もとなりくんの「今週の政治 ‘とんでも’」

日本の経済、安保危機を打開する力は、国民の結束と強い政治しかない

谷垣自民党総裁では日本はもたない! エネルギー、安保・外交、経済、憲法…何もやっていない!

2012-05-26 18:28:05 | 政治
このところ消費増税法案の国会審議と民主党内の権力抗争に注目が集まり、自民党の谷垣総裁は「正義と道理の野党党首」然として野田政権の「決意」を追及しているだけで済まされる立場に置かれている。ひところの「谷垣降ろし」は影をひそめ、このままでは9月の総裁選で再選される可能性すら出てきたように見える。しかし我々国民の側からすると谷垣氏の再選だけはどうかやめてほしいと願わざるを得ない。なぜなら、この人は「何もしない人」だからである。仮初にも自民党は野党第一党であり、次回選挙では、おそらくは民主党を押さえて第一党になるはずであり、それゆえ自民党総裁は首相に選出される可能性が高い。しかし今の日本に求められている首相は、必要なことをどんどん実行する人であり「何もしない人」ではないのである。そこで今回は谷垣氏と自民党の問題について述べたい。なお、ここでは谷垣氏に対する批判を行うことになるが、これはあくまでも自民党総裁、あるいは首相という公性に対する氏の適格性についての論評であって、個人の人格の批判ではないのでご了解願いたい。

<民主党と自民党の争いは自民優勢、というよりも民主がダメ過ぎる>
政権交代後の一時期、日本も二大政党制が定着し、お互いに良識を持って切磋琢磨してよりよい日本政治が実現されることに期待が高まったが、それは一時の幻想にしか過ぎなかった。これは二つの意味において不成立である。その一つは、民主党はどうしようもないほどに問題と矛盾を抱えており、やる気も政策遂行能力もないことが判然としたのである(もっとも、民主党のすべての人がそうだと言うわけではないが…)。これに対して、まだ自民党には一抹の可能性があるということである(そう思わない人も少なくないだろうが…)。
「政府は今国会に81本の新規法案を提出しているが、成立したのは20本だけで成立率24.6%。通常国会として戦後最低だった平成22年(鳩山・菅政権)の54.7%を大きく下回る公算が大きい。自民党政権では80~100%の成立率が常識だったことを考えると「グズぶり」は際立っている。だが、民主党に危機感は薄い。城島光力国対委員長は「国会の停滞は政治家全体の責任だ」、樽床伸二幹事長代行は「野党は当事者能力を欠いている」と責任感のかけらもない。」(20日 産経)
「求めよ、さらば与えられん」…と言われるが、もはや「求める」ことすらしない民主党は救いようのない党なのである。

もう民主党と自民党の勝負はついており、民主党は自民党以上にひどい政党だということは国民の共有知となった。また、マニフェストの破綻も明らかであり、「マニフェスト詐欺」によって騙し取った政権に正当性がないことも明らかである。そしてこの「詐欺」行為のケジメは総選挙で厳しく着けられることだろう。
これまでほとんど横並びであった支持率も、最近は自民党が上回っているようである。そうなら次回の総選挙では、自民党が第一党になるだろう。しかし、これは自民党が支持されたからではなく、民主党があまりにも出鱈目であることが露呈した結果にしか過ぎない。勝利するとは言っても、内容はピンからキリまであるので、現状ではキリにとどまるだろう。
ところが、谷垣自民党執行部にはこういう微妙な現状がよくわかっていないらしい。とにかく、民主党を攻撃すれば自民党の支持率が上がると思っているようだ。消費増税に賛成する代わりに衆院の解散・総選挙をせよと言う「話し合い解散」を民主党に迫っているが、これは筋としても、戦略としてもかなり的を外している。こんなことを要求してみても、現状では大敗必至の民主党がこれに応じるはずもない。しかも、「話し合い解散」の要求は全く筋をはずしている。これは、自民党も当然賛成すべきものである消費増税法案を「人質」にとって、何もしなくてもあと一年でやってくる「衆院解散・総選挙」を要求するものであるから、わけがわからない話である。たとえてみれば、タコが敵に向かって「言うことを聞かないなら、この足を食べてしまうぞ」と言っているような(出来の悪い例ですが…)ものだから、とにかくわけがわからない話である。谷垣総裁は自分の都合から、「話し合い解散」を要求しているのではあるが、こんなことでは国民に理解されるはずもない。

そこで、自民党の伊吹元幹事長は特別委員会で「解散の約束をしなきゃ 協力しないぞなんて、子どもじみたことが通るわけがないと、わたしは思ってますよ。」(21日 FNN)と言っている。また、古賀元幹事長も「国民に理解される話ではない。解散を言うよりも、この案件に賛成して国会で成立させることが大事だ」と執行部を批判した。(25日 毎日)。先週のエントリーでも取り上げたように額賀元財務相も同様のことを述べている。これらは、「話し合い解散」などと言っている谷垣氏とは異なる見識である。自民党は、さすがに層が厚く、良識もあって、まだ捨てたものではないということが感じられる。もっとも、党内の主導権を取ろうという領袖達の、またぞろの動きかもしれないが…。ともあれ、自民党のふがいなさは、そういう潜在的な自民党の能力を引き出し、それをまとめて実行力につなげるリーダーの不在によるところが大きいと言えるだろう。私が、野党であるにも関わらず自民党の問題点を批判してきたのは、このためであり、優れたリーダーが出ればまだ自民党には可能性があると思うからである。

<自民党が民主党にケジメを要求するのは結構なことだが、自らもケジメを着けよ!>
さて、自民党が、「マニフェスト詐欺」によって得た民主党政権にはもはや正当性がないと主張するのは当然のことであるし、これ自体は結構なことだろう。しかし、ここで自民党にも問いたい。2009年の総選挙でそれまでの政権運営ぶりを国民から批判され惨敗したことについてのケジメはどうなったのかと。国民はあの選挙で、民主党に期待し、自民党を批判したことは確かであるが、他方では少なからぬ国民が、自民党に新たな党に生まれ変ってほしいと思ってあえて批判票を投じたこともまた確かであるだろう。つまり自民党に対する期待はまだ残っていた。ところが驚くべきことにあれからもう三年近くになるのに、自民党は何も反省せず、何も学ばず、何も変えていない。民主党が見事に国民の期待を裏切ったのと同様に、その後の自民党も国民の期待を裏切った。そして谷垣自民党にはその自覚がない。過去の自民党には、上記の法案成立率からも読み取れるように、政権党としてのそれなりの責任感も、自負心もやる気もあったが、今やそういうものまでも失ってしまったように見える。ひたすらダメ民主党に付き合い、彼らと同じレベルにまで堕ち込もうとしている。だから国民も、もう本当に自民党に失望しつつある。それが、民主、自民両党合わせて30%程度の支持率しか得られないことであり、半数が支持政党なし、ないしは第三勢力に期待することとなって表れている。これでは次回選挙で第一党になったとしても、とても「自民党政治」に期待することは出来ない。福田、麻生両内閣で行われた政治以上に無為、無策の政治がだらだらと続けられることだろう。

<とにかく「危機感」が足りない! 重要政策、何も決まっていない!!>
谷垣氏が総裁を続けられているのは、相次ぐ民主党の失策・失点、党内の人材不足、党内の無気力と各派閥の力の拮抗に支えられてのことであるだろう。谷垣氏は党を率いる強い政策理念を打ち出せていないから、組織維持のために政治をしているようなもので、激しさや質は違うものの民主党が政治をほったらかして党分裂回避のために政治を利用している状況と大差ないとも言える。正統は政治を行う組織であるから、そのために組織を常に強化していくものであるにもかかわらず、現在は逆に、両党共に組織を維持するために政治をやっているように見える。
上述の二大政党制が日本では実現しそうにもない第二の理由がここにある。つまり、民主党はもちろん、現在の自民党にも、よりよい政治のために両党で切磋琢磨して、自己を高めようとする意識が極めて希薄で、在るのは、相手の悪いところに合わせて、両者が抗争し合うということであり、切磋琢磨どころか、両者共にもつれ合って堕落していく図式なのである。確かに、現状では民主党よりも自民党の方が増しではあるが、その自民党が日々「民主党化」しているのだから、事態は深刻である。

