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文化遺産としての赤塚不二夫論 今明かされる赤塚ワールドの全貌

赤塚不二夫を文化遺産として遺すべく、赤塚ワールド全般について論及したブログです。主著「赤塚不二夫大先生を読む」ほか多数。

フジオ・プロダクション ブレーン・ストーミングと分業執筆による特殊な製作態勢

2021-05-10 07:41:40 | 第5章

連載作品でありながらも、このような代筆が可能だったのは、フジオ・プロが、他の漫画プロダクションとは一線を画する、分業と協力による特殊な製作態勢を採っていたからにほかならない。

ここで、若干趣向を変え、フジオ・プロの完全分業における詳細と、その大まかな流れについて、紙幅を割いて説明しておきたい。

フジオ・プロは、漫画製作プロダクションとしては異例の能力給システムを取り入れ、各スタッフの能力がフルに発揮出来る環境を用意していた。

フジオ・プロが採用していた製作工程の中で、取り分けユニークなものとして知られているのが、赤塚、古谷、長谷の三方によって行われたアイデアのブレーンストーミングであろう。

そのアイデア会議の様子を、当事者であり、また作画スタッフとして赤塚を支えていた古谷はこう振り返る。

「あともうひとり、武居さんなり五十嵐さんなり、担当編集者がいたね。長谷さんは基本的に書記の係でした。で、担当編集者と赤塚と僕とで世間話から入っていくんです。こないだボーリング場に行ったら、着物を着たおばさんが靴穿いてボーリングをしていたけど……というようなところから、おばさんがこれからの日本をダメにするんじゃないか、とか(笑)。アイデア出しって、だいたいそういう感じでしたね」。

(『総特集・赤塚不二夫』河出書房新社、08年)

赤塚自身、このアイデア会議こそが、赤塚ワールドの生命線であると語っていたように、作中、取り入れるギャグをアイデアスタッフとともに出し合いながら、その良し悪しを検討し合うことで、作品のレベルアップを図ってゆくシステムの導入を、フジオ・プロ設立当初より視野に入れていたという。

また、ブレーンストーミングを重ねることで、マンネリ化がもたらす作劇上の限界を防ぐとともに、赤塚自身も脳を活性化させ、バラエティーに富んだアイデアを出してゆこうという相乗効果も狙っていたようだ。

1974年、赤塚は、好評連載中であった『ギャグゲリラ』を一週休載する。そして、この時、掲載誌である「週刊文春」の看板ページだった『この人と一週間』に登場し、密着取材を受けることになるが、記事には、アイデア会議の様子をシナリオ風に活写した記述もあり、現場の臨場感を伝える資料として、ここに転載しておきたい。

赤塚 バカボンのおやじに魔法使わせようか。

A なぜか魔法ビンのセールスマンが魔法使いである。

赤 おやじとセールスマンがニラメッコして、おやじが負けたら全部買うことにする。やっぱり負けて全部買ったら、「三個以上お買い上げの方には、サービスとして一回だけ魔法を使わせます」ってのはどうだ。

(以下魔法の内容を検討。羽田から大きなクツワ虫がとんできて、東京タワーでガチャガチャ鳴くことになる)

赤 問題はオチだなあ。何かヒネれるCMない?(とテレビをつける)……ないか。

B CMはこわいよ。うっかりするとすぐ文句が来る。

C じゃコトワザでいこう。ことわざ辞典ない?

