2014年5月31日
政界を変える起爆剤となる期待も背負って登場した日本維新の会が、衆院選から2年を待たずに分裂した。日本維新が注目されたのは、橋下氏率いる大阪維新の会の斬新な発想、政策面での柔軟性、大胆な実行力と、石原氏率いる太陽の国家主義的とも思える保守的政策との相互補完的合流にあったように思う。いわば日本維新は若者と熟年者との協調体制であったのではなかろうか。二つを結び付けていたのは「日本を変えなければ未来がない」という強い危機意識と強い愛国の情であったように思う。この意外な組み合わせに多くの人が懐疑的であると同時に、多くの人が「ひょっとすると…」と思い、この意欲的で斬新な試みの成功に期待を寄せたように思う。それだけに、橋下徹、石原慎太郎両共同代表が袂を分かつ結果となったのは残念だ。
日本維新の運営では、具体的政策面、特に、大阪都構想、原発政策、自主憲法制定問題で常に不協和音が付きまとった。それでも自民党と共に憲法改正を志向する立場を掲げたことから、政権党になり得る資格を持った党と期待もされていた。分裂の直接の原因は、橋下氏が今夏までに実現しようとしている結いの党との合流問題だった。結いの江田憲司代表は共通政策作りにあたり、石原氏の強い持論でもある「自主憲法制定」の文言を盛り込むことに反対した。また江田氏は集団的自衛権の行使容認についても慎重な姿勢をとっている。
こういうわけで今回の分裂に至ったが、再出発の道のりはかなり厳しい。それでも、日本の立て直しに何が必要かという両氏の認識に変わりはないはずだ。今後とも率先して安保や憲法改正を主要な政治課題に位置付ける路線を維持してもらいたい。
《橋下氏の狙いは、都構想の停滞打開であり、結いに続き民主との再編・合流であるが、もし大衆迎合的な政策での再編を進めるなら、それが最終的な身を結ぶことはないだろう》
「日本維新の会は、分党により、橋下、石原両共同代表によるツートップ体制から、元の「橋下維新」へと回帰することになった。 ただ、看板政策・大阪都構想が暗礁に乗り上げるなど、その足元は揺らぐ。石原氏との決別は、維新再浮上のきっかけになるのか。 「日本のためにやらなきゃならない」。橋下氏は29日に大阪市役所で開いた記者会見で、分党後、結いの党などとの合流を加速させる考えを示した。 橋下氏が、固い信頼関係で結ばれていた石原氏と決別してまで野党再編に突き進む目的の一つが、「都構想を前に進めること」(維新幹部)だ。都構想を巡る議論は自民など野党会派が多数を握る大阪府市両議会で行き詰まっており、事態の打開には、来春の府議・市議選で勝利するしかない。野党再編を契機とした「橋下人気」の回復は、維新に残された最後のチャンスでもある。」(30日 読売)。
大阪都構想は、大阪のためにも、そして日本のためにもなる政策であるはずだが、残念ながら大阪の自公民などの理不尽で党利党略の抵抗で足踏み状態である。橋下氏がこれを打開する方策を模索しそれを実行していくことは当然のことであり、それでこそ‘やる気の正義漢’としての真骨頂であるだろう。ただ、どうすれば現状を打開できるかは難しい問題である。橋下氏は結いとの合流を突破口にして、民主党に再編の揺さぶりを掛け、民主党前原氏などの保守系のグループとの連携・合流を目論んでいる。
「日本維新の会が分裂し、橋下徹共同代表(大阪市長)が次に照準を合わせるのは民主党だ。結いの党との合併だけでは展望が開けず、自民党の「1強体制」に対抗するには野党第1党の民主の参加が不可欠だからだ。ただ、民主内は再編派と自主再建派が入り交じる。一気に大規模な再編に至るかは微妙だ。 「自民党に対抗する大きな勢力がないと国民のためにならない。そういう思いで政治家をやっている」。石原氏が国会内で記者会見したのと同じ頃、橋下氏も大阪市役所で会見し、野党再編への思いを訴えた。 自ら維新の分裂に踏みきり、結いとの合流にメドを付けた。橋下氏が「次の一手」と位置づけるのが野党第1党の民主党だ。」(30日 朝日)。
