完全に変貌させたい人物だ」(24日 産経)と評している。ここで使われている、国民は既成政党にもう「うんざりしている」、日本は「眠ったような現状」であることに対して、しっかり目を向けて、新たなリーダーを選出する必要がある。何人かの名前が挙がっているが、誰がなっても、現在よりはましだろう。ただし、河野太郎氏のように中国やグリーンピースなどの提灯持ちの人には遠慮願いたいものだ。彼は菅前首相などと政策的に似ているのではないか。万が一 彼のような人間が自民党の総裁となったら、そうでなくても、自民党の「民主党化」が進んでいるのだから、自民党と民主党の区別がなくなるだろう。こういう事態は避けてもらいたい。どうせ何年か先には政界再編が不可避であるだろうから、彼は菅氏とでも連携すれば良いのではないか。
自民党は、新しい総裁のもとで、政策をもっと具体的で、現実的で、迫力のあるものにして、発信力を高め、とにかく民主党に勝てばそれでよいというような消極的、みみっちい姿勢を改め、総選挙で大勝すること、すなわち、単独過半数の獲得を目指してがんばってもらいたい。
<民主党と自民党の争いは自民優勢、というよりも民主がダメ過ぎる>
政権交代後の一時期、日本も二大政党制が定着し、お互いに良識を持って切磋琢磨してよりよい日本政治が実現されることに期待が高まったが、それは一時の幻想にしか過ぎなかった。これは二つの意味において不成立である。その一つは、民主党はどうしようもないほどに問題と矛盾を抱えており、やる気も政策遂行能力もないことが判然としたのである(もっとも、民主党のすべての人がそうだと言うわけではないが…)。これに対して、まだ自民党には一抹の可能性があるということである(そう思わない人も少なくないだろうが…)。
「政府は今国会に81本の新規法案を提出しているが、成立したのは20本だけで成立率24.6%。通常国会として戦後最低だった平成22年(鳩山・菅政権)の54.7%を大きく下回る公算が大きい。自民党政権では80~100%の成立率が常識だったことを考えると「グズぶり」は際立っている。だが、民主党に危機感は薄い。城島光力国対委員長は「国会の停滞は政治家全体の責任だ」、樽床伸二幹事長代行は「野党は当事者能力を欠いている」と責任感のかけらもない。」(20日 産経)
「求めよ、さらば与えられん」…と言われるが、もはや「求める」ことすらしない民主党は救いようのない党なのである。
もう民主党と自民党の勝負はついており、民主党は自民党以上にひどい政党だということは国民の共有知となった。また、マニフェストの破綻も明らかであり、「マニフェスト詐欺」によって騙し取った政権に正当性がないことも明らかである。そしてこの「詐欺」行為のケジメは総選挙で厳しく着けられることだろう。
これまでほとんど横並びであった支持率も、最近は自民党が上回っているようである。そうなら次回の総選挙では、自民党が第一党になるだろう。しかし、これは自民党が支持されたからではなく、民主党があまりにも出鱈目であることが露呈した結果にしか過ぎない。勝利するとは言っても、内容はピンからキリまであるので、現状ではキリにとどまるだろう。
ところが、谷垣自民党執行部にはこういう微妙な現状がよくわかっていないらしい。とにかく、民主党を攻撃すれば自民党の支持率が上がると思っているようだ。消費増税に賛成する代わりに衆院の解散・総選挙をせよと言う「話し合い解散」を民主党に迫っているが、これは筋としても、戦略としてもかなり的を外している。こんなことを要求してみても、現状では大敗必至の民主党がこれに応じるはずもない。しかも、「話し合い解散」の要求は全く筋をはずしている。これは、自民党も当然賛成すべきものである消費増税法案を「人質」にとって、何もしなくてもあと一年でやってくる「衆院解散・総選挙」を要求するものであるから、わけがわからない話である。たとえてみれば、タコが敵に向かって「言うことを聞かないなら、この足を食べてしまうぞ」と言っているような(出来の悪い例ですが…)ものだから、とにかくわけがわからない話である。谷垣総裁は自分の都合から、「話し合い解散」を要求しているのではあるが、こんなことでは国民に理解されるはずもない。
