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【書評】労働組合とは何か(木下武男・著)

2021年09月01日 | 書評



本書にもあるように、戦後体制の礎であった年功賃金・終身雇用が終わったことで、企業別労働組合は労働組合としての建前すら見失った。それどころか労資協調と称し、ユニオンショップで従業員を縛り職場管理する抑圧機関と化している。志ある組合活動家が企業別労働組合の執行部を握っても、分断され兵糧攻めで潰されるパターンを踏襲するだけだ。著者はそれを乗り越え労働組合本来の機能を蘇らせる策として策として、労働市場全体の組織化を射程に入れた産業別組合への転換を訴える。確かにそれしか、砂粒のようにバラバラな非正規労働者や外国人労働者が団結し、人間らしく生きる権利を得る方法は無い。賃金の下降傾向も収まらず不景気が終わらない。また、労働者が世界をリードする新しい社会体制も見えてこない。

問題は産業別労働組合への転嫁が昨日今日の話ではなく、以前から呼びかけられているにも関わらず、一向に前に進まないことにある。2007年前後から非正規労働者問題が浮上し、それとともに星の数ほどの個人加盟ユニオンが結成され脚光を浴びるようになった。しかし14年を経た2021年現在から捉え返すと、個別のユニオンごとの散発的な争議に終始し、産業別労働組合に合流して大きな運動になることはなかった。本書の最終章で”日本でユニオニズムを創れるのか“という問いを掲げているが、「生きることで精いっぱい」「結集しない」「それはわからない」「みえてくるかもしれない」「前夜」と悲観的な言葉が並ぶ。著者が2007年に出版した「格差社会にいどむユニオン」は、若者を中心とした個人加盟ユニオンの隆盛に可能性を見出し、産業別労働組合を創ろうという熱気に満ちていたが、時間の経過はより厳しい現実を突き付けたようである。影響力のある産業別労働組合の実例として、関西生コンしか挙げられないのも相変わらずである。

14年という月日の中で有力な産業別組合が作れないのはなぜか、ミニチュア版総評のような企業別組合連合が個人加盟ユニオン内でさえ繰り返されるのはなぜか、今問われるべきはこれだろう。資本の妨害はあるだろうが、労働者側の主体性も不鮮明だ。その原因は、産業別労働組合の母体とされる個人加盟ユニオンが、相変わらず企業別・地域別という区割り構造から抜けられないことにあるのではないか。個人加盟ユニオン活動家の意識が問われる訳だが、大組織に埋没するより一国一城の小親分でいる方が承認欲求を満たせるのかもしれない。あるいは組織を目の届く範囲に収める方が、実務的に動かしやすいのかもしれない。

同じ職種内で転職の多い業界に、オルグを集中するという戦略も必要だろう。地域別個人加盟ユニオンである程度の規模まで企業別労働組合として育てたら、他都道府県の同じ業界の労働組合に繋げ職種別ユニオンとして独立させるという度量も求められる。最初から大規模な産業別労働組合建設を見据えた個人加盟ユニオンの連合体は可能なのか、活動家の意識の壁を取り払うためにはどうすべきか、日本版民主労総をどのように建設すべきなのか、次作ではぜひこの問題に切り込んでほしい。企業別組合は日本社会に適合土着した自然感情に基づく固有種、というような、奴隷頭の立場で都合よく合理化した日本特殊論を打ち破るためにも必要なことだと思われる。

この本のユニークな視点として30ページにかけ、ヨーロッパにおいて共同性とは集団を取捨選択する自立した個人の志向性が結びつくことで創られるという考え方であり、個人の内面で集団と個人は切り離されていないことを市民社会の成り立ちから解説している。個人の利益優先に見える欧米社会で、社会運動や労働組合が盛んな理由の一つと考えられる。日本では個人と集団は分離され、集団よりも個人の意思を通す自由な生き方としての個人主義がよりモダンでスマートなものとして受け入れられている。これが、労働組合や政党といった共同性が忌避される原因にもなっている。本当の労働組合を促進すると同時に、本当の共同性の理解を促進しなければならない事を痛感させられた。

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