もとなりくんの「今週の政治 ‘とんでも’」

日本の経済、安保危機を打開する力は、国民の結束と強い政治しかない

小沢発言の虚偽と欺瞞を暴く! 日本政治の「宿痾としての小沢的なるもの」の一掃を!

2012-03-31 20:47:21 | 政治
消費増税5%は、賛成か反対かだけの政策なき長く激しい党内論議の結果、30日ようやく閣議決定にたどりついた。肝心の税と社会保障の一体改革、財政再建策、経済活性化などは置き去りのままでの増税案の決定であるから、とても喜べるようなものではないが、どうせやらねばならないことだから、そしてまた、このあたりで野田内閣が行き詰ってしまい、首相交代というような事態が避けられたことは良かったと言わざるを得ない。しかし、今後の国会審議の先行きは全く予断を許さない。
このような中で、焦点の小沢氏は、3月29日の産経新聞の「単刀直言」の中でその主張を明らかにしている。今回はこれを‘とんでも’発言として、この虚偽性、欺瞞性を徹底的に暴いてみたいと思う。この発言の全体を貫いているのは、一つには、虚偽、欺瞞である。二つ目には、批判だけで、彼自身の政策が全く示されていない、あるいはたとえ示されていても全く抽象的で内容が不明なことである。三つ目には、彼自身が民主党の代表、幹事長をやった人間であるにも拘わらず、民主党が行ったこと、今やっていることに対して全く「他人事」と見ている。つまり、当事者意識が全くないということである。こういう姿勢でもって、現在の国会あるいは民主党内における反対のための反対を行い、日本の政治の混迷を作り出しているのであるから、これらは全体として政治と国会を冒涜し、国民を愚弄するものであると言わざるを得ない。だから、この小沢発言をこのままにしておくことは出来ない。以下「単刀直言」の全文に対して、批判内容を< >で示すこととしたい。

■【単刀直言】小沢一郎民主党元代表「橋下維新にお株奪われた」「秋にも衆院解散」
 マニフェスト(政権公約)で国民に約束した政策は、すぐにできるものもあれば、大きな改革となればそう簡単にはできない。そのことは国民の皆さんもよく理解していると思う。
ただ、自分たちが掲げた政策や主張、理念に向かって一生懸命努力している姿を見せず、実現が難しいからといって、国民との約束を忘れ去ったり捨て去ったりして、今までの流れに乗ってしまった。それが人心が民主党から離れた最大の原因だ。民主党がまじめに努力してくれれば、こんな惨めな支持率になることはなかったろう。
<これは摩り替えの虚偽でしかない。民主党がもう少しマニフェスト実現に力を入れれば、支持率も少しは違っていたかもしれないが、所詮は焼け石に水でしかなかったろう。というのは、民主党の支持率下落の主要な理由は、一つに、財源が無くて出来もしないことをあたかも出来るかのごとく喧伝した、その詐欺性にあるのであり、財源が無いという事情は今でも変わっていない。二つ目には、小沢氏と鳩山氏、トップツーの巨額の金をめぐる疑惑がなんら解明されないことであり、三つ目には、普天間問題、八ッ場ダム(やんばダム)、仕分けによって科学技術などの振興予算が理不尽に大幅カットされたことなど、重要政策の迷走が相次いだこと。四つ目に、労組、特定の企業・業界、外国諸団体などに依存した党の体質により、これらの勢力の及ぶ分野の改革に手をつけることが出来ないこと。五つ目に、史上最低の首相、最悪の首相、そして次々と明らかになる不適格閣僚に端的に表れているように、適正、能力、経験、人格などの点において、これらを備えた人材の圧倒的な不足、などになる。だから小沢氏の言うような「マニフェストの実現に向けての懸命の努力があれば、民主党の支持率は上がる」というようなことでは全くないのである。マニフェストの主要政策は4Kを始めとするバラ撒きであるが、財源が無いことがはっきりした以上は、マニフェスト実現など出来るはずもないのである。
そもそも、マニフェストの実現に目を背けていた、そしてそれを破ることに先鞭をつけたのは、ほかならぬ小沢氏その人だった。彼が鳩山内閣の幹事長のときは、「天下り廃止」をうたいながら、元財務官僚の斉藤氏が日本郵政社長に天下りすることを黙認した。重要施策である「公務員人件費二割削減」のようなことについても、何もしなかった。その他の政策についても、彼は何もせず、積極的には動かなかった。彼は、「政府への政策の一元化」を口実に、見て見ぬ振りをしていたのであるが、実際は、政策そのものの非現実性、人材不足、財源不足という問題に対して、打つ手がなかったということであろう。
のみならず彼はまた自らも大きなマニフェスト破りをしている。それは、2010年の予算案が財源不足でまとまらない状況を受けて、幹事長であったにも拘わらず「政府への政策の一元化」を破って、「ガソリン税の廃止」のマニフェストを葬り、政府にそれを存続させ、2.5兆円の財源を確保させた。彼は、政権の発足当初から、財源難に直面し、「背に腹はかえられぬ」とばかり、自らマニフェストを破らざるを得なかったのである。だから、上述の彼の発言は、現実、事実から全く遊離した虚偽でしかないのである>

 「今までの流れのまま」とは、長い自民党政権下の官僚行政におんぶに抱っこで官僚機構に乗っかるだけの政治になってしまったことだ。今や「自民党政権より悪い」という批判さえある。
<高学歴の議員が多いといわれる民主党にあっても、官僚を十分に統制し、活用することが出来なかった。小沢氏の息がかかった一川、山岡、田中などの閣僚は、さらに悲惨であった。これらの人は、官僚に「おんぶに抱っこ」されても、それでもどうにもならない人達だった。こういう人材しか抱えていない小沢氏が、どうやって官僚依存から脱却し、政治主導を実現すると言うのだろうか>

しかし、自民党への期待が増えたわけでもない。
橋下徹大阪市長の言う「維新」が本来の民主党の主張であったのに、民主党が忘れてしまったので橋下さんにお株を奪われ、人心はそっちに流れてしまっている。
<維新と民主党では、理念も政策も情熱も実行力も全く違う。たとえば、教育改革、公務員改革、国旗、国歌に対する考え、労働組合政策、地方自治の区分わけ、憲法改正などを見れば、このことは明らかだ。維新には、小沢氏のように金の疑惑にまみれた人はいない。維新は支持者、候補者の自前の金で選挙に勝ってきたが、小沢氏は国民の税金である政党助成金を、使い道を明らかにしないままバラ撒いたり(総額は百億円とも言われているが…)、業者からの収賄疑惑もある金で選挙をやってきた。鳩山氏は、12億円もの金を母親から贈与されていたにも拘わらず、贈与税を脱税していた。しかもその金の使途は不明のままである。維新と民主党では月とスッポンほどの違いがある>
<奪われるような「お株」はもともと無かったのである。小沢氏がもし本当にそう思うのなら、「民主党がやっていない」などというような他人事のようなことを言わないで、なぜ小沢氏自身が維新のような改革案を示し、実際の政策の実行を行わないのか。100人も議員を抱えていればたとえ執行部に入っていなくても方法はいくらでもあるはずだ>

そこに最大の原因がある以上、政権交代の原点に返り、国民の皆さんに訴えたあのときの思いをもう一度思い起こして、努力することが大事だ。
<「あのときの思い」とは、「反自民」=「自民憎し」、「政権交代」=「政権にさえ就けばあとはなんとかなるだろう」だけだったはずである。つまり、国政の理念も政策も、情熱も実行力も、こうした国政のための不可欠な要素はもとから民主党にはなかった。そのことは、今の民主党を構成している主要なグループのやってきたこと、今やっていることを見れば明らかである。「反日」であり、何でも反対の旧社会党、「新しい装い」だけを求める鳩山氏、消費者運動やウーマンリブだけしか知らない市民運動家、疑惑だらけの金の力と、議員の数合わせ、ドブ板選挙、バラ撒き政策しか知らない小沢一派、こういうものの寄せ集めが民主党であるので、民主党の原点とはこれらそのものなのだ。だから、政権交代のときの情熱に立ち返っても、何の役にも立たない。そのことに気づいた党内の少なからぬ良識派の人達は、もはやそのようなばかげたもの、不誠実なものに帰ろうとはしない。いまだに虚偽の幻想を振りまいているのは、小沢一派だけである>

 今からでも遅くはない。まだ衆院任期満了まで1年半近くある。野田佳彦首相はじめ政府・民主党の要職にある人たちは、その気持ちをもう一度思い起こして、みんなで頑張るというふうになってもらいたい。
<野田首相は、輿石、一川、山岡、田中と、人事で内閣支持率を大きく下げてまでも小沢氏に徹底的に配慮し、しかも消費増税の条令案でも、大きく譲歩している。つまり、党内融和と挙党体制に、これ以上はないほど努力している。にも拘わらず、あれやこれやと細かいことでいちゃもんをつけ、屁理屈をこねて、全く執行部に協力しようとしていないのは、小沢グループではないか。「みんなで頑張る」ということをどこまでも壊しているのは、小沢氏とその一派なのだ>

 政権交代後最初の予算は自民党政権下で作られた概算要求基準を基に編成しなければならなかったが、鳩山由紀夫政権は全国のさまざまな要望も取り入れて、われわれが思っていたことをかなりやり、民主党らしい「芽」は出た気がする。
<一般会計総額は過去最大の92兆2992億円。鳩山内閣が公約に掲げた新設の子ども手当や高校の授業料無償化などの施策が盛り込まれ、新規国債発行額も過去最も多い44兆3030億円に! 財政再建の目標もめどもない、過去最大のバラ撒き、水ぶくれ、赤字垂れ流し予算。必要な科学技術予算などを強引に削減。歳入を揚げるための本当に効果的な経済活性化策なし。「無駄削減で、10数兆円」との公約に沿って大々的に行われた事業仕分けによる無駄削減は、(なぜか3兆円が目標とされたが…)対予算削減効果は1兆円程度にとどまるという惨憺たる有様であった。財源不足は覆い隠すすべもないことになった。不足を補うために、小沢氏主導でまず行われたのが「ガソリン税撤廃」のマニフェスト破りであったが、これでようやく2.5兆円を確保。それでも焼け石に水であるため、虎の子の「埋蔵金=積立金、剰余金など」に手をつけ、あらかた使い切ってしまった。結局、これは恒常的な財源が基礎になっているわけではないので、表面的な体裁だけをなんとか取り繕っただけの予算であり、国の改革に貢献するどころか、その後の放漫財政を助長するものでしかなかった。また、2010年の参院選の票集めのための、バラ撒きという党利党略のための政策でもあった。これが小沢氏の言う「民主党らしさの芽」なのである! もう既にここから2年が経過しているにも拘わらず、まだ事実を覆い隠し、国民を虚偽の中に連れ込もうとしているその精神、意図の厚顔無恥さには驚くばかりである>

 ところが、それがまた元に戻ってしまった。その後の民主党は政権にいること自体が目的化したというか、居心地が良くなったのだろう。
<埋蔵金もほとんどなくなり、財源がなければこんなデタラメ予算は、二度と作れないわけだから、本来あるべき全うな予算、全うな政策に帰らざるをえないことになる。その正しい方向に戻ることがなされようとしているだけであるが、小沢氏はこれを「変節」と非難しているのだから、その精神構造を疑わざるを得ないだろう。>
<自らは国会を欠席し、配下の若手にも国会に出ずに地元周りが重要だと号令し、党内の政策議論にも参加しない。国会と党内でやっているのは、数を頼んだ「反対のための反対」運動ばかり。このように不真面目な対応をしておいて、「政策(マニフェスト)を実現しようとする誠意が見られない」とか、全うな政治に戻ろうとしている人たちを「変節した」などと批判しているという状況はだれがみても異常と言わざるを得ないだろう。小沢氏はなぜ、現在の民主党の中で、党の改革、そして自らの政策の実現をやろうとしないのか。なぜ、このように民主党を他人事として無責任に、第三者的に批判することが出来るのか。その感覚の方がよほど「変節」と言わざるを得ないだろう>

身を退いたら…
 鳩山さんに退陣を促したのは(平成22年の)参院選を控え、参院の人たちがもたなくなったからだ。役員会で参院側から「このままでは困る」という話が強く出された。参院選で過半数を取れば、衆参共に過半数を握る安定政権が実現できるからその大義のためにわれわれが少しでもマイナスになるなら一緒に身を退こう、ということになった。
<「少しでもマイナスになるなら」ではなく、「破壊的ダメージ」であったからこそ、辞任せざるを得なかった。小沢、鳩山の巨額の金にまつわる疑惑への非難に堪えられなかった、そして普天間基地移転問題で、鳩山氏が沖縄県民にも、国民にも、そしてアメリカにも大嘘をつき、それに対する強い非難に耐え切れなくなって、辞任に追い込まれただけの話である。この辞任劇の大儀は国民にあるのであり、彼らに大儀などあるはずもない!>