赤 (見ながら)あったあった。クツワ虫だから「クツワ禍いの因」

(『この人と一週間』「「従業員慰労のため」赤塚不二夫の

タイクツな休暇」「週刊文春」74年10月14日号)

このブレーンストーミングは、短い時には、三〇分で終わり、また最長では、トータルで数十時間にも及ぶこともあったというが、その平均所要時間は概ね三時間ほどだったそうな。


古谷三敏とのコラボレーション 新たなビジュアルイメージの確立

2021-05-09 07:36:06 | 第5章

こうして、大人向け漫画にも、積極果敢に取り組み、数々の傑作をものにしてゆく赤塚だったが、東海林さだおが言うところの、何となくマンガ、マンガした、頬の筋肉が緩む、あくまで児童漫画然としたタッチでは、大人漫画独特の枯れた味わいを表出することが難しく、赤塚自身、画風をどう変えてゆくか、相当悩んでいたという。

そこで思い至ったのが、古谷三敏による代筆だった。

赤塚は、古谷の持ち味である軽やかな描線が大層気に入っており、渋みを帯びた大人漫画の世界観を創出してゆくには、申し分ないタッチだと判断したのだろう。

そして、前述の「怪僧ケツプーチンなのだ」を最後に『天才バカボンのおやじ』は、下絵の段階から、古谷が執筆を受け持ち、本シリーズに限り、赤塚の作業箇所は、アイデア出しとネーム入れまでとなったのだ。

作画・古谷によるコラボレーションは、執筆へと至る背景も含め、この前年(1968年)、同じく「週刊漫画サンデー」誌上に、原作・赤塚/作画・高井研一郎のユニットで描かれた『なんでもヤリます』から繋がる、そのエクステンションと捉えて差し支えないだろう。

ただし、その免罪符として、古谷の単独作品のアイデア出し、ネーム、下絵に至るまで、赤塚が受け持つなど、古谷が代筆しやすい基盤を、赤塚なりに整えてはいたようだ。

その後、第八話「わしはデートの万国博士なのだ」(70年4月15日号)から、全二六話中、第二二話となる「みんなみんな愛しちゃうのだ」(71年5月15日号)に至るまで、原作・赤塚、作画・古谷というコンビで執筆し、従来の赤塚漫画とは明確な差異を有する、新たなビジュアルイメージを浸透させてゆく。

『天才バカボンのおやじ』は、古谷の誠実なフォローも奏効し、概ね好評を博すことになり、連載終了以降も、引き続き、1972年7月1日号と、73年1月27日号の「漫画サンデー」に暫しのインターバルを挟んで執筆され、次章にて詳しく論述する「まんが№1」誌上においても、『天才バカボンのパパ』とタイトルを改題し、二話連続でシリーズ化される。

尚、イレギュラー執筆されたこれらの四本の作品は、第一話から八話、第二三話から最終話(第二六話)と同じく、古谷による代筆ではなく、再び赤塚の筆によって描かれたもので、いずれも、パッケージ(絵柄)も含めた純然たる赤塚漫画としての訴求力を放つと同時に、熱量の高いエナジーをそのドラマ構造に埋伏させた、ファン必読のエピソードとなった。

原作・赤塚/作画・古谷によるコラボレートは、座頭市のパロディーで、盲目のチビ太が亡き父の敵討ちの旅へと向かう『カタキウチでやんす』(「ビッグコミック」70年2月25日号)、かつて実在した新宿角筈三丁目交番を舞台に、無能警察官の飽くなき奮闘を過激に戯画化した『ダメなおまわりさん』(「サンデー毎日増刊 劇画&マンガ 第2集」70年5月9日発行)等、心沸き立つアイロニーと不穏な退廃的ムードをアンチノミーとして捉えた痛烈無比のナンセンス掌編を、その後も高い確率で生み出してゆくのであった。


メインストリーム『天才バカボン』への連動 狂気的倒錯のエスカレーション

2021-05-08 21:43:21 | 第5章

『天才バカボンのおやじ』は、大人読者を対象としていることもあり、少年誌版の『バカボン』を愛読していた子供読者が触れれば、トラウマ必至のエログロネタも、遠慮なくそのテーマの中に取り入れられている。

