昔は、そんな親が、たくさん居ました。
私の親もそれが有ったのかもしれません。
親が子供に干渉するのも、当たり前てす、無干渉は、育児放棄です。
どっからどこまでが、悪いのか、はっきりした基準はありません。
ある方のように、大学に入るまでは、恋愛禁止というのも、
ある意味正しい、違う意味間違いです。
私は違う意味をしてしまいました、おかげで受験に失敗しました。
自業自得です、そのおかげで、人生七転八倒です。
今、思い起こせば楽しい経験と思えますが、
その時点では、とっても苦しい思いをしていました。
こういうダメな性格になったのも、毒親のせいだと思ってました。
ひろゆきさんに相談した人も、毒親に会って話して、
やっぱり無理だったのを、ひろゆきさんに非難されていますが、
その、ひつこく追いかけてくる親を拒み切れない人も、
ある程度、共依存しているせいかもしれません。
そういう人も、たくさん見てきました。
毒親は人生の目的が、子供に依存する事が全てになっている。
子供は、それが迷惑と思っていても親だから可哀想と思ってしまう。
その結果、共倒れになっていくのを見た事が有ります。
過去の事件でも、親子で餓死していたというのが有りました。
私はその時、違う意味での、仏教で言う即身成仏だと思いました。
本当の即身成仏は、仏様の元へ行くていうのが目的ですが、
親子で餓死は、何が目的なんでしょう。
死ぬまでには、民生委員とかの訪問とかも有り、それを断ってきた。
この事件は、本人達以上に、助けようとした方々の無念を感じます。
どうにかならなかったのかと、自責の念に駆られるでしょう。
お気の毒です。
私は、こういうのを見るたびに、日本の文系教育は、
何を目的に人を教育してきたんだろうと思います。
目的が無いから、理系の残り滓なんて言って誤魔化しているのでしょう。
日本では目的を持たず、なんとなく毎日を過ごせば、楽ちんな国です。
ちょっとでも目的意識を持ってしまうと、一気に苦しくなる。
人に依存し続けるのが一番楽だから、とことん追いかける事になる。
とことん追いかけるのは、一緒に死んでくれと言っているように思えます。
そして、その結果、依存を極めると親子餓死なのかもしれません。
日本全体も、それを極めようとしているように見えます。