 それなのに参院選後の結果はご覧の通りだ。しかも、菅(直人前首相)さんは参院選に負けても首相を続けた。トップは主権者の判断で負けたら辞めるのが当然なのに、けじめのない話にしてしまった。
<責任があるのは、何も総理だけではないだろう。参院選の敗北は、菅前首相の唐突な消費税上げの主張が要因の一つであることは確かだが、それ以上に、それまでの小沢、鳩山両氏がやってきた政治への失望、反発、批判があったのだ。小沢氏は参院選の敗北のA級戦犯であることは疑いがないのだから、その責任をどうとったのか聞きたい。

さらにまた、この惨敗の原因となった小沢氏の金にまつわる問題の責任のとり方が問題である。自民党の場合は、議員秘書が逮捕されれば議員も辞職してきた。小沢氏は、秘書が三人も逮捕されても、そして自身が刑事被告人になっても、まだ議員を辞職しない。鳩山元首相も、「首相辞任後は、代議士を引退する」と明言していたのに、またまた嘘をついて、代議士を続けている>

 さらに、昨年3月の東日本大震災だ。僕は震災直後から「福島第1原発ではもう炉心が溶融している。非常に危険だ」と言い続けてきたのに、
< 小沢氏は原子炉の専門家? どこの誰から入手した情報? そもそも、原発事故に対しては政治家としてもっと出来ること、やるべきことがあるはずなのに、優れて高度な技術的問題に対して、素人であるはずの小沢氏がなぜこのように突っ込むのか?>

政府がメルトダウン(炉心溶融)を認めたのは2カ月後だ。要するに、なるべく真相を隠そうとする、いわゆる「事なかれ」の手法だった。今も「収束宣言」などとのんきなことを言っているが、何にも収束していない。今でさえ危ない。
<これは明らかに事実とは違うだろう。というのは、完全に収束とまでは言えないまでも、昨年よりは、はるかに良くなっているからである。こんなことを言うのは、野田政権への批判を正当化するために、こうやって国民の不安を煽っているのだろう? しかし、これは公党の指導者の発言としては、極めて不穏当、無責任だ。これでは、「原発全廃」を声高に叫ぶ過激派連中と変わらないではないか>

国が自ら前面に立って原発事故の対応に当たらなければならないのに、それができなかった。
<原発のことは重要ではあるが、少なくとも事故収束は進んでいるのだから、小沢氏にとってもっと重要なのは遅々として進まない地震と津波の復旧、復興ではないのか? 小沢氏はなぜ、この問題を取り上げないのか? 自身が被災地の選出議員でありながら、復興にほとんど何もしていないのはなぜ?「国民の生活が第一」と唱えていた自らの主張はどこに行った?小沢氏の原発関係発言は、選挙民に対する、政治家としての活動怠慢を隠すためのカモフラージュではないのか、そうとしか考えられない。なにしろ、被災地訪問は昨年の12月、震災後なんと9ヶ月後なのだ!! こんな、詳しくも知らない原発のことを言う暇があったら、遅々として進まない復旧、復興に力を注ぐべきだ。こんな必要なこともせずに、消費税反対派の人数を集めることばかりに奔走しているのはどういうことか。こういう政治家に震災問題を語る権利はないだろう>

 それでは、民主党代表、すなわち首相として適任ではないのではないか。それが(昨年6月の菅内閣不信任決議案に同調しようと考えた)要因だった。
<なぜ、菅内閣不信任案に同調しなかった? あれだけ、菅氏を批判していたのだから、不信任案への賛同は当然のこととなる。しかも小沢氏の内閣不信任案賛成の方針に進もうとしていた多くの仲間を裏切って、松木氏を見捨ててまで、方針を急に変える理由はないはずである。密談とかメモ書きとかで、政治行動を変えるとすれば、それ自体が密室談合政治、隠蔽体質政治となり、小沢氏が唱えているような政治とは相容れないものになってしまう。ところが、小沢氏はルーピー鳩山のいい加減さに振り回されて、簡単に方針を転換してしまった。その後、鳩山氏による菅氏への「ペテン師」発言が飛び出すというお粗末さを露呈しつつも、菅氏は首相を降りず、そのため震災復興が更に遅れることになった。結局のところ小沢氏の政権批判とは、政策や信条によるものではなく、このようにルーピー鳩山の気まぐれ、あるいは吹けば飛ぶようなわけのわからない小片のメモ書きで簡単に変わるほどのものだったということだろう。小沢氏が見せた行動は、小手先の数合わせの話でしかなく、そこにはなんらの、政治理念も、信念、政治家としての矜恃(きんじ)もなかった!>

「増税単体」だ
僕は、消費税の論議を否定しているわけではない。むしろ、一番先に消費税は必要だと主張していた一人だ。自由党のときは、基礎年金と高齢者医療、介護を消費税でやる、その場合は直間比率を見直して所得税と住民税を半分にするとも言った。
 しかし、民主党は、前回の衆院選で消費税の増税はしないと国民に約束した。消費税を上げる前に、まず日本の統治・行政の機構を根本的に改革して、官僚支配の中央集権体制から地域主権体制へと大転換する。
<具体的にどう変えるのかは何も言ってこなかったし、今も言っていない! 官僚は不要ということ? まさかそういうことは言わないだろう。そうであれば、誰が官僚を統制する?小沢氏、一川、山岡、田中? 松下政経塾出身の心身気鋭の若手のバリバリがやってもなかなかうまくいかないのに、小沢氏の息の掛かった人たちは、大臣どころか議員さえ失格な人たちばかりだ。誰がどうやって官僚を主導するのか。
小沢氏の地方政治改革とは、全国を300程度の市町村に分け、それを基礎単位の自治体とするというもの? こんなに狭い日本をそんなに細かく切り刻んで何をしようというのか? 現在の主流である道州制の構想とは、真っ向から対立することになるが…?>

それによって行政の無駄を省いて主要政策を実行するための財源を生み出そう。新しい時代に対応できる仕組みを作り上げよう。こう主張した。
<何をどう変えたら、どういう理由で行政の無駄遣いが省かれることになる? そもそも、現在の地方自治体に、それほどの大きな無駄遣いがあるとは思えないのだが…。出来もしないことを出来ると詐欺まがいの嘘を言って、政権交代を主導したのは小沢氏である。こんどもまた、嘘で、地方と国民をだまそうと言うのか>

そのマニフェストが支持されて、民主党は政権を与えられたんだ。
<実体は、国民が民主党マニフェストを支持したと言うよりも、自民党の体たらくに愛想をつかした国民が、消去法で民主党を選んだということではなかったか。民主党の、バラ色の「バラ撒き政策」などを信じた国民はそんなに多くはなかっただろう。そんなにうまい話があるはずがないことは、少し考えればわかることである。国民が民主党に期待したのはむしろ、自民党に常に付きまとっていた「政治と金」の問題、「官僚・公務員の天下り」、低迷する経済、閉塞感あふれる社会、こういうものを民主党が打ち破ってくれることだったはずである。しかし、小沢氏が鳩山氏と組んだ政権も、その後も、ほとんど何もしていない。これは、財源、人材、民主党の支持母体などの制約により、民主党マニフェストが日本の現状、そして民主党の能力に適合していなかったからであり、この二年半の間に、それがはっきりと確かめられた。だから、ある人たちは、マニフェストに期待していたかもしれないが、もはやそうではないだろう>

 野田さんたちは「社会保障と税の一体改革」というが、社会保障は全然姿が見えない。増税だけの「単体」ではないか。マニフェストでは、最低保障年金と所得比例年金による二階建て年金の確立、医療・介護の改革も約束したのに、どこにもない。「増税単体」では全く話が違う。ウソをついてはいけない。
<「政権につけば財源などはどうにでもなる」と発言したのは、小沢氏ではなかったか。要は、財源さえあれば、消費税など上げる必要はないのだから、小沢氏は約束どおり、財源を出して欲しい。これが出来ないのなら、嘘つきは小沢氏のことになる>

 世論調査では国民の6割が消費税増税反対だが、実際は8、9割の国民が反対だ。
<この「8、9割」という数字はどこのもの?小沢氏の好みのインターネットサイトの偏った調査結果なのだろうか。せめて出所ぐらいははっきりさせるべきだ。消費増税についての国民の意見はこれまで、賛成と反対が拮抗してきたが、賛成が優勢であったことも少なくない。国民は日本の窮状を知っているのである。しかし産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)が3月24、25両日に実施した世論調査では「消費税増税関連法案の今国会成立について59.1%が「させるべきではない」と答え、「させるべき」(38.2%)を20ポイント強も上回った。」増税反対論が勢いを増している。ここにきて6割にも上がったのは、全く無益で、延々と続く小沢グループによる党内抗争と、国会の論議に嫌気がさした国民が、こんなことなら先延ばしにしてくれと怒っているということでしかない。 その証拠に、「「小沢氏らは社会保障財源や財政再建に向けて説得力のある方策を示していると思うか」との問いに87.2%が「思わない」と回答した。小沢氏による新党への期待も薄い。」(27日 産経記事より)
「また、消費税増税への理解が深まったわけでもないのに最近の内閣支持率が回復し、民主党の支持率が過去最低レベルにまで下がったのは、小沢系の「反対のための反対」路線を世論が支持していないからと考えられるのである>

旧来の仕組みを前提にして、カネがないから上げなければいけないというのは自民党政治と同じだ。今までと同じようにやるのなら財源など出てくるわけがないし、政権を代える必要があったのか、となる。賛成できない
「大改革なくして増税なし」「社会保障のビジョンなくして増税なし」「経済の再生なくして増税なし」だ。それを全部無視した議論はまったく間違っている。単なる消費税の大増税には賛成できない。
<だから、小沢氏は、「大改革」というのなら、何をどう改革するのかを具体的に言ってほしい。政策論争を全くしないで、反対のための反対を唱える小沢氏は、昔の社会党と同じにまで堕落してしまっている>

 亀井静香代表が言っているように国民新党が消費税増税法案に反対すれば連立解消になるし、国民の反対の声はもっと強くなる。そんな中で閣議決定を強行すれば、いろいろと問題が生じるのではないか。
<いかにも、国民が許さないと言わんがばかりの言い方であるが、これは亀井氏と結託した小沢氏が、自分達の選挙事情で(つまりこのままでは、小沢グループも国民新も多くの議員が落選し、ほとんど残らないというさんざんな結果になってしまう)、つまり自分たちの勝手な都合で反対しているだけにしか過ぎない>

 (党員資格停止が解除されたら)「われわれが目指したものは何だったのか」「われわれの大義は何だったんだ」
<上述のように、民主党には「反自民」という目標があっただけなので、政権交代してしまえばそれ以上は何も無く、そこに大儀はない。そもそも、民主党には、民主主義国の、しかも政権を担うという政党であるなら当然備えているはずの党綱領というものがないという、まったく信じられないほど非現代的、非合理な政党なのである。本来、党綱領の理念にもとづき、志ある人が結集したものが政党である。この党綱領こそ政党の理念、目的であり、大儀であるはずである。しかし、綱領がないのだから、大儀などあるはずもない。だから、そこに集まってくるのは、政治をする人ではなく、見栄え、身分や利権が欲しいだけの人、つまり政治を通じて利益を得ようとする政治屋である。だから、民主党は野合集団であり、その目的は利益確保のために政権に就き、政権を使って利益を得ようということにならざるを得ない。とは言え、全員がこうであるわけではなく、民主党内にも本当の政治家、良心の政治家は存在するだろう。しかし、党全体で見ればこういうことにしかならないだろう。結論として、民主党には本当の意味での大儀はないのである。こう言われるのが嫌なら、民主党は直ちに党綱領を作るべきであろう(最近、遅まきながらも、検討を始めたらしいが…)>

-それを実現するために、一兵卒であれ何であれ、一生懸命、最後のご奉公をする。
僕自身が首相になりたいという気は別にない。
<なりたくても、なれないだけの話だ。こんな人に総理大臣などになってもらっても困るし、またなれるわけもない。「なるつもりがない」と言うのなら、そのつもり、つまり「主導される側にまわる」ことを示すべきだ。すなわち、総理大臣は日本の最高指導者であり、一議員である小沢氏は、野田首相に議員としての最低限の敬意、礼節は示すべきだ。また、野田市は民主党党首だから、党員(「一兵卒」)である小沢氏は、党首に最低限の敬意、礼節は尽くすべきだ。それが出来ないのなら、小沢氏は国会議員も、党員も辞めるべきだ。もしこれも出来ないというのであれば、この言葉は大嘘ということになる>

2年半前の政権交代でホッとしたが、残念ながら民主党政権は、政権交代可能な民主主義が定着したといえるような評価ではないから、もう一度、それを定着させるための作業をしないといけない。その役に立つなら、天の命ずるままに何でもする。
<「疑惑まみれの金」と「理念も理性もない政治屋集団の数の力」だけを使って、党と国会を混乱に落としいれ、政治の役割を「選挙」だけに、そして政策を「バラ撒き」だけに矮小化し、民主主義を徹底的に堕としめている張本人が、小沢氏である。民主党が民主主義的でない以上に、小沢氏こそ、民主主義の敵対者であるだろう。民主主義のために何かをしたいのであれば、まず、民主的な行動をとってからにして欲しい>

9月まではもたない
野田さんは今国会での法案成立に「政治生命を懸ける」と言ったようだけれど、どういう意味か分からない。通らなかったらどうするの?
<通さないように自分がしているだけではないか! 自分が野田政権を追い詰めておいて、あたかも国民がそれをしたかのような欺瞞はやめてほしい>

例えば、橋本龍ちゃん(故橋本龍太郎元首相)は(平成10年の)参院選で負けたら首相を辞めた。自民党にはそういう最低限の「憲政の常識」というものがあった。
<憲政の常識がないのは小沢氏ではないか>、ところが民主党ではそれが通じないから推測では判断できない。
野田さんが党内でも国民の間でも反対が多い増税法案を成立させようと強行すれば、党内の支持基盤がなくなるのではないか。党内の大方の意思を無視して強権的な政治行動をしたら、「これでは代表として困る」となりかねない。最終的には党内と国民がどう考えるかだ。
では、法案が成立しないまま9月の民主党代表選まで行ったときに、国民が野田首相のままで「ああそうですか」と言う? 何もしないで9月まで過ごすことは多分国民が許さない。
民主、自民両党の大連立という話も、政治家が考えるのはご自由だが、自民党との連立は民主党内で多数ではない。野田さんに「民主党の反対派を切れ」と迫る谷垣(禎一総裁)さんも、今の自民党を見渡せば他人のことを言っているような場合ではないだろう。
恐らく衆院解散・総選挙は今年の秋にもあるのではないかと思う。来年の衆参ダブル選挙とはいかないのではないか。そのときに民主党がちゃんと今の形であるかどうかも問題だ。

 (野田内閣不信任決議案が国会に提出されたときの対応については)国民がどう見ているかだ。あくまでも国民の動向次第だ。
<これだけ野田首相に敵対し、その政策の実行を妨害しておいて、不信任にするかどうかはまだわからないとは一体どういうことか?! 野田首相が全面的に小沢氏の軍門に下って来るのを待っているのか。そんなことはあり得ないだろうから、これは、いつでも撤退することが出来るようにしておく布石だろう。 場合によっては、いつでも逃げ出せるようにしておいて、党内、国会で野田首相に「徹底抗戦」を宣言しているとすれば、これほど政治、国会、国民を馬鹿にした話はないだろう。古代の戦争であれば、このような千変万化、権謀術数も兵法の基本として妥当なものとなるだろうが、なにしろ、今は「現代」だし、政治は「戦」ではない。政治は勝つだけではなく、理念と信条を持ち、信義を重視するものでなければならない。この調子では、昨年の菅内閣のそれの再現、すなわち、ちょっとしたことですぐに翻意し、彼を信じたものはゲタを外されるということである。結局、こういう人は信頼できないということでしかない>

他党などと糾合して政界再編することも、他に選択肢がなくなった場合は別だが、僕らが民主党を出る理由はまったくない。もし離党するなら、国民との約束を忘れた人たちが出ていけばいい。僕らは本当の民主党を取り戻すために努力する。
<小沢氏は、民主党代表戦で、すでに三連敗している。つまり、民主党の最高意思決定機関は、いわゆる反小沢勢力を、民主党の意思と認定しているのである。小沢氏が、もし民主主義的な政治を行うつもりがあれば、この経緯からして、自分達が民主党だとは言えるはずがないではないか。
また、彼は、民主党の原点がマニフェストであり、そのマニフェストを守ろうとしているのが自分達だから、自分達こそ民主党だということを言いたいのだろうが、マニフェストといっても、それは2009年のそれでしかない。他の時期のマニフェストもあるわけだから、これをもって、民主党の原点とすることは出来ない。党の原点は、党の綱領であるはずなのだ。これだけを特別扱いするのは、これが現在の野田内閣批判に好都合だからだろう。ご都合主義と言わざるを得ない。しかし小沢氏が、しっかり認識しなければならないことは、上述のようにすでにこのマニフェストは完全に破綻しており、「お蔵入り」した過去のものとなっているのである>

 (4月26日の政治資金規正法違反事件判決については)裁判所として公正な結論を出していただくことを期待している。
<これは地裁の判決にしか過ぎない。万が一、これで無罪が出ても、彼が刑事被告人から解放されるわけではない。二審、三審もあることを忘れてもらっては困る。また、小沢氏の罪は司法だけではなく、立法府、すなわち国会の承認喚問としても裁かれるはずであり、さらには、選挙によって裁かれるはずである。そうでなければ、日本の明日はないだろうからである>

「理性的で合理的、そして人間的な政治」を! 日本の素晴らしさにプラスαを!

2012-03-27 15:25:38 | 政治
このブログを始めて二ヶ月になりました。支持してもらっているかどうかの問題はあるにせよ、とにかく読んでいただいている人には感謝します。ここまでの一連の内容をみて、いろいろな受け止めがなされているだろうと想像しています。ずいぶんエキセントリックだとか、ラディカルだとか、国粋主義の右翼ではないかとか…。そこで今日は政治に対する私の認識、志向について述べてみたいと思います。なお、普段「…せよ!」とか、「…を!」とかの命令調や呼びかけ調でやっていますが、私も実は真面目で謙虚な人間であることを多少なりとも理解していただく意味で、今日は「…です」「…ます」調でいってみたいと思います(笑)。

私の志向は政治的には、どちらかと言えば新自由主義と言われるものに近いかもしれませんが、これは結果としてそうなっているだけで、特にそういう考えを意識しているわけではありません。だから私の立場は既成の概念枠によって特徴付けられるようなものではありません。実は、通常のカテゴリーとは別の切り口から政治を捉えたいと思っているのです。

<政治には理念ないしは哲学が必要>
まず基本的な認識として政治には理念とか哲学といったものが必要だと思います。ところが、日本は自称であるにせよ、単なる自負であるにせよ、すでに「先進国」の仲間入りをしており、昔のように先進国のモデル、たとえば「自由、民主」のような概念を取り入れればそれでよいという段階ではなくなっています。しかも、日本が抱える内外の問題は、たとえば、「少子高齢化」問題のように、非常に厳しいものがあり、「そのうちに…」というようなことで、おっとりと構えていることもできない状況にあります。日本はこれまで培われた日本の特質を活かしながら、差し迫った問題を解決することが求められます。しかも、この行動は、先進国としてのそれ、つまり国際社会との調和を保ちながら進める必要があるので、世界に対して通用するもの、すなわち普遍的な価値を持つものでもなければならないでしょう。そこで、次のように考えたらどうかと思っています。それは、日本の政治は「理性的で合理的、そして人間的」であるべきということです。これは、理念とか哲学というよりも、一種の規準のようなものですから、少し物足りない面がありますが、それだけに、多くの人に支持してもらえるものと思います。これは、素材のようなものですから、これを日本の現状に合わせて加工していけば、普遍的でかつ日本的な特徴を備えたものになると思います。

<「理性的で合理的、そして人間的な政治」>
大辞泉によればこれらは次のように説明されています。
「【理性的】本能や感情に動かされず、冷静に理性の判断に従うさま。
【理性】1 道理によって物事を判断する心の働き。論理的、概念的に思考する能力。
2 善悪・真偽などを正当に判断し、道徳や義務の意識を自分に与える能力。
3、4については、カント、ヘーゲル哲学関連であるので掲載省略
5 宇宙・人生をつかさどる基本原理。
【合理的】 1 道理や論理にかなっているさま。
2 むだなく能率的であるさま。
【人間的】 人間らしい性質・感情などがあるさま。
これだけでは十分なイメージが湧かないので、関連する概念でもう少し具体化すれば次のようになるでしょう。
[理性的]; 理念、目的、情熱、正義、自由、民主、調和、主体性など「人間は理性的動物である」と言われるように、「理性的」であることは人間の本質的規定なのです。
[合理的]; 現実的、具体的、科学的、効率的、効果的、戦略的、システム的など理性的であることは重要ですが、プラトンや孔子、マルクスなどのように、理念に偏りすぎると現実を遊離した夢想になってしまいます。
[人間的]; 夢、喜怒哀楽、闘争、助け合い、生の希求、個性・利己の尊重など人間は機械ではなく感情を持った生身のものだから、理性や合理性だけでは乗り切れない側面を持っています。

これらの区分は、緩やかな意味でのそれであり、あくまでもイメージを掴むための参考でしかありません。というのは、こういう問題に関する概念は、非常に幅広い内容を持っており、相互に関係し含み合っているので、観点により区分はかなり変化するからです。これら三つのものの関係の大雑把なイメージは、人間性に合理性が加わると理性的なものになるということです。これらのものを含み、これらをうまく統一した政治が目指されるべきものではなかろうかと考えるのです。

この現実のイメージがどういうものかを、まず政治家でみてみましょう。アメリカ大統領はどうでしょうか。アメリカ人が毎年選ぶ(全分野で)「最も尊敬する人」の上位に必ず入っているリンカーン、ルーズベルト、ワシントンなど、特にリンカーンは、当てはまるのではないでしょうか。イギリスのチャーチルやサッチャーなどはどうでしょうか。ソ連の「ペレストロイカ(改革・再編)」、つまりソ連の解体・民主化を成し遂げたゴルバチョフはどうでしょうか。国の勢力を拡げることは、意欲も湧きやすい方向であり、また国民の同意も得やすいのですが、その逆をしかも無血で為し遂げた力は大変なものだと思っています。私は中国は、覇権主義政策をとり、日本に対して「反日」政策をとっており、そして民主勢力、少数民族の弾圧をしているので、批判しているのですが、実は中国の指導者(但し、民主・改革派のそれですが)の少なからぬ人が、そうであると思います。この場合、なにしろ共産党一党独裁体制という状況の下で、日本とは比べものにならない文字通り「命がけ」の激しい権力闘争に勝ち抜かなければ、何もできない政治状況に置かれていることは考慮されるべきことでしょう。

本題の日本はどうかと言えば、今の政治家にも先の基準に当てはまる人は少なくないと思いますが、私の個人的な見方でどうこう言えるものではないので具体的名前を上げることは差し控えます。多くの人が同意できるのは、例えば坂本竜馬ということになるでしょうか。ただ、現在の日本では、「出る杭は打たれる」という風潮、強い立派な指導者が出ることをあまり評価しない傾向があるので、資質としてはあるけれども、それを発揮させる機会がなかなか与えられないという問題があるように思います。私はこのような風潮には批判的です。指導者は、有能であればそれに越したことはないのであって、これをなぜ敬遠するのでしょうか。おそらくは、強い指導者だと最後にはいいようにやられてしまうだろうという不安があるのでしょうが、これではいけない。そうならないように国民の側も賢くかつ強くなければならない。自分達が弱いから、指導者も弱くあって欲しいというのは本末転倒です。指導者が優れているのであれば、それに見合うように国民も優れたものになるようにがんばる必要がある。優れた指導者と、それを優れた国民が支える構造になって初めて未来の日本が開けるだろうと思います。

次にこれに当てはまる国のイメージを見てみると、私はローマが一つの例だろうと思います。ローマと言えば、「帝国」とか「皇帝」とか「奴隷」とかの言葉で呼ばれるイメージがあるので、いわゆる近代帝国主義国家、覇権主義国家、古代の先制国家、先制君主、非人道的な奴隷制などのイメージが浮かびますが、実は、これは言葉が同じというだけで、実際の姿はそういうものとはあまり関係がない国でした。たとえば、ローマ皇帝は、秦の始皇帝をはじめとする中国の歴代王朝の皇帝のような存在ではなく、どちらかと言えばアメリカ大統領のような存在であり、議会もありました。奴隷と言ってもローマのそれは古代ギリシア、古代中国、近代植民地主義の奴隷制度とは一線を画しています。よくイメージされる奴隷の子は奴隷とか、さまざまな儀式の人身御供にされるとか、家畜のように簡単に命を奪われるとか、そういうものではなく、能力があれば、あるいは運がよければそれと引き換えに奴隷の身分から解放されたのです。このような解放奴隷が、政府の要職や資産家として名を馳せることも少なくなかった。ローマは身分が低いものでも上がるチャンスはあったし、また身分が高くても、没落して奴隷に身を落とすこともあるという流動的な身分制、いわば運、やる気、能力が生かされる可能性のある国だったのです。肌の色や言語、民族が違ってもローマ市民権を持つチャンスはあった。親が解放奴隷であった身分から、皇帝になった人もいました。またローマの人たちは、人の生命を奪うという行為を嫌悪していたので、たとえば捕虜を殺すというようなことも止むを得ぬ場合に限られたのです。ローマは、当時としては、高い政治理念、高い人権意識、合理的な政治・経済システム、高度な科学的技術、活発な経済活動、戦略的で互恵的な外交・安保政策などに支えられた国だったのです。そうだからこそ、ポリス国家から東ローマ帝国滅亡までの合計では二千年以上(西ローマ帝国だけでは五百年弱)にわたって存続できたのでしょう。
もちろん、二千年も前の国ですから、現在の観点からすれば、さまざまな問題を指摘することが出来ますが、それは現代だから言えることで、あの当時あれだけの高度な文明の国が存在したということは、人類史上の奇跡のような気がします。現在の国々と比較しても、ローマに及ばない国は少なくないと思います。また、ローマの政治や経済、外交・安保政策などで、現在の日本にも参考になるものは少なくないようにも思います。