橋下氏は既に前原氏とは会談しており、それなりの方向性は擦り合わせているのだろう。しかし、この構想実現のためには民主党の分裂が必要であるが、現状では自己利益優先かつ優柔不断の民主党議員諸氏がそこまで踏み切るとは考えにくい。また、たとえこういう流れになったとしても、政策はどうするのか。大阪都構想推進は当然としても、原発保持、憲法改正、集団的自衛権行使容認などの基本政策をしっかり掲げて、一致させておかないと、結局は空中分解してしまう。それを示したのが今回の分裂劇であったはずだ。また、脱原発、護憲、一国平和主義(米国の核の庇護のもとでのそれだから、これは欺瞞、エゴ以外の何物でのないのだが…)などの国民に受けが良さそうな政策を掲げて野党再編を成し遂げても、こんな非現実的な政策では政権を運営し、国を保持していくことなどできはしない。それを如実に示したのが民主党3年間の政権による国政の混迷と、日本の国際的な信用失墜だったはずだ。橋下氏が言う「自民党に対抗する大きな勢力がないと国民のためにならない。」は良いとしても、氏そして維新の諸氏に考えてもらいたいのは、無条件で自民党に対抗する勢力があれば良いということにはならないこと(無意味な再編などなくてもよい)、そして自民党に代わって一体何をするのかということである。
《橋下氏の側は政権党になるための‘背骨’を作るべきだ! 石原氏の側は、背骨はあるにしても、具体的に機能する頭、目や耳、手足を付けなければどうにもならない! 両者の‘やる気’は多くの人が認めるところだから、不備を改善して今後とも奮闘してほしい》
こんなわけで、橋下氏側の船出は前途多難である。野党再編を狙うのはよいとしても、問題は政策だ。脱原発政策はどう考えても非現実的であり、路線を変更すべきである。橋下氏は憲法解釈変更による集団的自衛権を限定的に容認する立場であるが、江田氏は「対米追従などの観念論で解釈改憲を認めるべきではない」と慎重だ。だが、安全保障政策の根幹での食い違いを残してはならないだろう。結いを取り込もうとするのは、護憲勢力からも参加させたいとの思惑によるものだろうが、こんなことを許していると、国は守れない。橋下氏は憲法改正推進派であるから、これを保持することは必須となる。
前述のように、結いの江田氏は、石原氏の強い持論でもある「自主憲法制定」の文言盛り込みに反対した。維新内でも、橋下氏に近い議員らの間には「自主憲法」に固執する必要はないとの判断が広がっていたようだ。これは考える余地のある問題だろう。と言うのは、現在の日本にどうしても必要なことは、憲法の不適切な部分、時代に合わなくなった部分を改正することであり、憲法改正をやる気があれば、政権党になり得る資格があると思えるからである。憲法改正が、‘自主憲法制定’で実現されれば最も望ましい形態だと思うが、橋下氏らはそれでは野党再編の障害になると見たのだろう。とにかく橋下氏には、維新の‘やる気’を活かすためにも、国政政党の名に耐え得る現実的な政策を掲げ野党再編を進めることを要請したい。
これに対して、石原氏の側には、もう少し柔軟に、そして現代に合ったやり方を追求するよう要請しておきたい。石原氏は29日の会見で「憲法をなんとしても直すことに政治生命を賭してきた」として、結いとの合流には反対すると説明した。‘自主憲法’は、日本のために日本人が作る憲法だということだから、もっともなこととは思う。しかしながら、問題もある。石原氏らがこれを言えば、現行憲法の積極的な部分を認めず、全面否定している、そして反米的であるとイメージされる傾向になる。ところが、旧太陽系の人達にはこういう(おそらくは誤解の)イメージの払拭に努力している気配が見えない。なぜ国民に理解してもらうべく、国民と密着した活動をしないのか? 旧太陽の党系議員は、国会の一部の活動だけをして‘国士’ぶっているきらいがあるのではないか。言い換えれば‘殿様’政治をやっているようにしか見えず、現代の政治スタイルとしてはいかがなものかと言いたい。
また、日本が抱えている問題は自主憲法制定問題だけではなく、多種多様な深刻な問題がある。なぜ、こうした問題についても積極的に発言していかないのか?
