もとなりくんの「今週の政治 ‘とんでも’」

日本の経済、安保危機を打開する力は、国民の結束と強い政治しかない

「慰安婦」協議 原則外れた妥結許されぬ_ これは韓国の問題、彼ら自身が解決すべき問題なのだ!

2015-12-26 21:22:29 | 政治
2015年12月26日
 岸田外相が年末に韓国を訪問し、尹外相との会談で慰安婦問題の妥結を探ることになった。会談がうまく行けばよいが、状況はそんなにあまくないだろう。日韓のいずれの政府、メディアが結果に大きな期待を寄せていないのは幸いだ。期待が大きい中でうまく行かなければ、日韓関係に新たな摩擦を引き起こすことになるので、そんな会談はしない方がましだ。今回は、宝くじを買ったようなもので、当たらないとしても、残念だがまあこんなものだろうという話だ。とは言え、万が一のこともあるので、一応原則的なことを確認しておきたい。それは、日本の側から韓国に決着を懇願するとか、大幅譲歩をしてでも、決着を目指さなければならないものではないということである。というのも、解決に越したことはないが、たとえ解決しないとしても韓国が困るだけであり、日本はさほど困らないからである。その根拠は次の通り。
第一に、この問題の実態も本質もよくわからなかった25年前ならともかくも、現在では「慰安婦」問題の実態と本質がはっきりわかっている。長きにわたった苦しい議論、調査、研究、運動の中で、「慰安婦」とは職業人としての売春婦以上のものではないことがはっきりした。それが朝日の誤報と、日本の左翼と韓国・北の謀略などで「強制連行され性奴隷」にされた無垢の女性ということに捏造されたのである。つまり日本は加害者であるどころか、むしろこの捏造の被害者だったのだ。
第二に、それゆえ朝鮮半島での慰安婦募集に強制性はなく、また日韓の賠償問題は1965年の日韓請求権協定で「完全かつ最終的に解決済み」ということだ。韓国政府は、慰安婦問題を反人道的な不法行為と位置付け、日韓請求権協定の対象外だとして、日本側の責任の認定と賠償を求めてきた。しかし、非人道的行為はなかったし、協定の対象外でもない。自分たちで「すべて決着」を認めておきながら、あとになって「すべてではない」などと言うのは、まともな人間が言うことではない。それゆえ韓国側が求めるような、日本政府の法的責任を認めることはできず、補償金の支払いにも応じる必要はない。
第三に、確かに現在の国際社会の中におけるこの問題での日本の立場は劣勢であるが、それは韓国と日本の一部勢力が捏造した情報を一方的に世界に喧伝したからであり、日本が正しい情報をほとんど発信できていないからである。しかし、本当のことが明らかになった現在、日本からの発信は強まりつつあり、国際社会の認識も徐々に変わりつつある。これをもっと強く推進すれば、(意図的に虚偽を信じようとする人を除いて)世界の誤解のほとんどは解くことができるはずである。つまり、韓国の不当さが明らかとなる。
第四に、安倍政権の安保、外交、経済政策の正しさが国内外からの支持を強めていることである。これによって、韓国(そして中国)の国際的孤立化が進んでいる。今では米国は「積極的平和主義」の日本に信頼を置き、野蛮な中国へ傾斜する韓国に不信感を強めている。「慰安婦」問題のような(世界的問題から見れば)マイナーで自己中なことに固執する韓国への風当りは強まるばかりである。また、韓国経済は完全に壁に突き当たっており、このままでは、「中所得国の罠」にはまり、じりじりと後退するだけとなっている。韓国は、この苦境を脱する一つの突破口として日本との「友好・協力」に期待している。これは、日本からの一方的資金、経済、技術支援のことでしかないから、日本には迷惑千万な話である。それゆえ、慰安婦問題が決着せず、「友好・協力」が進まなくても特に困ることはない。
第五に、産経新聞加藤前ソウル支局長に無罪判決が出たこと、日韓請求権協定の違憲性訴訟において韓国憲法裁が告訴を却下したことなどをもって「韓国が日韓関係を前進させようとしているメッセージだ」とする人がいるが、これは歓迎すべきことではあっても、これをもって日本が譲歩する理由にはならない。なぜなら、これらは当たり前のことだからだ。たとえてみれば、「お前が俺の言う通りにしなければ、人を殺してやる、死んでやる」などとわけのわからないことを言って凄む人間に恐れおののき、譲歩して彼の要求を聞き入れるわけにはいかない。彼がそういう行為をやめることは歓迎すべきことである。しかし、‘ご褒美に’と言って多額の金品を与えるとか、好き勝手にさせると、彼はこれに味を占めて、またわけのわからないことを言って凄むことを再開するだろう。

