島ちゃんからもらった命のバトン

2009.1月急性骨髄性白血病発症。
2010.12月、旅立ち。
島ちゃんの軌跡と島ちゃんが遺してくれたもの。

バレンタイン

2013-02-14 15:55:28 | Weblog
今日、2月14日はバレンタインデー。

長男坊も次男坊もそれぞれ幼稚園、学校から帰ってきた。

長男坊に「チョコもらった?」ってきくと『学校でもらったらあかんしな』というので「そしたら家まで届けてくれるのかな?」って言うと

『うん、たぶんな』と返事が帰ってきた。

いつもなら外に遊びに行く二人。

それが、本日は珍しく宿題を真っ先にし、友達が遊ぼうと誘いに来たにも関わらず『今日は無理』と断り・・・。

そしてしばらくすると《ピンポーン》と。

「はーい」と出ようとすると、息子達競って、玄関までダッシュ。

ドアを開けてみると、幼稚園の女の子がママと一緒に『これ海くんに』と、持ってきてくれた。次男坊はニッコリ笑顔で『ありがとう』と。

その光景を羨ましそうに長男坊は見ていた。

そしてまた少しすると《ピンポーン》

今度こそと長男坊はダッシュ。

またまた「海くんいますか」とかわいらしい女の子。

自分ではないとわかった長男坊は、そそくさと部屋の中に入っていった。

そしてまたまた≪ピンポーン≫

三度目の正直!今度こそとばかりにもの凄い勢いで飛び出した長男坊。

玄関に立っていたのは・・・。長男坊と同じクラスの男の子!!!