なぜこういうことになるのか。それは、自民党が高くしかも具体的な政治目標を掲げていないからであるだろう。目標がないと組織はまとまりを維持できないから、勢い民主党との抗争を設定し、それに勝つことを目標にせざるを得なくなる。しかし、この抗争は、やればやるほど、民主党と同じ土俵に立たざるを得なくなり、それゆえ、自民党が「民主党化」していくことになる。それでは、なぜ高く具体的な政策目標を掲げることが出来ないのかと言えば、それは、日本の現状の正しい認識が出来ていない、日本がいかに危機的状況にあるかが全くわかっていないからではないだろうか。この点でも、自民党は民主党の鈍感さに近づきつつある。このため、両党は限りなく堕ちていくと同時に、日本も限りなく沈んでいく状況にある。せめて自民党にだけでも、こうした状況を抜け出してもらいたいものだ。
それにしても、谷垣総裁の無為、無策ぶりはひどい。日本が抱える問題は、それゆえ自民党が取り組まなければならない問題は多いのに、氏は何もしなかった。谷垣氏は、2009年に総裁に選出されたとき、「具体的に自民党が何をやるかは、国民の意見をじっくり聞いて決めていく」と「十年一日」がごとき驚くべき悠長な発言をした。そして、その後、一定期間全国を回ったらしいが、その結果がどういう政策になったのかはついぞ聞かなかった。

》原子力・エネルギー政策; なんと驚くことに、今から十年掛けて、エネルギー政策を決めると言う。2月に素案をまとめたが実質的に分裂であったので、それから党内調整を続けたのであるが、結局党内の原発推進派と脱原発派との調整が出来ず、玉虫色にしてとにかく問題の先送りを計っている。これでは単なる作文であり政策とは言えない。エネルギー問題は、国民生活、経済、安保、外交、科学・技術の根幹をなすテーマであるので、現在すでに当然のこととして持っていなければならない政策であるのに、この有様は一体どうなっているのか?! 電力不足は、国民生活と日本の経済に深刻な影響を与えている。大井原発再稼働についても、ほとんど何も言っていない。原発を推進してきた党としての自負はどうなっているのか?!福島事故以後も、世界中の大多数の国が政策を変えることなく原発建設を推進しているのに、こういうことでは、日本経済だけがますます衰退していくことだろう。

》郵政民営化後退; 郵政事業は、日本経済の活性化の数少ないカードであったにもかかわらず、郵政票という目先の小さな利益ほしさに、簡単に後退(完全民営化を放棄)させてしまい、日本経済の先行きに大きな禍根を残した。これは極めて大きな制度変更の問題なので、2005年に民営化を決めた国会(郵政国会)では、特別委員会が作られ、衆参で200時間の審議が行われたし、また総選挙で民意も聞いた。ところがこの経緯を無視して今回は数時間の審議で採決された。これは、自民が民主・国民新党に協力する形で、行われたものであるが、これを行った谷垣執行部の罪は非常に重い。わずかの票集めのために、自民党の「良心」、「意地」、「矜持」までも捨ててしまった。近いうちに、日本郵政という巨大な「親方日の丸企業」の経営は立ち行かなくなり、そうでさえ足りない国民の血税が、この企業の経営のために湯水のごとく投入されることになる可能性が高く、それは日本経済をますます悪化させることだろう。また今回の措置は、TPP交渉の障害にもなるだろう。

》尖閣などの外交・安保問題; これだけ尖閣が中国からの侵略の危機に瀕しているのに、谷垣自民党は声を上げないし、何も手を打とうとしない。民主党が、「反日」、「売国的政党」と言われてもしかたがないことをやっていることは事実であるが、自民党までこうする必要はない。韓国との竹島、慰安婦問題にもほとんど反応していない。それどころか、民主党に責任をなすりつけて、問題から逃げ回ってさえいるように見える。谷垣総裁は、尖閣を死守する決意、竹島を奪還する決意があるのか。まさか、これまでのような「土下座外交」、「すりより外交」でごまかそうとしているのではないだろう?!

》TPP; いまだに党内意見集約が出来ていない。これは経済の問題というにとどまらず、日本の外交・安保の重大問題なのだが。この内容は、「自民党が政権に返り咲いてからゆっくり考える」ということなのか?! こんなことで間に合うはずがない。これでは、首相になって海兵隊の重要性を学習するため、半年も瞑想し、普天間異説問題をさんざんにこじらせ、日米同盟を危機的状況に至らしめた鳩山氏、首相になって自衛隊の最高司令官が首相であることを知った、あるいは、半年の政治を「仮免中」として自分の教材に使った菅氏とどこが違うのか?!

》憲法改正; 自主憲法の草案を作ったとは言え、基本的には過去のものの一部焼き直しで、とても何かをしたというようなものではない。しかも、参院改革など、焦眉の課題には何も触れずに逃げ回っている。具体性のない精神論を記した文章だけに力を入れて、草案を作るだけで、それを現実に制定しようというやる気は見えないし、そのための行動は何も起こさない。ただ文章を作って、それで何かをしたつもりになっている。これでは、何十年かかっても自主憲法制定は現実のものにはならないだろう。
これ以外にも、財政再建、少子化、農業、選挙制度改革、党改革などやるべきことは山積なのに、何もしていない(民主党の様子を見て、後追いでいろいろ小出しにしているのは確かだが…)。要は、谷垣自民党は、「昼行灯」のようにぼんやりしたもので、何をしようとしているのか、何をしているのか、やる気があるのかないのか、全くわからない。こんな人が、総裁に再選されたら、自民党のみならず、日本まで沈没させること必定だから、これだけはやめてもらいたい。

<谷垣氏は「捨石になる」と宣言したのだから、首相を目指せばウソをついたことになる>
谷垣氏は、2009年の総裁選において、日本のために「捨石」になるということを何回も繰り返した。「捨石」の意味は何かのために犠牲になるとか、主役を引き立てるための端役、損な役回りというような意味であるから、悲壮感あるいは寂寥感が漂っている。国と党の存亡を掛けた仕事に取り組もうという人の言葉としては、あまりにも後ろ向きな、積極性や戦闘性に欠ける言葉であり、違和感があった。「日本のために犠牲になる」という発想にも、押し付けがましさを感じた。
この総裁選は、自民党の大敗の直後の選挙だったから、過去の政権運営に関わった実力者は尻込みしてしまい誰も「火中の栗」を拾おうとしなかったし、また拾おうとしても周りがそれを許さない、あるいはまた推薦人が集まらないという状況もあった。そこで、それまで比較的政権運営から離れたところにいた人たちが立候補し、谷垣氏もその一人だった。だから、谷垣氏の言いたかったことは、「火中の栗を拾うことが必要なのに、誰もそれをしようとしないから、自分がやるしかない」ということ、すなわち「義を見てせざるは勇無きなり」ということだろうとも思われた。
しかし、その後の経緯を見ると、どうもこの理解は誤っていたようである。この人は、最初から、国のため、党のためにがんばるというよりも、単に総裁、首相になりたいと思っていただけのようである。そもそも「捨石」というのは、何が必要であるのかをよく知っていて、しかも自己を効果的に犠牲にすることによって、初めて実現できるものである。しかし、この人は「火中の栗」を拾おうとはしなかったし、身を犠牲にしようともしなかったし、勇気を持って課題に立ち向かおうともしなかった。さらには、何が国のために「義」であるのか、何が今必要なことであるのかがよくわかっていないようでもある。にもかかわらず、総裁再選への意欲満々のところを見ると、「捨石」どころか自分が主役になることこそが目的だったということだろう。
してみると、最初の「捨石」宣言は、うまくいかなかった時の「言い訳」、退くにあたっての「形作り」のための周到な準備だったと考えるしかないだろう。谷垣氏は、自分の責務や情熱といったものよりも、こういう表面の取り繕いに勢力を使う人のようである。
個人としての谷垣氏についてどうこう言うつもりはないが、大きな「公性」を持つ自民党総裁や、日本の首相のことであれば話は別となる。氏の考え方も適性も、総裁や首相には合っていないと言わざるを得ないだろう。現在、自民党は「適性が無い」として問責二閣僚の更迭を求めている。また、谷垣総裁は野田首相に消費増税の「決意」のほどを具体的に示すよう求めている。しかし、これはそのまま谷垣総裁への問いかけでもある。端的に言って、氏の再選は国益を損すると言わざるを得ないだろう。

<総裁交代が自民党再生の第一歩だ! 新たな総裁のもとで出直しを>
こういうわけで、9月の総裁選では、新たな人が選出されることを強く期待したい。そもそも、この3年間自民党が、何もしなかったのは、谷垣氏だけの責任ではなく、自民党が谷垣執行部という「ぬるま湯」を好んだからに他ならない。しかし、自民党を取り巻く環境は3年前よりもさらに厳しくなっている。国民の大部分は自民党に見切りをつけている。橋下維新などの第三極の台頭と、彼らからの既成政党への猛追もある。23日付け米紙ワシントンポストの記事は「橋下氏を「うんざりした(日本)社会の産物」「民衆扇動家」と形容。その上で、日本の「眠ったような現状を完全に変貌させたい人物だ」(24日 産経)と評している。ここで使われている、国民は既成政党にもう「うんざりしている」、日本は「眠ったような現状」であることに対して、しっかり目を向けて、新たなリーダーを選出する必要がある。何人かの名前が挙がっているが、誰がなっても、現在よりはましだろう。ただし、河野太郎氏のように中国やグリーンピースなどの提灯持ちの人には遠慮願いたいものだ。彼は菅前首相などと政策的に似ているのではないか。万が一 彼のような人間が自民党の総裁となったら、そうでなくても、自民党の「民主党化」が進んでいるのだから、自民党と民主党の区別がなくなるだろう。こういう事態は避けてもらいたい。どうせ何年か先には政界再編が不可避であるだろうから、彼は菅氏とでも連携すれば良いのではないか。
自民党は、新しい総裁のもとで、政策をもっと具体的で、現実的で、迫力のあるものにして、発信力を高め、とにかく民主党に勝てばそれでよいというような消極的、みみっちい姿勢を改め、総選挙で大勝すること、すなわち、単独過半数の獲得を目指してがんばってもらいたい。

消費増税国会終盤 野田首相は直ちに「小沢切り」を! このままでは立ち枯れだ まず問責二閣僚更迭を!