毎回バカボンのパパを、更なる非日常的日常へと誘引してゆくゲストキャラクター達も、パパとアベック旅行をしているうちに、本物の男色家へと覚醒を遂げるヒゲ面のカオルちゃん、二人の生活を邪魔したものは、全て殺害してゆく新婚カップル、雌のニワトリと入籍した獣姦男、重度のマゾヒスト故、無茶な被虐要求を重ね、遂には命を落としてしまう警察官、自らが生やしている尻尾で美人妻を調教する畸型人間等、いずれも異常性を突き抜けた存在で、恣意的で複雑怪奇なその行動原理が、大人漫画という位相次元をも転覆させ、ドラマを滑稽的効果と溶解させつつも、未だかつて、誰もが目にしたことのない分裂生成型ナンセンスの世界へと、読者を釣り込んでゆくのだ。

そうした作品群の中でも、今尚まごうことなき傑作として誉れ高い一作が、「怪僧ケツプーチンなのだ」(70年3月18日号)という怪異譚だ。

ある日パパは、暇潰しがてら、毛虫を相手に将棋を指そうと、将棋盤を用意するが、うっかり将棋の駒を毛虫の上に落としてしまい、毛虫を死なせてしまう。

パパは、葬式をあげ、毛虫を供養してあげようと、電話で僧侶を呼び出すが、この僧侶、とんでもないホモの好色漢だった。

パパは、読経を終えた僧侶を労い、お茶を勧めるが、僧侶はこれを拒否。酒とツマミに縄を要求する。

「めずらしいものを食べる人なのだ‼」

パパが不思議に思いながら、酒と縄を僧侶に差し出すと、僧侶はいきなりパパをその縄で縛り上げ、ズボンを脱がす。

そして、剥き出しになったパパの臀部に醤油を垂らし、それをペロッと舐めては、酒のツマミにするという、どこまでもアブノーマルな性癖を披瀝し出すのだ。

恥辱を受けたパパは、怒りの余り、友人とともに変態僧侶の寺に殴り込むが、ここでも僧侶に一喝され、再びケツを差し出しては、酒の肴にされてしまう。

その時のパパと僧侶の遣り取りが傑作で、僧侶が「たわむれに ケツをしゃぶって そのあまり ウマサになきて 三歩あゆまず」と詠ずれば、パパが「東海の 小島のケツの 白砂に われなきぬれて ケツとたわむるっ‼」と返歌を詠むという、石川啄木の短歌のパロディーが唐突に挟み込まれる。

一度ならず二度までも、僧侶に蹂躙されたパパは、今度こそ、リベンジを果たすべく、バカ大の後輩の空手家を従え、再び寺に襲撃を掛けるが、思いもよらぬ結(ケツ)末に、パパは驚愕する。

ホモセクシャルネタは、他エピソードでも、幾つか取り上げられているが、ここまで解釈の意図を放棄した反理知主義を媒に持つ衝動性は、類例を見ず、あらゆる倫理的規範を相対化せしめる強大無比な破壊性という観点に立脚すれば、その極限を示した変態性の中にも、そこはかとない豊穣な愉悦が、逆説的とはいえ潜んでいるのだ。

そして、『天才バカボンのおやじ』で開陳された、大らかでデモニッシュに包まれたアンリアルな寓話的世界観は、メインストリームである『天才バカボン』の作風においても密接に連動し、その狂気的倒錯のエスカレーションは、更なる界層を高めてゆくことになる。

尚、前述の僧侶、通称・ケツプーチンは、「週刊少年マガジン」誌にも登場していると、長谷邦夫の著作『天才バカ本なのだ‼』(評伝社、93年)で書き伝えられているが、指摘されているエピソード「悪寛和尚の金もうけ」(68年44号)に登場する、煩悩の塊という頽落ぶりが見事にキャラクター化された悪寛和尚とは全くの別人であり、この著述もまた、赤塚関連書籍にままある誤謬であることをついでに銘記しておきたい。


「バカ大解放軍なのだ」 全共闘学生への熱きシンパシー

2021-05-08 12:02:38 | 第5章

正規の少年誌版『バカボン』では、殆ど扱われなかったポリティカルなテーマも、『バカボンのおやじ』では、時代相を巧みに反映させ、プロットの一部に取り込まれたこともあった。

