goo blog サービス終了のお知らせ 

研究・論文作成のためのブログ

医学部で臨床医をしつつ大学院に進学し、博士号の学位を取るまでをつづります。

命名

2007年12月07日 | 日記・備忘録
命名 康平

こうへい、と読みます。

康平とは「世の中が平和で治まっていること」だそうです。
健康の康。すこやかですね。
徳川家康の康。いい字だと思います。


長男が悠人(ゆうと)で、「ゆうと」と「こうへい」。

一時は同じ送り文字、○人(たとえば真人とか)にしようかとも考えましたが、人という字をそろえることに大きな意味を見出せませんでした。

妻は康介(助?輔?)というのがよかったのか、最初こうすけと間違えて言ってました。

こうへい、です。

どうぞよろしくお願いいたします。

地方部会無事終了

2007年12月03日 | 日記・備忘録
週末の地方部会はまあ無難に終わった。


スライドからビデオに切り替えるところで少しもたついて、時間をロスしてしまったが、聴衆は見てくれていたように思う。
やっぱり、動くものがあると動物は見てしまうものなのだ。(相手は医者だが)


ここでちょっと愚痴。大学の医局は、同じ静岡県内にもう一つ関連病院がある。今そこには3年目の研修医が働いている。
当初その先生はうちの病院を希望していたそうだが、医局の意向によってそちらの病院で研修することになった。

研修医のキャリアのためには、こういった地方部会に演題を出して発表させるべきだと思うのだが、その病院は今回演題を出していなかった。
その研修医にとっては、数少ない学会発表の場なのに、それを逃してしまったということになる。
うちの病院にもしその研修医が来てくれていれば、学会発表をさせてあげられたのに、と思う。
医局の都合もあるだろうが、可哀想だ。研修医を引き受けたからには、ちゃんと教育してあげて欲しい。

発表では、卵管切除術を内視鏡下に行ったことに関して、卵管切開+妊卵排出という術式もあり、そのような保存的な手術をしたほうがよいのでは、という指摘があった。
存続絨毛症という病気になる可能性もあると思うのだが、そこは施設や担当医によって考え方の相違があり、どういう治療が正しいということはなかなか言えないのではないかと思う。

医者ってしょっちゅう学会をやっていると批判されることもあるが、学会で治療方針などについて他施設、他医局の医師とディスカッションすることは医療の質を高めることになり、医療を受ける側にとっては計り知れないメリットとなる。
考えてもらえばわかるが、他施設とまったく交流のない、何をやっているかがわからないような閉鎖的な病院にかかりたいと思うだろうか。
どんな治療を受けられるかもわからない病院で。
医療を受ける側にはなかなか伝わらない情報なのだが、こういうことの積み重ねで医療の質は変わっていく。


次男の出産

2007年12月01日 | 日記・備忘録
本日、午前11時23分、妻が次男を出産いたしました。3148gの元気な赤ちゃんでした。
分娩は、お陰様で正常分娩でした。

名前はまだ決めていません。これから考えます。

取り急ぎ。

明日は地方部会で発表。ばたばたしていて大して準備してないなあ。

審査が終わって弛緩期間。

2007年11月22日 | 日記・備忘録
学位審査が終わり、審査関係の書類の提出も済んだので、今はしばしの子癇、じゃなくて弛緩期間。


来週末に地方部会がありますが、あんまりやる気がおきません。

症例報告なのですが、それほど複雑な症例ではないため、スライドがシンプルです。
腹腔鏡の画像を入れようと思っていて、動画でみせるほどのものでもないのですが、動画のほうが見てる人たちは飽きませんから、編集をやってスライドに入れるつもり。

最近よくやっている手法です。

PowerPoint疑問氷解XP WindowsXP+OfficeXPユーザ編 高原 太郎著(秀潤社)
という本がそのあたり詳しく解説してくれています。(ちなみに高原先生は私の高校の先輩)


どうも職場のセミ自作PCの調子が悪くて、息子用に買ったFMVを取り上げて(^^;)、つけかえて使ったりしていますが、やっぱり新しいPCを用意したいところです。
動画の編集をやろうとするとそれなりにスペックが必要ですし、OSもWindows2000では動かないソフトが多いので・・・

私は毎週水曜日は必ず当直なんですけど、最近木曜日の午前中にやっていた外来を、金曜日の午後に移して、木曜日の当直明けをフリーにさせてもらいました。

研究日ということで、医局で学会発表の準備や論文書きなどをやっていてもよいし、他の病院に手術見学に行ったりもできます。

当直明けですからそんなに朝早く病院を出るわけにはいきませんが、外来にしばられなくなったのは助かることです。
2月から新しい先生が赴任する予定なので、その先生に木曜日の外来をやってもらう予定でいます。

