文化遺産としての赤塚不二夫論 今明かされる赤塚ワールドの全貌

赤塚不二夫を文化遺産として遺すべく、赤塚ワールド全般について論及したブログです。主著「赤塚不二夫大先生を読む」ほか多数。

ぺーソスを湛えた赤塚ナンセンスの原点回帰作『のらガキ』

2021-12-21 19:22:27 | 第6章

読者人気が今一盛り上がらず、比較的短命に終わった『少年フライデー』だが、この作品も、赤塚ギャグの常で、最終回らしい最終回もなく、あろうことか、表題もそのままに、主役交代した状態で、別タイトルの作品へとバトンタッチされる。

それが、1975年12号よりスタートした、赤塚ナンセンスの原点回帰作に位置付けられる『のらガキ』(「週刊少年サンデー」75年3・4号(読み切り)、12号~76年25号他)である。

メス猫に拾われ、育てられた捨て子ののらガキが、差別や迫害を受けながら、リアカーを引き、日本国内、あちこちを元気に旅して廻るという、設定面においても、相当箍が外れた作品で、赤塚放浪ナンセンスの最終章ともいうべきシリーズだ。

のらガキを女手一つで育て上げているメス猫・お竜には、猫でありながらも、渡世の世界に身を置き、女賭博師として名を馳せていた過去があり、毛を逆立てた背中には、見事な昇り竜の入れ墨が刻まれていた。

だが、幼いのらガキを拾ったある時、お竜は、幼いこの子の為、ヤクザな世界から足を洗うことを決心する。

そんなお竜と、腕白小僧・のらガキの絆と交流をほのぼのとしたタッチで綴ったヒューマニティー溢れるエピソードが、連続して発表されるが、終戦から既に三〇年も経とうする飽食の時代に、戦災孤児のような〝のらガキ〟が、過酷な現実に晒されながらも、胸を張って生き抜こうとするガムシャラさに、読者は当然リアリティーを感じるわけもなく、この作品もまた、スタート当初は期待した程のポピュラリティーを得るには至らなかった。

後に、赤塚自身も「自分だけが面白がって描いた作品」と、このシリーズに対し、些か否定的な感性で述懐していたが、話数を重ねる毎に、作風のエッジは徐々に際立ち、単なるウェットな風合いを持ち込んだだけではない、『レッツラゴン』や『少年フライデー』に連なる激越なギャグが、幾つものエピソードにおいて、バーストすることとなる。

連載開始当初、ガッツボーイ・のらガキが巻き起こす大旋風をドラマの磐石とし、貧困による差別をテーマに掲げた社会批判が、その世界観へと盛り込まれていたが、次第にバイプレイヤー・ダイヤモン郎や、前作『少年フライデー』より連続登板したバカメ、お馴染み目ん玉つながり、その目ん玉つながりが頭の上がらない、エラでピストルを撃ちまくるウナギの警官・刑事ウナンボといった異常性、倒錯性を纏ったキャラクター達を主役に据えたエピソードが、シリーズの過半を占めるようになった。

特に、大富豪のスーパー御曹司・ダイヤモン郎のキャラ立ちは尋常ではなく、幼少期より、我が儘放題、何不自由なく育てられた鼻持ちならない性格ぶりから、貧民層に対する差別意識が異常なほど強く、またその頭のキレの鋭さと特異な遂行能力から、奇想天外なアイデアを思い付き、実行に移しては、のらガキ達周囲の人間をパニックに陥れてゆくという予断を許さぬ人物設定が凝らされている。

釣竿に一万円を吊るし、貧乏人を釣って遊んだり(「発想はまずしいびんぼう人諸君」/75年39号)、自宅地下にある、札束が太平洋の如く広がる巨大金庫で遭難したり(「お金の海のダイヤモン郎」/75年38号)、悪しき拝金至上主義や利己的拝外主義を悔い改めようと、街の看板屋に就職するものの、その多彩な才能から、看板屋を一気に日本有数の広告会社にしてしまったりと(「ワッハッハ労働者諸君」/75年40号)、そのキャラクター力は、完全にのらガキのバイタリティーを圧倒することになる。 

因みに、のらガキとダイヤモン郎の対立の構図は、旧作『おた助くん』における、おた助とバカ息子・一郎とのバーサスをよりラディカルに発展進化させたものだ。

のらガキとダイヤモン郎による、日常と異常の対立がもたらす八方破れな狂騒劇は、スラップスティックとナンセンスという、赤塚ワールドならではの二面的安定構造を確保したプロットになり得てはいるが、筆者個人の見解としては、そこはかとないペーソスと甘酸っぱい感傷をいっぱいに湛えた人情譚にこそ、この作品の本質にして魅力が披瀝されているように思えてならない。

特に、これから取り上げる「ホチョーッ のらカビ」(「少年サンデー 6月20日増刊号」75年6月20日発行)は、赤塚漫画が本来含有する弱者への暖かな眼差しや哀愁が、取り分け質の高いストーリーテリングで描き表された佳作であり、全六〇話を越える『のらガキ』のエピソードの中で、筆者が最も愛着を寄せる一編である。

梅雨のある時、のらガキが食べ残したパンから、突然変異とも言うべきカビの精が、突如として沸いてくる。

カビの精は、のらカビと名乗り、当初は、その不潔ぶりから、のらカビを敬遠するのらガキだったが、その男らしい性格に惚れ込み、いつしか二人は親友となる。

だが、のらカビは、カビや黴菌が増殖して出来た生物で、その身体は人体に有害をもたらす病原性を保有していた。

そのため、のらカビと行動を共にしたのらガキは、悪質な伝染病に感染し、結果、生死をさ迷うことになる。

このままでは、のらガキが死んでしまう。

自分がのらガキの病の元凶であることを知ったのらカビは、親友ののらガキの命を救うため、ある勇断を自らに下す決心をする。

のらガキが死ぬことも辛いが、もし、のらガキが無事に生還したとしても、自分が移した病気が、更に伝染すれば、のらガキがみんなから責められることは必至だ。

それもまた、のらカビにとって、悲しいことだったのだ。

そして、のらカビは、笑顔でのらガキに別れを告げる……。

人間社会から疎外される者同士に芽生えたピュアな連帯と友情、そして、親友のために、自らが犠牲になり、のらガキにとっても、人間にとっても、最良の選択を下すのらカビの真っ当な男らしさは、読む者の胸を熱くすること請け合いだ。

 


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1 コメント

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Unknown (MT)
2021-12-23 19:33:35
「のらガキ」もあまり印象なかったです。でもキョーレツだったのが「カニタコさんのポコチン1000本切り」。「牛若丸」のパロディで、魚屋のカニとタコが武蔵坊弁慶よろしくチンポコを1000本切ろうとし、イヤミ・ニャロメ・ブタ松・カオルらがどんどんチンポコを斬られ、これに対しのらガキが牛若丸の如く大活躍する話でした。この時期に赤塚キャラオールスターってのも珍しいです。
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