京都デモ情報《ブログ版》

京都周辺で開催されるデモ行進・街宣・イベント・裁判・選挙等の情報を共有するためのページです。

【書評】「物質」の蜂起を目指して――レーニン、「力」の思想 (白井聡 著)

2022年10月31日 | 書評




長らくレーニンは、党や国家の護教として小さくまとめられてしまっていた。党指導者を真理を司る政治的科学者として祭り上げるため、レーニンを唯物論-観念論対立の枠に押し込めるなどが典型例だろう。本書の狙いは、抑圧されたレーニンを解放することにある。レーニンに触れることで、人々はあらゆる枠を突破する視点を持つ。精神にある壁を認識させ、破壊し突破せよと煽る。それは社会革命と一対の出来事として進行する。無限に拡大再生産を続けるかのようだった新自由主義に先がないことを知る我々は再び、無限の物質たる宇宙を見上げその意味を問い行動する時が来たようだ。レーニンがその手掛かりなることを本書は教える。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【書評】《新装版》吉本隆明『共同幻想論』の読み方(宇田 亮一 著)

2022年10月31日 | 書評



共同幻想論の真髄をここまで分かりやすく丁寧に書いた本は、他にない。であるからこそ、逆に吉本隆明の底も明瞭になる。

本書の吉本解説では、人による自然環境への働きかけが拡大することは人間の本質であるとして、科学技術の進展も必然とされる。その延長上から、第三次産業に従事し私的利害を優先する消費者が増大すれば、次第に国家という高強度の共同幻想は消え去り、低強度の共同幻想社会に置き換わるという、吉本隆明の自然科学的な予言が示めされる。しかしこの中では、吉本にとって本質中の本質であるべき、国家が引き起こす戦争を拒否し食い止める個人幻想の逆立が位置づかず、いつのまにか蒸発している。本文中、取ってつけたような憲法9条の啓蒙が語られるが、そのような低強度の共同幻想では戦争を止められそうにない。現在「台湾危機」という高強度の共同幻想が煽られ、落ち目の先進国住人である我々は核戦争の瀬戸際にいる。吉本が今生きていたなら、核エネルギーを利用した科学技術の進展による生産性向上と比べれば核戦争の損害など微々たるものであり、我々は核戦争後に訪れるであろうアフリカ的?低強度共同幻想社会に夢と希望を膨らませればよい、と答えるだろうか。そういえば吉本は3・11の翌年、死の間際に原発推進を遺言として残した。

吉本は、文化人類学やら心理学やら民俗学やらを動員し大げさな舞台装置にして共同幻想などと煙に巻いているが、本当は共同幻想論が出版された同時代の、戦後民主主義や高度経済成長やマスプロ教育で生み出された学生という吉本が依拠した大衆の原像から歴史を後講釈しているだけではないのか。唐突に親鸞を持ち出したのは、それらが個人幻想の寄り合いとして国家に対抗できるかどうか理論的にも実践的にも怪しくなったので、低強度共同幻想の宗教というあり得ない逆立の主体を捏造するダシとして利用しただけでは。つまり親鸞を、自らと吉本信者の避難所にしたかっただけでは。実はもっと根が深い問題で、軍国少年であった吉本隆明は、天皇に率いられ太平洋戦争を完遂するという共同幻想に未練があったのではないか。このため戦争への道を掃き清めようと、大衆を褒め殺して孤立した生活者へ矮小化させ政治的に骨抜きにしようと企んだのでは。こうして戦争を引き寄せ待望の本土決戦が行われれば、日本国家と天皇制という共同幻想は太平洋戦争で死にぞこなった罪悪感とともに葬り去られる。吉本個人の本願は全て成就する。というところまで我々を導く本作品は、最高の吉本卒業書であるといえる。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【書評】国体論 菊と星条旗(白井聡 著)

