さて連休中にTwitterでもらった知見の中でも、@higekuma3さん(さんはアカウントにすでについてるけど)のブログを読んで得たものからは、すこぶる刺激を受けた。「IT系 企画マンの日記」というタイトルで、この数日はAppleの戦略について解説されている。
その最初の記事「Appleの戦略 巨大アップルモールの実現」からぜひ読み進めてみてほしい。笑えるギャグも満載なので楽しく読めるよ。こういう書き方は好きだなあ。
読んでいくと、なぜAppleが(最近みんながよく話題にするように)あれほどFlashをいじめるのか、なぜ突然他社の通販サイトでApple製品の取扱いをやめさせたのか、などなどがよくわかる。ジョブズの征服欲(?)ってすごいなあ。
そうやってAppleの野望をこってり説明した上で・・・
でも、どうしてなんでしょうね。
こんなことをしているにもかかわらず、
まったく、腹がたたないのです。
MACユーザだからでしょうかね。
と書いておられる。Mac一途でやって来たぼくも、まったく共感してしまうところだ。
あ、今日はここを掘り下げるつもりじゃなかった。"AISASってどうなの?”ってことが主題のはずだった。
上の記事の最後で@higekuma3は、今度はアプリ漬けのAppleがケンサク漬けのGoogleに勝利するだろうとした上で、こんなことを書いている。
なぜなら、googleの検索には、半日前になにをすべきだったかは出ますが、
今、何したらいいかの回答が、ないからです。
世の中の人は、今、何をしたらいいかの回答を今、ほしいのです。
これには、twitterを利用しないと(編集=人間の力)を借りるしかないのです。
編集を排除することを本質とするgoogleエンジンには、実現できない結果です。
なるほどー!これはこのところぼくが書いていたこととも関係するなあと、思ったわけ。
で、ようやくAISASにふれるんだけど、これ、知ってるよね?Googleの登場で、広告コミュニケーションの流れは、Attention(注意)Interest(興味)Search(検索)Action(行動・購買)Share(共有)になったのだと説明されるようになったわけ。
これについてぼくは、かねてから「そうなの?」と感じてた。いや、これがまちがっていたと言うより、これですべてを説明しようとしていた風潮に疑問を持っていたの。魔法の呪文のように語られすぎていたんじゃないかと。
どこに疑問を持ってたかというと、InterestからSearchへの流れ。AISASの説明としては、AttentionとInterestがとくにマス広告の役割だと解釈されていたと思う。でも例えばテレビや新聞の広告で瞬間的に興味を持ったとしても、PCを開いて検索するまでには簡単には至らないのではないか。少なくともそのためには相当な量の広告出稿が必要なのではないかと感じていたわけ。
前回書いたことともすごく関係するのだけど、リビングのソファでテレビを見る状況と、あるいはダイニングテーブルで新聞を読むことと、どこかの部屋(ぼくで言うと小さな小さな書斎)の"デスク"でPCを開く状況には、ものすごく"距離"があったのではないか。
また別の視点で言うと、上の@higekuma3の意見でもGoogleでは"今"何をしたらいいかは検索できないとある。つまり、Googleは「すでに何をしたいかがわかっている」状態の時に使うものなのだ。この連休中のぼくの行動で言うと、『第9地区』はどの映画館でやっているか、家族で行くホテルバイキングはどこがいいか、息子がテニスの試合に間に合うためには何時に家を出ればいいか、を検索した。その前にある、「この休みに家族でどこへ行くべきか」は検索できない。ホテルバイキングに行こうと決めるから検索するのだ。
AISASに感じていた疑問も、みんなそうそうCMでやってたことを能動的に受けとめないし、検索するってものすごく主体的な行動で、みんなそんなに「自分が何をしたいのか」を自覚できてないんじゃない?ということだったんだ。
AISASはGoogle登場時に広告コミュニケーションをマクロな視点で戦略的に語るにはとらえやすかったが、これをそのまま戦術レベルに使おうとするといろいろな点で無理があったのではないか。そういう使われ方は前提としていなかったのではないか。いわゆる「言葉だけ独り歩き」してしまっていた感がある。
それが、ソーシャルの登場ではっきりしてきた。ソーシャル空間は、時として「自分が何をするべきか」を教えてくれるのだ。あるいは、「自分が何をしたいのか」がわかってしまったりするのだ。そうやってとらえていくと、「検索する=Search」とはかなり部分的な要素にすぎないのだと思えてくる。
前々回の記事の図について@hhoshibaさんに広告という言葉の再定義と、Googleなどはどう位置づけるのかといコメントをいただいたのだけど、こうして考えていくと、答えがちょっと見えてきた気がするぞ。・・・なーんて安直に書くとあとで困りそうでもあるなあ・・・
