もとなりくんの「今週の政治 ‘とんでも’」

日本の経済、安保危機を打開する力は、国民の結束と強い政治しかない

各国の「靖国参拝批判」への毅然とした対応を! これは「自主独立日本」に向けて越えるべき‘関門’だ!

2014-01-06 19:49:52 | 政治
2014年1月6日
昨年暮れの安倍首相の靖国参拝に対する各国からの批判はかなりのもののように見える。しかしながら、各国の反応がどうであれ、首相参拝への正当性と必要性は揺るがない。首相にとってこの状況は、概ね‘読み’の範囲内であったはずだ。とは言え、これは非常にセンシティブかつ複雑な問題でもあるので、今後の対応にはより一層の‘戦略的配慮’が必要になる。そこで今回は少し長くはなるが、この参拝が意味するものが何であったのか、そして今後日本はいかなる対応をしていくべきかについて私見を述べてみたい。

《内外の反応_ 国内では基本的には支持 海外では中韓の激しい批判をはじめとして概ね批判的》
まず国内であるが、首相参拝後に行われた共同通信の世論調査によると、支持43.2%、不支持47.1%という数字が出ている。他方、ヤフーのネット世論調査では8割、テレビ各局の調査では7割程度の支持が出ている。また、昨年、参拝前の11月~12月に行われた朝日の調査では、6割が支持している。これらを総合的に考えると、国民は首相の参拝に対して、基本的に支持を与えていると見ることができるだろう。ただ、共同通信の調査では、外交関係に「配慮する必要がある」との回答が7割あり、中韓両国や米国など国際社会が批判的に反応していることに憂慮していることがわかる。しかしながら、この‘憂慮’は、乗り越えなければならないものであり、これが本稿の主旨なのである。

そこで、各国の対応である。中韓(北も)は予想通り激しい日本批判を展開している。米国政府は、当初「失望」ということばで批判をしたが、その後は「今後の成り行きを注視」というような、批判を緩めた論調になっている。欧州は基本的には批判的であるが、その内容は形式的、建前上のそれであるように思える。注目すべきは、東南アジア諸国の出方であろう。3日の産経は「冷静な反応目立つ東南アジア諸国」と題して、次のように報じている。
「第二次大戦で日本の占領統治を受けるなどした東南アジア諸国では、安倍首相の立場に理解を示す冷静な論調が目立った。 インドネシアで最も影響力のあるコンパス紙は、12月28日付の社説で安倍首相の参拝について、東シナ海の領土をめぐる日中の緊張が高まっているこの時期に行ったのは「適切なタイミングでなかった」としつつも、「(靖国問題で)自らを被害者と位置付ける中韓の主張は一面的な見解だ」とクギをさした。 その上で、今回の参拝は戦死者の霊に祈りをささげ、日本国民が再び戦争の惨禍に苦しむことのないように取り組む決意を伝えたとする「安倍首相の見解」を紹介した。 同紙はさらに、「靖国神社には、現在は戦争犯罪者と見なされている数百人だけでなく、戦争の犠牲となった(各国の)約250万人も祭られている」と指摘し、国に命をささげた人々のために参拝することは日本の指導者として当然だとする安倍首相の立場にも言及した。 一方、シンガポールのストレーツ・タイムズ紙(12月27日付)は、安倍首相が参拝に踏み切ったのは、これまで摩擦を避けようと終戦記念日や春秋の例大祭で参拝を見送ったにもかかわらず中韓が強硬姿勢を崩さず、「冷え切った中韓との関係に改善の見込みは少ないと見切ったためだ」との分析記事を掲載。中韓の敵視政策が逆に参拝の呼び水となったとの見方を示した。
また、ベトナムやインドは政府声明などで参拝の是非に言及せず、対話による問題解決を促すにとどまった。 日本の「軍国主義化」を非難する中韓のように、先の戦争の文脈で参拝そのものを批判したのは、これまでのところ、台湾と、中国系の人口が大半を占めるシンガポールだけで、一部で主張されるような、靖国問題を含む歴史認識問題で「日本がアジアで孤立する」といった事態は想定し難いという事実が改めて浮き彫りとなった。」(3日 産経)。