2022年10月03日 | 書評




本書はアメリカと天皇を両軸として、国体の正体とその帰結に迫ろうとする。著者は、アメリカこそが戦後の国体の頂点であり、天皇はその下に位置するに過ぎないと喝破し対象化した。だが文中で強調される、戦前と戦後の時間の長さが等しく77年間になる「2022年」(p.51)の今となっては、まだ何かを捉え切れていない物足りなさを感じる。それは令和の「匿名の人間」(p.236)による、安部元首相銃撃暗殺事件で浮かび上がった。そう、統一教会だ。

冒頭、2016年に発せられた天皇の「お言葉」が読解される。お言葉は戦後民主主義の秩序を崩壊の淵から救い出すものとして、「日本国民に考えるよう呼び掛けた」(p.39)とされる。果たしてそうだろうか。私はこの者たちを信用していない、引き続き日本国民に「アメリカは日本を愛してくれている」(p.62)という祈りに見せかけた催眠術を掛け国体を護持させるので保護をよろしく頼む、と天皇はアメリカに請うただけではないだろうか。戦後民主主義と対になった象徴天皇制の危機を救う手立てとして、天皇が持つ物的力はじつはアメリカ(在日米軍)しかない。天皇は日本国民に寄り添う演出をしているだけで、一貫して国民を蚊帳の外に追いやろうとしている。言い換えると、「象徴としての役割を果たす」(p.23)天皇の頭にあるのは、対米従属レジーム=永続敗戦=国体の維持だけだ。

『天皇から遠く離れた所で、天皇のあずかりしらない場所で、「道義」が打ち立てられることこそ、「反国体」の本質にほかならなかったのではないか』(p.271)
戦前の数々のテロ事件や二・二六事件、太平洋戦争敗戦間近のクーデター、戦後の三島事件を経験した天皇家は、国民が理想の天皇像を祭り上げ国体に挑むことを何よりも恐れている。
『しかし、時によっては、「忠義」の名のもとに、国民は天皇のあずかり知らない所で「道義」を打ち立て、それに基づいて行動する、言い換えれば主体性を持ってしまう可能性があることを二・二六事件は示した。天皇が激しく嫌悪し、避けようとしたのは、まさにそのような事態だったのではないか』(p.272)
藤原氏に連なり天皇に最も近い位置にいた元総理大臣近衛文麿は、1945年2月14日天皇ヒロヒトに対し、太平洋戦争は日本軍内に潜伏した天皇制と共産主義を両立させる革新分子が起こしたものだと上奏した。そこで近衛は、革新分子による混乱に乗じたクーデターや革命勃発の危険性を抑えるために、早期の太平洋戦争終結を求めた。近衛は乱心して妄想を述べた訳でなく、天皇が何を一番恐れているか知り抜いていたに違いない。してみれば天皇一族は戦後も日本の政治家、自衛隊、官僚、そして国民を信用しておらず、唯一の頼みの綱はアメリカしかないことになる。9条容認と沖縄切り売りでアメリカと永遠に繋がれるなら、天皇にとって悪い取引ではない。アメリカは約束さえ守れば余計な、天皇への思い入れに基づく改革運動など考える訳もなく天皇家の存続を保証してくれる。アメリカとて、日本人が「政治的主体化」(p.130)することは避けたい。戦後国体の核心部である日米安保体制は、共産主義だけでなく戦後日本社会こそ皇室の存続を危うくする野蛮な「夷狄」(p.172)として定め、威圧しているというべきだ。だがそれでは、親米保守派と愚かな右翼も含めた日本国民が、天皇へ向けるナショナルな慕情「天皇との一体化」(p.257)は空転せざるを得ない。政治的にも、天皇像を思うままに書き換えアメリカとの関係を危うくする改憲再軍備路線は棚晒しされたままとなる。3・11を経て再びの高度経済成長など望むべくもないまま、米中対立を迎え入れる日本社会において、この国体の裂け目は何としても埋めてしまわねばならない。

