もとなりくんの「今週の政治 ‘とんでも’」

日本の経済、安保危機を打開する力は、国民の結束と強い政治しかない

大飯原発再稼動 橋下維新の真意は何? 「安全強化」は良いとしても「脱原発」は政策矛盾であり迷走だ!

2012-04-27 20:49:52 | 政治
大飯原発の再稼動をめぐる橋下維新と政府・民主党の対立が深まっている。これは、政府・民主党の原発政策が定まっておらず迷走していることに一つの原因があるが、他方では維新の側にも、一体何が維新の本当の主張であるのか、今一つはっきりしないという問題がある。私は、日本の政治改革の一極としての維新には大きな期待を寄せているのであるが、大飯原発の再稼動問題をめぐるその動きには疑問を呈さざるを得ない。そこで今回は民主党や自民党の問題はひとまずおいて、維新の一連の言動とあるべき原発論議について述べてみたい。

<維新は「脱原発」か、それとも「安全強化」なのか?>
現在の維新の主張が本当の「脱原発」であるのか、それとも「原発許容」ではあるが、現在の政府対応では「安全」が担保されていないと言っているのか、はっきりしない。さらにもう一つ考えられることは、維新の主張は十分検討された政策ではなく、単に選挙の票目当ての方便ということかもしれない。これらのどれなのかが今一つ明確でない。それゆえ維新の原発政策については原発推進論者と脱原発論者の双方が期待と同時に疑念を持っているはずである。どちらにも思えるようにして、双方から期待、支持を集めるというやり方は橋下氏の政治的駆引き、勝負感の冴え、いわば政治的センスによるものであるが、これも度を過ぎると害悪ともなりかねない。現状のようなやり方は問題であると言わざるを得ないだろう。

橋下維新の発言を素直に解釈すれば「脱原発」、「反原発」ということになるが、後述するように、これでは「大阪都」、「関西州」の構想と整合性が取れない。だから必ずしも「脱原発」、「反原発」とも言えない面がある。だからと言って、「安全」を徹底した上での「原発許容」のようにも見えない。となると残るは三つ目のものということになりそうである。
維新は「「8つの提案」を原発再稼働の条件として掲げ、是非を問う構えだ。維新幹部は「原発再稼働問題では、かなりの支持が見込める」と語り、次期衆院選の争点化を進める狙いを隠さない。」(25日読売)。つまり、維新は「脱原発」を争点化することによる集票効果に目が眩んでいるのではないかと思えるのである。
維新はまだ国政に進出するに十分な定見を持っていない、言い換えれば国政のノウハウが足りないということではないだろうか。しかし、これは国政に進出できないとか、すべきでないとかを意味せず、単に維新がこれからもっと本格的に取り組まなければならない課題があるということである。要は、維新はこれからの政党だということである。
だから維新の本音、あるいは落ち着き先がどこにあるのかは、今のところはっきりしないので、断定するわけにはいかない。そこで一応現在彼らが言っていることだけについてコメントしていきたい。

<「専門化が安全を宣言すべき」という主張には賛同できる>
24日の維新と藤村官房長官との会談では、橋下氏は「政治家が安全宣言をしたのは絶対におかしい。原子力安全委員会に安全性のコメントを出させるべきだ」と述べた(24日毎日)。これに対して藤村氏は「政治家が安全を宣言しているわけではない。安全性はあくまで専門的、技術的な観点から判断されている」と反論。議論は平行線に終わったとされる(同)。
福島原発事故のような歴史的、世界的な大事故を起こした割りには、その後の政府対応はお粗末である。「一次ストレステスト」でどこまでが確認できているのか、安全保安院の「30項目の改善策」でどこまでの安全が確保出来るのか、そしてこれらと大飯との関係はどうなっているのか。今回までの仮の対策と恒久的対策との関係、そして恒久的対策はいつ完成するのか、こういうことのタイムスケジュールはどうなっているのか。またIAEAとの連携した対応はどうなっているのか。「二次ストレステスト」の内容や実施時期はどうなっているのか。そもそも福島原発の事故原因調査の結果はどうなっているのか、これと原発再稼動との関係はどうなっているのか。これらのことについての説明は、断片的かつ消極的な形では なされてきたものの、体系的で総合的かつ積極的なものとしては なされておらず、もやもやしているだけで、いつまでもすっきりしない。この間の政府対応を見ていると、あれだけの大事故に対して、明確なけじめをつけることなく以前と同様のやり方で、なし崩し的に大飯の再稼動をしようとしているように見える。実際は、それなりの検討はなされているはずであるが、説明を最小限にして乗り切ろうとする姿勢であるので、どうしても不信感がつのるのである。
政府は、これらのことについて総合的な見解を出し、地元民、国民にしっかり説明すべきだ。そして、説明は関係閣僚からはもちろんであるが、安全委員会の直接的な説明も聞きたい。従来のやり方は、安全委員会は政府の後ろに隠れ、表に出ない、そして、政府は「専門家の意見を反映した結果だ」ということで処理を進めていく、ということであったろう。しかし、これでは、どこが、そして誰がどういう考え、責任と権限を持ってやっていることなのかが明確になっていないので、何かが起きても結局はうやむやになってしまう。こういうことが無いように、事前に政府の見解と同時に、安全委員会の見解もはっきり聞いておきたいものだ。そして両者の間に矛盾がないこともしっかり確認しておきたい。なにしろ、原発の安全は、まずは優れて「技術的なこと」であるので、科学・技術者からのしっかりした説明を聞かないと納得できないのである。藤村官房長官は「専門家の意見を反映している」と言っているのだから、「安全委員会からの説明」に異存はないはずである。

<合理的で現実的な安全策が目指されるべき>
ところで、「安全」とはどういうものかについて考えてみると世の中に「完全な安全」、「絶対的な安全」というものはあり得ないことがわかる。このようなものが確保されない限り行動はできないものとすれば、事故リスクがあって車には乗れないし、墜落リスクがあって飛行機には乗れないし、副作用リスクがあって薬は飲めないし、おぼれるリスクがあって海水浴も出来ない。一事が万事こういう調子になってしまうから、こういう非現実的なものを求めることは馬鹿げたことであり、求められるべきは合理的で現実的な安全性なのである。それは十分な科学的知見にもとづき、可能な限りの想定を立て、それらの検討を行い、必要な対策を施し、さらにそれに適度な余裕をつけることによって得られた結果を、合理的で現実的な「安全確保」と見なすということであるだろう。

科学的、技術的に「完全な安全」、「絶対的な安全」を追求する努力は必要であるが、これらは極限としての理想であるので、これに到達することは出来ない。他の多くの事象と同程度にまでリスクを下げることができれば、良しとするしかないだろう。安全度が上がるたびに努力の効果は薄れ、膨大な金、時間、労力をかけても、得られる安全の改善は微々たるものになってしまう。それゆえ、どこかで「安全が確保されたこと」の線引きをする必要がある。
国の原子力安全規制や防災体制などの改革が必要なのは確かであり、大阪維新の会が出した8条件などの要求もそれなりに考慮され、可能なものは反映される必要あるだろう。しかし、実効性ある改善には更なる審議や時間が必要という現実の下で、これらを直近の必須の要件としたら、現在の国民の生活に大きな悪影響が出るとともに、そうでなくても、弱体化している日本の経済は混乱し、さらに沈んでいくことになる。だから、ここには自ずと適正な線引きが必要になってくるのである。
福島第1原発事故を受けて大飯原発が実施した安全強化措置を見ると、致命的事故に至るまでの余裕(耐性)が福島第1と比べて相当に向上していることは確かであり、「更なる強化措置を速やかに実施する事を条件として再稼働できるレベルに達している」と判断できるラインがあるはずである。政府、そして国民は、こういう考えに沿って議論をし、最適なラインを見出すことが必要であり、それはまた可能であるだろう。留意すべきことは、「安全」は一旦確立されたら、長期にわたって持続するというような固定的で静的なものではなく、変動する動的なものであり、常の監視と改善の努力の継続が求められるということである。原子力は、菅前首相のいう「統制不可能な技術」といったような、正体不明なもの、人知及ばない恐ろしいものではなく、すでに解明済みの、そして人間が統制できる技術である。ここで求められているのは、これまでのものに最大効率、最大効果の改善を継続的に加えていく営みなのである。

以下は、京都大学原子炉実験所教授・山名元原(やまな はじむ)氏による24日づけ産経【正論】記事の一部抜粋である。参考までに掲載しておきたい。「再稼働の条件として安全確保が必要であることは当然であるが、これは「社会リスクと安全リスクの対比」として判断されるべきものである。トラウマ的な感覚だけから再稼働を遅らせて社会的なダメージを被る損失はあまりに大きく、絶対安全とまでは言えなくとも、十分な安全の「余裕代」を確保できれば、再稼働して社会リスクを回避するメリットの方が高いという判断は十分にあり得る。」。ここで言われる「社会リスク」とは、原発停止が社会にもたらす負の障害要因のことである。

<原発なくして何のための「大阪都」、「関西州」?>
私の理解では、「大阪都」や「関西州」の構想は、地方行政組織を機動的、機能的、効率的、合理的なものに再編・再構築することにより、地域にあった経済の活性化方策を策定し、法律を整備して、大阪そして関西の経済を活性化したいということだろうと思っていたが、現在の維新の主張はこういうことと真っ向から対立するもの、矛盾するものである。橋下維新が提出した8提案は、原発から100キロ圏内にある都道府県との安全協定が締結できる仕組み作りや、使用済み核燃料の最終処分体制の確立といった項目を含んでいる。これは国や電力会社に、極めて高いハードルを課する内容である。もっと端的に言えば、これを認めたら、今後日本の原発は実質的に1基も再稼働できないだろう。また、橋下維新は「原発全廃(脱原発)」も唱えている。橋下市長は関電の株主提案で、原発廃止に加え
(1)再生可能エネルギーの飛躍的な導入
(2)発電部門と送電部門の分離
(3)取締役の半減と、取締役報酬の個別開示
(4)天下りの受け入れ禁止―なども求める予定であるとされる。大阪市が関電の筆頭株主とは言え、そして関電の経営の透明性が不十分なところがあるとは言え、これは大阪市が関電の経営に乗り出すことと同じような意味内容になってしまう。電力事業に素人の人たちがその経営についてどうこう言うことは、関電の経営を混乱させ行き詰らせることになってしまうだろう。もし、たとえこれが株主の立場ではなく、消費者としての大阪市からの要請であるとしても、これはやはり介入のし過ぎということであるだろう。維新の考えは、かなり混乱しているように思える。

