もとなりくんの「今週の政治 ‘とんでも’」

日本の経済、安保危機を打開する力は、国民の結束と強い政治しかない

日本の外交・安保_ 「友好は手段であって目的ではない」なる安倍首相の国家観、外交・安保観の確かさ! 

2014-10-25 21:55:20 | 政治
2014年10月25日
感じ入った記事内容について述べさせてもらいたい。それは、23日の産経、「阿比留瑠比の極言御免」なるコラムの一部である。
11月に北京で催されるAPEC首脳会議の場で、安倍晋三首相と中国の習近平国家主席による初の首脳会談が実現するとの期待が高まっている。
「首相自身が臨時国会の所信表明演説で、これまで日中関係であえて使わなかった「友好」という言葉を用いた。一定の手応えを感じているからこそ、次のように述べたのだろう。 「日中両国が安定的な友好関係を築いていくために、首脳会談を早期に実現し、対話を通じて『戦略的互恵関係』をさらに発展させていきたい」 首相はもともと「日中友好」の4文字が対中外交戦略の選択肢を狭めてきたと考えてきた。例えば平成20年6月の都内での講演では、「友好は手段であって目的ではない」と強調してこう説いていた。 「日中外交はいわば日中友好至上主義といってもいい。だんだん、友好に反することは全然だめだという雰囲気が醸し出されてきた。友好に反することは何かは中国側が専ら決める」 
首相が第1次政権時に戦略的互恵関係を提唱したのも、ウエットな日中友好至上主義は排し、もっとクールに相手の必要性を認め合って付き合っていこうという発想からだった。 中国側も以前とは対応を変えてきている。16日にイタリア・ミラノで李克強首相と握手を交わした際の反応について、安倍首相は周囲に「李氏はニコニコしていてこれまでと態度は違った」と語っている。 一方、所信表明演説での韓国への言及は「関係改善に向け、一歩一歩努力を重ねてまいります」とあっさりしたものだ。安倍政権が韓国に向ける視線の厳しさが如実に反映されている。…略…  「こっちが(中国に)譲らなかった結果、首脳会談ができなくてもかまわないという姿勢で臨んでいる」 首相は周囲にもこう語る。」(23日 産経)。

ここで述べたいのは、まだどうなるかもわからない首脳会談についてではない。70年代から90年代にかけて、日本では「日中友好」の言葉が至るところで強調され、「友好」がすべてに優先するという雰囲気にあった。実際、日本政府は、そして野党も日中友好を最優先するあまり、国益を損ねてまでも、友好を優先する傾向が見られた。これは韓国、北に対してもそうであり、「外交・安保」の対象は、米国以外では中韓北の三カ国しかないという有様だった。多くの日本人にとって「友好」は最優先の目的であり、これを「手段」と見ることなど思いもよらなかったことではあるまいか。それを首相は「友好は手段であって目的ではない」と言う。これは「コペルニクス的転回」と言ってもよいほどの内容である。
確かに言われてみればそうだ。個人の関係においても、周囲の人間との友好関係は非常に重要なものであるが、それは決して目的ではない。友好のために、自分を殺しては何にもならない。自分を活かすために、自分が広い意味での利益を得るための戦略、手段の一つが周囲との友好関係の樹立なのである。友好を最重点にするのは宗教のドグマであって、政治のそれではない。日本の政治は、第一義的には日本国民のためのものであり、これを損ねての友好は、政治の責務の放棄である。もちろん、友好は重要ではあるが、これは双方が、それが利益になるとの前提をしっかり確認してからのものであることが重要であり、その実態は「戦略的互恵関係」ということになる。この意味で、首相の国家観は非常に正しいものと言える。

中国に対する姿勢と韓国に対する姿勢が違うのも、納得できることである。韓国は、有史以来何かにつけて、強い国に従属してきたのであり、その本質は近代そして今でもなんら変わることはない。それゆえ中国との話を着ければ、韓国の立場は自動的、必然的に決まってくるという意味がある。ここ数十年の経緯を見ても、日韓二国間で決まったことはほとんどないし、その多くが韓国の勝手な都合で反古にされている。