アメリカ、日本、天皇と彼ら共通の敵であったソ連が崩壊し、天皇ヒロヒトが死んだことで三者の均衡が崩れ、統一教会が国体として裂け目に入ってくる条件が整った。現人神たる文鮮明と、天皇制を反転刷りさせた儒教的キリスト教を盲信するカルト統一教会は、大日本帝国の遺伝子だ。それは、天皇の源流であり過去大日本帝国の版図であった韓国からしか生み出せない。韓国に宿る大日本帝国=統一教会は、太平洋戦争敗戦コンプレックスもなく、キリスト教としてアメリカ国家とも対等に交通できる。親米保守派と愚かな右翼を含む多くの日本人は、天皇への満たされない片思いを、統一教会と融合した自民党に迂回させることで代替することが可能になる。そして、太平洋戦争に敗北したトラウマを麻痺させることができる。こうして自民党は、改憲再軍備とアメリカ追従という矛盾した方針を並立させられる。自民党と統一教会の関係は精神的に一体であり、切り離すことはできない。戦後、天皇制が失った「万世一系の皇統」「祭政一致という神政的理念」「天皇と日本国による世界支配の使命」「文明開化を先頭にたって推進するカリスマ的指導者としての天皇」(p.319)を保持している統一教会こそ、アメリカの「押し付け憲法」から解放される跳躍台であり、大日本帝国へ回帰する愛国の担保であり、裏の国体だからだ。「天皇は祈っているだけでよい」(p.37)という親米保守層の本音は、すでに「国民の天皇」たる統一教会を持つ自信から発せられたのである。彼らは国体の裂け目を埋めるため、天皇家と文鮮明一族に婚姻関係を結ばせ、新大日本帝国、ネオ大東亜共栄圏にふさわしい亜州天皇の誕生まで構想しているのではないだろうか。因みにアドルフ・ヒトラーは元々オーストリア生まれのオーストリア人で、正式にドイツへ帰化する許可が下りたのは1932年ヒトラー43歳の時だ。その2年後1934年に彼はドイツの総統となり、第一次世界大戦以前の皇帝を復活させることはなかった。にも拘らず、前体制との連続性を示す第三帝国を名乗った。

霊感商法も裏を返せば、日本からの献金がなければ統一教会は成り立たず、日本側が統一教会の手綱を握っているといえる。いずれにせよ国体という枠中にある限り、天皇を通じて日本国民を無力化するか統一教会を通じて天皇を無力化するかという選択しかない。アメリカとしては、どちらがアメリカへの追従を促進強化するかを見極め、どちらの味方になるか判断すればよい。その結末は、平和主義やアジアの一等国という空虚な内実すら完全に失った日本人が、意味のない戦争に駆り出され次々と戦死体に変わっていくことになる。解決策として著者は、リベラル風学者として野党共闘に期待を寄せている旨発言している。が、国体の下位派生物でしかない日本の議会内政党で問題が収まるとは思えない。本作中で、天皇と日本国民のリベラル連合を示唆しているが、おそらく本気ではないだろう。ここが白井氏の越えられない壁なのか、それともレーニン主義的権謀術数策なのか。本書の論理を素直に展開させれば、日本人は「主権の所在」(p.147)を求めて「一旦回避した本土決戦をあらためて実行する」(p.187)しかないように思われる。

追記:
「皆さん自身が、怨讐の中の怨讐と結婚しなければなりません。日本と韓国の怨讐の中の怨讐は、最高の頂上である王です。日本の天皇と韓国の王とが交差結婚をしなければなりません。その次に、上下院が交差結婚しなければなりません。日本で言えば、首相と大臣たちが怨讐である韓国の人と結婚しなければなりません」(文鮮明発言集「御言選集」第346巻より)
文のこの言葉からも統一教会と自民党は、文一族と日本の皇族を結婚させアジア版天皇を生み出そうとしていることが理解できる。自民党に代表される親米保守は統一教会と同質化したため、日本のナショナリズムとして成り立たなくなった。反米愛国で一貫させようとすると、226事件の時のように天皇に切り捨てられる。国家社会主義では民族や人種の優劣で動揺する。このように日本の右翼は、思想運動としては事実上機能を停止したといえる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする