もとなりくんの「今週の政治 ‘とんでも’」

日本の経済、安保危機を打開する力は、国民の結束と強い政治しかない

維新分裂_ 二党の合流は相互補完的で意欲的な試みであっただけに残念! 政策本位での今後の奮闘に期待!

2014-05-31 21:27:02 | 政治
2014年5月31日
政界を変える起爆剤となる期待も背負って登場した日本維新の会が、衆院選から2年を待たずに分裂した。日本維新が注目されたのは、橋下氏率いる大阪維新の会の斬新な発想、政策面での柔軟性、大胆な実行力と、石原氏率いる太陽の国家主義的とも思える保守的政策との相互補完的合流にあったように思う。いわば日本維新は若者と熟年者との協調体制であったのではなかろうか。二つを結び付けていたのは「日本を変えなければ未来がない」という強い危機意識と強い愛国の情であったように思う。この意外な組み合わせに多くの人が懐疑的であると同時に、多くの人が「ひょっとすると…」と思い、この意欲的で斬新な試みの成功に期待を寄せたように思う。それだけに、橋下徹、石原慎太郎両共同代表が袂を分かつ結果となったのは残念だ。
日本維新の運営では、具体的政策面、特に、大阪都構想、原発政策、自主憲法制定問題で常に不協和音が付きまとった。それでも自民党と共に憲法改正を志向する立場を掲げたことから、政権党になり得る資格を持った党と期待もされていた。分裂の直接の原因は、橋下氏が今夏までに実現しようとしている結いの党との合流問題だった。結いの江田憲司代表は共通政策作りにあたり、石原氏の強い持論でもある「自主憲法制定」の文言を盛り込むことに反対した。また江田氏は集団的自衛権の行使容認についても慎重な姿勢をとっている。
こういうわけで今回の分裂に至ったが、再出発の道のりはかなり厳しい。それでも、日本の立て直しに何が必要かという両氏の認識に変わりはないはずだ。今後とも率先して安保や憲法改正を主要な政治課題に位置付ける路線を維持してもらいたい。

《橋下氏の狙いは、都構想の停滞打開であり、結いに続き民主との再編・合流であるが、もし大衆迎合的な政策での再編を進めるなら、それが最終的な身を結ぶことはないだろう》
「日本維新の会は、分党により、橋下、石原両共同代表によるツートップ体制から、元の「橋下維新」へと回帰することになった。 ただ、看板政策・大阪都構想が暗礁に乗り上げるなど、その足元は揺らぐ。石原氏との決別は、維新再浮上のきっかけになるのか。 「日本のためにやらなきゃならない」。橋下氏は29日に大阪市役所で開いた記者会見で、分党後、結いの党などとの合流を加速させる考えを示した。 橋下氏が、固い信頼関係で結ばれていた石原氏と決別してまで野党再編に突き進む目的の一つが、「都構想を前に進めること」(維新幹部)だ。都構想を巡る議論は自民など野党会派が多数を握る大阪府市両議会で行き詰まっており、事態の打開には、来春の府議・市議選で勝利するしかない。野党再編を契機とした「橋下人気」の回復は、維新に残された最後のチャンスでもある。」(30日 読売)。
大阪都構想は、大阪のためにも、そして日本のためにもなる政策であるはずだが、残念ながら大阪の自公民などの理不尽で党利党略の抵抗で足踏み状態である。橋下氏がこれを打開する方策を模索しそれを実行していくことは当然のことであり、それでこそ‘やる気の正義漢’としての真骨頂であるだろう。ただ、どうすれば現状を打開できるかは難しい問題である。橋下氏は結いとの合流を突破口にして、民主党に再編の揺さぶりを掛け、民主党前原氏などの保守系のグループとの連携・合流を目論んでいる。
「日本維新の会が分裂し、橋下徹共同代表(大阪市長)が次に照準を合わせるのは民主党だ。結いの党との合併だけでは展望が開けず、自民党の「1強体制」に対抗するには野党第1党の民主の参加が不可欠だからだ。ただ、民主内は再編派と自主再建派が入り交じる。一気に大規模な再編に至るかは微妙だ。 「自民党に対抗する大きな勢力がないと国民のためにならない。そういう思いで政治家をやっている」。石原氏が国会内で記者会見したのと同じ頃、橋下氏も大阪市役所で会見し、野党再編への思いを訴えた。 自ら維新の分裂に踏みきり、結いとの合流にメドを付けた。橋下氏が「次の一手」と位置づけるのが野党第1党の民主党だ。」(30日 朝日)。
橋下氏は既に前原氏とは会談しており、それなりの方向性は擦り合わせているのだろう。しかし、この構想実現のためには民主党の分裂が必要であるが、現状では自己利益優先かつ優柔不断の民主党議員諸氏がそこまで踏み切るとは考えにくい。また、たとえこういう流れになったとしても、政策はどうするのか。大阪都構想推進は当然としても、原発保持、憲法改正、集団的自衛権行使容認などの基本政策をしっかり掲げて、一致させておかないと、結局は空中分解してしまう。それを示したのが今回の分裂劇であったはずだ。また、脱原発、護憲、一国平和主義(米国の核の庇護のもとでのそれだから、これは欺瞞、エゴ以外の何物でのないのだが…)などの国民に受けが良さそうな政策を掲げて野党再編を成し遂げても、こんな非現実的な政策では政権を運営し、国を保持していくことなどできはしない。それを如実に示したのが民主党3年間の政権による国政の混迷と、日本の国際的な信用失墜だったはずだ。橋下氏が言う「自民党に対抗する大きな勢力がないと国民のためにならない。」は良いとしても、氏そして維新の諸氏に考えてもらいたいのは、無条件で自民党に対抗する勢力があれば良いということにはならないこと(無意味な再編などなくてもよい)、そして自民党に代わって一体何をするのかということである。