以上によって、もし、韓国が「慰安婦」問題の本当の解決を望むのであれば、自分たちで責任を持ってこの問題に取り組み、その決意と自分たちがやろうとしていることを日本に伝え、協力と支援を仰ぐべきものである。それは次のようなことであり、この点が正にこれからの協議のポイントだろう。―― の後ろの文は筆者コメント。
>「日本政府は、28日にも開かれる日韓外相会談で、慰安婦問題に関する合意文書に最終的な決着であることを明記するよう韓国側に求める方針を固めた。韓国側が要求を受け入れれば、元慰安婦への人道的支援を行う新たな基金を創設する方向だ。」(25日 読売)。
>「旧日本軍の従軍慰安婦問題で日韓が妥結した場合、ソウルの日本大使館前に設置された被害女性を象徴する少女像を別の場所に移転することを韓国政府が検討していることが26日分かった。…略… 韓国政府は、朴槿恵大統領が第三国の首脳と会談する際に慰安婦問題を取り上げることを含め、他国での日本非難活動を日本の要求通り自制することも検討している。ただ、少女像を設置した元慰安婦の支援団体「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」に、韓国政府の説得が通じるかどうかは不透明だ。」(26日 共同)。
―― 日本大使館前の慰安婦像は、道路交通法違反、国際条約違反なのだから、撤去は当然。慰安婦問題を「決着」させたのちにも、まだ四の五の言って回るというのでは決着とは言えないから、「告げ口外交」を止めるのも当然のことだ。これらは日本が有難がるようなものではない。
>「これ(慰安婦の強制連行)問題と関連して共同通信は25日、「岸田文雄外相は今回の会談で慰安婦(連行)に強制性はなかったという確認を求める姿勢なので、(韓国側の)反発を買う可能性もある」と報道した。日本が実際にそのように出てくれば、今回の会談は決裂する可能性が高い。韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)などの慰安婦関連団体は河野談話でも不十分だとし、首相の謝罪の手紙などに「日本政府が計画的・強制的に慰安婦を連行した」という表現も入れるべきだと主張している。日本との交渉よりも、これらの団体の説得の方に手を焼いている韓国政府としては、慰安婦強制連行について譲歩する余地がない。」(26日 朝鮮日報)。
―― 「強制連行」が無かったことはもう‘事実’といってよいことだから、この要求は当然のことだ。これで決裂するのなら止むを得ないだろう。「挺対協」は、北および韓国国内の左派と結びついて、「慰安婦問題」をできるだけ大きな問題にして韓国を混乱させ、日韓米の連携を分断させようとしている組織である。こんなものを「元慰安婦の声」、「国民の声」として扱っている限り問題は絶対に解決するはずがない。朴政権以後の韓国政府も含めて、「挺対協」は、韓国政府が責任を持って説得するとの確約が絶対必要である。
>「岸田氏は会談で、慰安婦問題の最終的な決着を確約するよう求める。米政府が日韓の妥結を評価する声明を出すなどして、国際的に決着したことを確認する案が出ている。」(26日 読売)。
―― 米政府が合意を評価すれば、米国内の慰安婦像設置運動、反日運動にかなりの牽制になるから悪くない案ではある。しかし、米国各地に広がっている誤解を解く運動の障害にならないようにしておく必要はある。
結論として、妥結に当たっては、以上の日本の要求について合意が得られるかどうかが重要だ。優先すべきは早期決着ではなく確実な解決につながるかどうかだ。もう河野談話のように、妥結ありきの姿勢で協議に臨むことは許されない。

「1億総活躍社会」とは国民が立ち上がることだ! 白け、虚無、根拠なき反発、不信、欺瞞の一掃を!

2015-12-20 21:19:19 | 政治
2015年12月20日
アベノミクスの効果は一進一退であって、今一つ実感がわかない。しかしながら、いわゆる「切れ目のない対応策」を次々と打ち出しているので、その‘本気度、やる気’は感じられる。産経・FNN世論調査(14日 アップ)によれば、安倍内閣の支持率は47.8%で前回より3.6%ポイント上昇、不支持は2ポイント減の41.2%で、支持と不支持の差は1ポイントから6.6ポイントまで広がった。これは安倍首相の経済政策が徐々に支持を増やしていることの表れだろう。しかしながら、経済がなかなか上向かないのと同様に、国民の関心、熱意、やる気といったものも盛り上がりに欠け、どちらかと言えば白け、諦めと虚無感の混じり合った状況にあるようにも思える。そこでこの記事では、「社会の信頼が10%増加すれば成長率が0.8%上昇する」というフランシス福山氏の興味深い説を柱に据えて、これに関連する事柄を述べてみたい。

