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水面下のトリック(カトリーヌ・アルレー『わらの女』から) -2-

2017-01-09 06:26:23 | 推理
 前回の続きです。今回は【ネタバレ満載】です。



 時は第2次世界大戦終戦直後、ヒロインはドイツのハンブルクに住み翻訳業で生計を立てるヒルデガルデ・マエナー。爆撃により身寄りを全てなくし、富豪との結婚を狙って新聞の求縁広告に目を通す毎日。ある日おあつらえ向きの広告が目にとまり応募の手紙を出したところ、フランスのコート・ダジュールで会いたいとの返事が届いた。

 面会者はドイツ系アメリカ人の大富豪力ール.リッチモンドの秘書を長年務めているアントン・コルフ。彼は驚くべき計画を持ちかけた。
 それは要約すれば、
  ・力ールの現遺言書ではアントンに遺産を2万ドルしか残していない(他はほぼ寄付)。
  ・ヒルデガルデが力ールと結婚し遺言書も妻に残すように書き換えさせる[*1]。
  ・アントンへの報酬は20万ドル

 計画に乗ったヒルデガルデは、結婚等に必要な身元証明に時間がかかりそうということから、「その代わりにちょっとした法律上の形式ですぐ片をつけましょう」とのことでアントンと養子縁組をした。身元証明が難しそうだったのは爆撃でハンブルクの市役所なども破壊されていたから。


 とここまでは、ともに打算的な2人のやりとりが読ませます。同時に、後に明かされる計画の伏線が張られています。

 次に結婚計画の実行に入ってからは、力ールをひっかけるための心理的やりとりがまた読ませます。なお力ールは自分が所有する数十人は乗れそうな客船で港を巡りながら暮らしていて、舞台はこの客船内と各寄港地になります。

 そしてめでたく2人は結婚し、世界中にセンセーションを巻き起こしながらニューヨークに寄港した日曜日の早朝、ヒルデガルデはカールが部屋で死んでいるのを見つけます。混乱したままアントンを起こして相談したところ、こんなに早く死なれたことはたいへんにまずい、との話。それは「公証人用の遺書がまだ登録前だから」。

 そこでアントンは大急ぎで登録を行い、その間にヒルデガルデが死体を車椅子に乗せて力ールの私邸まで運び、登録後に死んだように見せかけることにします。運ぶと言っても船のポーイや邸の使用人の手を借りる必要はあり、彼らに死がばれないようにしなくてはいけないので大変です。そしてこの時点でヒルデガルデは死因が殺人とは知りません

 そして力ールの私邸の私室で死体と共にアントンを待つヒルデガルデのもとに翌朝訪れたのはアメリカ人の警部マーティン・ローマー。という経過でヒルデガルデは殺人の罪を疑われ警察に抑留されます。もちろんアントンとの共謀計画のことは隠し、アントンとは生き別れた実の親子で偶然出会ったことにしています。


 この時点で登場人物も限られることとて殺人犯はヒルデガルデじゃなければアントンが有力ですが、困ったことに動機が不明です。力ール死亡時に遺言書が元のままではアントンは2万ドルしか手に入らないのですから。

 ところがヒルデガルデは知らないアントンへの事情聴取場面が次に出てきます。そこで力ールの遺言書の内容が明かされます。アントンへの遺産はヒルデガルデに話した通り約2万ドルですが、「全財産は、氏が独身のまま死んだ場合は、慈善事業に使われることになっていました。ただこの項目には、但し書きがあり、再婚した場合には、特殊な障害のないかぎり、妻、あるいは子供たちが相続者となるはずでした」[p207]

 なに!じゃー遺言書を書き直さなくても全財産は妻のものではないか! ヒルデガルデに死体を運ばせた理由は嘘だったのだ。怪しい。でもまだ難点がある


 そして、親子ということになっているアントンとの他の人間を交えない面会の場でアントンは「真実を話すしかない」とヒルデガルデにアドバイスします。「相続できないと思ったから死体を隠した」というわけですね。ところが遺言書に関する事実は上記の通りで、「新しい遺書なんて、全然ない。したがって、公証人も、事務所もない。そして、あなたがご主人の死体を運んだ理由もなくなる。」[p227]ということで警察は信じてくれません。

 そして次の面会のときに、アントン自身が犯罪計画を明かします。その時の口ぶりがサディスティックでとてもいやらしく思えるのですが、「私は悪者かもしれない。しかしサディストじゃあありません。これもみんな、私の計画のうちなんです。何もかも話すのは、それで、あなたが手遅れの反応を示して、ますます疑われ、私は、ひどい試練を受ける父親という自分の役割を果たすためにすぎません。」[p245]とのことで、どちらがましなんだか。他にも色々と巧妙な仕掛けがあってどうにもヒルデガルデに逃げ道はなさそうです。例えば養子縁組のはずがいつのまにか実の親子という証明書類ができあがっていたりします。それも爆撃でハンブルクの市役所なども破壊されていたからこそで、大戦後の混乱がうまく使われています

