もとなりくんの「今週の政治 ‘とんでも’」

日本の経済、安保危機を打開する力は、国民の結束と強い政治しかない

韓国の「ゴールデンタイム」は終わった! 強まる日本への‘寄生’行動 しかしもう日本は騙されない!

2015-06-28 16:28:56 | 政治
2015年6月28日
「韓国の聯合ニュースは25日、尹炳世(ユン・ビョンセ)外相が同ニュースとの24日のインタビューで、日韓首脳会談の開催見通しについて「韓日中3カ国の首脳が会談すれば(日韓)双方の接触は自然に行われる」と述べたと報じた。 慰安婦問題で日本が譲歩しない場合でも、韓国で今秋にも開催予定の日中韓首脳会談の際に、日韓首脳会談が行われるとの見通しを明らかにしたものだ。」(25日 産経)。
尹氏は朴大統領の忠実な茶坊主だから、これは朴氏の意向の表明である。それにしてもよくもまあこんな恥も外聞もない無節操なことが言えるものだと呆れるしかない。「対話のドアはいつでも開かれている」と会談を呼びかけ続けてきた安倍首相に対して、「慰安婦問題の解決が首脳会談の前提だ」とか「成果のない会談は意味がない」などと言っていた威勢はどこへ行ったのか? 
「尹氏は韓国政府の対日政策の基調も説明。「政府の外交政策には一貫性があると言いたい。ゆっくりでも着実に進み、それなりに大きな原則を守るもの」と話した。ただ、柔軟になるべき時もあり、そのために「ツートラック」戦略により歴史問題とそのほかの問題を切り離しているという。対話そのものに対しては「常に開かれている」と強調した。…略…歴代政権の対日関係をみると、発足当初は良好にスタートしながら、途中で問題が生じ、後半は悪化して終わるというパターンを繰り返してきたと指摘。現政権は悪化した状態で引き継いだため、ゆっくり進もうとも失敗しないという意味で、「安定した発展」という比較的おとなしい目標を掲げたと説明した。」(聯合ニュース 25日入力)。
これは韓国が得意の‘過去の事実の捏造’である。ここには多くの虚偽があり、何を言っているのかさっぱりわからない。韓国の大手紙は、尹外相を訪日させた朴大統領の路線転換を「決断」と持ち上げているが、白けることこの上ない。浅知恵がたたって行き詰ってしまい、これしか道がなくなったのだから、「決断」もへったくれもない。これは韓国の「独り相撲」でしかない。まあ、結局のところ、安倍首相の読みと外交戦略が数段 上だったということであり、韓国はこの程度の国だったということだろう。
ともあれ、ここには大きな問題がある。彼らは過去の自分たちの問題はこのように‘捏造’で覆い隠してすぐに忘れてしまう。ところが、日本に対する「(自分勝手な)恨み」は決して忘れない。彼らにとって「関係正常化」とは日本から利益を吸い取るための単なる方便にしか過ぎないのである。

《朴大統領の浅知恵による韓国外交の破綻_ 日米中の3カ国から利益を吸い取ろうとして、身動き取れない状態に!》
「韓国メディアは最近、日中首脳会談や安倍晋三首相の訪米成功などを受け、傍観するだけの韓国外交を厳しく批判。韓国の孤立を避けるためにも日韓首脳会談の早期実施を求めている。ある世論調査では「安倍首相による(戦後70年)談話が不十分な内容でも韓日首脳会談を開催すべきか」に56.3%が「すべきだ」と回答。尹外相訪日は世論対策という側面もあった。  また、韓国側には日韓の関係改善を求める米国に対し、努力姿勢を強くアピールしなければならない事情もあった。…略… 世界遺産登録をめぐっても、韓国側は、世界遺産委員会で7月上旬に登録の可否が決まる前に日本の譲歩を引き出したいのが本音。委員会で韓国の主張が認められなかった場合、韓国外交は国内で批判の矢面に立たされ、尹外相の辞任を求める声も高まりかねない。」(22日 産経)。
今回の対日外交の突然の変化は、外交政策の誤りと、経済政策の行き詰まりによるものである。外交では、反日政策の強化、そして中国へののめり込みによって、身動きがとれない状態に陥ってしまった。日米韓の連携を崩そうとする中国から餌を与えられそれに飛び付いた。中国に反日のための様々な要求をすることで日本を叩き、中国から経済的利益を得ようとした。米国からの懸念表明や制止を逆手にとって、米国への様々な要求を出し、利益を得ようとした。あまつさえ、「米中の橋渡し役」になるとか「両方からラブコールを送られている」などと意味不明なことを口走って得意満面だった。朴大統領にしてみれば、日本を叩き利権を奪い、中国と米国からもそれぞれに利益を得る、更にはこうしたことによって韓国の国際的地位を高めるという一石三鳥、四鳥の妙案と映ったのだろう。しかし中国も米国も甘くはない。両者がこれまで与えたものの見返りを要求したり、韓国の責務遂行を要求するのは当然だ。ところがこれまで日本は韓国に与えるばかりで、何も見返りを要求してこなかった。これに慣れ親しんだ韓国は、どの国も韓国に見返りのない支援をするだろうとでも思っていたのか。韓国は、中国と米国の両方から不信の目で見られ、批判されることになった。そして日本は、ひたすら反日に邁進する韓国に対して、すっかり興ざめしてしまい、「嫌韓」が進んだ。その影響は政治だけでなく、経済や文化、観光の分野まで及び、低迷する韓国経済に打撃を与えている。これは、世間知らずの、‘お嬢様’大統領というより‘田舎おばさん大統領’の浅知恵が招いた結果である。

《反日ばかりに勤しみ、経済に政策らしい政策を採らなかったことのつけが回った韓国、中国からうまい汁を吸おうとした韓国は、逆に中国からうまい汁を吸われるか、もしくは中国経済の没落と共に沈没!》
そこで、焦点の韓国経済であるが、朴氏が自分勝手に描いた夢想とはまったく反対の厳しい現実に突き進んでいる。
<すべての経済指標が「悪化」>
『韓国、失業率除き成長率など全指標「悪化」…景気回復動向は最下位』
韓国紙・中央日報(電子版)は6月17日、こんな見出しの記事を配信した。もちろん、プラス成長の統計がないわけでもないが、総じてマクロ経済指標は厳しい内容だ。とりわけ韓国経済にとって“致命傷”となるかもしれないのが輸出の減少だろう。…略…
<6年ぶりの輸出、2桁マイナス>
…略… ただ、輸出低迷が経済全体の足を引っ張っているという単純な話ではない。韓国経済には日本や欧米にはない「歪さ」があり、それを歴代政権が改善せず、放置してきたことが今の厳しい状況の最大の原因だ。
<財閥重視・優遇で経済成長>
…略… 歴代政権はこれまで財閥を重視、優遇することで経済成長を果たしてきたといっても過言ではない。つまり、韓国が為替介入によってウォン安誘導してきたのは公然の事実である。
サムスンや現代自は、ウォン安を最大限活用し、世界中で安価な商品を売りまくってきた。しかし、日銀による異例の金融緩和などを背景に、約2年前からは一転、ウォン高となり輸出競争力は大幅ダウン。「安価」というメッキの剥がれたサムスンや現代自の商品は売れ行きが落ち、売れても利益を上げることができない状況で、業績低迷に歯止めがかからない。こうした財閥系企業の低迷ぶりが如実に表れたのが今年1月以降の輸出額の低迷だ。
<中国依存が招く最悪状況?>
「財閥重視」「通貨安誘導」にかさ上げされた韓国経済。ある意味で今の状況は韓国の本当の実力値なのかもしれない。ただ、経済構造を改革するきっかけと位置付け、ゼロからの出発を果たせば、痛みを伴うものの、韓国経済は立ち直る可能性もある。 しかし、現実は抜本的な改革を避け、中国への投資を増やし、中国で稼ぐ-というのが経済政策の軸となっている。中国は不動産バブルが弾け、見た目以上に同国経済は厳しい状況に追い込まれている。そんな中国に活路を見いだそうとしている状況では、韓国経済のXデーはそう遠くないかもしれない。」(22日 産経)。