《各国の参拝批判には毅然とした説明、反論を行うことが重要! 批判の論点とそれに対する日本の反論、対応》
靖国参拝についての日本の立場は、日本が国家として、国のために殉じた戦死者に尊崇の念を表するのは当然だということであり、これは米国をはじめ他の国でも行われていることであり、批判されるような筋合いのものではないということである。そもそもこの種の問題は、国内問題であり外国からとやかく言われる問題ではないということでもある。各国の批判を大別すれば次の四つぐらいにまとめられるだろうから、その各々について日本の説明、反論を行なってみよう。
<1_ 靖国参拝は日本と中韓との対立を激化させる> 
米国をはじめとして、多くの国がこの論点で批判をしている。これは、各国が日本と中国の紛争に巻き込まれること、ないしは余波を受けることを恐れ、それを回避したいというものだろう。これについては、彼らの懸念は理解できるものであること、中韓との対立激化は本意ではないことをしっかり説明していく必要があるだろう。しかし同時に、一国の首相が国のために犠牲になった人に尊崇の念を表すのは当然であり、こういう国内問題を、あえて外交問題化して対立を激化させているのは中韓であること、日本としては中韓のこうした理不尽な要求に屈服するわけにはいかないこともしっかり主張していく必要がある。

<2_ 日本が過去の戦争の正当化を図っているのではないかとの疑念_いわゆる「歴史修正主義」的行為とみなしての批判>
これは、感情的なしこりからの反発の意味がある。また、米英仏露中といういわゆる「戦勝国」にとっては、彼らが作った戦後の世界秩序を否定しようとする動きは原則的に許容できないと考えるだろう。しかし、日本にはこうした意図はないから、しっかりその旨を説明すればよいはずだ。ただ、ロシアによる北方領土の略奪は、不当、不法なものであり、これは正当な「戦後秩序」の範囲外のものだ(これを‘秩序’枠内に入れ込もうとするロシアは、今回、中国の立場に同調し、日本批判に出ている)。北方領土の問題を絡めると話が複雑になるので、この問題はここではおいておく。
中韓は、日本の反省、謝罪が足りないとして、しつこく‘新たな謝罪’を求めるであろうが、そういうものは突っぱねるしかない。そもそも、「日本が加害者であることは、千年経っても変わらない」というような極めて後ろ向き、非理性的で情念的、非民主的考えを持っているのは中韓だけである(実際は、打算的目的による日本批判の口実にしているだけなのだが)。
また、A級戦犯の合祀を批判の根拠にする向きもあるが、これについては、日本が極東軍事裁判の結果を受け入れていること、彼らは極東軍事裁判の判決により処刑されていること、また日本では死者を生前の行為とは無関係にすべて平等に弔う伝統、文化があり、死者に鞭打つようなことはしない国であることを述べて、理解を求めればよいだろう。米国のアーリントン墓地には、奴隷制を守ろうとして戦死した南軍の将兵が埋葬されているし、ワシントンの国立大聖堂には、奴隷制を守ろうとしてアメリカ合衆国を敵として戦い、戦後に戦犯扱いされた将軍たちが祭られている。この聖堂では、多数の大統領の国葬や歴史上の人物の式典が催され、無数の米国民が参拝してきた(産経 記事)。この思想、取り扱いは靖国と同じなのである!

<3_ 日本が再び「軍国主義」化するのではないかとの警戒感>
こんな寝ぼけたことを言っているのは中韓だけであり、米国、東南アジア諸国などを含めて、日本がかつてのような「軍国主義」に回帰するなどと考えている国はない。このことは日本の防衛予算がGDPのわずか1%程度であることで一目瞭然だ(欧米先進国は概ねGDPの3~4%であることを考えれば、日本の防衛力がいかに貧弱であるかがわかる。世界はむしろ日本の軍事力が強化されて、中国の拡張主義に対抗する国になってほしいと望んでいる(日本は防衛予算を増やし、防衛力を強化すべきなのである)。