大飯原発の再稼動を、「8提案」といった極めて厳しい要求(と言うよりも国や関電に対する敵対的な攻撃であるが)を突きつけ、大飯原発の再稼動を遅らせて、一体何をしようとしているのか? これは必然的にその他の原発も止め、関電を痛めつけ、関西圏の電力供給を不安定なものにし、節電や料金値上げで市民生活を窮屈にし、企業活動を停滞させるだろう。電力供給が不安定でかつ料金が高いとなれば、企業は寄り付かないだけでなく、現在の企業も関西圏から逃げ出すだろうし、企業の海外移転を加速させるだろう。大阪と関西は、活性化どころかますます地盤を沈下させることだろう。 
地方自治体としての税収の増加は、本来の価値を清算する業界が潤って初めて実現することである。市や府の組織や体制を再編したぐらいのことでは、所詮は「出る金を減らす」だけのことで、「入る金を増やす」ことには結び付かない。金の出口を絞りこむことは重要なことではあるが、最も重要なのは「価値を生産し、稼ぐ社会システム」の構築であるはずだ。「パイ」の配分や節約摂取も重要ではあるが、パイを増やすことを考えないと所詮はジリ貧である。「カジノ誘致」が悪いとは言わないが、こんなものでは焼け石に水でしかない。
原発と再生エネルギーの問題については、すでに2月18日のエントリーで述べたのでそれを参照願えばよいのであるが、ここではそのいくつかを取り上げてみよう。原発を可及的速やかに廃止して、電力はどうするというのか? 再生エネルギーを活用するにしても、長い年月、莫大な金、広大な用地が必要となる。大阪市が原発の何十倍も要する用地を準備する? それとも、近隣の自治体に用地確保をお願いする? そんな土地がどこにある? 環境破壊はどうする? そんな金はどこにある? 大阪湾に海を埋め尽す風車、太陽光パネルを並べるのか? 電力源の再編からやっていたら電力インフラ整備が完了するまでにも数十年かかるのではないか。

<再生可能エネルギー産業では日本は飯が食えない>
原子力を再生可能エネルギーに切り替えることにより、雇用を増やし経済を活性化させるという議論がある。これはこれで部分的には間違いではないので、やる価値はあるだろうが、しかし、こんなことだけでは日本経済は立ち直らないし、日本は飯を食えないだろう。自治体や政府が助成金を出して、そういうものを支援すれば確かに雇用も増え、経済も活性化するだろう。しかし、そんな金はどこにある? もっと問題なのは、そういう仕事が終われば、あるいは投入する税金が尽きればまた元の状態に戻ってしまうということだ。輸出で食べられる? そもそも「再生可能エネルギー」産業は、一部の部品を除きどちらかと言えば低付加価値の労働集約型産業であるので、人件費が安い発展途上国に勝てるはずもない。中国でも新幹線や、原発、宇宙船などを作っているのだから、風車とか、太陽光パネルなどを作るのはわけのないことである。

<「脱原発」を「選挙の具」にするな! >
橋下維新は「脱原発」を来たるべき総選挙の争点にして、一挙に大量当選を狙っているようであるが、これでは原発を「選挙の具」にまで貶めたことにしかならない。戦いの敵が誰であるのかを明確にすることは、戦いの基本であり重要なことと思う。橋下維新は、こういう点では非常に巧みな技術を持っている。大阪の市役所労組の堕落、日教組による堕落した教育などは確かに、「敵」として設定する意味があるだろうし、そういうドラスティックなやり方でないととても改革は進まない。こういうことが出来るのが、既成政党にはない維新の強みでもある。しかし、この原発についてはその認識が誤っていると言わざるを得ない。原発は「敵」ではないし、また電気料金の問題に対してはともかくも、その他の点では関電は敵ではないはずである。
橋下市長は政府の再稼働手続きに不備があると指摘し、維新の会も政権与党である民主党の対応を批判し、次期衆院選で民主党との全面対決も辞さない方針を確認している。これは「原発」を選挙の争点にまつり上げることで、民主党を市民、国民の「敵」として設定し、これでもって選挙での大勝をもくろんでいるものと思われる。しかし、大飯の再稼動を口実に「民主党打倒」という主張にするのはいかにも不自然で、強引な仕掛けである。ここには人々を納得させる論理的必然性がない。国民の原発の安全に対する不安感を煽って、その「不安解消の方策としての維新」をアピ―ルし、大量得票を狙う作戦であると見える。選挙は戦いであるので、作戦を立てることは重要であり当然のことである。しかし、これは「策に溺れた」作戦であって、やり過ぎの感が否めない。
ここで問われるべきは、そもそも維新は「原発」をどう評価しているのかという根本的問題である。この点を曖昧にして原発を「選挙の具」とすることは許されない。
もし「脱原発」が本気であるなら、上述の理由によって、もう「大阪都」も「関西州」も何をか言わんやということになる。
橋下市長は関電を「敵」とみなして票を集めることを考えているようにも見えるが、そのようなことは許されないだろう。彼は関電が電気料金値上げに踏み切る可能性に関連し「値上げと言った瞬間に、市役所改革のやり方で関電に切り込んでいく」とけん制した。しかし、これもかなり乱暴な話である。市役所のような自治体組織と、関電のような民間企業は、その目的も運営のやり方も別のものであるから、これに市役所流のやり方を適用してもうまくいくはずもない。関電を「敵」とみなしては、大阪や関西の経済の活性化は望むべくもない。
もし、「脱原発」が、選挙目当ての方便、つまり、政権をとったあとに転換することを前提にそうしているのであれば、これは民主党の「マニフェスト詐欺」とは別種の詐欺になる。そして、こういうやり方は、たとえ「結果オーライ」ということになったとしても、国民を欺いた上での好結果であるので、政治の信頼性を壊してしまうことになる。第一、このようなやり方では、「結果オーライ」ともならず、大阪のみならず日本経済と、国民の生活が破壊されてしまうことになるだろう。

<橋下維新は、「原発政策」をもっとしっかり検討して、方向を修正すべき!>
国政は「大阪の自治」の延長ではない。共通点もあるが、国政固有の要素も多い。国政進出を目指すなら、今のうちから責任ある対応をすべきである。現状では以上に述べたように、矛盾、疑問が多いので、維新は今一度この問題を整理して、国政に進出する政党にふさわしいものにまとめ直して欲しい。橋下氏は、これまでも失言をしたり、言い過ぎたりしてきたが、民主党や自民党と異なるのは、それが誤りだとわかると、すぐに撤回したり、謝罪したりしてきたことである。これは、政治にとって非常に重要な要素であると思う。
現に26日の記事では、「大阪市の橋下市長は26日、市役所で報道陣に、「原発を再稼働させなくても(今夏の電力需要を)乗り切れるかどうかは関西府県民の努力次第。相当厳しいライフスタイルの変更をお願いすることになる。その負担が受け入れられないなら、再稼働は仕方がない」と述べ、節電策に住民の支持が得られない場合、再稼働を容認する意向を示した。」(26日読売)。これは、これまでの政府、関電に対する強硬路線の軟化を計ったものとも見える。また上述の、社会的リスクと安全リスクのバランスの上に、原発政策を進めて行くことの表明であるとも受け止められないこともない。とは言え、これだけでは本当のことはわからないので、今後の維新の言動を注視する必要がある。

人間は完全ではないから、どんなに優秀な人でも、また優秀な人が集まったとしても、誤ることもある。また、政治は生き物であり、そこでは駆け引きや勢いといったものが重要な要素でもあるから、いつも不動の固定化した主張だけをしていればよいというものでもない。柔軟で動的、そしてその中にも目標に向けて筋を貫いて行くという行動が求められるのであるから、政策が駆け引きとして唱えられたり、誤ったりぶれたりすることもあるだろう。重要なことは、誤りやブレは速やかに軌道修正して、正しい方向に進路を切り直すことだろう。維新にはそれができると思う。そのダイナミズムこそが維新の維新たるゆえんであり現在求められているものであるだろう。
原子力そしてその政策は、非常に大きな総合的技術であり、重要かつ長期に影響が及ぶものであるから、一旦「脱原発」に走り出すと、その修正には十年単位の時間が掛かることになる。本番前に現在の維新の主張を見直すには、今がラストチャンスと言えるだろう。

国会は自民党のものではない! 参院問責可決、審議拒否問題 自民は民主との「ダネ競べ」をやめよ!

2012-04-21 21:24:52 | 政治
自民党などが提出した参院における田中防衛相、前田国交相の問責決議案が20日 参院で自民他野党の賛成で採択され、自民党は両氏の交代が行われない限りは国会審議に応じない構えだ。野田首相は両氏の続投を明言しているので、国会は完全にガチンコとなった。これによって、しばらくは自民党と野田首相との「チキンゲーム」、すなわちどちらが意気地なしかを決める勝負に入った。この中で野田首相は、小沢を取るか自民党を取るかの二者択一の決断を迫られることになるから、政局は一挙に流動化しそうだ。
そこで一方の当事者である自民党であるが、参院での問責可決までは良かったのだが、その後が全くしまらない。まるで「ダメ民主」と張り合って「ダメ自民」を目指しているかのようだ。自民党にはもっとしっかりしてもらいたい。

<党内のガバランスを失った野田首相。このままでは立ち枯れだから、決断すべきだ!>
田中氏はそもそも大臣どころか参院議員の資質すら備えていないのだから、そして前田国交相は公職選挙法に抵触する行為を犯したのだから交代もしくは辞任は当然である。自民党そして野党の判断は正しい。しかし、野田首相は、この両氏に続投させようとする輿石幹事長の強い意向に引きずられて、両氏を切ることが出来ないでいる。自民党が国会の審議拒否を続ければ、国会は混乱し、日程が遅れ、消費増税法案はおろか、その他の重要法案も大きな影響を受ける。輿石氏は、消費増税法案の先送りを画策していると言われるから、野田首相が輿石氏の意向に従うことは「政治生命」を賭けた消費増税に失敗することを意味する。かと言って、この局面で自民党と連携することは、自民党が要求している「話し合い解散」を飲むことにもつながりかねない。そうでなくても民主党への厳しい逆風があるのみ、小沢派の党内分裂行動、相次ぐ不適格閣僚の輩出、北ミサイル対応の不手際、大飯原発の再稼動での迷走などで、すっかりその指導力の弱さをさらけ出した野田政権だから、総選挙での大敗は必至である。野田首相はどちらに転んでも厳しい八方塞がりの状況に置かれることになる。

しかしながら、輿石氏は消費増税法案の審議先延ばしを本気で画策しているとされ、また、小沢一派はますます政府への「反対のための反対」攻勢を強めている。田中、前田両氏の交代要求には理があり、これを突っぱねている輿石氏には理がない。結局、野田首相が輿石―小沢ラインに従うことは大儀に反することになる。一方、小沢氏とその一派という政治の「宿痾」と対決し、消費増税上げを行い、とにもかくにも財政再建を緒につけることにはそれなりの大儀がある。野田首相は「決められる政治」を標榜しているのだから、小沢一派との決別はもちろん、輿石幹事長の交代も視野に、断固たる決断を示すべきだ。そのためには自民党などと協議するための環境を作ることが急務だ。新年金制度構想や後期高齢者医療制度廃止方針の撤回、そして衆院選「1票の格差」是正の先行処理など、政府・民主党が野党に大胆に歩み寄る必要がある。それをしなければ野田政権は立ち枯れだ!

