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【書評】反原発の思想史 (絓秀実)

2022年05月05日 | 書評



反原発運動は、核の平和利用という戦後民主主義の中途半端さを反映させた思想とせめぎ合ってきた。そこから生み出された反原発運動の思想と実践の変転を追い、3・11経過後の課題を本書は突き付ける。焦眉の問題は、安全論議の土俵に乗せられると、より安全な原発、より環境保護に適合する原発、という筋立てで逆手を取られ、エコロジーといった原発に対抗するはずの思想が、骨抜きにされてしまうことだ。そして反原発運動自体も、エコロジーに群がるロハスやヒッピーの省エネ生活や食の安全に切り縮められ、より安全で管理された日常を補強する、ことを読解できる。実際に、3・11から数年でそうなった。

原発は、資本主義の無限の拡大再生産を保証する動力源であり神殿であった。物財が過剰となる中、利ザヤで利ザヤを生むしかない新自由主義が成り立つのも、原発から湧き出す兆大な熱エネルギーに対する信用あればこそである。今でも原発に執着する人が多いのは、高度経済成長という戦後日本社会を支えた、大きな物語が切断されることへの恐怖からだろう。また高度経済成長は、多くの社会運動を分配主義に誘導し細分化させ包摂した。本文中でも述べられているが、反原発運動は資本主義、新自由主義の根幹に原発があることを見据える射程が必要だ。さもないと我々は原発復活を引き寄せ、フクシマを繰り返すことになる。

本書の発行年である2012年時点で著者は、3・11以後日本の原発が発展途上国に輸出されるという形で復活し、原発と資本主義の問題がクローズアップされると予測している。帝国主義国による植民地国の搾取という古典的図式だが、その後の歴史は意外な展開を辿る。確かに原発輸出は画策されたのだが、軒並み日本の原発輸出は頓挫してしまった。これは反原発運動の世界的広がりと共に、日本が先進国から脱落しつつある事を示す。今求められているのは、没落国日本における反原発運動だ。そのためにまず、溶け落ちた880トンの核燃料デブリの前では、戦後民主主義や高度経済成長という大きな物語に担保され繋がれた様々な差異ですら溶け合わされることを思い知るべきだろう。