もとなりくんの「今週の政治 ‘とんでも’」

日本の経済、安保危機を打開する力は、国民の結束と強い政治しかない

都知事選 ‘細川-小泉連携’は、「元首相」の肩書と「都政」の私物化、民主主義と政治、経済の破壊だ!

2014-01-15 22:21:09 | 政治
2014年1月15日
「あーあ とうとうやってしまったか」、そして「小泉よ お前もか」としか言いようがない。小泉元首相が、自分の政権の成果と国民の高い評価を自ら貶めるような方向に暴走してしまった!
「細川護熙元首相(76)は14日午後、東京都内で記者団に対し、都知事選(23日告示、2月9日投開票)への立候補を表明した。「立候補する決断をした」と述べた。「脱原発」方針で一致している小泉純一郎元首相が支援する。 細川氏の立候補で選挙戦の構図は一変し、脱原発を最大の争点に激戦となる見通しだ。 細川、小泉両氏は14日昼、都内のホテルで会談した。終了後、細川氏は記者団に「いまの日本の問題、特に原発の問題に危機感を持った。原発問題は、知事として非常にやりがいのある仕事だ」と主張した。 小泉氏は「原発の問題で共感できる。積極的に支援する」と強調。」(14日 共同)。
そもそも細川氏は、こんな‘高尚’なことをのたまう以前の問題として、「借入金疑惑」という極めて低劣な問題を抱えており、これだけでもう立候補資格がない人物だ。‘高尚さ’を装うことによって、政治倫理の問題と自己の不浄な野心に頬かぶりしようとしても、都民も国民も騙されるはずがない。今回、小泉氏はこのような人物を「全面支援」すること、つまり同類であることを表明したので、不純、不浄の ‘細川-小泉連携’が、都民、国民の良識に挑戦する図式となった。都知事選をめぐる細川氏の批判については11日のエントリーに書いたので、今回はこの情勢の変化を踏まえて、小泉元首相批判を中心に述べてみたい。

《‘ごった混ぜ’の細川、小泉の脱原発_ これは「都政」の私物化であり、民主主義の破壊以外の何物でもない!》
細川氏の発言は、「いまの日本の問題、特に原発の問題に危機感を持った。原発問題は、知事として非常にやりがいのある仕事だ」(共同)、「(立候補するのは)今の日本のさまざまな問題、特に原発の問題などについて、非常に私なりに国の存亡に関わる問題だという危機感を持っているからだ」(産経)などと報じられている。読めば読むほど、違和感と怒りが湧いてくる。ここには、「国政に関与するために都知事になる」という主旨が明確に述べられている。しかしこれは全くの論理矛盾であり、もしこれが正気で言われているのなら「都政は国政の道具だ」という主旨の主張をしていることになる。これは都民を足蹴にし、地方自治の精神を踏みにじる考えであり、断じて許すわけにはいかない暴言だ。そもそも、「脱原発」という国政の課題については、一昨年の衆院選で、「脱原発」を最大の政策として掲げた「日本未来」が惨敗したことで、一応の決着がついているのだ! 再チャレンジしたいと考えるなら、それは、昨年の参院選、もしくは次回の国政選挙で争うべき(だった)ことである。当然すべきことをしないで、直接関係ない都政に「脱原発」を持ち込むのは、民主的政治の精神とその規範を破壊し得ることではないか。このようなやり方は、自分の政治信条を実現するためには、法律に触れない限りは、民主主義の理念も規範も壊してよい、すなわち「目的のためには手段を択ばない」ということである。これは、都民の民主主義と政治に対する健全な認識を甘く見た、のぼせ上がった傲慢な主張であり、都民と国民を愚弄する以外の何物でもない。