いずれにしても、旧大阪維新の会系も旧太陽の党系も、再出発は前途多難であるが、それぞれの長所を生かして、そして短所を克服して今後とも日本のために奮闘してほしい。そして要所要所では、これからも協調行動をとって欲しい。
政界を変える起爆剤となる期待も背負って登場した日本維新の会が、衆院選から2年を待たずに分裂した。日本維新が注目されたのは、橋下氏率いる大阪維新の会の斬新な発想、政策面での柔軟性、大胆な実行力と、石原氏率いる太陽の国家主義的とも思える保守的政策との相互補完的合流にあったように思う。いわば日本維新は若者と熟年者との協調体制であったのではなかろうか。二つを結び付けていたのは「日本を変えなければ未来がない」という強い危機意識と強い愛国の情であったように思う。この意外な組み合わせに多くの人が懐疑的であると同時に、多くの人が「ひょっとすると…」と思い、この意欲的で斬新な試みの成功に期待を寄せたように思う。それだけに、橋下徹、石原慎太郎両共同代表が袂を分かつ結果となったのは残念だ。
日本維新の運営では、具体的政策面、特に、大阪都構想、原発政策、自主憲法制定問題で常に不協和音が付きまとった。それでも自民党と共に憲法改正を志向する立場を掲げたことから、政権党になり得る資格を持った党と期待もされていた。分裂の直接の原因は、橋下氏が今夏までに実現しようとしている結いの党との合流問題だった。結いの江田憲司代表は共通政策作りにあたり、石原氏の強い持論でもある「自主憲法制定」の文言を盛り込むことに反対した。また江田氏は集団的自衛権の行使容認についても慎重な姿勢をとっている。
こういうわけで今回の分裂に至ったが、再出発の道のりはかなり厳しい。それでも、日本の立て直しに何が必要かという両氏の認識に変わりはないはずだ。今後とも率先して安保や憲法改正を主要な政治課題に位置付ける路線を維持してもらいたい。
《橋下氏の狙いは、都構想の停滞打開であり、結いに続き民主との再編・合流であるが、もし大衆迎合的な政策での再編を進めるなら、それが最終的な身を結ぶことはないだろう》
「日本維新の会は、分党により、橋下、石原両共同代表によるツートップ体制から、元の「橋下維新」へと回帰することになった。 ただ、看板政策・大阪都構想が暗礁に乗り上げるなど、その足元は揺らぐ。石原氏との決別は、維新再浮上のきっかけになるのか。 「日本のためにやらなきゃならない」。橋下氏は29日に大阪市役所で開いた記者会見で、分党後、結いの党などとの合流を加速させる考えを示した。 橋下氏が、固い信頼関係で結ばれていた石原氏と決別してまで野党再編に突き進む目的の一つが、「都構想を前に進めること」(維新幹部)だ。都構想を巡る議論は自民など野党会派が多数を握る大阪府市両議会で行き詰まっており、事態の打開には、来春の府議・市議選で勝利するしかない。野党再編を契機とした「橋下人気」の回復は、維新に残された最後のチャンスでもある。」(30日 読売)。
大阪都構想は、大阪のためにも、そして日本のためにもなる政策であるはずだが、残念ながら大阪の自公民などの理不尽で党利党略の抵抗で足踏み状態である。橋下氏がこれを打開する方策を模索しそれを実行していくことは当然のことであり、それでこそ‘やる気の正義漢’としての真骨頂であるだろう。ただ、どうすれば現状を打開できるかは難しい問題である。橋下氏は結いとの合流を突破口にして、民主党に再編の揺さぶりを掛け、民主党前原氏などの保守系のグループとの連携・合流を目論んでいる。
「日本維新の会が分裂し、橋下徹共同代表(大阪市長)が次に照準を合わせるのは民主党だ。結いの党との合併だけでは展望が開けず、自民党の「1強体制」に対抗するには野党第1党の民主の参加が不可欠だからだ。ただ、民主内は再編派と自主再建派が入り交じる。一気に大規模な再編に至るかは微妙だ。 「自民党に対抗する大きな勢力がないと国民のためにならない。そういう思いで政治家をやっている」。石原氏が国会内で記者会見したのと同じ頃、橋下氏も大阪市役所で会見し、野党再編への思いを訴えた。 自ら維新の分裂に踏みきり、結いとの合流にメドを付けた。橋下氏が「次の一手」と位置づけるのが野党第1党の民主党だ。」(30日 朝日)。
