今回は、後期鍋島「色絵 唐花文 五寸皿」の紹介です。
これは、「鍋島Ⅱ 後期の作風を観る」(小木一良著 創樹社美術出版 平成16年11月発行)に登載されたものですが、まず、この「五寸皿」を手に入れた経緯から紹介したいと思います。
その経緯につきましては、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」で紹介していますので、まず、それを再度紹介いたします。
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<古伊万里への誘い>
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*古伊万里ギャラリー37 鍋島様式色絵唐花文五寸皿 (平成14年6月10日登載)
物には出会いがある。特に大物との出会いには、大きな思い出を伴った大きな出会いがある。もっとも、この皿と出合ったのはちょうど3年程前だから、そんなに古い話ではないので、思い出ということにはならないかもしれないが、出合いのいきさつは強烈だ。
なじみの古美術店で油を売っていたときのこと、店主が「あと1ヶ月程たったら色鍋島の五寸皿が手に入るかもしれないよ。先日、見せられたんだけど、来月また会うので、その時までに売れ残っていたら譲るというんだ。共箱に10枚入っていたが、5枚が無傷で、5枚が傷物だった。傷物は別にバラで処分するといってたので、無傷の5枚が揃いで手に入るかもしれないんだよ。いいものだったよ。来月まで売れ残ってくれることを祈って、今からドキドキしているんだよ。」と言う。
こんな話はめったにないものだ。店主もよほど嬉しかったのだろう。まだ手に入ると決まったわけでもないのに、二人で大いに盛り上がった。
「ところで、それ、手に入れたら私に譲ってくれるの?」と私。
「もちろん、そのつもりだよ。長い付き合いだもの、たまにはいいものを出さなくてはね。先方は××円と言っていたから、少し儲けさせてもらって〇〇円くらいでは出せると思うよ。」と店主。
長い付き合いとはありがたい。私の財政事情さえをもお見通しで、私でも買えるような値段を提示する。
二人にとってのそれからの長い1ヶ月が過ぎ、無事、私の所に来たわけである。
思えばこの皿、とても盛期の鍋島などといえるものではなく、かといって明治ともいいがたい。結局は、時代比定もできず、値段も中途半端。そういうことで、誰も振り向かず、無事(?)1ヶ月売れ残ったのであろう。
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ということで、私は、この「五寸皿」を、平成11年6月に、無疵の5枚入りを箱ごと手に入れたわけです。その後、疵のあるもの1枚を追加購入出来ましたので、都合、6枚を手に入れたことになります。
なお、手に入れた「五寸皿」は、古い、江戸期に作られたと思われる箱に入っていたり、また、クッション用に用いられた古い反古紙も沢山入っていて、当時の状態がそっくり残っているような資料的価値の高いものでした。
その後、2ヶ月ほど経った平成11年の8月だったように思いますが、東京で古伊万里に関する勉強会があった際、私は、小木一良先生に、最近、後期鍋島と思われるものを手に入れたことを話したわけです。
そうしましたら、それに興味を抱いた小木先生は、さっそく、翌月の平成11年9月に我が家に来られ、この「五寸皿」は大変に貴重な後期鍋島のものであると言われたわけです。その際、前回紹介しました後期鍋島「色絵 やぶこうじ文 朝顔形猪口」もお見せしましたところ、これも後期鍋島に属するもので、大変に良い物であるとのお褒めの言葉をいただいたわけです。
そんなことがあって、後期鍋島に自信の付いた私は、この後期鍋島「色絵 唐花文 五寸皿」と前回紹介しました後期鍋島「色絵 やぶこうじ文 朝顔形猪口」の2件を、日本陶磁協会の月刊誌「陶説」で紹介することにしたわけです。
その紹介記事も、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で紹介していますので、次に、それも再度紹介いたします。
ところで、その前に、肝心の、この後期鍋島「色絵 唐花文 五寸皿」の画像を紹介したいと思います。そうでなければ、具体的なイメージが掴めませんものね(^-^*)
「五寸皿」は、この古い箱の中に10枚入っていたとのことです。
私は、その中の無疵の5枚を買い、後日、疵のある1枚を追加で買いました。