首相は、国民の安全、利益を最優先に考えており、合理的で理性的であり、現実的である。この考え方が、民主的考えや、人権の尊重、「法と正義」の遵守、グローバルな視点、未来を先取りした視点を強化している。ここには、国家は国民の権利や自由を弾圧するものであるというような古く、誤った国家観はない。安倍首相に限らず、これからの首相には、ぜひともこの姿勢を貫いてほしいし、これがある限り、日本の未来は大丈夫だろう。ただ言わずもがなのことではあるが、安倍首相には今後、小泉元首相のように「君子豹変す」というようなことにならないよう、くれぐれもお願いしたい。

慰安婦問題_ サンキュー テキサス親父! まずは「発信」、そして次は「うまく」発信すること!

2014-10-25 21:51:01 | 政治
2014年10月25日
テキサス親父がやってくれた! これが示しているのは、とにかく発信が不足しているということ、そして、発信にあたっては無用な誤解や反発を招かないように注意することの重要性である。
「米カリフォルニア州グレンデール市の市議会で21日(現地時間)、「テキサス親父」の呼び名で知られるテキサス州在住の評論家、トニー・マラーノ氏が発言する機会を与えられ、韓国系団体の強い要請で設置された慰安婦像を批判した。マラーノ氏は慰安婦問題で韓国側の主張を否定し、日本擁護の立場を取っている。
「慰安婦像は日本人の名誉を毀損している。侮辱している」。マラーノ氏は慰安婦像設置に賛成した市議らを前に静かに話し始めた。 事前に届け出れば、誰でも意見を述べることができるパブリックコメント制度を利用し、意見を述べる機会を得た。…略… マラーノ氏がグレンデール市を訪れることは非公表だったため、反日的な韓国系住民の姿はなかった。
 「あなたたちの目的は尊い」。市議らに向かって、マラーノ氏は言った。「だが最近、韓国で新しい慰安婦のグループが、自分たちの政府に1950年から1992年の間に強制的に慰安婦とさせられたと言っている。グレンデール市は、日本や、日本の人々に対し一貫性があることを表明するチャンスだ」
 朝鮮戦争以後、在韓米軍基地周辺で米兵を相手に売春をさせられたと主張する100人以上の韓国人女性らが今年6月、韓国政府に賠償を求める訴訟をソウル中央地裁に起こしたことを引き合いに出し、続けた。 「今ある慰安婦像が、日本を侮辱する目的で設置したわけではないということを証明できる。この新しい慰安婦のグループのために2つ目の像を考えたらどうだろうか」…略…  不思議なものだ。在米日本人らが、慰安婦像について反対意見を述べると、「もっと歴史を学ばなければ」「なぜ、過ちを認めない」などとヒステリックに反論していた市議らも、マラーノ氏には何も言わなかった。米国世論に、日本の立場、日本の主張を説明することがいかに重要かを示している。
 慰安婦像設置に賛成した市議らは、マラーノ氏の話を聞き終わると、「サンキュー」と述べた。設置に唯一、反対した市議は「あなたの名前は」と改めて聞いた。」(22日 産経)。
これはグレンデールの慰安婦像に一つのくさびを打ち込んだものであり、大いに評価できる。米軍に対する韓国人慰安婦の問題という、事実ではあっても、米国人には非常にデリケートな問題を臆することなく堂々と述べ、それを浸透させたマラーノ氏の熱意と胆力、プレゼン技術には賛辞を贈りたい。
言うまでもなく、これで慰安婦像が撤去されることが決まったわけではないし、また、韓国系の市民が押し寄せれば、紛糾してこうはいかないかもしれない。日本人、あるいはたとえ米国人であっても他の人ではこうはいかないかもしれない。だが、今回の最大の成果は、戦略的に戦術、見通しを立てて、うまく訴えていけば、現在の米国における誤解を解いていける十分な可能性があることが実証されたことにあると言えるだろう。

