文化遺産としての赤塚不二夫論 今明かされる赤塚ワールドの全貌

赤塚不二夫を文化遺産として遺すべく、赤塚ワールド全般について論及したブログです。主著「赤塚不二夫大先生を読む」ほか多数。

新潟で過ごした灰色の青春 甘美な総天然色の世界への憧憬

2017-11-08 10:39:56 | 序章

引き揚げ後、大和郡山へと移り住んだ赤塚家は、母親のりよ、藤雄、藤雄にとって実の妹である長女の寿満子、実弟で三男になる宜洋との四人暮らしであった。

赤塚家の家族構成は、本来であるなら、次女の綾子、次男の義大、そして、この時まだ生後六ヶ月であった三女を含め、八人家族である筈だった。

だが、引き揚げ前に、次女の綾子がジフテリアによって死去。義大はやんごとなき事情により、既に外地で、他家へと養子に出されていた。

綾子の死後、その名を授けられた三女は、引き揚げの際、無慈悲にも税関でミルクを取り上げられ、その結果、栄養失調となり、大和郡山にある、りよの実家に着いたとたん、即、息を引き取ったという。 

そうした苛辣な境遇の中、藤雄十四歳の時、中国大陸の辺境を転々とし、抗日共産勢力の壊滅と現地の定着宣撫を任務とする特務警察官を務め、第二次世界大戦後、ソ連赤軍によってシベリアに抑留されていた父、藤七が帰国。これを機に、りよを除く、藤雄、寿満子、宣洋の三人は、父方の故郷、新潟県四ッ合村大字井随へと移り住む。

元々、関東軍の憲兵として満州に渡った藤七は、国際連盟のリットン調査団の護衛を務めていた経歴からもわかるように、屈強にして厳格な人物であったため、藤七に対し、常に畏怖の念を抱いていた藤雄だったが、シベリアでの過酷な抑留生活による栄養失調から、すっかり痩せこけ、水疱を患ったその風貌は、威厳を湛えた、かつての重々しいまでの雰囲気とは真逆とも言うべきもので、藤七の憔悴しきった姿を目の当たりにした際、ショックを隠せなかったという。 

終戦後、父、藤七が過ごした波乱に満ちた時期については、赤塚が出版費用を受け持ち、フジオ・プロより上梓した藤七自筆による自叙伝『星霜の記憶』(72年)に詳しい。

経済的な事情により高校進学を断念した藤雄は、後に田舎者の発想だと自虐的に笑うが、少しでも絵の描ける仕事をすれば、漫画の勉強になるだろうという想いから、四ッ合中学卒業後、新潟市内にあった小熊塗装店に就職し、社会人としての第一歩を踏み出した。

しかし、現実は、ドラム缶の錆止めのペンキ塗りや進駐軍の軍用地にある飛行場の滑走路のライン引きといった、安月給の上、危険を伴う重労働ばかりで、好奇心旺盛な、当時十六歳だった藤雄にとって八方塞がりな毎日だった。

だが、この塗装店での生活は、その後の赤塚不二夫の漫画家人生において、重要な糧となって余りある大きなプラスアルファがあった。

小熊塗装店は、市内の映画館の看板の塗装も引き受けていたので、上映作品を無料で観られるという役得があったのだ。

困窮と敗戦のコンプレックスの中で喘いでいた藤雄の灰色の青春を満たしてくれたものが、ハリウッド製の総天然色映画をはじめとする、西部劇、冒険活劇、恋愛物、ギャング物といった数多の外国映画だった。

知的好奇心を満たし、尚且つ目眩く甘美な夢の世界へと誘ってくれる映画の魅力に、藤雄は夢中になった。

ジョン・フォードの『駅馬車』、ビリー・ワイルダーの『第十七捕虜収容所』、キャロル・リードの『第三の男』、マイケル・カーティスの『カサブランカ』、サム・ウッドの『誰かの為に鐘は鳴る』、ラオール・ウォルシュの『遠い太鼓』といった名作映画、そして、アボット&コステロの凸凹コンビ、ジェリールイス&ディーン・マーチン、ダニー・ケイ、 チャーリー・チャップリンの諸作品……。

その後、赤塚ギャグの根っ子となるこれらのスラップスティックコメディもまた、この新潟時代に出会っており、物語のリズム、プロットの展開、演出、カット割り、構図等、後に漫画を描くうえで、この時の映画体験がたいへん参考になったという。

そして、この時期、『モヒカン族の最後』や『弾丸トミー』、『アップルジャム君』といった杉浦茂作品にも出会い、そのシュールで垢抜けたナンセンスな絵柄と独特の言語センスが横溢する先鋭的な笑いに、藤雄は魅了されてゆく。

エッセイ『変態しながら生きてみないか』(PHP研究所、84年)で、杉浦作品との邂逅をこのように語っている。

「手塚マンガとは対称的なタッチだが、妙に気になるマンガに出会ったのもこの頃だ。手塚治虫が洗練の極致だとしたら、そのマンガは〝ヘタウマ〟の元祖であった。一見ヘタクソでリアルなペン画が入っていたかと思うと、極端なディフォルメをしたマンガ的、あまりにマンガ的な絵が描かれていた。そのマンガの作者の名前は杉浦茂という。杉浦マンガの特徴は奇抜なナンセンスにあった。例えば、こうだ。白人を乗せた馬がインディアンに襲われる。インディアンの矢が雨のように飛び、その中の一本が馬の尻に刺さる。そうすると、馬はストーリーと関係なく口をきいてしまうのである。「痛えな、もう……」このナンセンスさ加減にはひっくり返って笑ってしまった。

~中略~

とにかく、手塚治虫しかいなかったぼくの頭の片隅に〝杉浦茂〟が入り込んできたのだ。」

読書に勤しむようになったのもこの頃だった。

フェイバリットは、その後ストーリーを頂いて、いくつかの漫画を描いたという『二十年後』や『よみがえった改心』、『賢者の贈り物』に代表される掌編小説の粋を集めた『O・ヘンリー短編集』や、『あなたに似た人』、『南から来た男』等、ブラックユーモアを身上とした奇妙な味わいの短編小説を得意としていたロアルド・ダールの諸作品で、特にロアルド・ダールの作品は、後のプロット作りにおいて、大いにヒントになったようだ。

キャラクターの性格付けにおいて、大きな影響を及ぼしたのが、イタリアの漫画家、ジョバンニ・グアレスキが書いた短編小説『陽気なドン・カミロ』だ。

あるイタリアの片田舎の教会の牧師、ドン・カミロと、彼とは全く主義主張の違う、同じ教区に住むコミュニストの村長、ペポネの衝突が、隠しきれない男と男の粋な友情として、濃厚な情感を込めて書かれている。

いがみ合っていても、決して一人では生きて行けず、その根底では深い友情と絆で結ばれているという、後に描くことになる『おそ松くん』や『もーれつア太郎』等に登場するキャラクター達の人間関係は、まさにこの作品の系譜と言えるだろう。


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