「バカ大解放軍なのだ」(69年10月22日号)と題された一編がそれで、本作では、全学共闘会議、及び新左翼勢力の主流派を中枢とする学生活動家が、東大本郷キャンパスの大講堂を占拠し、機動隊と熾烈な攻防を展開した「安田講堂事件」をテーマとして選んでいる。

バカ大医学部のインターンである花丸木は、心臓移植の権威、アフリカ人医長のバーカード教授の度重なるパワーハラスメントが原因で、精神の均衡を喪失。「おかあさーん‼」としか叫ばなくなってしまい、遂には、憎さの余り、バーカード教授を巨大鍋に封鎖してしまう。

それをもう一人の後輩から聞いたパパは、憤怒し、花丸木を含む三人でインターン制度改革に立ち上がり、バカ大解放軍を結成。柱時計を縛り付けた銭湯の煙突の頂に、犬小屋を設置し立て籠る。

バカ大には時計台がないため、バカ大解放軍である彼らは、東大安田講堂の時計台宜しく、銭湯の煙突をバカ大時計台に見立てているのだ。

バカ大解放軍の要求内容は、「タクシーの乗車拒否をなくせーっ‼」「おにぎり屋に告ぐ‼ おにぎりはメシがみえなくなるまでノリで完全につつめ‼」「NHKに告ぐ‼ 恋のドレイを放送許可せよ‼」という、インターン制度の改革とは全くもって関係のないものばかりだった。

とはいえ、本作が発表された当時、タクシー乗務員による意図的な乗車拒否が深刻化していた頃で、また、NHKが歌詞の一部にモラルセンスに違背する表現が見受けられたとして、奥村チヨの『恋の奴隷』の放送を内部規制したことなども社会的なニュースとなっていた。

そんな時代的背景が、バカ大解放軍のこれらの要求にも如実にリフレクトしている。

そして、風呂釜が焚かれたことにより、煙突小屋に立て籠っていた三人が、降参とばかりに煙突の梯子を降りてくると、パパや花丸木と敵対していたバーカード教授は、ともに鎮圧のためにやって来た目ん玉つながりを、突然棍棒で殴り倒す。

「同志よ‼ われわれ団結‼ ブラックパワー‼」

そう叫び、歓喜するバーカード教授。

そう、顔中、煤で真っ黒になった彼らを同胞と見なし、受け入れたのだ。

かくして、紛争は解決を見るわけだが、このように、ポリティカルな題材をテーマとして扱いつつも、ドラマが確固たる政治的理念に基づく論理的帰結を辿ることはなかった。

「医師国試阻止闘争」に端を発したこの「安田講堂占拠事件」に関しても、赤塚にとっては、パパやバカ大生のチャイルディシュな脱線行為を、漂遊と跳躍の混淆に委ねることで、ドラマそのものを虚実の皮膜さえも打ち破ってゆく、あくまでメタレベルでのナンセンスをその世界構造に据えるためのマテリアルに過ぎなかったのだろう。

しかし、本編ではノンポリティカルの立場を貫きつつも、同時期に描かれた『もーれつア太郎』に登場するニャロメの不撓不屈の生き様を見て一目瞭然であるように、赤塚自身、反権力闘争に身を投じる全共闘系の学生活動家らの赤き熱誠にシンパシーを抱いており、学生達もまた、そうした存在の共鳴たるニャロメに連帯意識を寄せていたからこそ、東大ノンセクト・ラディカル・ニャロメ派なるグループも結成されたのであろう。


成人向けナンセンスに特化した『天才バカボンのおやじ』の新境地

2021-05-07 07:49:15 | 第5章

第三期連載開始を境に、『バカボン』のナンセンス性は、更に倒錯の度合いを深めてゆくが、その発端となった要因に、バカボンのパパを完全なる主役としてその座に収めた派生シリーズ『天才バカボンのおやじ』(69年~73年)を「週刊漫画サンデー」に連載したことが挙げられよう。

