文化遺産としての赤塚不二夫論 今明かされる赤塚ワールドの全貌

赤塚不二夫を文化遺産として遺すべく、赤塚ワールド全般について論及したブログです。主著「赤塚不二夫大先生を読む」ほか多数。

スタイリッシュな近代型ギャング ココロのボス

2020-06-16 07:50:10 | 第4章

ブタ軍団を子分に従え、下層社会に生きるクラシックな渡世人然としたブタ松の対抗馬として登場したのが、ダブルのスーツに身を包み、スタイリッシュなイメージをアピールした近代的ギャングのココロのボスだ。

元々は『おそ松くん』におけるイヤミと同様、憎まれ役的な、所謂秩序の破壊者として配役されたココロのボスであったが、登場回数を数えるごとに、ある時は男のダンディズムを貫き通すハードボイルド、またある時は心優しいシャイな紳士として、様々な性格付けがなされ、いつしか『ア太郎』ワールド随一の性格俳優宜しく、その人気を不動のものにした。

シッポを生やし、狸だか人間だか、原作者の赤塚ですらも、判別不能なケダモノ然とした風貌は、キャラクターメイクの達人・高井研一郎によって考案されたプロトタイプをベースに作られたもので、そのキャラクターイメージは、「ヘ~イ! レッドスネ~ク カモ~ン!」のフレーズで、当時人気を博していたコメディアンのショパン猪狩をモチーフにしたとも言われている。

語尾に「~のココロ」と付ける特徴的な言い回しは、その頃赤塚が頻繁に通っていた新宿のクラブ「竹馬」の常連客だった在日華僑の中国人男性が、マスターに「水割り一杯欲しいのココロ」とオーダーしたことが無性に可笑しく、早速その口癖をココロのボスに当て嵌めてみたというのが真相だ。

因みに、ココロのボスが「アー、ポックンポックン」と言い放つ、素っ頓狂な出囃子的台詞は、その後、赤塚と慣れ親しい間柄となる稀代の喜劇俳優・由利徹が、まだ巨乳なんてアダルティーな俗語もなかった時代に、映画『ニッポン無責任時代』(監督・古澤憲吾/主演・植木等)で、「オッパイがポックンポックン」と、グラマラスな女性をアドリブ的にこう表現したことがえらく気に入り、そのままボスの十八番の決まり文句として、特に何の事訳も与えず、喋らせたそうな。

ココロのボスは、その生い立ちからして非常に特殊で、幼い頃は宮殿のような邸宅に住むスーパーお坊ちゃんだった。

だが、それは父親が偽札造りによって財を為したものであり、その幸福な暮らしも束の間、警察の手入れを受けて、一家は一瞬にして零落する。

その後、ホームレス生活を余儀なくされるものの、元上流階級のプライドからか、大学(下宿部屋の壁に貼られたペナントからバカ田大学だと思われる。)へと進学。太平洋戦争時には、学徒出陣により特攻隊に配属される。

終戦後、どのような事情を辿ったのか、未だ明らかにされていないが、ギャングの世界へと身を投じ、いつしかココロ・ファミリーのボスとして、同じく狸顔をした子分A、子分Bを率い、ア太郎達の住む街に定住することになる。

犬猿の仲であるブタ松とは、今川焼屋の看板娘やバレエ教室の美人の先生を巡り、恋の争奪戦を展開したり、ブタ松の妹・松代がボスに一目惚れするものの、その交際に対し、猛反発を喰らうなど、両者の溝は一向に埋められることはない。

街のゴッドファーザー的存在であると自認し、横紙破りのファッショ的言動が、時としてドン引きの域に達するココロのボスであるが、子供のいない寂しさ故か、雌の雛・ピヨコを自分の娘代わりとし、ピアノを買い与えたり、美容院に通わせたりと、まるで血の繋がった娘に対するような溺愛ぶりを時折垣間見せたりもする。

ピヨコがローラー車に轢かれそうになった時も、身を挺してピヨコを守り、自らがローラー車の下敷きとなってペシャンコにされるなど、その愛情の深さは、ペット愛好家の伊達や酔狂で片付けられる単純な度合いのものではない。

