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いちご畑よ永遠に(旧アメーバブログ)

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金子勝 第2波円安インフレが押し寄せている インフレ下のインフレ政策 アベノミクスのツケ 

2025年01月28日 19時07分57秒 | 社会

金子勝@masaru_kaneko

【アベノミクスのツケ】日銀の0.25%利上げで長期金利は1.2%を超えた。円安のまま長期金利がじわじわ上昇する。国債含み損を抱える日銀は国債を売れない閉じ込め効果を抱えたまま、円安インフレで利上げを余儀なくされる。外資ファンドは日本国債をショートで大もうけ

政府・日銀の政策は結局、円安インフレが続く。野党第一党が失敗したアベノミクスに対抗する代替策を急ぐ必要がある。

【第2波円安インフレが押し寄せている】12月の生鮮食品を除く消費者物価上昇率が3%にあった。1年4ヵ月ぶりだ。生鮮食品を含む総合指数では3.6%も上昇している。アベノミクス残党は、政策的失敗をきちんと総括せず、財務省のインフレ課税路線を影で支えている。

【インフレ下のインフレ政策】イシバが「令和の列島改造」と言い、財務省は115兆円のインフレ課税の大規模予算で、野党協議でさらに膨張。対し、日銀はインフレ抑制のため金融正常化を打ち出し、政策は矛盾。結局、日銀は金融緩和を続けざるをえず、円安インフレは続くだろう。

【ガソリン価格上昇】ガソリン価格が1リットル=185.1円と上がり、過去最高水準に迫る。石油大手はガソリン補助金で過去最高の利益を得てきた石油元売りの独占利益にメスを入れつつ、代替財源を与野党で真面目に討論し、燃料税の一時的引き下げ、トリガー条項を発動すべき。

【どんどん貧しくする】アベノミクスで日本経済は豊かになったのか?大企業は内部留保をため込み、名目賃金も実質賃金も低下を続けた。

アベノミクスを続けて円安インフレにし、2023年には一人あたりGDPは32位まで落ち込み。いまや韓国にも抜かれる。

【泥沼のアベノミクスが円安インフレを招く】2022年4月以降、消費者物価上昇率が2%を超え、再び3%超えていく。なのに、「デフレ脱却」と言ってアベノミクスを続ける無責任社会。メディアはアベノミクスの失敗に関してまったく反省がない。誰も失敗の責任をとらない。

【円安インフレの第2波】12月の企業物価(卸売物価)が3.8%と、前月から0.1%上がった。東京都の消費者物価が3%に達したが、物価上昇が止まらない。失敗したアベノミクスから抜け出られなくなっているのに、煽った輩がまだ責任をとっていないままだ。無責任社会の典型

【フェイク玉木】謹慎しない国民民主党の玉木雄一郎は、存在しない103万円の壁を存在するかのように嘘をつき、基礎控除引き上げが金持ち減税であることを隠し、赤字国債依存の減税が円安インフレをもたらすのに、国民を騙す。企業団体献金の自民党を救う誤情報拡散者だ。

 

〔倉重篤郎のニュース最前線〕闘う経済学者・金子勝の2025年日本経済大予測 円安インフレのドツボからどう抜け出るか? サンデー毎日 2025年2月2日号.


物価高騰で実質消費が減りつづけているのに、なぜ政府・日銀は「物価と賃金の好循環」を押し通すのか?~追加引き上げでもまだ低い政策金利

2025年01月28日 18時29分34秒 | 社会

物価高騰で実質消費が減りつづけているのに、なぜ政府・日銀は「物価と賃金の好循環」を押し通すのか?~追加引き上げでもまだ低い政策金利

Yahoo news  2025/1/25(土)  現代ビジネス 野口悠紀雄(一橋大学名誉教授)

(🍓立憲民主党や共産党はアベインフレによる円安物価高の終息を中心政策にすべき)

物価上昇が収まらないので、実質消費支出が減少を続けている。人々は、物価高騰を受け入れていないのだ。それにもかかわらず、政府・日銀は、物価上昇を推し進めようとしている