そして長男坊は『なに?今日は遊ばれへんで』とぶっきらぼうに答えると友達は『遊びにきたんちゃうねん。明日、今日チョコ作るから、明日

持ってくるわ。』とかっこつけて言っていた。

「???」となってる私は「えっ?!○○くんが作るん?」って聞くと『姉ちゃんと一緒につくるねん』と。

姉ちゃんに便乗してチョコ作りをし、出来上がったチョコは我が家の長男坊へ。

本日はその予告をしにわざわざ、家にまで来てくれた。

思い出した。去年もたしかあの子はチョコを持ってきてくれた。

と、いうわけで、次男坊はチョコ2つ。長男坊は男の子からのチョコ一つであろう。

そんな長男坊・・・『オレ、男にモテるねんな~。』と。


参観日

2013-02-13 12:32:38 | Weblog
今日は、年中児の次男坊の参観日。

参観日は私も次男坊も嬉しくて張り切って行ってきました。

今日の参観保育の内容は数字の書き方をやってました。

みんな楽しそうに数字を数えたり、上手に鉛筆をもって数字を書いたりしてました。

どの子も一生懸命、取り組む姿は可愛くってしょうがない。

「こんなことが出来るようになったんや。お兄ちゃんになったなぁ~」って気持ちと「あんまり早く大きくならなくていいよ~」って気持ちで

ちょい複雑やわ。

こんな風に子ども成長に寄りそっていられることがどんなに幸せなことかって次男坊を見ながら嬉しくなり感謝の気持ちになりました。





もうすぐお遊戯会。

一生懸命練習している様子。

先生、ご苦労さまです。

いつもありがとうございます。

思い出した

2013-02-08 19:23:05 | Weblog
本日も病院へ。

帰りに久しぶりに本屋に立ち寄った。

そこでなに気に手にした本をチラッと立ち読みした。

その本は妊娠中乳がんとわかり余命1年と宣告され、それでも元気な赤ちゃんを出産し幼い子どもをおいて天国に逝ってしまう話し。

闘病中、旦那さんとの会話は子どものことばかり。生まれたばかりの子どもの「息子の将来のお嫁さんは・・・」「息子の結婚式を見たい」と

愛息子の将来のことばかり。まだ1歳にもなっていないのに近い将来のことではなく少し先の将来の話しばかり。

生きたかったんだろう。自分の将来を生きたいと強く願っていたんだろう。

パパの闘病生活を思い出し胸が苦しくなった。

パパもまだ2歳と5歳の息子をみながら「こいつらはどんな彼女をつれてくるかな~。長男坊と次男坊全く違うタイプの子やろうな(^^)。

今から楽しみやな」とニヤニヤ笑いながら子どもたちを見ていた。

ことある度に子どもたちの成長した時の話ばかりしていた。しかも、まだ上手く会話もできない次男坊をみながら「次男坊は早く結婚するな。

孫の顔をみてみたい(笑)」とどんだけ気が早いのよって感じでそんな話ばかりしては嬉しそうに笑っていた。

子どもの成長していく姿、成長をみたいと願いつつ自分もその時まで生きていたい!と強く強く願っていたんだろう。

少し遠い将来を思うことで自分の病気は必ず治る。元気になって子どもたちの成長に寄り添うと自分自身の気持ちを奮い立てていたんだと思う。

今回、私は手術をし体の中の悪いものは全て取り払った。「ガン」と聞かされた時は初期だとはいえ、それなりに落ち込んだ。

たった1週間の入院生活のベッドの上でいろんなことを考えたし思った。パパはずいぶん長い間病院の天井を見上げていた。

夜の病院の天井は寂しくて怖くて冷たい。パパは「上手く眠れない」といっていた。「自分にあしたがくるのかな・・・?そう思うと上手く眠

れない」と。

パパの長い長い闘病生活に比べると私なんて一瞬の時間だけど、パパと一瞬でも同じ気持ちになれたような気がした。

パパの気持ち、パパが強く生きたいと願った気持ち。

息子達と会話し笑ったり、泣いたり、時にケンカしたりはたまたじゃれ合ったり・・・。ただ側にいるだけでどんなに安心か。

『おかあさん』と言われて『はい』って返事が出来ることがどんなに幸せでありがたいことなのか。。。

あたりまえの毎日は奇跡のような気がする。


え~~~?!