それでは、現代の国で「理性的、合理的、人間的」な国のイメージはどこかということですが、これは一般的にはやはり欧米の国ということになるでしょう。とは言え、いろいろな見方があるでしょうからここではこの程度にしておきます。しかし、「非理性的、非合理的、非人間的」な国のイメージは、明らかにしておいた方がよいと思います。それは、古代の先制国家、あるいはナチス下のドイツ、スターリン下のソ連というようなことになるでしょう。もちろん現在でもこの種の国は少なくないのです。

<日本の素晴らしいものにプラスαを!>
日本ははっきり言って、十分とは言えないまでも「理性的、合理的、人間的なもの」の中の上述の要素の少なからぬものを既に持っていると思います。こうした要素がほとんどない国もあるわけですから、ほとんどを持っているということは大したものと言えるでしょう。下記関係記事は、東日本大震災における米軍による「ともだち作戦」に参加した米軍人の発言です。ここには、未曽有の災害に直面しながら、冷静で「礼儀正しく、秩序だって行動していた」、「どんな境遇でも他人を思いやる余裕のある」という日本人の姿に高い評価がなされています。これは人間的な行動でもあり、また、調和という面で理性的でもあり、そして現実的でシステム的という点で合理的でもあります。こういう素晴らしい資質を備えた国民は、そう多くはないでしょう。だから、その人は「(ともだち)作戦に参加でき、光栄だ。日本を去っていった仲間もみんな同じ気持ちだ」と言ってくれるのです。

けれども、ここで見ておかねばならないのは、このように賞賛される日本国民は確かに素晴らしいが、そういう人たちを支援するために日本に来て、そして「日本の人を手助けすることが出来て光栄です」と言える人達もまた素晴らしい人達であると言えることです。と言うのは、こういう言葉を出せるためには、実際に具体的な行動を行うこと、そして人を助けることが価値あることで、そういう人になることを誇りにしていることが必要だからです。日本人は、日本人同士で助け合うことは出来ている、そして心ある人達は日本から海外に出てさまざまなボランティア、援助活動に参加している。しかしまだ国として積極的に、しかも大きな規模で大きな困難を伴うことを行うところまではいっていません。私は、「お役に立てて光栄です」と胸を張って言えるような国民性を持った日本の姿を見てみたいと思うのです。またそうでないと、現在日本が直面している多くの困難を成功裏に克服することはできないでしょう。
そのためには、まだ日本に不足しているものを獲得し、あってもまだ弱い面はそれをもっと強化していく必要があるでしょう。日本は「先進国」とされて久しいわけだから、やはり国の体制も、政治も、そして国民の意識も先進的であることが求められます。だから、賞賛されるような面はあるにせよ現状ではまだ不十分であって、私たちは日本の潜在力を、もっとよく活用する必要があるでしょう。

<論理的推理、戦略、創造、闘争>
日本人は論理的思考に弱いとか、ディベートに弱いとか、日本の政策には戦略性がないとはよく言われることです。また、日本人は改良は得意だが、創造力の面が弱いとも言われています。また、常に敵からの攻撃に晒されている大陸の国民に比べて、日本人は島国に住んでおり、しかも農耕民族であるので闘争性が弱いとも言われ、「肉食系」に対して「草食系」とも言われています。私はこれらが不足、ないしは弱いと言われるのは全くその通りだろうと思います。そこで、現在の日本に論理的推理力、戦略性、創造性、闘争性のようなものが加われば鬼に金棒と言えるでしょう。もちろん、個々の人間と同じように、国も個性があって、なんでもかんでも他の先進国と同じようになること、すべての資質を完全に備えることは出来ないし、またその必要もないとも言えます。しかし、現在のそしてこれからの日本が置かれるであろう極めて厳しい状況を乗り切るためには、これらについての能力は、完全なものとまではいかずとも現状以上には高められる必要があることは確かでしよう。

<論理的推理>
たとえば、現在日本は少子高齢化の中にあり、これはさらに進むと予想されており、この結果は人口の著しい減少と、若年世代一人が高齢者一人を支えるというような、非常に厳しく悲惨な予測も示されています。この予測をベースにして更に突っ込んで考えていけば、将来の日本のために、現時点で何をしなければならないかは、自ずと見えてくるはずでしよう。すると、政治はいま国会で行われているような党利党略のためのこざこざした争いを行っている暇はないことがわかるはずなのです。にもかかわらず、日本では「予想は単なる予想にしか過ぎない」とか、「学者の言っていることは単なる説にしか過ぎない」といったようなことで、学問・研究や、推論予想といったものがなかなか政治に反映されません。

今回の東日本の大震災の被害に関しても同じことが言えます。過去のデータをよく見れば、大地震が起きること、大津波が来ることの可能性があることは十分予測出来ていたはずです。こういう警鐘を鳴らしていた研究者もいたのに、そういうことが無視されていたのです。こういう予測をベースに対策を立てたとしても、地震と津波の被害をゼロに抑えることは出来なかったかもしれませんが、少なくとも、被害をもっと少なくすることは出来ただろうし、原発の事故を防ぐことは出来たはずです。今回の災害が国民の一部あるいは有識者、そして海外の研究機関から「人災」であると言われているのもうなずけることでしょう。

アメリカあたりでは、学者や専門家が閣僚になったり、閣僚が学者や専門家になったりで、学問、研究が政治に活かされ、また、政治が学問、研究の課題、現実のデータを提供するというよい意味での連携が取られています。こうであっても、日本で常に心配されている「学問の自由」の侵害などといった問題は起きていません。こういう体制こそが、社会が持つすべての英知を政治に活用する体制、システムであり、政治のあるべき姿と言えるのではないでしょうか。日本でも、小泉首相が竹中平蔵慶大教授を閣僚に迎え入れて金融・経済政策、財政再建方策や郵政の民営化政策を推し進めました。こういうことがもっと必要と思います。現状のような非効率、非システム的やり方では、日本の持てる力を十分に発揮することが出来ないでしょう。改革が必要なゆえんです。

日本ではなぜ、学者や専門家の意見が十分に活かされないのかと言えば、それは詰まるところ、政治家、学者も含め、日本人の論理的推理能力の弱さに原因があるように思うのです。確かに、予測や学説といったものは、それが正しいのかどうかはまだはっきりしないものであって、それを全面的に信用することは出来ませんし、また、信用されるとなると当の学者や専門家は、その責任の大きさに耐えられなくなって、学説や予測を出すことを躊躇うようにもなるでしょう。学説や予想の採用はリスクを伴うものであり、このリスクをどう処理するかが問題となるのですが、これは、国民全体で負担すべきものでしょう。そのためには、こういう場合はこうなるというような論理的推理に基づく議論が必要になるのです。現状では、形式的な推理(予測、学説など)は行うけれども、それを活用しようとする側面、その意欲、意志つまり理性の力が不足しているということでしょう。だから、論理的推論をもう少し働かせて、その結果を活用することに力を注げばよいと思うのです。義務教育において論理学を教えるべきと思います。

<戦略性>
次に戦略性ですが、これが弱い理由は、目標の不在が大きいのではないかと思います。現在の日本の政治は目標を掲げることに及び腰です。しかし目標がなければ戦略など考えようもないわけです。論理的推理を働かせ、得られた結果に自分達の希望や望みを対比させてみれば、どういう目標になるかがわかってくるし、それを必ず実現しようとすれば、どうすべきか、つまり戦略も自ずと明らかになってくるように思います。とは言え、ここには単なる機械的推論では済まないもの、つまり発想の転換を含んだ論理的推理、創造的な思考が求められるでしょう。

<創造性>
そこで創造性ですが、これは日本の将来イメージがネガティブだったとき、それを回避するためにどうすればよいのかということに回答を与える問題です。他の先進国、あるいは発展途上国の例を参考にするのはもちろんですが、最後は自力で日本独自のモデルを作り出さなければならないでしょう。

日本には、クールジャパンといった何百年もの歴史を持つ創意工夫の伝統はあるわけだから、これに推理力を加えれば創造力となるでしょう。潜在的な能力は備わっているのです。これについては一つのよい実例があります。それはかつて日本に勢いがあったとき、「新幹線」という画期的な高速交通システムを作り上げたことです。これは、すでに戦前の1939年に構想され、1964年に東海道新幹線として開花しました。これがその後の日本の発展を支えたのですが、これは単なる工夫というようなものにとどまるものではなく、技術と政治が一体になった画期的で壮大な国家プロジェクト、すなわち創造だったと思うのです。こういう情熱とその実行力をもう一度我々は取り戻し、発揮する必要があるし、その能力はあることがこれによって確かめられています。この資質・能力は現在でも、あの世界中を感動させた小惑星探査機「はやぶさ」の奇跡の帰還、夢とロマンにあふれた宇宙帆船「イカロス」の成功、世界最速のスーパーコンピューター「京」の開発などに生きています。
経済と社会の発展のためには、夢と情熱、科学・技術力、創造性、そしてそれらを推進する政治が必要なのです。これを「なぜ世界一でなければならないのか?なぜ二番手ではいけないのか?」などというような政治がいかに的外れなものであるか、こういう大臣が行う政治がいかに日本の活力を削いでいるか、いかに日本の未来を損なっているかを、政治は厳しく反省してもらう必要があるでしょう。ともかく、現在の日本の政治は著しく劣化しており、本来は、政治がこういう科学・技術や、経済といったものを引っ張っていかなければならないのに、足を引っ張るだけの存在となっています。しかし、日本の政治にも十分な潜在力はあるはずです。明治維新そしてその後の維新政府の政策とその実行力には目を見張るものがあります。もちろん、そこには志と責任感、創造力、実行力のある優れた政治家が存在しました。今でもそういう人は存在するのですが、なかなか姿が見えません。国民からお呼びがかかるのを待っているものと考えられます。

<闘争性>
そこで、問題を解決し目標を実現するために重要になるのが、闘争性ということになります。求められるのは、我々日本人の未来を豊かなものにしようとすることに向けての戦いです。これは目的実現のための、そして創造のための闘いなのです。これにはもちろん、日本の国家主権を守るための闘い、そして日本の平和、世界の平和を守るためのそれも含まれます。現在国会を中心に行われている党利党略のための抗争もこの闘いの一つではあり、これはこれでそれなりの意味はあるし必要でもあります。しかし、これは政治に求められている多くの闘いのほんの一部にしか過ぎず、また、政治にはもっと高いレベルの闘いが必要とされるのです。それは、理性的なものの主導のもとに、現実、真実を恐れることなくそれに突っ込み、それらをベースに具体的な政策を展開していくということ、こういう闘いが必要となるのです。
何事も、主体的な闘いなくして自動的に得られるものはありません。「なかよくしましょう」といくら呼びかけてみても、主権を守る闘いをしない限り、日本の安全は守れないでしょう。「平和は重要だ」、「戦争反対」、「核兵器廃絶」などという言葉を唱えているだけでは、平和は絶対実現できないのです。平和は誰かが自動的に与えてくれるものではなく、平和を乱すものに対しては断固たる具体的対抗行動をとって、初めて得られるものです。「平和」を経文のように唱えている人も、リンカーンが行った南北戦争、奴隷解放戦争を否定することは出来ないでしょう。

今回の原発事故についても、同じようなことが言えるでしょう。「安全が重要だ」ということを何回唱えてもそれだけでは何にもならなかった。重要なことは科学・技術的に安全を得る闘い、そして行政システムとして安全を確保する闘いを行うことであり、これを抜きにして「脱原発」をするのも、「原発維持」を行うのも誤りということになります。これについては2月18日のブログを参照下さい。今必要なことは、科学・技術立国としてその理念を再確認し、これをものにするという目標を立て、それに沿って徹底した事故原因究明を行い、それに対する対策を立て、その上で「原発維持」路線を進めることでしょう。そのためには科学・技術恐怖性、原発恐怖症とでもいうべき非合理で感情的な考えとの闘い、そして「安全神話」というようなものに逃げ込んで、いい加減にごまかしてしまおうという人間の負の性向、怠慢性、無責任性といったものとの二面での断固たる不退転の闘いが必要であり、これを支えるものが論理的推論、科学・技術の理念、政治の情熱と主体性といったものになるでしよう。

<「非理性的で非合理、そして非人間的政治」の一掃を!>
政治は国民全員のものだから、意見が合わない人を議論から排除しようとする発想は、上述の規準からしてあってはならないことでしょう。しかしながら、「非理性的、非合理的、非人間的」な政治、あるいはそういう政治勢力は、求められている政治を真っ向から否定しようとするものですから、話は別になってきます。つまりこのようなものと闘い、排除することをしなければならないでしょう。そうしないと政治の機能が壊されてしまう。いわばこれは正当防衛なのです。
この代表例、すなわち冒頭に掲げた三つの要素に全く該当しない人、勢力として、民主党元代表の小沢氏を挙げておく必要があるでしょう。彼については3月10日、13日、24日のブログを見ていただければわかるように、彼の考えそして彼がやっていることは、政策のない政治であり、政治そのものの破壊でしかありません。劣悪な政治を破壊することは必要ですが、彼の場合は求められているものを破壊し、求められていないものを生み出す破壊だから非常に質が悪いのです。無意味にだらだらと続く破壊、消耗だけしか残らない破壊、創造につながらない破壊だから問題です。それも私利私欲のためにそうしている、つまり政治の上に個人を置いているから、これが撒き散らす害悪は大きい。そこにあるものは怨念化した個人的欲望だけで、理性も合理性も、人間性もないのです。冒頭に挙げた「理性」についての大辞泉の説明「2 善悪・真偽などを正当に判断し、道徳や義務の意識を自分に与える能力」をみれば、小沢氏がいかに理性的なものから遠い人であるかがわかるでしょう。
こういうものを放置、許容しておいて、立派な政治を望むのは、望む方が無理というものではないでしょうか。それゆえ、国民も「理性的で合理的、そして人間的政治」を目指す立場に立ち、政治の浄化の運動に参画する必要があります。「日本の政治の腐敗・堕落」を嘆くだけでは、いつまでも政治が変わることはないでしょう。そこで我々国民はまずは、「日本政治の宿痾」としての「小沢的なるもの」の政治からの一掃に立ち上がる必要があると思うのです。

