京都デモ情報《ブログ版》

京都周辺で開催されるデモ行進・街宣・イベント・裁判・選挙等の情報を共有するためのページです。

【書評】水戸維新 近代日本はかくして創られた マイケル・ソントン (著)

2021年02月06日 | 書評



本書は表向き、少々町おこし的要素を含めた幕末維新に関わる水戸人列伝の体裁を取っている。しかし、その流れの中にある歴史解釈を繋ぎ合わせていくと、薩長田舎武士の成り上がりストーリたる公式維新史観ではない、複雑でダイナミックかつ逆説に満ちた水戸維新史を浮かび上がらせる。それは幕末動乱期において常に先頭に立ち、思想、武器、人材、全ての供給源であった水戸藩が生贄となることで達成された、真実の明治維新史でもある。

本来徳川御三家たる水戸藩由来の尊王攘夷思想は、幕政を神道で一元化し外国に対抗しようとする思想であり、長州藩ですら1864年頃まで幕政改革の一環として外国人排斥という攘夷運動に邁進したのである。それが一気に倒幕に変化したのは、1000名余りの激派水戸藩士が水戸藩主君徳川斉昭の子である徳川慶喜に攘夷の実行を強訴しようと京都を目指し、現在の茨城県から福井県までを踏破した天狗党の乱と、その参加者352名を江戸幕府が処刑したことが大きい。公式維新史観では、もっぱら下関戦争や薩英戦争で攘夷の無理を薩摩長州両藩が悟ったから開国倒幕路線に転換した、というふうに説明されるところである。天狗党の乱により幕政改革としての尊王攘夷を主張する公武合体派は、水戸藩と徳川慶喜という徳川江戸幕府に通ずる物理的かつ精神的紐帯を失った。そのため倒幕によって新体制を作りだし、その後に国力を増大させ攘夷を実行する道に舵を切ったのである。それは日清戦争、日露戦争、日中戦争、太平洋戦争の歴史となって連なってゆく。

それはさて置き、なぜロシア革命における血の日曜日事件、中国革命における長征ともいえる、天狗党の乱がほとんど注目されないのか。それどころか学校の日本史の授業では、桜田門外の変以降水戸藩に関する記述は少なくなり、江戸幕府弱体化の決定的要因ともなった坂下門外の変すら注目されずに過ぎてゆく。公式維新史観で幕末水戸藩が正当に位置づけられないのは、なぜかという問題である。それは徳川幕府をいかに建て直すのかを巡って、水戸藩の二大派閥である激派天狗党と諸生党が血みどろの内戦を繰り広げたことが現代でも水戸の地に影を落とし、どちらの派閥の立場も採ることが出来ないからだろう。幕末水戸藩の扱いは日本史タブーなのである。とはいえ、いつまでも黄門様の時代劇による慰撫や、薩長史観の筋書きによる幕末大河ドラマでお茶を濁す訳にいかない。歴史の実像を知らずして、我々は次の段階には進めないのである。

水戸維新史ほど、日本における社会変革の教訓を散りばめた歴史は他にない。本書から流転し行き詰る歴史のダイナミズムを立体的に掴むために、もう一冊「幕末未完の革命 水戸藩の叛乱と内戦 」(長崎浩 著)を読まれることも薦めたい。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 【書評】心的現象論序説 (吉... | トップ | 【書評】平成・令和 学生たち... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

書評」カテゴリの最新記事