<自民の国会審議拒否には大儀がない。「猛省を促したい」!>
このように民主党執行部は、野田首相を支えるべきところを逆に足を引っ張るところまで離れてしまった。野田首相は党内のガバランスを持てていない。しかしながら、民主党とは違った意味で、党内ガバランスが失われているのが谷垣自民党である。自民党では、参院の暴走を抑えることが出来ていない。

本来、国会は政治にかかわることを議論するところである。不適切閣僚の問責決議までは当然のことであるからここまでは何も言うことはない。野田首相、そして民主党は、問責閣僚の続投方針の非を認め、直ちに彼らを交代させるべきである。
しかし、たとえ野田首相が両氏に続投させることを止めないとしても、自民党衆参の議員が、国会審議をストップする理由はないし、またその権利もない。それどころか、これは議員としての職務不履行であり、許されるべきことではない。だから、以下の公明の主張は正しいし、みんななどの野党も、自民党には同調していない。以下、20日付け毎日記事を転載。

「■問責決議可決:自公、審議拒否めぐり対立 幹部が相互批判
 前田武志国土交通相と田中直紀防衛相の問責決議が参院本会議で可決された20日、問責可決では足並みをそろえた自民、公明両党がその後の審議拒否をめぐって対立し、両党の幹部が相互に批判し合う状況となった。
自民党は両氏が辞任しない限り衆参両院の全審議を拒否する方針で、両氏の出席する審議のみの拒否を打ち出した公明党との対立が表面化。自民党の脇雅史参院国対委員長が20日午前の党会合で「(公明党の主張は)邪論だ。極めて遺憾なことで猛省を促したい」と不満を爆発させた。
自民党は20日午前の参院本会議での問責可決後、所属議員を退席させ、たちあがれ日本と新党改革も同調した。しかし、公明、共産、社民などほかの野党は議場に残り、消防法改正案などの採決に参加。野党の足並みの乱れが鮮明になった。
公明党は衆院に提出されている消費増税法案などの審議で野田政権との対決姿勢を示したい考えで、山口那津男代表は国会内で記者団に「(審議拒否は)衆院にもいろいろと影響を及ぼす。政党として、衆参全体での意味をよくかみしめて対応すべきだ」と語り、自民党を批判。公明党幹部は「(全面審議拒否するおかしさは)小中学生でも分かることだ。野党で争っている場合ではない」と怒りをあらわにした。【福岡静哉】」

この公明党の主張は全く正しいものである。最近の公明党には、なかなか道理と迫力、そして現実性を持ったものが多くなってきた。歓迎すべきことである。ところが、当事者である自民党は、民主党と同じくガバランスが取れていないから、参院自民党は「野性化」してしまい、彼らは言いたい放題、やりたい放題というひどい実態を晒している。参院自民党は何か‘とんでもない’勘違いをしているのだろう。問責が可決され、気分が高ぶっているのか、とにかく尋常ではない。これでは旧社会党のサボタージュ、国会破壊戦術となんら変わるところがない。!
自民党の脇参院国対委員長は一連の経緯に関連して、「関係委員会だけ(審議拒否を)やればいいなんて邪論としか言いようがない。大いに反省を求めたい」(20日 産経)とか、「民主党と公明党を中心にその路線を進んだ。とんでもない暴挙で極めて遺憾だ。猛省を促したい」(同)とも述べたとされるが、これら「邪論」、「暴挙」、「猛省」の言葉は自民党にこそふさわしいのでそっくりお返ししたい!

政治は力なのだから、きれいごとだけを言っていても始まらない。それゆえ、国会である程度の駆け引きや、議論による抗争状態になることも止む終えないこともあるだろう。この意味では、問責可決や審議拒否、そして「話し合い解散」を模索するようなことも場合によっては許容されることもあるだろう。しかしこの場合、最低でも、そうすることに大儀、正義がなければならない。より大きな正義のために、止む無く小さなことを一時的に犠牲にするということであるので、そこには十分な抑制が必要になるし、それゆえこういうことは必然的に苦渋の選択ということになる。
しかし現状はこれとは全く違う。現在あるのは、「野田内閣の打倒」、「衆院解散・総選挙」とい自民党の都合による党利党略の論理だけである。今 国会は税と社会保障の一体改革、そしてその柱の一つである消費増税という懸案を抱えているのであって国会の審議を遅らせる理由は何もない。問責とこの問題は別ものなのだから、これを強引に結び付け、自民党の党利党略のために私物化することは許されない。

<自民党は、このままでは政権に返り咲いても何も出来ない!>
「週刊文春」は、4月12日号に「さらば、民主政権! 衆院選全選挙区緊急予測」という記事を載せた。政治広報システム研究所代表の久保田正志氏と週刊文春取材班による予測である。その概要を次に示す。前数は現有、後数は予測、数字は選挙区と比例の合計である。

民主 292→144   自民118→209   みんな 5→40  
維新 0→36  公明 21→27  その他は略
維新については、大阪選挙区だけに候補を立てた場合が想定されているので、実際はもっと広く立てるだろうからこれよりも大きな数字になるものと思われる。これはあくまで一研究所の予想であるので ぶれることはある。しかし大まかな傾向としてはこのようなものではないだろうか。民主は惨敗、その中で小沢氏とそれに連なる勢力は決定的なダメージを受けるはずである。自民は大勝するが、過半数は480議席を超える241議席であるから、自民も単独過半数には至らない。そもそも、これは自民としては出来すぎの数字のような気もする。それでも自民党は公明党と組んでも過半数を超えることが難しいという状況である。
勝利とは言え自民が支持されたというよりも、民主が駄目なので、自民しか残らないということだろう。三年前の選挙も、自民がダメなので民主にしたということであったが、今回もところを入れ替えてそれが繰り返される。これでは両党が「ダメ競べ」のシーソーゲームをして、共に沈んで行くパターンでしかない。積極的に支持されての勝利でないから、勝ってもパワーが無く、結局は大したことは出来ないだろう。
これでは衆院の3分の2条項も使えないし、参院の「ねじれ」を抱えて動きが取れないだろう。状況としては少なくとも衆院の3分の2を持っている今の野田政権よりも悪いのである。しっかりした政策を示せず、党はばらばら、衆院でも参院でも過半数を抑えられないのでは、苦しむだけで、そして日本の政治を停滞させるだけで、ほとんど意味がないではないか。

<自民党は政策に重点を移すべき。新しい発想、人を受け入れるべき。>
4月17日 産経に次のような興味深い記事が載っていた。「【激動!橋下維新】維新政治塾のあおり? 自民「なにわ塾」定員達せず募集延長
 自民党大阪府連が開講する政治家養成講座「なにわ塾」の応募者が、締め切りの15日までに定員の約30人に達せず、募集期間を延長したことが17日分かった。ライバルの大阪維新の会が3月に立ち上げた「維新政治塾」は2千人規模の受講者を抱えており、明暗を分けた形となった。府連によると、なにわ塾は今回の募集分が5期目で、これまで計約200人が受講。閣僚経験者による講演や選挙の手伝いなどを通じ、将来の公認候補を育成する役割も担っており、地方議員になった人材もいるという。今回は3月上旬から募集を始めたが、定員に達せず府連は引き続き応募を受け付け、5月末~6月初旬に開講する予定だ。」もともと、小さな塾としてやっていたようだからこのままで維新と比較してみてもあまり大した意味はないが、維新への政治塾への応募者が約3300人であったことを考えると、この状況はそれなりの問題を含んでいるはずである

これまで、200人もの熟生を出しておきながら、地方議員しか出ておらず、国会議員が出ていないというのも(記事からはこう読める)いかにも、外部のもの、新しいものを取り入れるのに後ろ向き、という印象を受ける。ここにある認識は、政治とは「体で覚える技」ということではないか。地方議員から研鑽を積んで一歩一歩階段を上がって、運がよければ、あるいは実力があれば国会議員になれるということではないか。これは、もっとも一般的なパターンではあるが、何もこれに縛られる必要はないと思う。こういうものは政治に必要なものの一部でしかないのではないか。創造性、構想力、斬新な発想、闘争力なども必要であるだろう。有能ならどんどん国会議員になれるようなパターンもあってよいはずである。
なぜ自民の政治塾に人が集まらないのか?それは、普通の人には、自民党がどういう政党であるのか、何をやろうとしているのかは漠然とはわかるが、具体的にはよくわからない、ということではないか。つまり、自民にははっきりした政策がないからであるだろう。より正確には、政策が明快でない、政策をわかりやすく自信を持って説明しない、何か伝統的に受け継がれてきたもの、言葉にならないものが党の主張として受け継がれる。しかし、それは外からは容易にはわからないもの、体験してみなければわからないものと考えられているのではないか。
これに比べて、維新のやり方は近代的、現代的である。彼らは政策を誰にでも見えるように前に高く掲げ、ズバリと言葉で説明するし、そのポイントはよく押さえられている。維新の方針は「政策が一致すれば一緒にやるし、そうでなければ一緒にやれない」と言うことである。極めて当然のことである。みんなの渡辺代表も、「アジェンダ(政策)が一致するかどうかだ」と言っている。石原都知事も「政策でまとめないと、新党などうまくいくはずがない」と言っている。石原都知事の今回の「尖閣購入計画」は奇抜な発想であるが、政府が、そして歴代の自民党政治が腰が引けていたので、それを正す意味では有効な方策とは言えるだろう。今は、こういうことが求められるのである。

自民党が伝統的なものを守ろうとすることは一つの優れた資質であり、このことは認められてよいことだろう。こういうものは政治に必要である。ところが、上に述べたように自民党の弱点が出ているのみならず、せっかくのよいところが出ていない。民主党や維新の出方を伺うばかりで、自らものを言わず、国民の顔色ばかりを伺っているように思える。自民党が単独過半数を得るためにも、そして第三極との連携で政権を作るにしても、しっかりした政策は必要なのである。

<自民党は国会の駆け引きよりも、必要な政策を高く掲げその実現に力をそそぐべき>
いま留意すべきことは、民主党と野党第1党の自民党が消費税率10%への引き上げで、同じ方向性を持っているということである。この機会を逃せば、消費増税による財政再建は当面困難になりかねない。この点を疎かにして、国会のガチンコ勝負をしても意味がないのである。
野田政権を追い詰め、衆院解散・総選挙に追い込むということもあり得るにしても、これが目的化することがあってはならないだろう。政権に就くということは政策を実現するための手段である。従って、予め政策がなければならない。政策もないのに内閣を揺さぶり、行政の足を引っ張る行動は、小沢氏のそれであって、自民党のそれではないはずである。政策なくして政権を目指すのは、かつての民主党と同様ではないか。「政権交代」だけを叫んで、政権に就くことが目的で、それ以上は何もないという状況である。政権についてから、何をするのか考えるというようなことでは困るのである。
現状では、自民党と野田内閣とはさほど変わらず、「やはり自民党でなければ」と思えることがない。たとえば先頃出された自民党の選挙公約素案においても、主要なテーマでの政策は、はっきりとは見えない。新憲法の素案が出されているが、この点は評価できる。しかしある意味これは自民党として当然のことであり、むしろ遅いと言わざるを得ない。憲法改正論議は、安倍政権でかなり前進を見せたが、それからすでに5年経っているからである。重要な原発、TPPでは、結局どうすのかはっきりしない。経済活性化の重要なテコである郵政民営化法も、期限付きの完全民営化から、努力目標としての完全民営化に交代させてしまった。国防政策にしても、民主党を批判するだけで、これまでの土下座外交から決別したのかどうかもはっきりしない。そもそも党内に、河野太郎氏を始めとするリベラル派なる一団を抱えていること自体も不可思議なことである。彼らには民主党かもしくは社民党の方が似合うのではないか。