朴大統領は新年の辞で今年最も緊急の課題として「経済の活力を回復すること」を1つ目に挙げ、「困難の中で再生した経済回復の火種を生かし、国民所得4万ドル時代を開く基盤を固めていく」と話した。長期沈滞で活力を失った経済の成長エンジンを再稼働して低成長の壁を突破し、先進国に飛躍していくための踏み台を用意するという確約だ。今年を韓国経済回復の最後のゴールデンタイムと見て持続可能な安定成長の元年と定めるという切迫した覚悟を示した(1月2日 中央日報社説)。これは、昨年のセウォル号事件でほとんど何もできなかった朴大統領が、折り返し点である就任3年目の今年を自分の政権の最後の「ゴールデンタイム」として位置づけたものでもあった。ところが、今月、韓国企画財政部は今年下半期の経済政策方向を発表し、経済成長率予測値を当初の3.8%から3.1%に大幅に下方修正した。だが大方の予想では、これすらも実現は困難で、2%台にとどまるとの予想がなされている。短期的なことを言えば、円安やMERSなどの要因が効いているが、根本的にはこれは韓国経済が抱える潜在的問題点によるものだ。その最大のものはずばり言って、日本の支援と「パクリ」によって得た、韓国の技術的優位性の賞味期限が切れる時期になっているということだろう。にも関わらず、その対策ができていない。日本の支援とパクリの点では中国も同様なのだから、韓国の中国に対する優位性は少し早く韓国が技術を得たということだけであり、その程度の差は、圧倒的な人材と金を誇る中国にはすぐに縮められてしまう。他方、常に独創的な技術開発を欠かさない日本には追い付けない。
「高級スマートフォン、半導体、ディスプレーなどでは韓国がまだ優位と評価されるが、製造業全体でみれば韓国はすでに中国が追いつくべき対象ではない。 中国政府が先月18日に発表した「中国製造2025」にはそうした認識が表われている。中国はこの計画で世界の製造業強国を3つのグループに分類した。1強国は米国、2強国は日本とドイツ、3強国は中国と英国、フランス、韓国だ。中国製造2025計画は中国が2025年までに製造業分野で韓国などが属する3グループを抜け出して日本とドイツがいる2グループに上がるという内容だ。」(25日 中央日報)。
もう、中国は韓国など問題にもしていないのである。IT分野でも、10年とは言わず、数年以内には、韓国は抜かれてしまうだろう。韓国の危機感、焦燥感、そして絶望感は深刻だろう。それどころか、韓国は中国とのFTAでも大きな誤算があったようだ。このFTAは、韓国が中国と連携を強め、日本を出し抜いたとして、これ見よがしに誇っていたものである。
「中国が製造業で一段階跳躍すると宣言した2025年は韓中自由貿易協定(FTA)を通じ韓国の製造業が生産増大効果を得られると予測される時期だ。産業通商資源部は5日に国会に提出した韓中FTAの経済的影響評価報告書で、FTAを通じた貿易と投資活性化により今後10年間に韓国の国内総生産(GDP)は0.95%増加すると予想した。…略… 問題は中国の技術開発と発展のスピードが速いという点だ。もし10年以内に中国が韓国が優位に立っている産業分野でも競争力を確保すれば、FTAを通じた生産増大効果はまともに得られない可能性もあるとの懸念が出てくる。崇実(スンシル)大学経済学科のオン・ギウン教授は、「農産物が不利でも製造業で利益を得られるという理由からFTAを推進したが、中国の追撃速度は予想より速い。こうした傾向ならFTAを通じた効果は壮語しにくいだけに核心技術開発を加速化しなければならない」と話す。 ソウル大学技術経営政策大学院のイ・ジョンドン教授は、「FTAで韓国は知識労働をし中国は生産を担当するという考えは誤ったもの。製造業が雇用の根源という考えから核心製造業分野の競争力を育て維持しなければならない」と指摘した。」(同上)。
どうやら、成り立つかどうかよくわからぬことを、「取らぬ狸の皮算用」で、突っ走ったということらしい。だが、ここに来て中国経済の大幅減速が鮮明になっている。だから中国の技術開発は必死の様相を呈するだろうから、それが成功すれば韓国の技術は追い抜かれて大打撃をうけるし、成功しなければ中国経済が落ち込んで、中国にのめり込んだ韓国はやはり打撃を受ける。よほどの幸運がないと、韓国が中国でうまくやることは難しい。「他人のふんどしで相撲を取ろう」という韓国の基本姿勢が招いたアイロニーというしかない。
これについては、次の日本のネット投稿が正鵠を射ている。
>中国の怖さは、追いつき、追い越されることにあるわけではない。高度経済成長の勢いが急激にストップした結果、膨大な過剰生産のツケが回ってくることにある。すでに、余った中国産の鉄鋼が韓国に流入して、ポスコが大きな打撃を受けている。自動車は、もっと過剰生産がすごい。
>過去数千年にわたり中華に隷属してきた韓半島は中国人からは根本的に下位国家、下位民族として蔑視され続ける。 日本人はと言えば、この数年で韓国人の本質的な卑劣さと不誠実を思い知らされて、余程鈍感な左傾一部市民を除いては嫌悪するようになったために、今後一切韓国人のための配慮はしなくなる。 必然的に、君らは世界の最貧国へと転落し見捨てられる運命だ。
>もう日本には嫌われたから新しい技術は移転してもらえない。日本人はサムスンも現代も買ってくれない。日本人は韓国が嫌いになったから旅行にも来てくれない。あんたたちの心持ちと行いの結果ですよ。もう私たち日本には関係ない。
>日本が殖産してあげた製造技術と、製造装置で今まで食えただけです。50年、韓国から生み出された革新技術はない。終了です。
《朴政権のそれのみならず、韓国の「ゴールデンタイム」も終わり、後は転落の一途?! 日本は間違っても仏心を出さぬように  規制されるだけだ!》
このようなわけで、もう韓国の経済は、その「ゴールデンタイム」を逸し、没落の一途だろう。これがわかっているからこそ外相の訪日で、日本との関係正常化を図らざるを得なかった。その目的はもちろん、実質のない「協力、友好」を名目として、実際は日本からのさまざまな支援を得ることである。しかし、国交正常化から50年、戦後70年、もっと言えば日韓併合から105年という長きにわたる日本から韓国への支援を、一顧だにせず、全面否定し、却って日本批判の材料にしてきた韓国の姿勢は、多くの日本人を失望させた。韓国の本性を知った日本国民が、かつてのような無条件の支援を行うことはもうあるはずもない。もう韓国にとっての二匹目のドジョウはいない。韓国の問題は、韓国で処理してもらいたい。これこそが、主権国家同士の本当の付き合いだ。
しかしながら、韓国人(そして北朝鮮人)は、当たり前のことが理解できないし、自分のことを自分で解決できない。自分勝手な妄想でもって、突っ走る人達だから、今後も警戒を緩めるわけにはいかない。
特に、韓国人(そして北朝鮮人)には、次の記事に描かれているようなDNAがあるから、十分留意しなければならない。これらは何百年も、千年以上にもわたって、彼らの歴史、社会体制の中ではぐくまれたものであるので、ここ数十年でどうこうできる問題でも、日本がどうこうできるものでもないのである。これは漢江の奇跡を成し遂げた朴正煕元大統領も認めていた朝鮮人の特徴なのだ。日本にできることは、こうした彼らの問題に立ち入らないことだけだ。
さて、一つは、「日韓国交正常化50年 韓国で深化する「歴史の政治化」」と題された、拓殖大学総長・渡辺利夫氏の記事抜粋である。
「韓国においては、時代が新しくなるほど遠い過去の記憶がより鮮明に甦(よみがえ)りつつある。日本統治時代に発展基盤を整え、日韓基本条約を経て近代化の資金を日本から手にし大いなる発展を遂げたという「過去」は、いかにも居心地が悪い。「歴史清算」により日本の「悪」を糾弾し、もって今日を築いたのは韓国自身の手による以外の何ものでもないという国民意識を形成しなければ、自らの正統性を訴えることができないという深層心理なのであろう。  何より大韓民国の建国自体が、民族独立闘争とは無縁のものであった。第二次大戦で日本が敗北したことにより、3年間の米軍による軍政期を経て転がり込んだ独立なのである。誇るに足る建国の物語はここにはない。一人前の国家になったればこそ、自国の胡乱(うろん)な成り立ちが耐え難いという感覚を噴出させているのである。 北朝鮮の成立に建国の正統性を求める「従北派」が韓国内で大きな勢力を張りつつあるのも、そのゆえである。韓国の反日は永続的なものなのかと、私は慨嘆する。」(6月22日 産経「正論」)。
これは朝鮮を併合した日本の責任を回避しようということではない。ただ、歴史の事実は韓国が都合よく思い描くものとはかなり異なっており、そういうものを「歴史的真実」だとして日本に同意せよと言われても応じるわけにはいかないということである。
もう一つは、韓国の国民病とでも言うべき「憤怒」の感情である。以下は、24日付け、中央日報「慢性的な怒りから脱すること=韓国」なるコラムの抜粋である。
「誰もが腹を立てている。日中は暑くて雨が降らず、ウイルスのニュースが続く。市内はもの寂しく、家の前の食堂のおじさんは「こんなことでは、みんな滅びてしまう」と言ってため息をつく。有名作家は盗作問題に対する真実を釈明しようとする態度で相当大きな失望を与えた。個人的に良くないことがあるわけでもないが、テレビを、新聞を、SNSを見るたびにカッと怒りが沸き上がる。怒りはMERSよりも伝染力が強いのだろうか。昨年出てきた『怒り社会』という本の一節を読む。
「慢性的な怒りを抱えて生きている人々は、いつも怒りの種を探すためにきょろきょろと見回す。彼らは自分に与えられた時間を愛する方法を学ぼうとしたり、人生の意味を探そうと思ったり、自分のアイデンティティの確立に関心を持ったりするよりは、この世界全体が絶望で埋め尽くされるというシグナルを探すために努力する。(…)彼らにとって、この社会に依然として存在している多様な可能性は足手まといな虚構にすぎない。彼らはただ絶望と挫折だけを信じ、その中毒になって自身の世界全体を否定的な認識で上書きする」」。
韓国には「火病」という精神的抑圧からくる病気があるらしいが、いずれも同根のものだろう。これは、なにも今に始まったこと、あるいは日韓併合の時から始まった感情ではなく、表面的な形はそのままではなくとも、こうしたものを産む要因は李氏朝鮮、あるいはそれ以前からのものだろう。これが韓国固有のものだということは、たとえば、「韓国人の火病急増、サラリーマン90%が病む… その原因は? 2015年01月28日」、「コラム 怒りをこらえる中国人、怒る韓国人 2011年10月12日」、「時論 憤怒調節障害を病んでいる大韓民国 2015年03月26日」、「コラム 「インスタント憤怒」の時代=韓国 2012年10月02日」などの中央日報記事が出ていることからもわかる。とにかく自分勝手な憤怒を「反日」で解消されたのではたまったものではない。
最後のまとめとして、次のネット投稿を挙げておきたい。
> (上記、憤怒について) 物事をネガティブに考えればどこの国でもこうなる。でも19世紀の李朝時代の惨めな未開状態から現代の人がましい社会にしてもらえたのはひとえに日本のお陰だと改めて感謝してみたらどう?自分たちの超幸運に感激すると思うよ。これだけの幸運に恵まれながら恩人を恨み、自分たちの選んだ大統領を恨み、身の不幸を嘆く馬鹿な民族だよね。
> (対日姿勢の急変について) この2日間の変貌振りはどうだ。又いつか変貌するのは明らかだ。絶対に経済支援、技術支援をしてはならない。

