同じく「少女フレンド」誌上にて、『ジャジャ子ちゃん』の後釜として登場したのが、『ヒッピーちゃん』(67年52号~68年30号、34号~45号)というシリーズで、こちらも、誇り高く、茶目っ気たっぷりなフラッパーガールが、悪意を込めた戯れ事を児戯の如き仕組んでは、大人をもノックアウトさせてゆく、よりどぎつさを奔騰せしめた少女向けナンセンスの精華とも言うべき作品だ。
前作『ジャジャ子ちゃん』が掲載されていた際は、僅か2ページのみだったページ数も8ページへと増大されるなど、少女雑誌において、添え物的な存在でしかなかったギャグ系作品としては、破格のスペースを用意されてのスタートだった。
1960年代後半、泥沼化するベトナム戦争への反対運動に端を発し、派兵や徴兵を拒んだサンフランシスコの若者達の間で発生したヒッピームーブメントは、体制側によって作られた既成のシステムやルールに縛られたあらゆる社会的行動からの脱却をポリシーとし、個人の魂の解放と自然への回帰への提唱を訴え、アメリカ全土を席巻。いつしか、若者世代の等身大のカウンターカルチャーとして広く認知され、愛と自由と平和への希求へと繋がるそのアイデンティティーは、瞬く間に世界中へと波及し、その芽を育んでいった。
それは我が国において、自由へと憧れる進歩的な若者達も例外ではなく、ポリフィディリティー(フリーセックス)、ハイミナールやLSDの服用による精神のトリップ、アンチコマーシャリズムを掲げたアンダーグラウンドな前衛アートへの傾注といった、ヒッピー本来の実態的背景を持たない単なるエピゴーネンとして、その表層的なスタイルのみを追従した。
彼らはファッションとしての反社会的な生活にどっぷりと浸かりながら、新宿を拠点に欧米のシーンを更に矮小化した、無意義なボヘミアンライフを謳歌することとなるが、そんな時代のオーラが『ヒッピーちゃん』では如実にリフレクトしている。
『ヒッピーちゃん』は、通常の小学生生活からドロップアウトし、猫のフーと一緒に、あてのない旅を続ける素性、詳細共に不明の女の子が、そのさすらいの旅路の中で、老若男女問わず、アクの強い様々な人物と遭遇し、人間が持つ滑稽なところ、悪辣なところをクールに眺めながら、人生の深遠を学び取り、時には、矛盾を孕んだ人間の独善性にきついお灸を据える酷薄なミスチーフを飄然と仕掛けながら、真の自由を求めて、町から町へと渡り歩いて行くという、放浪型のストーリーだ。
ただ、惜しむらくは、小学生の少女を対象読者とした媒体で描かれた作品であるため、「ヒッピー」というサイケデリックエイジの季語を直截的にタイトルとして用いながらも、総体的に読む者を現実から忘我の境地へとトリップさせる、シュールなアシッド感覚を内包するには至っていないところで、そこに一抹の食い足らなさを感じずにはいられない。
しかし、行く先々で、現代社会、延いては、人間意識の不条理を激烈なまでに曝け出し、それらに対し、一矢報いるアンチテーゼとして、その魂を解放するヒッピーちゃんが巻き起こす旋風の嵐は、毎回刺激に満ちた混乱と笑いのカタルシスを生み出し、少女読者にスラップスティックな笑いに対する免疫力を補うとともに、その魅力を喧伝するにあたる一つの里程標となった。
また、『ヒッピーちゃん』を執筆してゆく中で、毎回舞台設定に変化を与え、ドラマから日常性を剥ぎ取ることで、既存の枠、発想から飛躍したアナーキーな喜劇性を充足させるなど、作品の空気を自在に変容させて余りある斬新な作劇理論を見出だし、後に描かれる『風のカラッペ』(「週刊少年キング」70年~71年)、『少年フライデー』、『のらガキ』(「週刊少年サンデー」75年~76年)といったシリーズのファーストポイントとして、自らのフィールドに、珍道中ナンセンスというサブストリームを確実に拓いてゆく。
そういった側面からも、赤塚らしい独創的ウィットに富んだ作品でもあり、その作品史において、新生面となる形態と様式を導入した、ある意味、代表的な赤塚ギャグと同等のバリューを併せ持った重要な一作と言えるだろう。