2012-05-19 15:07:01 | 政治
消費増税国会は6月21日の会期末まであと一ヶ月を残すのみとなったが、増税関連法案はようやく審議に入ったばかりで、大幅な会期延長は避けられそうにない。問題は、消費増税の成立の目処が全く立っていないにも関わらず、政局が膠着状態にあることである。このままでは、何も決まらず会期末を迎え、たとえ会期延長をしても結局採決にまで行くことなく、法案は「継続審議」となり、野田政権は立ち枯れ状態で終わりを迎えることになるだろう。と言うのは、これでは9月の代表選には勝てないし、万が一勝てたとしても、既に求心力を失っており、すぐに倒れてしまうだろうからである。かくして、民主党四人目の首相が誕生することになる。これは国民にとって最悪パターンだから、首相にはこうはならぬようにしてもらいたいものである。しかし、現在の状態は首相にとって八方塞がりなので、局面打開は容易ではない。今回は、この状況を打開していくために野田首相がなすべきことについて述べてみたい。

<「正心誠意」、「非闘争、融和」のような「綺麗ごと」路線はもはや破綻した!>
現在の日本は戦後65年間の諸々の問題、矛盾が蓄積し、それは小さな改善の積み上げでは到底 解決出来ず、ここには大きな、抜本的な、そして痛みを伴う改革が必要と思われるのである。そうだからこそ、小泉政権は強力なリーダーシップでもって改革を行い、社会の制度改革、国民の意識改革に尽くしたのであり、また現在では橋下維新が、大阪の改革に大ナタをふるっている。改革には国民(市民)の支持が必要であり、また改革に反対する勢力との闘争も不可欠である。

ところが、野田首相は、「党内に抵抗勢力は作らない」と言い、小沢氏との強調路線を目指すことを表明した。また「橋下旋風」に関し「国民、府民が見ているだけでは民主主義は成熟しない。府民が1人のスターを仰ぎ見ているだけでは良くない」と述べ(1月 産経)、国民や市民の支持を得て改革を進める方法に批判的立場を滲ませた。彼は、小泉、橋下氏のように、国民(市民)の支持をバックにして、改革反対勢力との闘争を行い、改革を進める路線ではなく、党内そして野党との融和を進め、小さな改善の積み上げで社会を作り変えていく路線を標榜したのである。私は、こういう路線が適当になる場合もあることは否定しないが、現在の日本が直面している問題に対してはこんなやり方では成果が出るはずがないと思っている。だからこれは、「野田流」という新たなやり方を実現させることへの意欲的挑戦、一つの政治実験でもあると思えた。

野田氏はこれまでの民主党の考え方、鳩山、菅両氏のやりかたと違うところを持っているように見える。この人には、現実的、堅実、ぶれない、そしてやる気などの特徴がある。これらは鳩山、菅両氏のように、思いつき、夢想、ウソ、身勝手、無責任などとは対極のものである。特に、多少の誇張はあるにしても、野田首相が千葉県内の駅前で雨の日も風の日も25年間辻立ちを続けたという話は、この人のやる気と忍耐力が常人離れしているということを示している。それゆえ、常識を覆す新たな政治手法の創造という、歴史的な成果が生まれる可能性も無しとはしなかった。
しかしながら現在までの経過を見ると、首相の融和路線はことごとく失敗している。党内融和も、野党との連携も全く見通しが立たず、あまつさえ国民の支持率も20%台で低迷しており、このままの無作為が続けば20%切れもあるだろう。「やっぱり」ということであり、一抹の失望感はぬぐえない。もう「綺麗ごと」路線の継続はあり得ないはずである。しかしながら、ここで問いたいのは、融和路線が行き詰ることは想定済み、折込済みではなかったのか?ということである。消費増税そのものの結論が出たわけではないので極めて困難な道ではあるが、首相にはまだ闘争路線が残されているはずである。「25年の辻立ち」の意地を見せてもらいたいものだ。

<首相は戦端を開け! この間のように、ひたすら闘いを回避し、無作為を続けるようでは、この八方ふさがり状態を打開することは出来ず、結局はジリ貧、立ち枯れとなってしまうだろう>
輿石氏を幹事長にしたのも、一河、山岡、そして田中、前田氏の人事でつまずいているのも、ひとえに党内融和、特に、小沢氏との対立を回避して、彼の協力を得ようとするがためのものである。しかし小沢氏は今回の党員資格停止処分解除後も、野田首相の「生命をかけた」消費増税に反対する姿勢を崩していない。近々、首相と小沢氏の会談が行われるであろうが、小沢氏が歩み寄ることはあり得ないだろう。
そもそも民主党の執行部、特に輿石幹事長が、首相の意向と違った動きをしていることは大問題である。輿石幹事長が、消費増税法案の先送り、自然消滅を狙っているのはもはや明らかだ。彼は、ひたすら民主党の分裂を避けること、そして選挙回避だけを考えており、政策の実現や、日本の改革などは全く眼中にないようである。彼にとって政治とは、民主党という組織の存続のことでしかない。このままでは、消費増税法案の可決はおろか、採決に持ち込むことすら出来ず、審議の先送りとなることは必至だ。もはや、民主党内を一本化して、消費増税法案を可決させることは不可能だ。
すると、勢い、自民党他の野党の協力を得なければならないが、自民党は、「小沢切り」、増税関連法案についての「自民党案の丸飲み」、「話し合い解散」の三つを求めている。これでは野田首相、民主党にとって失うものがあまりに多過ぎ、とても飲めるものではないだろう。結局現在のところ、野田首相は八方ふさがりであり、普通の発想、やり方では打開できるはずもない。野田首相が文字通り「生命をかけて」決断し、事態の打開に動かない限り、政権は立ち枯れとなるだろう。

<谷垣自民党の要求は、党利党略そのものであり、あまりにも理不尽である!>
谷垣総裁が示している三条件は、あまりにも自民党だけに都合の良いものであるので、これを野田首相がそのまま飲めるはずはないだろう。ここには、これらの条件を、特に衆院の早期解散・総選挙を確約させないと総裁の再選は難しいという谷垣氏の個人的な事情がある。しかし、消費増税問題と、衆院を解散することとの間には直接的な関係がなく、この要求は無理筋である。自民党は、「小沢切り」と「自民党案丸飲み」が実現できれば党の大きな成果として満足しなければならないだろう。消費増税法案を人質にとって「話し合い解散」を要求するような、筋をネジ曲げたやり方が許されるはずがないだろう。
現に、自民党の中にも、「話し合い解散」に強くこだわることへの批判的意見がある。たとえば、「自民党の額賀福志郎元財務相は17日の額賀派総会で、社会保障・税一体改革関連法案への対応について「消費増税も社会保障の中身も決められず、解散もできない事態は最悪。我々の言い分を聞いてくれるなら、協力していきたい」と述べ、自民党の対案を政府・民主党が受け入れることを条件に、政府・与党に協力すべきだとの考えを示した。
 衆院解散・総選挙の確約を協力条件に掲げる谷垣総裁に異論を唱えたものだが、額賀氏は「消費税率引き上げ関連法案の成立時に解散を勝ち取れなくても、党内抗争がないようにすべきだ」とも述べ、今国会中の解散がない場合でも、「谷垣降ろし」は自粛すべきだとの考えを示した。」(5月17日 読売)。これは全くの正論であるだろう。