【関係記事】3月2日 産経_
■【東日本大震災】トモダチ作戦参加の米兵相次ぎ離日 隊員「再生、復興信じる」
 東日本大震災で在日米軍が展開した救援活動「オペレーション・トモダチ(トモダチ作戦)」。投入された約2万4500人の隊員らの多くはすでに日本を離れ、本国や世界の駐留地に赴いた。救援任務に当たり、この1年を日本ですごした空軍兵士は「日本人ならまた再生し、復興できると信じている」と語った。震災直後に孤立した地域や離島をヘリコプターで回り、救援活動を行った米空軍嘉手納基地(沖縄)第31救難中隊のエリック・ボー曹長(42)は、今も被災者の礼儀正しい姿が忘れられないという。
「SOS」。上空から見えた文字を頼りに学校の校庭に着陸すると、駆け寄った被災者が頭を下げて出迎えた。離島に取り残された漁師3人を救助したときも同じだった。「大変な思いをしていたはずなのに」。言葉が通じない兵士に感謝の気持ちを伝えようとする姿に心を動かされた。

 ボー曹長はパラシュート降下と医療資格を持つ「パラレスキュー」になって16年のエリート隊員。米南部で2千人近い死者・行方不明者を出した2005年の大型ハリケーン「カトリーナ」の被災地にも赴いた。約100万人が住み慣れた町を離れることになった米国史上最大級の自然災害。「どちらも被災者は同じような状況だったと思うが、日本人は冷静で礼儀正しく、秩序だって行動していた」。2つの大災害を比較し、こう振り返った。
未曽有の災害に直面しながら、避難所ではゴミが分別され、被災者自らが周囲を清掃する姿に「協力し合って復興に向けて動き出す日本の姿をみた」。米兵に温かいスープを差し入れる被災者の姿には「どんな境遇でも他人を思いやる余裕のある日本人に感銘を受けた」とも話した。
在日米軍司令部などによると、日本に駐留する隊員の任期は1~4年。トモダチ作戦に参加した隊員の多くは日本を離れ、第31救難中隊でも、被災地に派遣された20人のうち日本に残るのはボー曹長ら3人だけになった。日本の復興を信じるボー曹長は力を込めた。「作戦に参加でき、光栄だ。日本を去っていった仲間もみんな同じ気持ちだ」(大竹直樹)

中国「野戦軍司令官 小沢」の排除を! 民主党は「売国的朝貢外交」を止めよ! 尖閣防衛体制の強化を!

2012-03-24 18:52:12 | 政治
中国が、尖閣の日本の領海を侵犯するという暴挙が頻発している(下記関係記事_1参照)。これに対する日本政府の対応は、背筋が寒くなるほどお粗末なものである。いつも、「遺憾である」という口頭抗議だけで、なんら実効ある措置が取られていない。それどころか、民主党の動きは、中国の尖閣奪取の野望を側面からサポートするものである。このままでは、中国の尖閣の武力占拠の行動が行われる日も近い。我々は、断じてこのような策動を許してはならず、そのためのあらゆる必要な対抗措置を取らなければならない。そして、中国の意向を受けて、日本を中国に差し出そうとしている勢力、人間を一日も早く、国内政治から一掃しなければならないだろう。

<尖閣の侵略意図を鮮明にした中国。 このままでは尖閣への武力侵略、そして武力衝突の日は近い!>
中国共産党機関紙は、日本の領海を侵犯していることを明確に認めている(関係記事_1参照)。もっとも、彼らの論理では「自分達の領海だから、入る権利がある」ということである。つまり、武力で尖閣を奪う意図を公にしている。これは、彼らの理不尽な主張を武力と実績でもって正当化しようとする試みであり、また、日本の尖閣防衛意志の強さを測るための観測気球でもあるだろうし、彼らがある日突然に尖閣に上陸したときのための、国内外に対する説明の準備なのでもあろう。要は、中国(まだ共産党の段階であり、国としてのそれではないが)は、武力で尖閣を強奪することを宣言しており、そのための準備を着々と進めているということである。
にもかかわらず、日本政府は相も変わらぬ腰砕け対応しか取っていない。明確な領海侵犯なのに、なぜ、拿捕するとか、武力で排撃するとかしないのか。なぜ海保や海事の派遣艦船を増強し、場合によっては武力でもって領海、尖閣を守ろうとしないのか。この理由の一つには、領海侵犯に対処できる法制度がないという、法治国家としては信じられないような問題がある。
領海侵犯に対し、日本の現行法では退去を要請することしかできないのである。国連海洋法条約は領海内の「無害でない通航」を防止するため沿岸国が必要な措置を取れるとしているが、日本はこれに沿った法律を作っていない。だから、領海侵犯した外国船を拿捕したり、強制的に排除したりできる法整備が急務なのである。しかし問題はこれだけにとどまらない。これだけであれば、直ちに法の整備をすれば、とりあえずの対策は出来るのであるが、政府がそれをしようとしないという問題がある。つまり、政府・民主党に国を守ろうとする強い意志がないということが、更に大きな問題なのである。
このままでは、近いうちに武力で尖閣は奪われてしまうだろう。そのとき、日本政府は、武力でもって、断固として尖閣防衛をする覚悟があるのか?! このときに、法整備が出来ていないことを絶好の口実にして、武力での防衛行動を放棄して、何もせずに尖閣を中国に差し出すことになるのではないか? こんなひどいことにはならぬようにしてもらいたい!

<日本を侵略しようとしている中国に、臣下の礼をとり、ご機嫌伺いに行く民主党の「売国的朝貢(朝献)外交」は直ちに止めよ!>
こういう情勢の中で、民主党から二組も訪中するという(関係記事_2 参照)。尖閣問題、ガス田問題、民主化、少数民族弾圧の問題を話すために行くのならともかくも、そうではないのに、一体何をしに行くのか。輿石幹事長は、10人も引き連れて、訪中して一体何をしようというのか。民主党と共産党の定期交流と言うが、単なる外交儀礼のご機嫌伺いなら、今の時期を選ぶことはないだろう。中国の暴挙が頻発しているこの時期に訪中して、一片の抗議もすることなくご機嫌伺いに終始するのであれば、まさにこの中国の暴挙を許容することを伝えに行く朝貢使節団ということになる。これは「百害あって一利なし」である。こういう「没戦略の売国的外交」は直ちに止めるべきだ。
鳩山氏は一体何をしに行くのか。しかも、輿石幹事長が訪中しているにもかかわらず、別行動とされている。「東アジア共同体」論で中国の機嫌をとり、その後も機嫌をとることを続けている鳩山氏である。今回は、中国への「御用聞き」を行い、中国と小沢氏の間の「使い走り」をすることが目的なのだろうか。鳩山氏は、かりそめにも日本の首相であった人である。「御用聞き」や「使い走り」のようなことをして、これ以上、日本の権威を落としめないで欲しい。しかしさらに‘とんでも’であることは、鳩山氏は今回、なんと小沢氏からの親書を、習氏を通じて胡錦濤国家主席に渡す予定だというのである。

なお、24日の情報では案の定、輿石、鳩山両氏ともに「友好・親善」を強調するばかりで、懸案については一言も出さなかったということである。こういう外交は直ちに止めるべきである!

<中国共産党人民解放軍の「野戦軍司令官」として、日本の政治の撹乱作戦を展開する小沢元民主党幹事長>
小沢氏と言えば、幹事長だった2009年12月、党所属国会議員143人に、秘書や一般参加者を合わせて計626人を引き連れて、国辱的な中国への朝貢外交を行ったことが思い起こされる。かりそめにも世界の先進的な民主主義国(自称? 自負?)の日本の与党のNo.2が、このような大々的な見世物を国内外に晒したのだから、世界の人もさぞかし驚いたことだろう。千数百年前ならともかくも、現代においてこのような遣唐使のごとき派遣団を外交に使うとは、まったくもって日本の異常さ、異様さを世界に喧伝するものでしかなかった。
そして、彼の異常さはこれだけにとどまらない。このとき、小沢氏は胡中国主席と会談し、「私は人民解放軍の野戦軍司令官」であり、戦い(2010年参院選)に勝利して、日本国民を解放しなければならないという主旨の発言をしたのであった。人民解放軍の最高司令官は胡錦濤国家主席なのだから、小沢氏は中国共産党の総書記でもある胡錦濤国家主席の指揮下に入ること、そしてその指示によって、日本国民を解放するための戦いを行うことを約束したということである。
ここで日本国民の解放が何を意味するかということであるが、「解放」とは一般には、何かの制度、政治的抑圧からの解放であるので、これは日本の社会制度、政体の破壊を行うということになるだろう。ここではっきりさせておかなければならないのは、これを冗談と見ることはできないということである。冗談はそれとわかるから冗談なのであるが、これはどう解釈してもどこにも冗談らしきものがない。これは、胡主席と民主党の幹事長の公式の会談なのであり、しかも小沢氏自身が記者会見で明らかにしたことだから、大真面目な発言なのである。
それにしてもなぜ、日本の与党のNo.2が、中国の指示の下に置かれなければならないのか。これでは、日本が中国の体制下に入ったことになってしまいそうである。この訪中団は、表面的にそして形式的には明らかに朝貢外交であった。そしてこの発言によって小沢氏は「臣下の礼を取った」ということなので、小沢訪中団は、名実ともに朝貢外交団であったことになる。
だから彼は日本の立場を、著しく貶めたことになる。しかし彼の狙いは、自分の日本における政治的権勢の強さを、国内外にアピールすることにあったわけだから、日本が貶められようがどうしようが、彼はそんなことには頓着しなかった。彼は、日本を貶めて、自分の利益を図ったのである。大辞泉によれば、「売国」とは「私利などのために、敵国に通じて、自国の不利になることをすること」とある。世間では、そして歴史的にも、こういう小沢氏の行為は「売国」行為と言われ、そういう行動をする人は「売国奴」と呼ばれるのである。
今回、親書(おそらくは「密書」と呼ぶ方がふさわしいだろう)を胡錦濤国家主席に、(習氏を通じて)渡されるとされるが、これもおかしな話である。小沢氏は現在は、民主党の一兵卒にしか過ぎない仁であり、このような人の手紙を中国の最高権力者が受け取るということは、通常あり得ないことである。もしこれが個人と個人の関係としてのそれなら、わざわざマスコミで発表したり、「親書」と呼んだりする必要はないわけだから、こういうことでもない。結局、中国の最高権力者である胡錦濤国家主席が、民主党の一兵卒と誼を通じているということにしかならない。しかしこれは中国による日本国内への内政干渉ではないか。また、小沢氏は一国民、一党員としての立場を超えて、国や党の主導権を握ろうとする越権行為をしているのではないか。これらの一連の事象のつじつまを合わせる見方は、彼を中国人民解放軍の「野戦軍司令官」として、理解することである。すると、この親書は現場司令官から総司令官に当てた手紙ということになり、矛盾はなくなるのである。
それでは内容は何か。それは、出先である小沢部隊と中国の司令部との連携作戦の呼吸を合わせるためのものだろう。たとえば、「日本の方は私がうまくやりますから、安心してやるべきことをやって下さい」というようなことではなかろうか。と言うのは、まず、小沢氏が今回鳩山氏と同行しなかったのは、「国会対応があるから」とされているからである。これは、政府の消費税上げ法案に徹底抗戦して、国会と内閣を機能不全にしようとしていることに対応することである。こう考えると、このような行動は何も今始まったことではないことが理解される。2009年の「野戦軍司令官」就任後、小沢氏は、(日本方面)司令官として一貫した作戦を展開してきたし、それが今も続けられているということである。つまり、小沢氏の政治活動の目的は、日本の再建のための政策の実現ではなく、なんでも反対し、「政局のための政局」を作り出し、国会を混乱させ、日本の政治の統治機能を破壊することなのである。この小沢氏の作戦の成功により、日本の政治は収拾のつかない混迷状態の中にあり、国の安全保障など考えることもできぬほどの大打撃を受けている。
この小沢部隊の撹乱、揺動、囮作戦が功を奏して、本隊である中国国家海洋局、海軍の本来作戦が可能となった。彼らは、2010年秋の尖閣漁船衝突事件を起こし、尖閣領海内に尖閣の強奪のための橋頭堡を打ち立てたのである。それ以後、ガス田単独開発強行、EEZ侵犯、尖閣領海侵犯などやりたい放題のことをしている。
実際、野田首相は、消費税問題で小沢グループからの反対攻勢を浴びて、外交・安保などには、全く目も心も向いていないのである。自民党も、能天気な谷垣総裁の下で、内閣を倒すことに夢中になっていて、外交・安保などは、頭の中をよぎるぐらいのことでしかないだろう。