<自民党は、政権復帰後をにらんで現在のことを進めるべきである>
自民党に次のことを要請したい。
《「問責可決、参院真理拒否」は、田中、前田両氏の出席部会、それも参院のそれに限るべき。
《衆院では、直ちに審議体制に入ること。速やかに消費増税に関わる特別委の効率的な審議を実現してもらいたい。民主党の提案によると、特別委では、消費税率引き上げに加え、厚生・共済年金の一元化、子育て支援、社会保障と税の共通番号(マイナンバー)創設など、計11本の法案が一括で審議されるはずである。いずれも社会保障と税の一体改革に関連する法案だ。消費税率引き上げの時期や方法についても詳細を詰めるべきだ。

自民党は、社会保障に関する対案を提出すると言ったのだから、一日も速く提案し議論すべきだ。野田政権はそれを丸呑みにする可能性(せざるを得ない事情)もある。最低保障年金案の撤回、後期高齢者医療制度廃止案を撤回させることを目指す必要がある。政策面で自民党に得られるものは少なくない。
《原発推進を明確にすること、そして安全確保について厳しく対処すること
《TPPは積極的に検討すべき。関税の問題を農家の保護策として言っているのなら、農業強化策こそ打ち出すべき。
《近隣諸国の日本の国家主権、領土主権に対する侵害にどう対処するのか、明確にしてもらいたい
《郵政完全民営化を急げ! これは経済活性化、TPPとも関係する重要事項なのだ。
《憲法改正の議論の活性化
このほかにもいろいろあるが、この程度にしておきたい。
《衆院の早期解散・総選挙にこだわるべきではない。国民は来年の選挙を望んでいる。自民党、特に谷垣総裁の都合で選挙をされては国民はたまったものではない。近い時期の総選挙を行っても、自民党に対して「よくやった」という国民の声にはならないだろう。

小沢氏、政治の「宿痾」ぶり、遺憾なく発揮 北ミサイル 国防意識まるで無し!あるのは「政治破壊」のみ!

2012-04-15 16:15:21 | 政治
今回は、北ミサイルの問題に関連して、日本の国防と小沢氏の問題について述べたい。「「PACナントカというパトリオットミサイルですか。本当の事態は予告なしに来る。何日もかけてロケットをあちこちに運ぶのは全くナンセンスだ!」
12日昼、小沢氏は自らのグループ会合で、北朝鮮の「人工衛星」と称する長距離弾道ミサイル発射予告を受け、政府が「万一」に備え地対空誘導弾パトリオットミサイル(PAC3)を配備したことを批判。静まりかえる約100人を前にさらに続けた。
「日本の影響力は西側同盟国からほとんど評価されていない。政府がしっかり意見と政策を打ち出せないが故に普天間飛行場移設問題であれ何であれ、日米間で齟(そ)齬(ご)が生じている」」(12日産経)と述べた。

これは‘とんでも’発言である。というのは、ここには国を守ろうとする熱意も何もなく自分の責務を忘れたかのように北ミサイルの迎撃準備を「無意味」と無責任に切り捨てているからである。これではまるで他人事ではないか。これを聞いて背筋が寒くなる思いをしたのは私だけではないだろう。このような発想がどうして「国民の生活が第一」、「天下・国家を論ずる」こととつながるのだろうか。

<北ミサイルの迎撃体制のお粗末さは、日本の国防体制がいかに貧弱かをさらけ出した>
13日の北のミサイル発射にあたっては、午前7時38分のミサイル発射を政府が最初に確認したのは、約40分後の田中防衛相の会見によってであった。だが既に8時前後に韓国国防省が発射を発表、米メディアも米高官の話として「発射失敗」を報じた。
韓国、米国のマスコミの報道後に、ようやくその事実を発表するというお粗末さだった。途中、8時過ぎ「発射を確認していない」と伝えたことも混乱に拍車をかけた。一体全体、日本の国防体制はどうなっているのか。発射日とその方向などが予告されていたにもかかわらずこの体たらくだから、本チャンのミサイル攻撃を受けた場合は一体どうなるのか?気がついたときは、日本は焼け野原になっていて、ミサイルを迎撃することも、国民の安全を守ることも、反撃することも、報復することも出来ないですべては終わっているだろう。だから何日も掛けて、PAC3を移動させ迎撃体制を取るようなことは、軍事的にはほとんど意味を持たず、この点に限れば、確かに小沢氏の言っていることは正しいだろう。
一番良いのは、常時全国で瞬時にして迎撃できる体制、MD体制を作っておくことだろうが、有効性、必要性の程度、予算など考えるべきことは多く、ここまでやるのは現実的ではないだろう。しかし、13日に見せつけられた現在の国防体制はあまりにもお粗末であるので、政府、そして民主党、自民党をはじめとする国会は、抜本的に改善された国防体制を早急に作り上げる必要があるだろう。

<国防は、現実を直視して一つ一つ作っていくしかない>
なぜこういうことになってしまうのか? 私が思うには、それは大きく二つのことがあると思う。
一つは、政府に危機感が足りないということである。こうなったのも、戦後の長い経緯がある。自民党や旧社会党、そして国民の意識も問題であったろう。いわゆる「平和ぼけ」という問題である。だから現在の民主党政府だけの問題だということにはならないが、それでも民主党政府は大きな責任を逃れることは出来ない。
今回のように「発射約1分後に爆発してしまう」ような事態は「想定外」であった、それゆえ、情報確認に手間取ったということらしいが、なぜこういうことが想定外になるのか。これを想定せずして、他に何を想定したのだろうか。1分後に爆発してしまうようなことが、想像できないほどの超常現象ではないわけだし、また、こういう予想をするだけの頭脳がないというわけでもない。これは、ここまで予想しておくことの必要性を感じていなかったからに他ならないだろう。つまり、政府・民主党は、日本は平和だし、北と戦争になるはずはない。戦時ならともかくも、平時にそこまでいろいろ気を巡らせる必要はないと思っている人が多いということだろう
しかし、これは甘い見方であり、現在の日本が置かれている安全保障環境がいかに厳しいものであるかがわかっていないということだろう。重要なことは、ミサイルは北から飛んでくることに決まっているわけでもないし、飛んでくるのはミサイルだけでもないのだ。

70年代、80年代には、日本の財政の豊かさもあって核こそないものの次々と最新鋭の装備が導入され、アジアでは圧倒的な軍事的優位を保っていた。しかしその後、中国や韓国の経済的伸張に伴って情勢は一変した。中国の軍事力は日本を圧倒しているし、韓国にも追い上げられている。北については、1998年にテポドンを発射し、日本の上を飛ばせて太平洋に落下させたのを皮切りに、現在ではミサイルと核の両方を持っている。
これに対して日本では、2007年にイージス艦にSM3が導入され、ハワイでの迎撃訓練に成功し、それなりのレベルの防衛力はあるものと思われていた。しかし、今回の状況を見て、これは幻想に過ぎなかったことを思い知らされた。これは福島原発事故と同様の、「ちゃんとやってくれているはずだ」という希望的観測にしか過ぎなかった。福島原発においても表面的には「安全」が叫ばれていたものの、それは表面を取り繕っただけの中身のない単なる「神話」、希望的観測にしか過ぎなかった。国防もこれと同様である。自衛隊を動かす体制が現在のままではとても国を守れるとは思えない。自衛隊にやる気がないとか、資質がないとかということではなく、国防の体制そのものが出来ていないと言わざるを得ず、これは政治の貧困による問題なのである。

そして、二つ目は、経験不足ということも大きいだろう。
実は私も、北の予告を受けて以後の自衛隊の緩慢な動きは腹立たしく思っていた。なぜあんなに何日も掛けて移動させるのか、こんなことでは、実践においてはミサイルを運ぶことを決めて動かし始めたとき、すでにことは終わってしまうのではないか。なぜ日頃から、迅速に移動させる訓練をしていないのか。しかし、途中で考え直した。それは、これが日本の国防の現実なのだということに気がついたからである。法律の問題などで、訓練そのものにもいろいろな制約があるのではないか。これが現実であれば、ここから出発するしかない。法律などに不具合があるのであれば、それらは逐一かつ可及的速やかに改善されなければならないだろう。
前回2009年の発射の際は、政府が誤情報を出し批判されたので、今回は慎重を期して時間を掛けたということらしいが、今回はその慎重な確認のやり方が混乱して、結局情報は遅れ、迷走した。発射約1分後に爆発してしまうような事態は「想定外」であったということらしいが、なぜこういうことが想定外になるのか全くわからない。これを想定せずして、他に何を想定したのだろうか。この点でも福島と全く同じである。なぜ徹底的にあらゆる事態を想定しないのか!
一つ一つ、経験を積み、うまく出来るようになっていくというのは、個人でも国家でも同じであるが、実際に体験してみないと学習できないということでは、人間のそれとしてはお粗末である。あらゆる機会を捉えて、あらゆる想定をし、あらゆる情報を収集し、あらゆる方法で、最も効果的に訓練、学習を進めなければ、日本はいつまでも十分な国防体制を作ることは出来ないだろう。なお言うまでもなく、これは原発や、経済、少子高齢化などの問題についても言えることである。

<言っていることとやっていることが反対の小沢氏>
小沢氏は、この責任は野田内閣にあると批判しているのであるが、そもそも、このような貧弱な国防体制を作った責任の一端は、小沢氏にもあることを彼は思い起こすべきだ。
「パックなんとかを、何日もかけて移動させるようなことでは意味がない」というのはある意味では間違いとは言えないが、それではどうすべきだと言っているのか?! 日本中にMD網を設置すべきだというのか、予算はどうするのか、米軍に防衛してもらうというのか、それとも外交によってこういう問題は防げるというのか?一体どういう意味なのか全くわからない。
MD網を張り巡らすというのは、現実的ではない。莫大な予算を必要とするが、そんな金はどこにもない。小沢氏は4Kのような不必要なところに金をバラ撒くことを主張しているが、国防予算をもっと増やせという主張は聞いたことがない。消費増税5%すら反対しておいて、どう予算を作るのか?
小沢氏は「米軍は、第七艦隊さえいれば、他は日本には不要だ」と言っているのだから、米軍に守ってもらえるはずもない。しかも米軍普天間飛行場移設問題をこじらせ、日米の軍事同盟を著しく弱体化させたのは、鳩山政権であり、幹事長としてそれを支えた小沢氏ではないか。
外交によって、こういう国家の非常事態を発生させないようにする? 冒頭で述べた会合で彼は「日本の対北朝鮮外交に関しては「日本は半島の情勢についてもっと大きな発言権、影響力を行使してしかるべき立場だ」と指摘し、「国際政治の中では、日本の影響力は西側の同盟国からほとんど評価されていない」とも述べた」(12日 産経)とされる。「日米中 正三角形論」を唱えて中国に擦り寄り、米国の不信感を買ったのは小沢氏ではなかったか。普天間基地を迷走させ、日米同盟を著しく弱めたのは、小沢氏ではないか。彼は政権を交代させてその驕りもあったのか、「(排他的な)キリスト教を背景とした文明は、欧米社会の行き詰まっている姿そのもの」と発言し、根深い反欧米感情を持っていることを示した。さらに別のところでは、「米国人は単細胞」などと述べてもいる。民主党政権が反欧米政権であることを自らしっかり喧伝しておきながら、「野田民主党政権は欧米から信頼されていない」も何もないはずである。小沢氏は、このように欧米を批判、蔑視する発言をするのみならず、外交で国際的な信頼関係を作るため、そして安全保障の連携体制を作るための行動を一切行っていないのである。

