文化遺産としての赤塚不二夫論 今明かされる赤塚ワールドの全貌

赤塚不二夫を文化遺産として遺すべく、赤塚ワールド全般について論及したブログです。主著「赤塚不二夫大先生を読む」ほか多数。

幻のパイロットフィルム 日本放送映画版「天才バカボン」

2021-04-12 21:36:51 | 第5章

『天才バカボン』がまだ、ハジメの天才児ネタも含め、バカボン一家の活躍を中心に据えた純然たるファミリーロマンスとして機能していた1967年の段階において、テレビアニメ化の企画が、既に日本テレビで立ち上がっていたという事実が、本書の底本となる『赤塚不二夫というメディア 破戒と諧謔のギャグゲリラ伝説』(14年)を執筆した際、収集した資料から明らかになった。

話が横道に逸れて恐縮だが、赤塚トリビアとしても貴重なトピックであるため、この場を借り、併記させて頂く。

後に、アニメ『天才バカボン』のファーストシリーズが、東京ムービー製作により、同局にて放映されるが、この時、製作を受け持っていたのは、その後、本宮ひろ志の『男一匹ガキ大将』や、日本テレビ版『ドラえもん』を手掛けることになる日本テレビ動画の前身・日本放送映画だった。

テレビ動画と言えば、依然としてモノクロ放映が主流を占めている時代であったにも拘わらず、この時、局側はカラー放送を視野に入れ、企画を進めており、そうした状況からも『バカボン』アニメ化に対する期待値の高さが窺えよう。

フジオ・プロ発行によるファン向け小冊子「まんが№1」第7号(68年3月発行)によれば、1968年2月の段階でパイロットフィルムが完成したというが、その後、如何なる理由からか、企画そのものが立ち消えとなり、『バカボン』アニメ化実現に至るまで、実に四年もの歳月を待たねばならなかった。

今日に至るまで、誠に残念ながら、このパイロットフィルムの行方を捜し当てることは出来ていないが、戦後のテレビアニメ史においても重要な意味を持つ、日放映版『バカボン』の存在がいつの日か白日の下に晒されることを、一ファンとして願わずにはいられない。