昨日、私の博士号を決める学位審査が大学の方で執り行われました。
開始は夕方の5時。日程や時間は、審査委員の教授方の都合により決まります。私の審査は、委員会に上がってから審査までの時間が1ヶ月半と比較的早いほうでした。
当日、昼過ぎに静岡をでて、以前ワインの取り置きをお願いしていた百貨店に立ち寄って、ワインを買ってから大学に行きました。
教授4人分ですので4本のワインが箱に入っていて大変な大荷物でした。
審査が始まる1時間前に学事課に寄り、プロジェクターとポインターを借ります。審査をする予定の会議室に行き、プレゼンのセットアップ。
原稿を読んだり、少し論文を眺めたりしていたらあっという間に予定時間が近づき、最初に内科の教授が会場にいらっしゃいました。
続いて私の主査の教授。時間ちょうどになって、医学部長である基礎の教授と、産婦人科のもう一人の教授がいらっしゃいました。
4人そろうとすぐに審査が始まりました。審査委員長というのが主査とは別におり、今回の審査委員長は産婦人科のもう一人の教授でした。
プレゼンは当然立ってするものかと思っていたら、座って話してくださいといわれいきなり戸惑いましたが、教授陣の気遣いなのでしょう。
言葉に甘えて、座ってプレゼンを開始。おおむねスライドに沿って、ときどき説明を追加して棒読みでないように気をつけながら話しました。
最初ゆっくり話していたら、けっこう時間がたってしまったので、中盤から少しテンポアップし、特にメソッドのあたりはざーっと読み飛ばしました。
どうにか所定の20分で説明が終了しました。
続いて試問です。試問といっても知識を問われるような意地悪な質問はなく、皆さん研究者として、自分の研究室のデータなども紹介しながらいくつか質問がなされました。
運がよかったのは、医学部長をされている基礎の先生は、私が所属していた研究室のボスのことをよーくご存じで(共同研究もしている)、私の研究の苦労をわかって質問してくださっていたことでした。
3人の先生方は総じて研究内容に前向きで、今まで考えていなかったような新しいアイデアまで出てきて、審査のはずなのに研究のディスカッションのような雰囲気で、後半はかなり余裕というか、いい雰囲気で進めることができました。
所定の時間が近づくと、委員長の先生がまとめるような感じの話をして、私を一度外に出します。「ではちょっと、外の方でお待ちください」。
いつもは審査される人が外に出ると、そこで審査委員が話し合いを行って、医学博士にふさわしいか、今回の仕事が博士号を与えるにふさわしいかというような相談をするそうです。
でもなんか聞いていると、今回の研究の内容をまだ続けているようでした。自分が思っている以上に、仕事のクオリティとしてはよいものだと評価してくださったみたいでした。
このことは私にとっては大変な驚きでした。自分としては、論文の内容は、本当にたいしたことを言っていなくて、ある実験結果から考えられるspeculationを書いてあるだけだと思っていたのですが、審査の先生方は、抗体がいい抗体だとか、ランゲルハンス島で発現しているのはとても興味深く、それだけに絞って研究するのも十分におもしろい、といった評価がなされました。
終わると教授陣が帰っていき、最後に主査の先生が残っていて「合格だよ」と笑顔で知らせてくれました。
審査で落ちることはないとは聞いていましたし、試問のやりとりでも落ちるとは思っていませんでしたが、やっぱりそれを聞くと本当に肩の荷が下りました。
終わってから教授陣に挨拶回りをしました。
以上、私の学位審査の経過でした。
終わってみて、まあこんなにあっさりと終わるならもっと早くやっておけばよかった、という気持ちがやっぱりありました。
春先の連合地方部会で発表したときに、学会会場で学位の仕事進めるようにと教授に声をかけられてからはだいたい6ヶ月くらいでした。
それにつけ、そのときの連合地方部会に発表してよかったと思いました。そのときの発表は日本語の論文としてまとめることができて、その連合地方部会の来月号の雑誌に掲載されます。
このブログを通じて、応援してくださっていた皆様、心から御礼申し上げます。本当に本当にありがとうございました。
これからは医学博士として、その名に恥じない医師になるよう切磋琢磨していく所存です。研究者には向いてないかもしれませんが、自分のやれる範囲で、やっていきたいと考えています。
来年は大学人になる話がありましたが、医局人事により来年度も静岡に残留し臨床を続けなくてはなりません。
それでも、少しずつ仕事を作っていきたいと思います。