《橋下氏の側は政権党になるための‘背骨’を作るべきだ! 石原氏の側は、背骨はあるにしても、具体的に機能する頭、目や耳、手足を付けなければどうにもならない! 両者の‘やる気’は多くの人が認めるところだから、不備を改善して今後とも奮闘してほしい》
こんなわけで、橋下氏側の船出は前途多難である。野党再編を狙うのはよいとしても、問題は政策だ。脱原発政策はどう考えても非現実的であり、路線を変更すべきである。橋下氏は憲法解釈変更による集団的自衛権を限定的に容認する立場であるが、江田氏は「対米追従などの観念論で解釈改憲を認めるべきではない」と慎重だ。だが、安全保障政策の根幹での食い違いを残してはならないだろう。結いを取り込もうとするのは、護憲勢力からも参加させたいとの思惑によるものだろうが、こんなことを許していると、国は守れない。橋下氏は憲法改正推進派であるから、これを保持することは必須となる。
前述のように、結いの江田氏は、石原氏の強い持論でもある「自主憲法制定」の文言盛り込みに反対した。維新内でも、橋下氏に近い議員らの間には「自主憲法」に固執する必要はないとの判断が広がっていたようだ。これは考える余地のある問題だろう。と言うのは、現在の日本にどうしても必要なことは、憲法の不適切な部分、時代に合わなくなった部分を改正することであり、憲法改正をやる気があれば、政権党になり得る資格があると思えるからである。憲法改正が、‘自主憲法制定’で実現されれば最も望ましい形態だと思うが、橋下氏らはそれでは野党再編の障害になると見たのだろう。とにかく橋下氏には、維新の‘やる気’を活かすためにも、国政政党の名に耐え得る現実的な政策を掲げ野党再編を進めることを要請したい。
これに対して、石原氏の側には、もう少し柔軟に、そして現代に合ったやり方を追求するよう要請しておきたい。石原氏は29日の会見で「憲法をなんとしても直すことに政治生命を賭してきた」として、結いとの合流には反対すると説明した。‘自主憲法’は、日本のために日本人が作る憲法だということだから、もっともなこととは思う。しかしながら、問題もある。石原氏らがこれを言えば、現行憲法の積極的な部分を認めず、全面否定している、そして反米的であるとイメージされる傾向になる。ところが、旧太陽系の人達にはこういう(おそらくは誤解の)イメージの払拭に努力している気配が見えない。なぜ国民に理解してもらうべく、国民と密着した活動をしないのか? 旧太陽の党系議員は、国会の一部の活動だけをして‘国士’ぶっているきらいがあるのではないか。言い換えれば‘殿様’政治をやっているようにしか見えず、現代の政治スタイルとしてはいかがなものかと言いたい。
また、日本が抱えている問題は自主憲法制定問題だけではなく、多種多様な深刻な問題がある。なぜ、こうした問題についても積極的に発言していかないのか?

いずれにしても、旧大阪維新の会系も旧太陽の党系も、再出発は前途多難であるが、それぞれの長所を生かして、そして短所を克服して今後とも日本のために奮闘してほしい。そして要所要所では、これからも協調行動をとって欲しい。

北拉致再調査合意は、安倍政権の意志と戦略性、実行力の賜物だ! 是非とも成果に結び付けてほしい!

