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Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

染付 桜唐草文 中皿

2023年07月25日 15時41分33秒 | 古伊万里

 今回は、「染付 桜唐草文 中皿」の紹介です。

 この中皿は、先日の、7月20日(木)の古美品交換会で競り落としてきたものです。

 なお、この中皿の名称につきましては、7月20日(木)付けの「古美品交換会」の記事の中では「染付 桜文 中皿」として紹介しましたが、その後、図録等で調べてみましたら、この手のものを「染付 桜唐草文 中皿」としている場合が多いようですので、この中皿につきましても、それに倣い、「染付 桜文 中皿」ではなく、「染付 桜唐草文 中皿」として紹介したいと思います。

 また、この中皿の製作年代につきましても、7月20日(木)付けの「古美品交換会」の記事の中では、「江戸時代中期の終り頃~後期の初め頃」として紹介しましたが、やはり、その後に調べた図録等では「江戸時代中期」としている場合が多いようですので、この件につきましても、それに倣い、「江戸時代中期」として紹介したいと思います。

 ところで、この中皿の入手に際しましては、ちょとした出来事がありましたので、まずは、そのことから紹介したいと思います。

 ご存知の方もおられるかとは思いますが、競り市では、競りにかけられる商品は、事前に、大きなお盆のようなものの中に乗せられ、ぐるっと、参加者全員の前を通過するようになっていて、その際、参加者は、その商品をじっくりとチェックするという仕組みになています。

 私は、その際、この中皿の口縁には5mm程のソゲ疵が1か所あることを知りました。そんなものですから、この中皿は疵物ですので、それほど高くはないだろう、2,000円~3,000円程度のものだろうと値踏みしたわけです。まっ、3,000円程度までなら競り落としてもいいかなと思ったわけです。

 ところが、この中皿は、いざ競りにかけられましたら、発句が4,000円でした。

 しかし、競り人が「4,000円」と発句を告げましても、誰も槍を入れません。シーンと静まりかえったままでした。この皿に興味を抱いていた参加者は、この皿が疵物であることを知っていたからですね。競り人が、疵を見逃したのかもしれません。確かに、この中皿の口縁のソゲ疵は、よ~く見ないと気付きにくいような存在でしたから、、。疵物なのに発句が高すぎるな~と思った方が多かったのでしょう。

 それで、私は、競り人に、「この皿には疵があるんですけど、、、」と言ったのです。

 そうしましたら、競り人は、「ん? そうだった。どこに、、」ということで、この中皿をよ~く点検し、「あっ、これね」と、ようやく気付いたようです。

 やはり、この皿の口縁に疵があることに気付かないで発句を発したようですね。それで、競り人は、「じゃ、1,500円か」と発句を修正しました。

 そこで、私は、すかさず、「2,000円!」の槍を入れました。

 それに対して、その後、私の槍を越える槍を出す者はおらず、目出度く私が落札者となりました(^_^) 私の気合い勝ちというところでしょうか(^-^*)

 結局、最初の発句の半値の、私の値踏みに近い額の、2,000円で手に入れることが出来たわけです(^-^*)

 ということで、前置きが長くなりましたが、次に、その「染付 桜唐草文 中皿」を紹介いたします。

 

 

漂泊前の表面

 

 

 ご覧のように、この中皿には、上の写真の下部に、時計の針で示しますと口縁の6時の方角に約5mm程のソゲ疵が1か所あります。ただ、よ~く見ないと気付かないほどです。

 なお、そのソゲ疵部分を拡大した写真は、次のとおりです。

 

ソゲ疵部分を拡大した写真

 

 

 そこで、私は、何時ものとおり、さっそく、この中皿を漂白剤の中に入れ、綺麗にする作業にとりかかりました。

 漂白後の写真は、次のとおりです。

 

 

漂白後の表面

 

 

 ところが、上の写真からも分かりますように、漂白して綺麗にしましたら、このソゲ疵は、余計に目立つようになったように感じます(~_~;) これじゃ、ソゲ疵部分を補修しなければなりませんね。

 また、漂白してみましたら、「漂白前の表面」の写真上部の花びらの左上に見られた汚れが消えていることに気付きました。私は、この部分は、焼成時の降り物に更に汚れが付着したものだろうから、その汚れは、それほど綺麗には落ちないだろうと思っていましたので、予想外れでした。この部分は釉剥げになっていて、そこに汚れが付着していただけなので綺麗になったようですね(^_^)

