京都デモ情報《ブログ版》

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【書評】叛乱の六〇年代―安保闘争と全共闘運動

2021年02月17日 | 書評




本書からは、60年安保闘争から始まった高度経済成長と大衆消費社会が一塊りの国民革命であったこと、この国民革命は対抗するマルクス主義や疎外論すら呑み込んだことが読み取れる。以後、高度経済成長と大衆消費社会を政治的に支える枠組みとして、平和と民主主義、護憲といった戦後民主主義が日本社会に定着する。それらは一貫してマルクス主義の外にあり、左翼党派が革命の踏み台にしようとするのだが、いつも板が抜けてしまう悲劇を演ずることになる。
『「高度成長」は日本の戦後最大の思想的事件だった。』(P53)
とあるが、まさに高度経済成長と大衆消費社会は、超えようとすればするほど高さを増していく超えられない壁として存在し続けた。本書は全体を通じて、この壁を超えようとして力尽きた党派への鎮魂と嘆息といった趣がある。

だが、3・11福島原発事故が高度経済成長と大衆消費社会という壁を壊した。無限の拡大再生産と科学の勝利を約束する動力源であり神殿であった原発が、脆くも崩れ去った。それは、安保闘争を介し戦争の記憶を都合よく清算することで成立した戦後民主主義も道連れにした。このことに我々が目をつぶり耳を塞ぐことを、溶け落ちた核燃料デブリや震災の犠牲者、そして置き去りにされた先の大戦の死者が許さない。
「歴史が自家中毒で身動きが取れなくなるときは、動乱と革命が予想される」(P92)
だとするなら、この書は著者の意図から離れ、逆説的に党派と未完の戦後史を結び付ける役割を果たすことになるだろう。



【書評】平成・令和 学生たちの社会運動 SEALDs、民青、過激派、独自グループ (小林 哲夫)

2021年02月12日 | 書評




最近の学生運動を、団塊ジュニアとその周辺世代の人生観で整理した本。SEALDsが戦後民主主義を称揚したとして高く評価している。しかしそれは、学生運動を通じ戦後民主主義を否定しながら高度経済成長に乗りかかり、先進国市民となって戦後民主主義と溶け合った団塊ジュニアとその周辺世代の後ろめたさを、SEALDsが肯定的評価へと変換してくれたからだろう。実際SEALDsは、リベラルと自称する市民に転向した左翼崩れを頭数として迎え入れたが、戦後民主主義批判を続ける左翼には敵意を隠そうともせず、ツイッターや中年ゴロツキを使い実力で排除した。

今らから考えればSEALDsは、3・11福島原発事故で実質的に終焉した戦後民主主義にまだ命脈があるかのように装わせるガス抜き運動であり、左派からの「日本を取り戻す」運動であった。「本当はデモなんかしたくない」と毎回断りを入れるSEALDsにとって、取り戻されるべき日本の姿は3・11の2年前か3年前、行政機関に便利使いされる市民エリート気取りのNPOが主催する、ワークショップ、ディベート、政策提言が幅を利かせていた頃だっただろうが。SEALDsが野党共闘の道筋を作ったところで解散したのも、彼らなりに戦後民主主義の形骸を建て直したと判断したからだろう。戦後民主主義の埒外にある沖縄で、SEALDsが解散していないというのも象徴的なエピソードである。

SEALDsの絵を描いた人間は、SEALDsに60年安保闘争におけるブントの徒花的役割を当てはめようと振付したのではないか。高度経済成長、安保闘争、東京オリンピック、大阪万博を通じて定着する戦後民主主義、という復興ストーリーの二番煎じという訳だ。そのうち、益々若年寄の度合いを増したSEALDs残党が、「今度は俺たちの選挙だ!」などとラップを響かせリベラル政党から選挙に出馬することで、2015年安保闘争なるものにオチが付くのかもしれない。

SEALDsのデモには、50歳過ぎぐらいのリベラルそうな大学教授や政治家がよく登壇し、SEALDsと仲良さげにスピーチをしていた。SEALDsの親世代にしてみれば、SEALDsは生温かく見守れる心地いいものであったに違いない。今後も、そういう枠に収まった学生による運動の登場を期待していることが本書から伺える。しかし9・11、リーマンショック、3・11、そしてコロナ禍という世界的クライシスを連続して経験し、今後も間隔をおかずに経験するであろう取り戻すべき日本を持たない今の10代20代にしてみれば、闘うことから逃げ続ける親世代の都合のいい学生運動ノスタルジーなど、馬鹿らしくて付き合ってられないか。



【書評】水戸維新 近代日本はかくして創られた マイケル・ソントン (著)

2021年02月06日 | 書評



本書は表向き、少々町おこし的要素を含めた幕末維新に関わる水戸人列伝の体裁を取っている。しかし、その流れの中にある歴史解釈を繋ぎ合わせていくと、薩長田舎武士の成り上がりストーリたる公式維新史観ではない、複雑でダイナミックかつ逆説に満ちた水戸維新史を浮かび上がらせる。それは幕末動乱期において常に先頭に立ち、思想、武器、人材、全ての供給源であった水戸藩が生贄となることで達成された、真実の明治維新史でもある。

本来徳川御三家たる水戸藩由来の尊王攘夷思想は、幕政を神道で一元化し外国に対抗しようとする思想であり、長州藩ですら1864年頃まで幕政改革の一環として外国人排斥という攘夷運動に邁進したのである。それが一気に倒幕に変化したのは、1000名余りの激派水戸藩士が水戸藩主君徳川斉昭の子である徳川慶喜に攘夷の実行を強訴しようと京都を目指し、現在の茨城県から福井県までを踏破した天狗党の乱と、その参加者352名を江戸幕府が処刑したことが大きい。公式維新史観では、もっぱら下関戦争や薩英戦争で攘夷の無理を薩摩長州両藩が悟ったから開国倒幕路線に転換した、というふうに説明されるところである。天狗党の乱により幕政改革としての尊王攘夷を主張する公武合体派は、水戸藩と徳川慶喜という徳川江戸幕府に通ずる物理的かつ精神的紐帯を失った。そのため倒幕によって新体制を作りだし、その後に国力を増大させ攘夷を実行する道に舵を切ったのである。それは日清戦争、日露戦争、日中戦争、太平洋戦争の歴史となって連なってゆく。

それはさて置き、なぜロシア革命における血の日曜日事件、中国革命における長征ともいえる、天狗党の乱がほとんど注目されないのか。それどころか学校の日本史の授業では、桜田門外の変以降水戸藩に関する記述は少なくなり、江戸幕府弱体化の決定的要因ともなった坂下門外の変すら注目されずに過ぎてゆく。公式維新史観で幕末水戸藩が正当に位置づけられないのは、なぜかという問題である。それは徳川幕府をいかに建て直すのかを巡って、水戸藩の二大派閥である激派天狗党と諸生党が血みどろの内戦を繰り広げたことが現代でも水戸の地に影を落とし、どちらの派閥の立場も採ることが出来ないからだろう。幕末水戸藩の扱いは日本史タブーなのである。とはいえ、いつまでも黄門様の時代劇による慰撫や、薩長史観の筋書きによる幕末大河ドラマでお茶を濁す訳にいかない。歴史の実像を知らずして、我々は次の段階には進めないのである。

水戸維新史ほど、日本における社会変革の教訓を散りばめた歴史は他にない。本書から流転し行き詰る歴史のダイナミズムを立体的に掴むために、もう一冊「幕末未完の革命 水戸藩の叛乱と内戦 」(長崎浩 著)を読まれることも薦めたい。