箱の中には、クッション用に、古い和紙の反古紙が沢山入っていました。
反古紙の一部(その1)
寛政10年、寛政11年の年号を読み取ることが出来ます。
反古紙の一部(その2)
文化2年、文化4年、文化7年の年号を読み取ることが出来ます。
「五寸皿」の表面
上列右端の疵もの(口縁に2箇所の疵)は、後日、追加で購入したもの。
「五寸皿」の裏面
上列右端の疵もの(口縁に2箇所の疵)は、後日、追加で購入したもの。
表面(代表の1枚)
裏面(代表の1枚)
生 産 地 : 肥前・伊万里・鍋島藩窯
製作年代: 江戸時代後期(寛政時代)
サ イ ズ : 口径;14.3cm 高さ;3.2cm 底径;7.0cm
それでは、次に、日本陶磁協会の月刊誌「陶説」(564号;H12年3月号)で、この後期鍋島「色絵 唐花文 五寸皿」と前回紹介しました後期鍋島「色絵 やぶこうじ文 朝顔形猪口」の2件を紹介した記事を再度紹介致します。
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<古伊万里への誘い>
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*古伊万里随想17 18世紀末期の鍋島について(陶説564号;H12年3月号)
写真1 写真2
写真3 写真4
最近、暫くぶりで色鍋島五寸皿を入手した。ことに、この皿には、貴重な資料が随伴しており、伊万里研究の参考となると思われるので、諸賢に紹介するとともに御批判を承りたい。
古美術店の店主の言によれば、この五寸皿は、もともとは、箱の中に10枚入っていたが、そのうちの無傷のもの5枚のみを買い入れてきたとのことである(注:その後、疵物1枚を追加で買い入れてきてくれた)。ただ、箱と、箱の中にあった皿と皿との間のクッション用に使用されていた古い反故紙は、そっくりそのまま10枚分随伴しているとのこと(写真1参照)。
この箱には箱書もなく、箱そのものには資料的価値はないが、箱の中に入っていた皿と皿との間にクッション用に使用されていた反故紙が貴重である。私には古文書が読めないので、それらに何が書かれているのか詳細は不明であるが、それらを1枚1枚広げてみると年号の書かれているのがわかる。寛政10年、同11年、文化2年、同4年、同7年の年号を記した計5枚を確認することができた。そうであれば、この五寸皿は、18世紀末から19世紀初頭にかけて作られた可能性が高いといえよう。
ところで、この五寸皿は、写真2からではよくわからないと思われるが、現物を良く見ると、釉調は青味がかり、染付は少々紫がかった藍色で、土は真っ白く、スルスルとすべるように細かく密で、また、すっきりと堅い強い感じに焼成され、造形的にも口縁を溝縁にするなどの細かな所にまで神経を使ったきびしい作りである。櫛高台は盛期のものに比して若干不揃いであるが、写真3からわかるとおり、「カニ牡丹」は比較的丁寧に描かれている。また、表面の花の部分に赤が使用されているが、その花の輪郭も染付できちっと描いてある。つまり、赤絵の下にも薄い染付が認められる。
以上から判断して、この五寸皿は、盛期よりは下るが、十分に江戸期に作られたものであることを伺わせる。それでは、果たして江戸期の何時頃に作られたものであろうか。前記のように、この五寸皿のクッション用に使用されていた反故紙に記されていた年号から推察すると、18世紀末から19世紀初頭にかけて作られたものであると言えなくもないが、本当に、そう解釈してよいのだろうか。
しかしながら、この時代の鍋島について記した研究論文はほとんど見当らず、この手の鍋島の時代判定は、これまで不可能に近かったのである。ところが、幸いなことに、最近、平成9年1月号の陶説526号に、小木一良先生が「伊万里あれこれ(10) 18世紀後半期の鍋島作品」を発表されており、この時代の鍋島作品の判定に、大きな指針を与えておられる。この研究論文は、安永3年製作の鍋島3点を中心に、その特長を詳細に記しておられるが、この五寸皿も、安永3年製作の鍋島に大変によく似た特長を有しているようである。そのような点から判断して、この五寸皿の製作年代は、安永3年を大きく離れることはないと考えられるところであり、クッション用に使用されていた反故紙に記されていた年号に近い、18世紀末から19世紀初頭と考えて、まずまちがいはないと思われる。