<野田首相は乾坤一擲の勝負に出るべきである!>
実のところ、ここまで無作為であったのは、あきれるばかりであるが、ことここに至っては、野田首相の採る道は、「小沢切り」と「自民党案丸飲み」でもって、自民党と話をまとめることしかないだろう。いずれも非常に難しいことであり、うまくいくかどうかはわからないが、それしか方法がないだろう。もともと、小沢氏の協力を得たにせよ、参院では「ねじれ」が生じているのだから、自民党の協力は不可欠であった。小沢氏の協力は、自民党との交渉を有利に進めるための圧力要素、牽制の要素でしかなかった。つまり、もともと、「小沢か自民党か」と言うイーブンな二者択一は成立しておらず、いずれにしても自民党の方に重点があるのである。だから、ここに至っては「小沢切り」は、不可避である。
とは言え、それなりの手順を踏む必要がある。そこで、まずは問責二閣僚の更迭から始め、それに輿石幹事長が抵抗すれば、幹事長も更迭するしかないだろう。また、小沢氏との会談で、小沢氏が譲歩する可能性はゼロだから、これを決別の端緒にするしかない。まだ小沢氏に未練を残すようなことでは、自民党から批判されている「二股を掛けたやり方」であり自民党の協力を遠のかせるだけである。
これでは党内は大混乱になり、党は分裂するだろうが、党を割ってでも進めるしかない。どの道、寄り合い世帯であって、党の綱領もない現在の民主党が今後もそのまままとまっていく可能性はないのである。遅かれ早かれ分裂は避けられず、政界再編の道に進まざるを得ない。首相は、志を同じくするメンバーと連携をとって断固としてこれを行う必要がある。そして、消費増税の成立のための野党に協力を呼びかける条件を整えるべきである。こういう筋に沿って断固とした行動を行えば、国民の支持も拡大する可能性が開けるだろう。
これに対して、谷垣氏とその同調者があくまでも「話し合い解散」を求めるとすれば、これには対決していくことが必要であるだろう。この要求には大儀がないから、突っぱねることも出来るはずである。首相側がここまでやったにも関わらず、自民党がさらに「話し合い解散」という党利党略の要求を出し、消費増税をぶち壊しにしてしまえば、たとえ自民党が政権に返り咲いたとしても、消費増税を持ち出すわけにはいかなくなる。自民党としてはこれは困るから、結局谷垣氏の方が折れ、協力せざるを得ないだろう。
谷垣氏は、このような本筋と関係のないゴリ押しの要求を出して、自己の立場を強化しようというような、理不尽な方向を目指すべきではなく、自民党の政策を実現させることに力を注ぐべきである。自民党総裁としての谷垣氏には、消費増税だけではなく、TPPや、原発・エメルギー問題、日本の安保・外交問題、憲法改正、自民党改革などやらねばならないことが目白押しなのだ。こういうことに力を注ぐことによって、総裁選を堂々と戦うべきである。
野田首相がこの期に及んでも勝負に出られないようでは、「決められない政治」からの脱却」、「法案先延ばしなどあり得ない」、「政治生命をかけることに掛け値なし」などという自らの発言のすべてを一挙に虚偽にしてしまうことになる。つまり、「口先だけのウソつき」ということになるのだ。鳩山、菅と二台続いた「うそつき内閣」が、野田首相においても繰り返され、野田氏も結局は鳩山、菅氏と同類の人でしかなかったことになる。しかしこれは首相の本位ではあるまい。
首相はここで、勝負に出るべきだ。そうしておけば、たとえ消費増税に失敗したとしても、「日本政治の宿痾」たる「小沢的なるもの」の一掃、民主党の浄化が成果となるし、また、自らと志を同じくする人たちと、やがて訪れるであろう政界再編の中で、主導的な役割を果たせる可能性も開けてくるだろう。

日中首脳会談 野田首相の対応や 良し!!温首相と尖閣問題で応酬 /胡主席、首脳会談に応じず

2012-05-14 23:27:41 | 政治
日本外交に久しくなかった「あるべき姿」が出た。ある意味で画期的なことと思うし、また今後の対応に緊急性を要することであるので、予定外のエントリーではあるが、アップさせてもらいたい。

<経緯>
14日付けの産経および読売の報道を総合すると、状況は次のようなものである。
野田首相は13日、中国の温家宝首相と会談した。温氏は尖閣が中国の核心的利益として尖閣諸島について、領有権を主張。これに対し野田首相は最近の中国の艦船の動きに対する懸念を伝えると同時に、尖閣は日本固有の領土だと反論した。また野田首相は、中国の人権活動家、陳光誠氏の問題を踏まえ「日中人権対話」開催を要請したが、温氏は返答しなかったという。

 野田首相は、14日に中国の胡錦濤国家主席と会談する予定であったが、胡主席は李大統領との個別の会談に応じたが、野田首相との会談には応じなかったと言う。日中関係筋によると、温首相が尖閣諸島の問題を取り上げて日本側に厳しい姿勢を示した経緯があり、「胡主席が野田首相と会えば、尖閣諸島の問題を取り上げざるを得なくなり、日中関係が再び冷え込むことを中国側は懸念したのではないか」と分析していると言う。

<言うべきことを言うのが外交の基本だから、これがあるべき姿である。中身の無い、それゆえ欺瞞的でさえある「日中友好」を演出する悪弊はもうやめるべきだ>
鳩山、菅両氏は言うまでもなく、自民党のも含めてここ何年かの首相は、近隣諸国に言うべきことを言わず、ひたすらこれらの国と中身のない首脳会談を重ね、表面的な「友好ムード」を演出してきた。こういう対応が、問題から逃げ、ずるずると譲歩を重ね、国益を損ねてきた。今回のような会談は、耐えて久しく見受けられなかったものである。これまでの無作為のツケが累積していること、しかも尖閣においては中国の監視船による日本の領海の侵犯が頻発していることなどを考えると、今回の野田首相の対応は当然のことであり、妥当なものと考えられる。むしろ控えめなぐらいだ。人権問題を出したのも良かった。こういうことを言った首相は、ここ数人の首相の中にはいなかった。
温首相との押収、胡錦濤国家主席との会談中止などによって、日中関係は冷え込むことが避けられないだろうが、どの程度のものになるのかは、中国の出方次第だ。少なくとも、日本側からどうこうすべき問題ではない。
「決められる政治」と言いながら、自ら「決められないで」ずるずると後退しているように見える野田首相の言動をみると、私はとても支持する気にはなれないのであるが、今回の対応に関しては強い支持を表明したいと思う。野田首相ももう後がない。ぜひ、このような調子で国会も乗り切り、成果を出してもらいたい。

<国内を分断し、首相の個人批判をして、孤立化させ、日本政治を揺さぶろうとする策動に国民の支持でもって応えよう! 自民党は、中国の策動に乗せられ、政府批判をすることがあってはならない!>
国内の一部からは、「日中の友好が第一」とか、「もっとやり方があっただろう」とか、「野田外交はいたずらに緊張を高めている」などといった批判が出る可能性があるが、こういう考えこそ批判されるべきであり、こういう発想の外交こそ改められるべきである。おそらく小沢氏もこれを奇貨として政権批判を強めるだろう。しかし、政府・民主党、そして自民党や他の野党も、外交では国益を守るために一致協力しなければならず、今回のことを奇貨として、政府を批判して、中国を利するようなことがあってはならないだろう。これまで、中国のみならず韓国も北朝鮮も、そしてロシアも、国内に彼らと気脈を通じた人間を作っており、ことあるごとに彼らを通じて国論の分断を計ってきた。こういう「反日」勢力は、議員、マスコミ、そして国民、さまざまな分野、レベルに存在し、これまで日本の分裂と混乱に寄与してきた。今回も、そういう人たちを通じての分裂工作が行われるだろう。これら国内の反日勢力の策動を許してはならず、そのためには国民は団結しなければならない。

<「会談拒否」を対日圧力カードにしたのは実は日本自身である>
日本が「友好」についてものほしそうな態度をするから、これまで中国は(のみならず、近隣諸国も)、「会談中止」、ないしは「会談延期」という手段を圧力カードにして日本を揺さぶってきた。周知のようにこのことの最悪ケースが2010年11月の横浜APECにおける菅前首相の対応であった。彼は「出席してもらえるならどんなことでも…」という姿勢で胡錦濤国家主席の出席を請うた。首脳会談は中国に焦らされなかなか決まらず、会談直前に決まり、その時間もわずか20分という異常なものであった。その結果、日本は尖閣漁船衝突事件などについての抗議らしい抗議も出来ず(政府は日本の立場を伝えたというが、その形跡はない)、菅前首相は胡錦濤国家主席にまるで臣下の礼をとっているような、あるいは許しを乞うような態度をとり、そういう菅首相の写真が世界に報道されたのであった。この会談は、中国側からは『会談』ではなく、『会談』よりも格の低い話し合いを意味する『会晤』として扱われた。中国側は、米国、ロシア、韓国との間の話し合いには、「会談」という言葉を使っている。日本は完全に従属国ごとき扱いを受けたのであるが、こういう事態を作り出したのは菅前首相その人であった。このような中国の態度に追い縋って、仲直りを訴える日本の姿は惨めそのものであった。外交史に残る日本屈辱の日と言える。一体なんのための胡錦濤国家主席の招聘であったのか、何のための首脳会談であったのか。日本が得たものは何もないばかりか、失ったものははかりしれないほど大きかった。
なぜこういうことになるのだろうか。この原因は中国にもあるが、それ以上に実は日本にある。日本が意味もなく異常に「友好ムード」を求め、そのための会談を求め、そのためには何でもするという卑屈な態度をとるものだから、彼らもこういう状況を外交に利用したいと思うのは当然のこととなる。今回の胡錦濤国家主席の「会談拒否」は、これを圧力カードにして、日本の分断、揺さぶりを狙ったものだろう。上述外交筋が言うように、中国国内世論の過熱化を抑えるため、そして自身が国民から批判されないようにするためという側面もあるだろうが、やはり主たるものは、「臣下の礼をとらぬ者には会わない」という伝統的な中国の外交政策思想にもとづくものだろう。国内では、中国のこういう出方に、恐れ慄いて、「すぐに修復を計るべきだ」との声が出るはずである。しかしわが国は中国の属国ではない。こういう大昔の考え方は、わが国が目指している国のあり方とは全く違うものである。日本はそこまで情けない国でもない。何もあえてことを構える必要はないし、出来ることなら関係を改善すべきであるが、これまでのような「一方的なすりより」はもはや許されないのである。

