文化遺産としての赤塚不二夫論 今明かされる赤塚ワールドの全貌

赤塚不二夫を文化遺産として遺すべく、赤塚ワールド全般について論及したブログです。主著「赤塚不二夫大先生を読む」ほか多数。

成人向けナンセンスに特化した『天才バカボンのおやじ』の新境地

2021-05-07 07:49:15 | 第5章

第三期連載開始を境に、『バカボン』のナンセンス性は、更に倒錯の度合いを深めてゆくが、その発端となった要因に、バカボンのパパを完全なる主役としてその座に収めた派生シリーズ『天才バカボンのおやじ』(69年~73年)を「週刊漫画サンデー」に連載したことが挙げられよう。

当時の「週刊漫画サンデー」は、杉浦幸雄や近藤日出造等、漫画集団の主要メンバーらの作品に準拠した旧態依然たるクオリティー誌のイメージから脱却し、『ギャートルズ』の園山俊二や『ショージ君』の東海林さだおといった新進気鋭のナンセンス漫画家をプッシュしてゆく新たな編集方針を打ち出し、読者層の引き下げに成功していた時期でもあった。

類い稀なるエディット感覚を持つアイデアマン、同誌編集長の峯島正行は、少年週刊誌を中心に拡充した怒涛の漫画ブームに対応すべく、更に誌面を刷新。少年漫画のスター作家を連載陣に擁立してゆくプランを打ち立て、そのうちの一人として、赤塚に白羽の矢を立てたのである。

また、この時期、『バカボン』が「週刊少年マガジン」からライバル誌「週刊少年サンデー」に掲載を鞍替えするという前代未聞の移籍劇を展開していた頃で、そうした『バカボン』のモンスター級のスペックに着目した峯島は、依頼の際、赤塚に成人向けナンセンスに特化した『バカボン』の執筆を要請してきたという。

連載開始にあたり、雑誌全体のボリュームが極めて少量な「漫画サンデー」にとって、破格とも言うべき二四ページもの掲載スペースが設けられるが、これだけのページを毎週描くとなると、当時の赤塚の仕事量から見ても、物理的に不可能という結論に達し、話し合いの結果、三週に一回という変則的なペースで、新連載『天才バカボンのおやじ』はスタートする。

尚、この時期、ほぼ同時期に連載開始となり、「漫画サンデー」のもう一本の柱となった作品が、後に『笑ゥせぇるすまん』のタイトルでアニメ化され、ヒットタイトルとなる藤子不二雄Ⓐの『黒ィせぇるまん』だった。

『天才バカボンのおやじ』の世界観は、メルヘンと倒錯の概念が絶え間なく相互作用を繰り返しては、作劇の既成理論を打破してゆくアブノーマルなハプニング的空間にある。

そこには、当時赤塚が、夜の酒場を舞台に、スタッフ、編集者、取り巻き連中とともに、夜毎繰り広げていた酒宴の世界に発想の原点を求めていたのではないかと思われるキュリアスな笑いが、これでもかと言わんばかりに遍満しているのだ。

記念すべき連載第一回目に当たる「スシ・パイのマージャンなのだ」(69年9月3日号)は、食中毒を出して以降、客足がすっかり途絶えてしまったイヤミ経営の寿司屋の二階を貸し切り、バカボンのパパがバカ大の同級生達と同窓会を開くことを口実に、四人打ち麻雀に勤しむといった尾籠な笑いに焦点を置いた珍奇譚だ。

バカボンのパパらが使う麻雀パイは、何とこの店が作った寿司で、パパが「まずヒカリパイはきらってすてよう」と、近海の鯖らしき光り物の寿司パイを捨てると、隣の男は、トロパイを拾い、ゲソパイを捨てる。

パパと対面の男が「じゃそのゲソ チーだ」と言って、イカパイを捨てると、更に隣の男は、「イカパイ ポン‼」と絶叫し、大三元を狙っている胸の内を悟られてしまう。

そして、対面の男が、リーチを掛け、海老パイを欲しがっていることがわかると、隣の男はからかいついでに海老パイを食べてしまい、遂には、「友情もこれまでなのだ‼」と、パパらも巻き込み、大乱闘へと雪崩れ込んでゆく。

余談だが、この寿司麻雀ネタは、設定を将棋盤に移し、後年『11PM』の番組枠でテレキャストされた『赤塚不二夫のギャグテレビ』(79年8月8日放送)で、出演者のタモリや小松政夫らによって、リアルに演じられることになる。

「先手6三タコのせ海老」「後手5七イカ逆さ」といった具合で対局し、視聴者を煙に巻くのであった。


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