《自己の目的実現のため、原発問題を「二つのグループの戦いだ」として単純化して、対立を煽り、国を混乱させ、国民の理性と良識を奪い、情緒的行動を引き出そうとするやり方は厳しく批判されるべきだ》
今回、小泉氏は「この戦いは、原発ゼロでも日本が発展できるというグループと、原発なくしては発展できないというグループとの争いだ」と語っている。原発問題という極めて重要かつ複雑、しかも複数の方策の組み合わせとして決着させることが可能な課題を、強引に単純化して「白か黒か」の二極対立に持ち込もうとするのは、現実性、合理性、民主性、理性を欠いた情緒的な大衆扇動行動でしかない。小泉氏は首相時代、郵政民営化という単一テーマで衆院を解散し、大勝利を収めた経験から、今回も同様に「柳の下のどじょう」を狙っているのだろうが、両者の間には雲泥の差があり、これを同一視することはできない。あの時は、あくまでも国政課題の民営化問題を国政手続きの総選挙で問うたのであり、それを問うたのはそのことについての責務と権限を持つ現役の総理であった。郵政民営化は国民全体の利益になるものであったし、世界の流れから見ても妥当な政策であった。しかし今回は、国政の課題を、都知事選で問おうとしているし、それを問おうとしているのは、すでに引退済みの、その責務も権限もない「元首相」達である。「脱原発」という政策課題も、国民の利益、国益、世界の流れに反するものである。両氏の目論見の不当性は明らかであり、都民、国民はこのような出鱈目なやり方を許さないだろう。

《現実を無視して「脱原発」に暴走する両氏の行動は、無責任極まりない! どうやって「脱原発」を実現するのかについて、技術的、経済的、政治的な観点からの根拠を示せ!》
細川、小泉両氏は、少なくとも次の問いには明確に答えなければならない。
> 小泉氏は、国内原発の「即時ゼロ」を唱えているが、代替火力のための燃料費だけで毎年3-4兆円にも上る追加費用が発生している。これをどうするのか
> そもそも、原発の代替エネルギーを何に求めるのか。「再生可能なエネルギー」は、少なくともここ十年以上は小規模で、高コストなものにとどまる見通しであり、とても、原発の代替案とはならない。環境への負荷、環境破壊も現実の問題だ。またこれを普及させるためには莫大な財政支出が必要だが、それはどうするのか。
> 都政を通じてどうやって脱原発を実現するのか。東電の大株主としての都が、東電に事業計画の変更を要求して圧力を掛けるということは、国の経済、国政に混乱を及ぼすことであり断じて許されない。
> 電力料金値上げ、電力供給の不安定化は、企業の経済活動に、大きな影響を与え、ひいては日本経済の衰退をもたらすが、この点はどうするのか。
> 原発は、日本の重要な‘戦略的輸出品’であるが、これに代わるものを何に求めるのか。「再生可能エネルギー」を使った発電システムは、ロウテクであり、戦略的輸出品とはなり得ない
> 「技術立国日本」の主要な技術の一つは原子力だ。これを放棄するということか?
そもそも、人間が作り出した化学技術は、リスク克服の歴史だった。いかなる技術もそれなりのリスクを持つものであり、原子力はその中では決して高い方ではない。原子力に対する人間の科学・技術的能力をどう評価しているのか。
> 再生可能エネルギーにはこうした問題があるからこそ、福島原発事故の後でも、各国では原発の増設が続いているし、この傾向は今後とも変わらないと予想されている。脱原発を進めている国は数か国しかなく、その代表格のドイツでも、電気料金値上げに青息吐息であり、本当にやれるかどうかわからない(たとえ無理やり成し遂げても、その代償はあまりに大きい)。技術進歩、経済政策に対する世界の見通しに抗ってまで、日本が一国孤立主義的な脱原発を進める理由はどこにあるのか? 世界はコンパクトな原発でスマートに暮らしているのに、何故か日本だけが大きな出費をして風車や太陽光パネルのようなものに囲まれて暮らしているという異様な姿を想像してみれば良いだろう。これがうまく行くという論拠はどこにあるのか。なぜここまでしなければならないのか? 「「原発ゼロ」という方針を政治が出せば、必ず知恵のある人がいい案を出してくれる」(小泉元首相)、「これは私の勘だ」(同)などという、いい加減なことでは済まされない!

