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世界遺産・二ツ森貝塚。二ツ森貝塚史跡公園。青森県七戸町字貝塚家ノ前。
2022年9月30日(金)。
国史跡・七戸城跡の見学を終え、東へ進んで世界遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」の一つである二ツ森(ふたつもり)貝塚へ向かい、二ツ森貝塚史跡公園の駐車場に9時過ぎに着いた。公園として公開されているのは史跡の東側部分で、2棟の竪穴住居が復元されている。公開時間は9時から17時までという。その後、史跡公園から800mほど西の場所にあるガイダンス施設の二ツ森貝塚館を見学した。
埋葬されたイヌの骨が出土した地点。
世界遺産・二ツ森貝塚は太平洋岸の小川原湖から西に約3.5㎞、標高約30mの台地上に立地し、縄文時代前期中頃(約5,500年前)から縄文時代中期末(約4,000年前)に生活が営まれた遺跡で、三内丸山遺跡とほぼ同時期に栄えた。
縄文時代初期〜中期(紀元前3500〜2000年頃)の海面は現在より5〜6mほど高く、気温も2℃ほど高かった。当時、東北地方には縄文人が住み、その多くは沿岸集落に住んでいた。二ツ森貝塚は当時太平洋の入り江だった小川原湖の西岸にある高さ30mの台地にある。
湖沼地帯の最奥部に位置し、貝塚が築かれた当時は温暖化に伴う海面上昇(縄文海進)により、現在よりも海水が内陸に広がっていたため、遺跡の近くには貝が育ちやすい干潟などがあったと考えられている。漁労や貝の採取などが行われ、後背地には落葉広葉樹の森が広がっていた。
遺跡からは15か所の貝塚をはじめ竪穴建物跡や貯蔵穴、墓が多数見つかっており、青森県内で最大級の規模を誇る貝塚を伴う大規模な集落であったことが分かる。
貝塚は、台地の北斜面と南斜面の2か所に形成され、貝塚の下層にはハマグリ、ホタテ、カキなどの海水性の貝殻が、上層には汽水性のヤマトシジミが堆積し、海進・海退による環境の変化を明確に反映している。
貝塚からは土器、石器のほか貝類をはじめ、スズキ、マダイ、フグなどの魚骨、ハクチョウ、カモなどの鳥骨、シカ、イノシシなどの獣骨が出土している。また、釣り針や銛などの骨角器も出土した。中でも、精巧に加工された鹿角製櫛は当時の高い精神性と加工技術を示している。
当時の環境下における食生活や狩猟・採集・漁労などの生業を知る上での貴重な情報源となっており、定住発展期前半を中心とした大規模な貝塚を伴う集落であり、湖沼地帯における生業や、海進・海退など環境変化への適応の実態を示す重要な遺跡である。
出土した骨角器のうち、「鯨骨製青龍刀形骨器」「鹿角製尖頭器」「猪牙製垂飾品」「鹿角製叉状品」の4つは県重宝に指定されている。
二ツ森貝塚は、県重宝に指定されている「鹿角製櫛」を代表とする骨角器や、旧遺跡名から名付けられた「榎林(えのきはやし)式土器」という土器型式の標式遺跡として知られる。
埋葬されたイヌも見つかり、縄文人とイヌが密接な関係であったことを示す貴重な発見となった。
そのほか、この地域では本来産出されないヒスイや黒曜石なども出土し、他地域と交流・交易があったことがわかっている。