子供好きで、道端にひっそりと咲く小さな花にも愛情を注ぐココロのボスのジェントルな側面を強調した性格描写は、赤塚が大好きだった映画監督・フランク・キャプラのインフルエンスを色濃く受けたものだと思われる。 

余談だが、『ア太郎』の終了から実に五年の歳月を経て、名脇役・ココロのボスも、その名を冠した『ココロのボス』(「週刊少年サンデー」75年31号)なるタイトルの読み切り作品において、堂々の初主演を果たすことになる。

ギャング団の首領・ココロのボスが、田舎からやってくる最愛の母親のため、病院を占拠し、医者を装って母親に立派な息子の姿を見せてやろうと企てるが、母親はふとしたことで、突然のショック死。悲嘆に暮れるボスは、その場に偶然現れた兄貴分のギャングをあっさり暗殺し、その男の人一倍強かった心臓を見よう見まねで母親へと移植するが、ボスを上回る悪辣なギャングの心臓を移植された母親は、無事に蘇生したのもつかの間、大ギャングの遺伝子を引き継いだことにより、銀行強盗を派手に働く、ボスも驚愕のスーパーギャングとして蘇ってしまうというのが、このドラマの概要である。

時を隔て、突発的に描かれたこのスピンオフ作品は、当時ソニーが販売を開始したベータマックス規格初のビデオデッキSL―6300をモチーフに添えたCM漫画で、その販売に合わせ、「週刊少年サンデー」の16ページを広告ページとして買い上げたソニーサイドより、SL―6300の性能と利用法を簡便に伝えるPRコミックを、赤塚漫画的視点から表現して欲しいとのオファーを受けて描かれたものだ。(この時、ソニーは掲載の「サンデー」より『ココロのボス』のみを抜き出した販促用小冊子を制作、配布した。)

ストーリーに何の脈略もなく、申し訳程度にビデオデッキの宣伝を絡め、その用途の説明については、欄外に文字で記すのみという、広告漫画の体裁を整えていないところに若干たじろぐが、ギャグ漫画としては、アイデア、ネーム共に及第点を上回る出来栄えを誇り、ベテラン・赤塚の熟達した筆力を賞玩出来る佳作として評価を得るに至った。

因みに、この『ココロのボス』は長らくリスト漏れしていた作品で、当時、喜劇界の大御所・元あきれたぼういずの坊屋三郎が出演し、外国人相手に言い放つ「あんた、外人だろ? 発音悪いね!」のフレーズが話題を集めた松下電器産業(現・パナソニック電工株式会社)のパナカラー・クイントリックスのヒットCMを模倣し、登場人物達が「ソニーのビデオデッキ、ソニーのビデオデッキ」と16ページに渡って商品名を、ただひたすら連呼し続けるという、ヒューモアも才知も備えていない凡庸な宣伝漫画が、この時、「週刊少年サンデー」に描かれたと、赤塚の半生を題材とした伝記漫画(『赤塚不二夫 天才ニャロメ伝』/著・長谷邦夫、マガジンハウス、2005年)の中で記されていたが、その宣伝漫画とは、この作品を指していることは明瞭であり、この書き伝えもまた、痛々しさを露呈した、赤塚関連本特有の謬錯の一つであることを、この場にて指摘しておきたい。


時代錯誤な前近代型ヤクザ シュコロのブタ松

2020-06-15 07:46:41 | 第4章

組員に逃げられ、一家は解散。その再建を図るべく、喧嘩の強いデコッ八を子分としてスカウトするも、逆にデコッ八の威勢の良さに惚れ込み、そのままデコッ八の押し掛け子分となったのが、シュコロのブタ松である。

シュコロの通称は、当時、クレージー・キャッツの桜井センリを起用し、評判を呼んでいたCMのフレーズ「シュコロ、イチコロ、キンチョール」から拝借したものだ。

敵対関係にあったサイケ一家にかつての子分達を取られたブタ松は、そのサイケ一家から対決を迫られていた。

そんな時、ア太郎とちょっとした感情の行き違いから大喧嘩となり、八百×を出て行ってしまったデコッ八は、自暴自棄から、たまたま知り合ったブタ松と親分子分の盃を交わし、ブタ松一家に草鞋を脱ぐことになる。