 また、同じく、「漂白前の表面」の写真の口縁の、時計の針で示しますと3時の方角に黒くポチッとしたものが見られますが、それは、小さな降り物なのかなと思っていたのですが、それが消え、代わりにノミホツが現われてきました(~_~;) これは、小さいとはいえ疵ですね(><) でも、この程度の小さな疵は無視することとし、補修はしないことにしました。

 以上の、花びら部分の汚れが消えた状態、ノミホツが出現した状態の拡大写真は、次のとおりです。

 

 

花びらの左上の汚れが消え、口縁(上の写真では右下)にノミホツが出現した写真

 

 

 ということで、全体を漂白して綺麗にし、口縁にあった5mm程のソゲ疵に補修を施したわけですが、それらの作業を行った後の中皿の写真は次のとおりです。

 

 

 

染付 桜唐草文 中皿

 

表面

 

 

補修したソゲ疵部分を拡大した写真

 

 

側面

 

 

裏面

 

 

裏面の一部を拡大した写真

 

 

生 産 地 : 肥前・有田

製作年代: 江戸時代中期

サ イ ズ : 口径19.9cm  高さ3.0cm  底径12.1cm


初期伊万里 石榴文 中皿

2023年07月23日 14時09分20秒 | 古伊万里

 先日、ネットショップを眺めていましたら、「あれっ!」というものを発見しました。

 それは、「初期伊万里 石榴文 中皿」です! しかも、なかなかの名品です!!

 この手のものは、以前は高かったんですよね。高すぎて手が出ませんでした(><)

 ところが、突然に目に入ってきたのです。無理すれば手の届くような値段で、、!

 以前には考えられなかったことです。しみじみと、古伊万里の人気がなくなり、古伊万里が値下がりしていることを感じさせます(~_~;) 古伊万里コレクターとしては、嬉しいような悲しいような、複雑な心境です、、、。

 でも、やはり、この手は欲しくなりますよね。以前から、1点は欲しいと思っていたものですから、、、。

 それで、遂に、思いきって買うことに(^-^*)

 その結果、ネットショップから届いた「初期伊万里 石榴文 中皿」というものは、次のようなものです。

 

 

 

 ただ、残念なことに、この中皿には、上の写真から分かりますように、皿の中程に横方向に1本のニューが走っています。なお、上の写真の下の方に写っている左上方から右下方にかけて斜めに走っている線のようなものは窯疵であって疵ではありません。

 でも、以前から、この程度のニューは、それほどマイナスに評価されてはいなかったことを知っていましたので、ニューがあることは承知のうえでの購入でした。

 そのニューの部分を拡大した写真は、次のようになります。

 

 

横に薄らと写っている線がニューです。

下方に見られる斜めの線のようなものは窯疵です。

 

 

 また、そのニューは裏面にまで達しています。その状態は、次の写真のとおりです。

 

 

 

 

 ちょっと見づらいですので、それを拡大しますと次のようになります。

 

 

ニューが裏面にまで達していることがよくわかります。

 

 

 ところで、この中皿を鑑賞用にするにしても、やはり、ニューは目障りになりますよね。本来、ニューは無いほうがいいわけですので、ニューの線がなるべく見えないような状態になることにこしたことはありません。それで、この中皿を漂白剤の中に浸しておくとこにしました。ニューの線の色が薄くなることを期待したからです。

 漂白剤の中に2日ほど浸しておきましたが、その結果、次のようになりました。

 

 

 

 

 どうですか! ニューはほとんど見えないような状態になりました(^-^*) これなら、無疵と間違えそうですよね(^-^*) ニューの部分を拡大してみましても、下の写真からもわかりますように、ニューはほとんど見えません(^-^*)

 

 

 

 

側面

この中皿は、鍔縁状になっていることが分かります。

また、造形的には、底のほうが分厚く作られ、縁のほうにゆくにしたがって薄く

作られています。そのため、手に取ったとき、ズシリとした重さを感じます。

 

 

 でも、裏面を見ますと、残念ながら、ニューが見えますね(~_~;) でも、鑑賞の際、裏面は見ませんから、それほど支障はないでしょう。でも、漂白剤の中に入れておいたお陰で、高台畳付き部分の汚れは綺麗に消えました(^_^)

 

 

裏面

ちょっと見づらいですが、ニューが見えます。

しかし、高台畳付き部分の汚れは消えています。

 

 

斜め上方から見た裏面

ちょっと見づらいですが、ニューが見えます。

しかし、高台畳付き部分の汚れは消えています。

 

 

 

高台部分の拡大

薄くニューが見えます。

しかし、高台畳付き部分の汚れは消えています。

 

 