そこで、自民党の伊吹元幹事長は特別委員会で「解散の約束をしなきゃ 協力しないぞなんて、子どもじみたことが通るわけがないと、わたしは思ってますよ。」(21日 FNN)と言っている。また、古賀元幹事長も「国民に理解される話ではない。解散を言うよりも、この案件に賛成して国会で成立させることが大事だ」と執行部を批判した。(25日 毎日)。先週のエントリーでも取り上げたように額賀元財務相も同様のことを述べている。これらは、「話し合い解散」などと言っている谷垣氏とは異なる見識である。自民党は、さすがに層が厚く、良識もあって、まだ捨てたものではないということが感じられる。もっとも、党内の主導権を取ろうという領袖達の、またぞろの動きかもしれないが…。ともあれ、自民党のふがいなさは、そういう潜在的な自民党の能力を引き出し、それをまとめて実行力につなげるリーダーの不在によるところが大きいと言えるだろう。私が、野党であるにも関わらず自民党の問題点を批判してきたのは、このためであり、優れたリーダーが出ればまだ自民党には可能性があると思うからである。
<自民党が民主党にケジメを要求するのは結構なことだが、自らもケジメを着けよ!>
さて、自民党が、「マニフェスト詐欺」によって得た民主党政権にはもはや正当性がないと主張するのは当然のことであるし、これ自体は結構なことだろう。しかし、ここで自民党にも問いたい。2009年の総選挙でそれまでの政権運営ぶりを国民から批判され惨敗したことについてのケジメはどうなったのかと。国民はあの選挙で、民主党に期待し、自民党を批判したことは確かであるが、他方では少なからぬ国民が、自民党に新たな党に生まれ変ってほしいと思ってあえて批判票を投じたこともまた確かであるだろう。つまり自民党に対する期待はまだ残っていた。ところが驚くべきことにあれからもう三年近くになるのに、自民党は何も反省せず、何も学ばず、何も変えていない。民主党が見事に国民の期待を裏切ったのと同様に、その後の自民党も国民の期待を裏切った。そして谷垣自民党にはその自覚がない。過去の自民党には、上記の法案成立率からも読み取れるように、政権党としてのそれなりの責任感も、自負心もやる気もあったが、今やそういうものまでも失ってしまったように見える。ひたすらダメ民主党に付き合い、彼らと同じレベルにまで堕ち込もうとしている。だから国民も、もう本当に自民党に失望しつつある。それが、民主、自民両党合わせて30%程度の支持率しか得られないことであり、半数が支持政党なし、ないしは第三勢力に期待することとなって表れている。これでは次回選挙で第一党になったとしても、とても「自民党政治」に期待することは出来ない。福田、麻生両内閣で行われた政治以上に無為、無策の政治がだらだらと続けられることだろう。
<とにかく「危機感」が足りない! 重要政策、何も決まっていない!!>
谷垣氏が総裁を続けられているのは、相次ぐ民主党の失策・失点、党内の人材不足、党内の無気力と各派閥の力の拮抗に支えられてのことであるだろう。谷垣氏は党を率いる強い政策理念を打ち出せていないから、組織維持のために政治をしているようなもので、激しさや質は違うものの民主党が政治をほったらかして党分裂回避のために政治を利用している状況と大差ないとも言える。正統は政治を行う組織であるから、そのために組織を常に強化していくものであるにもかかわらず、現在は逆に、両党共に組織を維持するために政治をやっているように見える。
上述の二大政党制が日本では実現しそうにもない第二の理由がここにある。つまり、民主党はもちろん、現在の自民党にも、よりよい政治のために両党で切磋琢磨して、自己を高めようとする意識が極めて希薄で、在るのは、相手の悪いところに合わせて、両者が抗争し合うということであり、切磋琢磨どころか、両者共にもつれ合って堕落していく図式なのである。確かに、現状では民主党よりも自民党の方が増しではあるが、その自民党が日々「民主党化」しているのだから、事態は深刻である。