2013-02-07 15:40:42 | Weblog
術後の検査。

退院前から出血が続いていたが、こんなものかとあまり気にも止めていなかった。

しかし、それにしてもダラダラと続くのは気持ち悪いとも思っていた。

診察してもらったら手術した箇所からの出血との事。

止血処置をしてもらい様子を見ることになった。

って家に帰って様子を見てるが止まってる様子は全くない。

それどころか、出血の量は増えてるような気もするが・・・。

「出血がとまらなければまた再縫合します。ホントはあまりしたくないんですけどね。」って主治医。

ってか、私の意志で出血させてるわけではないんですが・・・。しかも私のほうが再縫合なんてしたくないですけど!って言いたいくらい

でしたが口に出すことなく今日のところは家で様子をみることにします。


お休み

2013-02-06 11:31:11 | Weblog
長男坊は夜中から下痢と熱。

次男坊は咳きと鼻水。

朝になり学校&幼稚園に欠席の電話を入れ病院へ。

インフルエンザやノロウイルスも流行ってるだけにどうかな?と思ったけど、ただの風邪と診断され様子をみてくださいとのことで薬をもらって帰ってきた。

昨日、長男坊とお風呂に入った時、「オレのクラスあと2人休んだら学級閉鎖なんよな~。誰か休んでくれへんかな~。そしたら学校休める

のにな~」とこれまた理不尽なことを言いだした。しかもマジメに言っている。

その長男坊の発言に「???」な私は

『学校、休みたいの?学校面白くないん?お母さんは学校が大好きやったで。学校が休みになったとしても家で過ごさなアカンから何処にも

遊びには行かれへん』って言うと

『学校オモシロイ時と面白くない時があるねんな~。俺、どっか遊びにいきたいねんな~』とそのまんまの回答が返ってきた。

私が小学生の頃は家が嫌いだった。家に帰ると母親にヤイヤイ言われ、二人の兄貴とは仲も悪く顔を見ればケンカになり、テレビのチャンネルは

父親が優先。それならば学校のほうが友達もたくさんいるし、遊び道具だってたくさんある。

その時のことを思うと、自宅がいかに居心地がいいのかと言う事になる。

家に帰れば、おやつ、ゲーム、テレビ、なんだってあり、満たされている。

ちょっと、親として反省した。

これを機に家族会議をしルールを決めようと思う。

時代は変わっているけど、自分の幼かった時のことを思い出し良かった所はドンドンとりいれていこうと思う。

叱るのもモヤモヤします

2013-02-05 18:14:00 | Weblog
長男坊が、学校から帰ってきてことあることにグダグダと文句ばかり言い周りにあたり散らす。

何が気にいらないのかしばらくほっといてみたが、それでもグダグダ・・・。

宿題もせず、野球の練習もせず、塾の宿題もしない。お腹が空いたからと言うからご飯をつくれば「こんなん食べたくない」と言い、何かにつけて

文句ばかり・・・。

だまっていたものの私も頭にきて叱ってしまった。

自主性をというが、まだまだ小学2年生。

怖いものがなくなり、口うるさい人がいなければわがまましたいほうだいやりたいほうだいになってしまう。

がつーんと叱れば泣く。泣けば許されると思っている長男坊だが今回ばかりはそうはいかない。

泣いてでもやらなければならない事はやる!それを教える為に今日は泣いてる長男坊を外に引きずりだし、素振りをさせ、宿題をさせ、塾の宿題をさせた。

長男坊も私に似てなかなかの頑固者。

どんな理由があるのか分からないが話そうともしない。

お互い、興奮している為、無言のまま私は素振りに宿題に付き合った。

怒るのがいいのか、おだてるのがいいのか・・・。

悩むところだが、低学年のうちはまだまだ口うるさく言わなければならないのかなとも思う。

叱るのもモヤモヤする・・・。

食べたよ

2013-02-02 10:10:02 | Weblog
昨日、次男坊が『ただいま~』と同時に『今日、里芋たべれたよ』と幼稚園から帰ってきた。

「・・・???」となってる私の顔をみて『今日、給食で里芋を食べたよ。給食ぜ~んぶ食べれたよ。だから神様に言っといてね』と満面の笑み。

なぜ神様かと言うと、お正月初詣に行った時におみくじを引き、『なんて書いてるの』と聞かれ「なんでも好き嫌いしないでご飯を食べ

なさい。そうすると大きくて強いかっこいいお兄ちゃんになれるよ!神様はいつも海くんを見てるからね」って書いてるんだよ。って伝えた。

それから、家では少しづつだけどなんでも口にするようになったけど、給食は好きな物しか食べなかったみたい。

なぜ昨日がそうなった分からないけど、昨日は給食を残さずたべた事に大興奮で鼻の穴全開で帰ってきた。

しばらくして幼稚園の先生から電話があり「今日、海くん幼稚園の給食全部食べました。海くんにお母さんに伝えてねと言われたので電話させて頂きました」と

丁寧に電話をくださった。

電話を切ったあと、『ほらね。海くん全部たべたやろ。おかあさん、ちゃんと神様にいうといてや』と念を押された。

給食を全部食べたという次男坊の達成感。なんでも達成できると気分イイんやろな~。その次男坊の達成感がビンビン伝わってきました。

そして、次男坊との約束だからと、わざわざ家に電話をくれた担任の先生、ありがとうございます。

ささやかな約束だけど次男坊は先生からの電話を待ち望んでいた。そして先生は約束を守ってくれた。

約束を守ることの大切さを教えて頂きました

ありがとう。



お騒がせしました

2013-01-31 09:54:50 | Weblog
1月22日に手術をしまして、元気に退院し現在、自宅療養をしております。

手術じたいは簡単な手術でしたが、麻酔が効かなくて量をふやした為、手術後が厄介でして、激しい頭痛と嘔吐ですごく苦しかったのが

今回の手術の感想です(笑)

しかし入院生活はたったの1週間でしたがこれが時間をもてあますというか暇で、みんなお仕事してるのにこんなとこにいていいのか?と

気分が滅入り、マイナスなことばかり考えてました。

パパが入院してる時にマイナスなことばかり考えて夜中にとんでもない内容のメールをしてきたりしたこともあったけど、パパがそうなる

理由も今回の入院生活を経験してよ~く理解できました。

退院して今は自宅でのんびりさせてもらってますが、子どもたちが幼稚園、学校でいない時はだらだらとさせてもらえますが、

学校から帰ってきたらこれ、たいへ~ん!!