2014-05-31 21:22:56 | 政治
2014年5月31日
今回の日朝合意の性格を最もよく表現しているのは、「拉致再調査 首相に目算「茶番」承知で打開へ」(30日 産経 阿比留瑠比氏記事のタイトル)ということではなかろうか。以下、その記事抜粋。
「全ての拉致被害者のご家族がご自身の手で、お子さんたちを抱きしめる日がやってくるまで、私たちの使命は終わらない」 安倍晋三首相は29日夕、首相官邸で北朝鮮が拉致被害者と特定失踪者の包括的全面調査を行うことに関し、記者団に改めてこう決意を表明した。首相はこの後、周囲に「北朝鮮が、拉致被害者らが見つかったら帰すと約束したのは初めてだ」と評価した。…略… 北朝鮮による拉致被害者の存在に関する再調査については、もともと「拉致被害者がどこで何をしているか北朝鮮は最初から分かっている」(政府の拉致問題担当者)という。そのため実効性が疑われてきたが、政府高官は「茶番劇なのは承知の上だ」と指摘する。首相自身もこれまで同様の趣旨のことを述べてきた。 それでも北朝鮮の再調査表明を評価するのは、それ自体が拉致問題解決に対する北朝鮮の意欲のバロメーターとなるからだ。 今後は「日朝間で対北制裁部分解除や北朝鮮での日本人遺骨収集などを積み重ね、少しずつ互いが信頼できるか確かめつつ交渉を進める」(日朝外交筋)とみられる。 「安倍政権にとり、拉致問題の全面解決は最重要課題の一つだ」
 首相は29日、記者団に対しこうも強調した。父である安倍晋太郎元外相の秘書官時代から拉致問題に取り組み、病でいったん首相の座から退きながら再び再起を目指した理由も「拉致問題は自分でなければ解決できないとの強い思いがあったからだ」(周辺)。 これまで北朝鮮は、核・ミサイル開発問題でも拉致問題でも譲歩をほのめかしては日本をはじめ各国から支援を引き出し、揚げ句、それを裏切ってきた。だが、その経緯、北朝鮮の手法を誰よりも熟知し警鐘を鳴らしてきたのも首相だ。…略… 今後も事態は予断も楽観も許さない。とはいえ、長く膠着(こうちゃく)していた拉致問題にようやく新たな展開が出てきた。」(30日 産経)。
日本はこの問題では三度も、四度も北に騙され翻弄されてきた。だから先行きは全く予断も楽観も許さないものであり、これは最終的な成果を得るための第一歩にしか過ぎない。現に、総連中央本部ビルの合意内容については日朝間で早くも齟齬が表面化している。すべてはこれからだと言ってよいだろう。にも関わらず、今回の日朝合意にはこれまでとは違った点があり、これらを考えるならば希望はあると言える。
その一つは、世界からますます孤立を深め、経済的に困窮している北には、現状を打開することが緊急かつ不可欠の課題になっているということである。その一つの有力な、しかも比較的採用しやすい方策が、拉致問題を清算し、日朝の関係を改善して日本からのそれなりの支援を引き出すことである。お互いが自分に都合の良い観念的夢想で綺麗ごとを述べ合ったり、約束事をしたりするようなことでは、外交にも交渉にもならない。約束をせざるを得ない十分現実的な根拠があって初めて約束ごとは守られる。この意味で、今回の北の合意は単なる口先だけのパフォーマンスとは異なるように思われる。それは北が国内に発表した合意内容が、日本側の理解と変わらぬ形で、しかもかなり具体的になされていることからも裏付けられる。
二つ目は、先代の金正日では、自ら指示した拉致を清算することは自己否定につながるから、全面的な清算は不可能だったろうが、代替わりした現在の金正恩は、自身で拉致を行った立場ではないから、この問題を清算しやすい立場にあることである。これまで、正恩の就任直後に、拉致問題の解決に舵を切るのではないかと期待されていたが、それはさすがに無理だったようだ。しかし彼が最高権力者の地位に就いてもう二年あまりの時間が経っているので、路線変更もやりやすい時期に来たということではなかろうか。日朝合意文書によると、北朝鮮側はこれまで「解決済み」としていた拉致問題に関し、「従来の立場はあるものの」と断った上で再調査を受け入れた。体面を重視する北朝鮮としては異例の表現と言える。拉致の清算にあたっては、拉致の実行犯になにがしかのけじめを付ける必要があるが、北朝鮮では昨年12月の正恩の叔父である張成沢(チャン・ソンテク)氏処刑以降、血縁や信義に基づく人間関係は崩壊したとも言われる。こうしたことによって、もう彼と部下の信頼関係にさほどの神経を使わずともよいという気になっているかもしれない。
このようなわけで、とにかく、この線で進めてみることにはそれなりの価値があるということである。本当に全面的に解決するかどうかは別として、最悪でも何がしかの成果には結びつくのではなかろうか。この意味で、次の「ゼロ回答はない」とする見方は的を射ているように思える。
_コリア・レポートの辺真一(ピョン・ジンイル)編集長(67)の話
「今回の調査は実質的に3度目で、平成14年の最初の調査は北朝鮮の赤十字会が実施し、5人生存、8人死亡。16年の再調査では、日本の警察にあたる人民保安省が行ったが、ゼロ回答だった。いずれも拉致問題に権限のない部署だったが、今回の協議では、権限がある国家安全保衛部の関係者を同席させており、調査への姿勢は本気だとみていい。背景には経済事情だけでなく2つの外交的戦略がある。日朝協議を進展させることで米国を6カ国協議に引っ張り出すことと、現在、関係が最悪な中国や韓国に対する牽制(けんせい)だ。日朝首脳会談までいけば、中韓のメンツは丸潰れになる。金正恩政権最初の調査をいい加減にやってつまずくこともできないため、ゼロ回答はなく、何人かの生存者を出してくる可能性が高いと思う」(29日 産経)。
ここで注目したいのは、氏が述べているように、日朝の拉致問題の進展は、歴史認識問題での対日批判を強めている韓中に対する強い牽制になっているということである。核やミサイルなどの問題での北との歩み寄りはあり得ない。しかし、限定された拉致という分野の歩み寄りではあるが、これは日本批判で韓中と同一の行動をとって来た韓中北の連携の一角が崩れるということであり、韓中にとっての打撃になるだろう。けれども、自国内に拉致被害者を多数抱える韓国は、家族への配慮、また人道的な価値観を共有する立場から、(本音はともかくも)表面的には静観、もしくは歓迎の意向を示さざるを得ないようだ。中国も、北を怒らせたくないので、今のところ表面的には歓迎の意向を示している。北への制裁を解いて、6カ国協議の再開で中国が主導権を握りたいという狙いもあるだろう。
ここで問題なのは、日本が北への独自制裁の一部を解除することによって、核・ミサイル問題での北制裁の効果が薄れることを懸念している米国の出方である。しかし、彼らはこれまで拉致問題の解決行動には基本的に支持を表明してきたので、表立って日本に異論を唱えることはできない。要は、北への経済制裁解除の程度が北制裁の効果を減らさない範囲内での話であれば、米国は異論をはさむことはないだろう。
日本が米国と協調する必要があることはもちろんであるが、自主独立の国家として、国益にかなうことは米国と対立してでも貫徹しなければならないし、その権利もあるのだ。だから独自外交で拉致を解決しようとする安倍政権の行動は、韓中のみならず、米国からの追随要求に対する牽制にもなっている。それは取りも直さず、日本は、米国の従属国ではなく、自主的な判断で行動する自主独立国家だということを内外に表明したことでもある。こういう行動は、日本の外交的発信力を強め、日本の国益確保のためにも良い効果をもたらすだろう。拉致問題の解決のためには、解決させたいという強い意志と実行力が必要ではあるが、それだけでは不十分だ。各国のパワーバランスを見極め、その間隙を縫って、一気に外交攻勢をかけることが必要だ。つまり、現実性、戦略性を持った確かで総合的な観察眼と、それを確実にこなせる外交技術が必要なのである。この点で、安倍政権の外交能力はこれまでのところ高く評価できるように思う(慰安婦問題は?だが)。

中国が日本軍の戦争犯罪情報収集_ 偏執狂的妄想狂の習近平は、現代のヒトラーか ドンキホーテーか?!

