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岩手県北上市 みちのく民俗村①茅葺民家 遠野の曲り屋・旧北川家住宅

2023年12月02日 14時42分41秒 | 岩手県

みちのく民俗村。 岩手県北上市立花。

2023年6月11日(日)。

国史跡・国見山廃寺跡の見学を終え、北上展勝地方向へ戻り、みちのく民俗村へ向かい、入口標示から中に入ると9時20分ごろ門前の駐車場に着いた。入場は無料なので受付はなく、そのまま入ったが、こちらは南側の裏口であった。

みちのく民俗村は、北上川流域とその周辺の江戸時代から大正時代の茅葺民家・古建築を移築復元した東北有数の野外博物館である。山間約7ヘクタールの敷地に、南部曲り家などの茅葺民家10棟のほか、大正建築の佇まいを残した旧黒沢尻高等女学校の校舎など18棟、合計28棟が点在し、藩政時代の村の環境も含めて復元して公開している。

建物の配置により、民俗村導入ゾーン、南部伊達領境ゾーン、北上川流域古民家ゾーン、縄文時代と古代遺跡ゾーンの4ゾーンで構成され、北側に北上市立博物館と北上埋蔵文化財センターを併設する。

旧小野寺家住宅。北上市指定文化財。

創建年代、明治34年(1901)。旧所在地、八幡平市荒木田(旧南部領)。建坪、224.2m2(約68坪)。桁行(横幅)24.5m、梁間(奥行)9.2m、建物の形状、直家(すごや)。寄棟造り。柱の主要材、台所と土間境の柱は栗。

旧小野寺家は、北上川上流の水系・荒木田川が流れる県北地域にあり、明治時代後期に建てられた農家です。

旧小野寺家も、豪雪農家の旧菅原家と同じ直家で、家の中に馬屋があります。馬産地である旧南部領では、いずれの形状でも馬が大切にされていたことがわかります。

また、旧小野寺家の間取りを見ると、寝部屋のように日常生活に欠かせない空間が非常に狭く、まだまだ江戸時代の封建的な考え方を踏襲していたことがうかがえます。

 

直屋(すごや)は、屋根が一棟だけで構成されているもので,民家の中で一般的な長方形の住宅を呼ぶ。別棟が組み合わされる形式を西日本では角屋(つのや)と呼び,東北地方では曲り屋(岩手県など)や中門(ちゆうもん)造(山形県,秋田県など)と呼ぶ。また,棟が分かれていながら,軒を接し,空間的には一連のものとして使われる形式を分棟(ぶんとう)型民家と呼んでいる。

岩手県内の民家は、曲り家を除いて広間型・寄せ棟の直屋が多く、県南部の旧仙台藩領と二戸・九戸地方はほとんどが直屋である。大型の直屋は母屋に馬屋を含んでいるが、直屋の大部分は付属建物として馬屋・物置小屋・木小屋・便所・風呂場・土蔵・板倉・味噌倉などを設けている。屋根の形は県北部の寄せ棟・煙り出しをつけた寄せ棟・くれ付き寄せ棟に対し、県南部では寄せ棟・片寄せ棟片入母屋・にぐら破風寄せ棟などが多い。

園内に入ると、まず旧小野寺家住宅が見えたが、外観を眺めて先に急ぐと、南部領伊達領境間の沢があった。国史跡の南部領伊達領境塚が奥にあり、藩境になっている中央の水路が間の沢である。

旧佐々木家住宅。北上市指定文化財。

創建年代、江戸時代中期。旧所在地、一関市大東町渋民続石(旧伊達領)。建坪、122.7m2(約37坪)。桁行(横幅)13.8m、梁間(奥行)8.9m。直家。寄棟造り。基礎、石場建て。柱の主要材、栗。

旧佐々木家は、葉たばこを栽培していた農家です。江戸時代、旧佐々木家があった周辺(現一関市東部一帯)は「東山たばこ」と呼ばれる上質な葉たばこの産地でした。

内部の柱と柱の間に、葉たばこを吊るす横木を渡していたり、差鴨居の上に壁をつくらず、風通しを良くするなど、葉たばこを乾燥させやすくする工夫が見られます。

乾燥中の葉タバコと栽培中の葉タバコ。

 

旧菅原家住宅(県南民家)。北上市指定文化財。

創建年代、江戸時代中期。旧所在地、一関市川崎町薄衣塞の神(旧伊達領)。建坪、174.1m2(約53坪)。

桁行(横幅)17.5m、梁間(奥行)10.0m。直家。寄棟造り。基礎、石場建て。柱の主要材、栗。

江戸時代に建てられた旧菅原家は、敷地内に金烏(きんからす)神社があり、その祭祀を司る神官も務めた上層農家です。

創建当初、納戸は寝部屋や物置として使用されていましたが、金烏神社が勧請されると、納戸には祭壇が設置され、金烏神が祀られました。

金烏神社は岩手県一関市大東町大原に鎮座し、元亀2年(1571)阿部俊胤宿祢、日本回国の際悪夢を蒙り「金烏玉兎」を祀ると言い伝う。又、或る説に康平年中(1058〜1065)栗野川の合戦の節、雲中に黒々と群れ飛ぶ烏を怪異と感じ源義家公弓矢を放ち給えば三羽の烏にあたり同村に落ち敵地を知る。以後烏(日輪)を祀りてからす神と称す。祭神の大日孁貴(おおひるめのむち)は天照大御神の別称。

また、旧菅原家には、江戸時代の末期に建てられた長屋門があります。長屋門は、武家の門が、後に上層農家に普及したものといわれています。

南部領伊達領境間の沢。

水田。旧北川家住宅と長屋門風演舞場。

がん小屋。二子町から移築。

長屋門風演舞場

旧北川家住宅。北上市指定文化財。

創建年代、江戸時代中期。旧所在地、遠野市土淵町栃内(旧南部領)。建坪、197.6m2(約60坪)。桁行(横幅)主屋棟19.1m、馬屋棟5.7m、梁間(奥行)主屋棟8.6m、馬屋等5.7m。曲り家。寄棟造り。基礎、石場建て。柱の主要材、栗。

遠野市街地から北東約7kmの土淵町にあった旧北川家は、江戸時代の山伏(修験者)の家です。山伏とは、修験道という山岳信仰(仏教の一派)に基づき修行する人のことです。旧北川家は「遠野物語」にも触れられており、由緒ある山伏の家だったことやオシラサマを数多く祀る家だったことが記されています。

岩手県北上市 中尊寺のルーツ 国史跡・国見山廃寺跡 北上市立博物館①



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