生 産 地 : 肥前・有田

製作年代: 江戸時代初期

サ イ ズ : 口径20.3cm  高さ3.0~3.4cm  底径7.8cm


色絵 水草に金魚文 盃洗

2023年06月22日 15時42分40秒 | 古伊万里

 今回は、「色絵 水草に金魚文 盃洗」の紹介です。

 この盃洗は、一昨日の古美術品交換会で競り落としてきたものです。

 盃洗は、かつては、大変に人気があり、結構なお値段で売られていたのですが、最近では、人気が無くなり、市場にも殆ど出回らなくなりました。

 そんな中、突然、ポツリと登場してきたものですから、懐かしさも手伝い、ついつい、競り落とす気になったわけです。

 最近では、人気がないこともあり、一昨日の古美術品交換会での発句も安かったのですが、やはり、皆さん、それほどに注目しなかったものですから、激しい競り合いとはならず、比較的に安く競り落とすことができました(^-^*)

 もっとも、この盃洗、非常に状態の悪い姿で登場してきたものですから、皆さん、「こんなこ汚い物を買ってもしょうがないな。売り物にならないよ。商売になんないよ」ということで、食指を動かさなかったのだろうと思います。

 ほんと、疵はなかったのですが、汚れが酷かったのです(><) 特に基台部や底面の汚れが酷かったのです(><) 長年の使用に伴う汚れの域を超えていたのです。何と言いますかね、その汚れは生まれた時から備わったような汚れのように見えたのです。とてもじゃないが、洗ったくらいでは、その汚れは落ちないだろうという状態でした。

 しかし、私としては、長年の経験から、「この汚れは、多分、漂白剤に浸しておけば落ちるだろう」と予測しました。だいたいにおいて、盃洗は食器なわけですし、しかも清潔を必要とする食器なわけですから、「そもそも、もともとこんな汚い状態のものだったとしたら、食器として流通するはずがないだろう」とも判断したわけです。

 帰宅して、さっそく漂白剤に浸しておきましたら、予測通り、見事に綺麗に蘇りました(^_^) 見込み面には、盃洗に相応しく、金魚藻の中を元気に泳ぎ回っている金魚まで現われました(^-^*)

 「マイ・フェア・レデイ」という映画では、言語学者のヒギンズ教授が、ひょんなことから、下町生れの粗野で下品な言葉遣いのオードリー・ヘプバーン扮する花売り娘をレディに仕立て上げていくわけですが、ちょうど、私も、そのヒギンズ教授にでもなったかのような心境でした(笑)。このような心境を味わえるのも骨董の醍醐味でしょうか(^-^*)

 どうぞ、我が家の、この薄汚く汚れた下町生れの盃洗が、レディへと変身していった姿をみてやってください(^-^*)

 なお、我が家には、もう一つ、盃洗があります。それは、昭和55年に(今から43年前に)買ってきたもので、このブログでも、既に、2020年9月24日に「伊万里 染錦 花文 盃洗」として紹介しています。

 そこでは、「盃洗」についての説明なども記してありますので、合わせてお読みいただければ嬉しいです(^_^)

 

 

色絵 水草に金魚文 盃洗

 

正面(仮定)

 

 

正面から右に90度回転させた面

 

 

正面から左に90度回転させた面

 

 

正面の裏側面

 

 

内側面

 

 

内側面の見込み部分の拡大

金魚藻の中を金魚が元気に泳いでいます。

 

 

 

内側面の上方部分

 

 

内側面の右がわ部分

 

 

内側面の下方部分

 

 

内側面の左がわ部分

 

 

基台部

 

 

斜め底部から見た面(その1)

 

 

斜め底部から見た面(その2)

 

 

底面

 

 

底面の拡大

 

 

生 産 地 : 肥前・有田

製作年代: 江戸時代後期

サ イ ズ : 口径15.6cm  高さ11.5cm  底径10.5cm


金襴手 蛇の目釉剥ぎ 竹雀に石榴文 中皿

2023年06月02日 13時00分22秒 | 古伊万里

 今回は、「金襴手 蛇の目釉剥ぎ 竹雀に石榴文 中皿」の紹介です。

 これは、最近、ネットショップを眺めていましたら、「あれっ!」と気になりましたので購入に及んだものです。

 なぜ、この中皿が気になったかといいますと、「金襴手」なのに、見込み面の釉薬が蛇の目状に剥がされいて、そこに色絵が付加されていたからです。

 佐賀県立九州陶磁文化館にも相当数の「蛇の目釉剥ぎ」の古伊万里が所蔵されていますが、「金襴手」のものに「蛇の目釉剥ぎ」が施されているものは無いようです。

 私も「蛇の目釉剥ぎ」の古伊万里を何点か所蔵していますが、やはり、「金襴手」のものに「蛇の目釉剥ぎ」が施されたものではありません。

 もっとも、以上のことは、文言だけでは理解が困難と思われますので、次に、画像を交えて説明したいと思います。

 佐賀県立九州陶磁文化館所蔵の、代表的な「蛇の目釉剥ぎ」の古伊万里の皿というものは次のようなものです。

 