2014-05-31 21:04:53 | 政治
2014年5月31日
「海外から中国に帰国した華僑や家族らの組織「中華全国帰国華僑連合会」は29日、第2次大戦時の日本軍の犯罪に関する史料や写真を収集するよう、国内外の華僑に呼び掛けた。
 中国が「反ファシズムと抗日戦争の勝利70周年」と位置付ける来年に向け、「日本軍国主義の反民主、反道徳、反人類の本性を多くの人に理解させる」のが狙いだという。中国指導部の意向を受けた対日攻勢の一環とみられる。 連合会によると、特に東北アジアや東南アジア、米英両国などを拠点とする華僑らに、太平洋地域の戦場での日本軍による侵略や暴行に関する記録を集めるよう呼び掛けた。 収集は9月末まで続け、旧日本軍による南京占領(1937年)があった12月13日の記念日に展示会を開催。来年、国内外で巡回展を実施する予定だという。」(共同 29日 産経)。
これを見ると、習近平がいかに変わった人間であるのか、重箱の隅をつつくように小さなことにこだわり、全く大極が見えていない暗愚な指導者であることがよくわかると思う。というのも、こんなことをして一体何をするつもりなのかがよくわからないからである。どれだけのものが集まるというのか? そもそも、この種の資料は、一段落ついた戦後の早い時期に集められるべきもので、それ以後では時間が経てば経つほど集まりにくくなるはずである。重要な歴史的事実を物語るものの大部分は、必然性を持って自然に集まっているはずのものだ。たとえば、アウシュビッツや原爆に関する資料は、戦後すぐに集められ、大切に保存されている。それを戦後70年近くも経って、思いついたようにこんなことをするのは、どうでもよいことに異常にこだわる偏執狂的な人間の発想でしかないだろうし、そうでないとすれば、歴史を自分たちの都合のよいように捏造、改竄することを企てての悪行としか言いようがない。中国のやっていることは、「南京大虐殺」にしても「731部隊」にしても、戦後数十年も何もしないでいて、日本の反日偏向マスコミの虚偽が流布されて初めて、騒ぎ出したものばかりである。つまり、そのほとんどは、後から捏造した虚偽伝説だということである。
また、今頃になってそれを集めて展示してみて、それが一体何の役に立つというのだろうか。確かに中国国民の日本人に対する憎悪感を燃え上がらせることには、何がしかの役に立つかもしれないが、そしてそれはここ数年ぐらいは政権への不満のはけ口として役に立つかもしれないが、何十年後もこういう憎悪の感情が中国国内に蔓延していることについてはどう考えているのだろうか。これは国民に虚偽を教え、それを信じ込ませて国民をロボット化する政策であるから、数十年後の中国は近代国家とは似ても似つかぬ、前近代的で非民主的な、無機的国家になっていることだろう。こんなことは近代的で民主的、本当に国を愛する理性を持った指導者のやることではないだろう。虚偽で国民を教育しようとする発想はヒトラーのそれにも似た、恐ろしい発想であると言える。
習近平は、このような資料を集めて世界に虚偽をばらまき、日本批判、日本の蹴落としを狙っての反日プロパガンダに使おうとしているのだろうが、世界の人々、国々は、現在の自分たちの生活を守るのに精一杯で、とても70年前の(デッチ上げられた)日本軍の戦争犯罪行為に関心を持って、それに憤り、日本批判を展開する暇などありはしないだろう。それよりも、世界は現在も行われている非人道的な殺戮行為、例えば、ウクライナ、シリア、エジプト、アフリカなどでのそれに関心を持ち、憤りを覚えているだろう。あるいは中国のウイグルやチベット人民に対する弾圧、殺戮行為、更に少し遡れば、天安門事件での万人規模の犠牲者、文化大革命における何千万人という犠牲者、こちらの方こそが問題と思うはずだ。中国は、ありもしない日本の軍国主義復活を批判しながら、自分たちは100年以上も前の欧米と日本をまねて帝国主義的、軍国主義的拡張政策を推進している。そして当然のことながら国際的な批判にさらされている。習近平には、現代とか、現実というものが全くわかっておらず、彼の頭の中にあるのは、「中国は偉大だ」という一方的思い込みであって、これを根拠づけているのが、古代の(確かに)‘偉大だった’中国の姿だろう。しかし、これは古代と現在の区別がついていないということであり、いわば、夢想、妄想と現実の区別がなく、何をするかわからない状態ということになる。ある意味では、騎士を気取って風車を敵と間違えてそれに突っ込むドンキホーテのような哀れな存在である。また、絶大な権力で人民を弾圧し、強力な軍事力を自在に操れるという点ではヒトラー並みに危険な人物であるとも言える。いずれにしても、日本は、彼がこういう人間であることをしっかり認識して、彼のしつこい虚言で日本の名誉が損なわれないように、必要な反撃をしていかねばならない。また夢想による軍事的侵略行動の犠牲にならぬように、万全の軍事的防衛体制をとっておかねばならないということである。

なお、これに関連して、このような中国に全面的に入れあげている韓国の朴槿恵(パク・クネ)政権の夢想、妄想癖についても、しっかり警戒をし、必要な反撃をしていかねばならない。古代から韓国、朝鮮は中国の従属国であったので、発想はほとんど同じであると見てよい。
ただ、違いもある。中国は仮初にも、文明を作った歴史があり、それゆえ現在でも、民主、改革派、良識派は、こうした非文明的な習政権に対して、下からの改革運動、あるいは政権内での権力闘争を行っているという事実がある。中国は遠からず、自力でこの憂うべき状態を自ら変革する行動に出る可能性がある。ところが韓国、北は、中国のマネをしてきただけだから(そして近代、現在までは日本のマネをしてきた)、自らの身を律することができないということである。だから「千年経っても、加害者(日本)と被害者(韓国)の立場は変わらない」などという馬鹿なことを言っている。中国にはそれなりの注意を向け、必要な対応をしていかねばならないが、韓国は突き放しておけばよい(ただし、不当な日本攻撃には断固として反撃の要はある)。中国との話がつけば、韓国は慌てて無節操になびいてくるはずである。
以下は、習近平と朴槿恵が相思相愛の、反日連携を営んでいるという‘美しい話’の一つである。
「中国陝西省西安市で29日、日本の植民地時代に朝鮮独立運動家が中国で創設したとされる抗日部隊「光復軍(クァンボクグン)」の記念碑の除幕式が行われた。 同省の王莉霞副省長や韓国の朴勝椿(パクスンチュン)国家報勲処長ら両国の政府関係者が出席した。 韓国政府によると、記念碑には「韓中国民が共に日本の帝国主義の侵略と圧迫に立ち向かって闘った歴史を記念する」と刻まれた。韓国は2009年から記念碑の設置を求めており、朴槿恵(パククネ)大統領が昨年6月の訪中時に改めて要請。中国の習近平(シージンピン)政権はこれに応じることで歴史問題での韓国との「反日共闘」をアピールする狙いがあるとみられる。 習政権は今年1月にも、朴政権の求めに応じ、黒竜江省のハルビン駅で、初代韓国統監の伊藤博文を暗殺した朝鮮独立運動家・安重根の記念館を開館している。歴史問題での韓中共闘の動きに対し、日本政府は「地域の平和と協力の関係構築に資するものではない」(菅官房長官)などとして、不快感を示している。」(30日 読売)。
抗日の実態が全くない光復軍を、あたかも大規模な抗日独立戦争軍であったかのような歴史的捏造をして、韓中が自己満足に浸りたいということらしい。こんな虚偽による反日を国民に植え付けて、そのあとの出口戦略はあるのか? 無根拠なナショナリズムと反日を煽るだけ煽れば、やがてそれは政権の弱腰批判や、かつての日本がそうだったように、対外拡張主義の推進圧力となって現れ、収拾がつかないことになり、結局破滅に向かわざるを得なくなるのは目に見えている。また、テロリストの安重根を賛美することは、国内の政治的主張にテロを使ってよいと国が自ら認めたということである。現に、中国ではテロが激しくなっている。馬鹿は死ななきゃ治らないとはこのことだろう。

