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福島県いわき市 塩屋埼(しおやさき)灯台 映画「喜びも悲しみも幾歳月」の原案地

2024年06月12日 15時07分57秒 | 福島県

塩屋埼(しおやさき)灯台。福島県いわき市平薄磯宿崎。

2024年5月24日(金)。

「アクアマリンふくしま」から北上し、塩屋埼灯台へ向かった。幹線道路から海岸沿いの道路を通ると、ビーチ利用者用の駐車場があり、塩屋埼灯台が見えたので撮影のために車を停めた。灯台の入場時間は15時30分までだが、15時には余裕があった。

塩屋埼灯台は、全国に16しかない「のぼれる灯台」(参観灯台)の一つである。白亜の美しい外観から「日本の灯台50選」にも選ばれ、地元では「豊間の灯台」とも呼ばれている。周辺は、磐城海岸県立自然公園に指定され、太平洋に臨んで、北に薄磯海岸、南に豊間海岸と海水浴の適地に恵まれ、マリンスポーツファンにも人気がある。

塩屋埼灯台は、私たち世代には中井貴一の父親である佐田啓二が主演した1957年の映画「喜びも悲しみも幾歳月」の原案地として懐かしい場所である。映画館ではなく、テレビで映画を10年ほど後に見たが、インパクトがあった。若山彰が歌った主題歌は当時から人々に歌われ、1980年代までは懐メロとして若山彰がテレビで歌う姿が見られたものだ。

1957年(昭和32年)に、映画「喜びも悲しみも幾歳月」(松竹映画作品、木下惠介監督)が公開され、主題歌共々日本国内でヒットした。灯台職員とその家族が日本全国の辺地の灯台勤務で積み重ねる、長い人生の哀歓を描いた映画作品である。本作は当時の塩屋埼灯台長夫人・田中きよの手記「海を守る夫とともに20年」(雑誌「婦人倶楽部」寄稿、1956年8月号に掲載)から原案を得た内容で、映画には塩屋埼灯台もロケーションで登場した。

塩屋埼灯台下の無料駐車場に着き、登り坂の入口に行くと、灯台まで約10分という表示があった。登りは久しぶりなのでゆっくり登ると10分ほどで、灯台の立つ台地に着いた。受付で障害者割引があるのか尋ねると、無料といわれて驚いた。HP「障害者手帳で行こう」には記されていなかったからだ。

受付に併設された灯台資料展示室の見学は、灯台へ登ってからにして、灯台内部に入り螺旋階段を上った。両手で手のひらを打つと、鳴き竜のような反響音が凄まじかった。

北の薄磯海岸方面。

東の岬先端方面。地上から灯塔の頂部まで27m、地上から灯火まで24m,海水面からの高さ約73m。

南の豊間海岸方面。

 

一帯は潮の流れが激しく暗礁も多い、海上交通の難所として古くから知られていた。このため江戸時代から狼煙台がつくられた。1899年(明治32年)12月15日煉瓦造で建てられ、初点灯した。昭和13年の福島県北方沖地震でレンガ石造の灯台は大破、1940年(昭和15年)3月30日鉄筋コンクリート造に改築され点灯。太平洋戦争末期には、米軍の標的となり、飛行機や潜水艦からの攻撃を受けて破壊され、灯台としての機能を喪失。灯台職員も殉職した。

1947年(昭和22年)5月6日本灯復旧、1993年(平成5年)2月無人化。

 

15時30分ごろに駐車場へ戻り、いわき市北西郊外にある草野心平記念館へ向かうことにした。翌朝にしようとしていたが、16時30分までに余裕で着ける時間的余裕が生まれたからだ。翌日、富岡町の東京電力廃炉資料館のガイドツアーを11時発に予約したが、10時発に変更したいと連絡をして、草野心平記念館へ急いだ。

福島県いわき市 アクアマリンふくしま



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