元来気が弱く、サイケ一家の挑発に怖じ気付くブタ松を余所に、たった一人でサイケ一家をコテンパンにのしてしまうデコッ八。

それまでの立場が逆転し、今度はデコッ八がブタ松に親分として担ぎ上げられる。

成り行き上、ブタ松の大親分、親分となったア太郎とデコッ八は、多角経営の一環として、ブタ松を使って養豚場の事業管理を始めるが、ブタ松がブタを一家の組員として扱い出したため、ア太郎とデコッ八の養豚場運営の計画は、結局のところ頓挫してしまう。


男の中の男 義理と人情のデコッ八

2020-06-15 03:12:09 | 第4章

曲がったことがとにかく嫌いで、喧嘩も強く、男気溢れる熱血漢のデコッ八は、地方出身者でありながらも、親分のア太郎以上に江戸っ子気質を体現した、ある意味直情径行に過ぎた感もある少年だ。

その真っ正直な性格故に、己の正しき信念を貫くデコッ八は、人の道から外れたことをすれば、敬愛する親分のア太郎にさえ、喝として拳を振り上げることも辞さない。

そんなデコッ八の気質を端的に表したエピソードが、後に登場する猫のニャロメがデコッ八の男心に惚れ慕う切っ掛けを描いた「デコッ八の男ごころ」(70年2号)である。

イカサマ賭博を重ね、ニャロメをからかって遊んでいたア太郎だったが、ふとしたことで、賭けに負けたア太郎は、負けたら自分を殴っても構わないというニャロメとの約束を破ってしまう。

その悔しさから、デコッ八に抗議するニャロメ。

真偽を確かめるべく、ニャロメとともにア太郎に詰め寄るデコッ八だったが、「おれとニャロメとどっちを信用するんだ?」と開き直ったその態度に、怒りを爆発させ、ア太郎に拳をぶつける。

また、正しきを尊ぶその熱い生き様に触れ、ひねくれ者や悪ガキが改心してゆくエピソードも、デコッ八を主役にした回には数多くある。

中でも特筆すべきは、ア太郎版『走れメロス』(太宰治)とも言える「義理と人情のデコッ八」(69年10号)だ。

配達の帰り、子供達の喧嘩の仲裁に入ったデコッ八は、そこで喧嘩の原因となった悪ガキ・テルに気に入られるが、デコッ八もまた、意地っ張りでガッツのあるテルに、何処か自分の幼き日の面影を重ね合わせて見ていた。

そんなある日、テルが八百×に大量の野菜を買いに来る。

財布を忘れたと言うテルに不信感を露にするア太郎だったが、デコッ八はテルを信じ、野菜を持って帰らせる。

そして、テルを一切信用しようとしないア太郎に、デコッ八は、もしテルが代金を支払わないことになったら、自分を一〇〇発殴ってもいいとア太郎に約束を取り付ける。

だが、テルは船乗りの息子で、父親共々食材の代金を踏み倒す常習犯だったのだ。

船が出航する中、デコッ八が気が気でないテルは、父親から財布を奪って、運河へと飛び込み、デコッ八のもとへと泳いで向かう……。

嘘と感じつつも、友を信じることへの意義深さ、そして、友から信頼されることへの感謝と喜び、簡潔なドラマの中にも、これこそが男同士の絆だという言い様のない感動とロマンが同時に引き出された、『ア太郎』珠玉のエピソードだ。

その名の通り、出っ張ったオデコとイガグリ頭が印象的なデコッ八のキャラクターデザインであるが、元々は『ア太郎』開始から遡ること六年前、「別冊少年サンデー お正月ゆかい号」(62年1月1日発行)に読み切りとして発表された『チャン吉くん』に登場する脇キャラ・ダボを、そのまま1968年の赤塚漫画のタッチに描き換えたもので、有名処の赤塚キャラでは、『ひみつのアッコちゃん』のチカちゃんに次ぐ、古い歴史を持つサポーティングアクターと言えるだろう。