中国の対日政策の「二分法」への回帰は歓迎するも、もう元へは戻らないし、戻してはならない!

2014-05-27 20:46:11 | 政治
2014年5月27日
「中国、対日分断政策「二分法」へシフト 政経分離鮮明に」と題された次の24日付け産経記事はなかなか興味深いと思うので長くはなるが引用・紹介して、若干の感想を述べてみたい。
「日本の尖閣諸島(沖縄県石垣市)国有化や安倍晋三首相(59)の靖国神社参拝などに反発していた中国が、政治問題と経済協力など民間交流を切り離して対日関係の改善を狙う「政経分離」の戦術を鮮明にし始めた。(上海 河崎真澄)
にじむ「危機感」
 中国の高(こう)虎(こ)城(じょう)商務相(62)が17日、山東省青島市で開かれたアジア太平洋経済協力会議(APEC)貿易担当閣僚会合に出席した茂木敏充経済産業相(58)との会談に応じて、「日本との経済関係を重視し、関係安定と発展を望む」と述べたからだ。
 昨年12月の安倍首相の靖国参拝後、中国は5カ月近く日本の閣僚との会談には応じてこなかった。高商務相は、中国が主権を主張する尖閣問題では一歩も引かないとの原則を示しながらも、経済では関係打開の糸口を探る姿勢をみせた。 習近正政権が現段階で取りうる最大限の譲歩策を示したと受け止められる。 だが、そこには中国側の事情に基づく“危機感”がにじむ。中国商務省が16日発表した今年1~4月の対中直接投資実行額で、日本からの投資が前年同期比で46.8%も減少したことが分かったからだ。人件費高騰や中国リスクへの冷徹な経営判断が背後にある。 中国は密接な経済関係を築いている対日関係の悪化が、ブーメランのように自国経済にも中長期的なダメージを与えることを理解している。成長の減速が続く中国には、日本企業の“中国離れ”を少しでも食い止めたいのが本音だった。
分断工作で共闘模索
 習政権が「政経分離」を明確にした青島での日中閣僚会談からさかのぼること1週間。日中の外交政策ブレーンが上海で10日、「両国関係の難局打開」をテーマに非公開の討論会を行った。その席で中国側の有識者が「少数の軍国主義者と大多数の日本人民を厳格に区分せよ」とする毛沢東時代からの対日政策の「二分法」堅持を習政権に対し提言すると明言していた。 討論会には日本から宮本雄二・元駐中国大使(67)ら、中国から政治協商会議の趙啓正・前外事委員会主任(74)らが出席した。“分断工作”ともいえる「二分法」の提言だが、中国ビジネス拡大に期待を抱く日本企業や、安倍政権に反対する日本国内の勢力に“共闘”を呼びかける戦術に結びついた。 中国の有識者は、「実のところ『二分法』は1972年9月の日中国交正常化の基礎でもあり、中国は原点に戻ったにすぎない」と話した。毛沢東(1893~1976年)や周恩来(1898~76年)など当時の指導者は、日本政府に台湾と断交させ、中国と外交関係を結ぶ政策を急ぐため、中国国内の反日感情を抑制しようと、「戦争責任は日本の一部の軍国主義者にあり、大多数の日本国民はむしろ中国人と同じ被害者だ」と説得した。
ボールは日本側に
 本心がどこにあったかは別として、「二分法」を方便として対日強硬派を抑えて、80年代の改革開放路線以後、日本企業の相次ぐ工場進出や雇用創出、技術供与に加え、巨額の政府開発援助(ODA)を引き出して、日中関係が発展する原動力になったのは事実。 いま再び、軍部も含む習政権内部の強硬派の“主戦論”をなだめ、経済面で日本から実利を引き出すためには、毛沢東の名まで引き合いに出す「二分法」による「政経分離」を掲げることが得策との判断が働いたようだ。戦術を理解した上でどう反応すべきか。駆け引きのボールは日本側に投げられている。」(引用了)。