 

物価高騰のため、食費を払えない人が増えた

炊き出しに集まる人が増えているそうだ。これまでは炊き出しの行列を横目で見て通るだけだったが、いまは行列に並ばなければならなくなったという人の話もあった。物価高騰のために、食費を払えない人が増えているのだ(朝日新聞1月7日)。

物価が高騰すれば炊き出しにすがる人は増える。しかし、その一方で、炊き出しの継続も難しくなってきているという。日本はなんと哀れな国になってしまったのだろう。

しかも、日本を全体として見れば、これは地震などの自然災害で起こされた事態ではない。政策の誤りによって引き起こされた事態だ。

それにもかかわらず、政府・日銀は、物価と賃金の好循環が始まっているという。つまり、物価が上がるのはよいことだとしているそして、物価が上がる状態を確実にしようという。つまり、誤った政策を、これからも続けようとしている。

政策判断の基本の基本がおかしくなってしまったとしか考えようがない。

 

消費者は節約志向を強め家計消費支出はマイナス

物価が上がるので消費を減らさざるをえなくなったのは、一部の人だけのことではない。日本国民全体がそうだ。

家計調査には、これが明確に表れている。

消費者物価上昇率は、2022年4月から2%以上が続いている。このため、実質消費が減少している。

2024年2月に発表された家計調査によると、2023年平均の結果は、つぎのとおりだった(数字は対前年比、%)。

名目  実質

* 実収入

勤労者世帯の実収入(総世帯)    △ 2.4  △6.0

勤労者世帯のうち二人以上の世帯  △ 1.5  △5.1

* 消費支出

(総世帯)              1.3  △2.4

(2人以上の世帯)          1.1  △2.6

つまり、実収入が減少し、物価が上昇するため、消費支出は名目では増えるが、実質では減になっている。

この状態は、現在に至るまで続いている。2024年9月の家計調査(2025年1月10日発表)によれば、つぎのとおりだ。

*消費支出(2人以上の世帯)    名目  実質

2024年9月            1.8  △1.1

2024年10月           1.3  △1.3

2024年11月           3.0  △0.4

2022年以降ほぼ継続的に、実質消費支出の伸びがマイナスになっている。

なお、 勤労者世帯の実収入(二人以上の世帯)は、11月で、名目 3.7%の増加、 実質 1.1%の増加となった。

 

人々は、ゆとりがなくなり、生活保護も増えた

日銀が実施した「生活意識に関する調査」(2024年9月)によると、1年前と現在の比較結果は、つぎのとおりだ(数字は、%)。

物価に対する実感: かなり下がった(0.4)、かなり上がった(63.8)

暮らし向き:    ゆとりがでてきた(5.3)、ゆとりがなくなってきた(52.7)

国民は物価上昇を容認しているわけではない。容認できないから拒否し、それが前項で述べた消費の減少につながっているのだ。

一方、厚生労働省の「毎月勤労統計調査」によると、23年11月の現金給与総額は、23年同月と比べて3.0%増えたものの、実質賃金は4か月連続でマイナスとなった。

2024年10月の全国の生活保護の申請件数は2万1561件となり、23年の10月から3.2%増加した。生活保護の受給を昨年10月に新たに始めたのは1万9807世帯で、前年同月に比べて977世帯、率では5.2%増えた。

 

輸入価格は下落しているのに物価が上がる

これまでは、輸入物価の上昇が消費者物価を引き上げてきた

輸入物価の上昇は、アメリカで発生したインフレーションや、ロシアのウクライナ侵攻によって資源価格が上昇したことで引き起こされたものだから、日本にとってはどうしようもなかったと言えるかもしれない。

確かにそうした側面があった。しかし、円安が進んだことが輸入価格の高騰を加速させたことも間違いない。そして、為替レートは、日本の金融政策によって影響を与えることが可能だ。それを行なわなかったという意味で、日銀の責任は大きい。

さらに重要なのは、つぎのことだ。

日銀の統計によれば、円ベースの輸入物価の対前年同月比は、2025年9、10、11月は、マイナスだった。

さらに、日本政府は、物価対策として、ガソリン代を抑えているし、電気ガスの物価対策も復活させた。これによって、消費者物価の統計値を実態より低く抑えている

こうしたことにもかかわらず、物価上昇は止まらず、実質賃金が上昇しないのである。

輸入物価が下がるのに物価が上がるのは、2024年11月29日の本欄で説明したとおり、企業が、生産性の上昇や企業利益の圧縮によってではなく、消費者物価に転嫁することによって賃上げを行なっているからだ。

 

日銀は物価上昇をさらに進めようとしている

これまで、物価が上がらないから経済が停滞すると言われてきた。このため物価を上げることが必要と言われてきた。

しかし、上述した家計調査のデータが示しているのは、家計の実質消費の伸びが、物価の上昇によってマイナスになっていることだ。家計は明らかに物価の上昇に対して拒否反応を示しているのである。物価が上がれば、人々は買い控えるのである。

家計の消費が減り、それによって経済が衰退し、生活保護が増えるのは、決して望ましいことではない。それをなぜ「物価と賃金の好循環」だとして進めようとするのだろうか?私には全く理解できない。

日本の政治的な仕組みでは、物価高に苦しむ人々の声を吸い上げ、政策に反映させる仕組みがない。その人たちの声は政策に反映されないのである。

石破政権は、実質賃金の引き上げが重要な政策課題だと宣言した。ところが、実質賃金が下落を続けているにもかかわらず、何の対策も取ろうとしない。なぜこの状態を放置することが許されるのか? 私は全く理解できない。

なお、日本銀行は、1月23、24日の金融政策決定会合で、政策金利を引き上げた。引上げ自体は適切な判断と思うが、諸外国と比較した場合に、日本の政策金利が低すぎることは変わらないこれがさまざまの歪をもたらしている。日銀は、中長期的な利上げの見通しを明らかにすべきだ。


山形県鶴岡市田麦俣 「旧遠藤家住宅」①「兜造り」の多層民家

2025年01月28日 09時06分38秒 | 山形県

多層民家「旧遠藤家住宅」。山形県有形文化財。山形県鶴岡市田麦俣字七ツ滝。

2024年9月13日(金)。

 

月山北西山麓にある黒川能の里を見学後、南東に進んで湯殿山に近い脇道から田麦俣に入った。標識にしたがい「旧遠藤家住宅」の駐車場に駐車すると、下に「兜造り(かぶとづくり)」の茅葺屋根の民家が見えた。

これは、民宿「かやぶき屋」で、「旧遠藤家住宅」見学の入場券を販売していた。管理人の男性によると、現在修理工事中だが、内部は自由に見学できるという。見学後、坂道を登って裏側へ行って眺めた。

田麦俣地区は、外見的には一層に見えながら、内部は三階にもなっている「兜造」といわれる独特の形を持った四層構造の多層民家の里として知られている。

田麦俣集落は、日本海に面した庄内地方と内陸部の村山地方を結ぶ六十里越街道の要所であり、湯殿山信仰が盛んであったときは宿場的性格を帯びていた。明治時代になると、養蚕に適した環境の中に、この地方独特の建築様式を誇る茅葺屋根の民家がたくさん建てられるようになった。かつてはこの集落のほとんどがこの多層民家だったが、現存するのは県指定有形文化財の「遠藤家住宅」他二軒と、鶴岡市の致道博物館内に移築された「渋谷家住宅」(国指定重要文化財)のみとなっている。

「旧遠藤家住宅」は、かつて田麦俣集落に数多く見られた、この地方独特の建築方式である兜造り多層民家の代表的なもので、江戸時代後期の文化・文政年間(1804~1830年)に建てられた

当初は寄棟造であったが、明治に入り、養蚕が盛んになると、屋根側面は「高はっぽう(高破風)」という輪郭と、反りが美しい「兜造り」に改造され、正面側にも採光と煙出しの窓が造られた。