《戦略的に、うまく発信して行けば、現在の誤解を打ち破れる》
慰安婦問題は本来、米国の連邦政府はおろか、その地方自治体には何の関係もない事柄である。にも関わらず、地方で慰安婦碑や像の建立が広がっているのは、虚偽の内容でもって「女性の人権問題」という民主主義的装いを整えて、これを大義名分とすること、さらに議会の議員への接待攻勢や、韓国系市民の票という実利を与えることの両面での仕掛けがうまく機能しているからである。しかし、この構造は砂上の楼閣的危うさ、脆さを持っている。虚偽の流布は、これまで日本がほとんど有効な情報発信をしてこなかったことによるものだから、事実が明らかになれば崩れざるを得ないものだ。後者の利益供与にしても、違法な政治活動、不道徳な政治活動の境界線をうろついているごときものであろうから、厳しいチェック、批判が起きれば、ひとたまりもないだろう。韓国側の主張だけが浸透しているのは、偏にこれまで日本側がほとんどと言っていいほど、何も発信してこなかったこと、抗議らしい抗議をしてこなかったことによるものである。カリフォルニア在住の弁護士、ケント・ギルバート氏は、先ごろの週刊文春の取材に対して、米国では韓国側の(虚偽の)主張しか入ってこない、日本はもっと(真実についての)発信を強めるべきだとアドバイスしてくれている。
また、それだから、良識のある米国人、団体などは、このような危うい話には乗らないだろう。たとえば、米政界に影響力を持つ政策提言団体「アメリカ・ユダヤ人委員会(AJC)」のデビッド・ハリス理事長が来日し、産経の取材に応じて中東問題について考えを述べている。その中でハリス氏は、「いわゆる従軍慰安婦問題とホロコースト(ユダヤ人大虐殺)を結びつけようとする、在米韓国人団体などの動きについて、「我々は部外者だ」と強調。「米国の強力で重要な同盟国である(日韓)両国が、恒久的な解決策を見いだすことを願う」と語った。」(22日 読売)。
本来、この問題について米国は第三者であり、中立的立場を取るのは極めて自然であり、当然のことと言える。

幸いなことに、政府は、最近本腰を入れて、この問題に取り組もうとしている。菅官房長官は24日、
「「河野談話が強制連行を確認できないという中で作られたにも関わらず、記者会見で(強制連行を)認めたことは大きな問題だ」と改めて批判した。…略…「(河野)元官房長官の記者会見発言、さらに朝日新聞が報じていた吉田氏の証言によって、強制連行があったかのような事実に反する認識が国際社会に広まっていることが極めて問題だ」と語った。 さらに「客観的資料に基づいて正しい歴史認識が構成されるように、日本の名誉信頼回復を図るべく、それぞれに国に対してしっかりと広報活動を行っている」と述べ、対外広報に注力している点を強調した。」(24日 産経)。

《日本を貶めることで利益を得ようとする韓国、中国、そして一部の反日的米国人_ この三つの勢力との情報・宣伝戦争に勝つことの重要性》
いうまでもなく、「慰安婦問題」は、韓国、中国などが悪意を持って仕掛けている反日プロパガンダである。たとえば、中国は、菅官房長官の上述の主旨の発言(ただし、24日のそれに先立つ21日のそれ)に対して、強制連行が「日本の軍国主義による重大な非人道的犯罪で、証拠は確かであり、否定は許されない」と強調。「歴史的な犯罪や事実を否定しようとしても、日本が侵略の歴史を覆そうとしているとの警戒を高めるだけだ」と反発している(共同_ 22産経)。