<尖閣は日本の「核心的利益」である>
そもそも歴史的経緯からして、尖閣が日本固有の領土であることは、一目瞭然の事実である。それを屁理屈をつけて、少しずつ主張と領海侵犯を強め、40年かけてついに彼らは尖閣を「中国の「核心的利益」とまで言って憚らないようになった。これは彼らが、自分たちの主張のなんらの根拠を持たなかったものだから、領海侵犯の「実績」の積み上げによって、それを根拠にしようとしてきたし、それがほぼ完了したということである。しかし、これだけでは決定的な根拠にはならないから、今彼らが戦略的に目指しているのは、尖閣上陸であるだろう。その下ごしらえが「尖閣は中国の「核心的利益」というプロパガンダである。
実は、ここまで彼らを増長させた責任は日本にもある。彼らの不当な主張を、そして不法な行為を、何もすることなく手をこまねいて40年も放置したツケが回ってきたということである。ここまで大きく後退したのは、「ことなかれ主義外交」、「腰砕け外交」、さらには「土下座外交」などによって事態を穏便に抑えようとしてきた日本自身なのである。言うまでもなく、こんなことでその野心を捨てるような柔な彼らではない。これは、中国が異常なのではなく、どの国であってもそうであり、理由もなく自らずるずると一方的に後退する日本の方が実は異常というべきだろう。いまや尖閣はいつ中国の侵攻が行われ、占拠されてもおかしくない状況にある。このまま手をこまねいていれば、近いうちに必ず占拠されるだろう。もうこれ以上の後退は許されない。また、もう一刻の猶予もならない。機会を捉えては「尖閣は日本のものであるので、領海侵犯は許されない」ということを強く主張し、彼らを牽制し、それと同時に尖閣の強い防衛体制を可及的速やかに整える必要がある。

<日本外交の転換を! 意味のない「友好ムード作り」のためだけの外交、首脳会談を改め、本当に実りある会談を!>
外交は、国益を守るためのものであり、これを忘れたものはもはや「外交」とは言えない。外交は駆け引きであり、忍耐比べであり、そして圧力、防衛力が必要なものだ。
今回の中国に限らず「ムード」演出のためだけの首脳会談は百害あって一利ぐらいがあるという代物であるだろう。相手が「会談拒否」するのであれば、こちらもそうすればよい。わざわざこちらから頭を下げることではない。このことは中国のみならず、韓国、北朝鮮、ロシアについても同様である。これまでの、「ことなかれ外交」、「儀礼(だけの)外交」、「朝貢外交」、さらには「土下座外交」まで、こういう外交ならしない方がましである。実質のある会談が出来る環境が整ったときに行えばよいだろう。
ロシアのプーチン大統領は、今月18、19日に米国で行なわれるG8の首脳会議を国内政治の多忙を理由に参加を断った。そもそも大国主義、覇権主義国家への回帰を標榜しているように見えるロシアはG8に参加する適正に欠ける国ではないかと思われるが、それがこのような行動によく表れている。これに対して、オバマ大統領は、9月にウラジオストックで行われる予定のAPECへの参加を国内政治の多忙を(プーチン欠席の報復か??)理由に欠席することを検討しているという。要は、外交とはこういう駆け引きであり、攻撃と報復の押収でもある。むやみに参加したがったり、参加してもらうために相手に譲ったりする必要はさらさらないと言える。
それをこれまでの日本のように、参加するだけが目的となったり、出席者を確保することに汲々としたりするのは、結局は国内の政治的基盤が弱いから、それを外交でカバーして、国内の政権基盤を強化しようという、全く筋違いの、姑息なやり方である。こういう発想の外交は、その基盤の弱さをたちどころに見抜かれるから、いくらやってもつけ入られるだけである。首相は、本来であれば確固たる国内の政治基盤の後押しを受けて外交に臨むべきであるが、国内政治で八方ふさがりの状態に置かれているのでそれは期待出来ない。野田首相はせめても確固とした信念のもとに、毅然たる外交を進めてほしい。プーチン大統領との会談も、毅然たる対応で、返還をしっかり要求してもらいたい。

自衛隊の「尖閣奪還作戦」は、「尖閣贈呈」だ! 政府、防衛省は責務を果たせ! 法を改定し真の防衛を! 

2012-05-12 20:13:54 | 政治
連絡; 昨日 一本アップしていますので見てください。

陸海空3自衛隊が昨年11月の統合演習で、沖縄・尖閣諸島が中国に占領されたと想定し、詳細な奪還作戦を策定していたことが分かった(下記 関係記事参照)。擬装漁民の不法上陸をきっかけに周辺海域まで中国に占領されるというリアルなシナリオで構成され、中国の弾道ミサイルの命中精度向上を踏まえ、陸海空3自衛隊の「統合運用」による迎撃能力の強化策も検証していたとのこと。
さて、これはこれで一応受け止めるにしても、国防を真剣に考えてみると、ここに示されている内容は、かねてから不安視されていることが実際のものであることを示しているのではないだろうか。それは一言で言って、なぜ「尖閣防衛」でなく「尖閣奪還」なのかということである。ここに示されているのは「やれることだけをやっておけばよい」とでもいった無気力で無責任な「形ばかりの国防」である。「やるべきことをする」という本来あるべき意志はどこにも見られない。そこで今回はこの「尖閣奪還作戦」なるものを検討して、ここから見えてくる問題点を洗い出し、国防の一助としたいと思う。

<「奪還」作戦は、「尖閣贈呈」作戦ではないか!>
まずこの作戦がどういうものかをざっと見てみよう。記事によれば、作戦は次のようなものとされる。
「事態は(1)平時での不法行動(2)武力攻撃予測事態(3)武力攻撃事態と認定しての着上陸作戦-の3段階をたどると想定されている。つまり、
1_まず中国側は漁民を装った「海上民兵」が尖閣に不法上陸する。―平時の不法行動―
2_これをきっかけに中国海軍が尖閣周辺海域に艦艇を派遣、水陸両用・空挺(くうてい)部隊も展開する。 中国の戦闘機は九州周辺の日本領空にも波状的に侵入する。 ―武力攻撃予測事態―
3_これに対し、自衛隊は中国の不法上陸後、中国海・空軍の動向から「国家意思」を確認した段階で、 -武力攻撃事態― 
島嶼(とうしょ)防衛の中核部隊と位置付けられる陸自「西部方面普通科連隊」(長崎)が佐世保(同)から海自輸送艦で緊急展開。着上陸作戦により、中国の水陸両用部隊や空挺部隊を尖閣から排除する。―「尖閣奪還」作戦―
というようなことであろうか。
しかし、以下に明らかにするように「尖閣奪還」なる作戦は、現実に使われることはないだろうから、それゆえ役立たないものであり、国防作戦としては誤っていると考えられる。ただし、次のことは述べておく必要はあるだろう。これは3万5千人の自衛隊員を訓練することや、日本の安全保障環境が極めて厳しいものであることを明らかにする点では意味はあるということである。また、これは自衛隊そのものの問題というよりも、その運用の問題だから、政府、防衛省がその責を負うべき問題である。
そこで、主要な問題点としては、
一つに、なぜ「防衛」の作戦がないのかということである。もっとも重要な点がすっぽり抜けている。戦う前から領海と領土(島)が侵略され、占拠されることを前提とした国防作戦など、作戦とは言えないだろう。すべての場合を想定した万全の「国防作戦」があって、その上での万が一の場合に備えての「奪還」作戦なら言うことはないのだが、記事からすればそうではないようだ。
二つ目に、ここにはなんらの戦略性も見られないことである。この作戦が意味することは、中国による尖閣の占領までは日本政府は自衛隊を動かさないということである。つまり、尖閣領海侵犯は何の反撃も受けることなく達成可能であることを表明している。そうでなくても、最近中国による尖閣侵略の意図を持った領海侵犯が頻発しているのに、ご丁寧にもそれに「安全、安心のお墨付き」を与えているのである。これでは、尖閣を奪ってくださいと言っていることに等しい! なんとお粗末で稚拙な防衛感覚であることか!
三つ目に、万が一、尖閣が侵略され占拠を許したとしたとき、果たして「奪還」作戦を発動する余地があるのかと言えば、それはまず在り得ないと言える。またもし、この作戦が発動されたとして、「奪還」が実現するかと言えば、まず不可能だろう。つまり、「尖閣奪還」なる作戦は、実際的には在り得ないことである。にもかかわらず、肝心の「あり得べき事態」に対処する作戦はないのだから大きな問題である。
四つ目に、それゆえ、日本がとらなければならない戦略は、尖閣の占拠を許さない方策、すなわち、領海、領土境界線上で敵を排撃すること、これに尽きるだろう。