尹外相「初訪日」に関わる韓国世論の異様な虚妄、詭弁_ こんな国とのまともな付き合いは不可能!

2015-06-20 21:17:18 | 政治
2015年6月20日
「尹炳世(ユン・ビョンセ)外交部(省に相当)長官が今月21・22日の両日に日本を訪問する。朴槿恵(パク・クンヘ)政権の発足後、外交部長官の訪日は初めてとなる。尹長官は当初、2013年4月に日本を訪問する予定だったが、安倍内閣の閣僚たちが相次いで靖国神社に参拝したのを受け中止した。それから2年以上もの間、韓国の外交部長官が最も近い隣国である日本を訪問しないという不正常な状況が続いていた。 22日は、韓国と日本が1965年に「韓日基本条約」を締結し、国交を正常化してから50年を迎える日だ。尹長官はこの日、駐日韓国大使館が東京都内で主催する記念行事に出席する。日本側でも、在韓日本大使館がソウルで開催する記念行事に相応の人物を派遣する予定だという。21日には韓日外相会談も行われる。…略…  韓日両国政府は、ようやく実現した対話を今後につなげていくための方策を考えていかなければならない。何よりも、韓日両国間の協力こそが両国の国益に合致し、将来のためにも望ましいという認識を、両国の国民が共有していけるよう取り組んでいくことが切実な問題だ。…略… 8月15日、安倍首相が発表する予定の談話が、韓日関係の最も大きな峠にならざるを得ない。安倍首相が、過去の日本が犯した過ちについて謝罪する内容を談話に盛り込まないのなら、談話自体発表すべきではない。また、今や生存者が50人しか残っていない旧日本軍の慰安婦たちが受け入れることのできる対策も打ち出すべきだ。韓国政府もまた、韓日首脳会談を目標としたさまざまなレベルの戦略対話を模索する必要がある。」(18(入力19)日 朝鮮日報社説)。
韓国ではこの尹外相の訪日を、勇気ある大英断として自画自賛しているが、この韓国の自分勝手な独り相撲にはうんざりさせられ、白けることこの上ない。上から目線の発想も相変わらずだ。「ようやく実現した対話」というが、「対話のドアは開いている」とする日本に対し、対話を一方的に、かつかたくなに拒否していたのは韓国である。「韓日両国間の協力こそが両国の国益に合致し、将来のためにも望ましいという認識を、両国の国民が共有していけるよう」というが、日本は日韓の国交回復後、一貫して政府も国民もこの考えで対応してきている。理解しなかったのは韓国だけなのだが…。しかも韓国がこういう考えに到達したのかと言えばそうではないから、問題なのだ。彼らの言う日韓の「協力」とは、日本が韓国を一方的に「支援すること」であり、そのことを理解しなければならないのは日本国民なのだ。韓国政府も国民も、何もするつもりはなく、彼らの仕事はとにかく日本に強く要求することであり、それを着実に行っていくのは日本の政府と国民なのである。これが彼らの言う「日韓協力」であり、「相互理解」なのだ。以下、7つの視点から、この理解に間違いないことを見てみたい。

《その1_ 関係悪化はすべて安倍政権のせいだと》
「朴政権がこれまで、韓日首脳会談だけでなく、外交部長官の訪日まで拒否してきたのは、安倍政権による歴史の否定や、「戦争のできる国」へと一方的に突き進もうとする動きが大きな影響を与えた。」(同 社説)として、関係悪化の責任をすべて安倍政権に押し付け、朴政権を始めとする歴代韓国政府の責任を転嫁している。慰安婦問題での日本への根拠なき中傷、教科書問題や靖国問題などの不当な内政干渉、李前大統領による竹島への不法上陸、天皇侮辱発言、テロリスト安重根記念館設置、対馬盗難仏像未返還、サンケイ新聞加藤前支局長の不当提訴など、韓国側の不法、不当行為は枚挙にいとまがないが、それらについては全く無視している。

《その2_ 韓国の都合による「すり寄り」、「困ったときの日本頼み」》
19日の中央日報は「韓国と日本、もう一歩ずつ近くへ」と題するコラムを掲載し、韓日関係を早く改善しなければいけない代表的な理由として次の5つを挙げている。虚偽が多い韓国の記事の中で、これは正鵠を射たものと言えるだろう。ただし、これは韓国の理由であって、日本のそれではない。
「まず今年が韓日国交正常化50周年であると同時に終戦70周年という高い象徴性、2つ目は韓日関係にクールな共和党に比べて積極的な関心を持つ米民主党政権である時が韓日関係改善の最後の機会ということ、3つ目は任期の半分を残した朴槿恵政権としても今年を逃せば再び機会をつかみにくいこと、4つ目は南シナ海で中国の海埋め立てによる領土拡張と軍事施設増設をめぐる事態が韓国にまで波紋を広げ、韓日米協調が要求されるという地政学的な要求、5つ目は北朝鮮の4回目の核実験脅威と頻繁なミサイル発射で北朝鮮に対する韓日米共同対応が急がれるということだ。」(19日 中央日報)。
これらはほとんど韓国の都合による理由だ。日本は韓国ほどには困らない。
一つ目の国交正常化50年については、日本ではもう何年も前からすっかり白けきって、祝賀ムードは望むべくもなかった。韓国もそうだった。ところがここに来て、韓国が突如としてこれを取り上げ、しきりに祝賀ムードを演出している。その理由は韓国の経済の急激な失速にあるだろう。日本の復調、中国の追い上げ、「ぱくり」と窃盗による技術的優位が賞味期限切れ、歪な財閥頼みの経済、企業の体質改革の遅れなどで、経済の先が見通せない。これを日本頼みで、切り抜けようとしているのである。二つ目の点は、米国を使って日本に圧力を掛けるという韓国のやり方が通用しなくなったということだ。韓国に甘い民主党オバマ政権ですら、厳しくなってきているから、韓国が焦るのもムベなるかな。
三つ目も正しい。朴大統領が日本へすり寄らざるを得ないのは、国内の政治状況のせいでもある。セウォル号事件や、MERSなどの失策で、支持率はついに30%を切った。硬直外交だとう批判をかわすためにも、関係改善のポーズを取る必要があるということだ。しかし、留意すべきことは、これは反日を弱めることを意味しない。国内の不満を逸らすためにも反日も強めざるを得ないということだ。つまり、韓国は国内政治でも外交でも分裂症になっているのである。四つ目の点は、米中を両てんびんにかける韓国のコウモリ外交に対する米国からの批判に耐えきれなくなったということである。五つ目のことは、当たり前のことだ。だからこそ日本は集団的自衛権を行使できる体制を構築しようとしているのだが、それに抵抗していたのは韓国だったのだから、今頃こんなことを言われても白けるだけだ。