「柴田コレクションⅥ」(佐賀県立九州陶磁文化館発行)P.159から転載

 

        -----------------------------------------------------------

:上の画像は小さくて見えずらいと思いますので、次に、再度、上の画像を幾つかの部分に区切って拡大した写真を載せておきます。

 

 

    263の裏面

 

    264の裏面

 

   263 色絵 蝶文 皿 1650~60年代 口径15.0 高さ2.7 底径8.4

   264 色絵 貝藻文 皿(5) 1750~1810年代 口径12.3 高さ2.4 底径5.7

 

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 上からも分かりますように、「柴田コレクションⅥ」のP.159の№263の皿の製作年代は1650~60年代とされ、「柴田コレクションⅥ」のP.159の№264の皿の製作年代は1750~1810年代とされているわけですね。両皿の製作年代には約100年の差があるわけです。

 私の所蔵する蛇の目釉剥ぎ」の古伊万里の皿も、既にこのブログでも紹介していますが、製作年代が「柴田コレクションⅥ」のP.159の№263の皿に近いものは、「色絵 蝶文 小皿」「伊万里 古九谷様式 色絵 花輪文 小皿」「色絵 松竹梅文 小皿」「伊万里 色絵 草花梅樹文 小皿」「太極図の手塩皿」の5件で、製作年代が「柴田コレクションⅥ」のP.159の№264の皿に近いものは、「色絵 向かい蝶文 小深皿(5客組)」「色絵 竹雀文 小皿(5客組)」「色絵 栗・魚文 豆皿」「色絵 波に千鳥文 豆皿」の4件です。やはり、これらの5件の皿の製作年代と4件の皿の製作年代との間には約100年の差があるわけですね。 

 一方、金襴手は、1700年の声を聞くと盛んに作られるようになり、18世紀には金襴手が一世を風靡するようになりました。

 そうした状況を踏まえますと、1700年頃から1750年頃までの間に、つまり、18世紀前半の間に、金襴手の皿の見込み面に蛇の目釉剥ぎを施した皿が登場してきていてもおかしくはないのですが、多くの古伊万里を所蔵する佐賀県立九州陶磁文化館にも所蔵されいる様子がありませんし、私もこれまでに見たこともなかったわけです。

 そんなところに、ネットショップでこの中皿を目にしたものですから、「やっぱりあったんだ!」と思い、飛びついたわけです(~_~;)

 しかし、なぜ、この手のものが少ないのでしょうか? 多分、この手は、国内富裕層向けの食器として作られたのでしょうから、食器として使用されているうちに破損・消耗して捨てられてしまい、伝世しているものが殆ど無いからなのかもしれません、、、。そのような意味では、資料的には貴重な存在なのかもしれません(^_^)

 そのような事情で手に入れた中皿なわけで、それを、次に紹介いたします。

 

 

金襴手 蛇の目釉剥ぎ 竹雀に石榴文 中皿

 

表面

 

 

 金彩はほとんど剥落していますが、金襴手であることは間違いないようです。その金襴手の見込み面を蛇の目状に釉剥ぎし、その釉剥ぎ部分に竹雀文の上絵を施して装飾しています。

 見込み中心部には石榴文を施し、周辺には椿と橘をあしらうなど、この中皿には、人気のある文様が天こ盛りです。これじゃ、人々からよほど好かれて使われたことでしょうね(^_^) さんざんに使われ、結局は残存しなかったのかもしれません。

 

 

見込み部分の拡大

全体甘手で、見込み中心の石榴文の斜め上のヒビのように見えるものは窯疵です。

 

 

 

表面の上半分

周辺には橘文が描かれています。

 

 

表面の下半分

周辺には椿文が描かれています。

 

 

側面

 

 

 側面の写真からも分かりますように、この中皿は、造形的には鋭さに欠け、シャープさがありません。また、かなりの歪みもみられます。やや厚作りで、手取りもずしりと重く江戸中期の波佐見焼の「クラワンカ手」を思わせます。