土地が狭い上に積雪が多く、建物の増築が困難だったので、毎日の暮らしと作業・養蚕のための部屋が一つの建物の中にまとめられて多層の形になったと言われている。

現在の建物は、昭和52年8月から同53年10月にかけて半解体復元工事を行い、明治10年代の姿に復元したものである。

日本遺産「自然と信仰が息づく『生まれかわりの旅』」と「サムライゆかりのシルク」の構成文化財に認定されている。

江戸時代、六十里越街道の宿場町・田麦俣には内陸から入ってくる者と、庄内から入ってくる者に対する番所が二か所、置かれていた。田麦川に架かる田麦橋は、庄内藩主酒井氏が参勤交代の通路として使用され、藩主の管理下におかれ、十三年ごとにかけ替えられた。

この土地は田畑の生産高が少ないところで生計は主に鶴岡城下で使う薪の伐り出し行者の宿泊の賄いや道案内・背負子で立てられていた。背負子とは、決められた区間をリレー方式で荷渡しする仕事で、庄内からの海産物を内陸に運んだ。田麦俣の背負子は志津までの六里を担当し、五貫匁の荷を一日三十八銭で、吹雪の中であろうとも運んだ。

江戸時代には、田麦俣集落の家数はおよそ三十軒あり、その中に永楽屋を始め、七、八軒の旅籠屋があった。元来庄内藩の山守の定住地として発生した集落として伝えられる。田麦俣は大日坊の出張所であったが、明治八年神道となり一時は三山社務所の出張所ができて入山許可証を発行したときもあった。しかし、行者が減ってからはもっぱら養蚕に励むことになった。

水車小屋。

内部は、一階が主に家族の居住用として使用されている。

山形県鶴岡市 黒川能の里 王祗会館 春日神社 王祗祭


山形県鶴岡市 黒川能の里 王祗会館 春日神社 王祗祭

2025年01月27日 08時52分25秒 | 山形県

春日神社。鳥居。山形県鶴岡市黒川宮の下。

2024年9月13日(金)。

道の駅「みかわ」で起床。本日は、羽黒山西麓地帯から南東の山間部を越えて寒河江市方面へ抜ける行程である。まず、80年代から知っている黒川能の里を見学することにして、村の鎮守として黒川能が奉納される春日神社に近づくと、フランスの教会を中心にした村落と似たコミュニティ風景が現れてきた。

春日神社の鳥居横にある駐車場に車を停め、鳥居に行くと石段が丘上の社殿に続いていた。まず予定通り、丘上北東にある資料館の「黒川能の里・王祗会館」を訪れることにした。8時30分ごろだったので9時の開館まで待って入館すると、館長から熱心に話しかけられた。

黒川能の里・王祗会館。山形県鶴岡市黒川宮の下。

黒川能の里「王祇会館」は国指定重要無形民俗文化財「黒川能」を広く紹介する展示機能と、イベントや研修など地域住民の交流や生涯学習の機能を併せ持つ施設である。

展示室では、毎年2月1日から2日夕方まで夜を徹して行われる王祇祭の稚児舞「大地踏」を実物大の人形で再現しているほか、視聴覚室では「王祇祭」「黒川能の1年」「水焔の能と蝋燭能」「豆腐祭 -昭和41年-」の4本の番組を大型スクリーンで放映している。

なお、これまで黒川能伝習館で行っていた上座、下座、春日神社所蔵の装束や能面などの展示は王祇会館に移転した。

展示室内部は撮影禁止である。

重要無形民俗文化財・黒川能。

黒川の氏神、穢れなき稚児、祭りの主人たる長老。対を成す上下2つの座が、新年を祝い、神に捧げる、幽玄の舞。

旧正月にあたる2月1日から2日間にわたって、春日神社の旧例祭「王祇祭(おうぎさい」が行われ、奉納されるのが黒川能である。黒川能は、春日神社の氏子である農民たちによって伝えられてきた。観世流などの現在の五流とは一線を画し、独自の伝承を500年にわたって保ち続けている

