島ちゃんからもらった命のバトン

2009.1月急性骨髄性白血病発症。
2010.12月、旅立ち。
島ちゃんの軌跡と島ちゃんが遺してくれたもの。

思い出した

2013-02-08 19:23:05 | Weblog
本日も病院へ。

帰りに久しぶりに本屋に立ち寄った。

そこでなに気に手にした本をチラッと立ち読みした。

その本は妊娠中乳がんとわかり余命1年と宣告され、それでも元気な赤ちゃんを出産し幼い子どもをおいて天国に逝ってしまう話し。

闘病中、旦那さんとの会話は子どものことばかり。生まれたばかりの子どもの「息子の将来のお嫁さんは・・・」「息子の結婚式を見たい」と

愛息子の将来のことばかり。まだ1歳にもなっていないのに近い将来のことではなく少し先の将来の話しばかり。

生きたかったんだろう。自分の将来を生きたいと強く願っていたんだろう。

パパの闘病生活を思い出し胸が苦しくなった。

パパもまだ2歳と5歳の息子をみながら「こいつらはどんな彼女をつれてくるかな~。長男坊と次男坊全く違うタイプの子やろうな(^^)。

今から楽しみやな」とニヤニヤ笑いながら子どもたちを見ていた。

ことある度に子どもたちの成長した時の話ばかりしていた。しかも、まだ上手く会話もできない次男坊をみながら「次男坊は早く結婚するな。

孫の顔をみてみたい(笑)」とどんだけ気が早いのよって感じでそんな話ばかりしては嬉しそうに笑っていた。

子どもの成長していく姿、成長をみたいと願いつつ自分もその時まで生きていたい!と強く強く願っていたんだろう。

少し遠い将来を思うことで自分の病気は必ず治る。元気になって子どもたちの成長に寄り添うと自分自身の気持ちを奮い立てていたんだと思う。

今回、私は手術をし体の中の悪いものは全て取り払った。「ガン」と聞かされた時は初期だとはいえ、それなりに落ち込んだ。

たった1週間の入院生活のベッドの上でいろんなことを考えたし思った。パパはずいぶん長い間病院の天井を見上げていた。

夜の病院の天井は寂しくて怖くて冷たい。パパは「上手く眠れない」といっていた。「自分にあしたがくるのかな・・・?そう思うと上手く眠

れない」と。

パパの長い長い闘病生活に比べると私なんて一瞬の時間だけど、パパと一瞬でも同じ気持ちになれたような気がした。

パパの気持ち、パパが強く生きたいと願った気持ち。

息子達と会話し笑ったり、泣いたり、時にケンカしたりはたまたじゃれ合ったり・・・。ただ側にいるだけでどんなに安心か。

『おかあさん』と言われて『はい』って返事が出来ることがどんなに幸せでありがたいことなのか。。。

あたりまえの毎日は奇跡のような気がする。