 「なぜ私が、ハンブルクの女を探したんでしょう、私がセンチメンタルだからですかね。かわいそうな奥さん。それは、私がハンブルクの出で、あの町が破壊され、記録保管所がなくなって、うまくやれば、こちらの思いどおりの書類を公式のものとできたからですよ。だから、いや応なしに、あなたは、私の実子なんです。罪を犯し、やがては処刑される私の娘ですよ。そして、その遺産は、私が相続することになる。父親としてね。それだけが、リッチモンドに残された、たった一つの縁故ですからね。わかりましたかね、おばかさん」[p240]

 うーむ巧妙な犯罪であることはわかりましたが、それはそうと子供でもわかる初歩的難点はどう処理するつもりなの? ヒルデガルデがカール殺しの犯人にされたら彼女は相続権を失い、遺産はほとんどが寄付にまわります。ヒルデガルデが死刑になったとして彼女の遺産はほぼゼロなので父のアントンが受け取れる遺産もほぼゼロです。どうするアントン・コルフ?

 という謎をはらみつつ物語は進行し[*2]、心も混乱し絶望したヒルデガルデはかわいそうに自ら命を絶ちます。そして「裁判は開かれなかった。自殺によって、ヒルデガルデ・リッチモンドは、殺人を認めたことになった。~莫大な遺産は、不幸な女の父親にころげ込んだ。しかし、誰もそれをうらやましがりはしなかった。むしろ、その逆だった。彼は一般の同情を受けることができた。それほど打ちひしがれ、疲れきって見えたのだ。」

 かくて哀れな犠牲者を餌食として悪は栄えるのであった。おしまい。

 というわけで、犯罪に成功した悪人がほんの小さな罰さえ受けることなく報酬を受け取るというインモラルな結末が当時の読者に衝撃を与えたということなのです[文庫版の解説(Ref-1a)など]。が、えーいそんな些末なことはどうでもいい。どうして莫大な遺産が父親にころげ込んだんだ--

 相続人が複数いるとき、被相続人(この場合は力ール.リッチモンド)を殺して相続人の一人に罪を着せ、自分の罪を逃れると同時に罪を着せた相続人の相続権を失くすことで自分の取り分も増やすという一石二鳥の犯罪は推理小説での頻出パターンです。しかし一石二鳥を狙うためには犯人も相続人でなくてはなりません。こんな初歩的なミスを犯罪小説作家たる者が見逃すなんて信じられません。いやそれ以上に「結城昌治が欠陥を指摘[文庫版の解説(Ref-1a)]」するまで内外の業界関係者がそろって見逃すなど絶対にありえません。

 実は新保博久による文庫版の解説(Ref-1a)によれば「アルレー自身、この問題にあとで気がついたらしく、近似したテーマに再挑戦した『二千万ドルと鰯一匹』(七一年)でヒロインの片方に、「殺人犯は被害者の遺産を相続できない」(安堂信也訳)と明言させている。」とのことです。まあ自分で気づかなくても親切な誰かがきっと指摘しているでしょうし、1964年の時点で既にこの欠陥は気付かれていたと推定できます。というのもこの年に英国で"Woman of Straw"のタイトルで映画化されているのですが[*3]、そのストーリーが例えば映画.comの記事で見られます。それによると、

------引用(赤字は私の強調)--------------
 車椅子にたよる老人チャールズ(ラルフ・リチャードソン)は巨額の富を持つ大実業家。一方、彼の秘書をつとめるアンソニー(ショーン・コネリー)はチャールズの甥であり、義理の息子でもあった。当然アンソニーはチャールズの唯一の財産継承者のはずだった。しかし、チャールズは、アンソニーには2万ポンド残しただけで、財産はすべて慈善事業に寄附すると遺言状にかいていた。そんなとき付き添いの看護婦マリア(ジーナ・ロロブリジーダ)がやってきた。
------おわり---------------------

 しっかり穴埋めをしています(^_^)。
 そういえば「2万ポンド」となってるくらいですからチャールズは英国の大富豪なんですね。


 ところが、実はアントン・コルフはきちんと考え抜いていたのかも知れない、ということが先の新保博久による文庫版の解説(Ref-1a)に指摘されていました。それは作品中には書かれていなかった、いわば水面下のトリックです。それは次回のお楽しみ。


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*1) 現在の日本では配偶者には遺留分が保証されるが、当時の欧米では遺言で指定されればゼロということが普通のようで、多くの推理小説もその前提で書かれているようだ。
*2) そう考えながら読み進める読者がどれくらいいるかはわかりませんが。
*3) 韓国版の"Perfect Proposal"という映画化もされている。2015年らしいが。

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