橋下氏は既に前原氏とは会談しており、それなりの方向性は擦り合わせているのだろう。しかし、この構想実現のためには民主党の分裂が必要であるが、現状では自己利益優先かつ優柔不断の民主党議員諸氏がそこまで踏み切るとは考えにくい。また、たとえこういう流れになったとしても、政策はどうするのか。大阪都構想推進は当然としても、原発保持、憲法改正、集団的自衛権行使容認などの基本政策をしっかり掲げて、一致させておかないと、結局は空中分解してしまう。それを示したのが今回の分裂劇であったはずだ。また、脱原発、護憲、一国平和主義(米国の核の庇護のもとでのそれだから、これは欺瞞、エゴ以外の何物でのないのだが…)などの国民に受けが良さそうな政策を掲げて野党再編を成し遂げても、こんな非現実的な政策では政権を運営し、国を保持していくことなどできはしない。それを如実に示したのが民主党3年間の政権による国政の混迷と、日本の国際的な信用失墜だったはずだ。橋下氏が言う「自民党に対抗する大きな勢力がないと国民のためにならない。」は良いとしても、氏そして維新の諸氏に考えてもらいたいのは、無条件で自民党に対抗する勢力があれば良いということにはならないこと(無意味な再編などなくてもよい)、そして自民党に代わって一体何をするのかということである。
《橋下氏の側は政権党になるための‘背骨’を作るべきだ! 石原氏の側は、背骨はあるにしても、具体的に機能する頭、目や耳、手足を付けなければどうにもならない! 両者の‘やる気’は多くの人が認めるところだから、不備を改善して今後とも奮闘してほしい》
こんなわけで、橋下氏側の船出は前途多難である。野党再編を狙うのはよいとしても、問題は政策だ。脱原発政策はどう考えても非現実的であり、路線を変更すべきである。橋下氏は憲法解釈変更による集団的自衛権を限定的に容認する立場であるが、江田氏は「対米追従などの観念論で解釈改憲を認めるべきではない」と慎重だ。だが、安全保障政策の根幹での食い違いを残してはならないだろう。結いを取り込もうとするのは、護憲勢力からも参加させたいとの思惑によるものだろうが、こんなことを許していると、国は守れない。橋下氏は憲法改正推進派であるから、これを保持することは必須となる。
前述のように、結いの江田氏は、石原氏の強い持論でもある「自主憲法制定」の文言盛り込みに反対した。維新内でも、橋下氏に近い議員らの間には「自主憲法」に固執する必要はないとの判断が広がっていたようだ。これは考える余地のある問題だろう。と言うのは、現在の日本にどうしても必要なことは、憲法の不適切な部分、時代に合わなくなった部分を改正することであり、憲法改正をやる気があれば、政権党になり得る資格があると思えるからである。憲法改正が、‘自主憲法制定’で実現されれば最も望ましい形態だと思うが、橋下氏らはそれでは野党再編の障害になると見たのだろう。とにかく橋下氏には、維新の‘やる気’を活かすためにも、国政政党の名に耐え得る現実的な政策を掲げ野党再編を進めることを要請したい。
これに対して、石原氏の側には、もう少し柔軟に、そして現代に合ったやり方を追求するよう要請しておきたい。石原氏は29日の会見で「憲法をなんとしても直すことに政治生命を賭してきた」として、結いとの合流には反対すると説明した。‘自主憲法’は、日本のために日本人が作る憲法だということだから、もっともなこととは思う。しかしながら、問題もある。石原氏らがこれを言えば、現行憲法の積極的な部分を認めず、全面否定している、そして反米的であるとイメージされる傾向になる。ところが、旧太陽系の人達にはこういう(おそらくは誤解の)イメージの払拭に努力している気配が見えない。なぜ国民に理解してもらうべく、国民と密着した活動をしないのか? 旧太陽の党系議員は、国会の一部の活動だけをして‘国士’ぶっているきらいがあるのではないか。言い換えれば‘殿様’政治をやっているようにしか見えず、現代の政治スタイルとしてはいかがなものかと言いたい。
また、日本が抱えている問題は自主憲法制定問題だけではなく、多種多様な深刻な問題がある。なぜ、こうした問題についても積極的に発言していかないのか?
いずれにしても、旧大阪維新の会系も旧太陽の党系も、再出発は前途多難であるが、それぞれの長所を生かして、そして短所を克服して今後とも日本のために奮闘してほしい。そして要所要所では、これからも協調行動をとって欲しい。