《その3_ 強行姿勢から軟化姿勢への理由付けは、道徳的に高尚な韓国による寛大な心、日本を外交的に追い込むためのより高度な戦略的判断?? と自画自賛!》
ところで、政権が始まって以降、一貫して対日強硬路線を採り続けてきた朴大統領と、尹外相が、ここに来て、日本への一方的なすり寄り(屈辱的な行為のはず)を始めたことについてどう辻褄合わせをするのか? ここで登場するのが、先々週の記事でも書いた、魯迅の小説「阿Q正伝」に出てくる「精神的必勝法」である。これは、どんなに負けても、どんなに屈辱的な目に遭っても、自己満足的な屁理屈を編み出して、自らを慰めるという特殊技術だ。その一つは、「道徳的に高尚な韓国が、低劣な日本に憐れみと寛大な心で接する」というものだ。人を信じず、ののしり合い、助け合う気持ちがない、世界中に売春婦を輸出している、人を騙す犯罪や性犯罪が絶えないなど、とても道徳的とは言えない韓国が、日本に道徳を教えるというのはブラックジョーク以外の何物でもないのだが…。対日外交に「大乗カード」という耳慣れない言葉まで使っている。この考えはたとえば、「正しい発言をするほどこじれる…朴大統領の「道徳外交」パラドックス」という5月8日の中央日報のコラムのタイトルにも表現されている。不当な行動をとる日本に、韓国が正しいことを説くのだが、低劣な日本はそれが理解できない。記事はこれをこの世界の不合理、矛盾=パラッドックスと嘆くと同時に、嘆いていても仕方がないので、日本には追い追い理解させるとして、道徳的対応はひとまずおいて、現実的な実利外交を展開すべきだと主張している。「韓国の勇気と日本の勇気」なる6月17日のコラムは、高尚な韓国が恨みの感情を乗り越えて、先に勇気を出して日本に協調の呼びかけをした、だから次は日本が勇気を出して、これに応えるべきだとするものだ。ここには上から目線がいかんなく表現されている。
「精神的必勝法」のもう一つのタイプは、外交的に日本を追い込もうという‘戦略’である。すなわち、韓国から先に会談に応じれば、韓国はもうどこからも非難されることはないだろう、もし日本がこの韓国の‘誠意’に応えなければ逆に日本が非難されることになるという戦略らしい。それを示すのが次の「尹炳世外交長官が訪日へ、先に手を差し出した韓国…日本に和解圧力」と題する6月18日付けコラムである。
「政府関係者は尹長官の訪日を「外交の勝負」と話している。韓日国交正常化50周年(1965年6月22日修交)を契機に、両国関係の改善を韓国が主導するというメッセージということだ。政府内では年初から、修交記念日を迎えて見せる「大乗的カード」について悩んできたという。外交部当局者は17日、「過去の歴史歪曲に対する断固たる対応とは別に、大きく和合しようという我々の意志を見せるべきという共感が政府内にあった」と説明した。別の当局者は「その間、政府が批判を受けたことの一つが、言葉ではツートラック戦略と言いながら、実際には過去の歴史のためにすべての韓日関係がふさがっているということだった」とし「重要な契機を迎えてまた前提条件を付けるような姿を見せるよりは、今の難しい状況を解くために果敢に決断するのが正しいと考えた」と説明した。…略… 専門家は今回の決定を通じて関係改善のボールを日本に渡し、日本の前向きな回答に圧力を加える構図を作ることができると述べた。」(18日 中央日報)。
日本は最初から「対話のドアはいつでも開けている」としているのだから、こんなことは日本には何の圧力にもならない。何を言いたいのかわからない。結局、外交が出鱈目だったということにしか過ぎないのだが、それをいかにも大した戦略を持った決断として自画自賛している。これは外交というより、外交ファンタジーだ。
とは言えここで問題なのは、一方で日本にすり寄りながら、他方では日本を敵と見做してあくまでも駆け引きをしようとしていることである。このような発想は、「日本人全体を敵にするべきでない…韓国は豹変の勇断を」と題した、5月8日の中央日報コラムにも見える。これは、日本国内の親韓派に働きかけて、日本の世論を分断しようということだ。相も変わらずよこしまな考えが貫かれている。こういう韓国に対しては、次の言葉がぴったりする。「日本に圧力?その時点で和合何てあり得ない。やっぱり朝鮮人とは、理解しあえない」(ネット上の投稿コメント)。

《その4_ 自分たちの都合だけの日韓懸案》
「韓日間の代表的な3大イシューは慰安婦、独島(ドクト、日本名・竹島)、歴史問題だ。独島は解決できない問題であり、過去の歴史は長期の課題だ。このため残りは核心の中の核心争点である慰安婦問題に対する日本政府の「認定、謝罪、賠償」だ。…略… 交渉者の忍耐心を要求するディテールなイシューがいくつか残っている。その一つが明治時代の近代産業施設のユネスコ文化遺産登録問題だ。23の登録対象のうち7の施設は徴用された朝鮮人が奴隷労働をしたところだ。登録はするものの、朝鮮人が受けた過酷で人間以下の扱いの実像を反映するべきだというのが韓国の要求だ。ナチスドイツがユダヤ人を大量虐殺したアウシュビッツもユネスコ文化遺産になったが、そこにはユダヤ人が受けた惨状が詳しく記録されている。」(19日 中央日報)。
この他にも多くの重要なテーマがあるのだが、自分たちの都合のよいテーマだけを懸案としている。竹島は絶対に外せない問題なのだが…。なお、アウシュビッツは、人道犯罪がテーマなのだから、その解説が入るのは当然だ。日本の産業革命遺産は、文字通り産業革命がテーマなのだから、全く違う話だ。さらには、強制徴用と言うが、ここで働いていたのは韓国人だけではなく日本人も多数いた。これは、給与も支払われる仕事だったのだ。強制徴用というのがそもそも、間違いだ。
「尹長官が明らかにしたように、韓日協力を妨げる懸案は3つだ。まず慰安婦問題での意味ある進展を導き出すこと、2番目に日本の近代産業施設ユネスコ登録過程での韓国の立場の反映、そして8月に予定された安倍談話の内容などだ。特に慰安婦問題は、どのイシューよりも比重がありデリケートな事案だ。朴槿恵(パク・クネ)大統領もこれに対する日本の誠意ある態度の変化なしには関係改善が難しいと数回にわたって一線を引いてきたほどだ。」(18日 中央日報社説)。ここでも都合のよいテーマだけが、一方的な日本の責務として述べられている。

《その5_ 自分たちが勝手に行った不法・犯罪行為を交渉の材料として、ギブアンドテイクと偽ることの異常性》
「日本は在韓日本大使館の前にある慰安婦少女像の撤去も要求している。それは慰安婦問題が妥結すれば、韓国政府が生存中の慰安婦被害者全員と韓国挺身隊問題対策協議会と世論を説得し、譲歩しなければいけない部分だ。」(19日 中央日報)。
どうやら、韓国はこの慰安婦像を譲歩の材料に考えているようだが、これはもともと韓国の国内法違反、国際法違反の建造物でもあり、慰安婦問題とは何の関係もないものだ。だから、日本は撤去を要求している。こんなゴミのようなものが譲歩の材料などになるはずがない。しかし、韓国の発想は、どんなものでも取引材料にするところにある。たとえば、対馬から盗難被害にあった仏像の返還要求についても、返してほしければ、他の文化財との交換をすべきだなどと、窃盗を正当化し、みそも糞も一緒にする、まったく民主国家どころか近代国家とも思えないことを言っている。「(尹外相の訪日は)韓日米協力構図にも前向きな効果が生じるとみている。尹徳敏(ユン・ドクミン)国立外交院長は「韓日関係の悪化に悩んできた米国も歓迎するはず」と話した。実際、14-17日の訪米中、尹長官は米政府関係者に自分の訪日計画を説明し、大きな支持を得たという。」(18日 中央日報)。
日韓の関係が良くなければならないことは、何十年も前から明白なことだから、米国としても、苦笑いしながら頷くしかなかったことだろう。
問題は、このような韓国が当然しなければならないことを、あたかも韓国の大変な譲歩であるかの如き対応では、とてもではないが、関係改善の話など、乗れるはずはないのだ。国益の一部を損ねてまでも譲歩して、得るものがこんな屑、カスでは、泣くに泣けない。
しかも、万が一双方が合意に達したとしても、今のままではすぐにひっくり返されて、日本が譲歩したという結果だけを取られてしまうだろう。と言うのはたとえば、慰安婦問題では韓国、そして朴大統領は「日本は韓国国民そして慰安婦が納得するように誠意を示すべきだ」としているのだから、いくら韓国政府と話をして合意に至っても、すぐに挺対協などの反対で簡単に卓袱台返しをくらうだろう。本来、慰安婦問題は韓国の国内問題であるにも関わらず、韓国政府は他人事のような対応しかしていない。全てを日本に丸投げして、日本の責任だと言っているのだから、こういうところと話をしても意味がない。これは河野談話で既に苦い経験を積んでいるのだから、こんな馬鹿なことを繰り返すわけにはいかない。