その最初の記事「Appleの戦略 巨大アップルモールの実現」からぜひ読み進めてみてほしい。笑えるギャグも満載なので楽しく読めるよ。こういう書き方は好きだなあ。
読んでいくと、なぜAppleが(最近みんながよく話題にするように)あれほどFlashをいじめるのか、なぜ突然他社の通販サイトでApple製品の取扱いをやめさせたのか、などなどがよくわかる。ジョブズの征服欲(?)ってすごいなあ。
そうやってAppleの野望をこってり説明した上で・・・
でも、どうしてなんでしょうね。
こんなことをしているにもかかわらず、
まったく、腹がたたないのです。
MACユーザだからでしょうかね。
と書いておられる。Mac一途でやって来たぼくも、まったく共感してしまうところだ。
あ、今日はここを掘り下げるつもりじゃなかった。"AISASってどうなの?”ってことが主題のはずだった。
上の記事の最後で@higekuma3は、今度はアプリ漬けのAppleがケンサク漬けのGoogleに勝利するだろうとした上で、こんなことを書いている。
なぜなら、googleの検索には、半日前になにをすべきだったかは出ますが、
今、何したらいいかの回答が、ないからです。
世の中の人は、今、何をしたらいいかの回答を今、ほしいのです。
これには、twitterを利用しないと(編集=人間の力)を借りるしかないのです。
編集を排除することを本質とするgoogleエンジンには、実現できない結果です。
なるほどー!これはこのところぼくが書いていたこととも関係するなあと、思ったわけ。
で、ようやくAISASにふれるんだけど、これ、知ってるよね?Googleの登場で、広告コミュニケーションの流れは、Attention(注意)Interest(興味)Search(検索)Action(行動・購買)Share(共有)になったのだと説明されるようになったわけ。
これについてぼくは、かねてから「そうなの?」と感じてた。いや、これがまちがっていたと言うより、これですべてを説明しようとしていた風潮に疑問を持っていたの。魔法の呪文のように語られすぎていたんじゃないかと。
どこに疑問を持ってたかというと、InterestからSearchへの流れ。AISASの説明としては、AttentionとInterestがとくにマス広告の役割だと解釈されていたと思う。でも例えばテレビや新聞の広告で瞬間的に興味を持ったとしても、PCを開いて検索するまでには簡単には至らないのではないか。少なくともそのためには相当な量の広告出稿が必要なのではないかと感じていたわけ。
前回書いたことともすごく関係するのだけど、リビングのソファでテレビを見る状況と、あるいはダイニングテーブルで新聞を読むことと、どこかの部屋(ぼくで言うと小さな小さな書斎)の"デスク"でPCを開く状況には、ものすごく"距離"があったのではないか。
また別の視点で言うと、上の@higekuma3の意見でもGoogleでは"今"何をしたらいいかは検索できないとある。つまり、Googleは「すでに何をしたいかがわかっている」状態の時に使うものなのだ。この連休中のぼくの行動で言うと、『第9地区』はどの映画館でやっているか、家族で行くホテルバイキングはどこがいいか、息子がテニスの試合に間に合うためには何時に家を出ればいいか、を検索した。その前にある、「この休みに家族でどこへ行くべきか」は検索できない。ホテルバイキングに行こうと決めるから検索するのだ。
AISASに感じていた疑問も、みんなそうそうCMでやってたことを能動的に受けとめないし、検索するってものすごく主体的な行動で、みんなそんなに「自分が何をしたいのか」を自覚できてないんじゃない?ということだったんだ。
AISASはGoogle登場時に広告コミュニケーションをマクロな視点で戦略的に語るにはとらえやすかったが、これをそのまま戦術レベルに使おうとするといろいろな点で無理があったのではないか。そういう使われ方は前提としていなかったのではないか。いわゆる「言葉だけ独り歩き」してしまっていた感がある。
それが、ソーシャルの登場ではっきりしてきた。ソーシャル空間は、時として「自分が何をするべきか」を教えてくれるのだ。あるいは、「自分が何をしたいのか」がわかってしまったりするのだ。そうやってとらえていくと、「検索する=Search」とはかなり部分的な要素にすぎないのだと思えてくる。
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目的的行動の第一歩以降が顕著になるだけなんです。
だから、前例を見たいとか、ノウハウがどっかにないとか、あれ何だっけとか。
過去知恵袋。なんですね。
でも、今ベストは、そこには、ない。
今ベストを確証した後は、
引き続き、編集の力を借りることもあれば、googleさんへ行ったりする。