現在の日中の関係冷却化は、中国のみならず日本にとっても決して望ましいことではないから、中国が「二分法」へ回帰することによって「政経分離」が進むことはそれなりに歓迎すべきことではある。中国の国内情勢の急変によって体制が崩壊でもすれば話は別であるが、今のところそういうことは期待できないし、また現状のままでは早晩、武力衝突に発展する可能性が大きいのだから、両国にとっての現状の打開策は今のところ、これしかないというのが本当のところだろう。しかしながら二分法は単なる政経分離策ではなく、むしろ経済をてこにした日本の政治の分断工作でもあるわけだから、これをそのまま許容することはできない。中国が本当に二分法による政経分離策に舵を切るかどうかはまだ予断を許さないものと思うが、もしそれが現実となったとしても、当然のことながら、次のような点には十分留意して、過去の教訓を今後に反映していくことが重要だと思う。
<1_ より困っているのは中国であって日本ではない!>
この動きは中国がこれ以上の関係悪化に耐えられなくなったということである。実際、習主席の観念的妄想による諸政策によって、中国は益々 内憂外患の度合いを強めている。経済面における日本の中国離れはもとより、賃金上昇などによる経済成長の鈍化、不良債権問題、官僚の腐敗堕落、民主化運動の高まり、ウイグルなどの民族問題、PM2.5などの環境破壊、対外拡張主義による周辺国との対立激化と国際的な孤立、などまさに尻に火がついた状態であり、いつ共産党独裁体制が崩壊してもおかしくないほどの危機的状況にある。日本と事を構える余裕などないにも関わらず、問題を抱えれば抱えるほど、「反日」を煽って国民の不満解消に使わざるを得ないというひどいジレンマである。江沢民時代からの流れもあって、容易に路線転換できない事情もある。しかし、なんと言っても経済の悪化に伴うダメージは大きいので、対日関係改善へ舵を切らざるを得ないということらしい。歩み寄りは困っている方から行うのが原則であるので、中国が誠心誠意で改善に乗り出してくるのならともかくも、「二分法」なる悪意を含んだ方便で、関係改善を言われても、おいそれと乗るわけにはいかない。つまり、関係改善に努力するにしても十分な注意と、戦略性が必要になるはずである。我々としては過去の教訓を最大限に生かす必要があるのだ。
<2_ 「柳の下の二匹目のドジョウ」はもういない! 世の中は不可逆過程であり、過去の日中友好時代のような甘い日本であってはならない!>
私が思うには、毛沢東が唱えた二分法に対して、日本はこれを中国が日本の経済支援や技術の援助を欲しいがための方便と捉え、日本国内の「軍国主義者」の存在問題は単なる付け足しにしか過ぎないと思ったのではないか。だから、誠心誠意、経済や技術の支援をすれば、反日の動きは自然消滅するだろうと。ところがこれは日本側の自分勝手な思い込みによる甘い認識だった。中国の笑顔による「日中友好」は‘日本追い落とし’の野望を隠す装いでしかなかった。日本から取るものを取って、経済と軍事面で日本を凌駕した現在、それは尖閣への侵略、歴史問題での日本叩きなどの具体的行動となって現れている。ある意味では、日本は騙されたとも言え、日本の純情路線が徹底的に利用されたのである。ところがここに来て、明らかになったのは、日本を追い抜いたということが実は幻想であり、経済力と軍事力だけでは国は立ち行かないということである。そこで再び日本を活用すべく二分法に戻ろうとしているわけであるが、お粗末この上ないやり方である。いかにお人好の日本といえども、中国の身勝手さとお粗末さを見せ付けられ、白けてしまった今、かつてのような熱に浮かされたとでも言うべき中国傾倒が起きるはずはないだろうし、またそうあってはならないはずである。このことは、政治家のみならず企業経営者の思考、言動に対しても言えることだろう。
<3_ 中国による日本の分断政策に国民が乗ることがあってはならない>
問題であるのは、二分法は安倍政権と国民を分断し、日本の政治統制力を弱め、中国にとっての利益を吸い取ろうとする政策であるということである。戦後の東西冷戦期には、国内には観念的な左派や過激な極右勢力が存在していたし、経済界はエコノミックアニマルとして経済一辺倒だったので、この種の中国の政策・工作が効果を発揮したが、今はそうではない。観念的な左派、過激な極左や極右はすっかり凋落し、国内は健全な民主主義に収束しつつある。安倍政権の政策は中国の言うような右翼や軍国主義のそれではなく、単に自主独立国家として当たり前の政策を進めているだけである。国民もそのことが理解できているからこそ、それなりの高い支持を与えているのであり、国際的にも支持を受けているのである。もう二分法による国内の分断工作が効果を上げるようなことがあるはずはないし、またあってはならないのである。
しかしながら、国内には、この中国の二分法によって再び「反日」気運を盛り上げようとする観念的な勢力が存在する。社民党、民主党の一部、自民党の親中韓勢力、朝日などの反日マスコミ、反日親中韓知識人、民団や総連などが、ここぞとばかりに勢いづいて、国内政治の混乱を狙って活動を活発化させることが危惧される。また経済界、企業経営者は、自分たちの中国ビジネスを拡大させるために、政府にひたすら中国との関係改善の強い圧力を掛け、結果として政府に無節操で無原則な対中妥協をさせることになるかもしれない。良識的で健全な国民は、こういう流れが中国の野望を実現させ、日本の国益を大きく損なうものであることを見抜いて、こうした事態にならぬようしっかり監視してほしいものだ。
<4_ 中国への協力は、最大限の戦略性をもって行うべきであり、純粋‘善意’の支援は最小限にとどめるべき>
中国が再び日本から得ようとしているのは、経済面での協力、そして環境ほかの日本の高度な先端技術であるから、日本はもう過去のように、こうした大切な資源を何の見返りもなく気前よく中国に贈呈するようなことを繰り返してはならないだろう。なにしろ困って、欲しがっているのは中国なのだから、それ相応の見返りとともに協力していくという冷徹な戦略性が必要だろう。ビジネスライクに行うことはもちろんながら、それだけでは不十分であり、中国の狙いと日本の利益をしっかり見極めた上での支援・協力であるべきだ。つまり、日本は、尖閣侵略行為や歴史認識問題での日本批判などを止めさせる方向での関係改善をする必要がある(二分法の実質的な骨抜き)。また、企業は中国リスクをいやというほど見せつけられたわけだから、中国ビジネスには自主的に十分な対策を取る必要があるし、また政府の政策に強調した行動をとっていかねばならないだろう。政府も企業活動をしっかり支援すべく、戦略性のある政策をとる必要がある。中国が本当に困っていることに対しては人道的見地からの支援もあり得るだろうが、それは必要最小限のものとしなければならないだろう。

集団的自衛権は高度で強力な戦略的抑止力だ! もし公明にこれが理解できぬなら、政権党の資格なし!