《その6_ 見栄だけにこだわる韓国 2年前は徹底的に貶めた額賀氏を、自分たちの都合で今度は最大級の政治家と持ち上げることの異様さ!》
駐日韓国大使館での50年式典には尹外相が主席するが、駐韓日本大使館での式典には、日韓議員連盟の額賀氏が主席することになっている。
「日本は22日にソウルで開かれる駐韓日本大使館主催の韓日国交正常化50周年記念行事に額賀福志郎日韓議員連盟会長(71)を首相特使として派遣する方針だと、NHKなどが報じた。額賀会長は自民党内の7つの派閥のうち2大派閥の額賀派(議員53人)のトップ。11選の衆院議員で、防衛庁長官、経済企画庁長官、自民党政調会長などを歴任した。日本外交消息筋は「額賀会長は両国関係をよく理解している重鎮政治家」と述べた。日本も韓国に送る人物の「級」を悩んだという趣旨だ。」(18日 中央日報)。
ここで思い出されるのは、2年前に朴大統領が就任し、額賀氏が安倍首相の親書を携えて特使として訪韓したときの韓国の対応とのギャップだ。この時、額賀氏は、こういう特使としては当然のことである空港でVIP扱いがなされず、一般人が通る通路を歩かされ、反日団体の怒号の中でさらし者にされた形となった。この時、韓国は額賀氏を、勝手に来たという対応をして、大衆の機嫌をとったのである。しかるに、今回は額賀氏がいかに韓国に理解がある大物であるかを強調している。要は、韓国にとって、日本や額賀氏などは単なる手段にしか過ぎないのであって、ここには日本や額賀氏に対する経緯も、信頼感も全く見えない。こんな国とどうして信頼関係を構築できるだろうか?!

《その7_ 大衆に振り回される浅はかな朴大統領、その暗愚さに振り回される韓国国民》
朴大統領は、米紙ワシントン・ポスト(電子版)が12日までに掲載したインタビューで、「慰安婦協議はかなりの進展があり最終段階」、「われわれは非常に意味のある韓日国交正常化50周年を期待できると思う」と述べた。朴大統領の発言について、日本の外務省幹部は12日、日韓の協議では具体的な進展はなく、何を指して進展?と疑問を呈した。朴氏の、硬直外交に対して内外から批判が高まり、それを交わす狙いで、苦し紛れに何の根拠もなく口から出まかせを言ったものとみられるが、あまりに浅はかな姿だ。これは、米国からの批判に対する実績作りを狙ったものであり、今回の尹外相が、何の当てもなく訪日する行動を取っているのと軌を一にするものだ。要は、韓国は努力しているというアリバイ作り、パフォーマンスでしかない。国民の反日感情が強いと見れば、反日を強め、強硬路線に対する批判が出れば、今度は何の見通しもなく、すり寄りを強める。姑息な嘘で、窮地を脱しようとするのは、一国の指導者がやることではない。まあ、愛人との密会報道をされて、何の根拠も示すことなく、そして元ネタ記事を書いた韓国メディアを咎めることもなく、産経加藤前支局長を、スケープゴート的に、名誉棄損で告訴するような国であり、大統領である。何かを期待する方が無理なのかもしれないが。いずれにしても、こんな指導者が率いる国を信頼せよと言う方が無理なのではないだろうか。
報道機関も、朴氏と同様に、何の定見もなく、ただ行き当たりばったりの、大衆迎合記事で、ウソだらけの報道を流している。
前述の19日付け 中央日報コラム「韓国と日本、もう一歩ずつ近くへ」は次のようにも言っている。
「米国のオバマ政権は昨年から韓日関係を早期に改善するよう、日本には強く、韓国にはそれとなく圧力を加えてきた。特に4月の安倍首相の訪米で、米国は安倍首相を手厚く歓待し、歴史問題の整理に圧力を加えた。これを受け、安倍首相はその時まで固執していた「河野談話の修正はしない」から一歩さらに踏み出し、「河野・村山談話を全体的に継承する」という積極的な立場を明らかにした。朴大統領の言葉通り、「2人いてこそタンゴを踊ることができる」。安倍首相が米国と国際社会の圧力の前でやや後退する前、韓国では朴大統領が韓日関係改善の強い意志を見せた。元老知日派の柳興洙(ユ・フンス)元議員を駐日大使に任命したのも、朴大統領のこうした意志の確実な表明だった。」(19日 中央日報)。
まあ、よくもこんなに嘘だらけの記事、大統領そして国民ににおもねる記事が書けるものだと呆れるばかりだ。知日派の大使の起用は評価できるが、本当にその気があるなら、茶坊主でしかない尹外相を交代させるべきだ。安倍首相の訪米の成功、米国の韓国に対する「うんざり感」説などで、「孤立化する」とてんやわんやの大騒ぎをしていたのに、こんどは一転して強気の姿勢である。これは米国から、リップサービスの慰め言葉をもらったからだろうが、アジアの情勢の緊迫化に伴い、米国の韓国に対する目が益々厳しくなっていくことに変わりはない。米国に甘え、泣きつくだけの未熟な韓国が、いつまでも許されるほど国際外交は甘くない。
《結論_ 日本のネット投稿より》
>『先に手を差し出した』←訂正しますwあ『先に手を出した..』w
>ハゲ外交部長が差し出すた手は、物乞い・オネダリのために差し出す手だろう。 相手の悪口を言いながら物乞いの手を出すとは、ずうずうしいと言うべきか、恥知らずと言うべきか。呆れ果てて、開いた口が塞がらない。
>日韓関係を改善しなければならない差し迫った理由はなにもない。いつも日本を貶め日本の邪魔をして困った時だけ日本を利用しようとする「用日」はもう通用しない。どんな会談をやろうが平行線だよ。
>南朝鮮に対しては“助けない、教えない、関わらない”これが最善の外交だ。岸田大臣、配慮とか譲歩とかは絶対、絶対、絶対してはならない。大人の対応なんて、朝鮮人には通用しない。岸田大臣、河野洋平みたいに騙されるような事はしないでくれ。日本の正義真実を押し通せ。
>安倍総理、靖国神社参拝をしてください。これが一番手っ取り早いお祓いです。

集団的自衛権は合憲かつ必要不可欠_ 「学問」では国民の安全は守れぬ! 安保法制の整備は政治の責務だ!

2015-06-13 19:14:06 | 政治
2015年6月13日
3人の憲法学者の参考人招致で、自公が推薦した学者が集団的自衛権を違憲と発言するという前代未聞のハプニングが起こって、国会が混乱している。しかし、これは明らかに自民党のミスであって自民党の弛み、緩みは厳しく批判されねばならないにしても、集団的自衛権を含む安保法制の早急な整備が必要な事情はなんら変わらない。集団的自衛権の行使が憲法違反かどうかの問題は、昨年の閣議決定前にも相当に議論されていることなので、同じ内容を繰り返して、国会が貴重な時間の浪費をすることは許されない。
「稲田朋美・自民党政調会長_
唯一、憲法9条について判示したのは後にも先にも砂川判決のみ。判決の中の、日本の存立が脅かされているときには、自衛権は行使できる。その中に個別か集団的かの区別はないし、一見明白に違憲というとき以外は、日本の存立にかかる安全保障については、国会と内閣に任されていると最高裁自身が判示している。その意味からは、憲法に違反するかどうかという議論を、これ以上続けていくことには、そんなに意味が無いのかなと思う。 平和安全法制は集団的自衛権の問題だけでは無くて、様々な後方支援やグレーゾーンの問題とか、PKO、様々な観点がある。そういった議論を深めていくことが、国権の最高機関としての国会の責務だろうと思う。(記者会見で)」(11日 朝日)。
これは、合憲か違憲かの問題は、三権分立の原則からして、最高裁の判断にゆだねるべきだということ、そしてこれまでのところ最高裁は、自衛権はあると言っているのだから、政府、国会はそれに沿って法案整備を急ぐべきだということである。正論だ。したがって、次の谷垣氏の発言も、民主主義国家としての当然の考えになる。
「自民党の谷垣禎一幹事長は12日午前の記者会見で、集団的自衛権の行使容認を含む安全保障関連法案の成立後、仮に最高裁で違憲判決が出た場合には新たに安保政策を練り直す必要があるとの認識を示した。「そういう(最高裁判決を)前提に防衛政策を組み立てていかなければならない。当然だ」と述べた。 また「国民の中で(安保法制整備による)抑止力を認めないような議論への賛同者は少ないと思う」とも語り、法案への理解は得られるとの考えも強調した。」(12日 産経)。
この問題は、以上の二つの見解で、尽くされている。しかし以下、念のため、主要な議論に対する反論と、本来あるべき考え方について、おさらい的に述べてみたい。