なぜ、慰安婦問題の直接的な当事者でない中国が、反発するのか? この点について、米国ヴァンダービルト大学名誉教授 ジェームス・E・アワー氏は、22日付け産経「正論」で次のように述べている。
「中国が日本を批判するのは、ある意味で当然といえる。中国政府は、自国民の民主的権利を否定する一方で、中華人民共和国の歴史全体よりも長期にわたり民主国家として成功している日本におびえているとみられる、中国共産党の専制支配下にあるからだ。」としている。
同氏は、韓国については、「その経済・教育制度は日本統治時代を手本にして発展してきたのに、なぜ1990年代に入って日本を非難するようになったのだろう。それも、日本が今後、韓国の自由や独立への脅威となるからという理由でなく、優に半世紀以上も前の行為に対し、日本が行ったはずの謝罪と償いが不十分だとの理由でだ。」なる問題を提起した上で、次のように結論づけている。
「金(大中)氏の後任の大統領たちは、いかなる理由からか、小渕氏と金氏の(慰安婦問題は決着との)合意をほごにする代わりに、45年以降の日本の行い(善行)を無視し、物議の的となっている歴史を強調することに決めた。国内政治が動機となっていると推察するのは難しくないが、日本の成功への嫉妬と、日本が順法国家であろうとする努力に対し、故意に知らないふりをしているか、本当に無知だという事情もあるのだろう。」(22日 産経)。
これらはいずれももっともなことで妥当な見方と言えるだろう。結局、「嫉妬」に狂った韓国はもう突き放すしかなく、日本が本当に訴えるべき相手は米国を始めとする民主主義国の市民であるということだ。韓国や中国の虚偽のプロパガンダに対して、真実、事実を広める情報・宣伝戦を展開し、それに勝たねばならないということである。

同氏は、その場合の事実関係として次のことを挙げると同時に、留意点も示している。
「慰安所の制度が(戦後の連合国軍の)処罰の対象とならなかったのは、朝鮮や日本の女性の多くは、自ら進んで慰安婦になるか、困窮する親に売られたのであって、拉致されたり、本人の意思に反して強制されたりしたのではないことが、彼女らへの聞き取り調査で結論づけられたからだ。」
「韓国政府が70年代、自国経済を救済する目的で韓国駐留米兵のために売春制度を組織したことは、戦後生まれの韓国人の多くが知っている」。この在韓米軍への韓国人慰安婦の存在は、上述のマラーナ氏をはじめとして、特定の米国人には周知の事実であるが、一般にはまだ知られていない事実だから、これを知らしめることが一つのポイントになるだろう(ただし、やり方には工夫が必要だろう)。そして、重要なことは、次のことである。
「日本が強制行為への当局の関与をいくら否定しようとしても、韓国人の多くや日本人ではない一部の人々には、日本政府の隠蔽(いんぺい)工作と受け取られる。」
「日本を批判する人々は、日本は民主的な意思決定と法の支配の面で弱点を抱えると主張する。30~40年代の慰安婦問題、70~80年代の「不公正」な取引慣行、そして現在の捕鯨やイルカ漁は、日本の特質を表す証拠に挙げられる。公平を期すれば、国内法や国際法を順守しようとする日本の努力は、こうした法律を称揚しつつも日本ほど熱心に順守するわけではない諸外国から、何の法的根拠もなく批判されることがあるという事実は認識されるべきだ。」(同)。
これは、たとえば、米国人の一部には日本に偏見を持つ反日主義者がいるということであり、こういう人たちを頭から批判すると、彼らが米国人であるが故に一般の米国人からも反発を受ける可能性があるということである。韓国に対するそれのように、突き放しておくだけではまずいということになる。そこで、気を付けるべきことは、こうした米国人が少数勢力になるように、うまく発信をしていくこと、有力者を味方につけることなどだろう。また、日本が米国を批判しようとしているとか、先の戦争を正当化しようとしていると誤解されぬように、注意する必要があるだろう。この点については、日本側の官民を挙げた戦略的取り組みが必要であり、(表面的にはともかくも、水面下・実質では)政府・外務省がその司令塔にならねばならない。
とは言え、「うまくやる」ことにこだわり過ぎては、腰が引けてしまい、これまでと同じように、何もしないで事態の推移を見守るだけになってしまうので、多少のリスクはあるにせよ、まずは発信することが重要だろう。真実、事実を語っている限りは、たとえうまく行かないにしても、受ける傷は軽いものに留まるはずだ。