うちの部長は、それぞれがきちんと自分の患者を診て、トラブルなど起こさずにやっていれば、多少のことは目をつぶって大目にみてくれます。



今、PET/CTという検査と卵管癌の診断という症例があって、それで論文を書いてみようかと思っているのですが、ちょっとインパクトが弱いです。

再発の探索に有効だという報告は散見しますが、初発の診断にPET/CTを用いたという症例はあまりないので、新規性?はあるのですが、手術時の病巣はそこそこの大きさでしたので、おそらくPET/CTをする前に撮影したCTで写っているはずで、ただ単に放射線科と我々がその腫瘍を見逃しただけという話じゃないか、とつっこまれると返せないんですよね。

CDの整理

2007年11月18日 | 日記・備忘録
家にあるCDの整理をしている。
すべてiTunesでMP3に変換して、ダンボールにでもしまっちゃおうという計画。

iTunesはどんどんアップデートする。今バージョンは7.5だ。
cover flowなんて、と思っていた。私はけっこうクラシックを聴くため、カバージャケットなんて登録されてないだろうと思ったからだ。

やってみると、クラシックに限らず、登録されてないアルバムは結構多い。

でも、ネットで適当にそのアルバムを検索して、たとえばamazonからジャケットの絵をiTunesにドラッグ&ドロップすると簡単に登録できるということを知ったので、登録しまくった。

いまさらのようだけど、やっぱり文字情報だけよりも絵があるほうが選びやすい。



自分のiPodも第三世代で、バッテリーももたなくなってきているので、cover flowを機に買い換えようと思う。


審査の要旨

2007年11月13日 | 日記・備忘録
学位審査が終わると、大学が刊行する雑誌(○○大学医学、とか○○大学紀要、とかそういう類の)に審査の概要が掲載される。
学位審査のやりとりが他の人にも伝わるよう、学位審査の要旨というのを提出しなくてはならない。

ものをみるとわかるのだが、あたかも第三者が立ち会って審査のやり取りを筆記し、それを記載したかのように思われる文章が載っているのだが、なんのことはない、主査の先生がやりとりをメモしてくれていて、それを参照して審査を受けた人が要旨を作成し、学事課に提出するのだ。
その書類を作成していて、正直あまり重要な書類とも思えないのだが、教授となんどかやりとりをして、修正をしていただいた。何事にも、人の目に触れるものはきちんとしていないといけない。

あとはそれを提出し、教授会であがってOKが出ればほぼすべて終了。

ほんとあと一息。


お礼回り

2007年11月08日 | 日記・備忘録
学位審査の当日、審査員の先生方へのお礼回りは3人は済ませたのだが、1人会えなかったので、今日挨拶のために大学に行ってきた。


挨拶はすぐ終わり、あとはもっぱら人事の話になった。

結局、来年春に私が誘われていた大学に移るという話は延期となった。ただ、今日の話で来年度のいずれかの時期で移ることについて、確約を貰ってきた。


あとは、私が今いる病院が、大学の関連として残っていくのか、切られる、すなわち引き揚げを食らうことになるのかについては、微妙そうだった。
その辺のことは私には直接関与出来ることではないのだけど、教授に意見を求められて、かなり困った。そんなこと聞かれても...(-.-;)

こういうことって、影響が大きいから恐ろしいです。

Linuxはやっぱり敷居がまだ高い

2007年11月07日 | 日記・備忘録
Ubuntuで少し遊んでみました。

非常に使いやすいGUIで、ウインドウズより優れていると感じる点もたくさんあります。その点は、MacのOSXもLinuxベースだそうですから、共通点があると思います。

例えば、LinuxでもOSXでも、USBフラッシュメモリをコンピューターに差し込むと、デスクトップにフラッシュメモリのアイコンが出てきます。ユーザーは素直に、それをクリックすればそこに入っているファイルにアクセスできる。
使い終わったら、右クリックでアンマウント(マウントの反対、つまり外すこと)を選ぶか、ゴミ箱にドラッグ・ドロップすればよい。そうするとデスクトップからアイコンが消えて、アンマウントであることがすぐにわかります。

ところがウインドウズでは、USBフラッシュメモリを差し込んでもなにも変わりません。(XPやVistaではウインドウが自動的に開く設定にもできますが)
マイコンピューターをダブルクリックして開くと、そこに「リムーバブルディスク:F(例えばです。FとかGとかそのときの状態により変わる)」というアイコンがあり、これをダブルクリックして初めてファイルにアクセスできる。
使い終わったら、画面の右下にある「ハードウェアの安全な取り外し」をクリックして、当該するリムーバブルディスク:Fを選ぶ。そこで初めて外すことが許されるのです。