《国民は白けている、諦めている、すねている? それともほかに何か…?》
ところで、次の質問への国民の回答にはがっかりした。
「Q. 安倍首相は、新たな目玉政策として、「1億総活躍社会」の実現を掲げています。あなたは、この方針を評価しますか、評価しませんか。
評価する 30.2  評価しない 56.7  わからない・どちらともいえない 13.1(%)」。
すべての国民が生き生きと活躍できる社会を作ろうという提案なのだから、これを素直に受け止める限りケチをつけるところはないはずだ。だからこの数字はひどいと言わざるを得ない。まるで他人事のような反応だ。確かに、スローガン乱発気味で、安易な姿勢が反発を買っているという側面、「地方創生」との区別がわかりにくいという側面はある。そして何よりも、これを実現させるのは容易ではないのだから、できもしないことを言うなという反発なのかもしれない。こういう論旨の批判は雑誌記事やメディアの報道でもよく見られる。しかしながら、日本経済の再生を諦めるわけにはいかない。難しいとか易しいとかの問題ではなく、やるしかないのである。だから、この回答結果、数字はかなり的を外し、すねた態度だと言わざるを得ないだろう。
政府による「婚活」支援についても同じようなことが言える。
「Q. 政府は、少子化対策として、いわゆる「婚活」を国の予算で支援しています。あなたは、政府が婚活を支援する必要があると思いますか、思いませんか。
思う 29.5   思わない 66.4   わからない・どちらともいえない 4.1(%)」。
私の身の周りでも結婚していない人がどんどん増えている、そしてその人たちの親は一様に嘆き、心配している。若い人たちは、どうせ年金システムは当てにならないからとして、年金を払わない人が増えている。このまま行けば日本はどうなるのだろうかと思わざるを得ない。嘆いている親たちも支援は不要と思っているのだろうか。自分達でやるから放っておいてくれと言うなら、それを尊重したいものだが、いつまで経っても一向に動き出す気配が見えない。「婚活」の支援といっても、これを利用したい人が利用すればよいのであり強制ではないのだから、なにも「不要」とまで言わなくてもよさそうに思えるのだが…。「結婚や出産は、 個人の選択であり、 政府や社会が介入するべき事柄ではない」とかたくなに思い込んで、そのための反発としか思えない。これは一面の真理ではあるが全てではない。結婚、出産や子育ては個々人のものであると同時に、社会や国のものでもあって、この二つの側面が調整されて決まるものであるはずだ。結婚や育児を個々人のものとして閉じ込めていたら、いつまで経っても、議論は始まらず、結果が出ることもない。
いずれにせよ、上述の調査結果に見られるのは、根拠のない偏った思い込みと、それに伴う感情的反発、そして事柄の実現の困難さに嫌気が差し逃避としての虚無感、白けのようなものではないだろうか。安倍首相は、なんとかして日本経済を活性化し、すべての国民が生き生きと暮らせる社会を作ろうと奮闘しているが、これではなかなか成果に結びつかないだろう。もうそろそろ、政府も国民も本音で行動し、議論し、共通の目標に向かって結束する時期ではなかろうか。

《「人口問題は、国家指導者の第1のアジェンダにならなければいけない」 そしてこれは国民にとっても同様だろう》
民間シンクタンクの日本創成会議の増田寛也議長は、韓国紙・中央日報のインタビューに応じて、次のように述べている(18日 中央日報)。なお、_の後は私のコメントである。
>「人口が減れば納税者や消費者が減り、国際社会での存在感も弱まる。人口は国家と指導者において最も重要な問題だ」。_ その通りと思う。 首相、政府、心あるメディアは毎日のように、「少子化」の問題を取り上げるべきではないだろうか。
>(Q「1億総活躍相」を新設した安倍政権の人口政策を評価するならば)「50年後も1億人を維持するという人口目標を数字で明確に決めたのは良いことだった」_ 完全に同意。これまでの政府は具体的な数字を出さなかったので、すべてが曖昧で、やる気が全く感じられなかった。
>「日本創成会議によれば日本で出産率改善が5年遅れるたびに未来の人口が300万人減ることが明らかになった。対策を早く始めなければ今後の政策効果もどんどん下がる」。
>(Q 国家指導者が政策にどの程度乗り出すべきか)「豊かな想像力と国民を説得する姿勢、粘り強い政策推進力が必要だ。人口減少にともなう危機感を国民と共有してリーダーシップを発揮しながら『説得する姿勢』を持たなければならない。しかし結婚と出産という問題は基本的人権に関する領域であるから国家や行政が軽率に関与してはいけない。国家は出産と育児の障害となる社会的障害要素を積極的に取り除くことに主に力を注がなければならない」_ 「軽率な関与」は排除されるにしても、それなりの配慮と合理性がある関与であれば、どんどん関与すべきと思う。国民の側で文句があるなら、声を上げればよいはずだ。「何もしない」、「何も言わない」という現状が最大の問題であると思うのだが。

