:: dragonyan ::

日々のこと

日常と非日常

2015-08-21 | 日々の事とか

昨晩、9時から午前2時半まで寝入ってしまい、
二度寝しようにも目が冴えてしまったので、
その時間から起き続けて朝を迎え、出勤しました。

そして今日も夕飯後に2時間ほど寝てしまい、
ただいま目が冴えてしまっている状態、生活の乱れは心の乱れ。
乱気流。

なーんか無性にささくれだっていらいらしてる。
ああそうか最近ライブ不足かもしれん、と安易な答えを導いた。

今日会社の子が「緊張してきた」と言うので、
どうしたのか尋ねると、今日好きなアーティストのライブがあるという。
なんかその感覚がすごい新鮮やったわ。

その日がくるのが待ち遠しくて仕方なくて、そのためなら仕事も頑張れて、
当日は気もそぞろ、開演時間にワクワク感は最高潮、
登場とともに感極まってしまう、あの感覚。

翌日の現実との落差もおそろしくひどいものやけど、
日常から非日常に飛び込む時はワクワクするものでございます。

祭もそうやし、日常の中に突如現れる非日常と言えばこれもそうやな。

盆踊りシーズンの到来。

そして手軽に手に入る非日常がこれな。

ケーキだな。だな。

こちらはドゥブルベボレロのアイアシェッケというチーズケーキ。
超濃い、超美味しいです。非日常だわー

日常と非日常のバランス、あとは新しいことを取り入れる。
それがきっと健全な思考をうむんやろなぁ。
健全でばかりある必要もないけどなー、求めるものは変化やろなぁ。

えらいぼんやりした日記やけど、右眉のあたりがぴくぴくしてきたので
たぶんもう寝たほうが良いのでしょう。良い夢を。

映画「Love & Mercy」

2015-08-15 | 鑑賞とか

若い頃「ペットサウンズ」をよく聴いていました。

その時レストランのホールでバイトをしていたのですが、
準備中の時間は厨房の仕事も手伝っていて、
そこでもCDをかけさせてもろて聴いていました。

そんなビーチボーイズが3年前に来日、大阪でもコンサートをするってんで
もちろん観に行ったけど、ほんまに最高やった。
レジェンドを生で体感できたことは本当にラッキーやったと思う。

と、すごい好きそうな割には、その成り立ちや背景などは全く知らん私。
ビーチボーイズの中心的存在のブライアンウィルソンの伝記映画でもある
「Love & Mercy」が公開されたので観てきましたよ。



1960年代、まさしく「ペットサウンズ」が生み出された時代をポール・ダノ、
それから20年後の80年代をジョンキューザックが演じるんやけど、
その2つの時代が交互に映し出される構成が面白かった。

若い頃と、歳いってからの役者の顔立ちが全然ちゃうやん、という違和感は、
ジョンキューザックの芝居に引き込まれる形で、なんとなく払拭されましたよ。
治療という名で薬漬けにされてた当時の役どころ、魂の抜けた感じがすごく良かった。

ほんでもってペットサウンズが出来るまでの過程がすごい面白かったわ。
ブライアンの中で鳴っている音を引っ張り出して、音楽を紡いでいく作業工程が
映像として見られるところは興味深かった。

音楽家でも画家さんでも彫刻家でもなんでも、自分の意図というよりも、
そこにすでにあるものを形にしている、というような話をよく耳にするけど、
その作業はすごく純粋じゃないと出来ないことのように思う。
受信器、みたいな感じなんやろうか。

ブライアンの頭の中で鳴っている音も最初はすごく美しいんやけど、
精神的に追い詰められた時には、なんというか地獄から鳴り響く断末魔みたいな。
受信チャンネルが変わってしまったような感じがした。

そこからドラッグに逃げ込んでしまったブライアンの苦悩は80年代まで続くという。
ほんでその時代に張り付いてた精神科医の偏執ぶりがすごい怖かったわ。

でも最愛の人に出逢ったことで、支配的な父からの呪縛、精神科医からも解き放たれて
救われるブライアンに安堵して、後味の良いエンディングでございました。

60年代はペットサウンズ制作期間が中心やったから、
知ってる曲ばかりが流れて楽しめたし、ストーリーも良くて面白い映画やった!


