閑話休題。今回はちょいとわしの原点を振り返る。長いけど御用とお急ぎでない方はご覧あれ。いらねーよ と言う方は見なくてよろしい。
んまあ、多くの漫画描きさんたち同様、ご幼少のみぎりには好きな漫画家さんの漫画を模写しまくっていたのだが、初めてつけペンで漫画?らしいものを描いたのは高校の頃。模造紙買ってきてハサミで原稿用紙大に切ってシコシコピュッピュッと描いていた。この頃は松本零士氏や吾妻しでお氏の絵柄を真似ていた。
大学になってから投稿用漫画を描きだし、せっせと集英社やら小学館に投稿した。りぼんの編集部へ持ち込んだこともある。(当時は男でも少女マンガ雑誌読むやつ多かった)でもって「ダイベエ」がジャンプで佳作一歩手前。「ぶっ翔び マリア!」がサンデーで佳作一歩手前。「MIDNIGHT POLICE」が少年ビッグコミックで佳作一歩手前・・ って全部佳作一歩手前じゃねーか!(笑) でも名前が雑誌に載ったんで超嬉しかった。たったそれだけでも「俺、すげー!」と舞い上がったもんだ。
そのうちジャンプの編集さんから電話がかかってきて「なんか描いてますか~?」と訊かれ「はい、描いてますぅ~」と応え、夏休みにジャンプの編集部に原稿もって行った。応接のブースで待っていたらコーヒーが出たが当時のわしはバクマンのエピソードなど知る由もなく「まずいな、インスタントだな」と思って飲んでいた。(笑) そうするうちに編集さんがやって来て作品見ながらあれやこれやと話をしてくれた。今となっては内容はほとんど覚えてない! しかし、この時わしのその後の人生を左右する一大事が!
編集さんが絵について参考に、と見せてくれたある新人さんの応募作の原稿。まだデビューする前の今は誰でも知っている超大物漫画家さんの生原稿! 見た途端わしは一気に落ち込んだわい。なんだこの彼我の絵の差は・・ あかん、これではわしは漫画家なんて無理だ。漫画家を断念した大学4年の夏だった・・・ まあ、他にもいろいろ理由はあったんだけどね。 もっとも東大一直線の絵には勝ったつもりだったが。(笑)
その後 フツーに就職してフツーにサラリーマン人生を歩んでいたが1999年に業界紙で4コマ漫画を募集していてそれに応募したら採用されて連載が始まった。と言っても1年を4人で分担して描くので1年のうち描くのは3ヶ月だけだが。兎野くんが主人公の漫画で途中、違う漫画やらも含めて12年間連載が続いた。でも経費節減のためか今は4コマ漫画の掲載をやってない。おかげで戦国4コマ漫画が中途半端のままになってしまったぞ。いい小遣い稼ぎだったのに。(苦笑)
そしてそれと並行するように2002年頃ネットで知り合った仲間と同人サークルを立ち上げ細々?と創作4コマ漫画を描き始めた。「晴明!なにやってんの」である。でも創作漫画はよほど有名同人作家でもない限り売れん。4年ほど前にけいおん!の二次創作に切り替えたがこれもまあ・・ ねぇ。売れん!(笑) そうこうするうちメンバーもそれぞれプライベートが忙しくなり今はサークルは休眠。
かくして3年くらい前からわしは再び個人で創作に挑み始めた。おかげで入選やらはするのだがやはりプロは難しいんだろう。しかあし! 漫画御殿をあきらめずにわしは今後も邁進する!
よく「あの時 こうしておけばよかった」「なんであの時こっちを選択しなかったんだろう」と悔やむ人は多いがいつまでもその時の自分の決断を悔やんでいてもしょうがない。それは現在の自分の全否定である。自分が置かれた環境、自分が選んだ今を受け入れ、では今何をすべきかを考えて行動すべきである。と思うぞ。特に若い人はね。おっさんはもうよろしい。