《労働生産性、先進7カ国で最低! 「勤勉な日本」がなぜ?!その理由の一つは日本にはびこる「社会不信」だろう》
「日本生産性本部の茂木友三郎会長(キッコーマン名誉会長)は18日、東京都内で会見し、2014年度の物価変動の影響を除いた実質の労働生産性が、前年度比1.6%減となったと発表した。…略… 昨年4月の消費税率引き上げによる物価上昇に対して、生産性改善が進んでいない状況が明らかになった。  また、経済協力開発機構(OECD)加盟国で比較すると、34カ国中21位。この順位は05年から続き、主要先進7カ国としては最も低い状況だ。…略… さらに、産業別で見ると製造業では米国に対し、7割、非製造業では5割の水準にとどまっている。なかでも飲食・宿泊が26.8%、卸売・小売が42.9%となるなど、サービス産業が依然低水準だ。」(18日 産経)。
日本経済は20年にもわたって長く不振であるが、一人一人の生産性が高ければこうはならないはずだ。それにしても米国との差はあまりに大きい! そこで、生産性が低い理由を考えてみると、まず普通の場合は、国民が怠惰で仕事をしないことであるが、日本に限ってこれは考える必要がないだろう。だから、事態は「一生懸命やっているが、なぜか成果が出ない」ということなのだ。そこで次に経済システムが時代に合わなくなっていること、それゆえ社会のイノベーション、構造改革が必要になる。これはアベノミクス第三の矢の話だから、ここでは特に議論しない。もう一つ私が思うには、やる気もあるし、実際よく働いてもいるし、社会のシステムもそんなにひどくはないのに、なんとなく明るく本音で生きられない雰囲気があって、物事がスムーズに進まない状況があるのではないかと思う。その一例は、外国人が日本人を揶揄するときよく言う「稟議」の不能率性である。会議ばかりしていて、いつまで経っても結論が出ない。国会では、「慎重に真偽を尽くす」ということは、長らく「この件は棚上げする」という意味でもあった。相手に配慮した物言いなのだが、これは非常に非能率的なやり方である。個人レベルで言えば、相手に配慮するあまり、不要に遠慮した物言い、おっかなびっくりの物言い、くどくどした説明になって、なかなか本音が伝わらない。相手に配慮するのは日本人の優れた特性ではあるが、現在は少し度が過ぎているのではないだろうか。
そこでこれに関連して以下に、「韓国の先進国入りを妨げる不信の壁」と題された韓国の中央日報コラムの一部を引用してみたい。「世界的学者であるフランシス・フクヤマは彼の著書『トラスト』で、一国家の競争力と繁栄の水準はその社会が持っている信頼の水準によって決定されると主張した。それと共に社会の信頼は個人間の協力を促進させる非公式的な規範の集合で「社会的資本」の役割をすると評価した。このような主張は実際の実証的研究につながり、ある社会の信頼水準が10ポイント増加すれば年平均の成長率が0.8ポイント上昇するという結果も導き出された。 不信が経済に否定的影響を及ぼすのは取引コストを増加させるためだ。社会で構成員間の意見衝突で摩擦が発生するのは日常的なことだ。…略… 社会構成員間の不信が広がれば相互間の異見調整に相対的に多くの時間とコストがかかるだけでなく、迅速な意志決定もなされずに経済発展の困難に陥ることになる。」(11月28日付け中央日報)。
今は、日本社会の各界各層が合理性と公正性の復活を基礎に社会の信頼性の回復と葛藤の克服のための協力に出なければならない時なのではなかろうか。