春日神社の氏子は、能座となる上座と下座に分かれている。その年の王祇祭の主人となるのは、各座の長老である。

2月1日の未明春日神社の神霊が宿る王祇様上座、下座それぞれの当屋(とうや、神宿)となった両座の長老の家にお迎えして能舞台が設置されていく。

「王祇」とはその土地の神を意味し、御神霊の依代は「王祇様」と呼ばれるようになったという。一般的なお祭りでいう御神輿のような存在でもあり、当屋の守役たちの手で運ばれ、神職によって布が張られる「布着せ」が行われる。

王祇様は、高さ2.5mの3本の杉の鉾を紐で束ね、頭に紙垂(しで)が巻かれている。

座衆一堂に会しての座狩(総点呼)があり、振る舞いが行われた後、夕刻から幼児が勤める「大地踏」で黒川能は始まり、式三番、続いて能5番、狂言4番が夜を徹して演じられる。

翌2日には、ご神体が春日神社に還り、神前で両座が脇能を一番ずつ演じ、その後大地踏、式三番が両座立ち会いの形で行われる。

祭りは、春日神社境内の階段をご神体を手に駆け上る「尋常事」(競争事)など様々な神事を織り込みながら、すべてが終了するのは夕刻に及ぶ。

ご神体の衣布は翌年の当屋に授けられ、また1年をかけて準備に入る。黒川の人びとの生活サイクルは、王祇祭を中心にめぐっている。祭りと能と生活が一体となった村、それが黒川能の里である。

大地踏は、能に先立って行われる。大地の悪霊を鎮め、精霊を呼び覚ますといわれる強い儀式的な意味を持つ。

師匠に抱きかかえられて4~6歳の稚児が姿を現すと、大きく広げられた王祇様を背に新しい命の誕生を象徴するように穢れのない足で九種の特殊な足踏みの型により舞台を踏みしめ、開口風の祝言を朗々と唱える。その演技、演出法は本流となる能楽の影響をある部分では受け容れ、またある部分ではきわめて民俗的色彩の濃い要素を示すなど、芸能史的に重要である。

大地踏で清められた舞台では、露払い役の千歳、天下泰平を祝う翁、五穀豊穣を祈願する三番叟からなる猿楽の能に古くから伝わる祭儀的な演目である式三番が演じられる。使用される面そのものがご神体で、役者は面をつけることにより神格を得る。上座のご神体の面が「白式尉(はくしきじょう)」と呼ばれ翁で使用される。下座の方が「黒式尉(くろしきじょう)」で三番叟に用いられる。

黒川の場合、翁に「公儀の翁」と「所仏則(ところぶっそく)の翁」の2種類あるのが特徴である。公儀の翁は、能太夫(座長)が舞い、王祇祭以外のお祭りではこの翁である。

所仏則の翁とは、上座の翁太夫である釼持源三郎家(椿出)に一子相伝で伝わるもので、その家のものしか舞うことが許されない。そして、この翁は黒川にしかない独特なものであり、王祇祭以外ではいかなる場合にも行われない。

王祇会館横に設けられた野外能楽の舞台。

 

 

春日神社。拝殿。狛犬ではなく鹿である。

春日神社。石段上から鳥居を見下ろす。

春日神社は平安時代初期の807年(大同2年)に創建されたと伝えられ、神号は「新山明神」で、御祭神は健御雷命・伊波比主命・天津児屋根命・比売命の四柱が鎮座している。慶長14年(1609)に社殿が建立され、社殿内に舞台も設えられた。延宝2年(1674)藩主酒井忠義が本殿を造営、元文4年(1739)に拝殿を造営して現在に至っている。享保12年(1727)には「黒川村四所大明神」という神号を用いている。明治8年(1875)春日神社と改名したが、寛政5年(1793)開帳能興行の辻札に「春日四所明神」と記した文献があり、「春日」と明記された最初のものである。