いまや日本に求められているのは、国際貢献活動、それも金のバラ撒きではなく、汗を流すような労苦を各国と分かち合う貢献である。これこそが、各国と信頼関係を作り、世界の平和と発展に貢献すると同時に、日本の安全を保証する環境を作る重要な方策であるはずだ。また、こういう機会の中で、政府と自衛隊とが一体となった作戦行動もより効率的に、スムーズに行えるようになるだろう。この活動には先進的な民主主義国はもとより、発展途上国も、あるいは小国も、志のある国はこぞって参加している。先進国であるにもかかわらず、苦しいこと、危ないことはなんとか逃げようとするかつての日本の姿勢は異常と言わざるを得ない。それでも自民党政権下で徐々に活動範囲を広げ、不十分な内容ながら小泉首相のときは、国際社会から大きな評価を得るところまで漕ぎ着けた。
そこで小沢氏であるが、湾岸戦争のとき、当時自民党幹事長であった彼は、クエートに自衛隊を派遣しようとしたが、憲法問題が障害となり、党内の一部と野党の反対で実行できなかった。彼は、国連の要請があれば、自衛隊を海外に派遣できるということを主張しているのであるが、その割には、国連の要請にも消極的でありほとんど何もしていない。小泉政権下で始めたアフガニスタンでのテロ対策活動の一環としてのインド洋での海自の給油活動は、国際的に高い評価を受けていたが、小沢氏は党利党略のために、福田政権下でいろいろ難癖つけて中止させた。もっともこの給油活動は、その後の自民党の奮闘と国際社会からの強い要望によって、3ヶ月の中断の後には再開され、被害は最小限にとどまった。このとき、各国の艦船からは「Welcome back!」と歓迎されたのであった。
小沢氏は、給油活動に反対し、それを中断させたのだから、国際貢献に否定的と見られたのは当然である。そこで彼はこれではまずいと思ったらしく、またまた党利党略のためにその場しのぎの発言をした。それは「政権をとったら、アフガニスタンにおけるISAF国際治安支援部隊に自衛隊を派遣する」というものであった。ところが、彼は政権をとったにもかかわらず、それを本当に行おうとはしなかった。数名の自衛官を連絡・調整官として派遣するという計画はあったが、出したという話は聞いていない。そもそも、国際貢献というのは、このようなままごとのような形作り、手を汚さない活動、しかも自国のための活動ではなく、実質のあるそれなりの規模のものでなければ意味がないのは言うまでもない。とにかく小沢氏は、各国と連携して平和作りをするという活動に対しては、言うばかりで、実際は何もしないで逃げているのである。

北の最大の友好国である中国は、日米韓、そして国際社会が期待した発射中止を説得する役割を十分に果たさなかった。胡錦濤国家主席はミサイル発射の2日前、朝鮮労働党第一書記に就任した金正恩氏に「(中朝)友好関係の発展は中国共産党と政府の不動の方針だ」と祝電さえ送り、発射強行への間接的な後押しを行った。小沢氏はこのような中国に対して、これまで朝貢を行って擦り寄ることはしても、中国にもの申す姿勢は一切とっていない。こういう姿勢では、外交的に何かが出来るはずもない。
小沢氏は、「民主党が政権をとったら、言うべきことを言って、領土問題は解決させる」と言っていたはずであるが、中国への朝貢は行っても、そして韓国に行って「天皇は朝鮮から来た」というようなことは言っても、領土問題を解決させるための行動は何一つとっていない。北の核、そしてミサイルの脅威もさることながら、非常に可能性の高い中国の尖閣への侵攻に対する防衛はどう考えているのか。一昨年の漁船衝突事件のときも、野党と同様の政府批判をするばかりで、政権与党の一員としての責任ある発言は何もしていないし、また行動もしていない(ずいぶん後になって、他人事のように一言だけ中国を批判していたような気はするが)。

<政権の批判をするのなら、田中防衛大臣を批判して、交代させよ>
小沢氏は、政権の批判をするばかりで、民主党内の大きな政治勢力としての責任を果たしていない。自らが代表であったときも、政権に就いて幹事長であったときも、その後の執行部から外れたあとも、外交・安保については思い付き的で断片的な、しかも非建設的な発言をするばかりで、その主張には一貫性がなく、言っていることとやっていることが一致しないことばかりである。彼はおそらくこう言うであろう。「自分が代表だったときはまだ野党だった。与党になったときは自分は幹事長であって、首相ではなかった。その後は自分は排除されて一兵卒にされてしまった。だから、やりたくても出来なかったのだ。」と。「それではあなたは本当に目指しているものを実現させるための行動に、一体いつになったら取り掛かるのですか?」と聞いてみたくなる。彼の論理だと、彼の素晴らしい構想を実現するための行動に出られないのは、政府が自分を排除していること、その時期が来ないこと、マスコミが誤った報道をしていること、運のめぐりが悪いことなどということになろうか。彼は何も出来ず、何もしないで、万年野党・非主流派、被疎外者であり、常にアウトローで、ルサンチマンに苦しめられる哀れな人間ということになる。
ともあれ小沢氏は外交や、安全保障、国防については、やる気もないし、また実際に何もやっていないのである。すると、彼は、どうやって日本を守るというのだろうか? 現在のようなPAC3の配備は意味がないと政権を批判する以上、そして自分は、4億円のような小さなことを考えているのではなく、常に「天下・国家のこと」を考えていると言っている以上、何かがなければならないはずである。そうでなければ、何もないのにさもあるように見せかけているだけの「大嘘つき」、詐欺師ということになるではないか!
小沢氏のような「天下・国家」を主導すげき人が、政権批判だけで具体的なことを何も言えないとなれば、そして防衛大臣も当てにならないとなれば、私も素人だからと言っておれる状況ではなくなってしまう。国防は国民で行うべきものでもあるから、次のように言わせてもらいたい。今最もやらねばならぬことは、一般国民でも知っていることの知識すらない田中防衛相の解任であり、小沢氏は直ちにこれを野田首相に要求すべきだ。そして次は、政府が上述の二つの問題を解決することではないだろうか。すなわち、日本の安全保障環境についての認識を改めること、つまり、日本は北朝鮮はもちろんのこと、中国、韓国そしてロシアから、領土、海洋の主権侵害、そして「反日」のプロパガンダによって日々国家主権が侵害されているので、防衛装備の強化のみならず、外交や経済、科学・技術、情報、文化の面でも、十分な国防の対策をとる必要があるということである。これはたとえば、資質、能力の不十分な人を閣僚にしないということから始める必要がある。尖閣の防衛体制の強化も緊急の課題である。その他、挙げていけば切りがない。
次に、国防の体制は、意識的に作っていかなければ自然に出来るものではなく、そのためには、十分な情報に基づく正しい分析、論理的推理、予測を行い、あらゆる偶発的そして計画的な機会を捉えての訓練、学習が必要となる。今回のような非常事態に対しては、最大限の防衛措置をとると同時に、最大限の経験、教訓を得るように活用することだろう。だから、PAC3の移動も常に最短で行うことに務め、最短での配備が出来るような能力を獲得しなければならない。「予想外」のことがないように、あらゆる事態を想定して、対応策をとらなければならない。だから、このような観点からすれば、今回の自衛隊の展開は、決して無意味なものではなく、問題点を洗い出し、よりよい体制を作る点で、大いに意味あるものなのである。このあたりのことを知ってか知らいでか、「無意味」と言い放つ小沢氏の発想、そして思考の中身は、あるべきものとは違っていると言わざるを得ない。言い換えれば、小沢氏は、政治を「国会乱闘」と捉えているのみで、政治が国防体制や社会のシステムを一つ一つ作り上げていく建設の営みであることを全く理解していないのではないか。

<「批判のための批判」しかしない小沢氏はもう終わった>
以上の小沢氏の国防官を見ると、マニフエスト論議、消費増税論議と同様に、小沢氏にはビジョンも政策もない。あるように見えても中身、具体性が全くない。そして彼には、なんとかして日本を良くしたいという気概もない。あるように見えるのは、自己の権力欲をそのように装い、見せかけているだけだ。
他方、具体的内容のないまま、壊れたテープレコーダーのように同じことばかりを繰り返していることもある。それは、「国民の生活が第一」、「(バラ撒き)マニフェストを守れ」、「消費増税反対」、「嘘をつくな(小沢氏にそのまま返したいが)」、「挙党体制の構築」、すなわち、小沢氏を排除するな、政権、中枢に入れろということばかりである。これでは、欲求不満を抱いてニヒリスティックそしてヒステリックに政権批判をしている一部の左翼の跳ね上がり分子の発言と異なるところがないではないか! ここには、外的脅威から国民を守ろうとする意志は全く見られず、それに代わってあるのは国の危機をも自らの権力拡大に利用しようとする、エゴイスティックで無責任な姿勢である。

かつて、93年に「日本改造計画」を出版したころは、確かに氏の活動は耳目を集めるものがあったし、政治に対する理念もビジョンも情熱もあったように見えた。しかし20年後の現在、昔の面影はない。「日本改造計画」で述べられていた政治理念もビジョンも、今の彼では真反対のものとなっている。理念に支えられた活力あふれる政治を語っていた彼は、いまでは、自己の権力の亡者となり果て、金と数の論理によって「反対のための反対」を行い、政治の改革どころか政治そのものの機能を徹底的に破壊し、悪徳倫理を社会に撒き散らすだけの存在になってしまった。彼はいまや刑事被告人なのである。彼は、「汚い金とバラ撒き」という昔の自民党の体質、そして正義の目的もないまま「反日」のために「反対のための反対」を繰り返すという旧社会党の体質、これら55年体制が持っていた二つの劣悪体質を小沢氏はそのまま受け継いで現在に持ち込んでいる。これが、私が彼を日本政治の「宿痾」と呼ぶゆえんであり、この日本の政治を蝕む「小沢的なるもの」の一掃なくして、日本政治の改革、日本の再生はないだろう。この20年間の彼の姿は、私などが語るよりもはるかにわかりやすく詳しい記事があるので、是非参照願いたい。それは、下記の関係記事に示したブログ抜粋である。

「日本改造計画」時代の彼が変節したように見えるが、実は、最初から彼はこういう人間だったのかもしれない。「日本改造計画」はゴーストライターが書いたという説もあるので、おそらくそうだったのではないかと思う。今や彼にあるのは、自らが置かれている政治的状況を知りつつもそれを受け入れることの出来ないあがきであり「老いの執念」とでも呼ぶべきものだけである。今回の発言は、この人はもう終わっていることを如実に示す一つの例と言える。しかしながら、それでも小沢氏はあがき続け、政治に害悪を撒き散らし、政治を破壊する執念を捨てていないので、我々国民としても、これをそのままにしておくわけにはいかない。なんとしても、「小沢的なるもの」を日本の政治から一掃する必要がある。このような人に、日本を破壊されてはたまったものではないからである。

