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日々のこと

映画『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』

2014-06-06 | 鑑賞とか

今日は雷ゴロってたな~。うふ♡

先日、久々に映画館で映画を観ましたわ~
華麗なるギャツビー以来だたよ。

「インサイド・ルーウィン・デイヴィス」


コーエン兄弟の最新作、
カンヌ映画祭でグランプリを受賞したこの映画。

ひょんなことから猫と一緒にさすらう羽目になった
売れないフォークシンガーのお話。

この映画を観る前日に「ハリーとトント」という
これまた、猫とともにさすらうロードムービーを観て
しかも途中で寝てしもたもんで、その気分を引きずったまま
別の猫物語を観たわけで~、若干こんがらがっちっち。

「ハリーとトント」


そんなことはどうでもよくて~
どうでもええことを書くのが趣味でして~

えーっと、ルーウィンデイヴィスさんのお話な。

お金も住む家もなく、人の家を転々と泊まり歩き、
色んな人の世話になっているにも関わらず太々しい態度、
さらに友達の妻を妊娠させたりと、どうしようもない男なんやけど
なぜかクズ感が皆無やった。嫌悪感が起きへん。(私だけ?)

世の中に対して、なんの期待も希望もない
そんな眼差しのルーウィンの淡々とした表情に、
こちらの感情を乗せようがない。

「生活のために音楽をしている」と言い放つわりには
お金になりそうな音楽を作らない、もしくは作れないのは
プライドなのかと問われたら、そんな聞こえの良いもんではなく、
自ら仕掛けた呪縛なんかもしれん。

私はその呪縛が悪いとも思わんけど。
その呪縛は、ある意味では解放かもしれん。
あかん。わけ分からんくなってきた。

印象深いのはやっぱりこの猫で、
ルーウィン自身をあらわす隠喩として扱われているんかな。
猫の名前が“ユリシーズ”というのも何かしら意味があるらしい。
けどよう分からん。

あと、私的に印象深かったのは
父と再会し、自分の歌を聴かせている時だけ
ルーウィンの瞳に感情が蘇ったように見えた。

…でもその歌でさえ、認知症の父の心に届かなかったことを知り
とことん叩きのめされて音楽を辞める決意をしたわけですな~

映画の冒頭とラストで、同じシーンが使われているのは何故に?
泊めてもらった知人宅に残すメモの内容も同じやのに、その家から出る時、
冒頭では猫が逃げて、ラストでは猫の逃亡を阻止することができた。

私の頭がこんがらがってる?
うーん確か同じメモ書きやったように思う。
ということは、ある一方では猫とともに紡ぐストーリーがあって、
一方では猫がいないストーリーもあったてこと?

それとも、猫とともに過ごした日々はルーウィンの夢物語やったとか。
だから「インサイド」なのかしら。
うーん、その辺が私の中でゴチャっとなってる。

もう1回観たい。おもしろい映画でした~


映画『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』本編映像