歴代領主の信仰も篤く、鎌倉時代(13世紀)より室町時代(16世紀)にかけて庄内地方を支配した武藤氏は、社殿の造営・土地や祭具などを寄進した。天正18年(1590)上杉景勝は新山明神を修築し、文禄年間(1592~1596)には本殿・拝殿を再興している。その後最上義光が庄内を領有すると、慶長17年(1612)には社領地を定めた黒印状を発行している。元和8年(1622)庄内藩主となった酒井家の入部後も最上氏の黒印状の社領地を認め、神事能を藩の式楽として保護し、城中での上覧能のたびに能装束・能面・道具類の寄進を受けた。

春日神社境内にある黒川能伝習館。

山形県の離島 飛島②日本の渚百選・荒崎海岸 賽の河原 鶴岡市 大寶館


フジ経営陣「辞意」伝えるも…日枝代表まさかの一喝「こんなことで負けるのか」 27日注目のやり直し会見

2025年01月27日 08時41分38秒 | 社会

フジ経営陣「辞意」伝えるも…日枝代表まさかの一喝「こんなことで負けるのか」 27日注目のやり直し会見

Yahoo news  2025/1/27(月)  スポニチアネックス

 

フジサンケイグループ

 中居正広氏(52)の女性トラブルを巡る一連の対応が批判され、経営の根幹が揺らいでいるフジテレビは27日、東京・台場の同局で記者会見を行う。それに先立ち、臨時取締役会で経営陣の進退について議論される。会見には同社の港浩一社長、嘉納修治会長、遠藤龍之介副会長、フジ・メディア・ホールディングスの金光修社長の4人が出席し、注目はその処遇となる。

【写真】27日の会見のポイント

 スポニチ本紙の取材では、23日の社員説明会の前に港、嘉納、遠藤の3氏がフジサンケイグループの日枝久代表に辞意を伝えていた。だが日枝氏は「こんなことで負けるのか、お前たちは!」などと一喝。出席していた幹部は「今回の問題を勝ち負けで考えているとは…」とあぜんとしたという。

 

 社員は日枝氏と経営陣の総退陣を求めている。社員説明会でも「日枝体制が一掃されなければ会社は立て直せない」「日枝氏も含め、経営陣が辞めるべき」などの声が港社長に浴びせられていた。

 一方で日枝氏の発言について別の見方をする幹部社員もいる。「“こんなことで負けるのか”という言葉は、辞めることを前提に信用回復に向けて取り組むのではなく、まずは今やるべきことをすべきだという意味。進退についてはその後に考えろということではないか」と推察した。

 

 “日枝帝国”とも呼ばれるフジサンケイグループ。日枝氏は1980年にフジの編成局長に就任。42歳の若さでの抜てきだった。「楽しくなければテレビじゃない」のスローガンを掲げ、82年に「視聴率3冠」を達成。黄金時代を築き上げた功労者だ。こうした実績から、次第にグループの全権を握るようになった。グループ全体の人事に圧倒的な影響力を誇り、2017年にフジの会長を退任し相談役となった後も、それは変わっていない。

 

 同局関係者は「局長以上の人事は日枝さんの承認が必要で、さらに役員人事は全て日枝さんの意向。これが20年続いている昇進した人たちは“日枝さんのおかげ”と考え、日枝氏の意向に従うようになる。こうして日枝帝国は長く続いてきた」と解説した。

 開局以来の未曽有の危機。会社が生き残るためには、経営陣の刷新は不可欠だ。その中でも、日枝氏の動向にグループ全体が注視している。

 

 ≪日枝氏とは 「フジテレビの天皇」92年クーデター画策し実権握る≫

「フジテレビの天皇」と呼ばれる日枝氏。早大教育学部を卒業後、61年にフジテレビに入社。労働組合の書記長として組合活動に奔走した時期もある。編成局長などを経て、88年に50歳で社長に就任。90年代初頭、オーナー一族の鹿内宏明氏がフジサンケイグループの議長として全権を握っていたが、92年に日枝氏は反宏明派の中心人物としてクーデターを画策し、実権を握った。政財界との太いパイプを持ち、森喜朗元首相ら歴代の首相とも親交が深い。