<4_ 中韓の主張(本音)= 日本の国力の増大、世界に対する発言力の増大は不都合である>
これは、日本をこれまで通りの‘意思のない従順な国’に押し込めて、日米同盟を弱め、日本から奪えるものを奪い尽くそうとするものである。これは中国と韓国のそれであり、全くの悪意からの批判である。このことは、たとえば、次のような中国の動きからも明らかだ。「靖国参拝が問題視され始めたのは、歴代の日本国首相が合計60回の参拝を果たしたあとの1985年9月だった。いわゆる「A級戦犯」合祀(ごうし)が明らかになった79年以降も、歴代首相は6年半にわたって21回参拝した。中国の非難はそのあとだ。時間軸で見る中国の靖国参拝非難は、同問題が中国の政治的思惑から生じたもので、日本たたきのカードであることを示している。」(櫻井よしこ 6日 産経)。
ただ、両国ともこの本心を日本批判の根拠とするわけにはいかないから、彼らは本心を隠したままで、上述の<1>~<3>を日本批判の理由としている。なお、中韓にとって、「靖国問題」は、日本への「言いがかり」の単なるネタの一つにしか過ぎないから、日本がたとえ参拝を自粛したところで、ほかのネタで日本攻撃に出るのであり、日本にとって、参拝を自粛することの意味はほとんどなくなっているともいえる。
世界に覇権を樹立しようとする中国にとって、日米同盟を結び彼らの野望実現の障害になっている日本は、なんとしても抑え込まねばならない存在なのだ。しかしこれは米国の立場と相いれないものであるから、米国は、原則的にこれを許すはずがない(日米同盟の堅持と、その責務の遂行)。とは言え、「内向き」となり、中韓との争いを避けたい米国としては、日本を抑え込んででも、中韓との宥和を実現したいとの誘惑にかられるはずである。こうした、米国の腰の定まらぬ姿勢、理不尽な要求に対しては、日本は断固として批判し、これをはねつけて行かねばならない。実は、今回の参拝も米国の自重要請を振り切って断行されたものと思われ、これは首相の一つの英断であるだろう。同盟関係であっても、部分的問題では必ずしも足並みがそろわないケースが出るのは自然なことであるとも言え、その場合は日本は日本の考えで行動するしかないし、またそうすべきなのである。

以上をまとめると、<2>、<3>の問題は日本が言動に注意して、しっかり説明すれば解消できることであるから、結局、(中韓以外の)各国にとっての問題は<1>だけとなる。確かに「靖国参拝」は日本と中韓の緊張を増大させるものではあるが、これは中国が行っている領海や領空の審判行為、テロまがいの反日デモ、火器管制レーダー照射、航空識別圏の設定などの挑発行為とは性質を異にするものである。前者は自国内で行う精神的活動行為であり、何らの他国への直接的、具体的被害を及ぼさないそれであるのに対して、後者は相手国への直接的、物理的、具体的な障害作用、言い換えれば相手国の主権を犯し、相手国に損害を与える行動である。中国は、全く質的にも量的にも異質のものであるこの二つを同列にみなして、「靖国参拝」が日本による挑発行為だと喧伝しているが、これは詭弁と言うしかない。各国による日本批判は、自国が紛争の余波を受けることを嫌い、それを回避するための「喧嘩両成敗」的な議論であるが、今述べたことそして前述の靖国問題に対する中国の過去の経緯を見ると、中韓の「靖国批判」が全くの言いがかりで、「喧嘩両成敗」的なものとは程遠いものであることがわかるはずだ。<1>による批判は、あまりにも表面的で大雑把、気のない議論であると言わざるを得ない。とりわけ、日米同盟のパートナーである米国が、日本に批判的(もしくは第三者的)な態度をとっているのはいただけない(ブッシュ政権は、小泉首相参拝には批判をはさまなかった!)。当事国としての日本は、こんないい加減な話に乗るわけにはいかない。だから、日本のとるべき態度は、「何も悪いことをしているわけではないから、誰がなんと言おうと、必要に応じて参拝する」と言いつつ、実際に必要な参拝を行い、それなりの説明誠意を見せ、全体としては超然とした対応を取るべきということになるだろう。

《世界は激変している! これまで通りの‘意思なき従順な国’を続ければ日本は完全に沈没するから、こうした事態を防ぐためには、‘言うべきことは言う、やるべきことはやる国’にならねばならない!》
国内を表面的に見る限りでは、日本は相変わらずの平和と繁栄を享受しているように見えるが、これは錯覚と言わねばならない。実際は日本は国家として歴史的危機に直面している。どの先進国にも見られないほどの膨大な財政赤字、そしてそれは毎年ふくらみ続けており、いつ国家破綻してもおかしくない状況である。日本の経済力、技術力、人的資源は、「空白の20年」によって、著しく弱体化し、今後の少子高齢化の進展とともに、更に悪化するものと予想されている(英「エコノミスト」、OECDなど)。他方、中韓の興隆と日本の弱体化に伴って、中韓は益々日本から奪えるだけ奪おうとして、際限のない日本批判と、日本の主権侵犯、領土侵犯行為に出ている。尖閣、歴史認識、竹島、慰安婦、戦時徴用…、枚挙にいとまがない。なにしろ「水に落ちた犬は叩け」ということをモットーとする国々であるから、このままでは、日本はボロボロにされてしまうだろう。

