deep forest

しはんの自伝的な私小説世界です。
生まれてからこれまでの営みをオモシロおかしく備忘しとこう、という試み。

104・新しいバイト

2019-04-09 19:02:10 | Weblog
 雷鳴がとどろく。頭上を覆う曇天から雹が撒き散らされる。その上に雪が舞い降りてくる。やがて、しっかりと形を整えたぼた雪がしんしんと、延々と降りつづくようになる。視界はたちまち白銀の内に閉ざされる。こうなると、春までずっと金沢の街は銀世界のままだ。バイクの路上走行は禁止。仕方がないので、徒歩で学校に向かう。
 オレのいでたちは、長い長いマフラーをターバンのように頭(かるく長髪)に巻き、もう半分を勇者のように首に巻きつけ、ジーパンはファッションの枠を超えたレベルでビリビリ、素足にビーサン、カバンは中学校時代の肩下げタイプ(金八シリーズに出てくる、白いめくり上げ式の)、そして傘の代わりに軍隊風のポンチョ(ボーイスカウト時代の)というものだ。このたたずまいで雪深い街をゆく姿は、八甲田山の死の雪中行軍じみている。ナルシズムのなせるわざだ。ひとの視線も気にならない。というよりも、美大生がみんなだいたいこんな感じなので、誰もオレの格好など気にも留めない。
 竹藪に囲まれた長い長い鶴間坂をのぼり、小立野の丘の上にあるキャンパスにたどり着く。肩にこんもりと積もった雪を払い、塑像室に入れば、灯油ストーブがガンガンに焚きつけられ、ぽかぽかだ。外は雪なのに、中では素っ裸のモデルさんが身じろぎもしていない、というシュールな光景。心地よすぎるぬくさにうとうとしながら鉛筆を動かすふりをし、いよいよ本格的な眠りに就ける午後の学科の講義までを終えると、再び街路を雪中行軍だ。しかしオレの足は、きた道の鶴間坂とは逆サイド、小立野の丘の向こう側の亀坂を下る。ピロくんと北川の待つ赤崎荘へ、いそいそと向かうのだ。みんなで一部屋に集まって酒を飲み、ギターをかき鳴らし、口ゲンカをし、酔いつぶれたらコタツで寝る。朝起きて、カメ坂をのぼり、学校にいき、ツル坂を下る。のぼる、下る。ツルを、カメを。丘を間に置き、のぼり下りの往復運動・・・江戸時代の侍の、屋敷と妾宅を結んでの登城とは、こうしたものだったにちがいない。
 さて、オレは片町の村さ来の洗い場を辞め、丘の上の小立野の並びにある石引町というところで、新しいバイト先を見つけていた。その小さなレストラン(メシ屋、と言っていい)は、名前を「プルストン」と言う。いしびき町にあるから、プル・ストーン、だ。石引町は、金沢城の石垣に用いる石を各地から引っぱってきた道にちがいない。
 プルストンは、気のいいママと、無口なマスターがふたりでやっている家族的な店で、ピラフやスパゲティの大盛りが売りだ。このあたりは学生街なので、どの店もそうなのだが、客にはたらふく食わせねばならない。例えば、大学をちょっと下ったところにある「リリー」という店のパスタなど、巨大な平皿に丸座布団ほどもの盛りで、いつも満席の人気を誇っている。ここで、差別化、という考え方が必要になってくる。リリーの料理は広さ方面に大きいが、プルストンのものは高さ方面にサービス満点なのだ。こんもりと山盛りにされたパスタだのピラフだのに、トンカツやミックスフライ、クリームコロッケなどがずしりずしりとのっかっているのだ。学生の目には、たまらないビジュアルだ。しかしオレは、客ではなく、バイトの身だ。こいつをカウンターからテーブル席まで運ばなければならない。イカツイこいつを二つ三つと同時に移送するのは、なかなかのバランス感覚と集中力を要する。しかし、楽屋の裏仕事である皿洗いよりも、ホール係は「花形」という感じがして、ひどく気分がいい。オレはこの店で、対面の接客のヨロコビを覚えた。生まれてはじめて「いらっしゃいませっ」てなことを口にすることになったわけだ。プルストンは、家庭や学校、あるいは居酒屋の厨房という閉じきった社会から脱却し、まったくの未知の外側に自分を開く機会を与えられた、記念すべき場所でもあった。

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

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