2014-05-24 21:54:30 | 政治
2014年5月24日
次の記事は日本が置かれている緊迫した状況を非常にリアルに示しているので、長くはなるが引用してみたい。
「自衛隊は鹿児島県・奄美群島の無人島で離島奪還訓練を実施し22日、演習内容を報道陣に公開した。中国が尖閣諸島(沖縄県石垣市)周辺で活動を強めていることを念頭に、水陸両用作戦能力を強化するのが狙い。…略… サンゴ礁が透けて見える澄んだ海岸線。鹿児島県瀬戸内町の小さな無人島、江仁屋離島の沖合に、5隻のボートが現れた。陸上自衛隊「西部方面普通科連隊」(長崎県佐世保市)の主力部隊約30人が乗っていた。 迷彩服姿の隊員たちは、うつぶせの姿勢で小銃の銃口を島に向けながら、静かに海岸に接近。一斉に上陸すると島の茂みに分け入り、身を潜めた。…略… 南西諸島の無人島を外国人が占領しているとの想定で行われた訓練。上陸の1時間ほど前、島の沖合約10キロに近づいた海上自衛隊の輸送艦「しもきた」の艦内は緊迫した空気が張り詰めていた。…略… 上陸の主力部隊であるボート隊が、予期せぬ事態に直面した際の手順を確認していた。そして、艦尾のデッキが開くと、「そーれ、1、2」。隊員は掛け声とともにボートで島に向けて発進していった。 空から上陸する隊員を乗せたCH47輸送ヘリも、ごう音とともに輸送艦の甲板から飛び立った。車両を輸送するエアクッション型揚陸艇「LCAC(エルキャック)」なども次々に発艦した。 すでに島の状況を探る偵察部隊20人が先に潜入し、上陸地点の安全を確認している。周辺海域には、潜水艦を警戒する護衛艦「くらま」や掃海母艦「ぶんご」など計3隻が輸送艦を取り囲むように展開。一連の上陸をサポートするため、監視活動にあたっていた。 訓練の中核となる陸自の西部方面普通科連隊は離島防衛の専門部隊。防衛省は離島防衛を強化するため、平成30年度までに同隊を米国の海兵隊を模した「水陸機動団」に新編し、水陸両用車52両の配備も計画する。また、機雷除去や潜没潜水艦の探知能力を備えた「コンパクト護衛艦」も33年度に新規に導入する方針だ。…略… 訓練を視察した武田良太防衛副大臣も「南西諸島防衛ではさまざまな足りない部分がある。ありとあらゆる脅威への対応能力を充実させなければならない」と強調した。」(23日 産経)。
こんなきな臭い、物騒な話には眉をしかめる人もおられようが、これが日本が置かれている現実なのだから仕方がない。この演習がいつ実践に変わるかもしれぬ現状では、しっかりとやっておいてほしいものだ。尖閣の海や空は中国によって既に日常的に侵犯されており、ベトナムやフィリピンの例から見ても、中国がもっと激しい侵略行為に出て来る可能性は高く、もはやこれ以上の暴挙を許すわけにはいかない。本来なら領海、領空侵犯に対しては武力で追い出すべきところであるが、残念なことに、これまでの日本は国を守るという意識が弱く、法整備もできていないので、実質的な侵略行為に対して武力で排除することができないでいる。こういう極めて不自由な条件の中で領海領空を守るために身を挺して最大限の努力をしてくれている海保や自衛隊には感謝のほかない。
とにかく、これまでの日本の防衛体制は、国民の意識、法、武装など多くの面で不十分なものであり即刻是正されねばならない。更に、中国や北の野望を抑える牽制力を強めねばならず、その重要なものの一つが集団的自衛権の行使容認である。

《グレーゾーン、国際協力や集団安全保障を有機的に統合する戦略的理念が集団的自衛権行使容認であるから、これら三つはパッケージでないと十分な効果が発揮できない!》
「自民党の石破茂幹事長は23日午前の記者会見で、集団的自衛権の行使容認などに関する閣議決定について「法律の整備を一体のものとして進めていく閣議決定が必要で、どれか1つが抜け落ちてはならない」と述べ、公明党との協議ではグレーゾーン事態対応、国際協力や集団安全保障、集団的自衛権の3分野をパッケージで合意し、閣議決定を目指す方針を改めて強調した。」(23日 産経)。
これは正しくそして当然のことである。というのも三つの分野が個別に扱われ、ばらばらでは防衛や平和を構築する活動の効果が十分ではなく、全体として迫力の無いものになってしまうからである。特に集団的自衛権の行使容認は、他の二つを統合する働きを持っているので、非常に高度な戦略性を含んだ政策であると言える。つまり、
第一に、これによって自衛隊と米軍の有機的で効果的な作戦を遂行できるので、防衛力が飛躍的に向上する。
第二に、これは日本の防衛についての断固たる意志表明であるから、中国、北に対しての強い牽制力となると同時に、米国内の日本防衛に対する消極論への明確な回答になる。すなわち、米国が一方的に日本を守る義務を負い、日本が自国防衛の積極的意志すら示さない状況に対する不満、「日本の安保ただ乗り」への批判が強まっている状況では、日米同盟も形骸化する可能性があるが、これに魂を入れるのが集団的自衛権の行使容認ということになる。
第三に、日本が集団的自衛権の行使容認をもって米国と対等の立場で日米同盟を運用するということは、中国にしてみればこれまでのように米国に話をつければそれで日本の運命は決まるという状況ではないことを意味するから、日本防衛の抑止力は格段に上がる。というのも、これまでのような、米国の核の傘のもとでの一国平和主義、日本は米国から一方的に庇護を受けるだけの国という防衛体制では、日本の生殺与奪権は米国に握られている。中国は米国との世界(とりあえずは太平洋地域)の二分割統治を狙っており、その相談を米国に持ちかけ、さまざまなチャンネルで、米国への働きかけを強めているから、関与政策(実質的には宥和政策)をとっている米国が、この案の誘惑によろめく可能性もないとは言えない。ベトナムやフィリピンが領土を中国に強奪されたのは米国の関心がこれらの国を離れた隙を突いたものであるから、米国が少しでも中国に色目を使えば、中国は間髪を容れずに尖閣などの強奪行動を強めるだろう。米国が、尖閣が中国に完全に侵略されることを黙認することはないにしても、米国の邪念でも出れば、中国への大幅譲歩を迫られ、それに抵抗できず、国益を失う可能性も排除できない。しかし、集団的自衛権行使容認は、防衛を米国の支援のもとに日本自身で行うとの意志表明であるから、中国としても米国と話を着ければ、日本侵略が可能になるというような状況ではなくなってくる。
第四に、日本がこのような積極的平和主義の立場に立てば、東南アジア、豪、インドなど中国の軍国主義的な拡張主義に危惧の念を抱いている多くの国との連携を強めることができ、それは中国に対する大きな牽制力となる。というのも各国がばらばらで、それをまとめるべき米国の姿勢がこれまでよりも弱まっている現状では、これらの国の力を束ねることができない。しかしそこに日本が加われば、米国と共にこれらの国々をまとめる力になるはずだし、彼らの力を中国の牽制に向けることが可能になる。
このようなわけで、行使容認は中国や北(そして韓国)に対する強い牽制力となるから、日本の平和維持への大きな貢献になる。