なお、色鍋島の色彩は、赤、緑、黄の三種を使用するのが普通であるが、安永3年頃の色鍋島の色彩は、赤一色のみのものが多いともいわれているところであり、その点からも、この五寸皿は、安永3年に近い、18世紀末から19世紀初頭にかけての製作と推認できるところである。
以上のことから、この五寸皿が18世紀末から19世紀初頭に作られたものであるということになると、7年程前に入手した、これとよく似た、色絵やぶこうじ文朝顔形猪口(写真4)の製作年代が気になるところである。写真4の猪口には、随伴した資料など何もなく、あまりにも奇麗すぎるところから、今まではてっきり明治のものと思い込んでいたが、どうも、これも江戸期に遡りそうである。
写真4の猪口を改めて観察してみると、釉調は青みがかり、土はするするとすべるように緻密で白く、すっきりと、カキッと堅く強い感じに焼きあがっている。細工は実に丹念かつ丁寧で、薄くけずられていて、非常に引き締まった感じを与える。また、やぶこうじの葉っぱは、前記陶説526号の60ページの写真3(蔦絵木瓜形皿)の葉っぱの描き方と非常に良く似ていて、それぞれの葉っぱは、中心から片側半分が濃く染め付けられ、片側半分が薄く染め付けられている。なお、やぶこうじの実だけが赤でぽつりぽつりと描かれ、その配色が実に効果的であり、絶妙である。全体的に見ても、極めて品格高く、犯しがたい気品を漂わせる。
以上のことから、写真4の猪口も、前記の五寸皿と同じく、江戸期の18世紀末から19世紀初頭、それも安永3年に近い頃に製作されたものと考えてよさそうである。今までは、あまりにも奇麗すぎるので、明治になってから作られたものと思っていたのであるが、それはむしろ逆で、鍋島藩窯だからこそ、それほどまでに、奇麗すぎるほどに上手に製作されたのであろう、と思いを改めている。
一つの、基準となるものを発見すれば、それと比較した新たな発見が生まれると信ずる。諸賢の更なる精進を御祈念申し上げるとともに、諸賢からの御批判を期待して筆を置く。
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以上のように、「陶説」に、この後期鍋島「色絵 唐花文 五寸皿」と前回紹介しました後期鍋島「色絵 やぶこうじ文 朝顔形猪口」の2件を紹介したわけですが、その後、小木先生は、この2件のことを覚えてくれていたわけで、「鍋島Ⅱ 後期の作風を観る」を発行するに先立ち、平成16年の4月に、この2件の取材のために我が家に再度来訪されたわけですね。
そして、平成16年11月に「鍋島Ⅱ 後期の作風を観る」が刊行され、そこに、この後期鍋島「色絵 唐花文 五寸皿」が掲載されるに至ったわけです(^-^*)
「鍋島Ⅱ 後期の作風を観る」から転載
素晴らしいしかコメントが出来ません。
骨董屋さんとも気心が知れて
お互いに信頼関係がこうちくされているのですね。
後期鍋島の謎解きに、この色絵五寸皿が大きく寄与しているのですね。読んでいてドキドキしました(^.^)
鍋島のことはよくわかりませんが、盛期鍋島からいきなり後期鍋島ではどうも荒すぎるのではと漠然と思っていました。Drの2種の鍋島は、盛期から後期への過度期の作品のように見えます。名づけて、post 盛期鍋島、もしくは、pre後期鍋島(^.^)
この頃が、私の古伊万里コレクションの最盛期だったように思います。
気力、体力共に充実し、勉強にも力が入りましたし、購入資金も今よりも遙かに豊富でしたから、、、。
骨董屋さんとも信頼関係を築き、骨董屋さんも協力してくれました。
でも、そうした骨董屋さんも、今では、亡くなったり、廃業してしまっています(~_~;)
それで、今では、お金も無いですし、一人で、細々とコレクションに励んでいます(~_~;)
このようなことがあると、コレクターは嬉しいですね(^-^*)
盛期鍋島と幕末鍋島との間の落差は大き過ぎますよね。
私も、もう少し、なだらかに崩れていったのではないかと思います。
その意味では、確かに、これら2種は、「post 盛期鍋島、もしくは、pre後期鍋島」といえるかもしれませんね(^.^)
ドクターさんの品も大きく貢献していたんですね!
しかも色鍋島ですから、これぞ「お宝」としか言いようがありません。
ドクターさんのところへ来るべくして来た品とも言えるでしょうか。
これは、後期鍋島では珍し色鍋島ですし、しかも、そっくり昔のままの状態で出てきたものを手に入れたようなものですから、「宝の山」を発見したみたいですよね(^-^*)
このようなことは滅多にないことですね。このようなことを、本当の掘り出しというのかもしれませんね(^_^)