以上のことについては、小沢氏本人はもちろん別の解釈、説明をするだろうが、本人の主観的意思はともかくも、小沢氏の言動を客観的に見るとこういうことにしかならないのではないか。小沢氏は、国民に対しては、嘘ばかりついているが、自分が忠誠を誓った胡錦濤国家主席に約束したことは忠実に実行しているのである。こうなってくると、もう小沢氏は単なる日本政治の「宿痾」と言うだけではなく、それを越えて侵略勢力としての中国の共産党に気脈を通じて、そこに忠誠を誓い、日本を中国に差し出そうとする本当の「売国奴」に堕ちたと言えるだろう。日本国民と政治は、このような異常事態を直ちに排除すべく立ち上がる必要がある。

<政府、民主、自民は尖閣防衛のための具体的対策を実行せよ!!>
現在の情勢を踏まえて尖閣を守ろうとすると、かなり激しい武力衝突の可能性を覚悟しなければならない。中国が武力での強奪を策謀している以上は、武力で守らねば、尖閣はやすやすと奪われて、長い間日本に返ってくることはない。このことは、竹島、北方領土の例ではっきりしている。
こういう事態を避けるためには、現段階で、尖閣の防衛体制を強化することである。国内法を直ちに整備して、しっかりした防衛体制を作るしかないのである。
《》 「小沢的なるもの」の政治からの一掃を!
《》 自衛隊は、尖閣防衛のための十分な訓練を!
《》 尖閣に自衛隊の防衛基地を建設せよ!
《》 尖閣防衛のための、海保、海自の派遣艦船の増強を!
《》 尖閣領海防衛のための法整備を急げ!
《》 野田首相は、「消費増税5%」のようなマイナーな課題は適当に切り上げて、外交・安保の問題をしっかり取り組め!
《》 政府と、外務省は尖閣で武力衝突が起きた場合の同盟・友好国との連携した対中国批判体制を直ちに立ち上げられるように準備を整えよ!
《》 自民党は、内閣打倒に心を奪われて、他に何もしていない谷垣総裁を直ちに交代させ、尖閣の防衛体制を検討し、行動を起こせ!
《》 国民は、「平和」の惰眠から覚醒し、国防のために立ち上がれ!

【関係記事_1】 _3月22日産経_
■【主張】「尖閣打破」発言 中国の横暴を座視するな
 中国の監視船が尖閣諸島周辺の日本領海に侵入するなどした一連の活動について、中国共産党機関紙、人民日報は「日本の実効支配の打破」を目的とした定期巡視だとする当局者の発言を載せた。日本固有の領土である尖閣諸島のわが国の統治を真っ向から否定するものであり、本気で領有を狙ってきたとみるべきだ。
 丹羽宇一郎・駐中国大使は中国当局に確かめ、発言が事実なら強く抗議すべきだ。野田佳彦首相や玄葉光一郎外相らは対抗措置を取れるよう準備するなど、覚悟を決めて対処する必要がある。
 人民日報が尖閣諸島に関し、挑発的な報道を行うようになったのは、今年に入ってからだ。
 日本が尖閣周辺の離島などの命名作業を進めていることに対し、1月17日付で「公然と中国の核心的利益を損なう振る舞いだ」と非難した。「核心的利益」は中国が台湾やチベットなどに用いる言葉で、「安全保障上、譲れない国家利益」を意味する。
 今月16日には、中国監視船「海監50」が尖閣周辺の領海を侵犯した後、東シナ海のガス田海域に向かい、同行した「海監66」とともに、ガス田「白樺」付近で他の調査船4隻と合同訓練を行った。これも人民日報は紹介した。
 人民日報は自由な言論が認められた欧米や日本のメディアと異なり、一党独裁政権下の機関紙である。中国外務省自体は「核心的利益」という言葉を使っていないが、中国政府や軍の意向が反映されているとみるべきだ。
 同紙は中国国家海洋局が昨年、大型船16隻、小型船28隻の調査・監視船を増強したとも伝えた。国家海洋局は海軍と密接な関係にあり、特に、領海侵犯した海監50は最新鋭のヘリ搭載型で、1千トン級の海監66は同局所属の調査・監視船の中で最速とされる。
 これに対し、日本は尖閣周辺を海上保安庁の巡視船が巡回し、海上自衛隊の哨戒機「P3C」が空から監視しているだけだ。警戒態勢をさらに増強すべきだ。
 海上警察権を強化するための改正海上保安庁法などを早く成立させ、領海侵犯した中国監視船など公船を排除するための法整備に取りかかる必要がある。尖閣諸島での漁業中継基地建設や自衛隊常駐などの有人化対策も急がれる。
 中国の横暴な活動をこれ以上、座視することは許されない。

【関係記事_2】 _3月23日毎日_
■民主党:輿石氏と鳩山氏、きょうから訪中 習近平氏と会談
 民主党の輿石東幹事長は23日から3日間の日程で、中国・北京を訪問する。23日に次期国家主席就任が確実視されている習近平国家副主席と会談する。輿石氏のほか、樽床伸二幹事長代行、城島光力国対委員長ら国会議員10人が参加する。民主党の訪中団は、09年12月に当時幹事長だった小沢一郎元代表が、党所属国会議員143人を含む約600人とともに訪問して以来。
 党の訪中団とは別に、民主党の鳩山由紀夫元首相も23日から3日間の日程で訪中し、23日に習氏と会談する。鳩山氏は小沢元代表の親書を預かっており、習氏を通じて胡錦濤国家主席に渡す予定。鳩山氏は元代表に、ともに訪中するよう呼びかけたが、元代表は消費増税法案などへの対応を優先、見送った。【木下訓明、高橋恵子】


谷垣氏の「維新 ヒトラー・ナチス」発言は欺瞞、暴言だ! 責任党の自覚まるでなし 即時の総裁交代を!

2012-03-20 15:22:53 | 政治
18日の産経記事を読んでこれは‘とんでも発言’と思った(下記 関係記事 参照)。それは谷垣自民党総裁が、橋下大阪維新の国民的人気の上昇を戦前の軍部や、ヒトラーのナチスの台頭の現象になぞらえて危機感を表明したというものである。今後、維新がさらに伸張するとすれば、このような論調は谷垣氏に限らず繰り返し出てくるであろうからここで徹底的な反駁を加えておきたいと思う。

私は、これまでにも述べてきたように、自民党総裁、そして首相になる可能性のある一人としては谷垣氏は不適格だと思っている。今回の発言について以下では、厳しいことを言わせてもらうが、それは、以前の前原氏についてのブログで述べたように、日本の一億二千万人の人生に関わることを行う強い「公(おおやけ)性」を持つ人は、厳しく適性が問われなければならないということの一環である。グローバル化した現在の厳しい世界の中では、これまでの日本政治で言われて来た、よい人だとか、一生懸命やっているとか、「自分達(特定の集団)のことをよく考えてくれている」というようなことだけでは済まない面があるのである。だから、政治家個人としての谷垣氏を貶めるつもりはないので、この点は誤解のないようにご了解願いたい。

さて、記事を読んでもらうとわかるように彼の発言は、一見するとそれなりに的確な現状認識のようであるが、さらによく読み込んでみると、ここにはいま日本が直面しているさまざまな問題点に対する危機感は無く、その代わりに、自民党を含めたこれまでの既成政党が維新にやられてしまいそうだという危機感、恐怖感だけがあることが理解されるのである。彼は、姑息かつ欺瞞的にも、維新を戦前の軍部やヒトラーのナチスになぞらえることにより、国民の不安を煽り、維新の伸張にブレーキをかけようとしている。これが責任政党である自民党の党首の言葉、やり方とすれば、あまりにも軽く薄い、無責任、そして卑屈かつ詭弁的なそれであると言わざるを得ない。このような人が自民党の総裁であり続けている状況にこそ背筋が寒くなるような危機感を覚えるのである。
以下、この発言の問題点を6つの点にわたって述べたい。

<橋下維新と、戦前の軍部そしてヒトラーのナチスとの間には何の関係もない!>
谷垣氏の認識は現実に即しているようであるが、実はそうではない。現在の政治状況を最も自然な形でたとえるとすれば、幕末、明治維新前夜ということになるだろう。あのいい加減な鳩山元首相ですら「平成維新」を唱えたのである。これは、幕府による政治が時代に適応できず混迷し、国際情勢の激変に対して右往左往するだけで何も決めることが出来ず、結局新たな政治勢力、体制にとって代わられたということである。これに限らず、世界史を通じて多くの王朝(政権)が倒れたが、その原因は、国の政治が腐敗堕落、混迷し、分裂し、時代の要請に適応出来なくなったことによるものである。もちろん、外敵の侵入によって倒れた例も少なくないが、この場合でも、これらが潜在的な原因となっているのであり、外敵の侵入は一つの契機(要因)でしかない。

そこで、現在の日本が、なぜ戦前の軍部やヒトラーのナチスの時代にたとえられなければならないのかと言うことであるが、これは全く根拠のない不適当な例えであると言わざるを得ないものである。これらにおいては、国に帝国主義的な領土拡大の野心があったということがあり、またそういう考えが生じやすい時代背景、世界情勢があった。つまり、これらのファシズム的勢力の台頭の目的は、国外への勢力拡大にあったのであり、国内の政治体制の改変はその手段にしか過ぎなかった。しかし今の日本に帝国主義的な野心があるはずもなく、またそんなことを許すほど現在の日本の民主主義は脆弱でもない。
こういう現実があるにも拘わらず、なぜ維新をこれらに結び付けなければならないのかが問題である。ここには、国民をして、維新を悪玉、そして既成政党の側を善玉と言うイメージを抱かせたいという意図、それも悪意が働いている。
谷垣氏は、維新を戦前の軍部だとか、ヒトラーのナチスだとか直接的に言っているわけではないが、そういう「現象がある」と言っているのだから、間接的にはそう言っていることになる。たとえば、ヒトラーのナチスを考えてみたい。もし維新が、人種差別主義を唱え、極端で偏狭なナショナリズムを煽り、国家社会主義を唱え、SS秘密警察を組織して国民の思想を統制し、デマゴギーによって国民を煽動し、侵略のための軍事力を強化したりしているのであれば、このようなたとえも許されるだろう。しかしこのような事実は何もない。橋下維新は、法と常識的社会規範にもとづいて、極めて全うな政治活動をしているだけである。だから、谷垣氏の事実無根の発言は実質的な名誉毀損にあたると言えなくもないだろう。

<この発言は、国民を蔑視し、愚弄するものであり、さらに間接的にではあるが近隣諸国の「反日」政策の手助けを行うものでもある>
この発言は、現在の国民は「戦前の軍部に踊らされた国民」や「ヒトラーのナチスに踊らされたドイツ国民」と同じ状況にあると言っているわけであるが、現在の国民はその政治と民主主義の意識において80年前の国民とは違うことは明らかであるし、また政治のシステムも大きく進歩している。これを同列視することは、現在の国民に対する侮辱であり、国民を愚弄するものと言わざるを得ない。
また、自民党という日本の政治を担う政党の一角の党首が、現在の日本が戦前に似た状況にあると主張することは、近隣諸国の「反日」政策に格好な根拠、材料を与えるであろう。現に、中国の軍あたりでは、「日本帝国主義」の復活というようなわけのわからない主張も出ているのである。
日本共産党あたりがこういうことを言うのであればともかくも、自民党の総裁がこれでは、日本は救われない。谷垣氏に言いたい。戦前の軍部やヒトラーのドイツを言うのであれば、それは中国や韓国、ロシア、そしてもちろん北朝鮮にこそふさわしいだろうということである。これらの国は、デマゴギーによって偏狭なナショナリズムと「反日」を煽り、民主主義を弾圧している国である。特に最近の中国は、海洋覇権樹立と領海の拡大を狙っており、150年遅れでの「帝国主義」政策を推進している。橋下維新をどうこう言う暇があったら、中国に対して「戦前の軍部」、「ヒトラーのナチス」と言ってもらいたい。いま日本は、これらの国から領土、主権を著しく侵害されつつあるが、谷垣総裁から明確な抗議、批判といったものはついぞ聞いたことがない。緊迫する外交・安保の問題を一体どうするつもりか。しかもあろうことか、彼らに「塩を送る」とは! 谷垣総裁は、今回の発言のような考えを持って、日本をまだ戦争を十分には反省していない国と規定して、これからも「土下座外交」を継続するつもりなのか!