実家の父母に説明するとき、どちらがわかりやすいか、は明らかです。

こんな使いづらいOSを、全世界の95%の人が我慢して使っています。



ですが、やっぱり、ビジネスではWordが欠かせないのです。

いくらOpenofficeが高い互換性を保っていると言っても、やっぱり体裁は崩れます。
教授に書類を送るのに、体裁の崩れたものを送ったらやばいですよね。


で、結局ウインドウズを使わざるを得ない。

あと、研究者にとって欠かせないソフトであるEndnoteがLinuxでないというのもイタイ。
これがないと、論文作成はかなり大変です。
Linuxにも論文管理ソフトというのはあるようですが、Endnoteに勝るソフトはないと思います。




そういう意味で、現在のところまだウインドウズ(またはマック)を使わざるを得ないですね。Linuxはフリーだし高機能なOSなのに、移行するのに大きなネックがあるんです。


Ubuntuをインストールしてみる。

2007年10月31日 | 日記・備忘録
学位審査が終わった翌日は、癌の患者さんの手術がありました。
患者さんのプライバシーのため、詳細は記載しませんが、手術としてはうまくいきました。腹水の貯留があったのですが、術中に吸引して破棄された腹水の量がなんと10リットル以上。
今までどんなに苦しかっただろう、と思うと、手術した甲斐もあるというものですし、こういう患者さんの治療を行うことは医者冥利に尽きると思うのです。
もう原発巣は切除しましたから、これから腹水がまた溜まることはなくなるでしょう。

今日は外来と、その人の術後のケアで日中はばたばたしていましたが、夜になって落ち着いてきました。夜はそのまま当直です。
落ち着いているので、なぜか調子が悪くなっていたセミ自作PCに、ものは試しと話題のLINUX、Ubuntuをインストールしてみました。
もともとWindows2000を入れていて、クリーンインストールしたばかりだったのになぜかDVDドライブ関係の動きがおかしくて、再度Windowsをインストールしようかとも思いましたが、面倒くさいのと面白味がないのとでLinuxを入れてみました。
かなりGUIが充実していて、Windowsユーザーでも簡単に入っていけるということでしたが、確かにその通りです。
表面的なことですがインターフェースやフォントも美しく、古くて地味なWindows2000よりは楽しい。
デスクトップに散りばめれた各種ボタンも、使う人のことをよく考えてインストールされています。
ソフトでどうしても必要なものがあるので、そういったものはWindowsでやらなくてはなりませんが(Endnoteとか)、その他のことはほとんどUbuntuの中でもできてしまいます。
っていうか、Googleのサービスを活用している人にとっては、もはや末端の端末で必要なのはインプットメソッドくらいなもので、極端に言えば、ブラウザさえあればビジネスソフトがなくても十分に仕事はできます。
今回、秋の学会に出す演題の抄録を作成していたのですが、Google Documentsの中で作成し、Gmailで事務局に送るだけでした。
Googleのいいところは、USBフラッシュすら持ち歩く必要がなくなることです。情報は「あちら側」に常に保存されています。「こちら側」で情報を紛失したりするリスクがなくなります。

最近はGoogle Documentsの中にプレゼンのソフトも入っているから、そういうのを活用することもできます。
といってもプレゼンテーションに関しては、まだまだPowerpointに軍配が上がると思いますが。

Linuxのインプットメソッドってどんなのがあるのかな?と思っていましたが、Ubuntuをインストールすると標準で入っているAnthyっていうのがあって、これがなかなか賢い。
普通の文章は何のストレスもなく変換してくれる。この数年でずいぶん進歩したものだなあと感心。

これだけのOSがフリーで、インターネットからダウンロードしてCDに焼いてインストールできるっていうんだからつくづく素晴らしい。
こういう流れっていうのは、私は素人なので分かりませんけど、Googleがいろいろなアプリケーションや環境をフリーで提供しているのと非常に似ていると感じます。
あくまでもライセンスで縛り付けるMicrosoftとはずいぶん雰囲気が違いますよね。
Ubuntuにアクセスすると、このような記載を目にします。
「Ubuntuプロジェクトは次のようなUbuntu哲学を掲げて活動しています:一つ、ソフトウェアは無料であるべきです。一つ、ソフトウェアは各々の言語で利用可能な道具であるべきです。一つ、人々はソフトウェアを自由に改造できるべきです。」
なんともオープンマインドですね。