京都デモ情報《ブログ版》

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【書評】シニア右翼

2023年06月25日 | 書評



1章、2章、3章、終章は、説明調の記述が続く。シニア右翼は左翼と対をなすような高尚なものでなく、自分自身と日本の衰退を認めたがらない韓国中国嫌いのネトウヨということを再確認する。注目すべきは、4章「未完の戦後民主主義」とエピローグだ。4章で、インターネット視聴により中高年層が簡単にシニア右翼になる根本的な原因として、『戦後日本が「一応の近代国家でありながら、民主的自意識が弱い」ことの理由は、そもそも社会システムの中に戦前体制を徹底的に否定しない構造をそのまま持ち越したことにある』(p.195)ことを挙げ、なぜそうなったのかも含め多角的な面から解明する。

エピローグにおいて、戦争による破壊が徹底的に行われたことで「戦前と戦後が完全に断絶された日本国土の例は、沖縄が唯一である」(p.276)と、我々の盲点を突く。そのため沖縄では、「確固とした戦争戦争の反省と米軍軍政との権利闘争の中で強烈な民主主義的自意識が確立された」(p.277)。それに引きかえ他の日本人は、「戦後民主主義という種をばらまいても、その土壌が弱いので大きな芽が出ないのである」「土壌を入れ替えるしかないが、それは破壊を伴う作業なので、秩序や既存利益の破壊を嫌う人には受け入れがたい」(p.279)ゆえに、出口がない。皆、秩序や既存利益から甘い汁を吸う共犯である以上、今後も戦前体制の土壌である自民党政権は続き、その派生物であるシニア右翼も根絶されない。それでは希望がないと感じたのか最後の項で著者は、革新やリベラルに期待をかける旨書いて筆を置く。

だが、その結論は違うだろう。せっかく、沖縄という異なる価値観を呼び起こしたというのに。ここから求められるのは、日本の沖縄化だ。沖縄が琉球独立を選択せず「祖国日本」に復帰したのは、今の日本領内で唯一住民ともども地上戦を戦い、戦後自力で民主主義的自意識を掴み取った自分たちこそ真の日本人だからだ、という沖縄の誇りが読後に滲み出る。このことは沖縄の祖国復帰運動と、ベトナム戦争、沖縄米軍基地、日米安保体制が絡み合う中で、沖縄の在り様を規定してきたのではないか。そしてそれは、今また「米中対立」という形ではっきりと顕在している。我々日本人は再び沖縄を見殺しにするのか、今度こそ沖縄県民の思いに応え、沖縄を捨て駒にして延命しようとする日本の戦前体制を放逐し、未完の戦後民主主義を完成させるのか、迫られている。



【書評】世界革命

2023年06月15日 | 書評



本書は、なぜロシア革命がスターリン主義化して世界革命に繋がらなかったかを論証している。大きな原因として、帝国主義国支配層の意を受けた社民主義政党によりヨーロッパ圏の革命勢力が潰されたこと、先進国プロレタリアと植民地従属国労働者農民が革命の現場で合流できなかったこと、の二点を挙げている。それは、社会主義革命と共産主義革命は、高度に発達した生産力を持つ先進資本主義国のプロレタリアよって成就するという、第2インターナショナル的教条と一対のものとして捉えられている。

この行き詰まりを突破し1970年代革命に向け著者が打ち出すのは、辺境の地から農民労働者軍が帝国主義本国へ攻め上り、先進国プロレタリアに加勢する世界革命戦争路線である。今から見れば荒唐無稽な超極左主義にも思えるが、当時はベトナム戦争を始めとして各国で民族解放的な農民ゲリラや都市暴動が戦われており、裏付けのない話ではなかった。また先進国から世界革命戦争を担う主体として、流民となった元学生が街に屯していた。実際に、赤軍派や東アジア反日武装戦線はこの流れから発生した。問題は、
①立ち返るべき革命根拠地としての辺境が高度経済成長による資本主義化の波に吞まれた
②辺境の民がオリエンタリズムに基づく片想いを相手にしなかった
③辺境は平等と連帯の生きうる原始共産制というより奴隷制や家父長制の源泉でしかなかった
ことである。人民公社と紅衛兵に蹂躙された中国が、改革開放路線でブルジョア的先進国へ変貌したのは、象徴的出来事といえる。何よりも、その後「縄文日本文明」にまで退却した、著者の生き様に現れているというべきか。

では今この本を紐解くことは、懐旧談の種捜しに過ぎないのか。本書で、先進国プロレタリアは帝国主義が用意する財や地位、利権に懐柔された社民主義の温床として、不信の目を向けらている。だが時代は変わった。現代の先進国プロレタリアは、新自由主義の中で雇用条件や福祉を削られ不安定な地位に陥っている。正規雇用の労働者も、いつ非正規労働者に突き落とされるか分かったものではない。デジタル化の進展が生み出したギグワーカーなど、流民の最たるものだ。労働組合の組織対象外である労働者は、理解の範囲外にある棄民として扱われる。こうして我々は、アジア、アフリカ、ラテン・アメリカの労働者と同等の生活レベルと生存条件を分かち合う、「世界帝国主義資本に対する予備軍プロレタリアート」(p.142)になる。あらゆる国々の労働者は本質的に、国境という障壁を取り払われた「単一の労働過程」(p.10)を流動させられるのだ。

ここに、現代の世界革命を実現する経路が見出せる。資本家は世界核戦争を含めた環境破壊と、利ザヤ稼ぎしか出来なくなった。そんな資本家を押し退けることができるのは、現実に社会を動かす大多数のプロレタリアである。資本主義を転覆することだけが、プロレタリアートの希望となる。そしてデジタル技術を包摂した単一の生産過程で結合するプロレタリアのみが、生産の桎梏となった私有財産制国家に変わり共産主義共同体を創出できる。日本では新自由主義の下、労働組合破壊を徹底的に押し進めたため、事実上社民主義政党は存在しない。また残された野党による政権交代もありそうにない。投票だけは行なっている、民主主義風の専制カルト政治国家が日本だ。それは本書の分析からいえば、資本主義を崩壊の危機から救うバックアップが存在しないということである。帝国主義の最も弱い環は身近にあるといえる。これらのことを、太田龍こと栗原登一は行間より訴えかけているのである。