文化遺産としての赤塚不二夫論 今明かされる赤塚ワールドの全貌

赤塚不二夫を文化遺産として遺すべく、赤塚ワールド全般について論及したブログです。主著「赤塚不二夫大先生を読む」ほか多数。

その他の赤塚不二夫責任編集によるギャグ・マガジン 「ギャグマン」「ギャグアクション」

2021-12-21 20:56:52 | 第6章

さて、実際、何処まで編集作業に携わっていたのかは、不明だが、「まんが№1」の廃刊後以降も、名目上赤塚が責任編集を務めたとされる雑誌が複数冊刊行されることになる。

1979年に「アサヒ芸能」の臨時増刊として刊行されたギャグ・マガジン「ギャグマン」(2月20日発行)、そして、87年に「週刊漫画アクション」から発生した特別増刊「ギャグアクション」(「増刊漫画アクション」7月8日号)などがそれで、いずれも〝赤塚不二夫責任編集〟というキャッチコピーが銘打たれた。

「ギャグマン」は、「まんが№1」と同じく、パロディー・サタイア誌的な側面の強い雑誌であったが、漫画も複数本掲載され、巻頭のカラーページには、二部構成となった中編読み切り『めくるめっくワールド』 が執筆された。

夜はキャバレー〝ギムナジュウム〟で蝶となり、昼間は、〝天使のはらわた保育園〟の保母さんとして働く主人公・プリンセニカのファムファタル的な生き様をパロディックな視点で具象化した異色作で、醜悪さを湛えたリアルな描写が、読む者を非日常を顕示したアブノーマルの淵へと導く、赤塚には珍しいエログロ・ナンセンスとしての完成を見た。

当時大人気の竹宮恵子や石井隆風の疑似キャラクターと、赤塚キャラの記号的表現の融和による、知覚表象の破砕を意匠とした笑いの数々は、単なるパロディーでは片付けられない、既成の漫画表現からはみ出す新種のパラダイムを概念化しており、マイナーながらも、その作品価値は否定し難い。

「ギャグアクション」は、赤塚を筆頭に、山上たつひこ、江口寿史、新田たつお、いしいひさいち、相原コージ等、日本を代表する名だたるギャグ漫画家が一同に介した、豪華絢爛、究極のナンセンス漫画専門誌である。

巻頭のカラーページに掲載された『誘拐でウイロー』は、大病院の医院長(ダヨーン)の息子・チビ太を誘拐したイヤミとココロのボスが巻き込まれる非合理なトラブルと、哀切に満ちた顛末をヒューマニティー溢れる筆致で物語化した長編読み切りで、巻末には、長谷邦夫をはじめ、北見けんいち、よこたとくお、とりいかずよし、てらしまけいじ、河口仁ら、往年のフジオ・プロスタッフがリレー形式で、フジオ・プロの歴史をフィクショナルに綴った『フジオ・プロ ギャグ漫史』が掲載されている。

漫画雑誌以外の分野では、1983年に、赤塚が初監督したAV『こんなの初めて 帰って来たかぐや姫』(主演・相原慶子)を付録に付けた『赤塚不二夫のビデオナンバーワン』なるビデオ雑誌も、創刊号のみだが、ザ・スキャンが企画する『ビデオマガジン』シリーズの一環として、東映ビデオから発売された。

『メチャクチャ№1』や『母ちゃん№1』といった漫画作品同様、この『ビデオ№1』のタイトル使用からもわかるように、赤塚自身、〝№1〟という語句に並々ならぬ愛着があったことが窺える。

また、78年に、安普請の木造家屋を、現在の三階建てのフジオ・プロビルに改築して以来、玄関には〝フジオ・プロダクション〟の表札とともに、〝まんが№1〟と刻まれたプレートが掲げられており、そうした点を一瞥しても、赤塚の中で、またいつか、第二、第三の「まんが№1」を創刊したいという願望があったであろうことは安易に想像出来よう。


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