『おた助くん』(「小学四年生」63年4月号~64年3月号他)は、発表の舞台が学年誌という比較的地味な児童向けの媒体だったためか、疲れを知らない猪突猛進キャラのおた助くんのハッスルぶりが、勢いあるドタバタと小気味良い陽性のユーモアを基本線に、活き活きと躍動的に描かれているものの、何処かまったりとした素朴な雰囲気が作品全体を支配しており、ナンセンギャグというよりも、読者層の子供達に親近感とシンパシーを抱かせる、健康的な生活ギャグ漫画の範疇に区分するのが妥当なシリーズと言えるだろう。
赤塚ギャグの原点でもある『ナマちゃん』の世界観を拡大再生産し、赤塚にとっての家庭的ユーモア漫画、横町のドタバタ漫画の総決算となった『おた助くん』は、アクの強い怪人、怪童が入り乱れ、社会秩序をも転覆させる『おそ松くん』のようなシチュエーションコメディーの奇怪さとは別種のものだが、主人公・おた助くんを取り巻く、バカ息子・一郎、懐が深く人情味溢れる社長さん、ゴリラのお手伝いさん、超ダメ人間のカバ男など、多彩なレギュラーキャラクターを脇に揃え、作品世界に賑やかな印象を与えているのは、笑いの性質は違えど、『おそ松くん』における状況設定の華やかさと軌を一にしており、物語に広がる上質のユーモアを補強するマテリアルの一つになり得ている。
おた助くんは、弟でのんびり屋のたま男くん、サラリーマンのパパと優しいママとの4人家族。パパが務めるオトボケ製薬の社長さんが住む邸宅の敷地内にある一軒家に家族揃って暮らしており、対する一郎は、父親である社長に溺愛されている常識知らずな一人息子だ。
『おそ松くん』同様、キャラクター漫画としての側面も併せ持った『おた助くん』だったが、あくまで設定された登場人物達の性格を変えず、作劇してゆく製作パターンを採用していたため、生活ユーモア漫画の定型である人情噺も少なくなく、当初は、主人公・おた助くんの腕白な活躍に焦点を当て、物語が展開していた。
だが、回を重ねるごとに、おた助くん、たま男くん兄弟とバカ息子・一郎との対立の構図が毎回のドラマとなり、徐々にバカ息子・一郎の異界の存在としてのキャラクターが確立されてゆく。
やがて、この対立の構図は、熊を連れて来て、スキー場をパニックに陥れたり(「一郎とクマさん」/「小学二年生」66年2月号)、ギャングに弟子入りして、喧嘩中のおた助くんの家に強盗に押し寄せたりと(「ごうとうとカエルさん」/「小学四年生」68年3月号)、一郎の突拍子もない異常行動に、おた助くん達が翻弄される喧騒のドラマへと軸移動していったのだ。
そして、一郎の徹底した馬鹿さ加減やどこまでも天衣無縫なキャラクターが、主役である筈のおた助くんを完全に喰ってしまう程の存在感を放つようになり、読者の人気が一郎に集中。次第に一郎を主人公に迎えたエピソードが大きな割合いを占めるようになり、『おた助・チカちゃん』(「小学四年生」65年4月号~66年3月号)という続編が間を挟んで発表された後、一郎がタイトルを張る『二代目社長一郎くん』(「小学四年生」68年11月号~69年3月号)なるスピンオフストーリーも描かれるようになる。
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『二代目社長一郎くん』は、社長が病に倒れたことで、急遽一郎がオトボケ製薬を引き継ぎ、奇想天外なアイデア経営で、会社をシッチャッカメッチャッカにしてしまうという、設定そのものも含め、それまでの『おた助くん』のストーリーラインとは全く関係のないパラレルワールドへと変貌した。
赤塚作品の常だが、かつての主役・おた助くんは、ここでは殆ど登場しない。
一郎というキャラクターの発想の源となったのが、連載当時、担当の坂本記者と観劇に通った旧新橋演舞場で、毎年、上演プログラムにあった松竹新喜劇の藤山寛美公演だった。
当時の藤山寛美は絶好調で、馬鹿役を演じさせれば、天下一品。この頃の寛美の馬鹿役が一郎のキャラクター設定のヒントとなり、この一郎こそが、後に意識的に描かれ、赤塚ギャグの一つの点景となる数多の馬鹿キャラの出発点となったのだ。
母親のいない一郎の家に、家政婦としてやって来た男勝りで優しいゴリラのお手伝いさんは、赤塚の母性回帰への潜在意識が具象化して生み出されたのか、豊満な巨体が印象的で、その後『ジャイアントママ』(「週刊少年マガジン」65年32号、36号)で、度肝を抜くバイタリティーで我が子をも圧倒するスーパー母ちゃんとして、二回主演を務めた後、姿形を変え、母親への慕情と讃歌を綴った『母ちゃん№1』(「週刊少年サンデー」76年~77年)に結実する。
赤塚作品としては、オーソドックスなきらいもある『おた助くん』だが、その後の赤塚ギャグを構成する様々なディテールが混在しているなど、マイナーな作品ながらも、決して軽視は出来ない。
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