【関係記事】_依存症の独り言_: 2011年2月
http://banmakoto.air-nifty.com/blues/2011/02/index.html

2011/02/18 小沢派の16人が離党した騒動に関する記事からの抜粋
…略…(小沢の)
動きを見ていると、私は、1993年の政治的激動を思い出す。6月の自民党分裂、小沢主導による新生党結成、そして同年8月の細川連立政権発足。小沢が仕掛けた政権党分裂、政界再編、新政権の樹立。この時は、小沢の戦略が功を奏し、彼は権力闘争の勝者になった。
が、これは、わずか1年で挫折し、結局、小沢は敗者で終わった。しかし、小沢に対する国民の期待は衰えず、彼は、その後、新進党―自由党―民主党と、20年近くにわたって政界のキーマンとして君臨するのである。今回は違う。1990年代初頭は、自民党は金銭スキャンダルにまみれ、バブルの崩壊もあって、新しい政治を求める声が国民の間に充満していた。そして、政治改革と政界再編を唱える小沢に対する国民の期待と支持は絶大なものがあった。が、今回は、小沢自身が金銭スキャンダルにまみれ、小沢そのものが“古いタイプの政治家”と国民にみなされている。国民の間に、1990年代のような「小沢に対する熱い思い」はない。
小沢は変わっていないが、国民も社会も大きく変わっているのだ。小沢は、もう「過去の人」なのである。古くからの読者の方ならご存知だろうが、私は小沢の熱烈な支持者だった。少なくとも1990年代までは。私が小沢を見切ったのは1999年1月である。このとき、小沢は野中広務と手を組み、自・自連立を発足させ、結果的に自・公連立の先導役に堕してしまった。
この男には理念などない、あるのは異様なまでの権力欲、上昇志向である、と私はそのとき気づいた。
思い起こせば、私は小沢一郎に大きな影響を受けている。「普通の国」「個人の自立、国家の自立」とりわけ、「日本改造計画」に書かれた「グランド・キャニオンの一節」には強い感銘を受けた。
―国立公園の観光地で、多くの人々が訪れるにもかかわらず、転落を防ぐ柵が見当たらないのである。しかも、大きく突き出た岩の先端には若い男女がすわり、戯れている。私はあたりを見回してみた。注意をうながす人がいないばかりか、立札すら見当たらない。日本だったら柵が施され、「立入厳禁」などの立札があちこちに立てられているはずであり、公園の管理人がとんできて注意するだろう。(日本改造計画 1993年刊)―
が、今の小沢には、この本に書かれた理念はカケラもない。
終身雇用制を擁護したり、政府によるバラマキを推奨したり、挙句には、規制緩和に逆行する動きまで見せる。
民主党政権で小沢が見せたのは、利益誘導型政治による票の獲得、カネによる子分の拡大、つまり「政治は数、数は力、力はカネ」という田中角栄ばりの政治手法だった。
1980年代までの自民党政治、まさにこれである。
1990年代に小沢が唱えた政治改革など、単なる方便に過ぎなかったのだ、権力を獲得するための。
小沢は一貫して金権政治家である。この男が1990年代に、「政治改革の旗手」として熱い期待を集めたのは、幻想に過ぎなかった。
彼の金権体質が、これまで暴かれなかったのは、小沢を寵愛した金丸信のおかげである。
金丸は、金銭スキャンダルを一身に背負って墓場に持っていってくれた。だから小沢の体質に多くの国民が気づかなかったのだ。が、今の国民は、民主党政権のわずかな期間の中で、小沢の本質に覚醒した。もう、今の小沢には、かつての“改革者”としてのイメージはない。あるのは古い利益誘導型の金権政治家、豪腕ではなく傲慢、自分の権力欲で政党を壊し続ける男、これだけである。
Matsuki
小沢の側近・松木謙公 人相は問いません。思えば、小沢は側近との確執の連続だった。
順に書くと、熊谷弘、船田元、中西啓介、二階俊博、藤井裕久、石井一
離反後は、全員が小沢の天敵のような存在になった。自民党を分裂させて作った新生党以来の同志は、山田正彦ただ一人である。で、私もとっくに離反し、今は小沢批判の急先鋒である。要するに、田中角栄と違って、小沢には人望がカケラもないのである。で、自分を脅かす側近は躊躇なく遠ざける、この点は角栄にそっくり。だから有力な後継者が育たない。
こんな小沢の「思い」を推し量り、山岡賢次のようなダーティな政治家や超軽量級の政治家が蠢いても、新党なんて絶対にうまくいかない。永田町の汚れた海の底に、藻屑となって消えていくだけだ。で、民主党は完全に崩壊!

(文中敬称略)

普天間の嘉手納暫定移設案_日本の防衛が第一! 日米同盟・安保は主体的なものであり、対米従属に非ず! 

2012-04-11 20:05:57 | 政治
民主党幹部の石井参院予算委員長ら有志議員が、米軍普天間飛行場の移設先をめぐって、日米合意の名護市辺野古は実現困難として、将来的な県外、国外への移転を前提に米空軍嘉手納基地(同県嘉手納町など)へ暫定移設する案をまとめ、6日に発表した。石井氏らは今後、民主党のみならず各党からも賛同者を募り、政府に検討を働きかける方針という。野田首相は10日、石井氏と官邸で会談し、この暫定移設案について説明を受け、一定の理解を示したとされる。この案は議員有志が提案しているものであるので、これだけならとりたてて議論するまでもないが、一部の論者が、可能性のある妙案として評価する向きもあるので、これがおかしな方向に行って、普天間問題を混乱させる可能性も無しとしない。そこで今回は、この暫定移設案の問題と、このことに関連する日米安保の捉え方の問題について述べてみたい。

<普天間暫定移設案>
石井氏は普天間飛行場の名護市辺野古への移設計画を当面凍結した上で、将来的な県外・国外移設を前提に、嘉手納基地や沖縄県外の基地に暫定移設する案を発表。嘉手納基地への移設を主張する米民主党のジム・ウェブ上院議員と会談し、実現に向け連携して日米両政府に働きかけることで一致したとされる。この案については、米側でも昨年5月に、米国上院軍事委員会のカール・レビン委員長(民主党)、ジョン・マケイン筆頭委員(共和党)、ジム・ウェブ外交委員会東アジア太平洋小委員長という有力3上院議員が、名護市辺野古への移設は「実現不可能」として、国防総省に対し、嘉手納基地への移設を検討するよう求めた経緯がある。したがって、米政府が受け入れる可能性が無いとは必ずしも言えない。しかし、日米両政府は今のところ、日米合意、つまり名護への移転計画の見直しには否定的である。
石井氏らは、日米両国が平成22年5月に合意した普天間飛行場の名護市辺野古への移設は、沖縄県や名護市が強く反対していることから「実現困難で、普天間飛行場を固定化させる」との判断から、嘉手納基地への移設を検討すべきだとしている。そのうえで、移設は沖縄県や嘉手納町など地元の理解を得る観点からも、あくまで「暫定」と位置づけ、「近い将来に県外、国外への移設を追求する」とし、移設の際には訓練や機能の一部を県外に分散したり、騒音を軽減したりして、負担軽減をはかることを提案している。

<普天間暫定移設案は、日本の防衛を第一義とすべき>
この案について私が疑問に思うのは、こんなことで済むのなら、名護に新たな基地を作りそこに移転するという必要はないわけだから、最初からこのストーリーで進んだはずである。そうでなかったのは、嘉手納移設では海兵隊の機能が十分発揮できない、そして嘉手納の空軍の機能が阻害されるということではないのか。つまり、海兵隊、空軍双方の機能、戦闘力を損なうこと、それはすなわち日本の防衛力を低下させることになるわけである。とは言え、最近のアメリカのアジア戦略は以前よりもかなり変化しているので、実際どうなのかは、当事者である米軍の意見を聞いてみるしかない。

この暫定移設案は普天間基地の危険性除去、普天間基地の固定化の排除の観点から発想されているように思える。私は、もしこういうことが可能であれば、これに越したことはないので、検討に反対するつもりはないが、次のことはしっかり押さえられる必要があると思う。それは、移設の可否はあくまでも日本防衛の観点から決められなければならず、これが第一義的なものになるということである。間違っても、自分達(民主党)が沖縄県民への約束を破り、怒らせ、その結果、普天間の名護への移設が難しくなった問題を穴埋めするため、また、現在の移設案が難しいとは言え、沖縄の理解を得る努力をほとんどしていない中で、その努力を今後強力に推進する手間を厭うがゆえに、とりあえずより簡単に問題を解決できそうに見える方向として、この案が提案されるようなことがあってはならないということである。そもそも普天間の名護への移転そのものが、最善の危険除去策として構想されたものであることを思い起こすべきであり、普天間の安全と日本の防衛機能の両方を成立させるものが名護への移転なのである。また、この暫定案のような部分的な安全策は、過去にも学校の移転などとして検討されたにもかかわらず、本土の反対勢力と連携した地元反対勢力が、「普天間の固定化につながる」として反対して実現しなかったという経緯もある。これは、取りあえずの安全を犠牲にしてでも、恒久的な基地移転を目指そうとするものであった。今回の提案も抜本的な案ではなく、取りあえずのものだから、これまでの経緯からして、この案の位置づけは極めて曖昧なものであると言わざるを得ない。
また、本格移転に当たっては、「県外、国外への移設を追求する」とし、「移設の際には訓練や機能の一部を県外に分散したり」として、地元住民の負担軽減をはかることを提案している。しかしこのような分散は、海兵隊の日本周辺地域の抑止力を維持する観点、万が一の有事の際の即応態勢を維持する観点から、現実的であるようには見えない。
石井氏は首相との会談で、「在沖縄海兵隊のグアム移転計画の見直しや普天間飛行場の大規模補修について日米両政府間で協議されていることを踏まえ、「それらが決まると、嘉手納基地への暫定移設は時機を逸する」と強調。5月上旬に予定する首相訪米までに嘉手納基地への暫定移設案を本格検討するよう求めた。」とされる(10日 産経)。これを見ると、検討期間は長くて一年程度と考えられているようであるが、そもそもこれまで約15年間も費やして、政治的、環境的、技術的、戦略的検討および交渉を行ってようやくたどり着いた現行案に対して、わずか一年程度の検討、交渉で結論が出るようには思えない。結論が出るとすれば箸にも棒にも掛からない場合だろう。いずれにせよ、いかにもその場しのぎの案という感じを受けるのは私だけだろうか。沖縄の県民のために、一生懸命やっているというポーズとりのためなら、こんなことよりも本来の名護への移転が進むように、県民への説得に努力してもらいたいものだ。

日本を取り巻く安全保障上の環境はますます厳しさを増している。中国、韓国、北朝鮮、そしてロシアなど、これらの国の台頭と日本の軍事予算の現象によって、日本の防衛力は、相対的にどんどん低下している。財政の破綻の危機もささやかれている状況の中では、防衛力の強化も十分には望めず、米軍と協調した防衛体制を取るのが最も効果的で、経済的な戦略であることが理解されるはずである。下記関係記事_1には北ミサイル関連ではあるが、米軍がいかに頼りになる力を持っているかを示す一例であるので、参考までに読んでみていただきたい。このようなわけで、日本は米軍の基地機能を損なって、作戦、展開範囲を狭め、日本自身の防衛・安全体制を弱めるような愚行をしないよう、自らの頭で十分考え、主体的に判断していく必要がある。