ブログはもう少し更新を続けると思いますよ。
開始は夕方の5時。日程や時間は、審査委員の教授方の都合により決まります。私の審査は、委員会に上がってから審査までの時間が1ヶ月半と比較的早いほうでした。
当日、昼過ぎに静岡をでて、以前ワインの取り置きをお願いしていた百貨店に立ち寄って、ワインを買ってから大学に行きました。
教授4人分ですので4本のワインが箱に入っていて大変な大荷物でした。
審査が始まる1時間前に学事課に寄り、プロジェクターとポインターを借ります。審査をする予定の会議室に行き、プレゼンのセットアップ。
原稿を読んだり、少し論文を眺めたりしていたらあっという間に予定時間が近づき、最初に内科の教授が会場にいらっしゃいました。
続いて私の主査の教授。時間ちょうどになって、医学部長である基礎の教授と、産婦人科のもう一人の教授がいらっしゃいました。
4人そろうとすぐに審査が始まりました。審査委員長というのが主査とは別におり、今回の審査委員長は産婦人科のもう一人の教授でした。
プレゼンは当然立ってするものかと思っていたら、座って話してくださいといわれいきなり戸惑いましたが、教授陣の気遣いなのでしょう。
言葉に甘えて、座ってプレゼンを開始。おおむねスライドに沿って、ときどき説明を追加して棒読みでないように気をつけながら話しました。
最初ゆっくり話していたら、けっこう時間がたってしまったので、中盤から少しテンポアップし、特にメソッドのあたりはざーっと読み飛ばしました。
どうにか所定の20分で説明が終了しました。
続いて試問です。試問といっても知識を問われるような意地悪な質問はなく、皆さん研究者として、自分の研究室のデータなども紹介しながらいくつか質問がなされました。
運がよかったのは、医学部長をされている基礎の先生は、私が所属していた研究室のボスのことをよーくご存じで(共同研究もしている)、私の研究の苦労をわかって質問してくださっていたことでした。
3人の先生方は総じて研究内容に前向きで、今まで考えていなかったような新しいアイデアまで出てきて、審査のはずなのに研究のディスカッションのような雰囲気で、後半はかなり余裕というか、いい雰囲気で進めることができました。
所定の時間が近づくと、委員長の先生がまとめるような感じの話をして、私を一度外に出します。「ではちょっと、外の方でお待ちください」。
いつもは審査される人が外に出ると、そこで審査委員が話し合いを行って、医学博士にふさわしいか、今回の仕事が博士号を与えるにふさわしいかというような相談をするそうです。
でもなんか聞いていると、今回の研究の内容をまだ続けているようでした。自分が思っている以上に、仕事のクオリティとしてはよいものだと評価してくださったみたいでした。
このことは私にとっては大変な驚きでした。自分としては、論文の内容は、本当にたいしたことを言っていなくて、ある実験結果から考えられるspeculationを書いてあるだけだと思っていたのですが、審査の先生方は、抗体がいい抗体だとか、ランゲルハンス島で発現しているのはとても興味深く、それだけに絞って研究するのも十分におもしろい、といった評価がなされました。
終わると教授陣が帰っていき、最後に主査の先生が残っていて「合格だよ」と笑顔で知らせてくれました。
審査で落ちることはないとは聞いていましたし、試問のやりとりでも落ちるとは思っていませんでしたが、やっぱりそれを聞くと本当に肩の荷が下りました。
終わってから教授陣に挨拶回りをしました。
以上、私の学位審査の経過でした。
終わってみて、まあこんなにあっさりと終わるならもっと早くやっておけばよかった、という気持ちがやっぱりありました。
春先の連合地方部会で発表したときに、学会会場で学位の仕事進めるようにと教授に声をかけられてからはだいたい6ヶ月くらいでした。
それにつけ、そのときの連合地方部会に発表してよかったと思いました。そのときの発表は日本語の論文としてまとめることができて、その連合地方部会の来月号の雑誌に掲載されます。
このブログを通じて、応援してくださっていた皆様、心から御礼申し上げます。本当に本当にありがとうございました。
これからは医学博士として、その名に恥じない医師になるよう切磋琢磨していく所存です。研究者には向いてないかもしれませんが、自分のやれる範囲で、やっていきたいと考えています。
来年は大学人になる話がありましたが、医局人事により来年度も静岡に残留し臨床を続けなくてはなりません。
それでも、少しずつ仕事を作っていきたいと思います。
ブログはもう少し更新を続けると思いますよ。