入院してる時は「お母さん病気やから」と大人しくしてましたが、家にいると「おかあさーん」となんでもかんでも全力でアタックしてくる

しまつ。とくに次男坊は「お母さん今日はお仕事お休み?やったー!!そしたら幼稚園から早くかえってくるから待っててよ。」

朝は忙しく出て行き、帰りもドタバタと忙しく帰ってくる。そしてずーっとべったりくっつき虫のようについてくる。トイレに行く時も一緒。

ココまで一緒にいなくても・・・というくらいに。

夜、次男坊の寝顔をみながら思った。

考えてみたら、次男坊とこうやってゆっくり一緒にいた時間はほとんどないな・・・と。

長男坊は次男坊を妊娠してる時に自宅に少しだけいたので、二人の時間はあった。

でも次男坊は出産してすぐに働いていたので、次男坊とずっと一緒にいた時間はほとんどない。

今回、私がこうやって病気になった事も意味のあることなんやとかんじた。

いま、次男坊は母親の愛情を感じたい時なんだろう。

私も子どもたちが愛おしくて甘えたい時期。

「母親」をどっぷりしたい時期。

だから病気に感謝!


マジですか!?

2012-12-27 22:14:52 | Weblog
「なんか気持ち悪いものが見つかりました」とかかりつけの病院から電話があった。

仕事中だった為、電話を切ったあとの仕事なんて当然、手につく訳もなくお昼休憩の間に病院に行った。

いつも丁寧で優しいドクターが「検査しといて良かったね。早期の子宮頚がんが見つかったわ」と穏やかな顔で言った。

「子宮頚がんは早期治療で完治する病気やから、ほんと早く見つかってよかったよ」と淡々と言った。

パパの時を思い出した。

病気を宣告された時パパはいたって冷静だった。まるで人ごとのように。頭が真っ白になって涙が出たのは私だった。

今回、自分の体の状況を先生に説明を受けていてもどこか、他人事のよな感じでいた。

病院から外に出て「あ~寒っ」と思った瞬間、少し涙がでて「なんで私なんよ」と思った。

子宮頚がんについてネットで色々調べた。早期の場合は完治する病気であること、手術も簡単である事など少しホッとした。


そしたら逆に「がん」っていう名前になんだか腹が立ってきた。

だってそんな簡単な病気なら「がん」なんて名前にしなかったらいいのに。

正直病名に気持ちが負けたとこもあったしね。

その後、本日まで何度か病院で検査をした。 何度検査しても同じ結果。それならば手術をし体の中から悪いやつを追い出したほうがいい。

と決め、来月、手術をすることに決めた。

私は自分自身の体のことだから、自分の気持ちの持ちようでなんとでもなるけど、かっちゃん(お母さん)は違った。

なるべく自然にサラッと言ったはずだったのに、「アカンで!そんなんアンタどないすんのよ!!」と言った。

どないすんのよと言われても・・・もう手術の日も決まったし、サインだけして欲しいねん。というと「なんであんたが、がんにならなあかんのよ」

といった。「私じゃなくても誰がなっても良くないわ。私で良かったわ。だって絶対私は守られてるし、絶対大丈夫やから」というと

「そうやね」と「大丈夫、大丈夫」と何度も私に言いながら自分に言い聞かすように言っていた。

私もパパの病気が見つかった時、おまじないのように「大丈夫」と何度も言っていた。

自分に起きることは全て大肯定!

島ちゃんの妹の妙子さんがいつも言っている。

そうやね。こうなったのは仕方ない。

それならば今の状況をどうするか?

病気を受け入れ、治療するしかない。

自分に起きることは全てに意味がある事。自分の気持ちアンテナを研ぎすましクリアーしていこう。

さて、ココからはのんびり、毎日楽しみながら進むことにしよう。


おかあさん

2012-12-24 01:54:29 | Weblog
連休中は子どもたちと過ごす時間が長い。

だからといって長男坊は野球の練習に行ったり、次男坊はお友達と遊んだり、常にべったり一緒にいるわけではない。

長男坊も次男坊も、それぞれやらなければいけないことがあったり、優先順位があったりする。

子育て期間は短いと先輩お母さんたちはいう。

子どもの成長についていけてないのは私のほうだなと、今日フッと思った。

私は長男坊のこと、次男坊のことちゃんと理解しているのかな~??

『おかあさん』になることにもっと真剣にならなければと感じた。