《「社会不信大国日本」_ 政府は信頼性向上、国民は主体性発揮に向けて、本音で行動を!》
以下は同じく11月28日付け中央日報記事のデータを参考にした。そこで日本における政府の信頼度であるが、OECD34カ国の中では32位の18%という最低レベルにとどまっている(ちなみに韓国は30位の24.8%)。政府信頼度が最も高い国家はスイスで、国民の82.2%が政府を信頼すると答えた。ルクセンブルグ、ノルウェー、スウェーデン…、と続く。OECD全体平均は42.6%で日本よりも大分高い。日本より低い国家はチェコ(17.8%)、ギリシャ(13.6%)に過ぎない。ちなみに、独英仏米などの主要先進国の位置であるが、今年度のデータを見つけられなかったので、2014年5月発表分を参考までに記すと次のようなものだ。5位ドイツ 56%、16位フランス40%、 20位イギリス 38%、21位アメリカ 35%であって、概ね日本より20%程度高い。政府や社会に対する国民の信頼度を示す調査はほかにもあるが、いずれにおいても日本国民が抱いている「不信感」は他の主要先進国に比べて極端に大きい傾向がみられる。私の感覚からすれば、だれもそんなに不信感は持っていないように思えるが、客観的に見ればどうもこういうことらしいから、これはそれなりに受け止める必要あるだろう。これでは社会がスムーズに回らず、経済が停滞しているのも無理はない。
ただ、日本の救いは、若い人が政府を信頼する度合いが高いということだ。OECDは報告書で「若い層ほど未来に対して楽観的な視覚を見せるため、若い層の政府信頼度は高い」と説明している。政府を信頼するというこの年齢帯の回答者はOECD平均47.2%で全体の年齢帯回答者に比べて4.6%ポイントが高かった。日本の若い層の政府信頼度は27.9%で全年齢帯合計18%に比べてずば抜けて(約10%も)高いのである!

さて、それでは我々日本はどうすべきか? 3つの観点から述べてみたい。
一つは、政治家、政権の綱紀粛正をすべきことだ。国際透明性機構(TI)が発表した今年の国別腐敗認識指数(CPI、政治家や公務員の汚職などの程度)で日本は、全体調査対象177カ国中18位(クリーン度)だった(前年は15位)。腐敗の少ない上位国は、デンマーク、ニュージーランド、フィンランド、スウェーデン…となっている。日本の順位は年によって変動あるが大体、英仏米などと同水準である(独は少し順位が高い)。欧米が強国に飛躍できたのは、信頼を基に社会の摩擦・葛藤を発展的に克服しながら経済制度を効率的に運営したためだ。これらの国は透明な意志決定過程で設定された合理的社会制度を、更に透明な過程をもって繰り返し改善した。この過程の中で自然に政治のみならず社会への信頼度をも高めたものと考えられる。日本が北欧のような名実ともに豊かな先進国になることを望むのであれば、あるいは、先進国から脱落することを望まないのであれば、「パンツ泥棒」とか政治資金で「キャバクラ」活動とか、「乱闘国会」とか、「法衣で登院」…、このようなことが話題にならないような政治、政治家であってほしいものだ。そして国会でこのようなくだらない議論をするのはやめるべきだ(法廷で処理すべき)。なお、英仏米と同程度であることは、現在の政治や政治家の免罪符にはならない。これらの国では、政治と政治家は日本よりもかなり高い信頼を国民から得ているのだから。
二つ目は、国民は政治家の一人一人を見極めて最大限の主権を行使する主体性を発揮すべきことだ。国民の政治不信の原因は、クリーンでない政治家がいること、政治家どころか人間としての資質さえ疑うような政治家がいることなどだろう。しかし、それも選挙民が選んだものだから、必ずしも他人事では済まされない。また、政治的クリーンさは政治を機能させるための手段の意味が強いから、クリーンさを絶対的価値とすることはできない。ダーティーは基本的には排除されるべきものだが、これも政治を機能させるには必要になることがある。上述のように日本のクリーン度は主要先進国に比べて、絶望的な「不信」を抱くほどひどいものではない。なのに、「不信」が主要先進国よりも格段に強いというのは、政治に対する理想像があまりに高い、高望みし過ぎているということではないだろうか。見方が観念的ということでもある。少し意地の悪い見方をすれば、政治とは政治家がやるものであり、自分たちは何もできない存在だ。唯一できることは、文句を言うこと、不満を託つことだけであると。もし、こうなら、これは誤解だし、主体性の喪失であると言わざるを得ない。国の主権者は国民なのだし、選挙権を始めとして、政治に参加できることがらは少なくないのだから、もっと積極的に発言し行動すべきだろう。
三つ目は、そもそも日本における「政治理解」そのものが歪んでいるところがあること、そして更に歪めようとする輩がいるので、この点の改善が必要なことである。その最たるものは「政治権力は悪だ」というような見方である。これを正当化するために「国家権力は国民を抑圧する機関である」などという、100年以上も前の説、もうとっくに破綻している説を盛んに吹聴する勢力がいる。権力にこういう側面があることは事実だが、国民が平和で豊かに暮らしていくためになくてはならない調整機関でもあるのだから、権力は善でもある。「1億総活躍社会」に対する低い支持は、「お上のやることはどうせ悪いことに決まっている」、婚活支援にしても「お上が勧めることなのだから、どうせ良い結果は得られない」という、潜在的不信感があるからではなかろうか。しかし、これらは全く根拠のない思い込みだ。問題なのは、このような「権力は悪だ」というような虚偽を、国民に喧伝し、国民の政府や社会に対する不信感を煽ろうとする左派偏向メディアや勢力がいることである。こういう虚偽と欺瞞にあふれた思想に踊らされることなく、何が正しいのか、何をなすべきかを、主体的に、能動的に決めていくことこそが、今まさに国民一人一人に求められていることだろう。

尖閣情報連絡室を対策室に格上げ_ 中国の南シナ海、尖閣そして沖縄への野望阻止へ毅然たる対応を!

