京都デモ情報《ブログ版》

京都周辺で開催されるデモ行進・街宣・イベント・裁判・選挙等の情報を共有するためのページです。

【書評】私的戦後左翼史―自伝的戦後史 1945-1971年(太田竜)

2023年10月11日 | 書評



太田竜は太平洋戦争敗戦前後に、戦争由来の災害ユートピアという形で原始共産制を実感していた。貧困と革命の熱意を共有する多くの仲間によって形成される共同性と、アメリカによって帝国主義から脱落させられ革命を臨むゼネスト直前まで至った日本の姿は、強烈な記憶として刻まれた。このことが、本書から読み取れる。また、なぜ太田が最終的にオカルティストになってしまったのか、原因が見えてくる。敗戦前後の原始共産制に戻れば一からやり直せる。今度こそ正しい革命の道を選択出来る。ないものねだりな願望は、原始共産制の雰囲気が漂う辺境に敗戦前後の日本社会を投影することへ繋がる。こうして太田は、高度経済成長の渦中で大衆との接点を見失い、革命運動に躓く度次から次へと立場を変え辺境探しを繰り返すことになる。そして、いよいよ敗戦前後の原体験すら無効となった時、鬼畜米英を唱和していたであろう今は亡き樺太の豊原第一尋常小学校少国民時代まで退却し、縄文や爬虫類人を介して天皇に抱きついたのである。未来は未来へ接続することでしか創造できない、ここに至らなかった太田の悲劇というべきか。うがった見方をすれば、新たな辺境を見つけることで、太平洋戦争敗戦前後に得た興奮を再体験できたなら、太田にとっては十分なお釣りだったのかもしれない。

太田竜は戦後左翼の最重要人物であり、世界革命を目前に現出させ追い求める彼の政治的影響力は甚大であった。新左翼とカテゴライズされる全ての党派は、彼の思想から何らかのインスピレーションを受けたといっても過言ではない。にも拘わらず、見るに堪えない経緯から新左翼史の中でその存在を抹殺されている。しかし意識はしていないだろうが、今もって新左翼各党派は太田の思想的掌中にある。彼の再評価と総括がなければ前進も解放もないことは記しておきたい。憲法守れ9条守れなどと、戦後民主主義に回帰してお茶を濁しているような学生運動崩れこそ、本書との格闘が必要だと思われる。太田自身による戦後左翼総決算といえる内容であり、今だからこそ客観視でき現代と化学反応を起こすことができる。激情家の太田竜が、俯瞰目線で冷静に左翼を語った恐らく唯一の本ではないか。かなり項数を削ったと思われるが、できれば完全版を出版して欲しい。それだけの価値がある。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 【書評】シニア右翼 | トップ | 【書評】差し迫る、 福島原発... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

書評」カテゴリの最新記事