<法体系の不備=国防意識の欠如>
やはり問題は、従来から指摘されていること(私の先週のエントリーにも記した)にあるようだ。すなわち、「問題は、(外国が)日本の領海を侵犯しても、現行法では海上保安庁が退去を求めることしかできないことだ。仮に中国側が漁民を装った海上民兵を尖閣諸島に上陸させ、占拠しても、現行法の解釈では、自衛隊は領土が侵されたとして対処することはできない。代わりに警察が出動し、入管難民法違反などで摘発するしかないのだ。これは政府が自衛権の発動に厳しい枠をはめているためだ。「わが国に対する急迫不正の侵害」など、自衛権発動には3要件がある。それも「他国」による「計画的、組織的」な「武力攻撃」に限定している。」<3日 産経 社説>
つまり、現行法では自衛隊はなんらの防衛行動にも出ることが出来ず、自衛隊が行動を開始できるのは、「他国」による「計画的、組織的」な「武力攻撃」、すなわち中国の日本への武力侵略についての「国家意思」が確認されなければならないということである。しかしこれは後述するように、実践的には確認不可能な内容である。こういう抽象的な規準に基づいて行動を起こすかどうかを判断するということは、結局は、判断できず、行動を起こせないということに等しい。
これは、「防衛」を成し遂げようとする意志が極めて希薄であることの表明でしかない。というのは、これは現行法(あるいは憲法)を改定すればよいだけの話であるにもかかわらず、それをしようとしていないからである。この点で、政府、防衛省の無作為、無気力、無責任は厳しくとがめられなければならないだろう。なお、自衛隊は、本来の力を発揮することが阻害されているという意味でこの無作為の被害者ということにもなるだろう。

<海保、警察の「尖閣防衛作戦」はどうなっている?>
百歩譲って、最初からは自衛隊を出せない、出さないとすれば、海保、警察で、「尖閣を死守する作戦」がなければならないだろう。「これで絶対大丈夫です」という案を見せてもらいたいものだ。それが無いとすれば、政府にも、防衛省にも、自衛隊にも、海保にも、警察にも、尖閣を守る気も術もないということになる。これでは国の体を成していない。政府の責任は限りなく重い。
<中国の「国家意思」などといったものは永遠に確認できないだろう>
そもそも、この作戦は、想定がことごとく日現実的であり、甘いと言わざるを得ないだろう。日本の侵略に関する中国の「国家意思」の確認など、ばかげたことである。中国は、尖閣を「核心的利益」と言っており、中国領だと言っているのだから、よほど偶発的な事態を別にして、起きることはすべて中国の意思であることは明らかだ。ところが、尖閣侵入後は公にはそうは言わないだろう。たとえば、「漁民がやっていることで、国家がやらせていることではない。ただし、尖閣は中国のものだから、彼らが違法なことをしているわけでもない。しかし、中国は無益な紛争を望まないので、日本としっかり話し合う用意はある」というようなことで、何ヶ月もだらだらと話し合いをさせられるだろう。尖閣に一人でも上陸させることが出来れば、侵略のしっかりした橋頭堡は打ち立てられたのであり、中国としてはそれを守るために、すなわち実効支配を続けるために、あれやこれやの引き伸ばしを図るだろうことは見やすい道理である。このような状況の中で、どうやって「国家意思」を確認するというのか。最初から「国家意思」であることは明らかであるにもかかわらず、それをそう認定しない以上は、政府はすでに矛盾と混乱の中にあって、その後に認定することなど出来るはずもないだろう。それは、尖閣の「漁船衝突事件(実際は、意図的な領海侵犯)」における政府の混乱と無作為、法と正義を捻じ曲げてまでもただひたすら中国の要求を受け入れることで幕引きを図ったという卑屈な対応ぶり、そして東日本大震災、福島原発事故における混乱と無作為、そして緩慢な対応ぶりからも明らかだ。尖閣が侵略され、全面的な武力衝突に入るかどうかというような非常事態において、日本政府がこのように不明瞭な「国家意思」を判定し宣言することなどできるはずもないだろう。だから、自衛隊はいつまでも動けず、すぐに一、二週間は過ぎて、その間に、実効支配(尖閣内の諸体制整備、外交的宣伝、正規軍による防衛体制)を強められてしまうだろう。
こうした状況の中で、自衛隊が「尖閣奪還」行動に出るとすれば、中国は「わが領土にて漁をしていた漁民が、理由もなく日本の自衛隊に襲われた。中国は国民の生命を守るために、このような無法で不正義な日本の領土侵略を許すことは出来ず、やむを得ず断固とした武力による反撃に出ざるを得ない」と世界中に宣言した上で、正規軍を出すだろう。その時、日本はどう反論するのか?政府は、これまで尖閣が日本領であることを国内的につぶやくだけで、世界に説明していないのだから、どちらが正しいのかわからず、中国の発表を信用する国も出てくるだろう。特に、「中国漁民が住んでいる島が日本から襲われた」という中国の主張には、真実性があるように受け取られるだろう。なぜなら、日本人が住んでいなかったことは事実だから、説得力ある反論は容易ではない。下手をすると、日本が世界から糾弾されかねないのだ。このように、どちらが占拠していたか、どちらの人が住んでいたかという問題は、その後の展開に大きな影響を与える。
もし国連が出てくれば、調停作業が延々と行われることになるかもしれない。そのとき、中国はすでに実効支配しているのだから、日本が強行手段に出ようとすると、武力衝突が拡大することを望まない国連、各国、そして米国は日本に自重を求めてくるだろう。かくして、「尖閣奪還作戦」は完全に出番を失うことになる。

<「奪還」は「防衛」より十倍も難しい>
敵の領土侵略に何も手を打てず、手をこまねいて黙って見ているような国、軍隊に、「奪還」作戦など出来るはずはないだろう。1982年のフォークランド紛争では、サッチャー首相は、直ちに空母2隻を中心とする大艦隊を派遣し、優勢な軍事力と情報収集能力・外交力を生かし、激戦を制して3ヶ月という短期間の戦闘で島を奪還することに成功した。しかし、現在の日本には、サッチャーのような鉄の意志を持った愛国的かつ有能な首相はいない。空母もない、核もない、かつ敵はアルゼンチンよりも何倍も強力だ。たとえ「奪還作戦」に入ったところで、敵も本格的に防衛を行うだろうから、とても奪還を成功させることは出来ないだろう。純粋軍事的に見てもこうなのだから、まして強い国家意思を持って望んでいる敵に対して、わが国のふらふらした政府主導では、なおさらのこと奪還は望み薄となる。
頼みの綱は米軍だが、それとても日本が戦わないのに、日本領の奪還のために米国市民の血を流すはずもない。まずは、日本が必要なところで間髪を入れず、断固として尖閣防衛のための先頭の火蓋を切ることが不可欠なのだ。これなくして、いくら米国に支援を要請しても、彼らも戸惑うだけだろう。日本にしっかりした意志が見えないのに、日本に代わって尖閣を取り返してくれるなど、いくら同盟国とは言え、そこまでするわけがない。
そこで、現在の優柔不断な日本政府は、例によって国民の意志が重要だとして、「どうしますか」と国民に聞き、「奪還せよ」との国民の総意が出るまで、日和見を決め込むことだろう(現在の日本のように「総意」が「反対がない」のことであれば、何年経っても話はまとまらないだろう)。このような訳で、一旦奪われたらそれを取り返すことは、実際には不可能なのだ!! 結局、この「奪還作戦」は日の目を見ることはなく、尖閣は、竹島、北方四島と同様の運命をたどることになるだろう?! あるいはそこまで行かずとも、国連が途中で「妥協」提案として、「半分半分の共同所有」というようなことで、半分を持っていかれるかもしれない。(これは中国にとっては法外な成果となるだろう)