×五郎とア太郎親子が営む青果店「八百×」

2020-06-13 07:36:07 | 第4章

義理と人情が深く染み付いた東京・下町の一角に位置する青果店「八百×」を経営するも、易学に凝りだし、家業に全く身が入らない父親・×五郎に代わり、小学生でありながら、懸命に店を切り盛りするア太郎は、×五郎のグータラぶりに手を焼きながらも、これまで男手一つで育ててくれた心優しい×五郎に感謝の念を抱いている孝行息子だ。

×五郎はア太郎を優しく見守り、ア太郎は×五郎をしっかりフォローしてゆくという、父子二人、慎ましくも幸せな生活を送っていた。

そんなある日、×五郎は、公園を散歩中、木の枝に風船が引っ掛かり、泣いている女の子のため、木に登って風船を取ってあげようとしたものの、誤って木から転落死してしまい、風船とともに天国へと旅立ってゆく……。

だが、天国の死亡台帳には、名前が記載されておらず、生き返るしかなかった×五郎は、喜び勇んで地上へと舞い降りるも、肉体は既に火葬された後であった。

その後、×五郎は、仕方なく幽霊のまま、ア太郎だけにその姿が見え、コミュニケート出来る存在として、不自由を余儀なくされつつも、 再び下界で、ア太郎との生活を送り、時にはゴーストの特性を生かして、ア太郎のピンチを救うようになる。

苦労人の赤塚としては、生活環境が成熟した現代社会に育ち、物質的な豊かさと精神的な甘えに支えられて生きている、軟弱で小賢しい気質の子供達が、当時増加傾向にあったことに強い憤りを覚え、恵まれない境遇に生きる、自立心の強い少年を主人公に据えた漫画を、敢えて家族解体の視点から描いてみたかったという。

ア太郎の家業が八百屋という設定は、「マガジン」の『バカボン』担当編集の五十嵐隆夫の実家が、当時青果店を営んでいたことから付け加えられたものだ。

また、×五郎が幽霊となり、地上と天界を往き来するシチュエーションは、臨死体験をテーマとし、天界側のミスによって生き残ってしまった一人の航空兵を巡る幸福と災難を描いたイギリス映画『天国への階段』(監督・マイケル・パウエル/主演・デヴィッド・ニーヴン)にヒントを得て創り出されたものであって、『ア太郎』の連載開始と時同じくしてリリースされたザ・フォーク・クルセダーズのアングラソング『帰って来たヨッパライ』の大ヒットに乗じて発想されたものでは断じてない。

そして、当初ア太郎と×五郎のみだったレギュラーに、ア太郎を親分と見込み、押し掛け子分となった突貫小僧のデコッ八と、落ちぶれた昔気質のヤクザの親分・ブタ松が加わるようになると、まさに日本人が美徳とする、物事への正しき流儀や仲間に対する義理と温情が、物語のテーマとして添えられ、情緒的且つ通俗的な概念が、その世界観においてより強調されるようになった。


『天才バカボン』の特大ホームランと『もーれつア太郎』連載開始に至る道程

2020-06-11 12:44:37 | 第4章

1967年3月、赤塚は、自身最大のヒット作にして、戦後漫画史に燦然と輝くギャグ漫画の最高峰『天才バカボン』の連載を「週刊少年マガジン」第15号にてスタートさせる。

かねてよりギャグ漫画にも力を入れ、誌面刷新の構想を練っていた「マガジン」編集長・内田勝と副編集長・宮原照夫による、赤塚へのモーションは尋常ではなく、『おそ松くん』全盛期の65年頃から丸二年に渡り、「マガジン」誌への連載執筆を執拗にアプローチしてきたという。

当時の赤塚にとって、週刊誌連載をもう一本増やすということは、未知なる冒険であり、またそれ以前に、競合誌に連載を始めるにあたり、両作品の人気を結果的に潰し合う危険性があり得ることも、この時懸念していたのかも知れない。

そのため、赤塚は「マガジン」サイドからの連載オファーがある都度、短編や長編読み切りを寄稿するなどして、慎重を期していたが、内田編集長から、編集部から創案された六九もの連載プランをプレゼンされ、その熱意に打たれた赤塚は、それら全てのアイデアを取り込めるキャラクターを創出することを確約し、連載へと踏み切ったのだ。