《「学問」では国民の安全と財産は守れぬ 安保体制を構築するのは政治の責任だ!》
日本の安保、国防体制を整えるためには、憲法や法律の内容を熟知していると同時に、日本を取り巻く外交・軍事のパワーバランスについてのしっかりした情勢認識と戦略性が必要である。それをなすのは政治家であり、憲法学者ではない。ところで、このブログで取り上げている、稲田氏、谷垣氏、高村氏、北側氏はいずれも、弁護士資格を持つ政治家であるので、憲法の知識も十分持った上での安保政策の見解を述べているのである。
「これ(自衛のための必要な措置を考え抜く)を行うのは憲法学者ではなく政治家だ」。高村氏(自民副総裁)は憲法審でこう強調した。憲法学者の見解を“錦の御旗”に掲げる民主党の姿勢を真っ向から批判した形だ。 高村氏は審査会後も、記者団に対し「何が国の存立を全うするために必要な措置かは、大抵の憲法学者より私の方が考えてきた自信がある」と語った。
公明党の北側一雄副代表は審査会で「日本の憲法学界で自衛隊や日米安保条約が違憲かという議論はあっても、安保環境を踏まえ、憲法9条と自衛措置の限界について突き詰めた議論がされたことを残念ながら私は知らない」と指摘。記者団には「憲法学者は憲法の立場から見る。必ずしも安全保障の専門家ではない」と語った。」(11日 産経)。
高村氏はまた次のようにも述べている。「自衛隊をつくったときもほとんどの憲法学者は憲法違反だと主張した。憲法学者の言う通りにしていたら、今も自衛隊はない。日米安保条約もない。…略… 憲法の番人は最高裁であって憲法学者ではない。」(12日 産経)。

《集団的自衛権は合憲_ 憲法解釈が国際情勢の変化、政治家、国民の認識の発展によって変化していくのは当然だ!》
国会招致の参考人の意見は、いずれもこれまで定着している政府の憲法解釈を前提として、集団的自衛権の容認などが憲法違反だと論理的に指摘するものであって、民主党なども、こうした考えに沿って政府批判を行っている。しかし、これは過去の政府の憲法解釈が全面的に正しいものであったとの前提でのそれであるが、それが何故正しかったのかの説明がない。また、過去に正しかったら、やはり現在も正しいと言えるのかは大いに問題あるところだ。だから、本来は政府の説明の揚げ足取りをするようなこんなやり方ではなく、ズバリ現在の法案が、憲法の解釈から、そしてまた現在の国際情勢から、違憲だと論証すべきなのだが、それもできていない。結局のところ、違憲論者の論拠は無いかもしくは弱い。彼らは「解釈違憲」なのであって、彼らが「解釈改憲」などと言うことは、とんでもない話なのだ。
これに対して、政府および合憲派学者の見解は論理的で明快だ。一つに「日本国憲法は集団的自衛権に言及していない。つまり、『否定していない』ということだ。よって、国家の固有の権利として、集団的自衛権を有すると考えることができる」(日本大学 百地章教授12日 産経)ということである。二つ目に、国連憲章も集団的自衛権を各国の固有の権利だと認めている。三つ目に、最高裁は国に自衛権があることを認めている。ここでは積極的に認定されたものではないにせよ、集団的自衛権の否定はなされていないのだから、必要に応じて最低限の範囲で、この権利を行使するのは当然のことだ。
ところで、半世紀も経てば国際情勢も、軍事技術も、戦略も、そしてそれゆえ政府の安保政策も変わってくるのは当たり前のことだ。科学のように真理は一つとされるような分野でも、何が正しいかは日進月歩で変わっている。数学で、全ての演繹推理の大前提とされる公理のようなものまで、変化、発展しているのである。まして、憲法や安保は、情勢の変化に大きく影響されるものだから、過去の不備な点はどんどん改めていかねばならない。憲法では国民の生存権がすべてに優先する理念であるはずだから、外交や軍事のパワーバランスの変化で生存権は相当に脅かされる状況にあるから、国防の在り方も変化しなければならない。従来通りの考えを千年一日が如く守ろうとする考えは、教条主義、権威主義、そして政治の怠慢と、無責任であり、国民に対する裏切りである。

《日米安保は原理的には集団的自衛権そのものであるはずだ! 個別自衛権で、中国の覇権主義、北の核、ミサイルなどに対処できるはずがない!》
現憲法下では、個別的自衛権は認められるが、集団的自衛権は認められないなどという議論は、欺瞞的な言葉遊びにしか過ぎない。というのは、これまでの日米安保そのものが、既に原理的に(広い意味での)集団的自衛権の思想、戦略の体現だからである。米軍が自衛隊を支援することはあるが、自衛隊が米軍を支援することは除外されていたとしても、根本の思想は共同で、共同の敵に対処しようということだ。日米が一体になって、外国の日本侵略の行動に対処する、これが集団的自衛権でなくしてなんだろうか。これが戦後70年に渡って日本が侵略されることなく、平和を享受できた根本的な理由であって、憲法9条が日本を守ったのではない。
ただ従来の形は、米軍が自衛隊を支援することはあっても、自衛隊が米軍を支援することはないという歪な形だった。しかし、かつてならともかくも、中国、北の脅威がかつてないほど高まっている現在、このような片側だけの不完全な体制では、もはや日本の安全は守れない。このような形態は、日米両軍の作戦、戦闘能力にかなりの障害となるはずだ。相互に支援し合えてこそ、最高効率の抑止、防衛戦闘能力を働かせることができる。そうでないと、敵から、この隙を突かれて、容易に彼らの侵略、攻撃を許すことになるだろう。だから、日米同盟を保ちつつ、個別自衛権はあるが集団的自衛権はないなどとする主張は、欺瞞的詭弁でしかない。
日米安保を解消して、米国の支援なく、核の傘もなく、日本が単独で国防体制を整えて、本当に個別自衛権だけで対処すべきと言うなら、一応筋は通るが、とても現実的とは言えない。予算は、最低でもこれまでの2-3倍にしなければならず、それでも抑止力、防衛能力は、日米同盟の強化によるものと比べると、足元にも及ばないだろう。中国の脅威、北の脅威、更には、ロシアだっていつ北の日本領を奪いに来るかもしれないし、韓国だって、いつ対馬などの侵略に踏み出すかもしれないのだ。一旦、領土を略奪されると、取り返すことは至難の技になることは、北方領土、竹島、そしてクリミアの状況を見れば明らかなのだ。
ちょっと変わったところでは、民主党顧問の藤井裕久氏が「中国の肥大化には対立的軍事同盟ではなく国連で対応すべき」(12日 産経)と言っている。馬鹿げた話だ。国連は、小国における紛争や人道上の問題には一定程度の役割を果たせるが、ある程度以上の力の国同士の紛争、戦争には何の役にも立たない。そのことはロシアのクリミア併合、ウクライナ東部への進出、イスラム国問題などを見ても明らかだ。とにかく、国連には、中国、ロシアという非民主主義的な独裁的覇権主義国家が、安保理で拒否権を持つ常任理事国となっているのだから、機能するはずがない。まして、尖閣問題などでは、盗賊である中国が、国連では警察官の役割になっている。藤井氏の話は、泥棒に金を預けるようなもの、殺人者に助けを求めるようなものでしかない。
結論、「憲法があって国があるわけではない。国があって憲法がある。私たちは「憲法栄えて国滅ぶ」の愚を犯してはならない」(自民党の平沢勝栄氏 11日産経)なのである。

韓国「韓流」とは、恨流、漢流、半流、反流、蕃流、煩流…/ 憾流、甘流、患流、癇流、疳流、姦流、奸流…

2015-06-13 19:09:50 | 政治
2015年6月13日
韓国の「流儀、連中、系統、それ特有のやり方」、すなわち「韓流(はんりゅう、かんりゅう)」について考えてみた。

韓流(はんりゅう)=
<恨流> うらむ、うらみの文化。怨む、憾むと概ね同義。これは、自分勝手な逆恨みが変質狂的なしつこさで繰り返されることである。その原因としては、思考が整理されておらず混乱していること、感情をコントロールする主体性が未熟であること、すなわち理性が欠けていることによる。
<漢流>  ‘中国’流のこと、つまり中国の亜流文化。韓国は、歴史的に中国の冊封体制下にあった(属国だった)。
<半流>  半分しかないこと、何をしても半人前。
<反流> 逆の事をする。対立する。そむく。韓国は、あるべき方向、姿と反対の方向に頑張っている。国内でも対立ばかりだ。日本のやることにはなんでも反対。
<蕃流> (蕃は蛮の旧字) 未開の異民族のこと。
<煩流> わずらわしいこと。面倒なこと。
<犯流> 罪をおかす。韓国は犯罪が多い。道徳心、博愛親、公共心がない。
<叛流> そむく「反」と通用する。