<国の「防衛」概念の変更が不可欠! 「防衛のための敵国領土(海)攻撃」以外はすべて行うべき。重要なことは、まずはしっかりした「牽制」、次に迅速かつ適切な「初動」、最後に武器による断固とした「反撃」だ。>
この「尖閣奪回作戦」に表れている考え方は、完全に誤っている。というのは、ここに表れている考え方は、敵が「侵略宣言」をしない限りは、平和的解決の手立てを尽くすべきであり、たとえ日本の領土(海)が侵略・占領されたとしても、戦闘行動に入るべきでないということである。だから、これは国の防衛でも何でもなく、「右の頬を打たれたら左の頬を向けよ!」というマゾヒスティックな自虐思想、夢想的無抵抗主義でしかない。こんなものは、国防でも、軍事でも、政治でもなく、単なる観念的な自慰行為にしか過ぎない。このような夢想は直ちに捨てさるべきである。
防衛はこのような消極的な無作為ではなく、積極的に防衛作用を具体的に生み出していく営みである。日本は「平和主義」を標榜しているのだから、通常の軍事では当然のこととされている「防衛のための敵国領土への(先制)攻撃」までは踏み込むべきではないだろう。これは、相手国の領土、領海侵入であるからやり過ぎの感がある。これはしないにしても、わが国の領土、領海内では、あらゆる戦闘行動を取る権利があるはずだ。だから、日本がとるべき防衛戦略は、まずは武力による「牽制」であり、次に領土を侵犯した敵に対する断固とした武力による「撃退」行動である。すなわち、この至極当然の、そしてどの国でも行っている防衛行動を行うことをしっかり宣言して、邪な考えを持つ国を徹底的に牽制して、彼らが実際に行動を起こすことに歯止めをかけることである。その上で敵が、尖閣周辺のわが国領海、領土を侵すのであれば、それが漁民であれ、海監であれ、航空機であれ、正規軍であれ、その領土侵犯を咎め、日本国法に従わせることであり、もしそれに従わないもの、抵抗するものはそれを撃破することだ。特に、この行動の中での「初動」が適当かつ断固としたものでることが重要である。そうでないと、上述のようにどこまでもずるずると後退し、結局領土侵犯を日本自ら許容することになってしまうだろう。日本は、「防衛」概念を適切なものに改めるとともに、その概念を次のすべてのことで具体化することが急務である。
法・憲法、政治、外交、軍事、教育、経済、漁業、地方自治

<政府、国会は直ちに法、憲法の改正を行い、実効ある防衛体制を構築すべき>
だから、今なすべきことは、早急に現行法に対して必要な改正を行い、自衛隊が緊急事態に即対応できるように、すべきである。もちろん、海保や警察に関係する法整備も同様である。そもそも領土侵犯を取り締まる法律が存在せず、入管難民法などで、領土侵犯者を取り締まろうということ自体が全くの怠慢であり、無責任であり、国防意識の欠如であると言わざるを得ない。それゆえこの際憲法改定が必要なら、直ちに行うべきだ。そして、それが出来るまでは暫定法を作り、それで対処すべきだ。その上で「尖閣防衛」、その補足としての「奪還」作戦を立て、防衛体制の整備と訓練、演習がなされることになるだろう。

【関係記事】 _5月09日 産経_
■陸海空3自衛隊 尖閣奪還作戦を策定 「中国が占領」連携対処
 陸海空3自衛隊が昨年11月の統合演習で、沖縄・尖閣諸島が中国に占領されたと想定し、詳細な奪還作戦を策定していたことが8日、分かった。擬装漁民の不法上陸をきっかけに周辺海域まで中国に占領されるというリアルなシナリオで構成され、中国の弾道ミサイルの命中精度向上を踏まえ、陸海空3自衛隊の「統合運用」による迎撃能力の強化策も検証していた。

 対中有事に関し、防衛省は平成22年12月の「防衛計画の大綱」策定直後にも態勢強化に向けた尖閣占領シナリオを策定。今回はこれをより具体化させ、対処要領をまとめた。

 統合演習は、沖縄近海の特定海域を尖閣諸島に見立てて実施。事態は(1)平時での不法行動(2)武力攻撃予測事態(3)武力攻撃事態と認定しての着上陸作戦-の3段階をたどると想定した。

 まず中国側は漁民を装った「海上民兵」が尖閣に不法上陸すると想定。これをきっかけに中国海軍が尖閣周辺海域に艦艇を派遣、水陸両用・空挺(くうてい)部隊も展開するとした。中国の戦闘機は九州周辺の日本領空にも波状的に侵入するとした。

 これに対し、自衛隊は(1)陸自部隊の統合輸送・機動展開(2)防空作戦(3)対艦攻撃(4)自衛隊と米軍の施設防護(5)尖閣での着上陸作戦-の5つの作戦で応戦する。

 具体的には、中国の不法上陸後、中国海・空軍の動向から「国家意思」を確認した段階で、島嶼(とうしょ)防衛の中核部隊と位置付けられる陸自「西部方面普通科連隊」(長崎)が佐世保(同)から海自輸送艦で緊急展開。着上陸作戦により、中国の水陸両用部隊や空挺部隊を尖閣から排除する。

 防空作戦・対艦攻撃では、海自佐世保基地の艦艇、空自の築城(ついき)(福岡)・新田原(にゅうたばる)(宮崎)・那覇(沖縄)3基地の戦闘機を投入。防空作戦では、中国によるミサイル攻撃に備え、陸自高射特科(砲兵)部隊だけでなく、地対空誘導弾パトリオット(PAC3)などによる広域防護を担う空自高射部隊との連携拡大に重点を置いた。

 いずれも自衛隊による単独作戦を想定したが、実際の有事では米軍も参加し、より強力かつ重層的な作戦が可能になるとみられる。

 一方、問題点も浮かび上がった。尖閣占領が民兵上陸に端を発するならば、海上保安庁や警察が初動対応を担うが、自衛隊との連携強化は進んでいない。陸自部隊の輸送力強化など機動性を重視した防衛力整備も急務となる。

【用語解説】自衛隊統合演習
 昨年11月14~18日の間、約3万5千人が参加した大規模演習。九州南西・沖縄方面を主な訓練場所として武力攻撃事態での自衛隊の対処を訓練した。主要訓練事項は「島嶼部の防衛を含む各種行動」と発表している。


子供「連れ去りは「日本による拉致」だ! 直ちにハーグ条約加盟を! 北拉致 領土問題へも影響大だ!

2012-05-11 04:02:54 | 政治
米キャンベル国務次官補は7日、拉致家族会との面会で、拉致問題の解決に協力を約束する一方で、子の連れ去り問題を並行して考えてほしいとの意向を示したという。これは、国際結婚が破綻した夫婦の子供の扱いを求めたハーグ条約を日本が締結することを求めたものであるが、北の拉致も子供の連れ去りも、本人、家族には切実な問題であり、この要請は十分理解できることである。ところが、拉致被害者家族会などは、北朝鮮による拉致と日本人女性が子供を連れ去るケースとを同一視したとして、米国に抗議したと言う(下記、関係記事参照)。キャンベル次官補は、「この二つの問題は同一ではない」と断った上での要請をしているのだし、これら二つの問題の経緯を考えると、日本側の対応には大きな問題があると思う。
この二つを同一視することはおかしい、というのは日本側の身勝手な理屈でしかない。9日の報道によると、米側は日本の反発に配慮して、キャンベル発言の釈明と事態の沈静化を計っているようであるが、日本側こそ軌道修正すべきであり、米国の「善意」に甘えるべきではない。北朝鮮のキムジョンイル前総書記は「拉致は一部の人間が行ったもので、朝鮮政府の知らないところで行われた」と言って小泉首相に陳謝したものの、事態は一定のところで停滞し改善していない。日本のやっていることも程度の差こそあれこれと同じではないか。つまり、一部の日本人妻がやっていることを、政府もこれまで黙認して来ているのだから、結局国家による「拉致」と似たようなことになるのではないか。伝統や文化の違い、夫によるDVがあった、国内法が整備できていない、時間が必要だとか、日本側の都合をいくら並べてみても、身勝手な主張にしかならない。人道、人権に敏感な国は、これらをちゃんと克服して条約に加盟しているのだ。人道上の問題からも、人権の観点からも、さらには北の拉致問題、そして領土問題を解決させる観点からしても、日本は直ちにハーグ条約に加盟すべきだ。ぜひとも、今国会で成立させて欲しい。