<谷垣氏の発言には具体的な内容がない。一体全体何を言いたいのかが全くわからない。相も変わらぬ「玉虫色」発言だ!>
「既成政党に期待しても無理との気分があるから」とは一体何を言いたいのか。「既成政党がダメ」と言っているのか、それとも「既成政党は正しいのであるが、国民がだまされて誤解している」と言いたいのか? 全く不明確である。「既成政党や議会政治では物事を処理できないと多くの国民が思った」というのも同様である。「議会政治家」はしっかりしなければならないと言うが、それは誰のことか。「民主党」のことかそれとも「自民党」のことか? なぜ「自民党」と言わないのか。これでは、問題は民主党や他の野党、そして自民党の議員、つまり全員ということになってしまうが、これは既成政党全体に連帯を呼びかけているということである。日本の危機的状況に対しては、何の連帯も呼びかけずに、対維新では連帯を呼びかけるというのは全く奇妙なことである。「国民の批判を受け止めなければいけない」ということの意味も不明である。「考えを変えてこれからは維新のようなやり方をしなければならない」ということか、それとも、「維新のもの以上によい政策を作り、維新以上に行動する」ということか、それとも、自分達には力がないのだから、「批判の嵐が過ぎるまでじっと耐え忍んでいこう」ということか。
こんなことはいちいち説明するまでもなく明らかなことではないかと言われるかもしれないが、これまでの谷垣氏の言動、そして自民党のやってきたことを見ると、曖昧かつ矛盾だらけで、本当に何を言おうとしているのか、何をやろうとしているのか、誰にもわからないだろう。自民党の議員ですらわからないだろう。おそらく国民の多くもそう思っているはずであり、だからこそ、自民党に愛想を尽かしたはずである

<谷垣自民党は、維新について悪いイメージを国民に植え付けて、維新の躍進を押さえ込もうというような姑息、卑屈なことを考えず、政策で正々堂々と勝負すべきである>
維新のマニフェストはまだ不十分なものであり、具体化が急がれるところ、あるいは再検討が必要なところも少なくないように思う。しかしながら、これまでタブー視されていた憲法問題や、教育問題、公務員の削減、そしてもちろん大阪都構想など、さまざまな点で具体的政策を明らかにし、その実現に向けて果敢に行動し、それなりに成果を上げてきている。
これに対して自民党はどうか。自民党の政策は書き物としては幅広い問題に渡ってはいるが、概ね抽象的、曖昧、玉虫色のものであり、そこには断固としたやる気が見られない。維新のものを超えているどころか、そのレベルにも達していないように思える。このように、自分達が必要な政策を作りそれを断固として実行することもせずして、いきなり何の関係もない軍部だとかナチスだのヒトラーだというような議論を持ち出すことは、全く無責任な態度と言わざるを得ない。

<谷垣発言は、維新に対抗するための「改革抵抗勢力」作り、「無為無策政党連合」結成の呼びかけだ!>
自分たちの主張は言わず、また政治や日本の改革のために何もしないでおいて、日本のために頑張ろうとする人たち、頑張っている人たちを、「ファシズム」勢力呼ばわりすること、これは何を意味するだろうか。彼の主張は結局のところ、さまざまな問題を解決するために、国民に訴え、その協力を得て、どんどん政治の改革を行い、国のシステムの改革を行うことは、「ファシズムだ」と言うことである。彼にとっては、政治が民主主義的手続きによって国民と一体化することは、「政治の暴走」であり、「国民がだまされている」ことになるのである。
しかしながら維新の活動が「ファシズム」を招くことになるのなら、政治に出来ることとして何が残されると言うのだろうか。維新の活動を排除して一体何が政治だと言うのか。この論理的、必然的結論として、谷垣氏の考えは、「何も国民に訴えず、国民の団結した協力も得ることなく、そして自分たち政治家も何もしない、その上で自然に得られたものを受け入れる、これが正しい政治だ」と言うようなばかげたことになる。
維新を「ファシズム」勢力呼ばわりして、国民の不安を掻き立てることにより、無為無策の自分達を国民の批判から遠ざけようとする谷垣氏の発言は、結局、自分達が安逸な政党活動、議員活動をこれまで通り続けたいということでしかない。そしてこれは、政治と日本を改革しようとする維新に対抗するためには、民主党であろうと、社民党であろうと、共産党であろうと、たとえ野合と言われようとも、連合し共闘していくということの意思表明ではないか。現に、昨年の大阪のダブル選では、部分的なものであるとは言えこの図式が出来上がったのである。谷垣発言は、ここまで述べてきたようなこと以外に解釈の仕様がないのであるが、もし、これは誤りであるというなら、どこがどう違うのかを明確に言ってもらいたい。

<自民党には責任政党としての責任がある。それを全く自覚していない総裁は、直ちに交代すべきだ>
谷垣氏はかりそめにも、たとえ今は下野しているとは言え60年以上にもわたって日本を主導してきた自民党の党首である。その自民党が、そのあまりの体たらくゆえに、前回選挙で惨敗して今は野党に転落しているのであるから、谷垣氏の責務は、自民党をしっかりした政党に建て直し、ふたたび政権に復帰して、沈没しかけている日本を危機から救い出すことにあったはずである。そして、これによって日本は、再び活力ある国に復帰できるはずである。これが本来の自民党のあるべき姿であり、日本の姿であるだろう。
民主党政権、特に鳩山、菅の二代の内閣は、史上最低、最悪と言われるがごとくにひどいものであった。これら民主党政権に伴う諸々の責任は民主党がとるべきであるが、だからと言って、自民党の大きな責任(期待)が免責、免罪されるということにはならない。というのは、現在の状況は、政治と日本の改革が一日遅れればそれだけで大きな損失、被害となり、まさに一日を争うような重大な局面にあるからである。だから、自民党がもっとしっかりしてくれれば、それだけ日本は救われるのであるが、残念ながらそうはなっていない。民主と自民との「ダメ比べ」状態で、自民党は民主を上回るダメさ加減であると国民に判定されている。自民党は、民主党以上の働きが出来ないことを恥じ、反省すべきなのである。

自民党が本来の働きが出来ていないことに、谷垣総裁は大きな責任を感じてもらわなければならない。しかしながら、今回の発言でもわかるように、谷垣総裁は現在の政治状況を他人事として見ているだけで自分たち自民党の問題としては捉えてないようである。このような能天気な傾向は、これまでもそうであったし、これからも変わりそうもない。小沢氏のように、日本の政治と国に諸々の害悪を撒き散らす政治家は大きな問題であるが、しかしそれと同様に、やるべきことを何もしない政治家も負けず劣らず問題であると言わざるを得ない。谷垣氏は小沢氏を「民主党の宿痾」と呼んだが、「改革恐怖症」、「改革抵抗志向」の谷垣氏も、「自民党の宿痾」と言わざるを得ないだろう。このような人が総裁では自民党の未来はない。我々は自民党にはまだ期待しているのであり、自民党は国民の期待に応えるために、直ちに谷垣氏の交代を図り、新たな体制のもとで、少なくとも維新と対等に勝負ができるようになってほしい。今のままでは、自民党は、維新に完全に撃破され飲み込まれてしまうだろう。

【関係記事】_3月18日 産経_
■「ヒトラーが出てきた時もそういう雰囲気だったのだろう」 谷垣氏が橋下氏の大阪維新めぐり警鐘
 自民党の谷垣禎一総裁は18日、橋下徹大阪市長率いる「大阪維新の会」の国政進出に期待が高まる政治状況について、戦前に日本軍部やヒトラー、ムソリーニが台頭した際を想起させるとの観点から警鐘を鳴らした。
 京都府内で講演し「政党政治が駄目だということで昭和10年代に日本で軍部が出てきた。ヒトラー、ムソリーニが出てきた時もそういう雰囲気だったのだろう」と述べた。
 谷垣氏は、維新の会について「(事実上の次期衆院選公約である)維新八策はいろいろ問題点があり、方向性が明らかな政党になるかは未知数だ」と指摘した。同時に「既成政党に期待しても無理との気分があるから、第三極が期待を集めている」と分析。「軍部やヒトラーらが出てきたのは、既成政党や議会政治では物事を処理できないと多くの国民が思った時だった。議会政治家はそれを十分に意識し、国民の批判を受け止めなければいけない」と力説した。


「郵政民営化」の後退を許すな! 消費税上げより重要だ! 郵政が足腰立たなくなってはもう遅い! 

2012-03-17 22:13:00 | 政治
亀井国民新党が、何度も国会での可決を目論んでいた「郵政改革法案(実は、「改革」ではなく「改悪」ないしは「郵政国営化」法案である)」が、自民党の抵抗でなかなか審議に入れず、ついに公明党の「現状の民営化法の「見直し」案」で、妥協せざるを得ないところまで追い詰められた。そして、民主、国民新、公明三党の間で大枠の合意に至った。焦点の自民党であるが、これも例によってなかなか党内意見がまとまらず、このたびようやく玉虫色の意見集約にまで漕ぎ着けた。しかし、具体的な内容はこれからの話しに持ち越されている。この間の経緯とあるべき姿については、下記関係記事_1、_2の産経記事を参照願いたい。
いま最大の議論になっていることは、郵貯と簡保の政府保有株の問題である。民営化された現在の法律では、この二者の株は、現在の100%の政府保有されている株式を、2017年までに完全売却し、政府出資をゼロにして完全民営化に移行することになっている。これに対する国民新の案では、郵貯と簡保の政府保有を「三分の一以上」として、この二者に対する政府の影響力を残す、つまり半国営とするということである。公明の妥協案は、「出来るだけ売却する」というあいまいなもの、しかし完全売却の余地を残すものである。これに対する今回の自民党案では「全株処分方針を明記する一方で、経営側の裁量権も容認する両論併記」という玉虫色の、決着とも言えない決着になっている。

平成19年(2007年)の日本郵政グループ発足(民営化)の後に、簡易郵便局の一時閉鎖局が増加したことや、分社化によって利便性が低下したことなどが、民営化の負の側面として問題視された。こうした問題に対する対策立案、法律の整備が必要なことは当然である。しかし、だからといって民営化の本旨、目的が、つまり「先細りが懸念される郵政事業を民営化し、新規事業への参入を可能とすることで、国民の利便性を高めると同時に、収益力を向上させ、郵政事業が自立できるようにし、「第二の国鉄」、「JAL」となる事態を回避する」ことが損なわれることがあってはならない。今日本の置かれている状況は、「郵政民営化総選挙」が行われた2005年の状況からも、はるかに厳しい財政・経済の状態にある。「郵政民営化」の必要性はかつてよりも強まっている。本ブログは、これまでもたびたび議論されてきたことの繰り返しになる面もあるが、今一度、この問題の重要性を振り返り、我々国民がこの問題をどうとらえるのがよいかを考えたいと思うものである。

<いわゆる古典的郵便事業はその歴史的使命を終えている! 郵便局は新たな事業モデルを持って再出発を!>
大辞泉によれば「郵政」とは、「郵便に関する行政」であり、「郵便」とは、「書状・はがきや荷物などを宛先の人に送り届ける通信事業。日本の郵便制度は前島密により、明治4年(1871)発足。官営事業から平成15年(2003)日本郵政公社として公社化され、同19年(2007)郵政民営化により、日本郵政グループへと引き継がれた。」とある。
郵政ないしは郵便業務はこれだけのことであるのに、これまでは銀行、保険というまったく分野の違う業務までも含んでいた。これは、地域住民の利便を計る措置であり、歴史的にはそれなりの役割も果たしてきた。しかしながら現在では、電話、インターネット、メール、宅配便が発展し、古典的な郵便事業の大部分は、これらによって置き換え可能なものとなっている。それでもまだ、なにがしかの郵便物の配達は必要であるだろう。しかし、それらは何も(準)国営企業、(準)公務員が行わなければならない理由はなく、民間の業務とすることが出来る。また、銀行、保険業務は、もともと郵便とは直接の関係はないものであるし、多くの民間企業が手がけているのであるから、ことさらに国営郵便局が行うべきものでもない。結局、古典的意味での郵政、郵便は、その内容において歴史的使命を終えている。
他方、日本郵政の従業員は非正規も含めて22万人とも言われている。これをそのままにしておけば、先細り確実な郵政事業なのであるから、将来は経営が悪化すること必定、すなわち、第二の「国鉄」、「JAL」化することは必至である。結局税金の投入が必要となってしまう。そうでなくても財政が逼迫している日本であるから、これは大変なことになる。郵政が第二の「JAL」化すれば、国民の税金の無駄使い(投入)はJALどころの話ではなくなる。こうならないように、まだ郵政に体力、活力があるうちに、郵便事業の新たな展開と自立化を行っておかなければならないのである。
少し話がそれるが、日本は、少子高齢化の荒波の中で、新たな国づくりを目指さなければならない。そのためには、高齢者といえども健康な人は、それなりに働いて自立し、社会的役割を担っていく必要があるだろう。早くからそのための準備をしておくこと、そして彼らの自立的活動を支援する社会システムの構築が必要となる。こうしてこそ、高齢者も社会的な価値生産の活動に参加することができ、生きがいの持てる活力ある社会が実現されるだろう。郵政事業についても、まったく同じことが言える。それゆえ、先細りが確実な郵政事業を、現時点で完全に民営化し、新規事業への参入を可能とし、国民の利便性を高めると同時に、収益力を向上させ、自立が出来る郵政に変えなければならないのである。