《集団的自衛権という日本の平和維持に有効な方策に背を向けて、実態のない観念的な「平和」を唱えるだけの公明の姿勢は、政権党の責務を放棄した党利党略の所業と見られても仕方がない! 公明は、もっと真剣に対応すべきだ!》
与党内協議初会合では、有事には至らない「グレーゾーン事態」、国際協力と集団安全保障、集団的自衛権の行使容認-の順で議論することを決めた。ところが、自民党はこれら三分野を一括して閣議決定する段取りを提案したが、公明党は同意しなかった。結論を得る時期についても、のらりくらりの言葉を並べるばかりでまだ決まっていない。日本防衛についての何の具体策、戦略もなく「慎重な議論」の一点張りであるから、こんな無責任な態度は許されない。
「公明党の井上義久幹事長は22日の党中央幹事会で、集団的自衛権の行使容認問題など安全保障法制をめぐる自民党との協議を慎重に進める考えを強調した。「初めに結論ありきではなく、具体的、現実的事例に則して議論したい」と述べた。 同時に「安保法制に関しては国論を二分する傾向があるが、協議を通じて国民の幅広い合意をつくることも党の重要な役割だ」と述べた。」(22日 産経)。
国民の理解を得る努力が必要なことは論を待たないが、それなら積極的に国民に説明をして理解を得る行動を行うべきであるが、そういうことは何もしていない。だから公明は国を守ることに関心がないと見られても仕方がない。
しかしこれは本意ではないはずだ(と思いたい)。公明もグレーゾーン事態や国連平和維持活動(PKO)での自衛隊の「駆け付け警護」の法整備には前向きな発言をしている。支持母体の創価学会は広報室が行使容認に慎重な見解を示したが、政教分離の原則があるのだから、公明は自主的に政策を決めることができるはずだ(そうしてもらいたいものだ)。具体性、現実性を欠いた観念的な「一国平和主義」のエゴに浸っているようなことでは、日本の平和は守れないし、また世界の平和に貢献することもできない。ドイツでは、メルケル首相のキリスト教民主同盟という宗教政党が与党となって国政に当たっているが、宗教政党ながら、安全保障政策、国際的な平和維持活動には積極的に軍事力を運用している。公明には、何が日本のためになるかを真剣に考えて、行使容認に踏み切ってほしい。
「グレーゾーンの検討を、集団的自衛権の議論を先送りする時間稼ぎに利用することがあってはならない。国の独立や国民の生命財産を守るため、集団的自衛権を行使して日米共同の抑止力を高めることは欠かせない。首相は19日夜、集団的自衛権について「熟慮して、決断すべき時は決断して進める」と語った。 厳しさを増す安保環境を考えれば、先送りする余裕など日本にはない。自民党は不退転の決意で公明党を説得してもらいたい。」(22日 産経社説)。
もし、公明がいつまでも国内だけに目を向け、党利党略(来春の統一地方選挙後にまで引き延ばしたい)だけを目指す姿勢を続けるのであれば、もう公明に政権党としての役割を期待することは出来ないだろう。安倍首相も、自民党も、しっかりこの点を抑えて断固たる決意で臨んでもらいたい。

《集団的自衛権行使容認は、事実上の‘国際公約’だ! 政府は、米国、東南アジア、その他の国々の日本に対する期待を裏切ってはならない。これを裏切れば、著しい国益の損失だ!》
政府・自民党は今国会会期末の来月22日までに、集団的自衛権の行使容認のための憲法解釈の変更を閣議決定し、年末予定の日米防衛協力の指針(ガイドライン)改定に反映させたい方針だ。ガイドラインへの反映は事実上の対米公約にもなっており、ラッセル米国務次官補は19日、期待感を表明した。オバマ大統領ら米政府要人も、日本の集団的自衛権の行使容認への取り組みを歓迎している。
「米知日派のアーミテージ元国務副長官とキャンベル前国務次官補は20日、安倍晋三首相が目指す集団的自衛権の行使容認に関し、6月22日に会期末を迎える通常国会中の閣議決定が望ましいとの考えを表明した。グリーン元国家安全保障会議(NSC)アジア上級部長も19日に同様の認識を示した。…略… 関係者によると、米政府当局者の一人は、年末に予定する「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)の再改定が来年にずれ込むことに強い懸念を示し、行使容認の実現を促した。」(21日 産経)。
集団的自衛権の行使容認に対する期待は米政府だけではなく、米国の議会もそうであり、下院は22日の本会議で、国防予算の支出に必要な2015会計年度(14年10月~15年9月)の国防権限法を賛成多数で可決したが、この中には安倍政権の安全保障政策への高い評価が明記された(24日 読売)。ワシントンポストなどの有力紙も歓迎している。ケチをつけているのは、米国の朝日新聞とでも言うべき「反日」紙ニューヨークタイムズぐらいのものである。
東南アジアからの支持と期待も大きいわけだから、公明の消極姿勢で、集団的自衛権行使容認が先送り、ないしは棚上げとでもなれば、これらの国々を失望させるだろう。それは、日本の防衛体制の強化に失敗したことを意味するだけでなく、経済や文化活動にまで日本の影響力低下という少なからぬ悪影響を与えるだろう。日本は大きな目で世界の平和秩序作りに貢献できるし、またそれをやっていくことが日本の責務であり、日本の安全と繁栄を確保する道でもあるだろう。