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【書評】テロルの現象学

2023年02月07日 | 書評




本書は、自己観念と共同観念そして党派観念に対抗する集合観念こそが、陰惨なテロルのない革命を形成すると主張する。具体的実例は預言者を頂く千年王国主義運動とされ、薔薇十字会やフリーメーソンといった秘儀結社によって担われたという。なにやら胡散臭い話だが、付け足した補論の中で、『千年王国主義運動を近代に継承した革命運動が、そもそも「オカルト的なもの」と不可分だった事実』と、オカルトであることを認めている。それでいてオウム真理教事件はボリシェヴィキ的戯画とされ、党派観念による凶行とされる。「いまや世界の民衆叛乱を領導しているのは、宗教と叛乱の融合形態としてのユートピア社会主義であって」と書いておきながら、その辺り、著者のご都合主義で腑分けしているだけではないのか。補強のため便利使いされているブランキもいい迷惑だろう。

そもそも集合観念なるカテゴリー自体、成立するのか怪しい。「それはまず民衆のなかにこそ潜んでいたのであり、彼らは民衆の秘教的伝統を再発見したに過ぎないのだ」と実在性を強弁するが、オカルトを集約したカルト宗教の集団ヒステリーを、言い換えただけというのが実態ではないか。著者自身も扱いに難儀する集合観念をなぜ差し挟む必要があるのかといえば、全共闘運動をその系譜に連ねることで何とか全共闘運動を救済したいということに尽きるだろう。そして、連合赤軍事件の責任は、個人と党派に押し付けたいということだ。「包摂-破壊-再包摂-再破壊」と、集合観念は共同観念や党派観念の廃滅に向かう反.弁証法的実践を導くとされる。実際は散発する反乱一揆の類に、神秘主義のふりかけをまぶして共通性と一貫性があるかのごとく演出しただけ。全共闘運動救済という最初に決めた結論に、ストーリを合わせたシロモノでしかない。

本書を真に受けて、現代版全共闘など作ろうと思わないでほしい。ましてや超越的次元の実現など目指すのは遇の骨頂である。最終的に、自称ファシストか太田龍、文鮮明、麻原クラスにも至らないソフトオカルティストになるだけだ。あるいは、常に闘争から撤退する言い訳を追い求める中身の無い「ラディカリスト」か。マルクス主義党派をこき下ろすつもりが、カルト宗教の正当化と勢力拡大に一役買った本として片づけられるだろう。この著作の積極的意義は、革命は宗教の力を借りないと正当化できなかった歴史があり、脱宗教化した革命としてのマルクス主義はまだスタートしたばかりだということを、言外に示したことである。


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