当時の「週刊漫画サンデー」は、杉浦幸雄や近藤日出造等、漫画集団の主要メンバーらの作品に準拠した旧態依然たるクオリティー誌のイメージから脱却し、『ギャートルズ』の園山俊二や『ショージ君』の東海林さだおといった新進気鋭のナンセンス漫画家をプッシュしてゆく新たな編集方針を打ち出し、読者層の引き下げに成功していた時期でもあった。

類い稀なるエディット感覚を持つアイデアマン、同誌編集長の峯島正行は、少年週刊誌を中心に拡充した怒涛の漫画ブームに対応すべく、更に誌面を刷新。少年漫画のスター作家を連載陣に擁立してゆくプランを打ち立て、そのうちの一人として、赤塚に白羽の矢を立てたのである。

また、この時期、『バカボン』が「週刊少年マガジン」からライバル誌「週刊少年サンデー」に掲載を鞍替えするという前代未聞の移籍劇を展開していた頃で、そうした『バカボン』のモンスター級のスペックに着目した峯島は、依頼の際、赤塚に成人向けナンセンスに特化した『バカボン』の執筆を要請してきたという。

連載開始にあたり、雑誌全体のボリュームが極めて少量な「漫画サンデー」にとって、破格とも言うべき二四ページもの掲載スペースが設けられるが、これだけのページを毎週描くとなると、当時の赤塚の仕事量から見ても、物理的に不可能という結論に達し、話し合いの結果、三週に一回という変則的なペースで、新連載『天才バカボンのおやじ』はスタートする。

尚、この時期、ほぼ同時期に連載開始となり、「漫画サンデー」のもう一本の柱となった作品が、後に『笑ゥせぇるすまん』のタイトルでアニメ化され、ヒットタイトルとなる藤子不二雄Ⓐの『黒ィせぇるまん』だった。

『天才バカボンのおやじ』の世界観は、メルヘンと倒錯の概念が絶え間なく相互作用を繰り返しては、作劇の既成理論を打破してゆくアブノーマルなハプニング的空間にある。

そこには、当時赤塚が、夜の酒場を舞台に、スタッフ、編集者、取り巻き連中とともに、夜毎繰り広げていた酒宴の世界に発想の原点を求めていたのではないかと思われるキュリアスな笑いが、これでもかと言わんばかりに遍満しているのだ。

記念すべき連載第一回目に当たる「スシ・パイのマージャンなのだ」(69年9月3日号)は、食中毒を出して以降、客足がすっかり途絶えてしまったイヤミ経営の寿司屋の二階を貸し切り、バカボンのパパがバカ大の同級生達と同窓会を開くことを口実に、四人打ち麻雀に勤しむといった尾籠な笑いに焦点を置いた珍奇譚だ。

バカボンのパパらが使う麻雀パイは、何とこの店が作った寿司で、パパが「まずヒカリパイはきらってすてよう」と、近海の鯖らしき光り物の寿司パイを捨てると、隣の男は、トロパイを拾い、ゲソパイを捨てる。

パパと対面の男が「じゃそのゲソ チーだ」と言って、イカパイを捨てると、更に隣の男は、「イカパイ ポン‼」と絶叫し、大三元を狙っている胸の内を悟られてしまう。

そして、対面の男が、リーチを掛け、海老パイを欲しがっていることがわかると、隣の男はからかいついでに海老パイを食べてしまい、遂には、「友情もこれまでなのだ‼」と、パパらも巻き込み、大乱闘へと雪崩れ込んでゆく。

余談だが、この寿司麻雀ネタは、設定を将棋盤に移し、後年『11PM』の番組枠でテレキャストされた『赤塚不二夫のギャグテレビ』(79年8月8日放送)で、出演者のタモリや小松政夫らによって、リアルに演じられることになる。

「先手6三タコのせ海老」「後手5七イカ逆さ」といった具合で対局し、視聴者を煙に巻くのであった。