《中韓北の高笑いが聞こえる! 両氏の行動は、安倍政権が進める「中韓との外交」戦略を著しく害し、国益を損ねるものだ》
「元首相」としての両氏は、自分たちの行動が外交に与える悪影響をどう説明するのか? 現在、中国は尖閣をはじめとする日本の領土侵略行動を強め、韓国は竹島の実効支配を強めるとともに、「慰安婦」や「戦時徴用」問題などによって日本の名誉失墜と権益略奪行動を進めている。北は、核とミサイルで日本をいつ攻撃してくるかわからない。中韓北は、こうした彼らの野望を実現するために、有形無形の日本の政治、経済の分断、破壊工作を行って来た。これに対抗するためには、国民が結束して備えを強め、彼らに隙を与えないことが第一歩だ。安倍政権は、「空白の20年」の政治的、経済的混乱、弱体化を解消し、ようやく「再生」への道を踏み出したばかりである。今回の両氏の行動は、その日本に不必要かつ不条理な混乱と分裂を持ち込むものであり、対外防衛力を著しく損なうものだ。中韓にとって、技術的に先行している原発先進国である日本が、国内抗争で脱落してくれれば、彼らの粗悪原発を世界に売り込むチャンスが著しく増大し、それは彼らの技術力と経済力を増大させ、日本攻撃に弾みをつけることだろう。また、原子力技術は、潜在的な国防力として、中韓北などの軍事的野心を牽制する力があるが、脱原発は、その力を捨て去ることでもある。
今回の事態は中韓北にとっては、思いがけない朗報であるだろう。なにしろ、自分たちの野望実現の障害になっている日本が、何もせずとも勝手に転んでくれると言うのだから。首相を務めた両氏が今回のような無配慮な行動をすることの罪は極めて重い。

《個人の目的実現のために‘公の’肩書である「元首相」の力を使うことは許されない!》
 鳩山元首相は、イランや中国などに出向き、売国的発言を繰り返して国益を損ねている。菅元首相は、民主党の方針に背いて「脱原発」候補を応援したり、米国などに出かけて「脱原発」を訴え、日本政府の足を引っ張っている。そこに今回、細川、小泉という「元首相」が加わって、政府の足を引っ張ることをするという。細川氏は‘無責任で気まぐれな殿様’ぐらいの評価だったし、鳩山、菅の諸氏は、「ルーピー」、「ペテン師」、「最低の首相」、「最悪の首相」など、さまざまな言葉でその無能力、無責任ぶりが語られている。今回、高い見識を持つ人として評価の高かった小泉氏までもが、これらの低劣な「元首相」組に加わるというのは、「小泉よ お前もか!」と言わざるを得ない深刻な事態である。元首相が揃いも揃って、「元首相」の肩書を使って国政に‘不当に’介入し、国政を混乱させ、国益を損ねている事態は、とてもまともな国の姿とは言えない。日本は「年一回の‘猫の目’の首相後退」が続き、国政を混乱させ、世界の笑いものにもなってきた。安倍政権の登場でようやくこの悪弊が克服できたと思ったら、今度は「多くの元首相が暴走するおかしな国」ということで、またまた国益を損なうこと、世界の笑いものになることになった。我々国民としてはやりきれない気持ちである。今回の小泉氏の行動は、これまで言っていたことに完全に反すること、天に唾する行為である。中曽根、宮沢元首相に、高齢を理由に議員の自主的引退を要求したり、自身が政界引退を表明したのも、詰まるところ「元首相の政治的影響力は大きく、それが政権運営に悪影響を及ぼすことがあってはならないとの極めて全うな発想からのものだった。それが今回の変節である。今回の小泉元首相の行動に対して裏切られたと憤る国民は少なくないだろう。
彼はなぜこのような、何の正当性もない、しかも過激で極端な行動に出たのか? 彼が主張する「脱原発」に対して、自分が引き立てた安倍首相が否定的対応を取ったのが癇に触ったのかもしれない。それとも、世間が批判したことが気に食わなかったのか。というのも、彼は批判されればされるほどムキになって闘志を燃やす性格だという説もあるからである。歴史上、権力に上りつめた人間が、自信過剰になり、急に傲慢になって暴走するという例は少なくないので、小泉氏もその一人なのかもしれない。結局は「小人 閑居して不善をなす」と言うことか。いずれにせよ、想像の域を出ない。
しかし、彼が傲慢になったこと、今回の行動が国民に対する背信行為で、国民に多大な害悪を与えるものであることは間違いない。彼は厳しく批判されなければならないだろう。
元首相にも、自分の考えを主張したり、自分の考えを変えたりする権利はあるにしても、そのやり方は、高い倫理性を保ち、有形無形の社会規範を尊重し、節度を保ったものでなければならない。他の政策との関係性にも十分な配慮がなされなければならない。それが「総理大臣」という国の最高の指導者を務めた人のあるべき姿であり、「元首相」の矜恃であるはずだ。とにかく、日本の「元首相」の肩書は、個人のものではないのだから、その力を個人的なことに使ってもらっては困るのである。そしてまた、無責任に気まぐれな行動をすることで「総理大臣」の品格と権威を落とすこともやめてほしい(この人たちにはもう無理だから、他の「元首相」への要請である)。