2015-12-12 20:11:07 | 政治
2015年12月12日
「政府は11日午前、東シナ海の尖閣諸島(沖縄県石垣市)周辺で中国公船が日本の領海に侵入したことを受け、首相官邸に設置中の「情報連絡室」を「官邸対策室」に格上げしたと発表した。」(11日 産経)。
中国の尖閣領海、領空侵犯は常態化しており、中国機に対する空自のスクランブル発進は過去最多を記録している(今年上半期231回)。尖閣ではいつ不測の武力衝突が発生してもおかしくない状態、潜在的戦闘状態にあると言える。だから政府が情報連絡室を対策室に格上げしたのは当然のことである。これは、緊急、非常事態に適切に対応するためのものであると同時に、「尖閣は日本領」という政府の断固たる姿勢を内外に示し、中国の尖閣への野望を牽制する意味も持つはずである。
更に、次の動きも日本政府の断固たる姿勢を示すものとして注目される。
「訪米中の河井克行首相補佐官は11日、ワシントンでコーカー上院外交委員長(共和党)や上下両院議員らと会談し、中国による南シナ海の人工島の軍事拠点化を止めるためには、米軍の「航行の自由」作戦だけでは不十分との懸念を伝えた。会談後記者団に明らかにした。河井氏は、人工島の周囲に艦船を派遣する米軍の作戦継続を求めた上で、「それだけでは今の軍事化を止めることができない」と指摘。さらに、「南シナ海情勢の悪化は、米国の国家安全保障そのものにも甚大な危機をもたらす」と伝えた。(共同 12日 産経)。
これももっともな意見だ。日本にとって南シナ海問題は、一般論としても見過ごせないばかりか、日本のシーレーンを確保する点でも、尖閣の前段の防衛線としても極めて重要である。ところが日本では、昔ほどではないにしても、まだ少なからぬ国民に「平和ボケ」が残っている。民主党をはじめとして自民党の中でさえ「南シナ海問題は日本とは無関係」(自民野田聖子前総務会長)などとボケたことを言う人がいる。しかし、これは現実を知ろうとしない甘ちゃんか、もしくは他の目的のために知っていてもあえて知らないふりをする虚偽の姿勢に他ならない。中国は、太平洋、インド洋の覇権を得るための手始めとして、南シナ海と東シナ海の両方の覇権獲得を狙っている。しかし東シナ海の方は、日米安保という強固な軍事同盟によってタッグを組んだ自衛隊と世界最強の米軍によって守られているので、直ちには手を出しにくい。これに比べ南シナ海の方は、ASEAN諸国内に温度差があるし、個別の防衛力も弱いし、日米安保のような強力な軍事同盟があるわけではない。そこで貪欲な中国も二正面作戦はさすがに無理と判断して、南シナ海の方からケリをつけて行こうとしている。現状の既成事実化が進めば南シナ海は、完全に中国のものになってしまう、否、もうほとんどそうなっている。そして南シナ海が片付いてしまえば、中国は尖閣を含む東シナ海への攻勢を強めるだろう。軟弱で自国のことしか考えないオバマ政権は、ようやく重い腰を上げて「自由の航行作戦」を始めたが、‘遅い’ことと‘不十分’であることは誰の目にも明らかである。日本政府が、米国に上述のような提言をして尻を叩いたのは当然のことと言える。いずれにしても、日本が少しでも油断したり、手を抜いたりすれば、中国はその隙を突いてくるだろう。