前売り券についてきたトートバッグは大きめサイズで重宝しております。

淀川花火と精霊馬

2015-08-15 | 日々の事とか

先週の淀川花火は中之島から観賞してみました。





大きい花火は見えたんやけどー



下の方が建物の陰にだいぶん隠れてしまってフィナーレも若干しょぼく感じた。



でも人も少なかったし(人混み苦手)近場でこれだけ観られたということで、
それなりに満足しましたよー


さてさて、お盆になりましたが、うちの家は都会にあるわりには
古風な伝統通りに、迎え火を焚いて精霊馬でご先祖様をお迎えします。



足短いけど。

お迎えするご先祖様が早く帰ってこられるように、
きゅうりを馬に見立ててるらしいけど、
こんなに短い足では早く帰ってこられずにジリジリしたやろうな。

そして、お盆が終わってあの世に戻るご先祖様が、
名残惜しげにゆっくり戻るように茄子は牛を模してるらしいですが、





なぜか里芋が乗せられてる。
ちなみにそのような風習はない。

母の独自性によって、伝統が書き換えられる瞬間を目の当たりにしました。

あーだこーだ

2015-08-05 | 日々の事とか

地車囃子を聴いて今だに天神祭を名残惜しげに引きずっているのは私です。

毎日が暑すぎるんやけどー。
うん十年前、私の子供時代にはこんな暑さを体感したことなかったよなぁ。

“人類の環境汚染による温暖化がもたらす異常気象”…だのなんだのより、
地軸がずれてきてるからちゃう~、と数年前から思っております。

それは太陽の影響か宇宙のなんらかの影響かなんやよう分からんけど、
地軸がずれりゃそりゃもう地殻やら大気やらも違った動きを見せて、
今までと同じ環境というわけにはいかないでしょう。

すごい。
なんの知識もないのに適当にブログに書ける私、すごい。


4年前に屋久島に行った時、周りに人の気配が全くない白谷雲水峡を、
一人で歩いていた時に感じた圧倒的な自然との対峙。

大気中の水分が自分を纏う感じとか、
小雨の降る薄暗い森の中で、ふいに現れたヤクシカの存在感とか。
人間がどうこうコントロールできることなんて一つもなくて、
ただただ(お邪魔します)という謙虚な気持ちしか生まれへんかった。

あの時の圧倒感は忘れがたくて、
傲慢さは罪やけど、でもそんな人間の傲慢さがもたらす罪なんて、
自然の前ではちっぽけなもんやと思えるほどに。

最近はあちらこちらで対立ばかりが目に付く。
それぞれの視点がある中で、正しい正しくないはほんまによく分からんので、
自分にしっくりくることを取捨選択するっきゃない。

人の意見や思想に文句つけてコントロールしようとする前に、
まず自分の感情をコントロールしたほうがええよなぁ。

いつも読ませてもろてるブログにも感情のコントロールについて書かれてて、
息が短い(呼吸が浅い)= 気が短い と書かれてた。
確かにそうかもしれん。

感情のコントロールが難しい時、まず呼吸のコントロールをしてみる。
感情がグラグラぶれまくってた時に、ヨガに頻繁に通ってたことも
直感的にちゃんと自分に必要なことを取り入れてたんやなぁ。

あと、食べる物や腸内環境も感情と繋がってるらしいという事も
なんとなくしっくりくる。

地球や宇宙や自然から始まった話が、呼吸や食事の話になってもたな~
呼吸や食事は日々の生活の中ではささやかな行いかもしれんけど、
実はそれが一番重要なことなのかもしれん。



(あ、今ごぶごぶで京セラドームの関係者専用通路を歩いてる!
私も歩いたことあるもんね~、人工芝の上も歩いたことあるもんね~)