<「郵政民営化」は、財政再建、経済活性化の重要な一環であり、この潜在的、間接的、総合的効果は消費増税5%よりも大きいだろう>
「郵便局では、郵便配達をしているだけではなく、「郵便貯金」という銀行業務、「簡易保険」という保険業務を行い、全国の郵便局には、合計350兆円もが集まっていた。郵便局からこのお金が日本国に貸し出され、日本国はこれらを日本道路公団や住宅金融公庫などの特殊法人へ貸し出す原資とした。貸し出された側では郵便局に集まるお金をあてにできたため、費用対効果をあまり省みないで活動ができた。そのため赤字の道路が作られるような状況が生まれた。そこで、郵便局が扱うお金を国が利用するしくみはやめ、特殊法人はできるだけ民間会社として自ら資金調達し収益を上げる。郵便局の仕事自体も民間の仕事とし、郵便局が銀行業務や保険業務として扱うお金は自らで収益を上げるようにする。」<ウイキペディア>
かつてほどではないにせよ郵政には今でも200兆円を超える郵政マネー(国民からの預託金)があるのだから、それをもっと有効活用できる道が開ける。この金はこれまで国に貸し出され、必要もない空港、港、高速道路づくりなどにまわされ、バラ撒きを発生させる要因となってきた。こういう「死に金」どころか、「バラ撒き」という害悪を撒き散らす金の使い方を改め、この金を市場に流せば日本の経済の活性化にも役立つのである。郵政民営化は、一石二鳥ならぬ、まさに「一石三鳥、四鳥」の妙策と言える。
ところが、政権交代に伴い、国民新党が主導しそれに民主党が乗りかかる形で、民営化にブレーキをかけ、逆に半国営に戻そうとしている。民主党のマニフェストにあった「天下りは廃止」に背いて、民間企業の経験が圧倒的に不足している元財務官僚の斉藤氏を天下りで社長につけ、半国営としての経営体制が整えられた。このように、現在の法律の内容と全く逆行することが行なわれた結果、日本郵政は政府の混迷に翻弄され、主体的な経営活動が出来ない状態に置かれている。経済の低迷も加わり、日本郵政の経営状態は次第に悪化している。もはや、民営化は猶予のならない問題となっている。

<国民への郵政サービスの提供は、「民営化」の大前提>
それなのに、なぜこの民営化がスムーズに進まないかと言えば、主たる理由は二つあるだろう。一つは言うまでもなく、過疎地域など郵便局以外では、郵便、銀行、保険などの十分なサービスが得られない地域があるが、民営化による経済効率追求の運営の余波で、こうした地域のサービスが切り捨てられるのではないかという危惧があることである。つまり、郵政経営の効率化と、地域サービスをどう両立させるかという問題がスッキリ決着していないと言うことである。これは、これまでもさまざまに議論されてきたことであるが、委託郵便局をつくるとか、コンビニに委託するとか、移動郵便局をつくるとか、やり方はさまざまにあるので、工夫によって解決できる問題である。2007年の郵政の民営化以降、利便性に関する問題が報告されているようであるが、移行期にはなにがしかの不備が生じ易いので、これをもって民営化の是非を言うことはできない。重要なことは、それを郵政と地域の知恵で克服していくことが求められる。これからの日本では、このことは何も郵政のサービスだけではなく、医療や介護、教育など、あらゆる分野で考え実行されなければならないことである。実際に、地方自治体と一体になった取り組みなども行われてそれなりの成果を上げているようであり、工夫を重ねていけば必ず解決できるし、またそうするしかない問題であるだろう。

<私利私欲のために選挙の票と利権とをむさぼろうとする勢力の抵抗を許すな!彼らは、日本と国民にたかるシロアリでしかない!>
二つ目の理由が大きな問題である。それは、郵政関係の票を獲得しようとする各党の思惑、そして郵政と結び付いた古い利権構造をそのまま温存させて私利私欲をむさぼろうとする勢力が「完全民営化」に抵抗しているということである。これには、いわゆる郵政族議員、国民新党の支持基盤である全国郵便局長会、そしてそのOB達、民主党の支持基盤である郵政系の労働組合、そして旧郵政省の官僚らに連なる人たちが含まれる。彼らは、「地域住民の利便性」を錦の御旗に掲げて、一部の問題にしか過ぎないことを針小棒大に取り上げ「ためにする」反対を行って、郵政を国の管轄から手放すまいとしているということである。彼らは郵政マネーと日本郵政を私物化して、利権あさりをしようとする人たちなのである。
これらの抵抗勢力の代表が亀井氏の国民新党であり、組合に支持基盤を持つ民主党の一部であり、それに連なる各党議員達である。一体に、亀井氏は、小沢氏と同様に30から40年ぐらい前の「金満日本」のイメージを捨てきれない人、それをもって、行動している人であり、何かにつけて、大盤振る舞いのバラ撒き政策を行ってきたし、まだ性懲りも無くそれをやろうとしている人である。いわば旧式の人なのである。彼の選挙地盤には、田中角栄氏ほどではないにせよ、「こんなこところに、なぜこんなものが」と思わせるようなものが多数作られている。彼にとって、政治、政策とはバラ撒きのことであるので、こんな人に、日本の将来などについての考えがあるはずもない。
亀井氏は、民主党政権が発足してから、郵政の非正規雇用者のなかの10万人を、正規雇用にするという政策をぶち上げた。さすがにそこまではいかなかったものの、実際に8千人程度を正規社員に引き上げている。これによって、日本郵政の支出は年間約200億円程度上昇するが、すなわちまだ100%政府持ち株のもとではこれは税金の無駄遣いとなるが、そんなことにはお構いなしである。彼は現在の日本が必要としていることの正反対のことを進める人なのである。
そもそも、民主党のマニフェストでは、公務員人件費2割削減が謳われていたのだから、亀井氏のやっていることは民主党のマニフェストとも矛盾するのであるが、両党ともにそんなことにはおかまいなしに連立している。結局彼らにとっての関心事は、日本の未来や、政治がなすべきことにはなく、いかに支持者の利益を図り、選挙の票を増やすかということだけにしかない。その証拠には、亀井氏は何かにつけて菅首相、野田首相に反対しつつも、利権のある連立を離れようとしない。そして他方では、政策が合わないにも関わらず、石原東京都知事の人気だけを利用して、新たな政党づくりをやろうとしている。彼にとっては、政策よりも票であり、彼はそのためには何でもやるという無節操な人なのである。これは小沢元民主党代表と全く同じ性向である。この種の人たちには一日も早く政治から退場してもらわねばならない。

<自民党および党内改革派は、そして野田首相は、数少ない改革のテコである「郵政民営化」をもっと活用すべく頑張って欲しい>
<議員は、政策の徹底研究を! しっかりした政策を持てば、必ず票につながるだろう>
議員の中には「利便性」の問題を考えた末の「民営化」反対、つまり善意の反対の人たちもいるはずであるが、そういう人たちにはもう一歩も二歩も突っ込んでこの問題を考えてもらいたい。もはや日本の状況は、単に「利便性」を追及するだけではすまない状況にまで追い詰められているのであり、昔のように選挙区の住民の希望を国会に伝えるだけ、というような単純な形の政治は成り立たない。郵政事業についての(無作為による)破綻のツケを国民に回さないための方策づくり、郵政民営化をテコとした経済活性化などを同時にやらなければならない状況にある。それをどうやって実現するかが現代の政治化の腕の見せどころである。
今回の自民党の決定?は、ギリギリのところでなんとか「(完全)民営化」の体裁だけは取り繕い、責任政党としての対面は保った形である。しかし、重要なことは実際に民営化が進むこと、つまり郵政各社が本当の意味で自立し、また利便性が損なわれないようにすることである。そのためには、方策を具体的に立てて実行することである。
民営化推進派と慎重・反対派が、いつもながらの同じ主張を繰り返し、衝突するというパターンをやめて、どうすれば過疎地域の利便性が確保できるのかを徹底的に考え、検討して欲しい。この意味では、「ユニバーサル(全国一律)サービス」という概念は、あまりにも大雑把過ぎるのではないかと思う。これまでの日本は、なんでもかんでも「全国一律」であった。空港、港、高速道路、新幹線、大学…、その結果、不要なもの、効果がないものまで一律に作ることになり、今では使われずに却って赤字のタレ流し要因になっているものが少なくない。こういう全国一律バラ撒きが出来たのも、郵政が国営、ないしは半国営であったためである。今やこういう発想、やり方は大転換され、個別に、地域地域で最もふさわしい形態のサービスが出来るようにすべきである。そのためには、地方自治の改革、過疎地域の農業に対する政策の転換も同時に考える必要がある。この「利便性低下」問題の対策さえできれば、郵政完全民営化の障害は何もなくなるはずである。
自民党そして自民党内の改革派は、郵政民営化の成功のためにさらに踏ん張って欲しい。また野田首相も、消費税5%上げのようなことだけに目を向けるのではなく、この郵政民営化についても目を向けて、民主党を正しい方向に引っ張って欲しい。

【関係記事_1】_3月16日産経_
■自民、郵政見直し方針盛り込み了承 玉虫色決着…公明との協議困難に
 自民党は16日、党本部で総務会を開き、民営化された郵政事業の見直しを盛り込んだ基本方針を了承した。焦点のゆうちょ銀行、かんぽ生命の金融2社株売却については、全株処分方針を明記する一方で、経営側の裁量権も容認する両論併記とした。党執行部は、郵政民営化法改正案の国会提出を目指す公明党との協議に入りたい考えだが、玉虫色の決着に今度は公明党との間に亀裂が入ることになりかねない。(小島優)
 郵政事業に関するプロジェクトチーム(座長・林芳正政調会長代理)で決めた原案では郵政民営化を「一歩も後退させない」となっていたが、基本方針では「堅持する」と変更した。
金融2社の株式売却については「全株処分の方針」と明記しつつも、全国一律サービスを提供するための担保として「売却期限の延期や金融2社の株式売却に関する裁量権などの法的規定の検討」を盛り込んだ。
 さらに、デフレ下での株価の低落傾向を踏まえ「(株の)持ち合いや信託など株価対策を講ずる必要性を検討」として売却に当たって柔軟性を持たせた。
2社株の売却を「譲れない一線」とした原案のくだりを削除するなど、民営化慎重派により配慮した。
このため総務会では民営化推進派から異論が噴出。「民主党と一緒に民営化の旗を降ろせば自民党は消滅の道をたどる」(中川秀直元官房長官)。「国民との約束を党として守れなければ、自民党は国民から信頼されない」(菅義偉元総務相)と、無条件での金融2社株の売却を迫った。
 結局、両論併記で民営化推進派と慎重派双方に配慮して決着した。
 ただ公明党は、自民党の態度があいまいな場合は単独で改正案を提出する姿勢を崩していない。井上義久幹事長は16日の記者会見で「早期に合意できるようであれば一緒に提出したい」と述べ、共同提出をしたいとの意向を示したが、単独提出の場合でも、その後の修正協議で歩み寄ることはできるとの認識を示した。・・・・・・><略>

【関係記事_2】 _3月17日 産経社説 _
■【主張】郵政改革妥協案 民営化放棄は許されない
 郵政改革をめぐる公明党の妥協案に自民党も協議に応じることになり、実現の方向となった。
郵政改革は郵貯などが集めた資金を使った特殊法人など非効率な官業を見直し、資金の流れを官から民へと変えることを根本理念としていた。
 それなのに、公明党案はあいまいな表現でぼかしてはいるが、完全民営化を放棄することに変わりなく、今後も政府の関与が残る。これでは改革が目指してきた目的に逆行するもので、極めて問題が多いと指摘せざるを得ない。
公明党案は現在の郵政5社体制を3社に再編する政府・与党案を取り下げ、郵便事業会社と窓口会社を統合して4社に再編する。その上で日本郵政に対する政府出資を残したまま、ゆうちょ銀行などの金融子会社株を「できる限り多く処分する」という内容だ。
 小泉純一郎内閣が進めた郵政民営化では、金融子会社株は民営化後10年ですべて売却する方針だった。ところが、これを凍結した現在の政府・与党案は日本郵政が金融子会社株の3分の1超を保有し続けるとしている。公明党案はいわば「間を取った」といえる。
しかし、暗黙の「政府保証」を残す形で郵貯や簡保が業務を拡大すれば、再び民業を圧迫しかねない。保険市場の開放などを求める海外からも批判を浴びるのは避けられない。このままでは、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)への日本の参加にも影響が出かねないことを認識すべきだ。
 公明党は金融子会社株を一部売却し、東日本大震災の復興費用に充てることを目指しているが、総選挙をにらんで全国郵便局長会の協力を引き出す狙いも指摘されている。自民党も、選挙協力をにらんで公明党との協調を維持したい思惑があるようだ。
だが、そうした思惑から、「郵政解散」によって国民に信を問うた民営化方針を転換させるのは筋が違う。かえって政治の信頼を失うことにならないか。
 一方で郵便需要落ち込みなどで経営が悪化している郵便事業の立て直しは待ったなしだ。民営化路線の凍結が続けば劣化は進むばかりだ。郵便会社と窓口会社を統合して再建を目指すなど、公明党案には与野党が協議すべき提案も含まれている。与野党には国民にツケを回さぬように実効性ある改革案をとりまとめる責務がある。