更に問題なのは、中国があの手この手で日本の分断工作を仕掛けていることだ。現在のその最前線が沖縄辺野古基地問題であり、辺野古をめぐる沖縄と政府の対立はついに全面的な法廷闘争へと発展した。中国のこれまでの沖縄工作がいま一定の効果を出しつつあるということだ。一部の沖縄県民、国民、そして政治家は、これを過去にまつわる感情の問題、人権の問題と捉え、沖縄の言い分に耳を傾け、沖縄に‘寄り添った’形での決着を主張している(県外移設?→普天間固定化?!)。こういう側面は考慮する必要があるにせよ、これは、あまりにも問題を矮小化した欺瞞的な捉え方であり、この問題の本質から目を逸らそうとするものだ。辺野古問題の本質は、それが日米の利害と中国の利害がぶつかり合っている最前線になっているということだ。中国の尖閣奪取、アジア支配を許すのかどうか、日本は米国と離れて中国陣営に入るのかどうかという問題なのである。これはあまりにも極端だと考える人もいるかもしれないが、今や事態はここまで来ているということだ。その証拠の一つは、翁長沖縄知事は、中国の尖閣領海侵犯によって、同県の石垣市ほかの漁民が出漁できず多大な損害を被っているにも関わらず、このことを問題視していないことである。県内の漁民や国境近辺の離島民が中国の脅威に震えているのに知事がそれを無視するというのは異常である。また、普天間基地の危険性除去という最も差し迫った重要問題についても、何の当てもない「県外移設」を念仏のように唱えるだけである。更には、9月の国連演説では、沖縄県民を「先住民」とする主張を行い、辺野古問題を沖縄と本土との対立図式で説明したりもした。こんな考えは沖縄県民のほんの一握りの人のものでしかないが、彼は、これを不当に拡大して、世界に広めるという虚言を弄したのだ。これは、沖縄をして中国寄りの政治勢力へと転換させようとする試みに他ならない。翁長知事は、中国に取り込まれて、その傀儡になっていると言われても仕方がない状況だ。それを象徴するのが、彼が那覇市長時代から取り組んで来た「龍柱」事業だ。那覇市民団体の反対を押し切って工事を進めていた龍柱がこのほど完成した。これは、那覇市が中国・福州市との友好都市締結から30年の記念事業として平成24年度に設置を決定したものだ。旅客船の停泊場所近くに置かれている。最終的な総事業費は約3億3300万円になった(8日 産経)。「龍は元来、中国皇帝の権力の象徴とされている。「5本爪」の龍の図柄は中国皇帝のみが使用でき、朝鮮など中国の冊封体制に入った周辺諸国は「4本爪」を用いてきた歴史がある。琉球王朝も冊封を受け、首里城の龍柱は4本爪。設置が進められている今回の龍柱も4本爪となっている。」(同)。
さて、この翁長知事の言動の意味をわかりやすく解説してくれるのが、次の我那覇氏の意見陳述だ。
「米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)の名護市辺野古への移設をめぐり、政府に「新基地建設を強行しない」と求める意見書を9月に可決した東京都武蔵野市議会で10日、意見書の撤回を求める請願を提出した名護市出身の我那覇真子氏が意見陳述し、「議決は反日工作の後押しをするものだ」と訴えた。 我那覇氏は「沖縄の反戦平和運動が目指すのは中国の支援を受けた『沖縄革命』だ」と指摘。翁長雄志同県知事が9月、国連人権理事会で「沖縄の自己決定権や人権がないがしろにされている」と述べたことに対して「沖縄への領土的野心を隠さなくなった中国の沖縄介入の糸口になる」と批判した。」(10日 産経)。
武蔵野市議会に対する今回の我那覇氏の請願は議会運営委員会で採決され、氏の奮闘にも関わらず野党系会派の反対多数で否決されたとのこと。「地方議会が(国の専権事項の)安全保障に関わる意見書を提出するのはおかしい」(自民党系会派)との意見も出たが、多数派の野党系議員に押し切られたようだ。武蔵野市に限らずいくつかの地方自治体が、辺野古移設反対に同調する立場から議会決議を行って、政府に意見表明している。しかし一体何のために、どういうつもりでこんなことをするのか。人権や人道の衣をまとったパフォーマンスをすることで自己の‘良心’、‘行動力’を確認し、自己満足に浸りたいがためか? それとも、中国のアジア制覇、世界制覇の片棒を担ぐためなのか? 沖縄と日本を中国に差し出したいと思っているのなら別だが、そうでないなら、こんな子供じみた情緒的パフォーマンスはもう止めるべきだ。なにしろ中国の野望は真剣なものであり、体と命を張ってやっているものなのだから、日本国民も もっと真剣に取り組まねば、中国のよいようにやられてしまうだろう。

文化庁京都移転問題_ 「地方創生」は当事者のやる気から!まさか国に「おんぶに抱っこ」では?