こうした日本を取り巻く現在の状況について、政府の有識者会議「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」メンバーの細谷雄一・慶応大教授は、4日付け産経で、次のように語っている。
「日本は今、全く自ら意図せずして、ほとんどの国民が自覚せずして、国際政治の最も中心の舞台にいる。2つの理由がある。1つは、国際政治の中心は過去400年、500年にわたり欧州にあったが、これが欧州からアジアへ、大西洋から太平洋へ移った。これは世界史的な転換だ。もう1つは、かつて世界第1位~3位の経済大国は、順に米国、日本、ドイツであり、すべて民主主義国、自由主義国だった。上位2位の経済大国が米日という価値を共有する同盟国で、国際秩序は非常に安定的だった。ところが今、上位2位の米中は基本的に価値を共有していない。軍事的にも互いを一定程度、脅威として認識している。その意味で今の国際秩序は不安定であり、将来の見通しが難しい」 
「その米中対立の最前線が東シナ海だ。東シナ海の海域、空域で米中の影響力圏が衝突し、摩擦を起こしている。そこで日本がどういうパワーを持ち、どういう戦略を採用するかで世界史が大きく左右される。例えば日本が日米同盟を放棄して中国側につけば、世界的なパワーバランスが根本から崩れ、歴史の行方は大きく変わる。日本の国家戦略が世界史や国際政治において、これほどまで重要な位置を占めたことは過去になかった」(4日 産経)。

このようなわけで日本は、戦後一貫して続けて来た‘意思なき従順な国’から脱却して、‘意思を持って国の主権と、国益を守れる国’、そしてこれをもとに‘世界の平和と繁栄に貢献できる国’に生まれ変わる必要がある。特に、「平和ボケ」、「繁栄ボケ」に関わる部分での徹底した改革が必要であり、これが成功するかどうかで、未来の日本がどうなるかが決まる。
「安倍晋三首相は1日付で年頭所感を発表し、「誇りある日本」を取り戻すとして、「十年、百年先の日本の未来を切り拓いていくため、小手先の対応ではなく真の改革が必要だ」との決意を示した。 その上で「積極的平和主義」の外交と、人づくりとなる教育再生の実行などを挙げ、憲法についても「時代の変化を捉えた改正に向けて国民的論議をさらに深めていくべきだ」とした。」(1月1日 産経)。

国内には、何もこんな過激なことを考えたり、やったりしなくても、これまで通りの努力をコツコツと続けていけばよいではないかとの主張をする人達も少なくない。彼らは、戦後の日本はそういうやり方で平和を維持し、経済的な繁栄もしてきたではないかと言う。中韓を信頼して、友好関係再構築することこそ重要だとも言う。しかし、これこそが「平和ボケ」、「繁栄ボケ」の典型であり、現在の世界情勢の中で日本が置かれている現実を全く見ない、無責任な主張である。そして、経済の発展、平和と言ったものがどういうメカニズムで実現されるのかが全くわかっていない主張である。
戦後の日本の反映は、東西冷戦という政治・軍事状況の中で、日本が米国という唯一の超大国の「核の傘」に守られての、平和であり繁栄であった。しかし、冷戦はとっくの昔に終わり、中国、韓国などの新興国が台頭し、逆に日本そして米国はその力を相対的に低下させ続けている。世界は経済的にも、政治的にも、軍事的にも多極化し、かつてのように、米国の「核の傘」、「政治的な庇護」にすがっておりさえすれば、経済的繁栄も、平和も確保されるという状況ではなくなっている。留意すべきことは、経済活動といえども、強力な政治的、軍事的バックボーンあってこそのものであり、‘経済一辺倒の国’など成り立つはずもないということである。まして、中韓の激しい略奪行為によって、領土、主権、権益を奪われ、国としても蔑まされては、経済どころの話ではなくなってしまう。米国の力に頼ることだけでは済まされなくなった現在、その穴を埋めるものは日本自身でしかあり得ない。もちろん、米国は日米安保条約の範囲内ではそれなりのことをするだろうが、もはやそれだけでは日本は成り立たないのである。