韓流(かんりゅう)=
<憾流> うらむ。うらみ物足りなくて心残りを強く感じる。いくらうらんでも、‘うらみ足りない’というのが大きな特徴だ。
<甘流> 厳しさに欠けているさま。くみしやすいさま。「評価の基準が厳格でない。しっかりした心構えができていない。物事の機能が本来あるべき状態より衰えているさま。話しぶりが巧みで、人をたぶらかすさま。何事も身勝手で、自分の都合のよいことしか考えない、これを日本では「甘い!」と言う。
<患流> (心、精神を)わずらって、悩み苦しむ。物事を常に斜めから見るので、精神が歪んで苦しくなるのも当然なのだが…。 
<癇流> ひきつけなどを起こす病気。ちょっとしたことにも興奮し、いらいらする性質・気持ち。いつもひきつけを起こしている国。
<疳流> 疳の虫によって起こるとされる小児の神経症。夜泣きやひきつけなどの発作を起こす病気。韓国は「小児」なのだ。
<奸流> よこしまで悪賢いこと。また、その人。悪い心をもつこと。
<姦流> 不倫をする。女性をおかす。現在でも韓国の売春婦は世界中で活躍している。また、韓国では、レイプが多い。女性の人権侵害、慰安婦云々は、自分の罪を日本に責任転嫁しているにしか過ぎない。
<陥流> おちいる、おとしいれる。おとし穴。不足する。ソウルの道路は陥没(落とし穴)だらけ。国内では、人を陥れることばかりやっている。対外的には、日本を陥れることばかりやっている。欠陥国。
<間流> すきま。隙を探る。間隙を狙ってうまい汁を吸おうとする。間者、間諜、間男。どっちつかずのコウモリ。だから人々はどうしても疑心暗鬼にならざるを得ない。
<換流> 取りかえる。入れかえる。日本流を韓国流と、中国流を韓国流と、言い換える(換言)=ウリジナル。歴史の内容を自分たちの都合のいいものと入れ替える(歴史の捏造)。本来、「換」は同等な価値のものとの入れ替えだから、韓国流の入れ替えは、虚偽、詐欺、捏造である。

「水に落ちた狂犬」韓国は放っておくしかない_ 必死の日本非難、すり寄り、騙し これは‘寄生’だ!

2015-06-06 22:24:16 | 政治
2015年6月6日
今週は「水に落ちた犬は叩け」という言葉を題材にして、韓国という救いようのない国について考えてみたい。なお、この言葉については、ネット上の諸賢の記事も参考にさせてもらった。
韓国が、外交、経済の低迷にあえいでいる。外交では、日米同盟の強化、日中の首脳会談を受けて、韓国の孤立感が深まっている。経済では、ウォン高、中国の追い上げ、日本の復調、そして韓国企業の技術の停滞、放漫経営などで、深刻な事態に陥っている。もちろん国内政治も、MERS騒動などで混迷状態にある。これらは、国際情勢の激変が逆風になっている面もあるが、それ以上に韓国人の発想や社会の在り方の問題によるところが大きく、構造的なものでありそれゆえ深刻だ。とにかく、彼らの発想は、恐ろしく軽薄、身勝手、妄想的、情緒的、虚偽的、分裂的、攻撃的、そしてそれゆえひどく醜い。これは少なからぬ良識的日本人が一様に感じているイメージではなかろうか。

《「水に落ちた犬は叩け」は韓国のための言葉》
韓国は現在「水に落ちて溺れかかっている犬」状態にあり、なんとか助かろうとしきりに日本にすり寄り、しがみついてきている。しかし、ひねくれた彼らは決して「助けてくれ」とは言わない。あくまでも「仲良く助け合ってやっていこう。その方が日本も得になるはずだ」と言って、日本を騙して助けさせようとしている。ここで思い出されるのが、「水に落ちた犬は(棒で)叩け」という言葉である。これは、「阿Q正伝」、「狂人日記」などで有名な中国の小説家、魯迅の言葉と言われる。水に落ちた犬を助けても何の役にも立たないどころか、逆に噛みつかれるだけだという意味だ。中国に古くからある「水に落ちた犬はそれ以上打つな」という諺を魯迅が皮肉って反転させたものとされる。馬鹿な犬は、溺れていたところを助けて貰っても恩など感じないし、それどころか、常にこちらの隙を突いて噛みつこうとしている。犬に手をさしのべて川に引きずり込まれるという危険性もある。だから水の中にいて、こっちに反撃できないうちに叩いて沈めて溺れさせてしまえ……ということになる。
この「犬」とは頑固で無知蒙昧な人を、「水に落ちた」とはその人の愚かさ故に引き起こされた事態にその人自身が嵌り自滅した様子を示している。
この言葉の発祥地である中国の最近の話を一つ。今年3月17日付け 産経新聞の「中国トンデモ事件簿」で、次のような話を紹介している。
「中国河南省の公園で2月下旬、池に落ちた女児を助けて溺死した男子大学生が、女児の母親に感謝されるのではなく、“ぬれぎぬ”を着せられる理不尽な事件があった。この母親は、賠償責任が降りかかるのを恐れて、大学生が救助のために池に飛び込んだことを否定。娘にも嘘の証言をさせていたのだった。…略… というのも、近くにいた母親が、大学生が娘を助けるため池に飛び込んだのではないと説明し、救助された7歳の女児もこう語ったからだった。「お母さんと妹と遊んでいたら、男の人がきて、柵にもたれかかって、携帯電話をいじっていたら、突然柵が壊れて、男の人と私と妹は池に落ちてしまった」。
これでは、この女児たちを救った学生は、実は女児二人を池に落とした加害者ということになってしまう。だが、近くのベンチに大学生の上着や財布、携帯電話が置かれていたことなど、不自然な点が多く、大学生の家族や友人らが、事実の究明運動を起こし、遂に母親の虚偽を暴いた。これで一見落着となったが、なんとも味の悪い話である。
助けられた方が、助けられた事実を認めない、それどころか助けたほうを非難するという事例は、異例と言わざるを得ない。まさに中国では、「水に落ちた犬は叩け」の発想が、それなりの存在価値を持つ風土があるのだ。そして、中国の冊封体制(中国の属国に組み入れられること)のもとにあったことを、そうでなかった日本と比べ、自分たちの文化的優位性と誇る韓国もまたこの「水に落ちた犬は叩け」の風土にどっぷり浸かった国なのである。なお、魯迅自身は、民主的で人間的な人であり、このような考えを推奨したのではなく、むしろこういう祖国を改革したいと望んでいたのである。

《おぼれている犬を見ると叩き、おぼれて助けられると助けた人に噛みつく韓国 これぞまさに犬畜生の所業!》
ネットを見ると、この言葉は韓国のことわざと誤解している日本人が少なくないようである。つまり、それほど、この言葉は、韓国人の発想や言動にフィットしているように思えるのだろう。
ところで、韓国がおぼれている犬を見ている側だったらどうするのかであるが、これはもうひどいものだ。おぼれている側がどんなにおとなしい犬であろうと、どんなに立派な犬であろうと、面白がったり、ストレス解消のために、あるいは優越感に浸たりたいがために、散散に叩きまわって喜ぶのである。特に、その犬が日本であればなおさらだ。日本が敗戦で力が弱まると、自分たちは「戦勝国」と言い始めた。どさくさに紛れて、竹島を強奪した。80年代後半から、日本の政治力や経済力が弱体化したのを見て、「日本は恐れるに足りず」、「自分たちは日本を越えた」とばかりに、中国と一緒になって、慰安婦や徴用工、歴史認識問題などで、執拗な日本叩きを行ってきた。東日本大震災では、日本は沈めばよいと大喜びし、福島原発事故では、日本の農産物は放射能汚染されていると世界中に触れ回り、いまだに科学的根拠もなく禁輸を続けている。日本への原爆投下は「神の懲罰」だとも言った。これは日本に対してだけではない。たとえば、ベトナムでは、現地の女性に暴虐の限りを尽くしている。というわけで、韓国は、おぼれた犬を岸で見る人間の側であっても、犬畜生と大差ないほど、非理性的で凶暴な態度をとるのである。
というのも、彼らは、中国の冊封体制下にあった自分たちは、そうでなかった日本よりははるかに文明的な国だと、何の根拠もない妄想を持って生きているからである。魯迅の「阿Q正伝」という小説の主人公は、「阿Q」と呼ばれているが、これは正式な名前がわからないほど、つまらない人間だからである。彼は金も家もなく、女性にも縁がなく、字も読めず、容姿も不細工という村では最下層の存在で、村の人に会うたび馬鹿にされている立場であった。だが阿Qは非常にプライドが高く「精神勝利法」と呼ばれる独自の思考法を持っており、村人たちに罵られ殴られても「俺は出自、血統が良く、むかしはお前らなんかよりよほど偉かったんだぞ!」と眼をむいて言い返し、日雇い仲間と喧嘩して負けても結果を自分の都合の良いように解釈して、心の中では、常に自分の勝利として自己満足していた。
驚くことか、当然のことか、韓国はこの阿Qとそっくりなのである。宇宙は韓国を中心に回っており、負けても本当は勝っているのだ…。これはまた、同族である北朝鮮の発想でもある。このことはたとえば、5月29日付け、朝鮮日報 文化部長による「「徳を以て怨みに報ゆ」・中国の対日外交 ~韓国は今、怨みに怨みではなく「直」で報いよう」なるコラムをみてもわかる。これは、孔子が「直(なお)きを以て怨みに報い、徳を以て徳に報ゆ(公平無私の判断で怨みに報い、徳には徳を以てするべきだ)」といったことを紹介し、怨みがある日本に対し、私的感情を捨て、公平な気持ちを保って対応すべきと主張している。なお、中国の習主席が言う「徳を以て怨みに報ゆ」は、孔子の言葉ではないから誤用とも言っている。記事は上から目線で、次のように言う。
「孔子の言う「直」は習主席の誤読とは別に、現在の複雑な韓日関係をどう打開していくかを考える上で示唆するところが大きい。20世紀前半の韓日関係史は我々が日本に怨みを持つのに十分なほど悪辣(あくらつ)で残忍で非人間的だった。だからといって、我々が今怨みを怨みで晴らすことはできない。ならば我々はどうすべきか。
まず、日本を警戒する一方で、日本に悪い感情を抱くことは行き過ぎだ。もちろん今の日本の嫌韓運動や極右勢力の横暴を見て腹が立つのも事実だが、むしろ韓国社会にそういう勢力が現れないことは幸いで、それは一種の「直」と言える。
 第二に、人も国も完全無欠ではない。長所があれば短所もあるのは当然だ。大事なことは、相手の長所を正確にとらえると同時に、自分の短所を直視する勇気を持つことだ。少しでも日本のプラスの貢献を認めれば、集中砲火を浴びる学界の風土の中で学び育った若者が直の精神を持つことなど不可能だ。日本はまだ我々にとって学ぶところが大きい国だ。
 第三に …略… 今は誰が見ても今は日本と協力し、同時に競争する生産的な関係へと進むべき時だ。」_
これは、「2トラック」外交と称して、日韓首脳会談に否定的な姿勢を取り続けている朴大統領に、市政変換を求めると同時に、日本へのすり寄り、それも‘寄生虫的な’それなのである。つまり、日本にたかって、技術や資金を吸い取ろうということである。この文には、多くの欺瞞や虚偽が含まれているが、限がないので、踏み込まない。ここで言われているのは、「悪辣で残忍、非人間的な日本」への恨みは消えないが、それを一旦 横へ置いて、日本から学ぶのが「直」、つまりこれから目指される日韓関係だということである。しかし、現実問題として、日本が韓国から学ぶもの、得られるものはほとんどないと言ってよいのだから、こんな付き合いをされても何のメリットもないし、気分が悪いだけだ。これは、従来通りの‘困ったときの日本だのみ、困らない時の日本叩き’でしかない。これでは助けたのちに、すぐに噛みついてくるだろうことは、火を見るより明らかだ。

