京都デモ情報《ブログ版》

京都周辺で開催されるデモ行進・街宣・イベント・裁判・選挙等の情報を共有するためのページです。

【書評】1968

2023年12月20日 | 書評



「現代的不幸」なる結論ありきに合わせるため、膨大な資料を切り貼りした本。当事者にインタビューすると、このヤリ口が使えないのでインタビューしなかった、という話でしかない。「現代的不幸」とは、高度経済成長という時代の転換点に起きる不安感のことで、著者が学問的装いでレッテル貼りするため作ったワードだ。マスコミによる数々の学生運動語りで、「純粋」の次に使い倒されている陳腐な解釈である。「現代的不幸」ということにしておけば、日本の学生運動を一過性のお祭り騒ぎか自分探しに貶めることができ、それ以上考えなくて済む。あの時代に対する苛立ちを抑えられない人が読めば、冷笑を浮かべ気持ちが収まるだろう。著者は、戦後日本社会が抱えた安保・沖縄という宿痾に、若者が落とし前をつけようとした苦闘から目を逸らしている。それは、今も果たされないままだというのに。

骨子や論拠が学生の小論文レベルであり、中身は政治的パンフレット。やたら分厚い本の割に、スラスラ読めるのはそういうこと。ページ数稼ぎにより、学術書としての体裁を取り繕おうとしているのではないか。もう一つ陳腐な学生運動解釈として、セクトの介入、もしっかり挙げられている。3・11以後という衰退の時代に、著者が社会運動へ関わろうとする動機と願望と役割が見えてくる。学生運動や社会運動を学問やノンフィクションとして取り上げたい人は、「自分探し」「純粋」「セクトの介入」を頭から外して、考察すべき。テレビや雑誌といったマスコミ報道も、「自分探し」「純粋」「セクトの介入」は、手軽で便利なのは理解するが陳腐になるので使うべきではない。見る側も、そのような切り口は飽きている。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 【書評】差し迫る、 福島原発... | トップ | 【書評】〈近代の超克〉論 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

書評」カテゴリの最新記事