<日本は、主体性を持って、沖縄基地問題を捉えるべき! 日本はアメリカに無条件依存すべきではないし、またアメリカの被害者としての認識も持つべきでない>
そもそも、沖縄に米軍がなぜ駐留しているのか? 沖縄県民が望んだからではないだろうし、米国が望んで武力で進駐しているわけでもないだろうし、日本がだらしないからでもないし、米国が政治的に日本に圧力をかけているからでもないだろう。それは日本政府、日本国民が日本の防衛のために、アメリカと同盟関係を結び、その一環として米軍が駐留しているということである。日本は主権国家であるので、望めば沖縄に限らず、日本各地の米軍基地を日本から撤去させることも出来る。それは安保条約を廃棄すればよい話だ。現にフィリピンは90年代初頭に、クラーク空軍基地とスービック海軍基地を撤去させた(もっとも、これでは安全が守れなくなって、今まさに米軍を呼び戻す交渉がなされている)。日米安保の廃棄を日本が選択したからといって、さすがのアメリカも、民主主義の雄を自認している以上は日本に武力侵攻することはできないだろう。だから結局、沖縄に普天間基地があるのは、日本の意思によるものなのである。

普天間の名護への移転計画も、これは安保条約の精神に沿って、アメリカの意向も踏まえて、お互いの合意として決めたものである。これは決してアメリカから押し付けられたものではない。言い換えれば、米軍の作戦、戦略を日本が理解して、最終的には日本が日本の安全を確保するために自分で決めたことである。ここでは、お互いに合意内容を履行する義務がある。この履行義務を果たさず、移転問題を迷走させたのは日本側である。アメリカで出ている嘉手納移設案も、それがベストということではなく、普天間問題の迷走、混迷を踏まえてのものであり、いわば日本の不誠実の後始末を、アメリカ側が考えると、こういう案になるということなのだろうと理解する。だから、このように本筋の責務を果たすことに力を注ぐのではなく、本来のものから後退した案をもって、新たな案とするような発想では、米国の日本への不信感は強まるばかりであり、日米安保体制をますます弱体化させ、米軍による日本の防衛力はどんどん低下するだけであるだろう。もっと主体的で、積極的、建設的対応が求められるはずである。

ともあれ、この案はアメリカと打ち合わせる(交渉する)ことではあるが、最終的には防衛上の観点から日本が決めることであって、アメリカが決めることではないということになる。つまり、もしこの案をアメリカが拒否したとすれば、「アメリカがダメだというからダメだ」ということではなく、彼らの説明を日本自身が納得してこの案を取らないことに決めるということである。どうしても、この案を実現させたいのであれば、アメリカが受け入れられるような具体的で実現可能な代案を示すべきである。また、もし彼らが受け入れるとしたとき、「アメリカが良いと言っているから、良い」ということではなく、本当にそういうことで日本の防衛が出来ることを日本自身で確かめるということである。もし、こういうことでは、沖縄の海兵隊と空軍の戦力、作戦範囲が損なわれ、日本の防衛に悪影響があると判断されるなら、アメリカがこの案で良いといっても、「是非、名護に移って欲しい」ということを積極的に要請すべきである。なぜなら、これは日本にとっては、日本の防衛の問題だから、アメリカ任せにすることは出来ないということである。いかに同盟とは言え、日本には日本の利害、アメリカにはアメリカの利害があるわけだから、「アメリカの言う通りにしておけば、日本の国防は大丈夫だ」とは必ずしも言えないということである。このことの北ミサイル問題における一例を、下記関係記事_2に示すので是非参照願いたい。
日米同盟はお互いに果たすべき責務と、行使できる権利を持った対等な同盟関係であるので、この中における交渉がアメリカの温情に期待するということであってはならず、また逆に、これが、アメリカへの隷属からの解放のための要求闘争だと理解されること、つまりアメリカを敵対視することがあってもならないだろう。これは、日本が、日本の防衛のために、主体的に行う、同盟国・友好国アメリカとの交渉なのである。

【関係記事_1】_4月10日 産経 _
■【北ミサイル予告】米軍偵察機が沖縄に集中 ミサイルに備え嘉手納に
 米軍嘉手納基地(沖縄県嘉手納町など)に10日午後、弾道ミサイル観測能力を備えた電子偵察機RC135S(通称コブラボール)が2機、相次いで飛来した。
嘉手納には昨年末から既にRC135S1機が一時配備されている。米軍が保有するRC135Sは3機のみで、北朝鮮が12日以降に予告する「衛星」打ち上げと称した弾道ミサイル発射に備え、全機を沖縄に投入した格好だ。
RC135Sはいずれも米ネブラスカ州のオファット基地所属。嘉手納には現在、このほかに電子偵察機RC135U(通称コンバットセント)も一時配備されており、態勢が強化されている。

【関係記事_2】_4月9日 産経 _
■【北ミサイル予告】迎撃、日米に「温度差」…東シナ海照準、緊張感薄い米
 北朝鮮の「人工衛星」と称する長距離弾道ミサイルの発射に備え、自衛隊は海上配備型迎撃ミサイル(SM3)搭載イージス艦と地対空誘導弾パトリオット(PAC3)の展開をほぼ完了した。2006年7月と09年4月の弾道ミサイル発射時と同様に日米の連携が不可欠となるが、今回は照準が東シナ海に向けられただけに米側の緊張感は薄く、日米の「温度差」は否めない。(半沢尚久)
米イージス艦どう展開
「過去のいくつかのケースを踏まえる」
北朝鮮によるミサイル公開を受け、藤村修官房長官は9日の記者会見でこう強調した。06年と09年の例を参考に官邸の警戒態勢を敷くとの認識を示したようだが、過去2回の発射時と比較すると米側の対応に明白な違いがあることへの危機感は乏しい。
「どこに米側がイージス艦を展開させるか説明がない…」
 今月初旬、ある自衛隊幹部は不安を隠そうとしなかった。自衛隊には先月30日に破壊措置命令が出され、イージス艦とPAC3の展開場所もすぐに固まったが、米軍は日米協議でも米海軍イージス艦の配置など手の内を明らかにしようとしなかった。米海軍は06年には日本海に2隻、09年は日本海と太平洋に2隻ずつイージス艦を展開させることを早々に決めたのに比べ、対応は明らかに異なる。
6日には佐世保基地(長崎県)に米イージス艦が入港したが、展開海域はなお定かでない。米本土を射程に入れる大陸間弾道ミサイル(ICBM)開発に神経をとがらせる米軍はミサイルの性能確認に躍起であり、ミサイル観測艦をデータ収集に最も適した海域に展開させることしか眼中にないとの指摘もある。

防衛方針のメッセージなし
北朝鮮が初めて東シナ海に向け発射することも米軍の「本気度」を低下させたようだ。06年はハワイ周辺海域に照準を合わせ、09年のミサイルも3千キロ以上飛び、太平洋に着弾した。米軍が太平洋にイージス艦2隻を配置したのは国民に米本土を守る姿勢を鮮明にする必要があったからだ。
それでもゲーツ国防長官(当時)は09年の発射1週間前に「何らかの対応をする用意はない」と述べ、ミサイルが米領土を標的としない限り迎撃しない方針を表明した。今回は発射予告期間の12日が3日後に迫っても迎撃方針について何のメッセージも発しない。
オバマ大統領も、栄養補助食品援助で合意直後の発射予告だけにあまりメッセージを発したくないようだ。融和路線の失敗は共和党の格好の攻撃材料となる。迎撃方針を強調すれば北朝鮮に翻弄されたとの印象を深めかねない。

PAC3指揮系統に不安
米軍嘉手納基地(沖縄県嘉手納町など)に配備されたPAC3の運用も鳴りを潜める。このPAC3はハワイの米太平洋陸軍司令部傘下にあり、部隊指揮官に迎撃判断が委任されたとみられるが、詳細は明らかにされていない。
今回の対応は、空自の作戦中枢「航空総隊司令部」が米軍横田基地(東京都)に移転して初の共同運用となるが、嘉手納のPAC3は指揮系統は異なることもあり成否に保証はない。逆に日米の「温度差」と「相互不信」が浮き彫りとなることも十分ありえる。

「元首相」は個人のものでない! 「ルーピー鳩山」の勝手な「二元外交」を許すな! 国会追求、批判投票を!

2012-04-07 23:26:24 | 政治
いくら日本が民主主義国だとは言え、これはひどすぎるはずである。下記 関係記事が報道しているように、鳩山元首相が日本政府の方針、国際協調を無視してイランを訪問し、アフマディネジャド大統領らと会談するというのであるから穏やかではない。国際社会が協調して核兵器開発を辞めさせようとしている中で、その強調を乱してまで鳩山氏が大統領と会談する意味や権利がどこにあるのだろうか?! 現に、アメリカはこれに不快感を示している。鳩山氏には、猛省を促すとともに、政府・民主党、そして国民は、このような「公(おおやけ)性」を持つ人の暴走を二度と許さぬようにする必要があると思う。今回は、鳩山氏という「ルーピー」であるがゆえに、非常に危険な「公性」を持つ人について述べたい。

<元首相である鳩山氏は公人であるので、身勝手な、国益を損する行為は許されない>
鳩山氏は、「史上最低の首相」と称されたとは言え、かりそめにも日本の首相だった人である。そういう人は「元首相」と呼ばれ、周りの人、国はそういう人を現役の首相とまではいかずとも、それなりの政治的影響力を持つ人と評価するし、また通常は、実際にそうである。だからこそ、元首相は現役の首相の名代としての役割、アドバイザーなどの役割が期待されることも少なくないのである。それどころか場合によっては、現役首相と同程度の、あるいはそれ以上の影響力、政治力を持つという好ましからざる、もしくはあってはならないことが起きることもある。だからこういう立場に置かれた人は、自己の言動に対して十分慎重であることが求められる。しかし、歴史を見ればわかるように、現実にはさまざまな要因によって、それでも問題が起きることが少なくない。小泉元首相などは、この種の問題の発生を防ぐため、首相交代後は自ら議員を引退して、その後の首相の職務遂行に影響が出ないように配慮した。やり方はこれ一つとは言えないだろうが、これは、一つの重要かつ大きな見識であるといってよいだろう。

<「元首相」の「公性」を私物化する鳩山外交の害悪>
ところが、首相辞任後の鳩山氏は、首相のときと変わらぬ無責任な言動を連発している。元首相がやってはいけないこと、それゆえ人情としてやりたい誘惑に駆られやすいこと、それだからこそよほど強い自制力が要請される当の対象、あるいはそういう誘惑を断ち切る制度上の仕組みが要請される当の対象、まさにこの種のやってはいけない言動を自由闊達に行っている。その一つが今回のイラン訪問である。この本当の目的は明らかにされていないが、この人がやることだから、常人には想像もつかないことを夢想して、日本の外交政策に反すること、国際協調を崩すこと、日本の尊厳を損なうこと、日本の国家機密などを漏らすようなことなどを話して帰るのではないか。なにしろ国際的に「ルーピー」と称された人であるので自己の気分が乗る事柄の実現のためには、国益を損なうこと、国の尊厳を貶めることなど気にも留めないのである。
先月は、輿石民主党幹事長訪中団と別々にかつ同時に訪中し、習近平国家副主席と別々に会談した。お互いに相手の予定を直前まで知らなかったということであるが、信じられない話である。鳩山、輿石両氏とも、自分こそが日本の代表だ、向こうは亜流だとでも言わんばかりの言動をしているのであるから、完全な「二元外交(政府も含めれば「三元外交」!)」、いかに日本が統一のとれていないばらばらな国であるかを内外に見せつけた。鳩山、輿石両氏も問題であるが、こういうことを平気で見過ごし、行わせる政府・民主党の考え、やり方もデタラメと言わざるを得ない。中国側もあきれ果てたはずである。日本人として本当に恥ずかしい限りで、こういうことが続けば、中国はもとより、世界中の国から日本と日本人に対する侮蔑の気持ちが湧いてくることがあっても仕方がないだろう。