2015-12-05 19:21:23 | 政治
2015年12月5日
「馳浩文部科学相は4日の記者会見で、京都府が文化庁の移転候補地として提案している京都市内の小学校跡地を視察した際、地元の十分な対応がなかったとして「熱意が全く伝わってこなかった。がっかりした」と批判した。  馳氏は2日に京都駅近くの小学校跡地2カ所などを視察。敷地が鉄扉で閉ざされて入れなかったほか、移転後のイメージ図も示されず、地元経済界の関係者の同席もなかったとして不満を示した。 政府は東京一極集中是正に向け、地方に移転する国機関を来年3月末までに正式決定する予定。京都府は、文化庁や、独立行政法人の政府観光局、国立美術館などの移転を提案している。」(4日 共同)。
東京一極集中の問題点を解決し、地方創生の起爆剤にするという点で、文化庁、観光局などの施設・機能を京都に移転する案は良さそうに思える。交通とICTが発達した時代なので、政府の機関が東京以外に移転したとしても、東京分室の設置、ICTの活用等により、他の省庁、国会などとの報告・連絡・調整業務で問題が生じることはない。東京~京都間は鉄道で約2時間15分なので、必要に応じ日帰り出張で対応できる。この移転は、京都の活性化、発展に大きく貢献することだろう。
だからこそ、京都の今回の対応は不可解と言わざるを得ない。この改憲内容は例によって馳大臣のパフォーマンスではないかとの疑念も浮かぶが、状況からするとどうもそうではないようだ。文化庁などの「京都移転要請」は京都から出ているにも関わらず、今回の対応は大臣に対する敬意を欠いているばかりか、あまりにもお粗末でやる気を疑いたくなるものだ。この移転は、地元経済に大きく貢献するだろうから、京都経済界の代表者が直接大臣に説明するぐらいのことはやるのが当然のはずだ。のみならず、関西経済活性化の起爆剤になることも期待されるから、関西経済人が顔を見せてもおかしくはない。これに限らず、周辺自治体との協調による誘致活動は、雰囲気を盛り上げ、目的を達成することに貢献するはずだが、京都にはこんな考えはないものとみえる。地元にメリットある政策は、まずは地元からやる気を示し、ビジョンを描き、積極的、建設的に動いていかないと話にならない。この点で大いに参考になるのが、大阪における大阪都構想であり、橋下氏を中心とする「おおさか維新」の活動だろう。大阪副首都法案を国会に出し成立させようという発想もいい。地方創生は、これくらいのダイナミズムを持たないと、大きな成果には結びつかないだろう。
今回の対応は京都の個性の表れなのか? 京都は年間5千万人の観光客があるので、それに安住して何もしようとしないとか、京都の人はお高くとまっているとか言われたりもする。伝統的に左派リベラル勢力が強い京都では、「反政府」の傾向や、国へは金や権限を「要求」する傾向が強いイメージがあるとか、東京や大阪への対抗意識があるとか、いろいろなことが思い浮かぶ。もしかすれば「地方」扱いされるのが嫌なのか? 国に対して「京都は移転がなくても困らないのだが、是非にと言われれば…」という姿勢でもって、国に頭を下げさせて、予算や権限などで国から多くを引き出したいということかとの疑念も浮かぶ。まあ、そんなことはあるまいと思うが、それならそれでもっと別の対応があるはずだ。これは京都のためであることはもちろん、日本の経済の再生のためにもなることだから、この点も踏まえて、是非とも建設的に対応してもらいたいものだ。

京都と共に気になるのは石破地方創生相の対応だ。
「政府が検討する国の機関の地方移転で候補に挙がる文化庁の京都移転について、石破茂・地方創生相は4日の会見で「(文化財が周囲にある)現場に近い所で色々な判断ができる。さらに(移転が)国全体のためになる可能性は十分ある」と前向きな評価を示した。国の機関の地方移転は、石破氏が担当する地方創生政策の一環。石破氏は「外国の方々が日本を訪問する一番の動機は文化、伝統。この維持、補修の人材が減っている問題を一番知っている、というのが京都府による文化庁移転の提案趣旨だ」とも述べた。」(4日 朝日)。
このピンボケ具合と歯切れの悪さ、他人事のような物言いはなんとかならぬものか。「(移転が)国全体のためになる可能性は十分ある」はその一つ。国のためになることが未だに確認できていないのか? そうなるようにするのが石破さんの仕事では、と言いたくなる。「京文化、伝統の維持、補修」が移転の一番の目的であるかのごとき説明だが、これが重要なことであるのは論を待たないにしても、もっと言うべきことがあるだろう。文化庁を京都に置いて、日本文化をどう世界に発信するか、それをどう観光客に結びつけるかなど。役所仕事としての発想ではなく、地方創生の所轄大臣、国のデザイナーとしての発想を聞きたいのだが…。石破氏は現在でも次期首相候補としての期待度でトップを保っているらしいが、こんな調子では、首相はおろか、地方創生相としても疑問符が付くのではないか。京都府、市への指導力発揮とともに、自身の「地方創生」のレベルアップにも注力してもらいたいものだ。