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水面下のトリック(カトリーヌ・アルレー『わらの女』から) -3-

2017-01-13 06:44:17 | 推理
 前回の続きです。

 被相続人を殺害した者は相続権を失う、ということを具体的に示した法律は日本では民法第891条(相続人の欠格事由)です。それによれば「故意に被相続人又は相続について先順位若しくは同順位にある者を死亡するに至らせ、又は至らせようとしたために、刑に処せられた者」は相続人となることができません。ここで"刑に処せられた者"という文言がポイントで、刑に処せられる前に死んでしまえば相続権は失くさないと解釈できるのです。なんという驚くべき抜け穴でしょうか!

 実際、専門家の見解の一例によれば、「『刑に処せられた者』が要件であるため執行猶予付きの有罪判決において執行猶予が満了した場合や実刑判決が確定する前に死亡した場合は欠格事由にはあたりません。」とのことです。ヒルデガルデの場合は判決どころか裁判さえ始まる前に自殺しましたから、民法第891条に従えば相続権は失いません。ゆえに元の遺言の但し書きの通り、カールが死んだ時点でその遺産はヒルデガルデが相続し、ヒルデガルデが死んだ時点でその遺産は父親のアントンが相続することになります。恐るべきはアントン・コルフ。ヒルデガルデを自殺に追いむことまで計算に入れていたのです。これぞ作品中では書かれなかった、まさに水面下のトリックです。

 なんて、ほんとかなあーー(^_^)。新保博久も「作中では刑が確定する前にヒルデガルデが自殺しているため計画は成功したが、これはあらかじめ期待するわけにはいかない。」と指摘していますしね。余談ですがヒルデガルデに死体を運ぶよう指示する時にも、「あんなに動揺してたら失敗の可能性も高いだろうに大丈夫なのか?」とはらはらしながら読みましたが、実はここでは失敗して途中でカールの死体が露見してもアントンの計画には支障はなかったのですね。

 それよりもっと大事なことがあります。上記の話はあくまで日本の法律の話です。カール・リッチモンドは米国人ですから相続に関してはアメリカの法律が適用されるはずです。アメリカの相続法なんてどうやって調べればよいのでしょうか?

 と思っていたら、それに関して絶好の資料がありました。法務省のサイトに掲載されている各国の相続法制に関する調査研究業務報告書(H26/10)(公益社団法人・商事法務研究会による)で、ドイツ、フランス、英国、米国、韓国、台湾の相続法について詳しく書かれています。それによれば各国で結構違いがあります。

 うまい具合にアメリカの相続法については、ずばり"第2章2-3.相続障害(bars to succession)の(1)被相続人の殺害[p98]"という節がありました。それによれば「諸州法は、被相続人を殺害した者に遺言や無遺言相続による遺産の取得権を認めないとする規定を置くが、その具体的内容は多様である。」とのことです。さらに殺害者が受け取るはずだった遺産がどうなるかについては以下の引用を御覧ください。

------引用------
 殺害者が遺産の取得を阻止される場合、誰が取得するか。諸州法の一般的な扱いは、殺害者が殺害された被相続人よりも先に死亡したと擬制する。UPC では、UPC§2-803(b)が、殺害者が無遺言相続分を放棄したと同様に扱われると規定する。そこで、UPC§2-1106(2002. rev.2006)の放棄に関する規定によれば、放棄者は「分配時(time of distribution)の直前に死亡した」と擬制される。
------終り------

 被相続人よりも先に死亡したり、相続放棄したと見なされるのですから、この相続人を通じた相続は成り立ちません。

------引用-(下線・赤字・太字は私の強調)-----
 なお、UPC§2-803(g)は、重罪または故意の殺害についての最終的な刑事上の有罪判決があることが、本条の意味における殺害者であることを結論として証明すると規定する。しかしながら、刑事裁判における無罪評決は、殺害者として無罪を表明された当該個人の地位を決定するものではない。有罪判決がない場合、裁判所は、証拠の優越の原則のもとで(合理的疑いの余地なくという刑事法の基準ではない)、その者が殺害について刑事的に責任を問われるであろうかどうかにつき決定しなければならない。裁判所がそのように考えた場合には、その者は遺産の取得を阻止される。
 民事証拠基準を用いる理由は、検認法は殺害者がその不法行為から利益を得ることを懸念し、他方、刑事法は被訴追者の保護を念頭に置くという相違にある。したがって、殺害者が自殺した場合にも、殺害者の遺産取得は同条のもとで阻止されると考えられている
------終り------

 つまり、遺産相続について決定する裁判所が民事上の判断として「その者が殺害について刑事的に責任を問われる」と見なせば相続は阻止されるのです。『わらの女』のケースではヒルデガルデは誰からも殺害犯人と見なされていますから裁判所が相続させることはまずありえないと考えられます。

 それどころか、刑事裁判では無罪になったとしても裁判所による民事上の判断で遺産相続を阻止されてしまうこともあるのです。こういう刑事と民事での判断の違いの例で比較的知られている例は、刑事裁判では無罪になったとしても、例えば被害者の遺族が損害賠償請求裁判を起こした場合は負けて賠償をするはめになるかも知れない、ということがあります。なので被害者の遺族の立場になると、「99%クロと信じていたのに証拠不十分で無罪とされてくやしい」という場合は民事訴訟を起こしてとっちめるという手はあるわけです。まあそういう裁判の日本での実態や勝敗の可能性はよく知りませんが。


 それはともかく結論としてはやっぱりだめだよ、これは。新保博久も調査不足で勇み足だったようですね。調査の難しかった昔のことだから同情の余地はありますが。

 ところで上記のようにアメリカと日本で事情が大いに異なるのですが、日本での場合にはアントンのような間接的相続人でも、ヒルデガルデの立場の人物に被相続人殺しの罪を着せ、自殺に見せかけて殺してしまえば、まんまと間接的に遺産相続ができるのですね。逮捕され留置されると手を下すのが難しくなるでしょうから、被相続人殺しの後に逃亡して自殺したと見せかけるのです。真相がばれる危険性は増しますが、この手段なら頻出パターンですね。


 なお遺留分についてですが、ドイツ、フランス、英国、米国では夫婦共有財産とすることで実質的に配偶者の権利を確保することができます。共有とするかどうかは婚姻時の契約によりますが、別産とした場合にはドイツやフランスでは遺留分制度、イングランドは家族給付(family provision)、アメリカは家族手当(family allowance)という制度があるようです。他にも色々あり、国によっても違うし時代によっても異なり、現在では『わらの女』が書かれた時とは違っている場合もあるようです。

【参考】各国の相続法制に関する調査研究業務報告書(H26/10)の該当箇所
  ドイツ(p1-22) 遺留分制度[p22]
  フランス(p23-42) 遺留分制度[p35]
  イングランド(p43-81) 家族給付(family provision)[7章,p73]
  アメリカ(p83-151) 家族手当(family allowance)[p113]、選択的相続分(elective share)[p114]
  韓国(p153-212) 遺言に西欧ほどの自由はない[p198]、遺留分制度[p208]
  台湾(p213-238) 遺留分制度[p221]

 いやあ、法律っておもしろい。日本のフィクション作家のみなさんも「日本と韓国と台湾にまたがる大財閥の遺産相続にまつわるミステリー」なんぞを書くときは、くれぐれも注意されることを願います。

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