 そのような造形的な面からみれば、この中皿は、18世紀前半に作られたものとは思いますが、盛期の金襴手の作られた18世紀の初め頃までには遡らないのではないかと思われます。

 しかし、使用されている呉須は良質で、鮮やかなブルーに発色しており、赤も古い赤が使用されています。この点からは、18世紀後半以降に作られたようには思えません。

 以上を総合的に勘案しますと、この中皿は、希望的観測も込め、18世紀前半に作られたのではないかと思っております(^-^*)

 

 

裏面

 

 

やや斜め上方から見た裏面

 

生 産 地 : 肥前・有田

製作年代: 江戸時代中期の前半(18世紀前半)

サ イ ズ : 口径20.1~20.3cm(歪みがあるため) 高さ3.9~4.2cm(歪みがあるため) 底径11.3cm 


染錦 龍鳳凰文 大皿

2023年05月22日 17時58分06秒 | 古伊万里

 これは、一昨日の「古美術品交換会」で競り落としてきたものです。

 ところで、この「古美術品交換会」につきましては、一昨日の「古美術品交換会」というタイトルのブログ記事でも書きましたように、これまでは、古美術好きの素人が集まって作った団体が運営に当たっていたわけですが、その団体が令和4年度を以て解散し、その後を、そっくりプロの業者が引継いでいました。そして、開催日も違っていました。

 私は、そのような事情を知らなかったものですから、先月は、従来の開催日に出向いてしまい、交換会には参加できませんでした。従いまして、一昨日は、新体制での「古美術品交換会」には初参加となったわけです。

 新体制になっても、何も変らないということでしたが、実態は、プロのメンバーが多くなり、プロの市場(いちば)という様相となっていました。

 そのため、競りにかけられる品物は多くなりましたし、競りで飛び交う声にも活気があり、「一貫目」などとの専門用語も頻発されていました。

 そんなことで、ちょっと面くらいましたし、初参加でもありますから、ご祝儀の意味でも、お付き合いに何か1点くらい競り落としてあげなければならないかな~というようなことも頭をよぎりました。

 そうした状況のなかで競り落としてきたのが、この「染錦 龍鳳凰文 大皿」です。

 この大皿は、江戸後期くらいに「有田」で焼かれたものなのかな~と思って競り落としたわけですが、自宅に持ち帰ってジックリと眺めましたら、時代的にはもっと新しい、明治くらいのもの、古く見ても幕末くらいのものなのかな~と思うようになりました。また、幕末や明治になりますと、あちこちで磁器は焼かれるようになりますから、生産地も「有田」とは言い切れないな~と思うようになったわけです(~_~;)

 でも、この大皿につきまして、私としては、「製作年代不明」、「生産地不明」とまでは言い切れないところではありますが、自信がないというところです(~_~;)

 プロの市場(いちば)への初参加であったため、平常心を失っていたのかな~と思っていますが、それは言い訳でしょう(~_~;) 要は、まだまだ勉強が足りない、修行が足りないということですね(><)

 

 

染錦 龍鳳凰文 大皿

 

表面

 

 

見込み部分の拡大

 

 

表面の外周部分の拡大(その1)

 

 

表面の外周部分の拡大(その2)

この写真から、赤はペンキ赤が使用されていることがよく分かります。

ペンキ赤は、江戸中期以前には登場しませんね。江戸後期以降に登場してきます。

 

 

裏面

高台内の銘:太明成化年製

 

 

裏面の側面部分の拡大(その1)の左側部分

ここでも、ペンキ赤が使用されています。

 

 

裏面の側面部分の拡大(その1)の右側部分

牡丹の花にはペンキ赤がべた塗りされていて、花びらなのかどうか分かりません。

また、染付文様の牡丹の枝葉の描き方は下手ですね。

 

 

裏面の側面部分の拡大(その1)の右側部分の拡大

ペンキ赤のべた塗り部分は、拡大すると、花びらであることがわかります。

 

 

裏面の側面部分の拡大(その2)の左側部分

ペンキ赤を使用し、付立て風に花を描いています。

「有田」ではあまり見かけない描き方です。

 

 

裏面の側面部分の拡大(その2)の右側部分

ペンキ赤を使用し、付立て風に花を描いています。

「有田」ではあまり見かけない描き方です。

 

 

裏面の側面部分の拡大(その2)の右側部分の拡大

 

 

生 産 地 : 肥前・有田  (?)

製作年代: 江戸時代末期~明治時代 (?)

サ イ ズ : 口径36.5cm  高さ5.8~6.3cm  底径21.5cm