《今回の「首相参拝」は、自主独立国家としての当然の権利の行使であり、世界に向けての「いかなる批判も日本の国家主権を侵すことはできない」そして「日本は世界の平和に積極的に貢献していく」という強いメッセージの発信だ! この大義の前では、各国の批判も恐れるに値しない》
首相による今回の「靖国参拝」は、以上に述べたことの延長線上でとらえられなければならないだろう。つまり、今回の「靖国参拝」は、国民に向けての意識改革の呼びかけであり、世界に対する「日本の国家主権は、いかなる批判、いかなる国も侵すことはできない」ということを発信すると同時に、日本は「より積極的に「世界平和に貢献していく」ということも発信したものであると言える。これまで、日本は、中韓の意向や米国の意向に配慮して、彼らの満足のいくように、妥協に妥協、譲歩に譲歩を重ねてきたきらいがあるが、中韓の理不尽な行動に直面している現在、日本が本来持っている自主独立国家としてのもろもろの権利を行使していくことにしたということである。今回の参拝は、いわば日本の「主張し行動する国」への脱皮宣言と見ることができる。

国民の中には、以上のことが非常に‘過激なこと’のように思え、世界中から批判され孤立してしまう、悪くすると戦争になるかもしれないなどと心配する向きもあろうが、それは杞憂というものである。あまり良い説明ではないが、次のようなことを考えてみればよい。世界には、北、イラン、シリア…、国の内外でやりたい放題のことをしている小国が少なくない(中露という大国もあるが…)。世界中が非難しているものの、どうすることもできない。各国の利害もバラバラだから、経済制裁にしても、軍事介入にしても足並みを揃えるのは容易ではない。世界は批判はしても、よほどのことがない限り武力でどうこうすることはしない。どの国でも、戦争は避けたいのだ。先の戦争の敗北がトラウマとなって、日本人は世界から批判されたり、孤立することを極度に恐れる傾向があるように見える。しかし、これらは戦争や敗戦の直接的な原因ではない。原因は日本が無分別に、かつ勝手に‘切れて’しまったことにある。中国を無理やり戦争に引き込む工作をしたり、国際連盟を脱退したり、真珠湾への奇襲を掛けたりしたことがそれである。日本が勝手に‘切れて’しまい、自滅したという側面が強い。国外からの批判が最悪の事態にまで至るには、多くのプロセスがあるのであり、自ら暴走でもしない限り、何も恐れることはない。まして、現在の日本は正当なことを主張しており、進んでいる方向も法と秩序、普遍的価値観に沿ったものであるので、おかしな方向に行くはずはない。批判は議論であり、その中で正しいことが明らかになっていくのであり、批判を恐れて主張をしないことは、主体性を自ら殺すことであり亡国への道である。
そこで、今後日本がこの問題で留意すべきことは、次のようなことであるだろう。
一つは、各国からの批判に、日本が‘切れて’、‘先に手を出す’ようなことは厳に慎まねばならない。こういうことをすれば、相手も反撃せざるを得なくなるから、事態が予期せぬ方向に暴走してしまう危険がある。日本の行動は偏狭なナショナリズムではなく、冷静で理性的、戦略的なそれであるべきである。
二つ目は、日本の原則的立場がしっかり確保されていれば、この問題の対応の難しさに鑑み、現実の個別の問題には柔軟に対応することもあり得るだろうということである。対応を一律に固定化したり、「参拝」に‘過度に’こだわるのは、こちらの手を縛ることになり得策ではない。要は、首相は国益のためにはフリーハンドだということである。
三つ目に、こちらが先に手を出さないにしても、中韓(北も)は、常に先に手を出してきたし、これからもそうであろう。なにしろ中国は、日本が80年も前に歩んだ「軍国主義」という誤った道を、そっくりそのままの形で歩もうとしているように見える。彼らがいつどういう危険な行動に出てくるかわからないから、戦争のリスクは高まっている。韓国は、日本に戦争を仕掛けることはないまでも、「反日」を国是としている国だから、それに近いようなことをこれからもどんどん行ってくるだろう。中韓にはもはや理性的なものを期待できないことが明らかとなった今、我々がやるべきことは、彼らの理不尽かつ危険な挑発、暴走に十分備えをし、理不尽な攻撃には断固として反撃をしていくことである。