文化遺産としての赤塚不二夫論 今明かされる赤塚ワールドの全貌

赤塚不二夫を文化遺産として遺すべく、赤塚ワールド全般について論及したブログです。主著「赤塚不二夫大先生を読む」ほか多数。

『ウンコールワット』『ガキトピア』 ギャグ漫画の登竜門・赤塚賞設立とジャンプ愛読者賞

2021-12-21 20:59:48 | 第6章

1974年、これまでギャグ漫画の発展に尽力してきた功績が認められ、明日の赤塚不二夫の発掘を担う、ギャグ漫画界における〝芥川賞〟的な位置付けと言っても憚らない〝赤塚賞〟が、集英社「週刊少 年ジャンプ」誌上にて設立される。

審査委員長の赤塚以下、第一期の赤塚賞審査員には、青島幸男、東海林さだお、とりいかずよし、永井豪、藤子不二雄、山田洋次等、放送、漫画、映画といったあらゆる芸術文化で、上質且つフレッシュな笑いを提供してきたビッグネームがその名を連ねたほか、入選作品には、手塚杯と同額の五〇万が贈呈されるという、ギャグ漫画部門としても、破格の規模を誇る新人漫画登竜門だ。

そうした自身の名を冠する新人賞が創設された流れから、74年から77年に掛け、年に一度、約一〇名の選りすぐりの人気漫画家が毎号バトン形式で読み切りを発表し、その年のMVPを、読者投票によって決めるという〝ジャンプ愛読者賞〟を中心に、集英社系の雑誌を媒体とした数々の珍作、怪作の長編読み切りを執筆することになる。

その中でも、絶大なインパクトを残したのは、「週刊少年ジャンプ」〝愛読者賞〟初のノミネート作となる『ウンコールワット』(74年20号)であろう。

その地方にしか生息しないとされるモンキーチョウを求めて、ウンコジャ国にやって来た〝ウン考古学者〟のクソ塚不二夫が、鬱蒼とした密林からさ迷い出ると、そこには、ウンコジャ国の伝説にその名を刻む宮殿都市・ウンコールワットが、目の前いっぱいに広がっていた。

ウンコールワットで、一〇〇〇年に渡り、この都市を守り続けてきたという、ゴンのおやじそっくりな野グソ田少尉に遭遇したクソ塚不二夫は、未だベールに包まれているウンコールワットの興亡の経緯を少尉から詳しく聞くことになるが、彼から語られた話は、驚愕と戦慄に彩られたウンコールワット悲劇の歴史だった。

カンボジアにクーメル族がアンコールワットを建設したことを知ったクミトール族は、「なにクソ‼ 負けてたまるか」とばかりに、ウンコジャ国最高のユートピア・ウンコールワットを築き上げる。

クミトール族は、みんな、頭上にウンコを乗せ、ウンコを神として崇めていた。

ウンコジャ国は、ウンコ文化の発信やウンコによる国交が盛んで、デカパン扮するデカフン王が国王に君臨した時、ウンコジャ国の隆盛は最盛を極めることになる。

だが、ウンコジャ国の栄華も束の間、クミトール族の叡智を結集し、築き上げたユートピア・ウンコールワットは、ある日突然壊滅し、ウンコールワット、そしてウンコジャ国は脆くも滅び去ってしまう……。

田中総理大便(大臣)、ユル・ゲリー(ユリ・ゲラー)、クソリーキング(ストリーキング)、ピクソ(ピカソ)のゲリニカ(ゲルニカ)等、ウンコに絡めた駄洒落をそのまま画稿に起こしたスカトロジックな笑いが、全ページに渡って満載されており、ダーティさに掛けては他の追従を許さない、赤塚作品史上屈指のキワモノ漫画と言えるだろう。

作品中盤では、自身のセルフカバー作品『クソ松くん』(赤グソビチ夫とビチオプロ)なるウンコ漫画も唐突にインサートされ、読む者を当惑させる。

しかし、フリーダムな悪趣味ぶりに貫かれたこれらのスカトロギャグは、圧倒的なスケールで読者に迫り、ギャグ漫画でありながらも、息付く暇もない、スペクタクル映画さながらの見せ場が、怒涛の如く連続し展開してゆく。

取り分け、クソの御岳山の大噴火によるウンコールワット滅亡のカタストロフは、エドワード・ブルワー=リットンの『ポンペイ最後の日』を彷彿させる壮大な興奮を、そのドラマの中に宿している。

また、ハチャメチャなストーリーでありながらも、フランス人博物学者・アンリ・ムーオが、一匹の蝶を追ってさ迷い込んだカンボジアの密林で、世界最大の寺院遺跡・アンコールワットに遭遇する史実をプロローグに被せたり、この作品が発表された当時、太平洋戦争の終結から二九年を経て、フィリピン・ルバング島より日本の地を踏んだ小野田寛郎元大日本帝国陸軍少尉のキャラクターを、狂言廻しの野グソ田少尉に重ね合わせたりと、赤塚独特の鋭敏なパロディーセンスが底光りしている点も見逃せない。

尚、野グソ田少尉がクソ塚教授に出会い頭で、「きみは鈴木青年か? クソッ‼」と尋ねるシーンがあるが、これはクソ塚教授を、実際の小野田少尉に日本への帰国を促した、冒険家の鈴木紀夫に見立てたギャグであり、そうした細かいパロディーが、随所に然り気無く散りばめられているのも面白い。

この後も、「少年ジャンプ」愛読者賞チャレンジ作品では、マジカルな悪夢が現実に起こり得るかも知れない、謂わば可視的な非日常世界でのパニックを戯画化したエピソードが連続して発表される。

世界的な大漫豪のバカ塚アホ夫が、砂漠に眠る、子供だけが住む楽園・ガキトピアに紛れ込み、国家建設の為、拉致軟禁される悪夢の数日間を描いた『ガキトピア』(75年20号)、同じくバカ塚アホ夫が、美の本質と普遍が真逆の価値観を持った地底の世界で、絶世の美男子として崇められるズレ笑いを、ムー帝国の滅亡に絡めて綴った『ウジャバランド』(76年19号)、またまたバカ塚センセイが主人公で、今度は、動物が人間を支配するアニマル王国に迷い込み、九死に一生の恐怖を体感する『アニマルランド』(77年14号)等、いずれも、謎が謎を呼ぶミステリアス且つ雄大な世界観と、そこで繰り広げられるナンセンスなドラマの不条理性を、剛腕の力業で、しかし違和感なく丁寧に纏め上げたまずまずの佳作と評点を付けて良いだろう。

尚、「少年ジャンプ」の傍流誌では、手塚賞・赤塚賞の漫画家特集を組んだ増刊号に、〝一家物シリーズ〟のラストエピソードとなった『タレント一家』(76年8月20日発行)、女房をアシスタントに寝取られたダメ漫画家と担当記者の複雑怪奇な関係を、退っ引きならない隠し子騒動に結び付けて綴った『子連れ記者』(77年1月15日発行)を執筆。

取り分け、『子連れ記者』は、従来の『ジャンプ』掲載作品とは幾分趣きを異にする、アダルティーなテイストを浮かび上がらせた小品に仕上がった。


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