<「個人」の立場で「元首相」の肩書きを勝手に使うことは許されない。鳩山氏は、「元首相」の肩書きの自主的返還を。そうしないなら、日本政府はその剥奪を!>
鳩山氏は、「政府しか外交ができないということでは、この国はもたない。イランに友人として言うべきことを言って武力的な行動が起きないように努力したい」(関係記事_1)と記者団に説明したとされる。これは、イラン訪問が「個人的な活動である」ことを述べていると解釈される。また、藤村官房長官も前原政調会長も「個人的な行動」であり、政府とも民主党とも関係していないことを強調している。しかし、以下の理由でこれは明らかに詭弁である。
確かに「元首相」とは言え、個人の権利は保証されている。しかしそれは「元首相」と言う「公性」の肩書きが使われない場合に限られる話だろう。今回のイラン訪問が、単なる観光旅行というようなことならともかく、大統領と会談するというのは、ただ事ではない。明らかに「元首相」、「民主党外交最高顧問」の肩書きがフルに活用されている。というのは、もし鳩山氏が単なる一日本人、一衆議院議員であるとすれば、大統領が鳩山氏と会談などするはずもないからである。大統領は、「元首相」「民主党外交最高顧問」としての鳩山氏に対して何かを期待するからこそ、会談もするのである。だから、政府・民主党の方針が適切かどうかの問題はあるにせよ、鳩山氏は、政府・民主党の依頼、支持のもとに今回のイラン訪問を行わなければならない。鳩山氏のこの訪問のすべては、政府・民主党の方針に沿ったものでなければならず、それを無視することは許されないだろう。
ところが上述の鳩山発言は、このことを真っ向から否定するものである。この主旨は「自分は個人として訪問する」、「自分の立場、考えが政府と同じでは、日本の外交は成り立たない」ということである。つまり、彼は「自分こそが日本外交だ(あるいはその一角だ)」と主張している。そして、今回のイラン訪問は、政府の中止要請を振り切って行われた。

「個人の行動だ」と言いながら、「元首相」「民主党外交最高顧問」の肩書きをフル活用している。いくら日本が「民主主義国」だとは言え、国のものである「元首相」の肩書きを勝手に使って、国の利益を損なわせる自由までは与えていないはずである。「個人の自由」と称して勝手に「元首相」の肩書きを使うことは、詐欺的、窃盗的行為に類すると言えるのではないか。
もしどうしても鳩山氏が、個人的に何かをしたいのであれば、これらの肩書きをすべて返上してからの話にして欲しい。すなわち最低でも「私は首相を務めたが、これからは日本政府とは一切関係がない一日本人として振舞う。私は、民主党代表、そして民主党外交最高顧問を務めたが、以後は民主党とは関係ない立場で振舞う。」ということをはっきり宣言して、「個人的」外交を行うべきである。

鳩山氏も、野党時代から首相を辞任する直前までは、「首相辞任後は、次の総選挙には出馬せず議員を引退する」と述べていたのであった。これは、政治的に清廉な人間であることを強調するためのものであり、これが実際になされることを多くの国民は期待したのであった。例えば、こういうことをした上で、個人の権利として「個人的」外交をするのは自由だろう。
この言葉はおそらく半分は政治的な理想として述べられ、また半分は首相在任中、普天間基地問題での迷走で、そして母親からの不正献金疑惑で、世論から激しく批判され、その批判をかわすための芝居であったと思われる。その証拠に、首相を辞任して世間の批判も一段落すると、隠していた本心が出てきたものと見え、「辞めるの止めた」と言って、それまでの主張を破棄し、議員続投を表明したのであった。国民は見事にだまされた、裏切られた。というよりも、あまりにも常識からはずれたいい加減さであったために、想像すら出来ないことだった。呆気に取られたとしか言いようがない。

<民主党は直ちに「外交最高顧問」を解任せよ!>
それにしても不可解なのは、政府・民主党の対応である。玄葉外相は「訪問の中止」を要請したにも拘らず、振り切られてしまった。野田首相もこの訪問を「不適切」としている。前原政調会長も「訪問は不適切」と発言しながら、「今回の訪問は個人的なもの」と矛盾した釈明をしている。客観的状況を見れば、個人的な訪問でないことは明らかだ。
なぜ、民主党は鳩山氏を党の「外交最高顧問」に任命したのか。普天間問題その他で見せた鳩山氏の外交音痴ぶり、戦略性の皆無な脳天気ぶりは、衆目の一致するところであるにも拘らず、よりによってそういう人を「外交最高顧問」にするとは! 鳩山氏だけでなく、民主党そのものもやはり、どこか「ルーピー」であると言わざるを得ない。こういう政府、民主党の体たらくであるからこそ、鳩山氏もそのあたりを熟知し、高を括り、傍若無人な振る舞いとなるのだろう。こういう異常事態の再発を防ぐためにも、民主党は鳩山氏の「外交最高顧問」を直ちに解任すべきである。また、この人事は輿石幹事長主導のものと言われているが、輿石人事は、不適格閣僚人事で、そのダメさ加減が白日の下に晒されている。輿石氏の脳裏には、小沢氏との関係融和しかなく、外交はその手段にしか過ぎない。こういう人を幹事長に起用した人事も、いまや破綻している。野田首相は、小沢氏との決別と共に、輿石氏の解任も視野に入れるべきだ。

<「鳩山氏の五つの大罪>
今回のことと言い、この人の言動は明らかに国益に反する。これまでの彼の犯した、そして現在も犯し続けている罪は、大きく言って次のようなことになるだろう。
その①; 普天間移設問題の迷走によって、日米同盟を弱体化させ日本の安全保障体制を著しく弱体化させたこと
その②; 政治献金偽装。母親からの財産贈与に対する脱税。また、その使途を明らかにすると約束したにも拘らず、いまだに公開していないこと
その③; 国の最高指導者である「総理大臣」を務めた人であるにも拘らず、その言動は虚偽、欺瞞だらけで、日本の道徳的社会規範に多大の害悪をもたらした。「マニフェスト詐欺」とまで言われるうそで固めた選挙公約によって政権に就いたこと。普天間問題に関する沖縄県民、国民、オバマ大統領、クリントン国務長官に対する嘘、母親からの献金に関する国民への嘘、自らの議員辞職宣言の嘘など。極め付きは、このような嘘のかたまりの人が、菅前首相からだまされたことに怒って、菅氏を「ペテン師」呼ばわりしたことである。多くの嘘を連発し、日本の恥を世界に晒すとともに、日本国内の道徳的社会規範を著しく傷つけた。なにしろ総理大臣からしてうそばかりついているのであるから、学校教育における児童・生徒への教育的悪影響、そして犯罪者に与える心理的悪影響は計りしれない。
その④; 国の方針あるいは国益に反する言動、しかも独断的な思いつきの発想による言動により、国益を大きく損なっている。高らかに宣言した「CO2の25%削減」の主張はどうしたのか? 東日本大震災が起きたからといって、この努力を止める理由はないはずである。政府の政策に逆らってまでイラン訪問をする暇があったら、この国際的にも依然として重要な政策の実現に努力すべきではないか。このほかにも、「東アジア共同体」、「友愛」、「新しい公共」など全く具体的、現実的内容の無い、だれにもわからない夢想的概念を、振り撒いて国内外を煙に巻いているが、このようなことでは、世界中から物笑いの種になり、日本の国益を損なうだけである。
その⑤; 小沢元代表との連携によって、政府の足を引っ張る言動ばかりをしていること。この人と小沢元代表はよほどウマが合うらしいが、このようなことの中にも、この人の本質がよく現れている。これは結果的に、日本政治に混迷と、政治そのものの破壊をもたらしているだけである。

<このような「ルーピー」な元首相の政治からの排除を!>
《 野党は、今回のイラン訪問、前回の中国訪問の問題を国会で取り上げ、徹底的に鳩山外交の問題を追及して欲しい
《 鳩山氏は、母親からの相続した資金の使途を明確に示せ。国会で追及して欲しい。
《 民主党は鳩山氏の「外交最高顧問」の肩書きを直ちに剥奪せよ
《 以後は、鳩山氏がこういう自分勝手な国辱、国家利益の損失を招く言動を行うことなきよう、政府、民主党は、鳩山氏の監視と統制を強めよ
《 反核団体は、核兵器開発を推進しているイランに助け舟を出す鳩山氏への抗議を行うべき
《 鳩山氏は、自ら示した自律、自戒方針を想い起こし、次回選挙には立候補を止めよ
《 鳩山氏の選挙民は、次回選挙で鳩山氏への投票をせず、落選させてもらいたい


【関係記事_1】_4月5日 産経_
■鳩山氏のイラン訪問 政府が中止要請
 鳩山由紀夫元首相のイラン訪問をめぐり、政府は5日、鳩山氏に渡航中止を要請した。だが、鳩山氏はアフマディネジャド大統領らとの会談も調整済みとして要請を拒否。予定通り6日から4日間の日程で訪問する意向を示した。政府は、核開発を進めるイランに対し欧米諸国と連携して圧力を強めようとしているが、元首相のスタンドプレーを食い止めることができないでいる。
玄葉光一郎外相は5日、国会内で鳩山氏に「せめて延期をしてほしい」と要請した。しかし、鳩山氏は会談後、記者団に「政府しか外交ができないということでは、この国はもたない。イランに友人として言うべきことを言って武力的な行動が起きないように努力したい」と語った。
野田佳彦首相は5日の参院予算委員会で「わが国の国際協調の立場と整合的でなければならない」と懸念を表明。藤村修官房長官も記者会見で「政府や党として行うわけではなく、個人のまさに旅行ということになる。外交ではない」と述べたが、訪問を阻止することはできなかった。

 鳩山氏といえば米軍普天間飛行場移設問題をめぐり「最低でも県外」と主張し、問題を迷走させた張本人。自民党の小泉進次郎青年局長は記者団に「今さら何をやっても驚きませんね。民主党の外交顧問ですから『民主党の外交』を担われているんじゃないですか」と皮肉った。

【関係記事_2】_4月4日 毎日 _
■鳩山元首相:イラン訪問へ 日本政府は不快感
 鳩山由紀夫元首相が6~9日にイランを訪問し、アフマディネジャド大統領やジャリリ最高安全保障委員会事務局長ら政府要人と会談する予定であることが4日分かった。
 核開発を続けるイランに対して国際社会は制裁圧力を強めており、日本もイラン産原油の輸入削減方針を打ち出したばかり。日本政府は「今は対話のタイミングではない」(外務省幹部)との立場で、玄葉光一郎外相は4日の記者会見で「政府の要請に基づくものではない。政府としては適切なレベル、適切なタイミングで働き掛けを行うことが極めて重要と考える」と述べ、不快感を示した。【