なぜこういうことになるのか。それは、自民党が高くしかも具体的な政治目標を掲げていないからであるだろう。目標がないと組織はまとまりを維持できないから、勢い民主党との抗争を設定し、それに勝つことを目標にせざるを得なくなる。しかし、この抗争は、やればやるほど、民主党と同じ土俵に立たざるを得なくなり、それゆえ、自民党が「民主党化」していくことになる。それでは、なぜ高く具体的な政策目標を掲げることが出来ないのかと言えば、それは、日本の現状の正しい認識が出来ていない、日本がいかに危機的状況にあるかが全くわかっていないからではないだろうか。この点でも、自民党は民主党の鈍感さに近づきつつある。このため、両党は限りなく堕ちていくと同時に、日本も限りなく沈んでいく状況にある。せめて自民党にだけでも、こうした状況を抜け出してもらいたいものだ。
それにしても、谷垣総裁の無為、無策ぶりはひどい。日本が抱える問題は、それゆえ自民党が取り組まなければならない問題は多いのに、氏は何もしなかった。谷垣氏は、2009年に総裁に選出されたとき、「具体的に自民党が何をやるかは、国民の意見をじっくり聞いて決めていく」と「十年一日」がごとき驚くべき悠長な発言をした。そして、その後、一定期間全国を回ったらしいが、その結果がどういう政策になったのかはついぞ聞かなかった。
》原子力・エネルギー政策; なんと驚くことに、今から十年掛けて、エネルギー政策を決めると言う。2月に素案をまとめたが実質的に分裂であったので、それから党内調整を続けたのであるが、結局党内の原発推進派と脱原発派との調整が出来ず、玉虫色にしてとにかく問題の先送りを計っている。これでは単なる作文であり政策とは言えない。エネルギー問題は、国民生活、経済、安保、外交、科学・技術の根幹をなすテーマであるので、現在すでに当然のこととして持っていなければならない政策であるのに、この有様は一体どうなっているのか?! 電力不足は、国民生活と日本の経済に深刻な影響を与えている。大井原発再稼働についても、ほとんど何も言っていない。原発を推進してきた党としての自負はどうなっているのか?!福島事故以後も、世界中の大多数の国が政策を変えることなく原発建設を推進しているのに、こういうことでは、日本経済だけがますます衰退していくことだろう。
》郵政民営化後退; 郵政事業は、日本経済の活性化の数少ないカードであったにもかかわらず、郵政票という目先の小さな利益ほしさに、簡単に後退(完全民営化を放棄)させてしまい、日本経済の先行きに大きな禍根を残した。これは極めて大きな制度変更の問題なので、2005年に民営化を決めた国会(郵政国会)では、特別委員会が作られ、衆参で200時間の審議が行われたし、また総選挙で民意も聞いた。ところがこの経緯を無視して今回は数時間の審議で採決された。これは、自民が民主・国民新党に協力する形で、行われたものであるが、これを行った谷垣執行部の罪は非常に重い。わずかの票集めのために、自民党の「良心」、「意地」、「矜持」までも捨ててしまった。近いうちに、日本郵政という巨大な「親方日の丸企業」の経営は立ち行かなくなり、そうでさえ足りない国民の血税が、この企業の経営のために湯水のごとく投入されることになる可能性が高く、それは日本経済をますます悪化させることだろう。また今回の措置は、TPP交渉の障害にもなるだろう。
》尖閣などの外交・安保問題; これだけ尖閣が中国からの侵略の危機に瀕しているのに、谷垣自民党は声を上げないし、何も手を打とうとしない。民主党が、「反日」、「売国的政党」と言われてもしかたがないことをやっていることは事実であるが、自民党までこうする必要はない。韓国との竹島、慰安婦問題にもほとんど反応していない。それどころか、民主党に責任をなすりつけて、問題から逃げ回ってさえいるように見える。谷垣総裁は、尖閣を死守する決意、竹島を奪還する決意があるのか。まさか、これまでのような「土下座外交」、「すりより外交」でごまかそうとしているのではないだろう?!
》TPP; いまだに党内意見集約が出来ていない。これは経済の問題というにとどまらず、日本の外交・安保の重大問題なのだが。この内容は、「自民党が政権に返り咲いてからゆっくり考える」ということなのか?! こんなことで間に合うはずがない。これでは、首相になって海兵隊の重要性を学習するため、半年も瞑想し、普天間異説問題をさんざんにこじらせ、日米同盟を危機的状況に至らしめた鳩山氏、首相になって自衛隊の最高司令官が首相であることを知った、あるいは、半年の政治を「仮免中」として自分の教材に使った菅氏とどこが違うのか?!