そんな込み入った経緯を辿り、登場した『天才バカボン』だったが、連載第一回目より大反響を呼ぶこととなった。

そして、主人公のバカボンからバカボンのパパに力点が置かれ、ドラマが展開するようになると、松竹新喜劇の藤山寛美を彷彿させるバカボンの底抜けの馬鹿さ加減と、生まれた時からあらゆる分野において超絶的な才能を発揮する弟・ハジメの天才ぶりとの対極的な落差から笑いを導き出す、愚兄賢弟を強調した初期設定は崩れ、当初脇を固める得難いパーソナリティーとして登場したに過ぎなかったバカボンのパパのトリッキーな存在と言動が、徐々に際立ちを放つようになり、世間に蔓延る強固で頑迷な常識や秩序を解体せしめるアナーキーなギャグをいくつも編み出してゆくこととなる。

やがて、アイデアはバカボンのパパ中心に廻り出し、究極の大バカキャラ・バカボンのパパと、パパの母校であるバカ田大学の同窓生や後輩、目ん玉つながりの未成熟警官等、過激なキャラクターとの対立のドラマへと軸移動するに従い、その作風は、シュールやアバンギャルドといった概念をも超越しかねないマッドネスを発動してゆく。

『天才バカボン』が、『ハリスの旋風』(ちばてつや)や『巨人の星』(原作・梶原一騎/作画・川崎のぼる)、『無用ノ介』(さいとう・たかを)、『ゲゲゲの鬼太郎』(水木しげる)と並ぶ「マガジン」の代表的タイトルになるまでには、そう時間は掛からなかった。

『天才バカボン』の 新規参入による部数増大で、俄然勢力を増した「マガジン」に焦燥を深めた「サンデー」編集部は、『おそ松くん』の掲載パターンを、週刊から月一ペースでの長編連載へと切り替え、『おそ松』のメジャー人気を後続するシリーズ連載にして、ライバル誌「マガジン」の牙城を崩すべく急先鋒とも言うべき新連載の立ち上げを、赤塚に要求する。

何しろ、新連載のプロットは勿論、登場人物や舞台設定、タイトルさえも決定していないにも拘わらず、東映動画がアニメ化を打診してきたというのだから、その期待値の高さは相当なものであったことが窺える。

だからといって、それだけの成功を収める作品が描けるという保証は全くない。

しかし、「サンデー」編集部からの要望以前に、この新連載が高い評価を得ることにより、自身の漫画家人生の大きなステップボードになると確信した赤塚は、先行の『おそ松』や競合誌掲載の『バカボン』と作風の上で、明確な差別化を図るべく、性質が格段に異なる新たな笑いのエッセンスをその世界観に内包させるとともに、アニメとの相乗効果を狙いやすいテーマを、この時、考慮に入れていたとされる。

そこで思い付いたのが、死んで幽霊となった父親と、しっかり者の息子との絆と交流を軸に、江戸っ子気質の登場人物達の涙と笑いを浪花節的に描いた下町人情路線で、タイトルは『もーれつア太郎』に決定。こうして、1967年第48号より「サンデー」の赤塚新連載は、スタートの一歩を切り出すこととなる。

『もーれつア太郎』の「もーれつ」のワードは、疾走するスポーツカーの風圧で、ミニスカートが捲り上がるという、人気モデル・小川ローザをフィーチャーし、センセーショナルを巻き起こした丸善石油のハイオクガソリンのCMコピー「Oh!モーレツ」から拝借したものであると、幾つかの文献に流布されているが、このCMが電波に乗ったのが1969年、『もーれつア太郎』の連載開始から、一年半以上経過しての登場であり、時系列的に捉えても、この論述が錯誤誤記であることは、明々白々の事実と言えよう。

因みに、本作を連載するにあたり、名実共に、赤塚ギャグの代表作となった『おそ松くん』や、連載開始からいきなり特大ホームランとなった『天才バカボン』に負けず劣らず、「猛烈に当たろう」という赤塚の切実なる願いが、そのタイトルへとダイレクトに反映し、ネーミングされたことは、あまり知られていない。