《日本はかつて二回韓国を助けて、二回とも噛みつかれた  また同じことを繰り返せば「馬鹿は死ななきゃ直らない」になってしまう さりとて溺れているものを叩くわけにはいかない だから放っておくしかない》
溺れかけている韓国をどうするか? 
日本は民主的な文明国であり、義も人情も、恥も誇りも持つ国であるから、韓国がやるような軽薄で、非理性的な行動をするわけにはいかない。そこで「水に落ちた犬は叩け」の意味をもう少し、掘り下げてみよう。

もともと魯迅がこの言葉を言った意味は「フェアプレー」に対する反語的な意味が含まれていた。中国の古いことわざに「水に落ちた犬は叩くな」というのがあり、これは勇者は、負けて弱った敵には攻撃を加えるべきでないという意味。勇敢な拳闘士は、すでに地に倒れた敵には決して手を加えぬという態度は、確かに我々が理想、模範とすべきことではある。しかし、そのためには、敵もまた勇敢で思慮深い闘士であることが必要だ。一敗した後は、みずから恥じ悔いて、二度と手向かいしないか、あるいはたとえ刃向い続けるにしても、堂々とそれを成すものでなければならない。哀れな声で命乞いをし、助けてもらうと直ちに態度を急変させ、助けた人に噛みつくような姑息なことではいけない。
他方、助ける側も、単なる勇者でなく、知恵のある勇者であることが求められる。助けた犬から刃向われて、「恩知らずだ」、「犬畜生」とののしってみても、それは後の祭りでしかない。それは助ける側が、知恵を持った本当の勇者ではなかった、単に、自分を「慈愛深い勇者」と見せたい、思われたいという、浅はかな欺瞞的行動でしかなかったということだ。

愚直な人は、犬が水へ落ちたのを見て、神の罰を受けたのだ、それゆえきっと懺悔するだろう、もう出てきて人に噛みつくことはないだろうと思うのはとんでもないまちがいである。負けた相手に温情を与えるとやがて敵は復活して攻撃を仕掛けてくる。日本の武士社会でも、戦で負ければ敵の大将と子供(男子)は殺されるのが武家の習いだった。平清盛は平治の乱で敗れた源義朝の子供たちに温情を与えて生かしておいたが殺されずにすんだ子供たち(源頼朝、義経、範頼)はやがて成人し、平家を滅ぼしてしまった。

心理学的にも、小さなお願いを聞いてやると、次には大きなお願いが出てきやすくなるし、それを断りにくくなる。金を貸すとき、小さな金額の場合、証文を書いたりはしないから、しばらく経つと返してもらったかどうかがわからなくなる。また、狡い相手だとなかなか返してくれなかったりする。貸してやったのだから、疾しいところはないはずなのに、請求するのがなんだか悪いことをしているような気になる。借金を頼まれた場合、その人にとことん尽くすつもりがなければきっちり断るべきだ。もし、相手に尽くすつもりがあるなら、相手に裏切られることも十分覚悟して対応すべきだ。貸すときには返ってこないつもりで渡す。「いつでもいいよ(返ってこなくても)」とぐらい言いたいものだ。
ところで、日本の親韓国派と言われる人たちは、不可思議な行動をとっている。それは、自民党内の親韓は議員、賢人会議と呼ばれるメンバーの人達(森元巣賞、福田元首相ら)、榊原経団連を始めとする経済界、そして舛添東京都知事などである。この人たちは、政治問題での関係改善をそっちのけにして、経済・技術・文化面での興隆を勧めようとしている。韓国には大助かりだろうが、日本は韓国に差し出すだけで、得るものはなにも無い。これは、この100年間ずっとそうだったし、これからもそうなのである。せめて、竹島返還、慰安婦問題、歴史問題での韓国の譲歩はないと、日本の一方的手出しにしかならない。ところが、この人たちはまるで韓国にとことん尽くしますとでも言わんがばかりの態度だ。なぜ彼らはこういう行動をするのか? 一つには、彼らは歴史を知らないのではないか。さもなくば、こうすることによって、自分達が「勇者」、「慈愛深い良心的指導者」であることを演出して、日韓の双方から賛辞をもらいたいということだろう。虚栄心を満たしたい、自己満足を得たいのだろうとしか思えない。まあ、個人の趣味としてやるのなら、文句は言えないが、日本の肩書を使って、日本の金を使うのは止めてもらうしかない。これは日本の私物化であり、日本の富を韓国に差し出して、自分の名声を高めようとする、売国的エゴ行為でしかない。そんなに韓国を助けたいのなら、自分の金でやってくれ!

そこで、結論である。日本人は(本物の)溺れる犬がいた場合は、それを助けようとする人も少なくないだろう。たとえ、それが人間にかみつく狂犬であっても、棒で叩くような人はほとんどいないだろう。溺れる犬を棒で叩いていたら人間性を疑われるし、最悪、動物虐待とかいう理由で通報されかねない。そこで出て来るのが、「さわらぬ神にたたりなし」である。別に、強権を助けねばならない義務があるわけではないし、掘っておいたからといって必ず溺れ死ぬわけでもない。犬は泳げるのだから、自力で這い上がるかもしれないのだ。韓国についても同様のことが言える。もちろん、助ければすぐに噛みついてくるだろうし、寄生虫のように養分を吸い取るだろうから、積極的に助けるわけにはいかない。日本は、最初は日韓併合によって、おぼれかけていた韓国を助けた。もし日本が併合しなかったら、韓国は中国の属国か、ロシアの植民地か、それとも欧米の植民地になっていあたことは間違いない。しかし、韓国は、日本の敗戦と共に噛みついて来た。二回目は、日韓基本条約を結んで以後、日本は韓国を支援し続けたが、結局、日本の技術や市場を奪われ、慰安婦問題や歴史認識問題で、噛みつかれただけで終わってしまった。日本は三度目の馬鹿を演じるわけにはいかないから、中身のあるギブアンドテイクの取り決めが行われない限り、もうタダで支援するわけにはいかない。だからと言って、棒でたたいて、殺してしまわねばならないほどの敵でもないし、また韓国を沈没させてみても、日本には何の得にもならない。世界中から野蛮な国だと思われ、損をするだけだ。何よりも重要なことは、日本は日本経済の再生で忙しく、韓国に関わりあっている暇はないのである。日本が韓国に対して、気を付けねばならないのは、韓国に近づかないこと、噛みつかれそうになれば、叩いて追い払うこと、噛みつかれたら、必ず動けなくなるまで打ちのめさねばならないことだけである。