》憲法改正; 自主憲法の草案を作ったとは言え、基本的には過去のものの一部焼き直しで、とても何かをしたというようなものではない。しかも、参院改革など、焦眉の課題には何も触れずに逃げ回っている。具体性のない精神論を記した文章だけに力を入れて、草案を作るだけで、それを現実に制定しようというやる気は見えないし、そのための行動は何も起こさない。ただ文章を作って、それで何かをしたつもりになっている。これでは、何十年かかっても自主憲法制定は現実のものにはならないだろう。
これ以外にも、財政再建、少子化、農業、選挙制度改革、党改革などやるべきことは山積なのに、何もしていない(民主党の様子を見て、後追いでいろいろ小出しにしているのは確かだが…)。要は、谷垣自民党は、「昼行灯」のようにぼんやりしたもので、何をしようとしているのか、何をしているのか、やる気があるのかないのか、全くわからない。こんな人が、総裁に再選されたら、自民党のみならず、日本まで沈没させること必定だから、これだけはやめてもらいたい。
<谷垣氏は「捨石になる」と宣言したのだから、首相を目指せばウソをついたことになる>
谷垣氏は、2009年の総裁選において、日本のために「捨石」になるということを何回も繰り返した。「捨石」の意味は何かのために犠牲になるとか、主役を引き立てるための端役、損な役回りというような意味であるから、悲壮感あるいは寂寥感が漂っている。国と党の存亡を掛けた仕事に取り組もうという人の言葉としては、あまりにも後ろ向きな、積極性や戦闘性に欠ける言葉であり、違和感があった。「日本のために犠牲になる」という発想にも、押し付けがましさを感じた。
この総裁選は、自民党の大敗の直後の選挙だったから、過去の政権運営に関わった実力者は尻込みしてしまい誰も「火中の栗」を拾おうとしなかったし、また拾おうとしても周りがそれを許さない、あるいはまた推薦人が集まらないという状況もあった。そこで、それまで比較的政権運営から離れたところにいた人たちが立候補し、谷垣氏もその一人だった。だから、谷垣氏の言いたかったことは、「火中の栗を拾うことが必要なのに、誰もそれをしようとしないから、自分がやるしかない」ということ、すなわち「義を見てせざるは勇無きなり」ということだろうとも思われた。
しかし、その後の経緯を見ると、どうもこの理解は誤っていたようである。この人は、最初から、国のため、党のためにがんばるというよりも、単に総裁、首相になりたいと思っていただけのようである。そもそも「捨石」というのは、何が必要であるのかをよく知っていて、しかも自己を効果的に犠牲にすることによって、初めて実現できるものである。しかし、この人は「火中の栗」を拾おうとはしなかったし、身を犠牲にしようともしなかったし、勇気を持って課題に立ち向かおうともしなかった。さらには、何が国のために「義」であるのか、何が今必要なことであるのかがよくわかっていないようでもある。にもかかわらず、総裁再選への意欲満々のところを見ると、「捨石」どころか自分が主役になることこそが目的だったということだろう。
してみると、最初の「捨石」宣言は、うまくいかなかった時の「言い訳」、退くにあたっての「形作り」のための周到な準備だったと考えるしかないだろう。谷垣氏は、自分の責務や情熱といったものよりも、こういう表面の取り繕いに勢力を使う人のようである。
個人としての谷垣氏についてどうこう言うつもりはないが、大きな「公性」を持つ自民党総裁や、日本の首相のことであれば話は別となる。氏の考え方も適性も、総裁や首相には合っていないと言わざるを得ないだろう。現在、自民党は「適性が無い」として問責二閣僚の更迭を求めている。また、谷垣総裁は野田首相に消費増税の「決意」のほどを具体的に示すよう求めている。しかし、これはそのまま谷垣総裁への問いかけでもある。端的に言って、氏の再選は国益を損すると言わざるを得ないだろう。
<総裁交代が自民党再生の第一歩だ! 新たな総裁のもとで出直しを>
こういうわけで、9月の総裁選では、新たな人が選出されることを強く期待したい。そもそも、この3年間自民党が、何もしなかったのは、谷垣氏だけの責任ではなく、自民党が谷垣執行部という「ぬるま湯」を好んだからに他ならない。しかし、自民党を取り巻く環境は3年前よりもさらに厳しくなっている。国民の大部分は自民党に見切りをつけている。橋下維新などの第三極の台頭と、彼らからの既成政党への猛追もある。23日付け米紙ワシントンポストの記事は「橋下氏を「うんざりした(日本)社会の産物」「民衆扇動家」と形容。その上で、日本の「眠ったような現状を完全に変貌させたい人物だ」(24日 産経)と評している。ここで使われている、国民は既成政党にもう「うんざりしている」、日本は「眠ったような現状」であることに対して、しっかり目を向けて、新たなリーダーを選出する必要がある。何人かの名前が挙がっているが、誰がなっても、現在よりはましだろう。ただし、河野太郎氏のように中国やグリーンピースなどの提灯持ちの人には遠慮願いたいものだ。彼は菅前首相などと政策的に似ているのではないか。万が一 彼のような人間が自民党の総裁となったら、そうでなくても、自民党の「民主党化」が進んでいるのだから、自民党と民主党の区別がなくなるだろう。こういう事態は避けてもらいたい。どうせ何年か先には政界再編が不可避であるだろうから、彼は菅氏とでも連携すれば良いのではないか。
自民党は、新しい総裁のもとで、政策をもっと具体的で、現実的で、迫力のあるものにして、発信力を高め、とにかく民主党に勝てばそれでよいというような消極的、みみっちい姿勢を改め、総選挙で大勝すること、すなわち、単独過半数の獲得を目指してがんばってもらいたい。