<人道意識、人権意識の薄さ、身勝手さ晒す日本!>
 今この条約には、87カ国が加盟していて、主要国で未加盟なのは日本だけである。どちらが遅れているかを日本と争っていたロシアも一年前に加盟した。要は、人道、人権、民主主義についての日本の意識レベルはロシアよりも低いということだ!他の国は条約に加盟して子どもを返還することがあるのに、日本は一度も政府が関与して子どもの返還をしたことがない。現在の日本の裁判所は、子供がいる方の親に親権・養育権を与えるし、法律では面会交流の権利は保障されていない。だから、日本に子供を奪取されてしまえば子供と会うことすらできなくなり、一生生き別れになってしまうこともある。
米国政府から指摘された日本人による子供連れ去りの事例は約100件(日本が最多!)。このほか、英国などからも、日本人女性が子供を連れて無断で帰国するケースが相次いでおり、海外の政府はこのような日本の対応を厳しく批判して、ハーグ条約への早期加盟を求めている。世界の中での民主主義国、先進国と自負している日本の姿はどこに見出せるのだろう?
米側の圧力もあって昨年、日本政府もようやく重い腰を上げ、ハーグ条約への加盟を閣議決定した。政府は、ハーグ条約加盟に向け、関連法案を今通常国会に提出し早期成立を期しているが、消費増税問題に追われる首相にはやる気は見えない。野党は法案の趣旨に賛同しているものの、国会戦術上の駆け引きで審議時間を確保できない展開も予想され、成否は不透明だ。この状況に米国側も、いらだちを強めているのである。
会談に同席していた平沼拉致議連会長が「政治問題にさせるつもりはない」と逃げたのは解せない。藪蛇と思ったようだが、なぜ「今国会で成立させたい」と決意を述べないのか! どうもこの人には、外交や経済、防衛などの定見はないようで、あるのは日本の伝統文化と天皇制への関心だけらしい。理不尽に連れ去られる子供や親の心の痛みなどはわからないようだ。

<北による「日本人拉致」の問題は日本の問題だ! 世界に支援を求めるには、「人道、人権」で同じ価値観を共有するしかないではないか!>
ここでまずはっきり確認されなければならないのは、北による日本人の拉致問題は日本の問題であって、米国とは直接の関係がない問題だということである。つまりこれは第一義的には、日本が自力で解決しなければならない問題だということである。何人かの欧米人の被害者もいる可能性はあるが、それも第一義的には彼らの母国がその奪還に責任を負うべきものである。少なくとも彼らの国では大きな問題にはなっていない。これを踏まえて考えると日本人拉致被害者家族が米国に行き、米国の協力を求めているが、一体どういう立場でそのようなことが可能なのか、根拠は何か? まさか、「米国は世界のあらゆる問題を、申し立て者の満足のいくように解決する義務がある」というわけではあるまい。このことを突き詰めると、米国が日本人の拉致問題の解決に協力している理由は、次の二つのことにしかないはずである。
一つは、小泉政権下において、日米が緊密な同盟関係を確立出来たことである。東アジアの安全保障の脅威である北朝鮮に対して、同盟の連携による対処を確認し、その一環として米国が協力を約束したからである。もう一つは、潜在的な理由として、米国には、人道、人権問題に対する明確な規範があり、国内外を問わずその解決に取り組もうという伝統的政策があることである。これは良く言えば「善意」、「良識」、悪く言えば「世界戦略」なのであるが、いずれにせよ、「米国の義務ではない」ことは確かである。
しかし今や、この二つの根拠は極めて弱いものになってしまっている。拉致家族会などはこの点をしっかり踏まえた対応をすべきである。鳩山、菅の二代にわたるデタラメな外交政策で、日米同盟の信頼関係はずたずたになってしまった。残るは二つ目の、「米国の人道、人権に対する良心」であるが、それとて、日本との価値観の共有と連帯があってこそ初めて内容のあるものになる。ところが、あろうことか、日本人が米国の市民の人権を奪い、人道に外れた行為を行っているにもかかわらず、しかも米国はその是正を長らく日本に要請し続けているにもかかわらず、日本政府はそれを無視して、連れ去りを黙認してきたのである。
このような経緯、状況を考えるなら、日本そして家族会はひたすら米国の「善意」、「良識」に頼るしかない立場である。にもかかわらず、米国には日本の拉致家族を守る義務があるとでも言わんがばかりの発現をし、「北の拉致は国家犯罪」と、いかにも自分達だけが深刻で、他は取るに足らないかのように言う傲慢な口ぶりは、筋違いもはなはだしい。
今、家族会、そして支援組織がやるべきことは、米国の「子供を連れ去られた」被害者との連帯であり、日本政府が、人道と人権のために一日も早く「ハーグ条約」に加盟するように日本政府と国会に要求することであるはずだ! 米国の「善意」を期待するのなら、可能な協力はするのが当然であるだろう。しかもそういうことが、拉致の非人道性、権性を世界に知らしめる、日本人拉致被害者の救出を早めることにつながるのだ。子供を日本に連れ去られて、二度と会えない境遇におかれた人たちとの連帯を拒否して、一体だれと連帯できると言うのだろうか。

<ハーグ条約加盟遅れは、不幸な被害者を増やす!! そして日本の友好国、同盟国を失望させ、北拉致、領土問題の解決を一層困難にするだろう>
重要なことは、たとえ条約に加盟しても、その効力はそれが発効した日からとなるから、それ以前の被害者は救われない。日本が引き伸ばせば引き伸ばすほど、救われない被害者、一生子供に会えない不幸な親は増えていくのだ!!日本は、わけもわからない理不尽な理屈を並べ立てて、加盟を遅らせることによって、これ以上の米欧の民主主義国の失望と不信を増幅させることがあってはならないだろう。特に日米関係はそうでなくても、同盟関係の信頼性が崩れているのに、信頼を築けないばかりか、価値観も共有出来ないことがわかり、さらには、同盟国である日本から「拉致」までされたということになれば、日米同盟の基礎は実質的に崩れてしまうだろう。

<日本は「法と正義」に立脚しなければ、北拉致、領土問題に対して、立ち向かうことは出来ないだろう!>
もう一つ重要なことは、日本がこんな状況では、北の拉致問題、韓国、ロシア、中国に関する領土問題について、迫力のある外交交渉は出来ないだろうし、結果、いつまでも被害者、領土は帰らず、またそのうちに尖閣すらも奪われてしまうだろうということである。なぜなら、日本の主張の大儀が失われてしまっているからである。これらの問題の解決のために武力を用いることは出来ないのだから、「日本の武器」は、「国際的な常識、法の精神、正義にかなっている」ということを基本にすることであり、つまり「法と正義」を全面に立てて、論理的で強力な外交交渉をするしかないわけである。そうであればこそ、日本国民も自国の正しさを確信できるし、相手の国民も納得させ、そして世界の友好国の支援も得られるであろう。しかし、日本が今のように、人道や人権に無関心で、しかも道理と正義に基づいて国際的な法や規範を作り、それを守ることに後ろ向きであれば、北朝鮮、韓国、ロシア、中国に対して、日本の正当性を自信を持って主張出来ないだろう。彼らは不条理で身勝手な理屈を並べ立てているが、それに対して日本も同様に身勝手な理屈を並べ立てるようなことがあってはならないし、また日本が身勝手な国であってもならないのである。「どっちもどっち」の争いになっては負けである。「いや、日本の主張には、国際的な常識、法の精神、正義がある」と言ってみたところで、日本自身がこのことを体現していないのだから、迫力はなく、どの国も耳を傾けることはしないだろう。日本政府、家族会そして国民は、北の拉致被害者を救出し、そして領土を取り返すために、条約加盟問題に直ちに決着をつけ、日本が「法と正義」の国であることを明確に世界に示すべきなのである。

【関係記事】_5月8日 東京新聞_
 訪米中の拉致被害者家族会の増元照明事務局長は七日、ワシントンの国務省で複数の同省高官と面会した際、キャンベル国務次官補(東アジア・太平洋担当)が、外国人と離婚した日本人の親が子どもを連れ帰る問題と、北朝鮮による拉致問題を同一視するかのような発言をしたとして、強く抗議したことを明らかにした。
 面会では、家族会の飯塚繁雄代表らが拉致問題解決への協力を米側に要請。家族会側によると、キャンベル氏は拉致問題とは別の問題と断った上で、国際結婚が破綻した夫妻の子どもの扱いを定めた「ハーグ条約」を日本政府が早く批准するよう促したという。増元氏は「拉致は北朝鮮による国家犯罪であり、夫婦の親権問題とは違う」と反論した。
 日本政府は米政府の要請を踏まえ、ハーグ条約加盟に向け関連法案と条約承認案を国会に提出。面会には拉致議連の平沼赳夫会長ら衆参議員も同席しており、キャンベル氏は国会の審議促進を求めたとみられる。英語では国際結婚が破綻した親が、子どもを連れ去ることを「拉致」と同じ意味の「アブダクション」と表現する。